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2009年8月25日 (火)

Dreams to Remember 清志郎が教えてくれたこと / 今井智子(著) おおくぼひさこ(写真)

News_large_kiyoshiro_dream_to_rem_2この本はフリーの音楽ライターである著者が、1979年から2009年までに雑誌や新聞に発表してきたRCサクセションや忌野清志郎に関する記事を時系列でまとめたものである。
オレは、この本をROCKIN'ONによる追悼本ミュージック・マガジンの増刊とはまた別の意味で興味深く読んだ。それは、著者とほぼ同時期にRCサクセションに魅了された自分にとっては、こうして時系列でまとめられた記事の数々を読むと、清志郎のメディアでの扱われ方が時代とともに変化していったことが如実に感じ取れたからである。そういった意味で、この本は一般音楽誌における清志郎に関する記事の貴重なスクラップであるばかりでなく、図らずも日本のロックジャーナリズムの変化をも表したものに成りおおせていると思う。

最近になって清志郎のファンになったような若者たちでも、この本を読むと、80年代の記事と90年代以降のそれとでは文章のタッチがかなり変化してきていることに気付くだろう。
80年代の記事ははっきり言って“軽い”。それも無理に軽さを装っているような、今読むと赤面したくなるような軽さだ(苦笑)。インタビューも音楽的に深く突っ込んだものはほとんどない。判で押したようにツアーに向けての意気込みだの新譜の狙いだのをちょろっと聞いてお終い。それでいて“センスのよさを感じる”だの上から目線の物言いが多く(お前に言われたかねぇよ!)、オレなんかが読んでいても“このライター、ちっともわかってないなあ~”と呆れることがけっこうあった。
清志郎もほとんどどうでもいいような答えしか返しておらず、「ロックで独立する方法」でも言っていたことではあるが、音楽雑誌でありながら肝心の音楽の事をちっとも突っ込まないメディアの現状を早くから見切っていたような気がする。

著者はこの時代を“稚拙だった”と省みているが、この軽さは今井さんが稚拙だったことだけが理由ではないはず。そもそも、あの頃は今井さんに限らず、ほとんどすべての記事がこんなタッチだったのだ。“新しい時代は俺たちが作る!”とか“サイコーッ!”とか下手くそなコピーライターでも書かないような恥ずかしいキャッチが紙面を埋め尽くしていたっけ。ROCKIN'ONやミュージック・マガジンのように多少なりとも骨太な記事が載ったものもあるにはあったが、あの時代、ほとんどの雑誌は軽妙な文体と気の効いた写真でポップな紙面が出来上がっていればそれでOKだったのだ。

この状況が変わり始めたのは90年代に入ってから。そのきっかけとして「カバーズ」事件の影響は大きかった。
あの事件は反原発のメッセージを清志郎が歌ったということよりも、その後の発売禁止に対して清志郎が猛然と怒りを表した事のほうが業界的にはインパクトが大きかったはず。
だって、それまではいくら“反骨”を売りにするロック・ミュージシャンであっても、自分の所属レコード会社を公然と批判するなんてことは絶対にタブーだったのだから。カバーズ以前のマスコミは、ある意味ロックを“籠の中での反逆”と思い込んでいたのだ。ミュージシャンだって生活がある。契約が切られたらあいつらだって困るだろう、そこまでするわけがない…。そんなことを思っていたライターは多かったのではないか。
ところが清志郎はやった。東芝EMIのうやむやな態度を猛烈に批判し、ライブでは未発表曲をどんどんラジカセに録音するようファンに薦めさえした。繰り返すけどこんなことは前代未聞だったのだ。“ロックの人はここまでやってしまうのか…”ほんの一瞬のことだったかもしれないけれど、世間をこうまでビビらせたミュージシャンは後にも先にも忌野清志郎しかいない。

オレは、腫れ物に触るようなあの時期のマスコミのうろたえぶりを昨日のことのように思い出す。この事件に対してどう対処したらいいのか、明らかに彼らは戸惑っていた。清志郎のとった行動はロック村の住民としては“正しい”。それは理屈ではわかる。しかし、あまりミュージシャン側に寄り添った記事を書いてしまうことは、自分たちも間接的にレコード会社を批判することになり、ひょっとしたらそれは今後の自分の仕事に影響するかもしれない…。そんなことを彼らは思ったのではないか。ある意味、牧歌的な立場で勝手なことを書いていた彼らは、はじめて自分の上げた右足をどこに降ろすべきなのか真剣に考えざるを得ない状況に追い込まれたのである。
当時の記事には“事実は明らかでないが…”という言い訳がましい但し書きがついたものが目に付いた。そこには自分のポジションをどこに置いたらいいのかわからない彼らの苦悩が滲み出ているようにオレは感じた。

