2012年5月22日 (火)

リトル・フィート LIVE / 2012年5月22日(火)ビルボードライブ東京 2ndステージ

いやあ~凄かった!初めて観るリトル・フィートは、期待をはるかに上回る大満足のライブだった。
僕はこのバンドが昔から大好きなのだ。同時代のアメリカン・バンドだと、日本ではザ・バンドの人気が高いが、これは日本人ミュージシャンで彼らをリスペクトする人が多いことがかなり関係していると思う。僕は個人的にはザ・バンドよりリトル・フィートの方が思い入れが強いぐらい。ルーツに根ざしていながらも、後のフュージョンを先取りしたようなモダンなサウンドを聴かせ、何よりも同時代では最強のグルーヴを持つバンド。正統派アメリカンバンドの系譜を受け継ぎながら、そのファンキーなテイストはどのバンドよりも異端だった。
そんなフィートも、結成からはや40年。その間には2度の解散と再結成があり、メンバーもだいぶ入れ替わってしまった。マニアの中には70年代と今のバンドでは別モノと捉える人も多いと聞く。僕もはっきり言って期待半分・不安半分といった感じでライブ当日を迎えたのだ。

とーんでもなかった!!!2012年のリトル・フィートはいまだ現役バリバリだった。初っ端、音が一発出ただけで完全にノックアウト!もう、凄い、凄い!うねりまくるグルーヴ、ほろりとしてしまう抒情性、豊潤なルーツミュージックの香り…。21世紀のリトル・フィートは完璧なジャグ・バンドだった。もう、お腹一杯!これ以上何が欲しいっていうんだ?
そりゃあ、バンドを作った張本人、ローエル・ジョージはとっくにこの世にはいない。長年バンドのグルーヴを生み出してきたリッチー・ヘイワードも数年前に亡くなってしまった。それでもリトル・フィートはリトル・フィート。このグルーヴは間違いなく唯一無二だ。

今のリトル・フィートは6人編成。一時、女性ボーカルが入っていた時期もあったけど、個人的には今の男臭いバンド編成の方がずっと好きだ。
結成当初からのメンバーは、ビル・ペイン(キーボード・ボーカル)のみとなってしまったが、ギターのポール・バレアとベースのケン・グラッドニー、それにパーカッションのサム・クレイトンは72年加入組だから、73年の名盤「ディキシー・チキン」レコーディング時にもバンドに在籍していたことになる。ってことは、彼らはほとんどオリジナルメンバーだと僕は思ってるんだけどね…。そこに長年フィートとセッションしていた、職人フレッド・タケット(ギター)が加わり、亡くなったリッチーの代わりは、ゲイブ・フォードという少し若いドラマーが務めている。
はっきり言って、ゲイブのドラムはリッチーとは違う。そういう意味では、70年代のノリとは違った味わいになっていた場面もあるにはあった。でも、僕はこれはこれで全然OK。だって、ゲイブにはゲイブなりの良さがあるもん。バンドってのは、そうやって進化していくものなのだ。むしろ、キャリアが長いバンドでもこうやって進化していける、変われるってのは素晴らしいことなんじゃないだろうか。

メンバーはゲイブを除けば、もう60代後半を迎えている。サムなんて腰が曲がってて、装具を付けているのが服の上からでもわかるぐらい。にもかかわらず、パーカスの華麗さは若いころと全く変わっていなかったのだ。それに、なんといってもポールとフレッド、2台のギターの絡みがもうバッチリ!乾いたストラトの音色が最高に気持ちよく、縦に横に動くグルーヴに乗って自由自在にフレーズを刻んでいくのには、興奮せざるを得ない。ミディアムな曲では、フレッドがマンドリンを手にすることも多く、これもいい味わいが出てたなあ…。
バンドの核になっているのは、やっぱりバンドでのキャリアが一番長いビル・ペイン。この日のライブでは、近々出る予定だという新譜からの曲も演奏したのだが、まだ歌詞が覚えきれないらしく、ipadを操作して歌詞を確認していたのが面白かった(笑)。

セットリストで一番びっくりしたのは、名曲「Willin'」の中に挿入される形で、なんと「The Weight」を演ったこと!要するに、リトル・フィートがザ・バンドの曲をカバーしたわけだ。さらっと書いてるけど、これってとんでもないことですよ!もしかしたら、これは最近この世を去ったレヴォン・ヘルムへのオマージュだったのかも…。
おそらく、彼らは彼らなりに自分たちがアメリカン・ロックの最後の砦だっていうことを自覚しているんだろう。ザ・バンドの分も、グレイトフル・デッドの分も、俺たちがまとめて背負ってやるぜ~ってな…。まあ、いずれにしても、こんな曲が飛び出してくるとは夢にも思わなかっただけに、客席は大盛り上がり。僕なんかうるうるきてました(苦笑)。

最高だったのは、本編最後に演奏された「ファットマン・イン・ザ・バスタブ」!これが聴けたのは、もう一生もんの自慢だ。「ファットマン…」、ナマで聴いちゃったよ~。嬉しいったらありゃしない(笑)。ポール・バレアがスライドであのイントロを奏でると、テーブル席のお客さんがあっという間に立ち上がった。もう、フロア全体で大いに盛り上がり、まるでここがビルボードなんつうスカしたハコじゃないみたい(笑)。途中でカバーを挿入したりなんかして、かなり長尺でジャギ―な演奏だったなあ。

残念だったのは、「ディキシー・チキン」を演ってくれなかったこと。これはかなりガッカリした。フィートのライブで、「ディキシー・チキン」無しってのはちょっと考えられない。絶対演ると思ってたのにー!!そういえば「オー・アトランタ」も「オール・ザット・ユー・ドリーム」も演らなかったぞ!それでもお腹いっぱいになったんだから、いかに彼らの演奏が充実していたかがわかるというものだ。

で、家に帰ってバンドの公式サイトを見て唖然としてしまいましたよ、ワタシは。ビルボード東京は1日2ステージやるんだけど、フィートは今回用にセットを用意したわけじゃなくて、なんと単純に一回のコンサートを二つに分けてやってるだけだったのだ(苦笑)。一部・2部で重なってる曲は「Willin'」のみ!うーん、このラフさもアメリカン…(苦笑)。でも、個人的にはEarly Showの方が好きな曲多かったぞ…。わかってたら両方観たのに。とほほ…。

まあ、いいや。オレはこれで最後だとは全然思ってないから!きっとフィートはまたいつか東京に来てくれるだろう。
で、その時はビルボード東京なんつうスカした店じゃなく、渋公とか日比谷野音とかで2時間半ぐらいがっつりやってください!本来、リトル・フィートは日差しがギラギラした野外なんかが似合いそう。野音でビールでも飲みながらディキシー・チキンが聴けたら最高だろうなあ…。そんな日が来るまで、僕は「ファットマン・イン・ザ・バスタブ」をナマで聴いたことを自慢に生きていきますわ(苦笑)。

【セットリスト】公式サイトからコピペ
Location: Billboard Live - Tokyo, Japan
Setlist:
Early Show 7pm
All That You Dream, Oh Atlanta, Skin It Back, Red Streamliner, Willin', A Church Falling Down, Cajun Girl, Dixie Chicken, E: Feats Don't Fail Me Now

 

Late Show 9:30pm
Rocket In My Pocket, Honest Man, The Blues Keep Coming, Salome, Truck Stop Girl, Willin' > Don't Bogart That Joint > The Weight, Fat Man In The Bathtub > Abba Zabb > Fat Man In The Bathtub, E: Down On The Farm

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2012年5月 8日 (火)

HOBO CONNECTION 2012 at 渋谷 / 2012年5月8日(火) 渋谷・CLUB QUATTRO

【HOBO CONNECTION 2012 at 渋谷】渋谷・CLUB QUATTRO
出演:リクオ/バンバンバザール/友部正人/山口洋(HEATWAVE)/三宅伸治/羊毛とおはな/朝倉真司(per.)/キヨサク(MONGOL800)
開場18:00 開演19:00

ホーボー・ミュージックっていう概念は、この日集まった音楽ファンの間では、もう完全に認識されたように思う。
この日、ステージに立ったのは、決してメジャーとは言い難い人達だったかもしれない。でも、メディアへの露出とかチャートの順位なんかとは関係なく、日本中を旅して各地の音楽ファンを楽しませているミュージシャンは大勢いる。この日集まったのは、そんな現場至上主義を貫いている人たちばかりだった。そもそも、いい音楽の前にはメジャーとかマイナーとかは関係ないのだ。ジャンルですら必要ない。あるのはただGOOD MUSICのみだ。それもとびきりぐっとくるヤツ…。
リクオは、そんな音楽を全部ひっくるめてホーボー・ミュージックと呼んだ。彼はそのキャリアを積むにつれ、自分もまた永遠に旅を続けるホーボーな音楽人であることを自覚するようになったのだろう。そして、ホーボー・コネクションというイベントをとおし、彼はそんなホーボー・ミュージシャンたちや、彼らの音楽を愛する人たちを自らが触媒となって繋ごうと考えたんだろうな。

僕は、このライブを見ていて、“円熟”なんてことをちょっと考えた。円熟なんて言葉はロック的じゃないし、もしかしたらリクオもあんまり心地好く思わないかもしれない。でも、僕はリクオを見ていて“いい歳のとり方をしているなあ~”なんてちょっと思ったのだ。
僕とリクオはほぼ同世代。お互い40代代半ばという年齢に差し掛かった。いくら若いつもりでいても、世間は誰もが僕らを中堅として見ている。僕らはもはや嫌でも中堅としての自分を考えないわけにはいかなくなった。僕とリクオでは就いている仕事は全然違う。けど、中堅としての自分をどう捉えていくか、自分の仕事を(纏めるわけじゃないけど)ある程度のキャリアを携えた者としてどう捉えていくか、なんてことを考えてしまうという点では同じだと思うのだ。上の世代と若者との間を繋ぐ。伝統と新しいものとの間を繋ぐ。自分の仕事と社会とを繋ぐ…。まだできることは小さいけど、若いときには考えることすらできなかったことが、なんとなく見え始めた。そんな意識があればこそ、リクオはミュージシャンとして人と人とを“繋ぐ”ことを始めたんじゃないかなあ~と僕は思ったのだ。

このイベントでリクオはまず過去と未来を繋いだ。
この日はホーボー・ミュージックをやり続けてきた偉大な先人として友部正人が登場。そして、友部さんからバトンを受け取ったリクオ世代のミュージシャンからは、バンバンバザール、山口洋、三宅伸治、朝倉真司が、これからバトンを渡す世代として、羊毛とおはな、キヨサクが出た。

このイベントの素敵なところは、それぞれの出演者が自分たちだけでプレイするだけじゃなく、他のミュージシャンとセッションする場面が必ず用意されていたことだと思う。彼らがただ同じ場を共有するだけでも意味はあると思うけど、お互いに音を交えることでその繋がりはより明確になる。
客席で見ていた僕にとっても、たとえば羊毛とおはなやキヨサクは初見の人たちだけど、まぎれもなくホーボー・ミュージックの系譜に属する人たちなんだってことがはっきりとわかった。
キヨサクはレゲエタッチで歌った、サッチモの「What a Wonderful World」が素晴らしかったなあ~。なんつうか、その根付きぶりに圧倒されてしまった。キヨサク、もしかしたら君の身体にはジャマイカの血が流れてるんじゃないのか?(笑)。そのぐらい根付いていたのだ、彼は。僕ら世代だとここまでレゲエが染み込んでいる人はなかなかいない。そういった意味では、彼は新しい世代のホーボー・ミュージシャンなのだと思う。

もう一つ、リクオはこっちの世界とあっちの世界も繋いだ。
三宅伸ちゃんの歌には、今はいなくなってしまったあの人の影が常に寄り添っている。彼はこの悲しみを一生引き受けていくことを覚悟しているのだろう。この日演奏された「生きよう」にはぐっときた。清志郎がいなくなって、3.11を経験した僕は、心の何処かで“生かされてしまった”という感覚を持ってしまっている。それでも僕らは生きなければならないのだ。自分だけじゃなく、誰かのためにも…。そんなことを思った。この曲を絶対一緒にやりたいと言ってステージに上がった山口洋の心意気にもぐっときた。
リクオとは「胸が痛いよ」での共演もあった。この日のリクオのボーカルはいつも以上にエモーショナルだったと思う。伸ちゃんの泣きのギターに煽られてかなり感情が昂ぶったのかも。思えば、先月の下北沢ではギターパンダとこの曲をやったっけ…。今はいない人への近しかった人ならではの鎮魂…。でも、主がいなくても歌は生き続けるのだ。
バンバンバザールの歌には高田渡さんの影があるし、この日は西岡恭蔵さんも遊びに来ていたような気がする。こうやって、時空を超えて音楽は鳴り続けるのだ。

友部正人さんの存在感は素晴らしかった。なんと美しい一徹ぶりだろう…。僕にとって、友部さんを見るのは久しぶりなんだけど、あの声は本当に唯一無二だなあ…。あの声だけですぅーっと胸に音楽が降りてくる。なんか、友部さんの歌を聴いてると、僕は童話を読んでいるような気持ちになってしまうのだ。何度も共演している三宅伸ちゃんとの「はじめ僕は独りだった」、リクオとの共作「カルバドスの林檎」には、まるで宮沢賢治のようなロマンを感じる。
そして、嬉しくなってしまうのは、友部さんが未だいい意味での“軽さ”を持ち続けていること。飛び跳ねながら「たたえる歌」を歌う友部さんの姿は、冗談抜きに伸ちゃんやリクオより若々しく見えたぐらい。こんなふうに歳を経られたらいいなあ、なんて僕は思う。友部さん、いまだにフルマラソン走ってて、僕より全然速いんだからねえ…(苦笑)。

