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甘いものが食べたくなった一日

今日も仕事は授業料減免関連でてんやわんやだった。
様々な家庭状況で申請してくる方々が果たして条件に合っているのか、明確な定義があれば良いのだが、これがなかなか複雑。
特に個人事業主の場合は、収入と経費が月毎にはっきり算定されていないケースが多く、こちらにも税法の知識がないゆえ、根拠資料に何を揃えてもらえばいいのか説明に行き詰まり、歯がゆい思いをする場面も多々。支給された金額の何を所得に含めるかによって申請できなくなる方もいるかと思うと、付け焼き刃で事務を行なっている事が恐ろしくさえある。
明後日が締め切りだが、思ったほど申請数がないのも不気味だ。これは最終日にどっと応募があるという暗示なのだろうか?

今日はなんだか甘いものが無性に食べたくなってしまい、仕事中にもお菓子をぽりぽり。帰宅途中にもクッキーを買って帰ってしまう有様。頭を使うと糖分が欲しくなるというが、無い頭でも如実にそれが現れたことに我ながら呆れてしまう。

うちに着くと、今日仕事休みの妻がシチューを作って待っていてくれ、ようやくほっと一息つく事ができた。まだまだ暑い日もあるが、熱々の食事を汗をかかずに食べられる季節になったのかとしみじみ感じる。

このところ忙しくてネットにもあまり目を通していない。
本を読む気にもなれずに10時半ごろ就寝。

2020年9月14日 (月)

菅新総裁

涼しい朝。上着を羽織って来ればよかったかなと思いつつ、御茶ノ水駅のホームに並ぶ。

今日も仕事は授業料減免関係が主。週末のメールは、予想に反して問い合わせはなかったが、やはり主たる生計維持者の所得の見積や公的支援の証明書など、申請の際の書類が複雑でこちらも頭を抱えることになる。明日、第一回の会議があるので、その為の資料に何が必要か考えていかなくてはならない。

自民党の次の総裁はやはり菅さんに。奥歯に物が挟まったような言い方でのらりくらりと話をする人だが、総裁候補になるに伴ってモードが切り替わってきた印象。9時のNHKニュースを見ていたら、コロナの主たる感染元はキャバクラやホストクラブとはっきり言い切っていて驚いてしまった。一議員ならいざ知らず、総理の発言としての業界への影響力を考えると、これはかなり不用意な発言ではないかと思う。
恐らく、菅さんは元々自分が総理の器だとは思ってなかったのではないだろうか?それが周りに神輿を担がれて急にやる気になり、今は言葉が上滑りになっている印象。
しかし、内外に問題山積で待った無しの今、こんな事で大丈夫なんだろうか?正直とても不安だ。

福島県出身で密かに応援していた女優さんの悲しい死もあり、今日はなんだか気持ちが落ち着かない一日となった。

2020年9月13日 (日)

長男からのお祝い

7時半起床。朝食はミスタードーナツにしようということになり、家のすぐそばの店舗に家族3人で繰り出す。ミスドの陳列棚も、コロナ禍以降は感染防止のためにガラスケースが使われるようになった。個人経営のパン屋さんなどもラップでパンを覆ったりと様々な対策を講じているようだが、これはきっとコロナ収束後も元に戻らないんだろうな、きっと。

10時にはジムに入って週末恒例のサーキット・トレーニング。ところが、今日はマシンの調子が悪く、うまく起動しないこと数回。wifiの接続が悪かったことが原因らしく、これまでもたびたび起こっていたそうだが、自分が行ってる最中に起きたのは初めての事でやや気分を削がれる。

お昼は、長男が数日遅れの誕生日祝いをしてくれるということで、気になっていた根津のイタリアンをリクエストした。
パスタにスープ、サラダ、それに食前・食後の飲み物がついて1,300円。なかなかコスパが良くパスタも美味しい。特に、ランチセットで最初から食前・食後に飲み物がついているってのは、なかなか珍しいと思う。時間を気にせずゆっくりと食事を楽しんでほしいという考えなのだろうか?
少し店内のBGMが五月蝿いのが気になったが、若いお客さんにはこのぐらいでも良いのかもしれない。リゾットもなかなか美味しそうで、ぜひ近いうちに再訪したいと思った。ご馳走さまでした。

午後は2ヶ月ぶりに髪を切りに。男性美容師さんが一人でやっている、いつも行くお店。
近況を話しているうちに、コロナウイルスに対する国の対応にお互いの不満が噴出。店主さんとは音楽の話などでも盛り上がれるのだが、このところはこういう話になることが多い。

夜はテレビを見ながらダラダラと過ごし、寝る前にブレイディみかこさんの本を読む。ザ・スミスのモリッシーを取り上げたものなのだが、これは傑作。もう一度読み込もうと思う。
10時半ごろ瞼が重くなり、就寝。

2020年9月12日 (土)

久しぶりにマック

7時半起床。今日は比較的涼しいが、時折雨が吹き付けて湿度が高く、外に出るとかなり不快感。

10時にはジムに飛び込んでサーキットトレーニングを一時間行うが、かなり汗をかいて疲労感を覚えた。
ただ、今日初めて使ってみたアンダーアーマーのスポーツ用マスクが思いのほか快適。後半、顔の汗が染み込んでくると流石に息苦しくなるが、それでも紙マスクよりはだいぶましだ。こんなことならもっと早く使ってみれば良かった…。

