2012年1月28日 (土)

【映画】ヒミズ ( 園子温監督作品)

Himizu2

きっと時間が解決してくれると思っていた。去年の秋ごろはけっこういい感じで復活してきていた。でもこのところまた震災不感症が発病し始めている。3.11以降、僕の中では、音楽や映画、小説などの表現がどうにも素直に受け止められなくなっているのだ。あの日を境に、僕の中の何かが変わってしまった。冷めている。どうしようもなく醒めているのだ。
今はなんだかライブに行くのも気が重い状態。ライブが始まるのを待っている時の弛緩した空気がたまらなく嫌だし、ライブ会場に流れる約束事がものすごくもどかしい。なんだか、ヘラヘラしてるやつらの顔を見てるとぶん殴りたくなってくる(しませんけど…)。たぶん、今後僕はライブに足を運ぶ回数は激減するだろう。
でも、そう思ってるのは僕だけではないんだと思う。ある雑誌で高橋源一郎と斎藤美奈子が2011年のブック・オブ・ザ・イヤーを決める対談をやっていたんだけど、そこで2人は、総ての表現が3.11以前と以降に分断されてしまい、ベストを決めるのにすごく苦労したという趣旨の発言をしていた。

語弊があることを承知で書く。東日本大震災と原発事故は、同じ災害でも阪神・淡路大震災とはまったく違うニュアンスを感じる。それがなんなのか、今はうまく言葉に表せないが、こと原発事故に関しては、これまで日本が見ないふりをしてきた邪悪な構造が白日のもとに曝け出されてしまった。そのあまりにも重い事実の前に、僕はただただ立ち竦むことしかできないでいるのだ。
これまで、「戦後の終わり」という言葉を何度か聞いた。でも、この事故は本当の意味で戦後を終わらせたのではないか。そして、高度経済成長というこの国の発展の歴史が、実はハリボテのようなものであったということも見せ付けたのではないか。

でも、僕は諦めない。表現者の力をまだ信じている。圧倒的な事実の前で、それと対抗できるだけの表現が必ず生まれる。そう思っているし、そう思わないとこの先音楽も映画も観ていられなくなってしまうではないか。

で、園子温監督の「ヒミズ」だ。暴力描写たっぷりの重く暗い映画。普通に生きたいと願う中学生が汚い大人の象徴のような、クズに等しい両親に翻弄され、その未来を閉ざされていく。そこに園子温は震災によって未来を奪われた人たちの心象風景をリンクさせてきた。
現実の被災地という、圧倒的にリアルな現場でのロケーション。悲劇の現場での演技は、ともすれば不謹慎、話題づくりとのそしりを受けかねなかったはず。事実、この映画に関してそういう評価を下す人も多いと聞くし、原作を知っている人からは“原作のあるものを、わざわざを震災と絡めて失敗している”と批判されてもいるそうだ。

にもかかわらず、僕はこの映画に心を震わせた。それは、園子温という男が3.11を通過し、表現者として様々に思い惑った残り香が強烈に漂っているのを感じたからだ。原作があろうとなかろうと関係ない。これは明らかに3.11後の世界に思いを寄せ、その現場を見た表現者が沸きあがる衝動を抑えきれずに作った表現なのだ。
東北ロケに関しては、3.11以前に立てられた企画の段階で既に予定されていたという。当然、その頃は震災のことなんて誰も予想していない。だから3.11が起こった時、当然のことながら中止を主張する声が多かったと聞く。しかし、園子温は瓦礫だらけの現場に行ってみて、圧倒的な悲劇を前に何かを思い、湧き上がる感情を抑え切れなくなったのだ。そのリアルな衝動に僕は共鳴する。
確かに、気持ちが走りすぎて、物語が破綻している部分があることは否めない。僕は原作を読んでいないが、原作とはまったく違う映画になっていると言う人の意見もたぶん当たっているのだろう。

だが、それでもいい。わかる人にはわかる。それでいいではないか。日本政府の原発事故収束宣言の捉え方が人によってまちまちなように、3.11後の表現も100%の共感を持って迎えられるようなことは、もはやないのではないか。
この映画では、登場する誰もが、大人も子どもも、男も女も、理不尽と思えるほど酷い有り様で暴力を受ける。顔を殴られ、蹴飛ばされ、血反吐を吐いてへたり込む。でも、僕にはこの描写が快感だった。不謹慎と思われてしまうが、この痛さがどうしようもなくリアルだった。できることなら俺も誰かを殴りたい。そして、口もきけないほど殴られたい。そんな衝動に駆られた。

そういえば、登場してくる女子中学生は、こんなことを言ってたっけ。

人生にケチのついた人間は嫌でも価値観を変えざるを得ない。これはもうほとんど義務だよ。

この台詞、実は今の日本そのものに向けられているのではないのか。

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2012年1月 7日 (土)

賭け

おかしい。文部科学省が発表しているデータによると、昨日ぐらいから福島と北関東のセシウム降下量が急上昇しているのだ。これは事故直後、4月ごろと同じぐらいのレベル。明らかに異常だ。

なぜ、こういうことを大手マスコミは報道しないのだろう?
今年の年末年始はいつにも増して違和感が湧き上がる日々だった。テレビをつける。予定調和の紅白歌合戦。相変わらずのお笑いや物真似。ただ長いだけの特番やドラマ…。あれだけの事故が起こったのに、まして第一原発は全然収束なんかしていないのに、このお気楽ぶりは一体なんなんだろう…。せめて一局ぐらいは現在のフクイチの様子を報せてくれてもいいんじゃないのか?
テレビが嫌になってネットを見てみる。飛び込んでくるのは、いつもの年の瀬と変わらない書き込みの数々だ。行ったライブの本数。買ったCDの私的ランキング…。悪いけど全く頭に入らない。残ったのはむかつくような違和感だけ。
新年早々こんなことを書きたくはなかったのだけれど、この国は一刻も早く福島を過去のものにしたいみたいだ。

年末年始、子供を連れて福島に里帰りできなかった僕は、正月に両親を東京に呼んだ。年老いた両親の目に、東京の日常がどう見えたかはわからない。ただ、もしかしたら自分たちが生きているうちに、もう孫を福島に迎えることはできないと思っていたのではないかと思う。辛くてそんなことを話す気にはなれなかったけど…。

なぜ福島県民は福島から逃げないのか、と言う人がいる。僕自身、なぜ両親を東京に呼ばないのかと聞かれることもある。
じゃあ言いたい。あなた方は今のような北関東の異常な数値が続けば東京から出るのかと…。

それにしても、異常な数値の原因はいったい何なんだろう?前々から言われているように、一番危ないといわれていた4号機で何かが起こったのだろうか?年末年始に福島を震源にした地震が複数回起きたことが、今ひどく気になっている。
この異常なセシウム降下物について、文科省は昨日の夜遅く、「土日は公表せず」と発表した。その理由は「値が変わっていないから」だそうだ。これまでは値が変わってなくても記述があったのに…。
こういう国に僕らは住んでいるのだ。今、東日本に住んでいることは一つの“賭け”なのかもしれない。

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2011年12月16日 (金)

日常と非日常

斉藤和義の新譜、エアロスミスの来日公演、ストーンズ全盛期のライブ映像、そして麗蘭・CHABO、リクオのライブ…。今になって、ようやく音楽が自分の暮らしに戻ってきた。
何度も書くようだが、3.11以降、僕は音楽に関して不感症になりかけていたのだ。もう、何を聴いても音が身体に入ってこない。特に日本語で丁寧に書かれた歌ほど、聴いているうちに虚しい気持ちになり、聴き続けることができなくなっていた。歌なんかより、脳髄が痺れるような音が欲しかった。今年の夏は、まるでエレキギターに目覚めた中学生のように、レッチリやU2を爆音で聞く日々をおくった。

原発事故はまだ全然落ち着いていないが、僕自身はようやく前のように音楽に向かえるようになりつつある。だが、それでも3.11以降、それまでとは決定的に違ってしまった感覚が自分の中に生まれてしまったことを自覚しないわけにはいかないのだ。
特にライブに対する気持ちの変化は大きい。音楽好きにとって、かつてライブは非日常をもたらすものだったのではないだろうか。フェスなんかその際たるもので、逃避と言われようとなんだろうと、そこでひととき桃源郷のような時間が過ごせればそれでいいとみんなが思っていたはず。
それが、3.11以降逆転してしまった。非日常であったはずのライブ空間のほうがかつての日常に近く、今僕らの生きる世界はまるで悪夢のよう。放射能汚染とこの国の負の象徴であるかのような原発は、下手すると僕らの平穏な日常なんか簡単に終わってしまうという脆い現実を見せつけた。

今、重苦しい空気が、まるでカフカの小説のように日常を浸食し尽くしている。今、僕は時々音楽が日常なのか、日常が音楽化してしまったのかわかなくなるような感覚に囚われてしまうことがある。当たり前だが、音楽にははじまりと終わりがある。今はそれがなんだか怖いのだ。音が止むと、まるで日常が終わってしまうような気がして不安になる。この前のリクオのソロライブ、彼はその場から離れるのを惜しむように長いアンコールを続けた。“ああ、リクオも同じ気持ちを抱いているんだな”と、僕は思った。

日常が音楽化してしまった今、きっと音楽は変わっていくだろう。ミュージシャンや意識的なリスナーは、もはや3.11以降の世界には戻れなくなってしまったことを自覚しているはず。
具体的に言うと、僕は今、無性に長い音楽を聴きたい。終わりが無いぐらいに長く濃く、その存在感だけで不毛な現実なんかぶっ飛ばしてしまうような音楽…。僕がもしミュージシャンだったら、今なら絶対そんな音を出すはずだ。
70年代の白人ブルースバンドやプログレッシブロックと呼ばれたグループが、当時延々インプロビゼーションを繰り広げた気持ちが、今になってやっとわかったような気がしている。

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2011年12月11日 (日)

リクオ&ピアノ~完全弾き語りソロ・ライブ~ / 2011年12月11日(日) 渋谷BYG

リクオのソロライブは、東京では久々だ。今年は海さくらウルフルケイスケとのツアーなど、共演者がいるステージでリクオを観る機会が多かったが、そこでは比較的アッパーなナンバーが多く唄われていた感がある。リクオ自身、3.11以降、気持ちが沈む日が続く中でウルフルケイスケとツアーに出てあえて陽気なナンバーを演奏したことは、精神衛生上とても良かったと語っていた。
それは僕にも良くわかる。わかるのだが、リスナーの立場として言わせてもらえるなら、これらのライブでは彼の持つ内省的な部分をあえて出さないようなタッチになっていたことに少し物足りなさを覚えもした。久々のソロである今夜は、きっとそんな歌も聴くことができるだろう。深い夜に自分の心の奥にゆっくりと降りていくような歌を聴きたい…。僕はそんな気持ちでライブに臨んでいた。

リクオは僕の気持ちに十分すぎるぐらい十分に応えてくれた。もちろん、いつものようにアッパーなナンバーも演奏されはしたのだが、僕が強く印象に残ったのはやはり内省的な歌。BYGのこじんまりとした空間で、リクオのピアノと歌声にじっと耳を澄ますのは、心が洗われていくような音楽体験だった。本当にとても濃密なライブだった。3.11以降、世の中の雰囲気が一変してしまった中でも、淡々と旅を続けて歌を唄い続けてきたリクオの、この一年の想いが集約されたような夜だったと思う。

この日のライブで特筆すべきこととして、新曲が数多く演奏されたことが挙げられる。それらは震災や原発事故のことを直接唄いこんだものではないが、僕にはやはり3.11以降のリクオの心境が色濃く反映されているように思えてならない。
リクオの歌の数々を聴いてるうちに気が付いたことがある。彼は突然襲ってきた震災や原発事故を憂いているのはもちろんだが、同時に3.11以降の社会に漂うある種の空気にも違和感も抱いているのだと…。
なんて言ったらいいのか、うまく言葉が見つからないのだが、たとえば、今誰かと原発についてシリアスな話をするとしたら、その前提として相手が原発推進なのか反原発なのかを最初から決め付けるような傾向があると思う。そして、互いが互いを拒絶し、大きな声を挙げがちになる。あんな事故が起きたらそうなって当然なのかもしれない。でも、こんな風にはっきりと何かに線引きをしたがる社会は、僕らがかつて暮らしていた“あの頃”の空気と、少しずつ何かが違ってきているのではないか。リクオはそんなことを感じているんだと思う。