最後の最後、全員で歌われた友部さんバージョンの「アイ・シャル・ビー・リリースト」の美しさったらなかった。観客も自然と歌詞を口ずさみ、素晴らしい雰囲気の中で幕を閉じた3時間半。
平日の7時から渋谷でライブってのは、なかなか勤め人には厳しい時間帯だけど、それだけにこの日クアトロに集まったのは、本当に音楽が大好きな大人ばかりだったはず。そんな人たちも、一人残らず満足できた夜だったんじゃないかなあ…。

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2012年5月 5日 (土)

祝!ThumbsUp『Jumping!! Night!!』仲井戸"CHABO"麗市 with 早川岳晴 / 2012年5月5日(土・祝)横浜Thumbs Up

Thumbs Up 14th ANNIVERSARY LIVE 祝! ThumbsUp 『Jumping!! Night!! 』
出演:仲井戸"CHABO"麗市 with 早川岳晴
OPEN17:00/START18:00/ADV¥6000

うん、これぞCHABO!このところイベントや他のミュージシャンとの共演ライブが続いていただけに、久々にCHABOの世界を堪能できたように思う。去年一年かけて行われた“恩返し”シリーズも悪くはなかったんだけど、あれを見ていると、僕はどうしてももっとCHABOのソロを長く聞きたくなってしまって軽く要求不満になってしまっていた(苦笑)。そんな渇望感は、きっと僕だけではなかったんだと思う。会場のサムズアップはとにかくすごいお客さんの数だった。サムズアップには何度も来ているけど、うーん、ここでこれほどのお客さんを見たのは初めてかも。ここは基本的にテーブル席でゆったり食べたり飲んだりしながら音楽を聴くお店なのだけれど、この日は会場後方のテーブル・椅子が最初から取り払ってあり、あらかじめ立ち見スペースを確保してあった。でも、そこもあっという間に人で埋まり、店内は立錐の余地もないぐらいの熱気だったのだ。

そんなお客さんの期待に応えるように、CHABOのプレイは最初からキレキレだった。このところライブが続いているためか、声も良く出ていて、いい意味でリラックスしているようにも見えた。このいい意味での余裕は、ライブが完全なソロではなく、長年のパートナー早川岳晴とのデュオスタイルだったことも大きかったんだろう。「ギブソン(CHABO'S BLUES)」に代表されるように、早川さんが隣にいると、CHABOのギターは明らかに手数が多くなる。やっぱり、この二人のコンビネーションは最高だ。CHABOが心から早川さんを信頼してギターを弾きまくってるのがよくわかる。

セットリストは、2010年に二人で全国を回ったGO!!60ツアーのものがベースで、そこに新曲やカバーを足していったような感じだった。休憩なしで二時間半はCHABOんしては短いという印象を持った人もいたかもしれないが、僕はかえって凝縮された内容になっていて良かったと思う。
新曲は、CHABO曰くヴァン・モリソンを意識したという「つぶやき」という曲。こいつがまた最近のCHABOには珍しいぐらいに土臭いブルースで、ファンは大喜び。早川さんのウッドベースとCHABOのギターの絡みもスリリングで会場はぐっと盛り上がった。

カバーでは、ザ・バンドの曲が心に残った。この日はライブ終了後のSEもザ・バンドだったし、MCでもザ・バンドについてかなり多く話をしていた。元メンバーのリヴォン・ヘルムが4月に亡くなったばかりだからだからなのだが、CHABOはこの訃報が残念でならないようだ。
CHABOの話を聞いていて、僕はCHABOのザ・バンドに対しての想いは、彼らの音楽に強く惹かれていることはもちろんだけど、忌野清志郎との思い出と重なっている部分も大きいんだろうなあと思った。たとえば、ザ・バンドのオリジナル「The Moon Struck One」にCHABOが日本語詞を付けた曲のタイトルは、「僕らのビッグピンク」だった。かつてザ・バンドの面々がウッドストックに籠って自分たちの音楽を作り上げていたのを、清志郎と時の経つのも忘れて曲作りに励んでいた若き日の自分たちに重ねたに違いない。
CHABOのライブには、こういう生きていく上での切なさや、過ぎて行く時間を慈しむような瞬間がある。こういう、胸に迫ってくるような哀愁は、他のミュージシャンのライブではなかなか味わうことができない。RCナンバー「君が僕を知ってる」は、客とCHABOが一緒に歌うのだが、こういう空間は、一緒に歳を重ねてきたファンを多く持つミュージシャンだからこそ成り立つものだ。この歌を歌うのが一番似合う人は、もうこの世にいなくなってしまったけど、歌そのものはこうやって生き続けていくものなのだ。僕自身は、RCの曲も前よりだいぶ落ち着いた気持ちで聴き、口ずさむことができるようになってきたと思っている。人生ってのは楽しいことやうまくいく場面ばかりじゃない。こういう哀しみを抱きながらも生き続けることが大人になるっていうことなのかもしれないなあ…。そんなことをふと思った。

全体的にじっくり聞かせる曲が多かった印象があるけれど、もちろんしんみりする展開ばかりではなかった。アンコールで演奏された「Route 66」やマーサ・アンド・バンデラスの「Dancing In The Street」は、客とのコール・アンド・レスポンスも含めて盛り上がった。
「Dancing In The Street」は、早川さんのエレキベースも聴きものだ。IbanezのMCはぶっとくて大蛇がとぐろを巻くような重低音を響かせる。GO!!60ツアーでもそうだったけど、僕はこの曲を弾く早川さんが大好き。まるでシンセベースみたいな音色でぐねぐね動くベースラインは、この曲が単なるモータウン・カバーに陥らず、独特の浮遊感を持ったアレンジになることに成功していると思う。

ラストの「Hobo's Lullaby」までぴったり2時間30分。CHABOの魅力がぎゅ~っと凝縮されたような良いライブだったと思う。
他のミュージシャンと一緒にステージに立つCHABOもいいが、今年は単独名義でのライブもたくさんみたいなあと思わされる夜だった。

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2012年5月 4日 (金)

山口洋 MY LIFE IS MY MESSAGE -solo2012 / 2012年5月4日(金・祝)吉祥寺・Star Pine's Cafe

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このツアーを観るのは、先月の横浜Thumbs Upに続いて二度目だ。横浜で驚いたのは、ライブに「ヒロシと話そうコーナー」があったこと。なんと、ヒロシが「何か聞きたいことない?」と客席に直接問いかけるのだ。これは、今までの山口洋のキャラクターを思うと、まったくもってとんでもないことである(苦笑)。今回のツアーは、MY LIFE IS MY MESSAGEプロジェクトとの一環として、山口洋と仲間達がピンポイントで復興を支援している福島県南相馬市の今を伝えることも目的のひとつとなっている。こういうコーナーを設けたのは、ヒロシが観客に音楽をただ受け止めるだけでなく、この国で今起こっていることに関して、観客一人ひとりに能動的に考えて欲しいという問いかけをしているのだろうと僕は受け取った。

だからこそ、僕は横浜のライブを観終わって、とてももやもやした気持ちになったのだ。もちろん、それはライブに対してではない。何も発言しなかった自分の態度に対してだ。後述するが、僕は今回の原発事故において、それを絶対に静観することの許されない立場に置かれている。そんな僕がこういう機会で沈黙してしまった。それがすごく情けなかった。このままでは、僕はずっと後悔し続けることになる。幸い首都圏では吉祥寺でまだライブがある。正直に言うと、僕は最初このライブに来るつもりはなかったが、僕はそこに足を運んで何かを発言しなければならないと思った。そうしないと自分で自分を許せなかった。

僕は福島県福島市の生まれだ。3.11の震災による原発事故で、僕は自分の体が真っ二つになってしまったような感覚を持つようになった。ひとつは福島という地に生まれたフクシマ・チャイルドとしての自分。もうひとつは危険な原発を遠くに置き、故郷福島で作られた電気をだらだらと使い続けてきた東京人としての自分。このパラドックスは自分をどうしようもなく苦しめる。東京でのお気楽な暮らしは、自分の故郷で生きる人たちに危険なリスクを強いた上で成り立っているものだったのだから。
そして、現実に故郷は汚された…。少年時代を過ごした思い出の野山は、高い放射線量のために近づくことさえできなくなり、古い友人や親戚は、放射能による低線量被曝の不安を抱えながら生きている。年老いた両親もまだ福島県内で暮らしたままだ。

3.11以来、若いころは愛憎半ばだった福島に、僕は時間を見つけて帰るようになった。帰らずにはいられないのだ。そこは世界で一つしかない僕の故郷なのだから。放射能という目に見えない敵に苦しむ故郷のために、少しでも何か手伝えないか…。そんな想いに胸を焦がしている。僕の想いは、喩えれば、親が瀕死の状態になってやっとそのありがたみに気付いたバカ息子そのものだ。
だが、何もできない。本当に放射能という奴は手におえない化け物なのだ。最近は、帰っても旧友と酒を飲んで彼らの愚痴を聞くのがいいところ。正直言うと、1年経ってもまったく変わらないこの状況に、僕も福島の旧友たちも疲れてしまっている。

今年に入ってある人に言われた。福島に居続ける選択をした人たちに対し、お前はそろそろ“出る”ことを口にした方が良いんじゃないか、と。それは僕の胸をぐさりとえぐった。心の奥では僕もそう思っていた部分があるからだと思う。でも、本当は彼らだってそんなことはわかってるのではないかとも思う。だからこそ、僕はそれを口にできない。その封印を解いたとき、僕らの関係は崩れてしまうかもしれない。それが僕は怖いのだ。でも、すべては命あってのこと。今は友情より現実を伝えるべきなのかも…。
答えがないのはわかっている。わかっているけど、逡巡せずにはいられないのだ。そんな状態がずっと続いている。よく、新聞記事で“今は被災地に寄り添うことが何より必要”なんていう言葉が載る。でも、寄り添うって何だ?じゃあどうしろっていうんだ?そういうことを言う人は、具体的にどういう行動をとるのを“寄り添う”っていうのかわかって言っているのだろうか?

吉祥寺で、僕はそんな想いを正直に話してみようと思った。こんな話ができるのは、実際に福島に足を運んだことのある山口洋ぐらいだろうから…。

この日の「ヒロシと話そうコーナー」は、休憩を挟んで、二部の新曲「MY LIFE IS MY MESSAGE」が終わってすぐだった。「何か聞きたいことない?」という山口洋の問いかけに、僕はすかさず手を挙げた。
その後は、夢中で話したから何を言ったかよく憶えていない。言いたいこと、伝えたいことの半分も話せなかった。ただ、福島の線量がとても高いこと、去年勇気を出して除染の手伝いをしたけど、今はそんな危険なリスクを伴う作業を一般市民がやることにすごく疑問を持っていること、そして、福島に残っている人たち、何よりもその人たちと暮らしている子供たちに対し、山口洋が本当のところはどう思っているかは質問できたはずだ。

ヒロシはとても真摯に答えてくれた。とくに、以前報道ステーションでも取り上げられた”黒い塊”を例にとっての話は心に残った。それはとんでもない濃度のプルトニウムが含まれた危険極まりない物質なのだが、それをどう報道するかでさまざまな意見があるらしい。でも、ヒロシはあるものはあると事実を伝えるべきで、どう受け取るかは読む人に任せればいいとはっきり言っていた。その話を聞くだけでも、僕はだいぶ楽になれたような気がする。

もう一つ印象に残ったのは、ヒロシがライブ中に何度も“あきらめない”って言っていたこと。ライブ直前の彼のブログによれば、ARABAKI ROCK FES.の後に南相馬に寄り、あの時から何も変わっていない荒涼とした風景に暗澹たる思いになったという。なのに、目の前にいる彼は全然めげていないのだ。それどころか、先日の横浜ライブよりも元気になった感さえあった。
山口洋、つくづく不思議な男だ。この男は逆境にあればあるほど元気になるのかもしれない。そして、口で言って行動もする究極の有言実行男だ。そこがすごいと思う。なんつうか、やっぱ九州男児だなあ~と思った。こういうメンタリティは東北人にはなかなかない。うーん、見習わなければ…。

そのあとの「それでも世界は美しい」は、なんと、僕のためにと言って歌ってくれた。いやあ~恐れ多い…。歌詞の一部に僕の名前を使ってくれてたのには、照れ臭くてしょうがなかったけれど、聴いているうちに熱いものがこみ上げてきて、涙を堪えるのに必死だった。これはもう、一生忘れられないなあ…。

最後の最後、「満月の夕」が終わった後、山口洋はステージから降りてきて、なんと直接僕に使ったばかりのピックを渡してくれた。そしてがっちり握手。その手はとても温かかった。これは僕へのエールだと思う。福岡生まれのオレが、こんなにも身を焦がして力を注いでいるんだぞ。福島で生まれ育ったオマエが落ち込んでいてどうする!そんな風に喝を入れられた思いだった。