お昼は久しぶりにマクドナルドのハンバーガーを食べたいということで妻と意見が一致し、息子が高校から帰ってくる時間に合わせて、西日暮里のマックに僕が品物を取りに行くことになった。店での3密を避けるためか、今はスマホのアプリでオーダーが可能で、我が家では初めて試すが、クーポンと組み合わせるやり方にちょっとミスがあり、ポテトがひとつ足りなくなってしまった。
それにしても、マックは一頃と比べてだいぶ小さくなったと感じる。息子の好きなダブルチーズバーガーなんて、自分が学生の頃はこの2回りぐらいあった様に思うのだが…。

午後は医者に行ったり、クリーニングを出したり、細々と用をこなし、夜は寿司を買い込んで食す。
テレビはどこもつまらない番組しかやっていない。9時からテレ東で「アド街ック天国」が始まってようやく面白いと思えるように。今日のアド街は本所吾妻橋。近いのになかなか行かないエリア。同じ下町ということでこの辺りとも共通する風情を感じるが、やはりエリアが広いだけに、見るべき場所も多い様に感じた。
ご多分にもれず、このエリアもインバウンドを当て込んで作ったお店がたくさんあるが、そんな所より、昔から残ってる路地の小さなお店の方がずっと魅力的に映るのは、僕が昭和世代だからだろうか…。

夜はYouTubeで動画を見ながら11時ごろ就寝。

2020年9月11日 (金)

マーシーとおにぎり

長かった夏もそろそろ終わりかな、と思っていたのもつかの間。今朝は蒸し暑い。駅から仕事場へはなるべくバスに乗らず、歩くようにしているのだが、さすがに今日は日陰を選んでそろそろ歩く。

仕事はコロナ禍における授業料免除申請書の確認や、新入生オリエンテーションのための資料作り。ほとんどパソコン仕事で、黙々とディプレイと睨めっこ。

6時ごろ仕事を切り上げ、帰宅時の電車の中では、FBフレンドのMさんが紹介していた伊集院のラジオ番組のアーカイブをYouTubeで。彼の番組内のコーナー「俺の五つ星」にクロマニヨンズが出演した時のもので、マーシーが思い出の食べ物として挙げていた、花小金井「サクランボ」のおにぎりのその後を追い掛けたもの。
40年以上も前の店で、ラジオで情報提供を呼びかけるだけでなく、スタッフが花小金井まで飛んだ渾身の追跡。最後は、マーシーが思わず本気の涙を流してしまうという展開で、聞いてるこちらもホロリとしてしまうものだった。
食べ物の記憶ってのは、一瞬で在りし日の風景や当時の心のあり様まで蘇らせてしまう、深海に沈んだ宝石の様なものなんだなあとしみじみ思った。

今日もチャランポランタンの姉妹コントの様な動画を見て、10時半ごろ就寝。

2020年9月 9日 (水)

55回目の誕生日

今日の仕事は、授業料減免に関する基準で国から示された条件に変更があり、午前中はその対応に追われる。
この変更は学生にとっては選択肢を絞られるものだし、これで申請できると答えてしまった学生が数名いるので、非常に不利益を与えることになり、事務としては大変に不合理な思いがする。いっそのこと国の基準が変わったから、と言ってしまえばどうかと思うのだが、国は「補助はするが、運用するのは各学校」という絶妙なスタンスで火の粉が被らないようにしているのがなんとも…。こんな時、資金力のある学校なら、資金を持ち出して対応できるのだろうが、うちのようなところはなかなか…。

帰宅すると、妻は外出していたが、誕生日ということでケーキが用意してあった。トップスのチョコレートケーキ。もはや、昭和の懐かしモノになりつつあるが、僕はこのベタな甘さと昔ながらのケーキ生地が好きだ。つい食べ過ぎてしまう。

いつもより早く、8時ごろ薬を飲んで風呂に入るとすぐに眠くなり、9時半には寝てしまった。

2020年9月 8日 (火)

蝉が鳴かなくなった

先週末の台風が過ぎてからというもの、蝉の声を全く聞かなくなった。代わりに夕方過ぎからは青松虫の鳴き声がよく聞かれるように。

例年のこととはいえ、この時期の急な季節の切り替わりには驚くばかり。思えば、故郷の秋の訪れは、もう少し緩やかだったような気がする。東京の秋は短い。それだけに、この季節が妙に愛おしくなったりもする。

今月下旬には、数日だけだがようやく新入生をキャンパスに入れることになった。今日の仕事は、そのオリエンテーションに使用する名簿作りに殆どを費やす。当日の現場では色々予期せぬことも起きるだろうが、まずは正確な名簿作りに尽力したい。

仕事帰りは、吉祥寺に寄ってお店に取り置きしてもらったカメラのレンズを引き取りに行く。
実は、コロナ自粛期間中にカメラを一台買ったのだが、これが終の一台になりそうな予感もするほど気に入っていて、ちょっと本腰入れて写真をやりたくなってしまったのだ。手に入れたレンズは、このカメラの持ち味である機動性をより生かしたものになりそうで、安価ながら画質の評判も良い。何よりも、最短焦点距離が短く実用的。中古だがかなり状態が良く、満足。早く使ってみたいものだ。