最近、僕も時々思うのだ。あなたは原発に賛成ですか?反対ですか?と聞かれたら、僕ははっきり“反対です”と応える。それは間違いない。だが同時に、反原発を声高に主張し、推進派とされる人物や企業をまるで悪魔のように罵る風潮にはある種の怖さも感じてしまうのだ。共感できる部分ももちろんある。だが、心の底に微かに、でも確実にある種の違和感が芽生えもする。そんな微妙な2011年の風に吹かれる僕らの気持ちを、リクオはきちんと歌にして差し出してきたのだった。
「全部ウソだった」を唄った斉藤和義は誠実な表現者だと思う。それとは違う表現ではあるが、リクオの新曲にも、僕は表現者としての真摯さを強く感じる。

ウルフルケイスケと全国を回ったツアーの千秋楽は、ベースの寺岡信芳とドラムの小宮山純平が加わりバンドスタイルで行なわれたそうだ。ギンギンのエレキギターが入った、いわゆるロックバンドスタイルでプレイするのは、リクオのとっても久しぶりだったらしい。初心に戻ったような気持ちになったと彼は語っていた。
それを象徴するものとして、この日演奏された新曲で、まるでハイロウズのようなタッチのロックンロールがあった。明らかにウルフルケイスケとのツアーがなければ生まれ得なかった曲。リクオはピアノを叩くように弾き、まるでヒロトのようにシャウト。僕は、この日演奏された数多くの曲の中で、この曲が一番印象に残った。
実は、僕はウルフルケイスケとのツアーは一度しか見ていない。このツアーのセットリストはケイスケの明るいキャラクターを活かしたものが多く、楽しい事は楽しいのだが、僕にとっては冒頭に書いたような物足りなさもあり、1回見とけばそれでいいかな、ぐらいの気持ちでいたのだ。だが、この曲を聴いて千秋楽を観なかった事を、今ちょっと後悔している。
この日演奏された新曲の中には、これ以外にもバンドの音が聴こえてくるようなものがいくつもあった。やっぱり、あのツアーはリクオにとって重要だったのだ。彼は、あのツアーでこれまでにはなかった新しいモードを手に入れたのだと思う。

この夜、アンコールは長かった。
これは僕の予想だけど、最初の予定では、リクオはケイスケと共作したという新曲で締めるつもりだったのではないだろうか?だが、リクオはなかなかピアノから立ち上がろうとしなかった。僕らもまた会場を去り難い想いにとらわれていた。そういう雰囲気になったのだ、自然と。そこから唄われた数曲は、ほんとうにこの夜だけのものだったと思う。下田逸郎のカバー「セクシー」が歌われた。反戦の思いを込めて書かれたことばをヒントにして作ったという(そんなことは、僕は夢にも思わなかった)「美しい暮らし」が歌われた。一つひとつが珠玉の輝きを放つ、本当の意味でのアンコール。東京のホームと公言して止まないBYGでの、今年最後のソロステージという空間が生み出した奇跡だったんじゃないかな、あれは。

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2011年12月 9日 (金)

CHABOの恩返し⑧ 浜崎貴司 with 仲井戸“CHABO”麗市 / 2011年12月9日(金)Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE

素晴らしいライブだった。これまで僕の見てきた恩返しライブの中でも、濃密さは間違いなくNo.1。これまでは、ライブが終わると、もう少し長くCHABOを見たいなあ~という気持ちがどうしても生まれてしまい、100%満足して帰路に着いていたわけではなかったのだが、今回はまったくそんな気持ちは起きなかった。これは、この夜のステージが、純粋にジョイントライブとして高い完成度にあったという事だと思う。2人の持ち味が十二分に発揮された、本当に素晴らしいステージだった。

正直言って、僕は開演前はこのライブがこれほどのものになるとは思っていなかったのだ。これはCHABOのステージングの素晴らしさはもちろんだが、浜崎貴司という男が、僕の予想をはるかに超える素晴らしいソングライターだったことが大きい。僕の彼に対する知識は、イカ天出身バンドのボーカリストといった程度。もちろん、OK!!! C'MON CHABO!!! でボーカリストとしての力量はわかっていたつもりだったが、ソロのステージには強い衝撃を受けた。いやあ、この人がこれほど素晴らしいシンガー・ソング・ライターだったとは…。

浜崎の弾き語りには本当に圧倒された。
1曲目は数年前に彼がスランプに陥っていた時、渋谷のスターバックス2階席から眼下のスクランブル交差点を眺め、半日かけて書き上げたというヘヴィ・ブルースだったのだが、これがもう凄かったのだ。アコギをかき鳴らしながら、当時の心境を赤裸々に吐露した重い歌詞を、圧倒的な声量で歌い上げる。のっけから心臓を鷲づかみにされた。
その後も、浜崎はカバーや自曲を次々に歌いこんでいく。カバーではCHABOの「ガルシアの風」や、斉藤和義の「虹が消えるまで」も出た(MCでは“小泉今日子の…”と紹介されていたが)。
浜崎の持ち歌は、はっきり言ってそのほとんどが重く暗い。決して一般受けする歌ではないかもしれないが、僕はその内省的な世界にぐいぐい引き込まれていった。この日セレクトされた曲が、彼のバンド、フライングキッズのレパートリーだったのか、ソロで書いた曲なのかはわからない。だが、そのどれもが僕がフライングキッズに対して抱いていた、シニカルな男目線をファンクビートで歌い込むといったイメージとはまったく違った歌たちだった。もっと赤裸々で生の感情を吐き出した、血を流したような歌…。

特に印象に残ったのは、ラストに唄われた曲だ。タイトルは忘れてしまったが、僕はこの曲にかなり揺さぶられた。何よりも歌詞が素晴らしく、僕は忘れないようにと、その一節を手帳に書き留めたぐらいだ。こういうことは僕には本当に珍しい。

失速する時代に背を向け 我がための真実を追いかけろ
秋の黄金色の小麦のように 君は満たされてく

息が詰まるほど胸を焦がしたら
とどまることを知らない 前しか見ぬ馬鹿であれ

浜崎の歌からは、日々の葛藤に悩み、未来への不安に苦しみながらも、大切な人との大切な瞬間を大事にしていきたいと願う一人の男の姿が浮かんでくる。これは紛れもないブルースだ。久々に邦楽アーティストの曲を聴いてガツン!ときた。なんとなく、古井戸初期のステージはこんな感じだったのではないだろうかと思ってしまったぐらいだ。

さて、CHABO。CHABOのステージも浜崎に負けず劣らず凄かった。
オープニングは麗蘭の去年のツアータイトル曲「Love Love Love」。客席に手拍子を煽りながら陽気に演奏していくが、その歌詞は“世界に、君に、愛は足りているかい?”と問いかけるもの。歌を聴きながら、今の僕らの暮らしを振り返らざるを得なくなる。
そう、この日のCHABOのセットリストは、師走っぽいもの、クリスマスが唄いこまれたものなど、CHABOお得意のシーズンソングも多かったが、ヘヴィだった2011年に対しての想いをこめたものにもなっていたと感じる。しかも、それは奇しくも浜崎貴司のセレクトした曲と違和感のないトーンになっており、もしかしたらこの日の恩返しは、各々のソロステージでの選曲も含めて、全体のトーンを見渡してかなり周到に考えられたものだったのかもしれないと思った。

びっくりしたのは、RCナンバーの「まぼろし」が唄われたことだ。この歌の前に、CHABOは、結果的に恩返しシリーズでは毎回RCの曲を歌ってきたが、それはPLEASURE PLEASUREが清志郎と出会った街、渋谷にあるので自然とそういう気持ちになると話していた。また、最近雑誌の取材で「青い森」のあった辺りに行く機会があり、店はもう無いが当時の雰囲気はまだ微かに残っていて、今にも清志郎が出てきそうだったとも語っていた。
はじめて聴くアコギ・バージョンの「まぼろし」。この曲は、実は収録されたアルバム「BLUE」よりもかなり昔に作られた曲だったことは、ファンの間では有名だが、当時のアレンジもこんなだったのでは?と思わせるような生々しさがあった。

ラスト2曲もなんだかとても象徴的だった。
まずは、ものすごく久しぶりに唄われた「労働歌」。CHABOはまったくギターを弾かず、まるで農民が土を耕すかのように、アコギのボディを拳で叩きアカペラで歌詞をシャウトする。そして最後は「Are You Alright?」。僕は、この2曲は3.11以降のCHABOの想いを現したように思えてならない。「労働歌」は様々な思いをかき消してしまうほどの圧倒的な現実に直面した今年、ミュージシャンとしてどう生きていくべきか、自分の立ち位置をもう一度再確認するようなニュアンスを感じたし、「Are You Alright?」には、この迷える時代に生きる僕たち総てに対しての慈しみだと思った。

ここまでが本編。ここまででも十二分に大きな手応えのあるライブだったのだが、この日は第二部と呼んでもおかしくない長いアンコールがあったことで、その良さがさらに引き立った。
アンコールは、各ソロステージでの重たいタッチとは雰囲気が一変。浜崎にいたっては、ステージに出て来た時の表情からして違っていた。まずは恩返し恒例の「適当ブルース」。これがむちゃくちゃ楽しかった。ギターの絡みはもちろんだが、お互いの即興で付ける歌詞が最高に可笑しくて、CHABOも思わず“恩返し史上、一番変だ!”と苦笑い(笑)。

それから浜崎の持ち歌でファンクナンバーを2曲。これは歌詞も含めていかにもフライングキッズらしい曲。CHABOはアコギでバッキングに徹していたが、2曲目のワウペダルを使ったソロはシビレた。Glad All Overでの名演「ボスしけてるぜ」を髣髴とさせるようなギターだった。

それからなんと、この日は2人の共作も披露された。「僕らのメリークリスマス」と名付けられたその曲は、シンプルな歌詞にクリスマスの様々な場面が歌いこまれる、とても心に残る曲だったな。CHABOは演奏終了後、“来年のクリスマスも、浜ちゃんとこれを歌うのを楽しみにしてる”なんて言ってたけど、そんなに待てないぞ(笑)。なんとかレコーディングできないものかなあ…。ライブだけじゃあ、勿体無いぐらいの名曲なんだから…。

この日の恩返しは10分押しで始まったのだが、終わってみると10時半近い時間。たっぷり3時間近くあったわけで、他の回と比べても長いライブになった。
この2人、恐らくこれだけでは終わらないだろう。ステージでのCHABOの表情を見ていると、彼が歳の離れた浜崎貴司という男をシンガー・ソング・ライターとして心から敬愛しているのがわかる。なんとなく思ったのだが、CHABOは浜崎の歌に自分と似た世界感を感じているのではないだろうか。
僕も、この人の歌がどうにも気になって仕方がない。考えてみたら、浜崎貴司は今年46歳で僕とまったく同じ歳だ。そのせいか、彼の歌の時代に対する目線には、共感できる部分がとても多いと感じる。恩返しシリーズの最大の恩恵は、こうしてCHABOを通して、21世紀にRCチルドレンが繋がっていくきっかけを見つけることができるところなのかもしれない。

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2011年12月 6日 (火)

Some Girls Live in Texas 78 / THE ROLLING STONES

51zdghp4lnl_sl500_aa300_1_2 少し前まで、ストーンズは過去のアーカイヴには一切手をつけないバンドだったのだが、2年前のゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!40周年記念エディションを境に、タガが外れたようにすごいモンをどんどん出してくるようになった。今度出たのはなんと78年モノ!。EXILEの未発表曲にも驚いたけど、この「サム・ガールズ」+78年ツアーというパッケージにはかなり驚いた。

実は「サム・ガールズ」と78年全米ツアーに関しては、TVやラジオ用にかなりの音源・映像が残されている。やっぱしストーンズといえど、当時のパンク、ニューウェイヴの台頭は脅威だったんだろうな。物議をかもしたアルバムジャケットも含め、当時はかなりの危機感を持って話題作りをしていたんだと思う。
だけど、日本ではなかなかそれらに触れる機会がなかった。80年代に入ってから、NHK・FMでラジオ用ライブ音源がOAされ、ファンを狂喜させたなんてことがあったけど、映像の露出は皆無に近い状態だった。