本当のことを言うと、音楽を聴く場であんまりヘビーなことを話すのはどうかという思いもあるにはあった。質問コーナーで、僕の後に手を挙げる人がいなかったのも、自分があんまり重い話をし過ぎたからかもしれない。そう思うと申し訳ない気持ちにもなった。
でも、ライブ終了後に何人かの方が声をかけてくれたのはとても嬉しかったし、今はやっぱり発言してよかったんだと思っている。僕の拙い話でも、少しは何かを伝えられたのだから…。
もしかしたら、僕はちょっと肩に力が入りすぎていたのかもしれない。この夜、僕は福島の現状を自分のことのように受け止めている人が東京にもたくさんいることを知った。それだけでも十分。ぼくは一人だけど独りじゃない。まだまだ頑張れる。

なんだか自分のことばかり書いてしまいました。申し訳ありません。
でも、僕にとってこの日はそういう特別な夜だったんです。
この夜のライブの様子は、他の方が素晴らしいレポを書かれているので、そちらを見ていただければと思います。僕にとってはあまりに個人的な思いに溢れたライブになり過ぎ、とても客観的なレポを書くことができません。

この文書を読んでいただいたすべての方に感謝します。もし、あの吉祥寺の夜を共にした方がいらしたら、僕のへヴィな話を不快に思われたかもしれませんね。ごめんなさい。でも、もしよかったら少しだけでも僕の生まれた町、福島に思いを馳せて欲しいと思います。それは、日本の国がこれまで目を瞑ってきた歪みが白日の下に曝された姿でもあるのですから…。

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2012年4月26日 (木)

蔵出しストーンズ

73このところ、ローリング・ストーンズの蔵出しリリースからまったく目が離せないでいる。

去年の秋、ストーンズは突然専用のサイトを起ち上げて、過去のライブ音源のダウンロード販売を始めたのだ。
今のところ入手できる音源は、73年のヨーロッパツアー、81年のアメリカツアー、75年のアメリカツアーの3つ。最初に73年モノが発表されて大騒ぎになったのが去年の11月だから、半年も経たないうちに、僕らは超お宝音源を3つもゲットしてしまったことになる。さらっと書いてるけど、これってとんでもないことなのですよ…。

もともと、ストーンズは公式音源より裏音源のほうが評価が高いという変なバンドだった(苦笑)。上に挙げた3つのライブも、ファンの間では名演としてずっと語られてきたものだったのだが、公式には出てないんだから、聴こうと思ったらイケナイことだと知りつつもイケナイ店に行くしかなかったのだ。それが今や、パソコンさえあればいつでもどこでも安く手に入れられるようになった。これは画期的なことなのだ。なにより、イケナイことをしている後ろめたさが全くないってのは精神衛生上とても良い(笑)。大げさに言うと、これはロックの流通革命なのではないか?(笑)。
そう、この蔵出しビジネスは、明らかにブートレッグ業者をも意識している。それはタイトルにブートレッグで出てた時のものをそのまま使っていることからもわかる。これをやられちゃ、海賊版を作ってボロ儲けしてる業者はぐうの音も出ないだろう。ブートの存在理由は完全になくなった。
こんな展開はわずか1年前までは想像すらできなかった。いやあ~長生きはするもんだ。もし、タイムマシンで大学時代の僕にこの話をしに行ったら、きっと地団駄踏んで悔しがるだろう(苦笑)。

それにしても、こうやって改めて聴いてみると、ストーンズのプレイは時代時代でまるで違う。ちゃんとミックスされたクリアな音で聴くと、簡単なことばかりやってるのに、なんと細かいのかと感心してしまうのだ。
81
いまのところ、僕が一番よく聞いてるのが、81年アメリカツアーを収録した「Hampton Coliseum」。あーやっぱり好きだなあ~81年。73年のハードロック的な演奏も、75年の派手派手な感じも捨てがたいけど、僕はやっぱり81年の軽快さがたまらなく好きだ。チャーリーのドラムも、ビル・ワイマンのベースもシンプルの極みなんだけど、ものすごくスイング感が出てて、それがボブ・クリアマウンテンのミックスですごく聴き易くなっているのが嬉しい。
それになんつってもこのセットリストが最高。「悪魔を憐れむ歌」とか「ミッドナイト・ランブラー」とか、そういう大袈裟なヤツはあえてやらずに、「夜をぶっ飛ばせ」とか「ネイバース」とか、ひたすら小回りの利くR&Rで押しまくっている。これがすごく気持ちイイのだ。
これ、絶対狙ってやってるよ、ヤツらは。僕はストーンズのツアーには、絶対その時その時で裏テーマがあると思ってるんだけど、81年の裏テーマは“ひたすらR&RとR&Bをやる”だったんじゃないだろうか?「20フライトロック」や「ジャスト・マイ・イマジネーション」をカバーしたのもそう考えると納得がいくだろう。
高校生の頃にこのツアーの音源を初めて聴いたときは、ライトなタッチが妙に軽く感じられもした。ツェッペリンと比べるとストーンズは全然風格無いなあ~とかね(苦笑)。だけど、すぐにカッコよさに気が付いた。“あえてやってる”のだ、ストーンズは。R&Rのカッコよさってのはコレなんだ。
La
はっきり言うと「レット・ミー・ゴー」や「氷の如く」なんてのは、100年先も憶えられてる曲ではないと思う。いわゆるB級R&R(苦笑)。でも、そのB級臭さがなんとも言えずイイのだ。考えてみれば、ジョニー・サンダースの曲やイギー・ポップの曲なんて、ロック御三家の超A級曲と比べれば全部がBクラスみたいなもん(苦笑)。でも、B級R&RにはB級R&Rなりのたまらないカッコよさがある。喩えて言えば、酒飲みはいつも大吟醸ばかり飲んでるわけじゃない。ほんとの酒好きは二級酒の旨味もちゃんと知っている。そういうことに気付かせてくれたのもローリング・ストーンズだったんだなあ~って、ダウンロードした「Hampton Coliseum」を聴いていて、つくづく思った。

しかし、何度もいうようだけど、こういう時代が来るとは夢にも思わなかったなあ…。
そもそも僕は、過去の貯金にはいっさい手を付けないのがストーンズの美学だと思っていた。それが今や何が出ても不思議じゃない状態。次は81年のマディ・ウォーターズとの共演が出ることが発表されてるし、76年のネブワースやエル・モカンボ完全版なども噂されている。やると決めたらとことんやるのだ、ストーンズは。
ネット配信とCD&DVDという従来メディアを使い分けるやり方もストーンズならではだ。最近はいろんなバンドがアーカイブビジネスに手を染めているけど、ここまで徹底してやっているバンドは他にない。ストーンズが今やっていることは、キャリアの長いバンドのビジネスケースとしても、先駆的なことなのだ。

ただですね、ファンとして勝手なことを言わせてもらいますが、ちょっと出し過ぎ(笑)。嬉しいんだけど、ちょっと待て。これほど短いスパンでリリースしてくるとは思いませんでしたわ(笑)。
なにしろ、去年はCDやDVDでも「テキサス78」や「女たちデラックスエディション」が出ている。それに怒涛のライブ蔵出しだろ?これ全部を隅から隅までじっくり聴いてる人ってほとんどいないと思うんですけど(苦笑)。そんな膨大な時間、仕事人が持つのってまず無理。もうちょっと小出しにしたって誰も文句言わないと思うんだけど。ストーンズよ、何をそんなに生き急いでいる?(笑)

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2012年4月24日 (火)

【映画】スーパー・チューズデー ~正義を売った日~ / ジョージ・クルーニー監督作品

Super

びっくりした!
これ、出張に出た時にちょっと時間が空いたんで、何の気なしに映画館に飛び込んだらやってたヤツだ。前知識は全然なし。きっとジョージ・クルーニーが主役で、彼を大統領に当選させるために側近やら何やらがいろんなことをする話なんだろう、ぐらいにしか思ってなかった(苦笑)。
これは半分当たりで半分外れ。大統領予備選挙の内幕を描いてるのはそのとおりだったんだけど、主役はジョージ・クルーニーではなく、選挙参謀たちだ。その参謀たちが大統領を当選させようと暗躍する。情勢が変わるたびに身内の間でも食ったり食われたり、生き馬の目を抜くような攻防戦が繰り広げられるのだ。リアルな予備選挙がどうなのかはわからないけど、二転三転していくストーリーはサスペンスものとして観る分には、なかなか面白かった。

で、僕が驚いたのは主役の選挙参謀を演じてたのが、あのライアン・ゴズリングだったこと!この人、つい最近まで全く知らなかったんだけど、数日前に見た「ドライヴ」ですっかりファンに。そしたら、一週間も経たないうちにまた出会ってしまうんだもんなあ…。ほんとびっくりした。
あの映画では裏の顔を持つ冷徹なドライバーを演じていたライアン君、ここでは180度違って、エリート選挙参謀を演じている。うーん、幅広い…。こういう映画に抜擢されるってのは、この人、間違いなくハリウッドでも注目されているんだろう。
ライアン・ゴズリングは、理想と現実に挟まれて苦悩する男の姿をうまく演じていた。特に、後半になって身内に裏切られてからの吹っ切れ具合がすごい。政治の世界の現実を知り、そこで生き延びるためには自分も何かを仕掛けていかなければならないと悟ったとき、彼の顔は「ドライヴ」の主人公を髣髴とさせるドヤ顔になるのであった(笑)。
冷たい眼差し。クールなセリフ回し。これがほれぼれするぐらいカッコいい。スゲエ役者だ、こいつ!後半はジョージ・クルーニーとタイマン張る場面も出てくるが、名優相手に全然引けを取らない演技を見せているのにはシビれた。
偶然といえば偶然なんだけど、短い間に2回もディープな演技を見せられ、僕はすっかりライアン・ゴズリング・フリークになってしまった(笑)。

実は、この映画には、僕が気になっていた役者さんが他にも出ていた。偶然にも、二人ともミッキー・ロークが再評価された「レスラー」に出ていた女優さんなんだけどね。
一人はエヴァン・レイチェル・ウッド。選挙事務所のインターン役で準主役級の重要な役柄だ。この人、実生活ではマリリン・マンソンの恋人っていう噂。どうりで「レスラー」でミッキー・ロークの娘役をやった時は、ゴスっぽいメイクだと思ったもんだ。でも、この映画では理知的なインターンを遜色なくやってて、なーんだ、こういう普通な感じもOKなのねと思ってちょっと安心(笑)。
もう一人は、マリサ・トメイ。この人はもう大好きだ!40過ぎてるのになんでこんなにキュートなんだろうなあ…。「レスラー」では落ち目のストリッパー役をやってましたが、どうしてどうして、その肢体は落ち目どころか現役バリバリ。すっぽんぽんで気持ちいいぐらいの脱ぎっぷりを見せ、がっつりポールダンスを踊って見せたのにはシビれた。アメリカ人には時々こういういつまでも若々しい女性がいますよね。この映画では、ニューヨーク・タイムスのバリバリの政治記者役を演じていた。ちょっと出番は少なかったけど、若いライアン・ゴズリングとの駆け引きはなかなかスリリングだった。立場によって見せる微妙な表情は、さすが巧いなあ~と思う。
エヴァン・レイチェル・ウッドにしても、マリサ・トメイにしても、日本にはあまりいないタイプの女優さんだ。

いやあ~いい映画を見た。得した気分だなあ…。
それにしても、ジョージ・クルーニーとライアン・ゴズリング、映画を見ている間、日本人の誰かに似てる気がしてしょうがないと思ってたんだけど、今わかった。ジョージ・クルーニーは子供のころにテレビで見てた田宮次郎にそっくりだ。ライアン・ゴズリングはあれだ、宇宙戦艦ヤマトのデスラー総統!あ、あれは日本人じゃないか(苦笑)。

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2012年4月20日 (金)

ギターパンダ「ロッキン・イン・ザ・パンダワールド」発売記念ライブ / 2012年4月20日(金)新宿レッドクロス

ギターパンダ「ロッキン・イン・ザ・パンダワールド」発売記念ライブ
共演:高木まひことシェキナベイベーズ(大阪)
新宿レッドクロス op19:00/st19:30  前2.500/当3.000

いや~面白かった!(笑)ライブレポの最初の感想が面白かったってのもどうかと思うけど、面白いものは面白いんだから仕方がない(苦笑)。
この日は、3月3日に出たばかりの新譜「ロッキン・イン・ザ・パンダワールド」の発売記念と銘打ったライブだった。新譜でもバックを務めた高木まひことシェキナベイベーズとの共演だ。初見だけど、これもなかなか面白いバンドだと聞いてたんで、このライブは楽しみだった。

ライブは最初にシェキナベイベーズが出てきた。ズートスーツにリーゼント、ボーカルの高木まひこにいたっては真っ赤なコンポラスーツ。うーん、これだけでどんな曲をやるのか予想がついちゃうってもんだ(笑)。案の定、飛び出してきたのは、エルビスを連想させるロカビリーっぽいやつ。だけど、よくあるオールディーズの焼き直しなんかではなくて、詩が一ひねりしてあって面白い。サラリーマンの悲哀なんかも歌ってて、これはメンフィスの綿花畑より難波の飲み屋街が合うような日本風ロカビリーだ(笑)。メロディーはポップだし、演奏もなかなか巧くて楽しい。いかにも大阪らしい良いバンドだなあ~と思った。
それと、なんといってもボーカルの高木まひこのキャラが気に入った。っていうか、この人、僕の学生時代の友人にそっくりなんですけど(笑)。エルビスを真似るにはちょいと背が足りず、リーゼントに甲高いキンキン声がどことなくユーモラス。このハズシ具合が絶妙でついつい笑ってしまうのだ(笑)。後半はフロアに降りてモンキーダンスを踊るパフォーマンスも見せ、観客もノリノリだった。
シェキナベイベーズのステージは、30分ぐらい。バッチリあっためていただきました!