夜はYouTubeでチャランポランタンの動画を。姉の小春さんのやさぐれぶりが面白く、つい何本も見てしまう。11時ごろ就寝。

2020年9月 6日 (日)

改めてエゴラッピンの配信ライブ

7時起床。たっぷり八時間以上睡眠をとる。それでも日中まだ眠くなるが、身体の方はすこぶる調子が良い。

11時半ごろジムに入り、サーキットトレーニングを一時間。

帰ってきてからは、昨夜のエゴラッピン配信ライブを最初から見直す。
通してみると、改めて素晴らしいライブだと思った。バンドは初っ端からかなりテンション高く入ったので、これで最後まで持つのか?と心配したが、中野良恵の声はまったく衰えることがなく、バンド全体が最初から最後までとても情熱的だった。これはコロナ禍で予定されていたライブが中止になり、ミュージシャン全員がライブに飢えていたからに違いないと思う。

夕方から夜にかけては、台風情報をテレビで観ながら過ごす。九州・沖縄に被害が出ないことを祈りたい。
またしても「麒麟が来る」は放送中。つくづくついてない大河ドラマだ。

細海魚を聴きながら、11時ごろ就寝。

2020年9月 5日 (土)

音楽話をたっぷりと

7時起床。朝ご飯を食べて午前中ジムへ。今日は身体が重かったが、頑張ってマシンを一時間。

お昼は松戸から音楽友達のHさんが千駄木にいらっしゃり、半年ぶりにペチコートレーンで再会。音楽話や近況報告に話が弾む。
途中からKさんも加わってますます話が盛り上がり、結局3時間以上も長居してしまった。それにしても原さんは音楽に詳しい。CDやDVDもたくさん貸して貰って感謝、感謝だ。

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Hさん・Kさんともにキャンプも好きで、今日はその素晴らしさをいろいろ教えて貰った。自分は、本格的なキャンプは車が無いとできないものと思いこんでいたが、全然そんなことはないらしい。そもそも、キャンプというのは何かをしなければならないという訳ではなく、ただ火を見ているだけでも満足感が得られるという。なーるほど。僕は色々難しく考えすぎていたのかもしれないな…。キャンプ、かなり興味が出てきた。

夜はエゴラッピンの日比谷野音でのライブを配信で。夏の夜空に響くゴージャスなバンドサウンドに胸を踊らせる。特に、今回初めてバンドに加わった伊藤大地のドラムは凄まじかった。細野さんのバックで叩いている時の落ち着き払ったプレイとは別人のような激しさで、そのビートに煽られて中納良恵も森雅樹もぐんぐん加速していくのが手に取るように伝わってくる。これぞライブ!
MCで中納が言った「配信はアリだけどそれはそれ。やっぱり肌感覚でお客さんと感じ合えるライブが一番。配信慣れしないようにしたい」という言葉に大いに納得。聞き手のこちら側も配信慣れしてはいけないと思う。

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超大型の台風が近づいている。沖縄・九州への影響を心配しつつ、10時就寝。

2020年9月 3日 (木)

芋煮会

今日は暑い。昨日まで比較的涼しかっただけに、なおの事残暑が堪える。が、蝉の声は確実に少なくなっており、秋の始まりも感じる朝。

仕事は、一日授業料減免申請関係の書類フォーム作成。担当者同士話し合いながらフォームに修正を加えていくが、上層部のGOが出たのが6時半近く。幸いにして大きな修正指示は無し。この時期は妻も仕事が忙しく、今夜は予め帰りが遅くなると言われていたので、僕が夕食当番。ポータルサイトへのアップは担当パートナーにお任せして一足先に職場を出る。

帰りはスーパーに寄って食材を調達。思ったより遅くなってしまったので、調理はアスパラガスと蛸のオリーブオイル炒めだけに留め、それにカット野菜のサラダと、出来合いの合鴨のパストラミを加えた手抜き料理。
アスパラ&蛸は、にんにくと塩胡椒の割合が上手くいって息子からの評価も上々だったが、アスパラはもう旬を過ぎていたかな…。春先と比べれば自分的にはイマイチだった。

9時からは「秘密の県民ショー」を見る。今夜は東北6県の特集。東北の秋は芋煮会の季節だが、それぞれの県の違いが面白かった。
見ていた妻が一言。“最初あなたの実家に行って「イモニカイ」を聞いた時、何が何だか解らなかった”。確かにそうだ。東北以外の人間が、「イモニカイ」という言葉を聞いて、即「芋煮会」を連想する人は少ないだろうなあ。
東北は普段の味噌汁も具沢山で、特に根菜やキノコを入れることが多い。あまり具が入らない関西方面と比べればかなり違いがある。各県の芋煮にもその特徴が表れているなあと改めて感じた。

就寝のBGMは細海魚。11時ごろにおやすみなさい。


2020年9月 2日 (水)

ヤナギが切られた

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昨日、一昨日は比較的過ごしやすい朝だったが、今日は湿度が高く蒸し暑い。駅から職場まで徒歩で約15分、じっとりと汗ばむ。