昔、僕はストーンズのブートレッグ集めにどっぷりだった時期があるんだけど、ブート市場でも78年モノは多かった。6月4日の公演をライン録音したなんちゃらとか、デトロイト公演の放送音源をブート化したかんちゃらとかね。きっと、ちょっとしたストーンズ・マニアだったら、“ああ、あれのことね”とわかるだろう。
78年ブートの決定盤は「HandsomeGirls」っていう4枚組だ。こいつが出たのは90年代に入ってからなんだけど、既に出回っていたラジオ用音源と、それまで全く世に出てなかったテキサス州フォートワースのショーを組み合わせ、最上級の音質で収録したというとんでもないシロモノだった。リリース当初はちょっとした騒ぎになり、僕もやっとの思いで手に入れた記憶がある。だけど、これで78年モノはもうイイや…っていう気になっちゃったことも確かなんだよね。だって、これ以上の上物はもう出てこないだろうと思ったし、これだけボリュームがあれば、あと20年は楽しめちゃうわけで、なんだか高いお金で他のブツを漁る気がしなくなってしまったのだ。思えば、HandsomeGirlsは、僕がブートレッグから足を洗うきっかけにもなったブツなのであった。

そんなわけで、78年ツアーに関しては、もう出るものは出尽くしてると思ってたから、今度のリリースにはかなり驚いた。もうね、こんなちゃんとした映像が存在していたこと自体びっくり。このうちの数曲はブートで観たことがあったんだけど、数分観てると目がチカチカしちゃうようなシロモノだったんで、これはもうマスター自体が酷い状態なんだろうなと思い込んでいたのだ。

今見ると、この時期のストーンズはやっぱり独特。前後の時期、76年や81年のド派手なタッチとも違っていて、わざとB級臭さを漂わせた風なのが異常にカッコいい。
ミックのステージ衣装はほとんど意味不明(笑)。おっさん臭いベレー帽にぺらぺらの上着、ジャージみたいなパンツにテープがベタベタ。おまけにTシャツの文字は“DESTROY”ときた。いったい何を考えてるんだか…(苦笑)。上着を脱ぐと、右手にはアームカバー。これ、もしかしたらシド・ヴィシャスの包帯を真似てるのか?もう、あまりのキチガイぶりに笑うしかない(笑)。
キースはこの頃が一番カッコいいと思う。っていうか、ルックスとプレイぶりが一番釣り合ってるのがこの時期なんじゃないだろうか?そんでもって、やる気満々でばりばりギターを弾いてるから見てて嬉しくなってしまう。ドラッグ中毒の治療が終わり、ロン・ウッドという弟分を得て身も心もクリーンになってたんだろう。
ストーンズに加入したばかりのロニーは、まだ完全に子ども扱いだ(苦笑)。演奏中も再三ミックにいたぶられたりしてる(笑)。でも、プレイぶりはさすが。キースとの絡みは抜群で、出たり入ったりする2台のギターの音がが最高に気持ちイイ。キースとロニーは二人並んでステージに立ってるだけで見栄えがする。キース&テイラーだと、それぞれが自分のプレイに埋没しているから、こういう風にはならないもんなあ…。

ただ、これ、今まで正規リリースしなかった理由も何となくわかるのだ。だって、観ててかくっとくるところもけっこうあるもんね。たとえばLet it rock。セカンドバースの頭でミックの歌詞が飛ぶが、こういうのはあんまし作品として残したくないところだろう。Brown Sugerもけっこうヤバくて、イントロでキースが気の利いた(つもりの)フェイクを入れたら、チャーリーがびっくりしちゃってグダグダになりかけるのがモロわかっちゃいます。まあ、こういうのを見て喜んでるストーンズ・ファンも多いんだけど(笑)。Star Starで、本人が聞いたら怒っちゃいそうなジミー・ペイジへの当てこすりをミックが歌ってるのも、もともとこれが1回だけのOAで、作品として残すつもりがなかったからなんでしょう。

ただ、そういうことを差し引いても、やっぱり78年の演奏はスゴイ。
おまけで付いてるミックのインタビューによれば、このツアーは新曲が多かったんで、とにかくメンバー全員が間違えないように心掛けたって言ってるんだよね。まあ、おまえが言うか!ってとこもあるんだけど(笑)、確かに勢いだけじゃなくて、珍しく真剣に丁寧にやろうとしてるストーンズが感じられ、パワーと緻密さのバランスは全年代でも間違いなく最高峰だと思う。Shatterdの緻密さなんて、80年代以降では考えられないんじゃないかなあ。

しかし、こういう過去のアーカイヴ聞いてると時々ふと思うんだけど、当時実際に会場で聴いた感じはどうだったんだろう?当時のPAシステムでは、実際にはこういう音は会場で鳴ってなかったと思うのだ。
ミックス時に音の差し替えはやってないと思うんだけど、バランスや分離ぐあいなんかは当然いじってるはず。そういう意味では、これはボブ・クリアマウンテン・ミックスドの78年モノであって、当時そのままの音ではないと思っておいたほうがいいのかもしれない。ま、こんだけスゴイ映像見ちゃうと、そんなことは関係なくなっちゃうんだけどね…。

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2011年12月 4日 (日)

麗蘭2011 / 2011年12月4日(日)Billboard Live TOKYO 1stステージ

年末恒例の麗蘭ライブは、このところ京都磔磔の前に、Billboard Liveで東名阪ツアーを行うパターンが多くなってきた。
実は僕、Billboard Liveで麗蘭を観るのはこれが初めてだ。理由は単純、チケット代がバカ高いから(笑)。Billboard Liveはゴージャスな雰囲気で食事を楽しみながらゆったりとライブを観るのがコンセプトのようで、入場料金が高い割りには演奏時間が短い。入ったら入ったでメシやら酒やら湯水のように金を取られる(苦笑)。どうも純粋に音楽だけを目的にのこのこ出て行くような気になれないのだ。そもそそもこんなスノッブな所、オレのような人間が行ってもいいんだろうか…(苦笑)。
同じように、麗蘭に関しても、なんでわざわざこんなハイソな会場で演るのか理解に苦しむっていう思いがあった。麗蘭は酸欠になりそうなぐらいの狭いハコでくらくらしながら見るのがいいんじゃん。そんな先入観があったわけだ。

ところが、夏にここで3Gのライブを観て、Billboard Liveに対するイメージがコロッと変わっちゃったんだなあ(笑)。このハコの音響の良さには驚いた。鳴り過ぎず沈みすぎず、実に気持ちいいサウンドバランスで音楽が楽しめる。ステージも客席に近くて観やすいし、席もカジュアルシートなら、それほどバカ高いお金を支払うことにはならない。こりゃあイイやあ~と思ってしまったぜ。変わり身の早さは僕の身上(苦笑)。よし、こうなったら麗蘭も観に行っちゃおう!そう思って僕は今ここにいる(笑)。

1stステージは16:30というとんでもなく早い時間に開演。
オープニングは新曲だった。CHABOは年末のライブでは必ずと言っていいほど、その年に対する想いを織り込んだ新曲を演奏するが、今回は初っ端から新しいのをブチかましてきた。CHABOと蘭丸二人のギターリフを思い切り前面に出したストレートなロックナンバーだ。これが実にカッコ良かった!歌詞も“さよならだけが人生じゃないぜ というフレーズが何度も繰り返されるのがぐっとくる。個人的にも社会的にもいろいろなことがあったというCHABO自身の心境でもあるのだろうが、誰もがヘヴィだった2011年という年を振り返る歌になっていたのではないだろうか。年の瀬になって、こういうポジティブな曲が聴けたことは本当に良かった。

Billboardでのライブは、お尻の時間が決まってるから、ライブは正味1時間半ほどしかない。だからなのか、セットリストは最初からマスターピースのオンパレードだった。目新しい選曲はあまりなかったかもしれないが、これはこれでなかなか新鮮な体験で、僕は思いっきりのめりこんでしまった。
その理由として、麗蘭のライブをこれだけ音のいい会場で聴いたのは始めてかもしれないぐらい新鮮な体験だったことが挙げられる。とにかく音のバランスが良く、二人の弾くフレーズがはっきりと聴き分けられる。もちろん、磔磔だって磔磔でしか聴けない音があり、それはそれでとても好きなのだが、こと音の分離という点で言えば、間違いなくこれまで体験した麗蘭の中でもこの日がNo.1。いやあ~やっぱりCHABOと蘭丸の絡みはものすごいわ…。時にヘヴィに、時にグルーヴィーに、時にパーカッシブに、あうんの呼吸で音を紡いでゆく。その構造が手にとるようにわかるので、聴き慣れた曲でも僕はかなり興奮させられた。

1stからの「がらがらへび」が突然飛び出したのには驚いた。いやあ~Billboardでこんなヘヴィなブルースが聴けるなんて…。
ライブアルバム「宴」に収められたバージョンよりも、ややテンポが速くなっていた印象だが、これはリズム隊が若いJAH-RAHであることなども関係していたかもしれない。とにかく、バンドが一つの塊となって、ぐりぐりと音を捩じ込んでいくような感じ。こういうどす黒いヘヴィブルースがやれる日本のバンドは、なかなかいないと思う。

限られた演奏時間が凝縮された選曲に繋がったのか、この日麗蘭が演奏した曲は、ほとんどがロックっぽいナンバーかファンキーなナンバーだった。すごく濃い1時間半。うん、満足、満足。これだったら高いチケット代も気にならない。長けりゃイイってもんでもないんだなあ~ってつくづく思った。

麗蘭は今年で結成20年になったそうだ。なんか、10年目を迎えた時、磔磔で蘭丸が「10歳~!」って言ってたのがつい昨日のことのよう。2ndアルバムが出てからだって、もう7年も経ってるんだもんなあ…。そろそろ今の二人が作ったアルバムが聴きたい。来年あたりどうだろう?

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恋する原発 / 高橋源一郎(著)

2173372「不謹慎」であるがゆえに「正当性」が可視できる―。高橋源一郎の書いた「恋する原発」を一言でいうならそんな小説だと思う。
義援金を寄付するために震災支援チャリティーAV(アダルトビデオ)の制作を命じられたAV監督の「おれ」と、その周辺に生息する人々を描写したこの話は、文字通りシモネタ満載、猥褻描写てんこ盛り。話は震災や原発事故だけに止まらず、太平洋戦争、靖国問題、天皇制にまで飛び火しながらどこまでも下世話に突き進んでゆく。文字通り「不謹慎」極まりない作品であり、その「不謹慎」さ故に、氏が某大学で行うはずだった出版記念講演会は、何処からか圧力がかかって中止になった。

まず、僕は氏が震災・原発をテーマにした表現を、すぐに作品化したその態度に深く共感する。これは斉藤和義が例の歌を歌ったのと同様の爽快感だ。ポップカルチャーを生きる表現者らしい行動だと理解するし、こういう氏のブレない態度に、僕はいつも励まされてきた。
ただ、個人的には小説として“それだけでしかない”ようなところもあり、読後やや要求不満が残ってしまった。中盤に突如挿入されている「震災文学論」が、非常に重く現実を直視し、3.11以降の表現者のあり方を鋭く見渡しているだけに、肝心の氏の小説世界がそこに追いついていないのはもどかしい。ただ、この破天荒な設定とシリアスな文学論を強引にパッケージして、ぎりぎり破綻せずにいるのは、やはり氏が時代を斬る優れた表現者である証だとも思う。

あるインタビューで、高橋は「この小説は、あえて『不謹慎』にしたのでは?」という記者の問いかけを肯定し、「今、閉塞感があって重苦しい。自由にしゃべれない感じがする」と答えていた。確かにそうだ。そもそも“恋する原発”なんていうタイトルだって、今のご時勢、聞いただけで目くじらを立てるような人が大勢いるだろう。そういう意味では、震災支援チャリティーAVの制作にかかわる物語なんて、単なる「おふざけ」としてしか読めないかもしれない。対して「震災文学論」のパートは何処に出しても「不謹慎」ではない優れた文学論だ。
では、この「不謹慎」な「おふざけ」小説が、「震災文学論」の文脈に基づいて書かれたものであるならば、その意味合いはどういうものになってくるのだろう?