シェキナベイベーズのステージ後、短い休憩が入ったんだけど、レッドクロスはその間ステージに幕が下りるんだよね。なので、ギターパンダのステージが始まっても、いつものようにパンダの着ぐるみでよちよちステージ中央まで歩いてくるのは無し。幕が上がるといきなりそこにパンダがいます状態だった。いや~これはこれでなかなか凄いものがありますが(笑)。
うーん、いったいオレは何を見に来ているんでしょうか?(笑)

ギターパンダのパフォーマンスを見るのは3回目なんで、はっきり言ってネタは大体わかってます。客がイェ~って言えば“いやいやいやいや、こちらこそイェー!”って言ってくれるし、着ぐるみずらして水を飲む“軽い衝撃映像”も、野球拳でカルピス・プレスリーに変身するのも、全部わかってた。はっきり言って、コテコテです(笑)。それでも笑っちゃうんだなあ。なんなんでしょうね、あれは?(笑)。
冷静に考えると、パンダの着ぐるみ着てあれだけギター弾いちゃうのは凄いと思う。あんなカブリモノだったら手元はほとんど見えてないはず。そんな状態でざくさくビートを刻み、ピート・タウンジェントみたいにぐるぐる手を回し、重い着ぐるみでよたよたとジャンプするのだ。うーん、カッコいいぜ、ギターパンダ!(笑)
パンダの着ぐるみでロックンロールをやるってのは凄い発想だよなあ…。僕がテレビ局のプロデューサーだったら絶対バラエティー番組とかに出すんだけどなあ(笑)。

この日は新譜発売記念ということもあって、初めて聞く曲がいっぱいだった。
改めて聴くと、この人はほんとに曲がイイと思う。親しみ易いメロディーにわかりやすい歌詞。歌い方にはちょっと清志郎を髣髴させるところもある。長いキャリアを持つ山川のりをだけど、やっぱり 2・3'Sですごした数年は大きいんだろうなあ。だって、わかりやすい歌詞で親しみ易く楽しいロックをやるっていうコンセプトは、清志郎のやってたことそのものじゃん。清志郎の影響を受けた人は数多いけど、山川のりをのキヨシロー度はかなり高いと思う。
パンダの着ぐるみでうまくカモフラージュされてるけど、この人の曲の中には、実はかな~りエッチなやつとか社会的なメッセージがさりげなくこめられてるやつなんかもあったりして、なかなか侮れない。このあたりの毒も清志郎ゆずりなのではないかと僕は思う。

ライブ後半は、高木まひことシェキナベイベーズも加わって完全なバンドスタイルになった。ギターが3本とかなり重厚なサウンド。シェキナベイビーズとギターパンダの相性はぴったり。おまけにギャグのセンスもぴったりだ(笑)。高木まひこと共作したという「一歩下がってロックンロール」は盛り上がったなあ~。
ラブジェッツの「宇宙大ロマンス」のカバーも、山川のりをにぴったり。っていうか、この曲、今聞くと何かを暗示してるみたいでぐっときてしまった。正直言って、ラブジェッツの楽曲はいまいちピンとこなかったんだけど、清志郎の言ってることは終始一貫してたんだなあと改めて思っちゃったよ。

最後に歌われたのは、アルバムにも収録していないという曲。“新しい町ができる”というフレーズが耳に残る、とてもポジティヴなナンバーだった。
お腹を抱えて笑わされたり、小気味のいいギターにわくわくさせられたり、思わずほろりとさせられたり、あっという間の2時間半。また言っちゃうけど、面白かったなあ(笑)。

ギターパンダ、本当に侮れないぞ。またライブ行っちゃおうっと!

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2012年4月19日 (木)

【映画】『ドライヴ』 / ニコラス・ウィンディング・レフン監督

Drive

この映画、宣伝文句によれば“最高にクールな超絶クライム・サスペンス”だそうな。はい、大嘘です(笑)。この映画にそういうカタルシスを求めて行くと、間違いなく肩透かしを食わされる。それどころか、R-15指定になった凄惨な暴力シーンに不快な思いさえするかもしれない。でもオレ、これはハマったな。久々にイイアメリカ映画だわ、これ!

ライアン・ゴズリング演じる主人公は、普段は自動車修理工として働き、時折アルバイトで映画のスタントをやっている寡黙な男。だが、それだけでなく、卓越したドライビングテクニックを駆使して、裏稼業として犯罪者の逃走を請け負ったりもしている。そんな彼が子持ちの人妻と恋に落ち、甲斐性なしの旦那に翻弄される彼女と子供のために、危険な仕事を引き受けていくというストーリー。
まあ、脚本自体は取り立ててどうというものではない。むしろ、シェーンみたいな昔からあるヒーロー路線を継承したものといっていいだろう。
だけど、見せ方がすごく凝ってんだわ、これ。画面の隅々まで監督のこだわりが満載。まず僕がおおっ!と思ったのは、卓越した色彩感覚。独特の色世界は冒頭のクレジットが流れるところから既に始まっている。闇の中で車を流す主人公にカブせ、どぎついピンクの文字が流れていく。流れる音楽は80年代のエレクトロポップみたいな摩訶不思議なサウンド。このドラッギーな感覚は、まるで都会の裏側を息を潜めて覗き見てるようだ。
そして、映画が始まるとコントラストの高い、ベタっとした色合いにあっという間に引き込まれていった。いやー、ぶっ飛ばされたぜ。この制御された色彩感は並みじゃない。

映画は、序盤は比較的穏やかな展開。キャリー・マリガン演じる人妻と主人公とが過ごす静かな時間や、彼女の一人息子との触れ合いには心が和む。だが、修理工場のオーナーが付き合っているクセ者が出てきたり、人妻の旦那がム所から帰ってくるあたりからキナ臭い雰囲気がたちこめてくる。中盤以降は急激に緊張の度合いを増していって、どぎついシーンの連続だ。ある者は至近距離からマシンガンで頭をブチ抜かれ、ある者はナイフで腕を切り裂かれ…。僕の前の席の女性なんて、淡々とした展開からいきなりデカい銃声が鳴り響いたもんで、椅子から飛び上がってました(苦笑)。

ラストも決してハッピーエンドってわけではない。かといって悲劇的でもない。妙に余韻が残る生々しい諦観が漂うのだ。いくら血が流れても、なんかクール。
オレ、これは80年代によくあった低予算のアメリカ映画みたいだと思った。えーと、たとえば「パルプフィクション」とか「ジャッキーブラウン」とか…。僕の大好きな「ホームボーイ」とかにもちょっと似てるな。

この作品は、最近のハリウッドものみたいに、おせっかいなぐらい説明過剰な映画を見慣れている人にとっては、なかなか入っていけない世界かもしれない。でも、“ある種”の映画を通過してきた人にとっては、否応なく引きずり込まれてしまうニオイを嗅ぎ取るだろう。
ニコラス・ウィンディング・レフン監督ってのは只者ではないぞ。この人は確信犯なのだ。あえてハードボイルドの定番をなぞってみた。あえてキツイ色合いで塗ってみた。あえて残酷なバイオレンスシーンを挿れてみた…。そういうことなんだと思う。
主人公が爪楊枝を加えているあたりは、なんとなく日本の任侠映画っぽい雰囲気さえある。そういえば、極力シンプルな演出と暗示的なカット割りで観客に何かをイメージさせるあたりは、まるで北野映画みたいだ。

オレ、なんのかんの言っても、こういう安っぽいやさぐれた世界が好きなんだよなあ…。ビルの谷間の都会じゃなくて、小汚くてちょっとヤバい空気のL.A。そこでささやかに生きる男と女。血の匂いが漂ってくるような暴力描写。うーん、たまんねえ(笑)。
ある意味、これはアメリカンニューシネマの21世紀版ということも言える。そして、この普通じゃない主人公を演じたライアン・ゴズリングという俳優は普通じゃないな…。一発でファンになった。

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2012年4月16日 (月)

夜の木蓮

Moku_2

子供のころ、僕は木蓮の花が無性に怖かった。
まだ冬枯れの木が目立つ季節に、まるで涙のような形の大きな芽が忽然と現れ、やがて大きく派手な花弁をつけていく。その様は、それだけで周りの空気をがらっと変えてしまう強烈な存在感がある。そのオーラとねじれた手のように奇怪な花のカタチが、子供の僕にはとても怖い存在として映っていたのだ。

大人になってからは、もう木蓮に恐怖心を抱くことはなくなった。
今、近所では紫木蓮の花が咲いている。その様は、まるで熱帯に住む鳥が群れをなして空を舞っているかのよう。紫木蓮のある一角は、周りから完全に切り離された非現実的空間になっていて、通るたびに胸が躍る。
今はこんなふうに木蓮の持つサイケデリックな妖気を楽しんでいると思っていた。

ところが、昨日の夜、僕はまたまた木蓮にぎょっとさせられる体験をしてしまったのだ(苦笑)。
昨日はちょっと思うところがあり、いつもと違う道を歩いて家路に着いたのだが、ある場所を過ぎたらどうも誰かにじーっと見られてるような気がして仕方がない。
振り返ったら、そこには大きな白木蓮の木があったのだ。夕闇の中にぼーっと浮かぶ白い花。それはなんだかたくさんの掌が手招きをしているみたいで…。

うーん、僕の木蓮恐怖症は、まだトラウマとして残っているのかもしれない(苦笑)。

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2012年4月14日 (土)

山口洋 MY LIFE IS MY MESSAGE -solo2012 / 2012年4月14日(土) 横浜・THUMBS UP

今回のツアーは、MY LIFE IS MY MESSAGEと銘打たれ、昨年の3.11以来、山口洋が行っている南相馬市への復興支援の一環として行われているもの。そういう意味では、このライブが普段のそれとは意味合いが違うものになるであろうことはわかってはいた。
だけど、あんまり震災支援の色が色濃いライブってのはどうなんだろう、という気持ちが個人的にはあった。この気持ちを言葉にするのは難しいんだけど、僕は地元が福島ということもあり、復興支援と銘打たれたイベントに対して自分のスタンスをどう置いたらいいのか、いまだにわかっていないところがあるのだ。
震災から1年経ったけど、僕はいまだに東京に住んでいる人間として被災地を支援しなきゃという気持ちと、自分のふるさとが放射能という見えない怪物に汚されてしまった被災者意識の間で揺れ続けている。ライブを観るにしても、これだけのことが起こったんだから、ミュージシャンがそれにまったく触れないのは不自然だと思う反面、それが意味を持ち過ぎちゃうのもどうかと思う気持ちの両方の気持ちが僕の中にはあるのだ。
ただ、やっぱりライブは音楽を聞く場であるというのが優先順位の一番目。これは動かせない。大体、あんまり重くなりすぎちゃうと、それは今の自分の中で消化しきれなくなってしまうだろう。そう思っていた。
山口洋という人は、そういう重たいライブをやってしまう可能性だってある人。正直に言うと、いろんなことを考えてしまって、このライブに対して僕はなんとなく気が重かった。

でも、それは杞憂だった。ライブは震災を意識する曲やMCがありつつも、それを洋独特のユーモアでカバーするという程良いバランスで進行していった。1曲目の佐野元春のカバー「君を連れてゆく」で、洋がちょっと照れながら歌詞を変えて歌ったのを見て、僕はほっと肩の力が抜けたような気持ちになった。山口洋は決してこのライブを重たいものにしようとは思っていない。それが確信できたからだ。
そう、このライブはともすればシリアスな空気になってしまいそうなテーマを、山口洋が不器用なジョークと苦手なMCで和やかにしようと一生懸命だった。それでいて伝えなければならないことはちゃんと伝えるという強固な意志も感じられ、僕はなによりその誠実さに心を打たれた。

ツアー途中だから、あんまり詳しく書くことは避けるけど、ライブの途中に山口洋への質問コーナーまであったのには驚いた。これは自分が見てきた南相馬の現状をなんとか会場の人に伝えようという姿勢の表れだと思う。山口洋がこういうことを得意としているとはとても思えないし、見方によってはとてもダサいものになりかねない。それをあえてやっていることからも彼の一生懸命さが伝わってきた。

歌われた曲も、今歌わなければならない歌ばかりだったのではないか。「オリオンへの道」も「満月の夕」も演ったし、「出発の歌」も演った。
これらの曲を聴いていて、僕は山口洋が知り合いのいる南相馬市をピンポイントで支援しようと思ったのは、自然な流れだったんだろうと思った。彼の歌にはもともと再生をテーマにしたものが多いが、そんな歌を歌い続けていた彼にとって、目の前に巨大な喪失感を抱いた人々が映ったのなら、何かをしないわけにはいかなかったのだ。

