【映画】 20世紀少年 最終章
去年の夏に第一章が公開されてからほぼ1年。
うちの家族は妻を除く男3人が、みんな「20世紀少年マニア」なんで、この1年は男3匹、この映画と原作漫画のおかげで楽しい時間を過ごせた。それもこれでお終い。なんだか寂しいなあ…。まあ、よげんの書が延々続いたらそれはそれで困るんだけど…(笑)。
映画の結末は、漫画のそれとはちょっと違っていた。
これから観る人のために詳しく書くのは控えるけど、エンドロールの後に10分間ぐらいケンヂのストーリーが続くのだ。これは、ケンヂが子供時代に自分が犯した小さな過ちに決着をつけるような話。賛否両論あると思うけど、オレはこれがあってとても良かったと思う。子供たちも同じ感想を持ったみたいだ。
最後の10分間は、漫画でもはっきり表現し切れなかった裏テーマ、“ともだち”を作ったのは、結局“みんな”だったんだっていうことを、よりはっきりとカタチに出すことができていたと思う。
自分を守るために見ないふりをしてしまう小さな嘘や小さな裏切り。それが、やがて大きな間違いの結晶である“ともだち”を作ってしまった…。なーんて言うと、オウムに走った信者たちみたいだけど、こういう危険って誰の心中にも潜んでいるんじゃないかと思ったなあ、オレは。そんな自分自身の嘘にちゃんと向き合う勇気を持つことは、結局は自分自身をも救うってことなんじゃないかとぼんやり考えた。
オレは、子供たちがはからずも漏らした一言、「ともだちも可愛そうなんだよね、ほんとは」っていう感想に“はっ!”とさせられた。で、そんな“ともだち”を、あの10分間の挿入部分で少しは救えたんじゃないかなと…。うちら家族はそういう感想を持ちました。
しかし、漫画を映画化するってのはやっぱり難しいんだなあ…。まあ、これは話がデカイから余計そうだったのかもしれないけど、最終章はどうしても駆け足で進むような感じになっちゃってたと感じる。
あ、そうだ。第二章までは、ケンヂが歌う「Bob Lennon」の歌詞、コーラスの“グータララー、スーダララー”が単に“ラーラララー、ラーラララー”になってたのが大いに不満だったんですが、最終章ではちゃんと“グータララー、スーダララー”って歌われてました。しかも、それはここにきて重要な意味を持って…。
あとは…。そうさなあ、第二章までは大活躍だった小泉響子があんまし台詞がなかったり(コーンビーフ食ったり、おにぎり食ったりするシーンばっかりなんだ、これが(苦笑))、楽しみにしていた(笑)エロイム・エッサイムズの演奏シーンがちゃんと映んなかったことが不満といえば不満。
そうそう、エロイム・エッサイムズのギタリストが元チェッカーズの武内享だったのにはびっくり。顔にペイントしてたんで、わかんない人もけっこういたんじゃないかと思うけど(苦笑)。
それにしても、これで終わると思うとほんとに寂しい限りだ。
遠藤カンナがケンヂと再会してわんわん泣くシーンがあるんだけど、あれは一世一代の役を担った平愛梨ちゃんが、大役を演じ切ったことで流した本気の涙だったんじゃないかなあ。ちょっとじーんときました。
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