だが、結果的にはこの一件が、ライターもミュージシャンと真剣に向かわざるを得ない状況を生んだように思う。“カバーズ事件”は図らずも硬直したメディアの自覚を促すことになったのだ。ビジュアルを重視したミーハー誌とインタビューを中心に掲載する専門誌とに媒体が分岐していったのもこの頃。
今井さんの記事も、この時期から読み応えのあるものが急に増えてきた。もちろん、雑誌の掲載にはプロモーション的な側面も大きいから、あまりミュージシャンと立場を異にする意見を載せるわけにはいかないんだろうけど、それでも今井さんが23'Sに対して否定的だったことや、その後も即席バンドを乱発する清志郎へ違和感を抱き続けたことがはっきりと伝わってくる。
まあ、その意見自体にはさまざまな意見があるだろう。今井さんの記事に反発を覚えた人もいるかもしれない。でも、オレは、そもそも音楽評論って、筆者の意見が間違ってるか正しいかなんてことはどうだっていいと思っている。だって、そんなもの人によっていろんな考え方があるのは当然の話だ。読者が百人いれば百通りの考え方があってもおかしくないだろう。
ただ、書き手が自分の気持ちに本当に正直に書いたものかどうか、その気持ちを対象に真摯にぶつけた記事かどうか、それは大事だとオレは思っている。結局、その記事が本当に読むに値するかどうか、筆者の考えを真剣に自分の考えと付き合わせる価値があるものなのかどうかを判断する根拠は、そこに書き手の真摯さが感じられるかどうかだと思うのだ。

オレ、本のタイトルを見て、今井さんは清志郎から何を教わったんだろうってずっと考えながらこれを読んでたんだよね。
で、思った。今井さんは、清志郎のメディアに対する物言いや生涯ブレなかった姿勢を通して、音楽ライターとしてのあり方そのものを学んだんだと思う。読者の反発を恐れずに自分の意見を真摯に述べること。それはロックな姿勢と言い換えてもいいだろう。
そしてそれは忌野清志郎が反原発や反原爆をテーマに歌をうたったことと同じだとオレは思う。清志郎は自分の意見が正しいか正しくないかなんてことは最初から問題にしていなかった。ただ、それを歌っただけだ。正直な気持ちを歌いたいから歌ったのだ。そういう姿勢がこの国の硬直したロック・ジャーナリズムを変えた。

この本は、忌野清志郎という稀代のミュージシャンが、その生涯変わらなかった言動によって、自らの音楽だけでなく、それまで日本に存在していなかったプロの現場をも変えた貴重な記録なのだと思う。
ここに、この本の装丁を手掛けたデザイナーの記事がある。写真を提供したおおくぼひさこさんは、刷り出しを見ながら涙を流していたそうだ。おおくぼさんも悲しみをこらえてプロのフォトグラファーとして自分の仕事をしたのだろう。

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コメント

まいったなぁ。
『ロックで独立する方法』もまだ未入手なのに
この記事読んでたら、コレもほしくなってしまいました(笑)
確かに軽く稚拙だったかもしれないけど、今井智子女史の文章、結構好きだったしなぁ。
やっぱり買いでしょうか?

◆LA MOSCAさん
オレはね、ロッキンオンやミューマガの追悼本は音楽マニア向け雑誌に掲載された清志郎の記録、こっちは情報誌や一般音楽誌に掲載された記録っていう風に捉えてます。
こういう一般紙に掲載された記録って、意外にまとまったものを読む機会ってないんですよね。でも、こうして改めて手に取ると、当時はこういう記事をよく読んでたんだよなあ~って記憶がどんどん蘇ってきます。

同時に、青春時代からずーっと記事を追いかけてた人が、もうこの世にいなくなってしまったんだなあ、って思い、またしんみりしちゃったんですけどね…。

でも、やっぱ清志郎の発する言葉はスゴイと思う。だってブレてないんだもん。彼は音楽も作ったけど、音楽で文化も創ったんだということが、これを読むと良くわかりますよ。

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