このツアー、関東近郊だと既に千葉でライブが行われており、5月には東京・吉祥寺での公演を控えている。僕はこの日の横浜だけを観るつもりでいたのだが、ライブを見ていて考えが変わった。
正直言って、この日は被災地支援と純粋な音楽とがどんな按配で展開されていくのかということが気になっていたから、ライブ全体の流れにばかり目がいってしまい、本当の意味で音楽を楽しむことはできなかったような気がする。それはもちろん山口洋のせいでもなんでもなくて、自分自身のこだわりのせいなんだけど、なんとなく消化不良だったことは否めない。もっと素直な気持ちで音楽を楽しめばよかったなあとちょっと後悔している。

リベンジしたい。5月の吉祥寺、行こうかなあ…。

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2012年4月13日 (金)

HOBO CONNECTION 2012 at 下北沢 出演:MAGICAL CHAIN CLUB BAND(リクオ/ウルフルケイスケ/寺岡信芳/小宮山純平)、ギターパンダ、藤井一彦、キム ウリョン / 2012年4月13日(金)下北沢 440

【HOBO CONNECTION 2012 at 下北沢】2012年4月13日(金)下北沢 440(four forty)
出演:MAGICAL CHAIN CLUB BAND(リクオ/ウルフルケイスケ/寺岡信芳/小宮山純平)/ギターパンダ/藤井一彦(THE GROOVERS)/キム ウリョン(元cutman-bouche)
前売 ¥4000 当日 ¥4500 (2オーダー1000円別)
開場18:30 開演19:30


えーと、このライブ、僕の一番のお目当てはリクオの新バンド、MAGICAL CHAIN CLUB BANDだったんだけど、まずはゲストのギターパンダのことから書かせてほしい。
ギターパンダの正体は、あの山川のりを氏だ。RCファンには、忌野清志郎&2・3'Sのギタリストだった人といえば話が早いと思う。この人がパンダの着ぐるみで変身したのがギターパンダ(笑)。僕は2年前のHOBO CONNECTIONでライブ体験済みで、その時はパンダがギターを弾く!という強烈な光景に大笑いした。で、今日も“こうくる”っていうのはわかってたんだけど、それでもどっかんどっかん笑ってしまったぜよ(笑)。
でも、笑うと同時に飛び切りのR&Rでぶっ飛ばされ、ぐっとくるバラードでじーんときてしまったりした。ギターパンダ、すげえロックだと思う!この日はロックンロール・パンダーランドに身も心もヤラれてしまったのだ。
ほんと、この人、パフォーマーとしてすごいと思う。とぼけたMCに笑わせられたと思いきや、間髪入れずに極上のR&Rでノリノリにさせられ、今度は一転してバラードで泣かされなったり。で、うっかり感動してると(笑)、またまたMCの面白さに涙が出そうになったり…。いやあ~忙しいライブだった(笑)。
ギターパンダ、凄い!ほんとに凄い。ワタクシ、完全にヤラれました。いろんな人のライブを見てますが、これほど気持ちがくるくる動いたライブは初めてかもしれない。

ギターパンダは、登場してきたときからお客さんの気持ち鷲づかみだった。キム ウリョンを介添人にして、着ぐるみ姿でステージをよちよち歩くだけで客席はもう大笑い。お約束の“イェ~!”“いやいやいやいや、こちらこそイェ~!”っていうお約束のコール&レスポンスもたまらない(笑)。で、いざギターを弾きだすと、それは飛び切りゴキゲンなR&Rだったりするわけ。このギャップがたまらなくカッコいい!この日は、ギターパンダのバックをMAGICAL CHAIN CLUB BANDが務めるスタイルだったんだけど、ウルフルケイスケとのギター2本の共演は見物だった。

そして、着ぐるみから脱皮して歌われたある曲に、僕は涙が出るほど感動させられてしまったのだ。それは、無人島への漂流を企てた友人のことを歌ったものだったんだけど、ギターパンダの切々としたボーカルに激しく感動してしまった。こんなに心動かされる歌に出会ったのは何年ぶりだろう…。ちょっと呆然としてしまうぐらい凄い歌に出会ってしまった。

どんよりした曇り空でも Don't Worry
オレのメッセージお前に届いたかな

僕は、ライブが終わった後もこの歌のフレーズがずっと頭を離れなかった。調べてみたら、これは山川のりを作ではなく、The endという無名のシンガーソングライターの作った「引き潮」という曲であることがわかった。山川のりをがこの曲と出会ったいきさつはわからないけど、この曲にこめられた切ない想いが彼のハートをノックしたってことなんだろう。うーん、歌ってこうやって引き継がれていくんだなあ…。
ギターパンダのステージは30分くらいかな。リクオがボーカルをとって、忌野清志郎作の「胸が痛いよ」のギターを弾くシーンなんかもあり、すごく内容の濃いライブだった。

あまりにインパクト大だったから、ギターパンダのことから書き始めちゃったけど、お目当てのMAGICAL CHAIN CLUB BANDも、もちろんとても良かった。
これはリクオが今年になって作った新しいバンドだ。去年、ウルフルケイスケとツアーに出たのをきっかけに生まれたものらしい。3.11直後の鬱々とした空気の中、リクオはケイスケの明るいキャラに助けられたとブログに綴っていたけど、ほんとにその通りの音を出してるなあ~と僕は思った。
実は、僕はその片鱗を昨年12月の渋谷BYGでのリクオライブでもなんとなく感じていた。あの夜は、弾き語りだったにもかかわらず、何曲かに明らかにバンドのニュアンスを感じたのだ。これは早くバンド見なきゃなあと思っていたのだが、なかなかタイミングが合わず、やっと巡ってきたのがこのライブだったのである。

MAGICAL CHAIN CLUB BANDは、単独での演奏以外にゲストを迎えた時もハウスバンドをやっていたから、ライブ中はずっと出ずっぱりだった。
バンド単独でのレパートリーは、リクオとケイスケそれぞれの持ち歌に加え、新曲もいくつかやった。これがいい曲ばっかりなんだよなあ…。これはリクオとケイスケが一緒に作ってるんだろうか?なんか、これまでのリクオの歌とは違った突き抜け具合を感じるんだけど…。
それにしても、バンドは結成されたばかりとはとても思えないフィット感。まあ、ケイスケと寺さんはリクオと何度も一緒にやってるから、呼吸が合うのは当然といえば当然なんだけど、若い小宮山純平がすんなり溶け込んでいるのには驚いてしまった。この人、僕は初めて見たんだけど、すごくセンスを感じるドラマーだと思う。R&R系からラグタイム風のやつまで何でもござれ。寺さんとのコンビネーションもバッチリで、こんな良いリズム隊がいると、リクオもケイスケも楽しくてしょうがないだろう。

このバンド、見る前にはロックンロールっぽい曲ばかりで押しまくるのかと思っていたのだが、そんなことはなく、ソウルっぽいのやレゲエ、ラグタイム調のものまでかなりレパートリーは広い。これはリクオのHOBO CONNECTIONというコンセプトによくあっていると思う。リクオがHOBO CONNECTIONと銘打ったライブに集まったミュージシャンは、R&R系の人から弾き語りを得意とする人、ジャグバンドまで凄く幅広い。それをすべて“HOBO”という概念でまとめたのがHOBO CONNECTIONだけど、このバンドだったらそのすべてに対応できるだろう。

何より、明るく陽気なトーンがイイよ、このバンドは。これはやっぱしウルフルケイスケの存在が大きい。ほんと、この人ほど楽しそうにギターを弾く人もそうそういないと思う(笑)。使うのはテレキャスター一本っていう潔さもカッコ良し。難しいことは考えず、テレキャスらしい明るいトーンを活かしてのびのびとプレイ。それがステージで見せる笑顔と合っていて、見ているほうも思わずニコニコしてしまうのですね。うん、得なキャラだ(笑)。
リクオの持ち歌も、イントロのメロがケイスケのギターになるだけで全然印象が違ってくる。これが聞いてて本当に楽しい。何よりも、メンバーとのやり取りをリクオ自身も楽しんでる風なのがイイ。まるでバンド小僧に戻ったかのようで、ソロにはないしなやかさを感じた。

他のゲストのことも書かなきゃ。
一人目の共演者・キム ウリョンは、まだ若いがとても魅力的な声を持ったシンガー。彼がボーカルをとったKnockin' On Heaven's Doorは聴きものだった。これはレゲエ風のアレンジだったんだけど、リクオのピアニカが素敵だった。オレ、もしかするとリクオがピアニカを弾くのを見るのはこれが初めてかも。エコーをかけてダブ風の音響にしてあり、なんか440がトロピカルなコテージになったような気持ちになった。気持ちよかったなあ…。

藤井一彦のプレイもキレキレ。この人のギターは昔から大好きだ。のっけからグレッチを手に、得意のザクザクカッティングを頻繁に織り交ぜたソロでMAGICAL CHAIN CLUB BANDと絡むのは見応えがあった。それと、この人はR&Rだけじゃなくてバラードに付けるギターが絶品だ。トム・ウェイツのアルバム「レインドッグス」で、キース・リチャーズが参加してるのが何曲かあるでしょう?一彦のギターはあれを髣髴させる。渋くて枯れててカントリーっぽくて…。うーん、ホーボーやなあ(笑)

アンコールでは全出演者がでてきて2曲演奏。1曲目はケイスケの持ち歌、っていうかチャック・ベリーのカバーで「スウィート・リトル・ロックンローラー」。何しろギターが3本もいるし、加えて火の玉ピアノマンまでいるからね。すごいノリノリだった。一彦のグレッチとケイスケのテレキャスが交互にソロを交換し合うのも楽しくて楽しくて。なーんかフェイセズみたいだったなあ(笑)。
最後は「いいことばかりはありゃしない」を全員でやった。これは予想だにしてなかっただけに、無茶苦茶ぐっときた。リクオ、やるなあ~。こうきましたか…。

あっという間の3時間。すごく楽しかったし、お腹一杯になった。
なんだか、MAGICAL CHAIN CLUB BANDはいろんな人との絡みを見たくなるバンドだ。HOBO CONNECTION、vol.2とか言わず、リクオにはもうずーっとやってほしいぐらいだ…。

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2012年4月11日 (水)

ハナフブキ

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朝、まだ家族が寝ている時間にそっとベッドを抜け出し、白み始めた町を走り出す。
僕のランニングコースは上野公園。池の周りを一周する頃、東の空が赤く染まりはじめ、ランナー仲間や散歩をする老夫婦など、顔なじみになった常連さんが顔を見せ始める。
こんな生活をはじめて、今年で3回目の春を迎えた。

早朝に走る習慣を身につけてから、僕は以前より季節の移り変わりに敏感になったことを自覚している。ビルに囲まれた都会の真ん中でも、自然は四季折々でさまざまな顔を見せてくれることを教えてくれた。

今の季節、上野公園は桜が満開。走りながら空を見上げると、そこはまるで青い布の上に桃色の千代紙を散りばめたようだ。

実は、僕は春という季節があまり好きではない。門出の季節ではあるが、個人的には、それと同じぐらいの数の辛い別れを経験してきているからだろう。
桜の花の色は女性の肌の色に似ている。だからだろうか、この季節はどうしてもいなくなってしまった人たち、通りすぎていった遠い人たちのことを思い出してしまう。
それは、過去と現在が混じり合い、一瞬自分が今何処にいるのかわからなくなってしまうような不思議な感覚だ。

今日、東京は雨だった。上野の桜はしとどに濡れ、散り始めた。長い冬を耐えた花がはらはらと散っていく様は、美しいけれどとても切ない。それは心の奥にしまってあった深い記憶を引き出し、僕の胸を苦しくさせる。

今朝、いつものように淡々と走り続ける中で、桜の花びらは、僕の身体を包み込み、花吹雪のように舞っていた。そんな時、僕はいなくなってしまった人たちのぬくもりを、いつもより少しだけ近くに感じる。

桜は不思議な花だ。桜を見ていると、僕が今こうして生きているのは、これまで出会ったいろんな人たちとの時間の積み重ねであることを、改めて思い起こさせてくれる。

花吹雪のトンネルを抜けた時、見えない明日をあの人が照らしてくれるだろうか…。

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2012年4月 7日 (土)

LENNY KRAVITZ BLACK AND WHITE JAPAN TOUR 2012 DAY-2,3

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去年、レニー・クラヴィッツは、新譜「ブラック・アンド・ホワイト・アメリカ」をリリースしてすぐの時に、今度のツアーではぜひ日本にも行きたいと発言している。それはよくあるリップサービスっぽい感じではなかったので、これは本当に来るんじゃないかと思っていたら、それからすぐに来日公演が発表に。これは嬉しかった。その頃は原発事故による放射能の影響を恐れ、外タレが軒並み来日をキャンセルしていた時期だ。それなのに、レニーは8年ぶり(単独公演はなんと14年ぶり!)にこんな日本に来てくれるという。その気持ちだけでも嬉しいじゃないか!Let Love Ruleを歌ってるのは伊達じゃないと思った。さすがレニーちゃん、愛の人!(笑)
おまけに会場は東京ドームシティホール(以前のJCBホール)ときた。ここはホールといっても客席とステージの距離が近く、まるでライブハウスみたいな雰囲気の会場だ。レニー・クラヴィッツといったら、海外ではスタジアム級の会場でコンサートをやるスーパースター。今回もてっきり武道館だとばかり思ってたのに、こんな小さなハコでレニーを見られるなんて!ずいぶん待たされたけど、日本のファンはある意味幸せだと思う。
この時点で僕はこのツアー、スタンドとアリーナの2回見ることに決めた。だって、せっかく14年ぶりに来てくれるんだぜ。こっちも楽しめるだけ楽しまなきゃ!