僕の住むマンションの前の通りは、街路樹に柳が植えてあり、この季節は風に揺れる青葉が気に入っているのだが、先週剪定が入って枝をバッサリ払われてしまった。いやいや、枝どころか幹まで…。これでは風情も何もあったものではない。伸びっぱなしだと電線に掛かる危険があるのは理解できるが、もう少し見映えに気を配れなかっったのか。残念でならない。ヤナギは成長が早いというが、来年の春にどこまで回復しているか…。
電線に掛かるのが気がかりなら、いずれは架線を地中に埋める工事も行って欲しいものだ。年度末には、夜中にすごい音を立てて毎年のように道路をほじくり返しているのだから、その時になんとか出来ないものなのだろうか。

仕事の方は平穏に終わりそうだったが、夕方になって授業料免除の申請フォームを修正するようにとの指示が入る。が、これは細則が決まらないと作れない部分があり、概要を考えて明日に回すことに。

就寝前は今夜もミッチェル・フルーム。このピアノは1日の終わりによく合う。

2020年9月 1日 (火)

麒麟が帰ってきた

昨日と同様、今朝も涼しい。おかげで朝までたっぷり睡眠がとれた。
職場に着くと、今日も蝉が全く鳴いておらず、やっと夏の終わりが見えてきた感が。

仕事の方は9月3日から授業料減免の申請を受け付けるので、今はその準備でつかの間の谷間といったところか。
妻から帰りが遅くなりそうだとの連絡があり、こちらは適当なところで切り上げ、息子と二人分の夕食を買って7時ごろ帰宅。

夜は録画してあった大河ドラマ「麒麟が来る」を観る。コロナ禍で中断後、ようやく再開したわけだが、思えば今年の大河は、最初から出演女優の降板による取り直しなど、波乱含みだった。日曜日、再開を前にして主演の長谷川博巳がインタビューを受けていたが、やはり彼も最初は落ち込んでいたようだ。だが、やがてこの混迷の時代に、自分が明智光秀を演じる意味を考えるようになり、太平の世に来るという“麒麟”をコロナ禍の今と重ねるようになったらしい。そして、実はいつの世でも麒麟がやってくることはないんじゃないか。だが、そこに向かって汗を流す人々の努力こそが尊いのではないかというような事を語っていたのが心に残った。僕は特に長谷川博巳のファンではないが、座長としてこの難局にモチベーションを保つのはなかなか大変な事だろうと思う。そこで冷静に役を振り返っていられるのはなかなか大したものだと思った。
ドラマは桶狭間から4年後の設定で再開したが、なかなか面白く、今後の展開が楽しみだ。

今夜もミッチェル・フルームのピアノを聴きながら。今は夜の9時半。もうしばらく聞き込んで寝るとしようか。

2020年8月31日 (月)

8月最後の月曜日

6時起床。今日の朝食の味噌汁はワカメとモロヘイヤだった。実はモロヘイヤ、ちょっと苦手。でも、このネバネバが免疫力を高めるのだと言い聞かせて飲み込む。

今日は夕方から夜にかけて雨が降るかもしれないとの予報が。相変わらず湿度は高いが、確かに日差しは幾分弱め。職場に着くと、普段うるさいほど鳴いているセミの声が全く聞こえず、それはそれで不気味に感じた。ちょっとの天気の変化に季節の虫は敏感だ。

お昼、ネットのニュースを見ていると、高橋幸宏が脳腫瘍の手術を受けたとの報が。手術は無事成功したというが、場所が場所だし、今後の活動に影響が出ないか少し心配。そういえば、数年前には坂本龍一も癌を患っていたっけ。スポーツとは縁遠そうでヘビースモーカー、YMOの3人の中では一番年上で一番不健康そうな細野さんが一番元気ということか。いずれにしても、この3人は僕が思春期に最も影響を受けた人たち。まだまだ元気で作品を作り続けてくれることを切に願う。

帰りは吉祥寺で用を済ませて7時半ごろ帰宅。夕飯はキーマカレー。少しご飯を食べ過ぎた気もするが、昼食は鳥のささみサラダと野菜ジュースのみだったから、プラスマイナスゼロということにしておく。

ミッチェル・フルームのピアノを聞きながら11時ごろ就寝。

2020年8月30日 (日)

大坂まゆみさん

音楽をはじめとする様々な表現に敏感な人は、イコール他者に対する想像力・共感力が強い人だと僕は思う。
時としてソングライターは、自分の生きる場所とは全く異なる世界を歌う事があるが、感受性豊かな聞き手なら、歌と自分との距離を想像と共感で縮め、それを「自分事」として受け止める事が出来る。それこそが芸術や表現の持つ素晴らしさ。想像力こそは人間が神から与えられた最も素晴らしい力の一つなのではないだろうか。逆の言い方をすれば、ジョン・レノンが「IMAGINE」を歌う事が出来たのは、彼が人類の想像力と共感力を信頼していたからこそだと僕は思う。

大坂まゆみ選手が、自身の出自に関わる問題で、アメリカで起こっている事件に対し抗議の意思を示したことについて、賛否両論が起きた。またかという感じでうんざりだ。
これは「音楽に政治は持ち込むな」と同じ次元の話。一人のアスリートとしての彼女と、一人の黒人女性としての彼女は同一だ。そこに分断があるべきではないし、この「他人事」を「自分事」として引き寄せる力が正に想像力なのではないだろうか。