高橋源一郎はこんなことも言っている。

 「いま「正しさ」への同調性が、かつてないほど大きくなっています」
 「「正しい」という理由で、なにかをするべきではありません」

今、巷にはタブー視される言葉がある。たとえば、今「震災も原発も私には関係ない」とはとても言えないだろう。なんでもかんでもチャリティーだの、一部を義捐金にだのと言ってしまうのは、そんな後ろめたさの表れなのではないか。僕なんかだってそう感じるんだから、表現者はなおさらだろう。

だが、氏は敢然とこう語るのだ。

「身を守るためには黙るしかない。でも、作家はそれをやっちゃお終いなんだ」

「頑張ろう日本」というスローガンにすべてが飲み込まれ、ある種の言葉が使い難くなっている今のような雰囲気は、正直言ってものすごく気持ちが悪い。翻って、80年代のあの平和な時代に、あれほど反原発だのなんだのと歌ったりしていた人が、事が起こった今になって黙っているってのは、何なんだろうとも思ってしまう。ヒョウゲンシャとして末永く飯を食っていくためには、震災にも原発にもかかわらないでいるほうが好ましいってことなんだろう。わかりますよ。あなた方だって家族がいるんでしょうから…。
そんな中、あえてこんな「不謹慎」な内容で読者を引きつり笑いさせる高橋源一郎の態度は、まるで戦争時のようなこの国の空気に対して、「本当に正しいこととは何か?」を突きつけているのではないだろうか、と僕は思った。

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2011年12月 3日 (土)

【映画】忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー 感度サイコー!!!

Photoオレ、実を言うと、ナニワ・サリバン・ショーが実際に行われた当時は、これがそれほどのもんだとは思ってなかったのだ。
もともと僕は、おふざけモードの清志郎にはそんなに入れ込んでなかったし、そもそもこの頃は、清志郎の活動そのものにクエスチョンマークを抱いていた時期だった。ナニワ・サリバン・ショーに関しても、後にCSで放送されたやつを見はしたけれど、まーた清志郎が変なこと始めてるなあ、ぐらいにしか感じず、実際に大阪まで足を運ぼうとは思わなかったのである。
しかし、こうして改めて映画を見てみると、このイベントの素晴らしさ、こういうことをやろうとした清志郎の気持ちが強く伝わってきて、今更ながらに行かなかった事を大きく後悔してしまう。

ライブの映像を見ていて一番印象的だったのは、清志郎の素晴らしさは言わずもがなだが、出演したミュージシャンたちも、みな本当に嬉しそうな表情を浮かべていたことだ。布袋寅泰とか浅井健一とか、普段の自分のライブだったら絶対にこういうモードにはならないような人たちまで、まるで子供のように楽しそうな笑顔を浮かべてステージに立っている。ジャンルや年代にかかわらず、すべてのミュージシャンをこんな風にしてしまう清志郎の器の大きさを改めて感じた。

それから、こういう企画をクリエイターに想起させてしまう忌野清志郎という男の存在感にも改めて感服。アルバム「KING」に「玩具」って曲が入ってたけど、忌野清志郎というネームを触媒にしていろんな企画が持ちかけられ、それを当の本人が一番面白がってやってしまうという清志郎の真骨頂を垣間見たような気がする。
そう、ナニワ・サリバン・ショーは大阪のイベンターやFM802のプロデューサーが発案したイベントなんだけど、はじめに清志郎ありきだからこそ出てきた企画だと思うのだ。こういうイベントのコンダクターとして、清志郎以上にハマる人は他に考えられない。今、こんな企画を担えるようなミュージシャンがいるだろうか?CHABO?浪花モードはCHABOにはちょっとキツイでしょう。ヤザワ?えー!全然タイプじゃないでしょう!ヒロト?うーん、R&R村ならともかく、これだけジャンルの広いミュージシャンとの共演はちょっと…。トータス松本?うーん、彼があと20年キャリアを積んだら、もしかしたら…。
こういう映像を見てしまうと、改めて忌野清志郎という旗頭を失った日本の音楽界の喪失感を感じてしまう。

最初、僕はこの映画の話しを聞いたとき、何でいまさら映画なんだよ?って思った。正直言うと、商業的な匂いを感じてちょっと嫌な気持ちになった。映画なんか作るなら、ナニワ・サリバン・ショーそのものをそっくり映像作品にしちゃえば良いじゃん。主役がいないのに勝手にいじくってんじゃねえよ!って思ってた。
でも、映画を見てこれはこれで大いにアリだと思ったな。むしろ、こういうコテコテな映像を付けた事により、ナニワ・サリバン・ショーの狙ってたノリが、ますます引き出されることになったんじゃないかなあ…。挿入されたミュージシャン達の演技も最高に楽しいものばかり。石やんとせっちゃんの蕎麦屋とか、似合い過ぎてるLeyonaのホステスぶり(笑)とか、もう最高!
いやあ~やられた!映画のスタッフ陣、よくわかってるなあ…。なんだかアメリカで作られた音楽レビュー作品を見ているような楽しさがあった。こういう愛のある企画はイイ。すごくイイと思う。

胸に迫ったのは、やっぱり清志郎と矢野顕子との絡み。僕はこの2人は精神的な恋人同士だと勝手に思っている。
ものすごく勝手な妄想をしちゃうと、矢野顕子は坂本龍一と出会う前に清志郎と出会っているべきだったのだ。もしそういうことになっていたら、2人のその後は大きく違っていたはず。でも、そういうことにはならないのもまた人生。どんなに金や名声を掴んでも手に入れられないものがあり、本当に大切な人に出会った時には何かが遅い。そういうことってあるでしょう、誰もが?(ちょっと問題発言かな…(苦笑))
だから、2人のステージは、時を経て初恋の相手だった同級生と再会した時のように初々しく、少し切ない。矢野顕子は、ライブ映像だけでなく、挿入された映画での演技も多かったんだけど、そこからは彼女が胸の奥に抱えている喪失感が滲み出ているような気がしたのは僕だけだろうか?

さて、CHABOはこの映画にどう関わっていたか。これはあえて書かないでおく。これから見る人に、先入観を持たずに見て欲しいから…。
でも、これだけは書かせて欲しい。CHABOのパートには製作側の愛をひしひしと感じた。これは演技ではなく、ほとんどCHABOの素だ。そして、CHABOの独白から繋がる「Oh! RADIO」には、この曲がやっと落ち着くところに落ち着いたような気持ちになった。

楽しい映画だった。うん、楽しい映画だったとあえて言いたい。
この映画の主役がもうここにはいないという現実は辛いし、そういうことをひしひしと感じてしまう瞬間もあるにはあるんだけれど、矢野顕子もCHABOも、そういうことは胸の奥にしまいみ、あえて楽しいナニワ・サリバン的な世界を表現したんだと思う。
ならば、僕らもそうやって生きていこうではないか。清志郎がいない喪失感は消えることはないが、それでも僕らの人生は続いていくのだ。だったら、上を向いて歩いていくだけ。涙がこぼれないように…。

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2011年11月29日 (火)

東京を走るぜ!

つくばマラソンを完走した興奮冷めやらぬ中、またも嬉しい報せがあった!
なんと、来年の東京マラソンに追加当選してしまったのだ!






うぉ~!嬉しいぞぉ~!





東京マラソンは倍率が何十倍とも言われる長難関。今のランニングブームの先鞭を切ったイベントと言われていて、絶対に走りたいと思っていたレースなのだ。

ただ、心配なことが一つ。実は、どうせダメだと思っていたので1月に別のマラソンに既にエントリーしてしまっているのだ。この大会が1月29日。東京マラソンが2月26日。間は1ヶ月しかない。よくよく考えたら、この前走ったつくばを含めて、11月から2月までの4ヶ月で3本もフルマラソンを走る計算になるじゃないか
















だ、大丈夫なのか,

俺…。






でも、既に職場の連中には“出る!”って言い回っちゃったからなあ。
ええい、なるようになれ!年明けは怒涛のマラソン漬けになりそうだ(苦笑)。

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2011年11月28日 (月)

エアロスミス・ジャパンツアー / 2011年11月28日(月)東京ドーム

前日に人生初のフルマラソンを完走した興奮も冷めないまま、筋肉痛に悲鳴を上がる身体を引きずって東京ドームへ。今日は7年ぶりに来日したエアロスミスのライブを観に行くのだ。
今年の春、まだ3.11東北大震災の余韻も生々しい中、彼らがいち早く来日公演を行うことを発表してくれた時は、驚いたと同時に本当に嬉しく思ったものだ。あの頃は、先の見えない原子力事故の影響もあり、外タレが軒並み来日を避けていた時期。僕は、もう日本は大物俳優が映画のキャンペーンに来たり、ミュージシャンがワールドツアーの一つとして来てくれる国ではなくなってしまったんだなあ…、なんて思ってしまい、とても哀しい気持ちなっていたところだったのだ。その後、レディ・ガガとかシルヴィ・ギエムが敢然と日本に来てくれたけど、ロック界の大物ミュージシャンでいち早く来日の意思を示してくれたのは、エアロスミスが一番早かった。

考えてみると、今回に限らず、僕は人生の節々でずいぶんと彼らのロックに力をもらっている。ストイックなロックファンの間では、80年代以降復活してからのエアロは商業的になってあんまり好きじゃないなんていう人もいるようだけど、僕は昔のエアロも今のエアロもどっちも大好き。なにしろ、あの70年代の落ちぶれぶりから考えたら、パーマネント・バケーションの完成度は奇跡みたいなもんだ。人生、どん底まで落ちたってなんとかなるもんだ。エアロを見てるとそう思えた。
音楽に関していうと、エアロスミスのロックってのは、僕にとってはローリング・ストーンズとレッド・ツェッペリンを足して二で割り、もう少し食べ易いように全体に砂糖をまぶしたようなもの。理屈抜きにハードでロックしてて、下品で猥褻で、大衆的で下世話。もう60過ぎてるっていうのに、外見も含めて全くシブい方向に向かわないのが堪らなくカッコいい。
そういえば、走り始めたばかりの頃も、トレーニングしながら一番多く聴いていたのはエアロスミスだった。僕は特に彼らのライブ盤が大好きで、ブートも含めて何枚もライブを持っている。それを爆音で耳に流し込みながらアドレナリンを沸騰させた夜がいったい何度あったことか。彼らのロックは、僕にとってはエナジー・サプリメントみたいなものなのだ。

久しぶりに見たスティーブン・タイラーとジョー・ペリー。アリーナ席最前列でありながら最右端というとんでもない席だった僕からは、二人は遥か彼方にしか見えなかったんだけど、それでも本当に本当にカッコよかった。さすがに顔の皺からは年輪も感じるけど、ステージアクションにしても、パワフルなシャウトにしても、プレイぶりからはまったく衰えを感じない。
日本のファンを勇気付けるように、何度も何度も花道まで走ってきてシャウトするスティーブンと、相変わらずクールな表情で低く下げたギターをかき鳴らすジョーの姿は、神々しくさえあった。本当にこんな時によく来てくれた!と胸がいっぱいになってしまった。

セットリストはハードロッキンな曲を中心にしたもので、僕的には大満足だ。まさかのオープニングDRAW THE LINEから、バンドはアクセル全開。エアロのライブに来たのは9年ぶりなんだけど、あの時より今回の方がずっと良かった。アルバムでいうとパーマネント・ヴァケイションやパンプからの曲が多かったのも、個人的には嬉しい。
マラソンを走った翌日だから、さすがに身体中の筋肉が悲鳴を上げていたんだけど、こんな極上のロックンロールを前にしたら、そんなの屁でもない。最初から最後まで立ちっ放しでガンガンに盛り上がってしまった(苦笑)。普段はどうしても小さな小屋でのライブが多くなってしまうから、こういう大会場でのスペクタクルなロックショーを見ると、やっぱり燃えるなあ~!ロックってイイ。やっぱしロックしかねえや!しみじみ思ってしまった。

印象に残った曲をいくつか書いておきたい。まずはLIVIN' ON THE EDGE。これまではあんまり好きというわけではなかった曲なのだが、まるで今の僕らのことを歌ってるみたいではないか、これ。この曲がこんなに胸に迫ってくる日がくるなんて夢にも思わなかった。
BABY PLEASE DON'T GOをはじめとする中盤のブルースも強い印象があった。最近は映画の挿入曲になるようなバラードに人気があるけど、オレたちはずっとブルースを忘れてないぜ!と言わんばかりのプレイぶり。これがあるからエアロは信用できる。
それからI DON'T WANT TO MISS A THINGに続けて演奏されたCRYIN'には、なんだかものすごく心を揺さぶられた。もともと大好きなバラードなんだけど、この日この曲をシャウトするスティーブンを見てたら、なんだか泣けて泣けて仕方なかった。