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たぶん、会場に集まった人たちも僕と同じようにレニーを心待ちにしていた人が多かったのだと思う。僕は東京3公演の2日目と3日目に行ったんだけど、どちらも会場はすごい盛り上がりだった。
それに呼応するかのようにレニーも終始ご機嫌。観客の歓声に笑顔で応え、ステージから身を乗り出すようにしてギターを弾いたり、前列のファンに手を差し出して握手したり。
2日目のMCでは、長い間日本に来てなかったことを謝り、変わらず応援してくれる観客に感謝の気持ちを述べ、これからはもっとちょくちょく来るようにするよ、と言っていた。これは社交辞令じゃなく本気だったと僕は思ってる。僕は事前にYouTubeでブラジルでのフルライブ映像をチェックしていたんだけど、その時と比べても東京公演はレニーのフレンドリーさが際立っていた。たとえば、ブラジルでは終盤までグラサン姿だったのに、“久しぶりに日本に来たから、みんなの顔をちゃんと見たいよ…”みたいなことを言ってサングラスを開始早々ととってくれたり、ファンの求めに応じて、その人のサングラスをかけてくれたりもしていたぐらい。
オレ、このライブでレニーに対する印象がかなり変わったなあ…。以前はけっこうカッコつけな人かと思ってたんだけど(苦笑)、実際はサービス旺盛なエンターテイナー。なんか、その辺にいる街の兄ちゃんみたいだった(笑)

そんな気さくな印象とは対照的に、バンドの演奏はとてもパワフル。ボーカル&ギターのレニーにもう一本ギターが加わり、ベース、ドラム、キーボード、3人のホーンセクションからなる8人編成のバンドは、腕の立つミュージシャンばかりで、ハード・ロッキンなプレイからファンク、ソウルフルなバラードまで何でもござれだ。
特に、長年の相棒クレイグ・ロスの存在は大きいと感じる。レッド・ツェッペリンばりのカッコいいギターリフの曲は、たいていこの人がレスポールを弾いてるし、レニーと背中合わせでギターソロを交換し合うシーンは、ロックファンには堪らないカッコよさだ。
リズムセクションの強靭さも特筆もの。筋肉隆々な黒人ドラマーのビートにぶっとく絡む女性ベーシスト、ドーシーは最高にクールだった。この人、6日は裸足でステージに立ってたかと思えば、7日にはスキンヘッドにカチューシャみたいなのを付けてたり、ルックス的にもかなり目立ってたっけ。
最高のバンドを従えて、レニーのボーカルも冴えに冴えていた。ビートに身体をくねらせながら、ハードなシャウトも甘いファルセットも自由自在。ギターもギンギンに弾きこなしていて、過去2回の来日予定が体調不良で中止になったことが嘘みたいだった。新作アルバムでも感じられたけど、今、レニーはキャリア的にもノリにノってるんだろう。

セットリストは基本的に2日とも同じだったんで、印象に残ってることをざっくばらんに。
1曲目の「Come On Get It」はオープニングに相応しいへヴィ・ファンキーなナンバー。ストロボライトの瞬くステージにレニーが姿を現した時は、あまりのカッコよさに大興奮してしまった。この後の「Always On The Run」、「American Woman」まで、立て続けにアッパーな曲が続く構成もGOODで、アリーナはもう最初からディスコ状態だった。

4曲目の前に長めのMCが入る。僕は英語が苦手なんで細部までは聞き取れなかったんだけど、2日とも微妙に違うエピソードを交えて、外タレにしてはかなり長く話をしていたと思う。
6日は前にも書いたように、これからはちょくちょく日本に来るようにするみたいなことを言ってたんだけど、7日は日本人の態度や人との接し方、習慣などの例を挙げて、他の国とは違う“natural”さがある、みたいなことを言ってくれてたんだよね。それと、次は1年半以内にまた来ると約束もしてた。レニー、間違いなく日本が好きなんだと思います。考えてみたら、この人はデビュー間もない頃、1ヶ月近く日本をツアーで回って、清志郎と共演したこともあるんだよね。

MCの後が「It Ain't Over 'Til It's Over」。これ、流行ったなあ…。フィリー・ソウルっぽい曲で、これを聞くと、オレは90年代のクラブ文化みたいなのを思い出しちゃう。レニーはセミアコを手に歌っていて、間奏の甘いトーンでのギターソロもスタジオバージョンに忠実に再現していた。

この後、「Mr. Cab Driver」と「Black And White America」を続けて演奏したのには、ちょっとしたレニーのメッセージがこめられていたような気がする。どっちもアメリカでの人種差別問題みたいなことを歌ってるからね。「Mr. Cab Driver」の終盤は、哀愁を帯びたトランペットの長いソロが挿入され、これにレニーがソウルフルにボーカルを絡めたところで「Black And White America」が始まる。これはなかなかカッコいいアレンジだった。ダンサブルなんだけど聴き込んでしまう感じで、僕はちょっとジェームス・ブラウンのステージを思い出した。レニーはソウルの系譜も継承してるんだと思ったなあ。

中盤はミディアムな曲をいくつか続けた。懐かしい「Fields of Joy」は、間奏での闇を切り裂くようなクレイグ・ロスのギターソロが印象的。やっぱりこの人、強烈なツェッペリンフリークだと思う。続く「Stand By My Woman」は、スタジオバージョンのとおり、ドラムの音がジョン・レノンの「マザー」そのまんまだ。次の「Believe」もギターソロがツェッペリン風味。なんか、この辺は70年代ムードぷんぷんだったなあ…。僕もしみじみ思った。やっぱオレはこういう世界が好きなんだと。最高に幸せな気分だった。

終盤はハードロック的なナンバーとファンクの波状攻撃で、アリーナはとんでもない盛り上がりになる。
最初の爆発は、ロスが「Rock And Roll Is Dead」のリフを弾きだした時だ。このリフは超絶的にカッコいい! 僕もこのあたりから頭の中が真っ白。特に7日はアリーナにいたもんで、我を忘れて汗だくで盛り上がってしまった。この曲、“ロックンロールは死んだ”という逆説的なフックがむちゃくちゃカッコいい。最高にロックしてる瞬間にいるってのに、歌われてる歌詞は…だもんね。
続いて「Rock Star City Life」をやっちゃうあたりがレニーのニクいところ。ロック繋がりでうまく纏めてます(笑)。この後の「Where Are We Runnin'?」も疾走感たっぷりで、脳内アドレナリンがぐんぐん沸騰してくる。

個人的に好きな「Fly Away」はライブで聴いても最高にカッコよかった。レニーの呼びかけで観客もサビを歌い、会場はすごいいいムード。

本編最後はお約束の「Are You Gonna Go My Way」。レニーったら、6日にはご丁寧にも“今日本ではCMで流れていて…”なんて言ってたっけ(笑)。そういえば、開演前にはCMスポンサーのウィルキンソンがステッカーを配ってたから、レニーも気を使ったのかな?(笑)
この曲はなんと言ってもレニーとロスのダブルギター・サウンドが凄い。ステージの照明が一度消え、フライングVを手にしたレニーのシルエットが見えるだけで、観客は何が始まるか気が付く。で、イントロ一発でアリーナは完全にぶっ壊れた(笑)。6日、スタンドから見ててアリーナが一斉にジャンプしてるのは壮観だった。7日は僕もアリーナでジャンピング。完全に壊れました(笑)。エンディングはレニーがアンプにギターを押し付け、フィードバック音を会場いっぱいに響かせた。

アンコールは「Let Love Rule」。これまたサビは会場一体で大合唱になった。
そして、レニーはステージを降りてアリーナの周りを歩き始め、後方から2階指定席あたりまで上がって歌いながら会場をゆっくりと1周した。これ、実はこのツアーでのお約束で僕は事前に知ってたんだけど、知らなかった人も多かったみたいだ。レニーを間近にした女性ファンなんか、もう大興奮状態で、我を忘れて抱きついたりしてる人もいた。
何を隠そう、僕も2日目はアリーナだったんで、この瞬間は会場後方に大移動。スーパースターをわずか2mぐらいの至近距離で体感しました。はい、ワタシも相当ミーハーであります(笑)
その後、ステージに戻ってサビを観客と大合唱し、エンディングを延々引っ張る。たぶん、Let Love Ruleだけで20分位演奏したんじゃないかなあ?このあたりはソウルショー的な要素もあった。
全体で2時間弱。終わってみると短かったような気もするが、これだけ内容が濃いライブなんだから、このぐらいの長さでちょうど良かったような気もする。

セットリストは2日とも基本同じだったんだけど、6日はアカペラで“Sister”をワンフレーズだけ歌ってくれた。7日はアンコールで“Let Love Rule”の前に「Push」が演奏された。これは、マイクを持ったレニーとアコースティックギターのロスだけが出てきて、ステージ最前列の階段に腰かけて歌われ、東京最終日ならではのスペシャル感満点だった。

MCで印象に残ったのは、6日のアンコール前、“震災や津波を乗り越えた日本の人たちに感動した”みたいなことを言っていたのと、7日の「Are You Gonna Go My Way」の前に言ってた“この曲をジム・マーシャルに捧げる”っていうフレーズ。PAはステージ後方のピラミッド型のオブジェに入ってるんで、実際にマーシャルが使われてたかどうかはわからなかったが、この言葉にはジム・マーシャルも天国で喜んでると思うなあ…。

それにしても充実した2連荘ライブだった。ロックをたっぷり身体に注入した満腹感で一杯。こういう充実感は久しく味わってなかったなあ…。なんだか、ローリング・ストーンズのライブを観に、連日ドームに通ってた頃のことを思い出した。

そうそう、レニーは“1年半以内に戻ってくる”と確かに言ってたぞ。噂では、早くも新作アルバムの製作に着手しているらしいから、今度はそれを引っ提げてのツアーってことかなあ?オレはレニーの言葉を信じてる。またこのホールでやって欲しい。そしたら今度は全公演見に行きたい。またアリーナで我を忘れて盛り上がりたい!
レニー・クラヴィッツは間違いなく21世紀のロックのキャスティングボードを握っている男だ。同世代だし、これからもずっと追っかけていたいと思う。90年代以降、そんな風に思わせてくれるロック・ミュージシャンは本当に少ないのだから…。

LENNY KRAVITZ BLACK AND WHITE JAPAN TOUR 2012
BASIC SET LIST

1.Come on Get It
2.Always on the Run
3.American Woman
4.It Ain't Over Till It's Over
5.Mr. Cab Driver
6.Black and White America
7.Fields of Joy
8.Stand by My Woman
9.Believe
10.Stand
11.Rock and Roll Is Dead
12.Rock Star City Life
13.Where Are We Runnin'?
14.Fly Away
15.Are You Gonna Go My Way
Encore:
16.Let Love Rule

<BAND>
LENNY KRAVITZ : vocal / guitar
CRAIG ROSS : guitar
Gail Ann Dorsey : bass
GEORGE LAKS : keyboards
Franklin Vanderbilt,Jr : drums
Ludovic Louis : Trumpet
Gabrial McNair : Trombone
Harold Todd : Sax

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2012年4月 1日 (日)

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 / 増田俊也(著)

Kimura うーん、これは濃い…。木村政彦、力道山、牛島辰熊。格闘技を通して昭和の時代を駆け抜けた男たちの熱気にあてられ、読み終わった後、しばし呆然としてしまいました。これはもう格闘技マニア本の域を超え、貴重な昭和史のひとつといっても良いのでは?700ページという辞書みたいなブ厚さにもかかわらず、読み始めたら止まらなくなり、僅か3日で読破。読み終わった夜、僕は興奮と感動で全く眠れなかった。それぐらい強烈な余韻の残る本なんだ、これは。

格闘技に興味のない人は、木村政彦って誰?って感じだと思うんでちょっと説明すると、この人は戦後最強と言われた柔道家だ。この本は、プロ柔道からプロレスに転向した木村が、昭和29年に力道山と実力日本一をかけて戦った一戦を巡ってのドキュメンタリー。日本中の関心を集めたこの一戦は、実はもともとプロレス流の筋書きがあって、あらかじめ引き分けになることが決められていた。にもかかわらず、力動山が突然キレて木村を滅多打ちにし、木村は血の海に沈んで無残なKO負けを喫するのである。
その後の2人は対照的な人生をおくることになった。国民的な英雄になった力道山に対し、木村は坂道を転げ落ちるように凋落していく。そして、この試合を行ったことを死ぬまで後悔し、掟破りを謀った力道山を許すことができずに、一時は懐に短刀を隠し、力道山の命を付け狙いまでしたというのだ。

もう60年以上も前の出来事。だけど、この一戦は後々まですごく大きな影響があったと思う。それは、これについて書かれた様々な文章のほとんどが力道山寄りで、プロレス側はこの試合の結果をうまく利用していたからだ。元プロレス少年だった僕も、この手の本にころっとヤラレちゃったクチ(苦笑)。単純にプロレスラーは柔道家より強いんだ!と信じて疑わなかった。後にアントニオ猪木が異種格闘技戦を始め、“プロレスラー最強説”を掲げても、大げさなことを言っているとは全然思わなかったのも、この一戦の刷り込みが大きいんじゃないかと思う。