「彼女の考えには賛同するが、準決勝をボイコットしたことは理解できない」と言う意見を口にする人は、神が与えし想像力をもう少し働かせるべきだ。

2020年8月29日 (土)

ブログ再開

長い間ほったらかしにしていたブログだが、復活しようと思う。

また始めたいと思ったのにはいくつか理由があるのだけれど、一言で言えば、ただ純粋に自分のために文章を書いてみたいと思ったから。

この10年あまり、ブログやFacebook、Twitterなど様々なSNSが世に出て、僕もいろいろ手を出してきたけれど、どれもどこかで読み手の目を意識したものになっていたように思う。そう言うのはそろそろ良いのではないかと感じ始めた。かっこつけずにもっと自分に素直な文を書きたい。残したい。そう思う。

それと、できる限り毎日書き続けることを自身に課したい。お題はシリアスなことでも、くだらないことでも、何でも構わない。どうせ読み手の目は気にしなくて良いのだから。但し、素直であること、かっこつけないことだけは守って…。そんな極私的日記を書きたいと思う。

あるミュージシャンが、自分の子供のために毎日弁当を作り、それを記録のためにInstagramにあげていたことがある。最初は自分の記録として始めたことだったが、続けていくうちにそれはストーリを持ち始め、やがて一冊の本に纏まって大きな意味のあるものとなった。そう、続けることはそれだけで意味のある何かになる事がある。

今を素直に書く。ただそれだけ。でも、書くことで何処かに辿り着くかもしれない。いやいや、辿り着けなくたって構わない。書き続けていれば、書き続けたという事実が残るんだから。そんな轍だけでいいな、今は。

ポール・サイモンの「時の流れに」を聴きながら、今は夜の10時。

2018年11月18日 (日)

【CHABO SOLO ACTION The Moon Struck One 2018年11月17日(土)東京・南青山MANDALA】

難しい時期のライブ。正直、なんでこんな時に…と、CHABOもファンも複雑な思いでこの日を迎えたはず。ただ、2009年の5月もそうだったけど、このデリケートな夜が気心しれた南青山MANDALAでのライブだったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。

僕も少し沈んだ気持ちで開演を待っていたのだけれど、出てきたCHABOは思ったよりリラックスして見えた。2009年5月は開演前に賛美歌が流れ、最初はサングラス姿だったことと比べれば、いつも通りといっても良いぐらい。まずはほっとした。
CHABOは、この秋すでに水戸と長野で“The Moon Struck One”と称したライブを演っており、東京でのこれを含めて一本の短いツアーのような気持ちでいたようだ。
なかなか行けない地方のライブでは、待っていたファンの為にRCナンバーも「君ぼく」や「雨上がり」、「いいことばかり」や「上を向いて歩こう」などのど真ん中の曲を演ったらしいけど、この夜選ばれたのは「よそ者」と「たとえばこんなラヴ・ソング」の2曲。聞くところによると、カバー曲もかなり入れ替えていたらしく、こういうところにもCHABOの演者としての誠実さが感じられる。
この夜、一番印象に残ったカバーは、初めて聴いたヴィレッジ・ストンパーズの「 ワシントン広場の夜はふけて」。子供の頃にダーク・ダックスが歌ってたのを何処かで聞いたことがあるけど、こんな曲をカバーしても様になってしまうロックギタリストなんて、日本ではCHABOだけだろう。
個人的には、「糧」や「スケッチN.Y. '98」、「Holiday」などが選ばれたことで、90年台後半頃のソロライブみたいなフィーリングを感じた。
それと、最近のCHABOのライブでは、アップテンポのナンバーはオリジナルよりもむしろカバーで弾みをつける傾向があると感じていたんだけど、この日もそうでマンフレッド・マンの「Sha La La」やストーンズの「Last Time」では手拍子や観客とのコーラスもあった。ライブ中で一番アップテンポのナンバーは、もしかしたらチャック・ベリーのカバー「Memphis, Tennessee」だったかも。
特筆すべきエピソードとして、この日はステージ最前の席にお父さんに連れられた中学生がいて熱心にステージを見ていたようで、CHABOがライブ中何度も話し掛けていたのが微笑ましかった。男の子が大好きなCHABOさん。彼がいたおかげで「R&R  tonight」はまた違った意味を持って歌うことができたのではないだろうか?何度も“サンキュー・ボーイ”と言っていたけど、この少年のおかげでライブ全体の雰囲気もだいぶ和やかになったように思われ、僕も少年とお父さんに感謝したい気持ちだ。
ビートルズ・カバーは、地方では「ハードデイズ・ナイト」だったらしいけど、この日は「ロング・アンド・ワインディング・ロード」。もしかしたら、この曲が一番辛い出来事への気持ちを投影していたかもしれない。日本語詞は清志郎に当てたものだろうけど、この夜はそれが片山さんの事を歌っていたに聞こえて…。
やや渋目の選曲ではあったけど、このところあまり歌っていなかったオリジナルとルーツが垣間見れるカバーを組み合わせ、とても見応えのある練り上げられたライブだった。
片山さんの話が直に語られることはなかったけど、解る人には解っていたはず。冒頭にポエトリー・リーディングを挟んだのは片山さんに向けての鎮魂だろうし、アンコール最後に「プレゼント」を演ったのは、戦友たちがいなくなっても、僕らは淡々と明日を生きていこうというCHABOの僕らに対するメッセージだったと思っている。
それでも、鎮魂を込めつつあくまでポジティブなフィーリングを失わない2時間半だった。久しぶりに聴いた「唄」は沁みたなあ…。どんなことがあっても言葉を紡ぐこと、歌うことを止めないCHABOさんの決意表明にも思え、失礼を承知で言うけど、CHABO さんつくづくプロだなぁ〜って思った夜でもありました。 #CHABO #仲井戸麗市 #仲井戸CHABO麗市 #南青山MANDALA