最後の最後、WALK THIS WAYの演奏時には、日の丸がスクリーンに大写しになる。そして、日本を励ますメッセージをスティーブンが叫んで2時間30分のショーは終わった。
もう一度言うが、本当に素晴らしいライブだった。ものすごく元気をもらった。なにより、来日を敬遠する外タレが多い中、こんなにも気合の入ったストロングなロックンロール・ショーを演ってくれたその心意気が嬉しいじゃないか!エアロスミスのライブでうるっとくるっていうのも我ながら変な話だと思うんだけれど、何度も何度も花道に降りてきてシャウトするスティーブン・タイラーの姿を見ていたら、胸が熱くなって感謝の気持ちでいっぱいになってしまった。
ロックってやっぱしスゲエよ…。言葉も文化も違う60過ぎのおっさんのやってることなのに、こんなにも力をくれるんだからさ…。なんだか、忘れかけていたロックのエネルギーをまた信じたい気持ちになった夜だった。

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2011年11月27日 (日)

初フルマラソン、4時間6分46秒で完走

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去年の春から走り始めて1年半。ついにこの日がやってきた。
42.195キロ。正真正銘のフルマラソンを走るのだ。市民ランナー向けの大会では、5キロや10キロのレースでも“マラソン”と言ったりするけれど、本当の意味でのマラソンとは42.195キロの距離を走ること。もしかしたら、過去3回走ったことのあるハーフマラソンだって“マラソン”と言ってはおこがましいのかもしれない。やっぱり、フルマラソンを走り切ってこそ、人は自他共にランナーと呼ばれるようになるのだと思う。

しかし、ひと言で42.195キロと言っても、それはとてつもない長さだ。高尾山の頂上に登って、はるか彼方の新宿の高層ビル群を眺めたことがあるだろうか?42.195キロとはだいたいそのぐらいの距離。そんなとんでもなく長い道のりを、マラソンランナーは自分の身体一つで駆け抜けなければならないのだ。
はっきり言って、1年前まではそんなことは想像もできなかった。だが、去年ハーフマラソンを完走したあたりから、“なんとしても42.195キロを走り切りたい”という欲望が、むくむくと頭をもたげてきたのである。本当は今年の春にあるレースにエントリーしていたのだが、3.11東北大震災の影響で大会自体が中止になってしまい、予定がこの秋までずれこんでしまった。

僕が記念すべき初フルのレースとして選んだのは、茨城県で行なわれる「つくばマラソン」。今年で31回目を迎える伝統ある大会で、首都圏から近いこともあり、とても参加者が多い大きな大会だ。何よりも、コースが平坦で走り易いと聞いていたので、初めてのフルマラソンには最適だと考えた。

ちょっと大袈裟かもしれないが、僕はこの日を自分の人生の中でもとても重要なイベントだと考え、万全を尽くすために前日から現地に宿泊することにした(これは後から考えると必要なかったような気もするけど…(苦笑))。
前日は脚を温存するために、極力動かず、部屋でぼけっとテレビを見たり、音楽を聴いたりしてひたすらだらだらと過ごした。夜は緊張して眠れなくなるかと思いきや、ベッドに入ったら5分で爆睡。当日は5時半に目覚ましをかけておいたのに、30分寝過ごすという僕にしては珍しいくらいにリラックスした朝を迎えた。
おこがましいことを言うようだけど、これは自分に自信があったからだと思う。去年から僕なりに淡々とロードを走り続けてきた。平日に走る時は、朝4時半に起きて5時にはシューズに足を通した。月刊走行距離は平均200キロ。うだるような暑い夏も、底冷えのする寒い冬も、ただ黙々と走った。週末のポイント練習では3時間LSDや20キロ走もやった。レースペースでの30キロ走だって何度かやってきた。
自分は46歳の凡庸な男だ。だけど、今の自分にできることをでき得る限りやったではないか。もしマラソンの神様がいるとしたら、流した汗はきっと報われる…。そんな確信があった。

スタート地点はつくば大学構内。遠くに見える筑波の山並みは実に美しく、空は“さあ走ってください”といわんばかりに青く澄み切っていた。

9:30の時点で1万3000人を超えるランナーが一斉にスタートした。僕は、この日のレースを1キロあたり5分50秒で走るペースをひたすら最後までキープしようと考えていた。これだったら、後半の落ち込みを考えても4時間30分以内には余裕でゴールできる。2ヶ月前に皇居で1キロあたり5分40秒キープで30キロ走を行なった経験があったから、これは決して不可能なことではないと思っていた。
ところが、スタート直後はランナーが多過ぎて大混雑。僕はバカ正直に4時間30分以内でゴールを目指すエリアに並んでいたので、周りのペースが想定より明らかに遅い。最初の1キロに6分以上かかってしまった。だが、僕は焦らなかった。ここでジグザグに追い抜きをかけたりしたら疲れるだけだ。

案の定、5キロ過ぎくらいからランナーがバラけはじめ、無理なく自分のペースで足が運べるようになってきた。
つくばマラソンはでかい大会だけあって、一般の車道をランナーのために道路規制している。これは初めての体験だったが、実に気持ち良い!なにしろ、普段は車がばんばん通る道路を、僕らのためだけにわざわざ止めてくれ、その中を颯爽と駆け抜けていくんだから…。

周りの景色も目新しく、まったく疲れを感じない。あっという間に15キロ地点まで来てしまう。ここで走りながらジェル状のBCAAサプリメントを摂取。僕はこの日、サプリメントをいくつも持参していて、15キロ以降はこれを5キロごとに摂取しようと思っていたのである。
20キロを越えたあたりから、さすがにハムストリングの疲労を感じてきたけど、まだまだ全然いける。今から思えば、ハーフポイント超えの20キロから25キロあたりが少し苦しかったような気もするが、肩周りの筋肉を緩めたりしながらリラックスすることを意識していくと、また元気が戻ってきた。

30キロ手前では、4時間30分のペースランナーを抜き去った。ペースランナーってのは、この人たちに着いていけば必ず4時間30分が切れるっていう目安なんだけど、その周辺にはランナーが密集しているので、近くにいると走り難いことこの上ない。思い切ってペーサーを抜いちゃったら一気に視界が開け、気分的にずいぶん楽になった。

さあ、ここからは自分との闘いだ。なにしろ、僕にとって30キロ以上の距離は未体験ゾーン。しかも、経験者の話では30キロ過ぎから、がくっとペースが落ちるというではないか。案の定、立ち止まってストレッチを始めたりするランナーがあちこちで見受けられるようになってきた。
だが、意外にも僕自身は疲れはほとんど感じなかった。それどころか、なんだかすごく楽しいのだ。一刻も早くゴールしたいんだけど、このまま永遠にこの楽しい時間が終わって欲しくないような不思議な気持ちになった。沿道の見知らぬ人からの声援に笑顔で応える余裕まであった。特に、子どもたちの声援には力が湧いた。地元のやんちゃそうな男の子とハイタッチすると、自然と“ありがとう!”という言葉が口から出てくる。うーん、こういう温かい素朴な感動が味わえるのも、マラソン大会の魅力だなあ…。

40キロ以降は、もう楽しくて楽しくてしょうがなかった。つくば大学構内に帰ってくると、周りから大歓声を受ける。感激屋の僕はこれだけでもぐっときてしまった。
最後はグラウンドを一周してゴールに。手元の時計は走り始めて4時間ちょっと。これだったら、この後の残りを歩いたって目標を楽々クリアできるタイムだ。なんだか笑顔が止まらない。僕は興奮していた。両手を空に掲げて、何度も“やった!やった!”と叫びながらゴールに飛び込む。ネットタイムで4時間6分46秒。初めてのフルマラソンにしては出来過ぎなぐらいだ。

今回の勝因は、トレーニングやピーキングが上手くいったのもあると思うけど、レース直前とレース中に栄養補助食を摂取し続けたことが大きいような気がする。僕は15キロ以降、エネルギーチャージ系のジェルを5本ぐらい摂った。加えて、ある本で読んだ方法なんだけど、市販のパックされた切り餅を宿で温めてもらい、朝飯後からスタートの30分前まで食べ続けた。結局5つ食べたんだけど、これが効いたんじゃないかなあ…。
マラソンはものすごく大量のエネルギーを消費するスポーツなのだ。一説によると、4時間でフルマラソンを走った時の消費カロリーは約2400Kcalといい、これは40歳代男子の一日あたりのエネルギー所要量に匹敵するそうだ。なので、4時間以上かかるランナーは、レース中でも食料を摂るのが不可欠なのだ。
実を言うと、レース後にも思ったほどには疲れを感じなかったので、ちょっと栄養を摂りすぎたぐらいかなあと思ったりもしていた。だが、帰宅してから、マラソンの体力消費量に驚かされることになる。この日の夜、風呂に入った後でも全然身体が温まらない。背筋がぞくぞくして寒くて寒くて仕方がなかった。たぶん、マラソンで身体中の糖を使い果たしてしまい、燃やすものが何も残っていなかったんだろう。

これで目下最大の目標だったフルマラソン完走は果たした。だが、燃え尽きたような気持ちは全然ない。走る前までは、フルマラソンを走り切ったら、その反動でもう当分は走りたくなくなるのではないかと思っていたのだが、むしろ今は全然逆の気持ちだ。
46歳にして初フルを完走し、4時間ちょっとっていう記録は、自分でもなかなかだと思うのだが、もうちょっと頑張ればサブ4(4時間を切ってゴールすること)だって達成可能だったのではないかと思うと、ちょっと残念な気持ちさえ生まれてきている。
さすがに今は身体中あちこち痛いし、しばらくはリカバリーに務めたいと思うけど、これからはサブ4を目標に走り続けようと思う。
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2011年11月18日 (金)

「日比谷ライブ&マルシェ 2011」に関して、今思うこと

「日比谷ライブ&マルシェ 2011」は、僕にとって音楽と現実社会との関わりを考え直さずにはいられないような大きな出来事だった。
いったいあのライブは何だったのか。多くの人は、あれを数あるライブの一つ、終わってしまった出来事として過去の記憶に置き換えているのかもしれないが、僕は未だにあの不思議な一日のことを考え続けている。
あの日は、日本のロックがその歴史の中で現実社会の問題に最も深くコミットした瞬間だったと僕は思うのだ。ここで噴出した様々な問題は、もしかしたら日本のロックが、今後本当に大人の音楽と呼ぶに値するものになっていけるのかどうか、その真価を問うものですらあったと思う。

断っておくが、僕はチャリティーという行為自体を否定しているわけではない。困った人がいたら助けたいと思うのは人として当然だ。その時、ミュージシャンなら知名度を生かしてイベントを起ち上げ、集まったお金を被災者に送るという手もアリだろう。そこに何%かの売名行為が介在していたって、バックに体制側の御用資本があったとしたって、結果としてそれで多くの人を笑顔にできるなら、やらないよりもやったほうがいい。絶対いい。シンプルにそう思う。

僕が疑問を持ったのは、そういうことではない。このチャリティーイベントには“東日本の野菜を買って食べることで復興を応援しよう”という明確なメッセージがあったのだが、僕はそれに大いなる異議がある。僕が東日本の野菜を食べることの危険性をどう考えているかは、前のエントリーにも書いたのでそちらをご覧いただきたい。

11月3日、宮沢和志との恩返しライブがあった時、CHABOはMCでこのイベントに触れ、良かったら見に来て欲しいと観客に呼びかけた。軽いタッチでいつものライブ告知と同じように…。
これは僕にとってかなりショックだった。このイベントはこんなに軽々しく参加を呼びかけられる性質のものなんだろうか?CHABOはどこまで放射能の危険性を認識しているんだろう…。明らかに内部被曝の危険性なんかには気が付いてないんだろうな、と感じざるを得なかった。そもそも、CHABOはこれまでこういった社会性の高いメッセージを含むイベントに出ることはあまりなかったのだ。今回は旧友の泉谷に頼まれたことで参加する気持ちになったのだろう。そう思って自分を納得させたのだが、心の奥に芽生えたある種の違和感、怒りとも悲しみともつかない複雑な気持ちは、ライブが終わっても僕の中から出て行かなかった。
このイベントに関しては、これからいろんなことを言う人が出てくるだろう…。そんな予感がしたのはこの時からだ。

案の定、ネット上ではイベントを巡って喧々諤々の論争が飛び交った。反対派の中には開催のボイコットを呼びかけるものまであった。僕は自分自身の意志として早々と行かないことを決めはしたが、ボイコットを叫んで他人の行動・考え方に踏み込むようなことはフェアじゃないと思った。だが、とにかく自分の意思だけは表明しておかないと落ち着かない。“自分の積極的な意思として、このライブには参加しない”とブログに書き込むと、なんだかほっとした気持ちになった。