敗者木村の名誉は地に落ちた。でも、冷静に考えればこの試合には多くの謎がある。なぜ力道山は禁断の掟破りをしたのか?なぜ木村はこんな屈辱的な試合を受けたのか?そして、もし木村が本気で戦っていたとしたら、本当は力道山より強かったのではないか?
著者の増田俊也は、学生時代に本格的に柔道をやっていた人物だ。だから、柔道畑の人間として長い間傷つけられてきた木村の名誉をなんとか回復したいという思いがあったんだと思う。
だが、彼は盲目的に木村を崇め奉るようなことはしていない。どんな些細なことでも現存する資料や生存する関係者に丁寧に取材を行い、可能な限り裏をとっている。そして、取材の結果を客観的に判断し、主観を排した冷静な文章を組み立てているのだ。この誠実な文章がまず素晴らしい。つまり、この本はノンフィクションとしても第一級なのだ。格闘技マニアだけでなく幅広い読者層からも支持を得ているのは、こんなところに理由があるんじゃないかと思う。

それにしても、ここに描かれる若かりし木村政彦のなんと魅力的なことか!そして、師である牛島辰熊との関係のなんと濃厚なことか!寝ても醒めても柔道、柔道、柔道…。これだけやって強くならないわけがない(笑)。序盤は、著者が木村の強さをいろんな資料でどんどん実証していくので、とても爽快な気分になる。
だが、その人生は徐々に陰りを帯びていくのだ。それはひと言でいうと戦争のためということになるんだけど、時代の空気が政治・経済の話も絡めて重く描かれるのは、読んでいてとても辛かった。

戦争という大きな渦に、柔道界も否応なく巻き込まれていく。もし戦争がなかったら、たぶん柔道は今のような形にはなっていなかっただろうし、木村がプロ柔道やプロレスに手を染めることもなかっただろう。そう思うと心がざわざわしてくる。
そして、戦後の木村の迷走ぶりに著者自身もうろたえ、苦悩しているのがひしひしと伝わってくるのが、読んでいてとても辛い。そう、中盤あたりから、読者は著者の気持ちの揺らぎにも心を動かされていくことになる。柔道家・木村がとてつもなく強かったのは疑いようもない。だが、彼は激動の時代を泳ぐにはあまりにも不器用だった。資料にあたればあたるほどそれが証明されてしまう。これは、木村を敬愛してきた著者にとって、とても辛い作業だったことだろう。

実は木村VS力道山の一戦は、現在Youtubeで見る事ができる(ただし、ダイジェスト版だ)。本の中でも、当時の映像を見ながら複数の格闘家に試合内容を検証してもらう場面が出てくるが、それを読むと、掟破りかどうかは抜きにして、力道山の空手(というより、映像を見た限り、これはもはや“掌底”だ)は疑いようもなく凄まじい破壊力があり、その何発かは確実に木村の顔面にクリーンヒットしていることがわかる。
僕は思う。真剣勝負だったら木村がどうだったかなんてことはそもそ問題ではないのだ。台本があろうとなかろうと、あんな打撃を食ってしまったのは木村に油断があったから。もっといえば台本ありの試合を受け入れてしまった時点で木村は負けだったのだ…。

だまし討ちのように木村に念書を書かせ、リング上でそれを裏切った力道山は確かに卑怯だし汚い。でも、僕はそんな力道山のことも否定しきれないのだ。言い方を変えれば、彼はどんな手を使ってでも勝ちたかった。勝たなければならなかったのだ。その執念は木村の気持ちよりはるかに大きかったのだと思う。
ちょっと話はずれるけど、サッカードイツW杯の決勝でフランスのジダンが突然キレ、イタリアのマテラッツイに頭突きを食らわせ、退場になる事件があった。一説ではマテラッツイがジダンに人種差別的なことを言ったのが原因とされているが、この時のジダンと昭和29年の力道山が、なんだか僕にはカブって見えるのだ。
朝鮮半島に生まれた力道山は、相撲界で様々な苦労をした。そして、どんなに頑張っても横綱にはなれないことを悟り、プロレスに身を投じた。たとえ成功しても、故郷に錦を飾ることは決して許されない。故郷への未練を残しつつ、力道山は出生を隠して生き続けるしかなかったのだ。彼にはプロレスという舞台しか残されていなかった。オレは何が何でもここでのし上がらなければならない。蟻地獄のような呪縛を、彼は自らの手ひとつで解き放とうとしたのだろう。たとえ約束を破ってでも…。
力道山と木村では、この試合に懸ける情念が最初から天と地ほども違っていた。要は背負っている業の深さが勝負を決めたのだと思う。ただ、そのあまりにも深い業故、力道山は長く生きることができなかったのだけれど…。

ところが、木村政彦の話はこれで終わらなかった。著者は最後の最後に大どんでん返しを用意していた。これはあえてここには書かないが、ただただ、僕は本を手に号泣してしまった。
木村政彦をめぐる長い旅路は、結果的に格闘技を通して昭和という時代を検証するような壮大なドキュメントとなった。戦後の影が色濃く残る時代、男たちは一日一日を必死に生きていたのだ。そんな生き様と、彼らをめぐる人間たちを検証することによって、著者は今の日本が失いつつある家族の素晴らしさや、熱い生き方をも蘇らせることに成功している。
経済の沈下や政治の低迷、それにとどめを刺すような東日本大震災と原発事故。今や日本中が元気を無くしている時代だけど、わずか60年前、この国にはこんなにも凄い男たちがいたのだ。木村政彦は、強く、熱く、豪快な男だった。時代の波に乗り切るには不器用でも、木村は人間味に溢れた最高に魅力的な男だったんだろうと僕は確信している。

表の歴史は勝者が作る。だけど、敗者にだって人生があるのだ。そして、それには勝ちも負けもないのだということをこの本は教えてくれる。
もう一度言うけど、これは本当に素晴らしい本だ。プロレス、格闘技ファンなら万難を排して読んで欲しいし、ちょっと元気をなくしつつある僕ら世代にはすごく良い刺激になるのではないだろうか?

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2012年3月27日 (火)

「スティーヴン・タイラー自伝」 / スティーヴン・タイラー(著)

Photo「スティーヴン・タイラー自伝」、ようやく読み終わりました。
いやあ~疲れた…。読み始めたときもちょっと書きましたけど、ものすごく読み辛いです、これ(苦笑)。はっきり言って、エアロスミスの熱心なファン以外には、あまりオススメできません。

スティーヴン・タイラーって、普段のインタビューでも何を言ってるのかわからないような人なんだけど、この本でもそんなスティーヴン・ワールドが全開だ。話はあちこち飛ぶわ、造語は飛び出すわ…。出てくる人名や喩え話も日本人にはよくわからん。これはもう、訳した人に拍手ですな。よくぞここまで日本語にできたもんだ(笑)。
子供時代の事なんかはかなり詳しく書かれてるんで、このまま時間を追って半生が語られるのかと思いきや、それはバンドがデビューするまでだった。その後はツアーの混乱ぶりや、バンド内での軋轢、グルーピーと奥さんとのゴタゴタなんかが時系列も無視して赤裸々に語られる。

そして、ページの大半を覆うドラッグの話…。なんか、読んでてオレは薬剤師のような気分になってしまいました(苦笑)。まあ、100%クリーンだとは思ってなかったけど、スティーヴンもさすがにもう若くないんだし、これでは心配になってくる。もしかしたらデビュー後の記述があちこち飛ぶのは、スティーヴン自身がぶっ飛んじゃってて、良く憶えてないってのもあるんじゃないだろうか?

それにしても、バンドの運営ってのはつくづく難しいんだなあ…。僕なんかは、エアロスミスっていろんな噂があったけど、90年代の大復活以降はとりあえず基本的には順風満帆な状態なんだと思っていた。ところが、内情はかなり綱渡りなのだ。メンバーは全然一枚岩ではないし、ここ最近のアルバムなんかかなりギリギリの状態で作っている。記憶に新しいスティーヴンの解雇騒動だって、どうせマスコミのでっちあげかと思ってたんだけど、どうもほんとの話だったみたいだ。うーん…。
噂では、現在ジョー・ペリーも自伝を執筆中なんだとか。同じ事件でも、それぞれにスティーヴン側の見方、ジョー側の見方ってのがあるわけで、その辺を蒸し返しちゃうとまた揉めないか心配なんだけど…。

長年のステージでの酷使で、脚がかなり悪いとスティーヴン自らが認めていることもショック。身体はボロボロだし、メンバーとはいつも揉めるし、取り巻きにも狸みたいな連中がたくさんいるし…。はっきり言って、これを読むとスティーヴンがあまり幸せそうに思えなくなってくるのが辛い。
それでも彼は、そんな自分を笑い飛ばし、リハビリに入ってつかの間のクリーン状態を取り戻し、悪友たちとスタジオに入ってツアーに出ることを繰り返してるんだよね。

「人生は短い。規則は守るな。許しは速やかに。キスはゆっくりと。愛はマジメに。笑いは我慢するな。最後に微笑むことができればそれでいい」

深い。深いよ、この言葉は…。ロックスターであり続けるってことは、命を削りながら生きていくこととイコールなのかもしれない。

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2012年3月25日 (日)

【HOBO CONNECTION 2012 at下北沢】 / 3月25日(日)下北沢ラ.カーニャ

【HOBO CONNECTION 2012 at下北沢】
3月25日(日)下北沢ラ.カーニャ
出演:リクオ/福島康之(バンバンバザール)/六角精児/広沢タダシ/三代目魚武濱田成夫
開場18:30 開演19:00

HOBO CONNECTION 2012は、2010年に行われたイベント「Hobo Connection」の第2弾だ。Hobo Connectionはリクオのデビュー20周年を記念し、大阪、東京、福岡、名古屋で37人のミュージシャンとコラボ演奏を行うものだったのだが、これが今年CD+DVDでリリースされることになった。それに併せてHOBO CONNECTIONの2012年版が行われることになったのだ。
この日はその2日目。7時ちょっとすぎに始まったライブは、終わったのが10時半近く。間の休憩時間を抜いてもたっぷり3時間。でも、まったく飽きなかったなあ…。居心地のいいラ.カーニャの空気に包まれ、いい音楽をお腹いっぱい味わった満足感で身も心もいっぱいになった。

この日、リクオと共演したホーボー・ミュージシャンは、アナウンスされていた4人に加え、バンバンバザールのベース・黒川修、チェロの橋本修が飛び入り。ステージには上がらなかったけど、客席にはウルフルケイスケの姿もあった。出演者には、これまで僕がライブ体験した人もそうでない人もいたけれど、ライブを楽しむのにそんなことは関係なかった。日本における“ホーボー・ミュージック”の数々を、まるで組曲みたいに楽しめた夜だった。

三代目魚武濱田成夫を観るのは何度目だろう?MCで“朗読する時は朗読だけ。歌う時は唄うだけ”って言ってたけど、今日の彼は完全に歌モード。リクオの持ち歌「グレイハウンドバス」にはじまり、まるでトム・ウエイツみたいなダミ声を聞かせてくれた。オレ、この人に対しては、見方が以前とはだいぶ変わったなあ…。はっきり言って、前は彼のやってることがまったくわかんなかった(苦笑)。でも、今ならわかるぞ。彼の吐くコトバの裏にあるぶっきらぼうな優しさが…。この夜は、リクオのピアノにのって叫ぶように唄う彼の真っ直ぐさに、なんだかじーんとしてしまった。

広沢タダシはたぶん初見。すごく素敵なシンガーソングライターだ。ギターの弾き語りスタイルだとフォーク系かと思いきや、ちょっとブラジリアンなテイストでとてもリズミック。色彩感のあるギタリストだなあ…。

六角精児は驚き。この人、「相棒」の鑑識係をやってる例の俳優さんだ。なんでも、高校時代からラ.カーニャに通いつめていた音楽少年だったそうな。緊張気味だったというけれど、歌声を聴いてびっくり。高田渡の声・唄い方にそっくりだ!六角さん、そうとう渡さんを聴き込んだんだろうなあ…。

バンバンバザールの2人はさすが。自分たちの曲をやる時も、共演者のバックに入る時も、ほんとうにこれ以上ないぐらい歌に寄り添った演奏を聞かせてくれる。この夜の「君とコーヒー」は素敵だった。間奏で「梅田からナンバまで」をはじめとする先輩たちの名曲を散りばめ、さりげなく自分たちの立っている場所を教えてくれる。巧い!
それから、思いがけなくCHABOのカバー「ティーンエイジャー」がはじまった時はぐっときてしまった。まさか今夜これが聞けるとは…。しかも今日はリクオのピアノ付きだ。こういうのに46の男は弱いのだ…(苦笑)。

橋本歩ちゃんも相変わらず。バンバンと一緒の演奏では、まるでラグタイム・バンドでのフィドル奏者のようだった。実は彼女、ライブ前からリクオたちと客席にいたんだけど、大きな黒ぶちメガネをかけてたんで(コンタクトレンズを忘れたって言ってた(笑))、最初は全然彼女だとは気がつかなかったんだ。