2018年11月17日 (土)

エイサーとじゃんがら念仏踊り

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「沖縄の伝統芸能エイサーの起源は、福島県いわきに伝わるじゃんがら念仏踊りであるー」。この話を初めて聞いたのは、数年前にSNSでお付き合いさせていただいているいわきのライブハウスSONICの社長、関さんにお会いした時だった。なんでも、いわき出身の浄土宗のお坊さん袋中上人が、仏教を勉強しに中国(当時の明)に渡ろうとしたが、何故か琉球に流れ着き、そのままそこに滞在して布教した際に念仏踊りを伝えたのが始まりなんだとか。

そして、先月いわきを訪れた際、地元ご出身のFBフレンド村田さんのご案内で、袋中上人の菩提寺である能満寺を訪れることができ、この話がますますリアリティを持って感じられるようになってきた。

実は、今年の春に沖縄の桜坂劇場のプロデューサー野田さんにお会いした時にも、エイサーとじゃんがらの話を何気なくしてみたところ、この話をよくご存知でびっくりしたことがある。いや、びっくりしたというより福島県出身の僕にとっては、ある種の衝撃だったのだ。だってこんんな話は福島ではほとんど知られていない。もともと僕の故郷福島市といわき市は中通りと浜通りで地域が異なり、文化もかなり違うのだが、おそらくいわきでもエイサーとじゃんがらが繋がってるなんてことを知ってる人はあまりいないだろう。

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福島県人として、この謎のお坊さんをもっと知っておかなければ…。そんな気がして買い求めたのがこの本。

いやあ、読んでみてまたまたびっくり。袋中上人は僕が思っていた以上の高僧だった。

この人、修行のために3回も明に渡ろうとしている。いずれも失敗しているのだが、それも当たり前。折しも彼が渡明しようとしていた1600年頃は、豊臣秀吉が朝鮮出兵を繰り返して諸国との関係が悪化していた安土桃山時代。そんな時に明に行こうとするなんて、よっぽど強い意志がなければできないだろう。

琉球に流れついた袋中さんは、琉球政府の高官である馬幸明にいたく気に入られ、琉球の歴史を記した本の編纂を懇願されて『琉球神道記』という大著を残している。晩年は京都に住んで布教に勤しみ、彼が復興したお寺の数々は今も残っている…。

当然だけど、安土桃山の頃の琉球は外国だ。琉球王国は中間貿易で大変な活況を呈していたというが、そこにみちのく人が一人で降り立ち、多くの民衆が帰依する信仰を起ち上げたっていうのは痛快だ。少なくとも、内弁慶と言われがちな現代の東北人とは全く違うキャラ。

だけど、このバイタリティー、新しいものに飛び込んでいく柔軟さは、今のいわきの地にも流れているような気がする。最近思うのだけれど、福島は会津・中通り・浜通りの3地方でかなり住んでる人の気質が違う。理由はわからないが、浜通りの人は三地方の中で一番新しいものに対する抵抗が薄いような気がするのだ。たとえば、常磐ハワイアンセンターのような施設は、僕の育った福島市では考えられなかったと思う。

沖縄では袋中上人の名前は有名で、2003年には渡琉400年でいろいろな催しが開かれたらしい。3.11後に浜通りから多くの人が離れた時も、移住先に沖縄を選んだ人がかなり多いと聞いた。音楽の現場では、沖縄と福島はASYLUM in Fukushimaというイベントで繋がっている。そういう見方をすれば、袋中上人の結んだ沖縄と福島の縁は今でも続いてると言えるのかもしれない。

福島、わが故郷。でも、知らないことがいっぱいあるなあ…。ちょっと福島の郷土史に興味が出てきている。

2018年11月 4日 (日)

「線量計と奥の細道」ドリアン助川 著

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ドリアン助川 著「線量計と奥の細道」を読み終えた。2012年の8月から11月まで松尾芭蕉の旅した#奥の細道 を自転車で走破した記録。

全編にわたってドリアンさんの戸惑い、逡巡、葛藤が伺われるのが心に残った。震災直後、僕も自転車で故郷の町を巡ったことがあるが、その時も線量計を使うのがだんだん苦痛になってきたのを思い出した。真実を知りたいという気持ちで線量計を持ってきたのに、目の前の美しい故郷の風景と裏腹に出てくる数字という現実を受け入れるのは、思っていた以上に痛みを伴う行為だった。どんな数値が出ようと、そこで暮らしている人が現実にいる。そこでよそ者の僕が簡単に危険と言い切ってしまっていいのか。最後の方はもう計器を握り潰したくなった。