結局ライブは開催され、参加したミュージシャン各々は素晴らしいパフォーマンスを見せたと聞く。東京の片隅で東北の未来を憂いている僕の気持ちなんかには関係なく、多くの人々が日曜日の日比谷で秋の一日を楽しんだのだ。
ライブの責任者だった泉谷しげるは、開催直前までブログやツイッターで揺れ動く心境を綴っていた。そこには、様々な問題提起に接し、放射能に関する認識を新たにしたことが見て取れ、当日販売する農作物の放射線量をもう一度測り直すなど、ギリギリまで誠実に行動したことが記してあった。僕は彼の直前の葛藤ぶりには真摯さを感じている。結果として、泉谷はこのイベントから多くのことを学んだのではないか。ならば、僕は彼の次の一手を期待するし、そのためのきっかけとなるのなら、このイベントも無駄ではなかったと思いたい。

ただ、このライブに参加した人たちの感想が、事後にネット上にあまりあがってこないのは、僕にとってはとても意外だ。レポがなくはないのだが、そのほとんどは普段のライブ同様、ミュージシャンのパフォーマンスに関する感想ばかり。僕が本当に知りたいのはそんなことではない。書き手がイベントの趣旨をどう捉え、どういう思いで参加し、ライブを通じて何を感じたかということなのだが…。
そもそも、このイベントに参加した人たちは、何のためにわざわざ日比谷まで行ったんだろう?もしかしたら、ただ豪華なメンツのロックオーケストラが見たかっただけで、東北を助けたいだの、野菜を食べなきゃだのはどうでもいいことだったのかもしれない。そう思うと、なんだかとても白けた気持ちになってしまったことを白状しなければならない。

ファンは盲目というが、自分の好きなミュージシャンがこう言ってるからって、みんなが一斉にそっちに向かうというのは非常に危険な流れだと思う。聴き手は聴き手の人生を生きているのであって、ミュージシャンの人生をなぞっているわけではないのだ。ミュージシャンとリスナーがそれぞれ自立し合う関係を築けなければ、今回のように社会的なメッセージを伴う表現活動は成り立たないと僕は思う。さもないと、ライブがミュージシャンのプロパガンダに摩り替わってしまうことになりかねない。
日々の暮らしの中でも、たとえば愛する人と一緒にいる時でも、僕は相手が間違っていると思う時には、はっきりとそう言える関係を保ちたいと思う。ロックを聴きながら歳を重ね、僕はずっとそういう生き方をしようとしてきた。これからもそういった姿勢を守り続けたいし、ロックとはそういう関係でいたいと強く思っている。

もしかしたら、僕はチャリティーライブというものに幻想を抱いていたのかもしれないとも思う。80年代にスプリングスティーンやジャクソン・ブラウンが参加したNO NUKSコンサートのようなものは、そもそも市民活動が浸透していない日本ではあり得ない話なのかもしれない。
音楽と社会的な事象はあえて切り離すというスタンスのミュージシャンがいる。今回の件を通して、僕はそれもアリだと思うようになった。圧倒的な災いを前にした時、ミュージシャンはそれに対して直接メッセージするのではなく、メロディーであったり“歌のことば”であったり、いわば音楽そのもので人々に癒しを与えることしかできないものなのかもしれない。
思い返せば、僕自身、3.11以降打ちのめされた心を温かくしてくれたのは、反原発を高らかに謳ったメッセージソングではなく、それまでに何度も聞いていて手垢のついたようなありふれたラブソングだった。今はそこからさらに遠くまで来てしまい、歌詞がダイレクトに頭に入ってこない洋楽が心地良い。これまで全然聴いてかなったレッド・ホット・チリ・ペッパーズやU2なんかが一番ぐっと来るという有様(苦笑)。なんなんだろう、このシラケきった気分は…。

はっきり言って、今の自分は全然ロックじゃねーなあ~と思う。むしろ、音楽を聴いてるときより、何も考えずに汗を吹き出しながらロードを走っている時のほうがよっぽどロックを感じる。同じように、あのイベントとそれに付随した諸々の出来事にも、僕は全くロックを感じることができなかった。
唯一、僕がガツン!ときたのは、Leyonaのとった行動だ。敬愛するCHABOや泉谷との共演を蹴ってまで出演を取り止めたLeyona。それは苦渋の選択だったに違いない。ギリギリまで悩んだ末、自分の信念を貫き通した彼女の行動に僕は感動を覚えたし、それはあの日出演した他の誰よりも、男前でロックなアクションだったと僕は思う。

こういう時、故人を勝手に味方に付け、清志郎が泣いているだのなんだの言うのは反則だそうだ。でも、このぐらいは書くのを許して欲しい。
僕が日比谷に行かないことを決めた晩、夢の中に清志郎が出てきた。久しぶりに会った清志郎は、ただ僕を見てニコニコと笑っていた。あ!と思って手を伸ばした瞬間、目が覚めた。しんとした部屋の中で、ただ枕がびしょびしょになっていた。清志郎の夢を見ながら、僕はびっくりするぐらい多くの涙を流していたのである。
Leyonaが重い決断をした時にも、きっと彼女は清志郎のことを思ったに違いない。そういうことを言うのは反則なのかもしれないが、僕は固くそう信じている。

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2011年11月10日 (木)

オレは日比谷に行かない

今週末に行われる「日比谷ライブ&マルシェ 2011」に、各方面から疑問が噴出している。
これは“東日本の野菜を買おう。ライブで復興を応援しよう。”という趣旨のもとに行われるイベントで、13日(日)に行われるライブには、泉谷しげるが主体となり、CHABOやLeyona、エレファントカシマシなど、僕も大好きな多くのミュージシャンが参加することになった。

だが、この東日本の野菜を買おう・食おうという呼びかけを、僕はどうしても素直に受け取ることができないのだ。泉谷は、このイベントで販売される野菜は、厳密に検査を行って0ベクレルのものにすると言っている。そんなの当然の話じゃないか。今の科学ではここまでだったら安全という放射線の明確な基準を出せない以上、人に食べることを奨励するのなら、0のものを出すのは当たり前の話。わざわざ言うまでもない最低条件じゃないか。

問題なのは、このイベントで食べることを奨励している東北の農産物、今、町のスーパーに流通しているこれらの野菜は、必ずしも0ベクレルではないことなのだ。これは国が暫定基準値として500ベクレル未満までの農作物の流通を許してしまっているからである。言っておくが、500という値は国が原発事故後に大きく引き上げた暫定基準値。あくまでも“暫定”であり、子どもや若者が長期間食べることには相当のリスクがあると言われている。今、巷には子ども達を内部被曝から守ろうと必死で毎日を生きている人たちが大勢いるのに、能天気に“東日本の野菜を買おう”と呼びかけられる神経をまず僕は疑う。

斉藤和義のエントリーにも書いたとおり、人には人の考え方があるから、こんなことがあったって別にミュージシャンとしての彼らを嫌いになったりはしない。だけど、みんなあまりにも問題意識が低すぎないか?もうちょっと考えて行動して欲しいと思うよ、オレは。
CHABOなんか、この前のライブで能天気に“ぜひみんな来てよ!”なんて客に呼びかけてんだもん(苦笑)。そんな軽々しく言えることかよ!はっきり言ってものすごくがっかりした。オレ、ライブ途中に席を立って帰ろうかと思ったぐらいだ。なんだかライブレポを書く気まで失せてしまっている。
CHABOさん、ほんとに今の東北の現状、わかってますか?自分の発した言葉の意味、わかってますか?オレ、はっきり言って呆れてますよ、ほんと。

前にも書いたとおり、僕は夏に地元福島に帰った時、両親が原発事故後に作った野菜を食べてしまった。だが、それは年老いた両親と傷ついた故郷を前に、確信犯的に行なわざるを得なかった行為だ。わかるか?あの時のオレの気持ちが。思い出すと今でも胸が苦しくなる。そんなリスクを多くの人が背負う必要はない。それは“復興”の捉え方が間違ってると僕は思う。

今本当に訴えるべきことは、安全性が保障できない野菜を食べることではない。そんなことより、勝手に引き上げられた放射線基準値を一刻も早く原発事故以前に戻し、不幸にもそれを上回る汚染された作物しか作れなくなった農家には責任をもって保障金を出すよう、徹底的に東電と国を突き上げるべきではないのか。泉谷にはそういうイベントをやって欲しかった。そういう趣旨なら諸手を挙げて賛成したんだけど…。
ただ“東日本の野菜を食おう”では、国が勝手に引き上げた胡散臭い“暫定”基準値を容認してしまうことになってしまう。それは僕個人は絶対に納得することができない。たとえ泉谷やCHABOやLeyonaが賛同していてもだ。

泉谷とCHABOの共演はとても見たい。だけど、こんな気持ちではとてもライブを楽しむことはできない。
オレは積極的な自分の意思として日比谷には行かない。

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2011年10月31日 (月)

斉藤和義 / 『45STONES』

51abnd6yevl_sl500_aa300_1 実を言うと、せっちゃんが“あの歌”を歌ったとき、僕はあまり驚かなかった。それは、彼がああいうことを歌にしたのは、これが初めてではないことを知っていたからである。
2000年に出たアルバム「COLD TUBE」の1曲目で、せっちゃんは東海原子力発電所の臨界事故に言及した「青い光」という曲を歌っていた。あれ以上のことが起きてしまった今、せっちゃんはきっと何か言うだろう。僕はそう思っていたのだ。
ただし、そういうのは斉藤和義というミュージシャンのほんの一部分でしかない。ここは大事なところ。彼は原発事故と、恋人との間で揺れ動く男心とを同列で歌っている。斉藤和義という人の真骨頂は、その時その時に歌いたいことを、周りの目など気にせずに自然体でさらりと歌ってしまうところにあると思うのだ。それは政治的とか社会派とかいうスタンスとはちょっと違うと僕は思う。

ところが、メディアはそうは見なかった。あれ以来、世間はこぞってせっちゃんを“怒りの”とか“反骨の”とかの形容詞付きで持ち上げている。まあ、あの歌で初めてせっちゃんを知った人ならそう思っても無理はないかもしれないが、音楽評論家までそういうことを言うのはどうなのよ?オレはげんなりしたぜ。今までのせっちゃんのアルバム、ちゃんと聴いてきたの?って問い詰めたくなった。

そんな世間一般の評価だったから、このアルバムを初めて聴く時には、僕もちょっと身構えてしまったことを白状しなければならない。で、一聴して拍子抜け(笑)。なーんだ、いつもどおりのせっちゃんじゃん!(笑)安心した。すごく安心した。
まあ、言われてるとおり、原発事故や3.11以降の空気が語られた言葉はアルバムのあちこちに飛び交っている。「猿の惑星」では、はっきりと“NO NUKES”と叫んでいる。でも、それと同じくらいに「ボクと彼女とロックンロール」や「ギター」のような前向きなR&Rが入っているのが素晴らしい。オレ、聴いてるうちに、だんだん今回のアルバムは“あの歌系”の怒りをストレートにぶつけたものより、ケツの2曲、「おとな」と「ギター」がキモなんじゃないかと思えてきた。
「おとな」は、もしかしたら3.11以降に作られた日本の音楽で、自分の気持ちと一番しっくりきた歌かもしれない。そして「ギター」。ロック少年のロック少年たるゆえんをこれだけシンプルに歌われると、なんだかとても感動してしまう。3.11以降、音楽を聴くのが辛くなったという声を多く聴くし、僕自身もそんな時期があったのだが、これを聴いてシビアな状況でも音楽を傍において置くことの大切さを改めて知らされたような気持ちになった。