この日のイベントにはたくさんの出演者がいたけれど、最初に書いたとおり、演奏された曲を誰が歌ったとか、自分がその人のファンかどうかなんてまったく関係なく楽しめるものだった。
早くから会場を待っていた人の話では、だいぶ長くリハーサルをやっていたというが、たぶんリクオと各出演者との間では、そんなに綿密な打ち合わせはなかったんじゃないのかなあ?百戦錬磨のつわものばかりのステージでは、細かい決まりごとや事前の段取りがないほうが、かえってのびのびふるまえるものなのかもしれない。加えて数々のミュージシャンが出演したラ.カーニャのなんともいえない居心地のよさ。そういったものがすべてに良い方向に向いていたと思う。ミュージシャン・観客が一体となり、最高に居心地のいいライブ空間が作り出されていた。
こんな場に身を置いているとつくづく思う。音楽はジャンルじゃないと…。結局は人なんだよな。その人らしさ、その人の持つ人間臭さがにじみ出た音楽に僕らは惹かれるんだと思う。

そして、リクオというミュージシャンには、そういう人たちを惹きつける魅力が確かにある。最近のリクオを見ていてつくづく思うのは、いい意味での円熟ぶりだ。もしかしたら、ミュージシャンにとっては、“円熟”という言葉を使われるのはあまり嬉しくないのかもしれないけど、今のリクオには、やっぱり円熟というコトバを使いたくなってしまうのだ。
HOBO CONNECTIONにあたって、リクオはキャリアを積み重ねる中で自分に求められるものが少しずつ変化してきているのを感じていると言っていた。そして、イベントの中での自分は「橋渡し」あるいは「媒体」としての役割を意識しているとも…。これは最近のリクオのライブを見ていて、僕自身もなんとなく感じていたことだった。もともとリクオは他者との共演が多いミュージシャンではあるのだが、以前のそれとは明らかに違うスタンスがHobo Connectionや最近の「海さくら」なんかからは感じられる。
ひと言で言っちゃうと、今のリクオがやっているコラボは“単なる共演”ではないのだ。その場にいない人たちの歌まで聞こえてきて、僕たちのはるかな旅路が浮き上がってくるライブ。この夜、僕たちは西岡恭蔵、高田渡、友部正人、有山じゅんじ、下田逸郎たちの姿を見た。リクオ自身がホーボー・ミュージシャンと呼ぶ人たちの系譜だ。僕らの生まれるずっと前から歌われてきたホーボー・ミュージックの道程に自分もいるということを、彼は誰よりも深く強く自覚しているんだと思う。

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2012年3月24日 (土)

記録証、届く

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東京マラソンの記録証が届きました。
公式タイムは4時間17分56秒。ネットタイム(実際に自分がスタートしてからゴールまで)は4時間16分01秒。速報で知らされたタイムと全く同じ。もしかして時計が壊れてて実際はもっと早いタイムだったりして…な~んて甘い期待は見事にかなわず(苦笑)。計測チップの正確さに感心させられる結果と相成りました。

普段はブログに自分の写真なんか載せないけど、今回は記念に何枚か。
それにしても、あれほど苦しかったのに、カメラを向けられるとほんとに嬉しそうにしてんなあ、オレ…(苦笑)。

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2012年3月21日 (水)

ブラック・アンド・ホワイト・アメリカ / レニー・クラヴィッツ

Bw これは去年の秋に出たアルバムなんだけど、いまだに良く聴いている。レニー・クラヴィッツはデビューした時から大好きなんだけど、これは全キャリアの中でも3本の指に入る傑作なんじゃないだろうか?

レニー・クラヴィッツは1964年生まれだから、歳は僕と1つしか違わない。だからというわけでもないんだけど、この人の音楽嗜好にはとても共感できるものを感じるのだ。ひと言で言っちゃうと、この人は“黒人のロックおたく”(笑)。1stアルバムをはじめて聴いた時は、メロディーといいサウンドといい、まるで「ジョンの魂」みたいだと思ったことを憶えている。デジタル全盛だった90年代において、そのオールドなサウンドは驚きだった。その後、いろんなバンドがわざとローファイな音で録ったアルバムを出すようになったけど、そのきっかけとしてレニーの1stアルバムの影響はとても大きいように思う。あれで、“あ、デジタルな時代でもこんなことやっちゃっていいんだ!”と誰もが気付いたんじゃないのかなあ?
余談だけど、斉藤和義がアルバムで一人多重録音をやりはじめた時も、初期のレニーのアルバムは良いお手本になったに違いない。

それと、僕がこの人を見てて面白いと思うのは、ブラック・ミュージックとの距離のとり方だ。まあ、彼自身が黒人だから、どんな音楽をやろうとブラック・ミュージックっちゃあブラック・ミュージックなんだけど、そのスタンスは、一昔前の黒人ミュージシャンとは明らかに違うと感じる。
たとえば、レニーを21世紀のジミ・ヘンドリックスと言う人がいるけれど、ジミヘンと比べればレニーの音はかなり白っぽいと僕は思う。特にブルース的なタッチはほとんど感じられない。それは彼が青春時代を送った80年代は、ジミヘンが活躍した時代と比べれば、黒人の社会的地位がかなり向上したからなんじゃないだろうか?黒人社会と白人社会が完全に分断されていた時代は、ラジオでかかる音楽も黒人専用局と白人専用曲では違っていたというが、レニーの頃はそんな偏見はなくなっていたはず。たぶんレニーの世代の黒人の若者は、ジェームス・ブラウンみたいな自分のルーツ・ミュージックと、レッド・ツェッペリンやエアロスミスみたいな白人の奏でるロックを同時並行で聴いて育ったんだと思う。
そういう音楽の聴き方は、環境の違いこそあれ、極東で洋楽に目覚めていた僕らの聴き方と、偶然にもなんとなく似ているように思う。レニー・クラヴィッツの3枚目のアルバムあたりまでの異常な聴き易さは、このあたりに理由があるんじゃないかなあ、と僕は思っている。

ただ、3枚目までがあまりにも凄すぎて、正直言って最近のレニーはちょっとイマイチだと感じていたことも確かだ。よくよく聞くといい曲もあるんだけど、アルバム一枚通すとやたら暗かったり散漫だったり…。器用な人だから、そこそこのモノは作り続けているんだけど、デビュー時を知っている者としては、な~んか地味になっちゃったなあってのが最近の印象だった。

ところが、これはどうだ!アルバムタイトルからして、自分の立ち位置をもう一度確認するような覚悟を感じるし、収められた曲もそこそこどころか、がっぷり四つに組んでエイヤ!と力ワザでこしらえたようなモノばかりだ。最近のPVを見ると髪まで短くしちゃってて、レニー、まるでアスリートみたいになっちゃってるぞ(笑)。なんか、気合の入り方がここ2,3作とは全然違う。このアルバムからレコード会社を移籍したらしいけど、環境を変えたのが良かったのかなあ?

とにかく、このアルバムは曲がいい。今までもいい曲はいっぱいあったけど、よくよく考えてみると、この人の曲はレッド・ツェッペリンを髣髴させるようなリフが印象的なハードロックか、フィラデルフィアソウルを今風にブレンドしたR&Bかに分断されてるようなタッチがあった。それが、このアルバムでは一曲の中に両方の要素が巧く溶け合い、レニーにしかできない独特のものになっていると思う。
サウンドヘのこだわりも相変わらず。ヴィンテージなサウンドをデジタルに響かせるワザの使い手として、この人の右に出る者はいないだろう。ギターソロなんかロックファンなら絶対聞き流せない、こだわりの仕上がりになっていて、さすがロックおたくのやることは違うぜ!(笑)
とにかく、これは捨て曲無しの最強アルバム。全部通して聴くと、また最初から聴き直したくなるアルバムなんて、21世紀に入ってからはなかなかないと思う。

なんとレニーさん、4月には14年ぶりに来日公演までやってしまうのだ!Youtubeで検索したら最近のレニーのライブが出てきた。ライブの音は、アルバムとはまた違ったハイパーなサウンド。特に、今回のツアーから加わった女性ベーシストはタダ者ではない!
会場は東京ドームシティホール。あんな小さな会場でこんなド迫力サウンドが聴けるなんて、もう楽しみで楽しみでしょうがない!早く来い来い、レニーちゃん!(笑)

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2012年3月18日 (日)

瀕死の双六問屋 完全版 / 忌野清志郎

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この本に書かれているエッセイは、もともとは90年代後半に雑誌TV Bros.に連載されていたもの。2000年にCD付きで単行本化されたのだが、それは数年で絶版になってしまう。その後、清志郎の病気療養後の復活に併せて2007年に文庫化されたんだけど、そこにはCDが付いておらず、今年の2月になってやっとCD付きで単行本が再版されることになった。表紙も漫画家の浦澤直樹が書き直し、これまで未収録だった原稿が10篇以上も挿入されたから、前のバージョンを持っている人でも購入する価値は十分あるんじゃないかな。これが文字通りの完全版。僕はほんとは一番最初の単行本の表紙が一番好きなんだけどね…。

清志郎関連の書籍はたくさんある。だけど、僕にとって「双六問屋」は、「ロックで独立する方法」と共に、他とは一線を画すものだ。それは、ここでの清志郎はかなり本音に近い思いを吐露しているように感じられるから。いつものようにユーモアと比喩でオブラートに包んではいるが、社会の不条理と業界の理不尽さに対してかなりストレートに毒を吐いているように感じる。
こうなったのは、清志郎自身があとがきで暴露しているとおりだ。ぶっちゃけた話、他の本はゴーストライターやインタビューおこしで書かれたものがほとんどなのだが、「双六問屋」に関しては、すべて清志郎が自分で書いたと発言している。要するに、ここに書かれた文章は当時の清志郎の頭の中そのものなのだ。

完全版が出たのに際し、数年ぶりにまた読み返してみたのだが、読んだ当初のインパクトは全く色褪せてなかった。君が代、憲法、自殺問題、アルバム発禁、音楽業界の馬鹿さ加減…。一見とっちらかって見えるテーマの文章は、読み進むうちに不思議な整合性を持って頭の中を駆け回る。かつて清志郎は、この本を“サイケデリック・ノベル”とかなんとか言ってたけど、ほんとにそんな感じだ。
取り上げられる音楽も、R&Bのマスターピースから、当時売り出し中の若手まで幅広く、それをエッセイの中にネタとして仕込んであるってのもなかなか凄い。

解説の町田康も指摘してるんだけど、もう10年以上前に書かれたものなのに、今に至るこの国のぶざまな有り様を予言しているような部分もあちこちに見受けられる。
あれから僕らは立場に関係なく崖っぷちに追い込まれてしまった。四十一話にあるような、不寛容な態度、ユーモアの欠如は、いまや国全体を覆っている空気そのものではないか。
オレは夜中にこれを読んじゃって後悔したよ…。読んでると、なんだか清志郎に首根っこを掴まれてるような錯覚に陥るのだ。何やってんだろう、オレたちは…。頭の芯が冴え渡っちゃって眠れやしない(苦笑)。

まだ未読の人は是非どうぞ。
いまや「双六問屋」は「瀕死」だ。

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2012年3月11日 (日)

3時間44分56秒。

すげーっ!安田美沙子、ほんとにやっちまった!
名古屋女子マラソン、彼女は3時間44分56秒で帰ってきた。出走前に言っていた、3時間45分切りを見事果たしたわけだ。このタイムは、市民ランナーの間では“サブ3.5”(3時間50分を切ったこと)と呼ばれるもので、どこに出しても恥ずかしくない立派な記録。
いやあ~ほんとにすごい、この子は!あんなはんなりした女の子の何処にこれだけの根性が宿ってるんだろう…。

このレースは、トップランナーの走りも見応えがあった。
野口みずき、渋井陽子、尾崎好美、赤羽有子、加納由理、中里麗美…。ロンドンオリンピックへの切符をかけての激走は最終的に尾崎が制したが、僕は野口の走りに胸を打たれたなあ…。アテネオリンピックの金メダリストも、ここ最近は故障の連続だった。4年4か月ぶりの出走となったこのレース、彼女の胸にはいろんな想いが溢れてはちきれそうだったんだろう。時にペースメーカーの前に出てしまうほどの攻めの走り。中盤で失速するも、驚異的な追い上げでまた先頭集団に追い付くド根性を見せてくれた。あまりの暴走ぶりにハラハラしながら見ていたが、ついに35Km手前で力尽き、優勝争いから脱落した。

でも、今回のレースを動かしたのは間違いなく野口だ。東京マラソンでのゲブレシアシエもそうだったけど、先頭集団の後ろから様子を伺うような展開は、金メダリストとしてのプライドが許さなかったんだろう。チャンピオンとして序盤から堂々とトップを走り、仕掛け、壮絶に散った。感動したなあ…。野口、まだまだやれると思う。

尾崎に関しては、こういってはなんだけど、ちょっと無難にまとめすぎたような気がしないでもないなあ…。意地悪な見方をすると、彼女はこのレース、代表の切符を確実に手に入れるために、リスクを犯して総合優勝を狙うよりも、無理をせずに日本人一位でいいと思って走っていたような気がする。今回はそれでいいのかもしれない。でも、ロンドンではもっともっと攻めて欲しい。彼女の潜在能力はこんなものではないはずなんだから…。

いやあ~見応えあった。名古屋女子マラソン。この日、トップランナーと同じコースを走れた市民ランナーは幸せだと思う。オレが女子だったら絶対出てみたい、このレース(笑)。
聞くところによれば、道端ジェシカも走って、4時間30分台で完走したとか。初マラソンでこのタイムは立派。っていうか、まごまごしてると僕も抜かされちゃうぞ(苦笑)。
うーん、走る女は美しい…。

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