この本が出たのは今年の7月。今の時点で当時を振り返ったあとがきが読ませる。震災直後はあれほどSNSを賑わせていた原発事故関連の記事は、今は数えるほどしか見なくなった。僕も含めてみんな忘れようとしている。でも、かの地では痛みを感じながらも、これを後世に伝えていこうとしている人たちがたくさんいるのだ。

ドリアンさん、もし震災前に奥の細道を旅していたら、どんな紀行文を書いたんだろう。きっと、もっと芭蕉の心情に寄り添った、これとは全く異なるものを書いていたに違いない。

故郷の町を流れる阿武隈川には、震災後も変わらず白鳥が飛来する。その美しい姿を見ながら、でも彼らの身体にはどのぐらいの放射性物質が沈殿しているのだろうかなどと考えてしまう自分が哀しい。僕らはもう2011311日以前とは違った世界を生きていて、もう二度と芭蕉の暮らした世界には戻れないのだ。

2013年7月26日 (金)

【映画】「サウンド・シティ‐リアル・トゥ・リール」

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フーファイのデイヴ・グロールが作った映画「サウンド・シティ‐リアル・トゥ・リール」、ようやく観ました。
一言でいうと、これはデイヴが全力でアナログ万歳!ローファイ万歳!バンド万歳!って叫んでる映画だな(笑)。宅録野郎には響かないかもしれないけど、僕みたいなロックおやぢにはけっこう効きました。

オレ、これ観て、ああ自分は幸運な世代だったんだなあ~ってつくづく思いました。それは、僕らはレコードの溝に刻まれたアナログな音のマジックを経験することに何とか間に合ったからです。今はコンピュータ一台でどんな音でも出来てしまう時代。そんなデジタル化のあおりを受けて、アメリカでもアナログなスタジオは軒並みツブれてる状態らしいんです。
この映画の舞台、LAの「サウンド・シティ」も例外ではなく、ニール・ヤングの「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」やフリートウッド・マックの1stなど多くの名盤が製作された伝説の場所であるにも関わらず、2011年に止むなく閉鎖。それを知った熱血漢デイヴは、自分が出資してスタジオを買い取っちゃいました。そして、ここと縁のあるミュージシャンたちを集め、大セッション大会を敢行。その様子を収めたのがこの映画ってわけです。

ニール・ヤング、トム・ペティ、リック・スプリングフィールド、スティービー・ニックス、リンジー・バッキンガム、トレント・レズナー、リック・ニールセン…。豪華なミュージシャンが次々に出てきてセッションを繰り広げ、「サウンド・シティ」での思い出を語ります。これだけでロックファンにはたまりません。プロデューサーのリック・ルーヴィンなんかも登場。この人、レッチリとかプロデュースしてるから、バリバリにロックした人だと思ってたんだけど、実際は仙人みたいな風貌で物静かに話す人物だったので拍子抜け(苦笑)。

これ見てると、当たり前の話かもしれないけど、僕が欲してるのは「音楽データ」なんかじゃなくて、人の手を介した「音楽」なんだな~って気が付きました。極端なことを言ってしまえば、レコーディングの現場においては、ミュージシャン同士で音を交わしたり、プロデューサーと音楽上のコミュニケーションを繰り返すことだけではなく、そのスタジオに漂う空気感とか、受け付けのおねーちゃんと合間に交わす言葉とかだって音楽の大事な要素になってるんだよね。独りで部屋に籠って作るんではなく、スタジオで大勢の人が関わり合いながら時間をかけて音楽を作る…。そのことが、数値には表れないけど大切な「何か」をテープに残すんだと思う。その得体のしれない「何か」こそ、良い音楽のキモなんではないかと、今さらながらに思うのであります。

デイヴ・グロールの心意気にもリスペクト。この人にとって「サウンド・シティ」ってのは、ニルヴァーナ時代に「ネヴァー・マインド」を録音した大切な場所なんだよね。それにしたって、わざわざ買い取ったりはしないでしょう、普通。彼もアナログの機材の良さとスタジオでのマジックを信じ続けているミュージシャンなんでしょうね。世代を超えた大物たちがたくさん集まったのも、彼の真摯なミュージシャンシップに共鳴したからなんだろう。なにしろ、ポール・マッカートニーまで来ちゃったぐらいだから(今気が付いたんだけど、ポールってサウンド・シティと関係あるのかなあ?(苦笑))。
曲は骨組みをデイヴが作ってきて、それをスタジオセッションで膨らませていったみたい。このセッション風景も面白い。ナイン・インチ・ネイルズとかレイジ・アゲインスト・マシーンのメンバーなんかとは、世代が近いから手が合うのはわかるけど、リック・スプリングフィールドなんかとも意外なぐらいしっくりいっちゃうのだ。もともとリックってセンスのいいロックギターを弾く人だから、デイヴと手合せすることで彼のハードロッキンな部分がうまく引き出されたんだと思います。ポール・マッカートニーも、フーファイっぽい曲を自分の色を加えてうまく作りこんでいく過程が記録されてて、さすが。うーん、コレはサントラも買わんといかんな。

何か月か前に、山口洋や渡辺圭一もブログでベタ褒めしてましたが、とにかく、この映画は今の40代ぐらいの音楽ファンなら絶対ぐっとくるはず。もちろん、今の配信音源に馴れた若い子たちも是非!