そうなのだ。『45STONES』はヘヴィな状況を歌っているはずなのに、なんだかとても温かく感じるし、前向きな気持ちになれる。そして、これこそが斉藤和義という人が信じているロックなのではないだろうかと思った。
もう一度言うけれど、斉藤和義という人は、ミュージシャンとして今歌いたいことは今歌わなければ意味がないと固く信じているんだと思う。評論家ですら勘違いしている人が多いが、歌われている内容が正しいか正しくないかなんて本当はどうだっていいのだ。そんなもの十人いたら十通りの考え方があって当然だし、聴き手が歌い手の言ってることに100%同調しなきゃならないなんてことは絶対にない。せっちゃんが“あの替え歌”を歌ったときに一部の人がしたように、歌詞の一つひとつをこねくり回して正しいか正しくないかの解釈をしたって、そんなことに意味はまったくないと僕は思う。
ミュージシャンという表現者は、今この瞬間に感じたことを歌というカタチですぐに吐き出すところに真骨頂があると思うのだ。それをどう捉えるかは聴き手それぞれに委ねられている。その形態、その反射神経こそがロックだとせっちゃんは信じているのだろうし、僕もずっとそう思ってロックを聴いてきた。そこにタブーがあってはならない。
斉藤和義が“あの替え歌”を歌った時、僕はその替え歌の内容より、彼が“今歌った”という態度こそに、彼が歌った事実こそに強く励まされたのだ。その真摯さがロックだと思ったし、斉藤和義というミュージシャンが感じた時代の空気に、僕は共鳴したんだと思う。

かつてピート・タウンジェントは“大きな音でやるからロックなんじゃない。街でやるからロックなんだ”(だったっけ?)と言った。忌野清志郎は“こんなもん、ただの歌じゃねえか。何をぎゃあぎゃあ騒いでるんだ?”と言った。
斉藤和義にもこの2人と同じ魂の系譜を感じる。ロックが生れてから脈々と続いてきた、ロックのロックたる精神が、このやせっぽちの歌うたいにも流れているのを感じる。

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2011年10月18日 (火)

死ぬかと思った

東京のマラソン大会で23人搬送

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10月16日(日)21時17分配信 毎日新聞

 東京都足立区千住5の荒川河川敷で16日、マラソン大会の参加者計23人が熱中症とみられる症状を訴え、救急搬送された。このうち11人が入院し、3人が重症という。

 東京消防庁によると、搬送されたのは28~68歳の男女。同区が主催した「第40回タートルマラソン国際大会兼第14回バリアフリータートルマラソン大会」で、最長距離のハーフマラソンから5キロなどの種目に分かれ、午前10時半から順次、スタートした。同庁によると、会場からは同11時40分から午後3時半にかけて計26回の119番があったという。

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この大会、実は出てたんだ、俺(笑)。
当日は確かに殺人的な暑さだった。前日は天気が悪かったんで、この日の参加者のほとんどが雨対策を考えていたと思う。だから、スタート前は晴れて良かったねえ!ぐらいの雰囲気だったのですよ。猛暑対策してた人なんてまずいなかったと思う。なにしろ10月だぜ。誰が真夏日を予想する?

ところが、ハーフマラソンのスタート時間10:30頃になると、気温はぐんぐん上昇し始めた。お昼には30度近くまで上がったという。雨上がりだから湿度もムンムン。おまけに会場の荒川河川敷は橋の下ぐらいしか日陰がない!かくして季節外れの猛暑日が出現することと相なった。これで21キロ走るってんだから、自分で自分に呆れてしまう。うーん、やっぱしマラソンはM体質のスポーツですなあ(苦笑)。

僕はこのレースを11月に走るつくばマラソンの調整と考え、膝の調子が今一つだったこともあって、1キロあたり5分30秒ぐらいのペースで走り切ろうと思っていた。でも、10キロ過ぎたあたりから人がバタバタ倒れるパンキッシュな展開になったのを見て(苦笑)、早々と目標を下方修正。とにかく完走を目指すことに。結果、2時間7分という大幅に予想を下回るタイムでゴール。
だけどしょうがないや。はっきり言って15キロから先はいつぶっ倒れてもおかしくない状態だったもん。走ってる最中は、周りでもフラフラと蛇行してる人がいっぱいいた。僕は給水所でスタッフの人に頭から水をかけてもらったりしながら、なんとか走り抜いたけど、まるで自分がスルメになったような気持ち(笑)。うーん、ハーフマラソンってこんなに過酷なスポーツだったっけ????

帰ってきてから、軽い熱中症で痛む頭を抱え、予想外の結果に自信を失いかける。でも、翌日に件の新聞記事を見てびっくりだ。重症3人って…。とりあえず倒れなかっただけでも良かった。って言うか、こういう滅多にない環境で完走できたんだから、これもいい経験になったと思うことにするっ!

そう、ランナーはどこまでもMでポジティヴなのだ(笑)。
目指すは11月に49.195キロを走り切るのみ。今はそれしか考えられない。

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2011年10月 7日 (金)

エレクトリックギター、炸裂!

仲井戸麗市 ONE NITE BLUES 61
【番外編:チャボのしっぺ返し】泉谷しげるBAND vs 仲井戸麗市BAND 
at:Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE
2011.10.6(THU)OPEN 18:15/START 19:00
仲井戸麗市BAND(B:早川岳晴/Dr:河村”カースケ”智康/Key:Dr.kyOn)

いやあ~最高だった!燃えた。燃えたぞっ!

泉谷が、「今日の内容は言うなよ。っつうか、オレが出てたこと自体言うなよ!」って言ってるから、内容を書くのはもう少し経ってからにしますが(笑)、やっぱバンドでバリバリ弾きまくるCHABOはたとえようもなくカッコいい!それが良~くわかった。

今年はバンドスタイルでの演奏も比較的多いCHABOだけど、今日は特にテンションが高かった。っていうか、ここ数年でもNo.1だったんじゃないか?
オレ、CHABOのライブで頭が真っ白になったのはほんとに久しぶり。ロックなCHABO、サイケなCHABO、ファンキーなCHABO、ん~やっぱバンドのCHABOは最高だ!はっきり言って、Japan Jamよりも野郎共の饗宴よりも良かったと思う。
どうだ、お前ら!これがオレたちが夢中になってきたCHABOなんだぜ!

それにしても、怒涛の5連チャンライブ、考えてみたらまだ初日だぜ。最初からこんなに飛ばして大丈夫なんだろうか!?(笑)
これは、この後の展開も俄然楽しみになってきたなあ~。スゲエぞ、CHABO!

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2011年9月30日 (金)

Chloe red presents "MY LIFE IS MY MESSAGE" Vol.3 出演=HEATWAVE スペシャルゲスト=矢井田瞳・おおはた雄一 / 2011年9月20日(火) 渋谷・DUO Music Exchange

このところいろんなことがあって、なかなかブログが更新できなかったんだけど、とりあえずこのライブのことは書いておかなきゃな。
HEATWAVEのチャリティ-ライブ@渋谷。春に行われたライブに引き続き、山口洋の南相馬市をピンポイントで支援するという明確な意思のもとに決行されたライブだ。
僕個人としては、今回のライブは前回とは違ったタッチを感じた。前回が頭が真っ白になるようなR&Rライブだったとするならば、今回はライブ全体の完成度で楽しませた感じ。こう言ってはなんだけど、前回のHEATWAVEワンマンはやっぱり特別な夜だったと思う。あんなライブはやろうと思ってもできるもんじゃないよ。どんなバンドでもキャリアの中で1stアルバムが最も初期衝動に満ち溢れているように、あのライブも被災地支援に燃える山口洋の気迫が痛いほど伝わるものになっていた。対する今回は、ゲスト出演があったりミディアムな曲調の曲が増えていたり、力技だけでない音楽性でライブ全体を練り上げた感じだ。僕も我を忘れて叫び声を揚げるようなことはなかったが、R&RだけじゃないHEATWAVEの音楽性を味わえたと思っている。

本当のことをいうと、最初はこのライブにゲストなんか必要ないと思ってたんだ、オレ。だって、前回の凄まじいグルーヴを見てしまったら、それ以上付け加えるものなんか何もないでしょう?
でも、その考えは1部での山口洋とゲストとの共演からもう変わってしまった。まずは山口洋×おおはた雄一のラビッツ。この組み合わせ、久々に見たけど、もうほとんどレギュラー・デュオといっても良いぐらいに息がぴったりになっているのに驚いた。おおはた雄一のオリジナル、「トラベリンマン」と「おだやかな暮らし」は、この場の雰囲気にぴたりと合っていた。激しいR&Rを期待するオーディエンスも多かったと思うんだけど、そんな空間におおはた君の冬の朝の空気のようにピンと澄み切った歌声が響き渡る。歌詞がまたイイのよ。未曾有の大災害を経験した僕らに、雨粒ように沁みていく歌。音楽ってやっぱり僕らみたいな人種には、音楽って癒しになるんだとしみじみ思った。
それと、矢井田瞳が抜群に良かったなあ。はっきり言って意外だったんだけど…。だってオレ、この人は例の“ダリダリ~♪”って歌しか知らなかったからね(笑)。だけど、ハリのある歌声はさすが。何より華があるわ、この人。3人でやった「雨の後、路は輝く」は気持ちよかったなあ…。

2部はいよいよHEATWAVE。さっきも書いたけど、前回とはかなりセットリストを換えていた。
序盤こそ「Oh Shenandoah」や「STILL BURNING」でうわーっと始まったが、前回はやらなかった「歌を紡ぐとき」や「シベリアンハスキー」でじっくり演奏を聴かせ、 美空ひばりの「リンゴ追分」をどっしりと演奏。これは山口洋が南相馬市で演奏した様子をネットで見たことがあるが、HEATWAVEとしては初めての演奏だ。池畑さんのドラムが腹に響く、すごく男っぽい追分節だった。こういう曲を演奏しても全然違和感ないね、HEATWAVE。もしかしたら、これがこの日のベストアクトだったかもしれない。

中盤からはおおはた雄一と矢井田瞳も合流。
おおはた君がラップスティール・ギターを弾きまくった「Life goes on」は凄まじかった。「Alone Together」と「Starlight」の新曲2連発は、矢井田瞳のコーラスが抜群。山口洋は声もぶっといし、女性ボーカルが絡むのはけっこうたいへんだと思うのだが、ヤイコさんは楽々コーラス。素直にスゴイと思ってしまった。
後半は「INTERNATIONAL HOLIDAY」に続けて演奏された、とっておきの「Do the Boogie」でオーディエンスを盛り上がらせ、「NO FEAR」で大爆発。

びっくりしたのは、アンコールの1発目だ。なんと、矢井田瞳の「My Sweet Darlin'」を出演者全員で演奏。これは盛り上がるよ。だってオレだって知ってるもん、この曲。っつうか、こんな可愛い曲を弾いてる山口洋ってのは滅多に見れるもんじゃないよなあ(笑)。アンコールはもう1曲「新しい風」も演奏された。

アンコールが終わって客電が点いても観客の拍手は鳴り止まない。そこでまさかのダブル・アンコール。曲は「満月の夕」だった。終演時間22時30分。終わってみたら約3時間の長尺ライブだった。

今回のライブは単純に楽しかった。前回はHEATWAVEのロックっぽさ、緊張感の高いスリリングなプレイが存分に出ていたと思うが、今回はゲストとのセッションにも多くの時間を割き、音楽の持つ楽しさ、解放感に満ち溢れていた。セットリストも、ふさぎこんでしまうようなネガティブな曲は避け、明るく前を向くようなものを選んでいたんじゃないかと思う。

正直言って、同じ福島県出身でも、僕にとっては高い放射能濃度に苦しめられる地元・福島市が気がかりで、なかなか南相馬にまでは気が回らない状況だったのだが、山口洋が言った言葉には励まされたなあ…。
ヒロシはこう言った。

「オレたちは歴史上、後に教科書に載るような大切な転換期に生きている。自分で不可能だと諦めない限り、不可能はない。それぞれが新しい風になろうぜ」。

帰り際、僕は出口の脇で行われていた原発稼動反対の署名に名前を書いて、台風が近づき荒ぶる渋谷の町に出た。

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2011年9月19日 (月)

【映画】ゲット・ラウド ジ・エッジ、ジミー・ペイジ、ジャック・ホワイト×ライフ×ギター

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これは、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジ、U2のジ・エッジ、元ザ・ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトという3人のエレクトリックギターの名手が集まって、ギターについて語り合ったり、夢のセッションを行う様子を記録したドキュメンタリー映画だ。
僕はツェッペリン、U2ともに大好きなバンドなのだが、この映画はあくまでもバンドのギタリストとしての部分をフューチャーしたもの。なので、見る前まではギターの弾けない僕には楽しめないかも…なんてこともちょっと思ってたんだよね。だけど、始まったらそんな心配は全くの杞憂だったなあ。映画館の大音量スピーカーから流れる歪んだエレクトリックギターのサウンドと、3人のギターに託す情熱に、あっという間にスクリーンに引き込まれてしまった。
断言するけど、これは決してマニアックなギターフリークのためだけのものではない。エレクトリックギターの音が好きならば、すべての音楽ファンが楽しめる映画だと思う。

僕が思うに、この映画がかくも面白いものになったのは、この3人の人選が絶妙だったことが大きいと思う。
世の中には星の数ほどギタリストがいるでしょう?この映画だって、たとえばジミー・ペイジの代わりにジェフ・ベックを、エッジの代わりにポール・ウエラーを、ジャック・ホワイトの代わりにジョン・フルシアンテをあてたってネームバリュー的には何の見劣りもしない。でも、それでは決してこういう面白さは出なかったと思うんだよなあ…。

見ていて誰もが気付くことだと思うが、この3人、ギターに関するアプローチの仕方はそれぞれかなり違っているのだ。
特にエッジとジャック・ホワイトは対極と言ってもいい。最新のテクノロジーを使って多彩な音色を表現するエッジに対し、ジャックは最小限の機材しか使わない。ギター自体チープなものばかりで、それは時として時代に逆行しているかのようにさえ映る。これは、それぞれの世代の置かれた音楽環境の違いによる影響が大きいのではないだろうか?エッジがデビューしたのは、テクノロジーが格段に進歩した80年代。ジャックが出てきた90年代は、さまざまな音楽ジャンルが出尽くしてしまい、ミュージシャンは意識して自分の嗜好する音を探さなければならない時代だった。ジャックが嗜好したのは70年代以前のロックやブルースだったわけで、そこには過度なエフェクトは必要ないっていうことなのだろう。
そういう意味では、この映画でいちばん尖がっていたのはジャック・ホワイトだったようにも思う。冒頭で「3人が会ったら、殴りあいの喧嘩になるかもしれない」とジャックが言っていたのは、恐らくエッジを意識しての発言だったのではないか。

ところが、3人は意外なほどすんなり纏まっていく。進行役はジミー・ペイジ。見た目は同世代のジェフ・ベックやエリック・クラプトンと比べてもかなり老け込んじゃったけど、ギタリストとしての好奇心は全然衰えていない。素晴らしい!
彼は他の2人よりもかなり上の世代にあたり、言ってみればロックギタリストの草分けになった人物だ。何もなかった時代にエレキギターの可能性を黙々と追求してきた。エフェクトがどうのという次元の話ではなく、やることなすこと全てがロックギターの定番になっていった時代を通ってきているわけだから、エッジのやり方も、ジャックのルーツ回帰的な志向も、ジミーにとっては先入観なしにすんなり理解できるのだと思う。

それにしてもジミー・ペイジ、この映画の製作に当たっては、かなり本気だったんじゃないかなあ?知られざるエピソード、見たこともない写真や映像が次々に出てくるのだが、こんなのはジミーの提供なくしてはありえないはずだ。そんなジミーの熱に引き込まれ、2人も知らず知らずに会話に熱中していったように僕には見えた。
もう一つ改めて思ったこと。それは、ジミー・ペイジという人は、あの時代にしては珍しいぐらいサウンドの追求に情熱を注いでいたギタリストだったということだ。これも他の2人と同じ土壌で話ができる要因だったんだろう。
もし、映画に登場するのがジミー・ペイジではなく、ベックやクラプトンだったらどうだろう?たぶん、サウンドよりも技巧的な話に終始してしまうのではないだろうか。もしかしたら“結局のところ、ギターはアコースティックでどれだけ弾けるかだ…”なんて話に着地してしまったりして。それじゃあ映画になんないし、ジャック・ホワイトは呆れ返っちゃうと思うぜ(苦笑)。

それぞれのバンドのファンにとって、感涙もののシーンもたくさん出てくる。
ジミー・ペイジに関しては、なんと言っても4thアルバムをレコーディングしたヘッドリィ・グランジだろう。ニコニコしながら「思い出が甦るねえ…」なんて言ってくれるジミーがなんともニクイ(笑)。レヴィー・ブレイクのドラムサウンドを録音したホールも公開された。天井の高い回廊の自然なエコーを利用したらしいのだが、映画館の大音量で聞くスネアのサウンドは本当に気持ちよかった。
エッジに関しては、彼のギターテックによるエフェクター解説が興味深かった。それから、デビュー前にバンドが練習をしていた大学構内を訪ねるシーンはぐっときたなあ…。彼らほどのスーパーバンドになっても、あの時代を大切にしているということが良くわかった。
ジャック・ホワイトは、自分の子供の頃のギターへのアプローチを芝居仕立てで演じる場面が素晴らしかった。実は、僕はこの人に関してあまり詳しくなかったのだが、今の時代には珍しいほどのピュアなギタリストだということが十分に理解できた。

ロック好きにとっては、本当に面白い2時間だ。僕はツェッペリンとU2の素晴らしさを再認識した。ジャック・ホワイトに関しても今後の活動がとても気になる。やっぱりいつの時代もエレクトリックギターはロックの要だなあ!
あ、肝心のセッションシーンを全く書いてないや…。でも、これはこれから見る人のためにあえて書かないほうが良いかもしれない。一つだけ言っておくと、一番最後のセッション曲は僕的にはかなり意外な選曲。これはエンドロールとカブってしまうんだけど、絶対席を立たないで最後まで聴いていてほしいと思う。

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2011年9月16日 (金)

仲井戸“CHABO”麗市「CHABOの恩返し5」 / 2011年9月16日(金) Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE

早いもので恩返しシリーズも今夜で5回目。実はこのシリーズ、僕にとってはなかなか見方の難しいライブになっているのだ。数年前、Duoシリーズってのがあったけど、あれはあくまでもCHABOのソロが主体になっていた。だが、恩返しは共演はアンコールのみで、本編はゲストとCHABOのライブが完全に分かれた構成になっている。これがなかなかクセモノで、不器用な僕としては気持ちの切り換えが思うようにいかないことが多いのだ。正直言って、もっと長くCHABOを見たい。CHABOのソロパートが凄ければ凄いほど、今このときのCHABOの長尺のソロライブを渇望する気持ちが抑えられなくなってしまう。

この日のゲストは和田唱。これはなおのことライブに集中するのが難しい予感があった。何故って、この人はもともとLeyonaや寺岡呼人などとはCHABOとの関係性が薄い。正直言って、なんで件のトリビュートアルバムに参加したのかもわからない。なので、CHABOとの共演ということはあまり頭に置かず、トライセラトップスという一バンドのフロントマンによるソロライブ、と思うようにした。そう、夏フェスなんかでちょっと興味あるバンドのステージを覗いて見るようなタッチ。あまり難しく考えずにライブを見ようとしたのである。

この態度が功を奏したかどうかはわからないが(苦笑)、和田唱のライブは意外に楽しめた。
ライブはアコースティックギターを手にした完全弾き語りスタイル。アンプはCHABOのアンプを借用していた。一曲目はなんと「Crossroads」。CHABOファンのホームに乗り込むことを意識しての選曲だったのかもしれないが、真っ向勝負でぐいぐい攻めてきた。おおっ!という感じだ。思わず座り直してしまったぜ(笑)。和田唱、ギターもボーカルもなかなか聴かせる。ギターのフレーズは随所にブルースフィーリングを感じる小ワザを散りばめ、ボーカルも堂々たるもの。完全に和田ワールドを確立していた。
セットリストはオリジナルとカバーが半々ぐらいか。ブルースやR&Rっぽい曲だけではなく、ちょっとスィングっぽいノリもチラリで、なかなか達者なパフォーマーぶりだったと思う。トライセラトップスの持ち味であるファンキーなR&Rっぽさは抑え気味で、トラディショナルな音楽をリスペクトする姿勢が感じられた。
印象に残ったのは、最後に演奏されたバート・バカラックのカバー。うーん、この人、実はもっともっとたくさん音楽の抽斗を持ってるような気がするなあ…。実は、トライセラってのは、かなり“狙った”路線でやってるバンドなのかも知れない。
MCではCHABOと初めて会った時のエピソードも披露。福岡のFM局で会った時「君の書く曲好きだよ」と声をかけてもらったのを、「ミュージシャンとして、あの言葉はチャートで上位になることやいいセールスを残すことなんかより、ずっと嬉しいことだった」と本当に嬉しそうに語っていた。トリビュートアルバムで演ったCHABOのカバー「ポスターカラー」ももちろん披露。これがまた気持ちの入った歌とギターで聴かせた。

さて、CHABOのステージ。これがまた…。心にずしりと残る独特なタッチのライブになった。これだからCHABOのライブはどんな形態であれ、できる限り見ておかなければならないと思わせられちゃうんだよなあ…。
序盤こそ「Till There Was You」や「ムーンライト・ドライヴ」(「どっぷり重たいの演ります…」とCHABOは言ったが、それほど重たい印象は無し)、トライセラトップスのカバーなどで軽快に進んだが、中盤からはダークな晩夏のイメージにどっぷり。
まずは「じゃあ、ちょっと古いRCナンバーを…」と言って、Little Wingのフレーズをつま弾く。この時、もう一曲何がしかのフレーズを弾いた様な気がしたのだが、曲目不明。で、演奏されたのは「九月になったのに」だ。むー、こ、こんな曲が2010年の夏に渋谷で聴けるとは…。不意打ちとはこのこと。かなり効いた…。

そしてCHABOの口から語られたのは、最近、父親が亡くなったというヘビーな出来事。そして、最初自分が飼っていて、やがて父に預けることとなった愛犬“コロ”とその死の話だった。俳句を嗜んでいたというCHABOのお父さんがコロの死を詠んだ句を見つけ、CHABOが自身の歌にそれを織り込んだ共作という紹介で演奏されたのは「スケッチ '89・夏」。ダークでモノトーンな、夏の終わりの歌だ。2011年9月の渋谷の町に夏の終わりの物悲しさが漂っていく。
続いて演奏されたのはインスト「9月の素描」。うーん、こうきましたか…。「九月になったのに」から続いた“晩夏3部作”には、逝ってしまった人たちへの想いと、この世界に踏みとどまっている僕らの置かれた立場を考えずにはいられなかった。それにしても、CHABOにとっての夏ってどうしてこうへヴィーなことばかり続くんだろう…。

アンコール。いよいよCHABO+和田唱のセッションだ。
まずはお互いの名前を織り込みながらブルースの定番フレーズを弾きまくる「適当BLUES」。これは盛り上がった。新旧ジャパニーズ・ブルース・ミュージシャンの共演といったところ。さらにビートルズの「僕が泣く」とストーンズもカバーした「ROUTE 66」。このあたりはもう2人とも阿吽の呼吸でギターを絡めまくる。CHABOがこの日何度も言っていた“愛があれば、ギターがあれば、歳の差なんて…”を地でいくような場面だった。さらにRCナンバー「GIBSON」では交互にヴォーカルをとるのが一期一会感抜群。

最後の最後は、意外なことにCHABOの曲ではなく、トライセラトップスのナンバー「SPACE GROOVE」だった。これはトライセラトップスのライブでもあまり演奏されたことがないそうだ。CHABOがこの曲を選んだ理由は明白。歌詞の内容が今の社会のムードにぴったりだからだろう。これに繋げて「What A Wonderful World」のSEが流れるのは見事な構成だった。観客はごくごく自然にスタンディングオベーション。
終わってみたら、和田のソロパートでは意外なパフォーマーぶりを堪能し、久々にダークなCHABOの世界にどっぷり漬かり、アンコールで楽しく盛り上がり…と、懸念していた僕自身の切り替えも上手くいって(笑)、なかなか内容の濃いライブとなった。

それにしても、この日のCHABOのソロ中盤はずしりときたなあ…。
なんて言うんだろうか、CHABOのライブの凄さは歌とギターだけではないのだということを、今更ながらに強く感じた。歌とギターだけなら、この日は和田唱だって決してCHABOに負けていなかった。しかし、中盤のあの独特な世界はどうしたってCHABOにしか作れないだろう。
ある夜のステージに立つ時、CHABOはそこでその日にどうしても歌っておかなければならない歌があることを既に悟っているのだろう。それはCHABOにとって、どんな場であろうと、どんなライブであろうと、絶対に歌っておかなければならないのだと思う。それだけの決意をもってライブに臨んでいるからこそ、その歌はこんなにも心に残るのではないだろうか。
2011年9月16日。残暑厳しい夏の夜、渋谷の映画館のようなライブハウスで、CHABOは「スケッチ '89・夏」を歌った。そのことを僕はずっと忘れないでいようと思う。

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