2013年7月 8日 (月)

音楽配信はどこへ向かう? アップル、ソニー、グーグルの先へ…ユーザーオリエンテッドな音楽配信ビジネスとは?/小野島 大(著)

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雑誌『ミュージックマガジン』の連載「配信おじさん」の書籍化。著者の小野島さんは「フィッシュマンズ全書」の著者で、FBフレンドになっていただいてる方です。

この本は、配信が中心となりつつある今の状況におろおろしてる僕みたいな音楽おぢさんが、現状を俯瞰するのには最適のテキストかもしれません(苦笑)。今さら言うまでもないことですが、CDの売り上げは年々減っています。90年代みたいに多彩な音楽のCDがメガセールスを記録するような時代は2度と来ないでしょう。じゃあ、減った分だけ配信に流れていってるかというとそうではないんだよね。音楽を聴く分母そのものがどんどん減っていってるんです。21世紀は音楽が生活の中で占める割合がどんどん低くなってる時代。
そんな中、ネット配信ってのは音楽復興のための命綱になれるはず。それはみんな何となくわかってるんだけど、なかなかそっちに踏み込めない。CDに馴染んできた旧来の音楽ファンは、配信というカタチのないモノを購入する行為がどうにも肌に馴染まないし、業界内でも既得権益を守ろうとする人達がいたり、日本独自の著作権の壁があったりでなかなか思い通りに事が進まない。そんなこんなでもたもたしてるうちに、ますます音楽離れは進んでいく…。この10年ぐらいは、そんな流れがずーっと続いてるんじゃないでしょうか?
だいたい、一口にダウンロードサイトって言ったって、itunesやらmoraやらdiscasやらいろいろあって、どれが良いんだかさっぱりわかんないよね。そうなると、オレみたいなおっさんは気が短いから“あ~っ!”ってなって、AmazonでCD買えばイイや!ってことになっちゃう(苦笑)。で、袋が赤黒の某ショップなんかに行くと、同世代ぐらいの音楽ファンがいっぱいいるから何となく安心しちゃって、ネット配信はとりあえず様子見でいいや…(苦笑)。そんなところで止まってる同世代はきっと多いと思う。

でも、最近僕はもうちょっと配信に関して現状を知っとかなきゃヤバイんじゃないかってことも思い始めてるんです。だって、好む好まざるに関わらず、今後音楽をユーザーに届けるデバイスが配信主体になっていくことは疑いようがないわけでしょ?音楽おぢさんとしては、その中から肯定的な材料を見つけ、自分自身も少しずつ変わっていくしかないと思うんですよ。これまでにコレクションした莫大な量のCDを聴くだけでも人生は楽しく暮らせるかもしれないけど、やっぱり好きなバンドの新譜も聴きたい。だったら、アーティストが心置きなくスタジオアルバムをリリースできる環境を維持していくために、配信も受け入れていかないと。下手すりゃ、音楽音源販売という文化形態自体が絶滅しちゃうかもしれない話ですからね…。
オレ、この本の中で物凄くショックな記述を見つけちゃった。最近のドナルド・フェイゲンの発言なんだけど「今、自分の収入の大半はライブ活動によるもの。スタジオ音源だけでは食っていけない」。あのスティーリー・ダンがですよ。あれほど緻密なスタジオ音源を作るドナルド・フェイゲンがですよ!今、日本でもライブは人が入るけどCDが売れないっていう状況になってますが、アメリカは日本以上に深刻なのかもしれません。

この本に書かれてるのは、音楽のネット配信に関して2008年から2013年の5年間に起きた出来事。僅か5年。でも、この短い間にも状況は激変してんだよね。まずはそれに驚いちゃう。渋谷のHMVがツブれたことや、ナップスターだ、着うただってのも既に懐かしい言葉になってるもんなあ(苦笑)。実際、この落ち着きのなさがデジモノに弱い僕に二の足を踏ませてたところがあります。ハイレゾ音源の配信とか言ったって、それを再生できる機材をそろえなきゃ話にならないし…。ただ、定額制で一曲当たりの単価を下げたサービス形態とかが普及してくれば、新しい音楽との出会いが増えそうで面白くなりそうな予感はします。
後はあれだな。僕自身の意識下にあるモノ信仰を払拭しなければならない。実はコレが一番問題(笑)。僕ら世代にはそういう人が多いと思うけど、音楽をものとして持っていたい気持ちにはなかなか抗えない。CDとかヴァイナルとか“モノ”としてちゃんとカタチがあり、それにはちゃんとジャケットと歌詞カードが付いて、曲のクレジットもきちんと記載されてる。そういうものを所有するのが“音楽を買う”ということだっていう気持ちから抜け出すこと。これができそうでなかなかできない…(苦笑)。

ただ、そういう気持ちも最近変わりつつある。僕は音楽以外に本もたくさん読むんだけど、最近、電子書籍も案外いいなあって感じてるんです。装丁とかを愛でる感覚はないけど、それもすぐに馴れたし、当たり前だけど読後感は変わりません。印刷代がかからないせいか、電子版の方が紙より価格が安いことも多いし、何よりも場所をとらないのがありがたい。考えてみたら良いことづくめのような気がするんですよね。
タネあかしをするとすると、この本も配信のみの出版なんです。音楽と本では違うけど、こういうカタチで電子配信に慣れていってほしいって言う小野島さんの作戦なのかな、これ?(笑)

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