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2009年9月

2009年9月29日 (火)

思っちゃいけないことだけど思っちゃうこと

俺が結婚したのは、30になる歳の夏。もう15年も前の話だ。
うちら夫婦は結婚してもしばらくは子供を意識的に作らなかったんだよね。当時は子供が欲しいとは全く思わなかったし、2人ともそれぞれ熱中していることが別にあったから、その時間を育児に取られてしまうことはまっぴらごめんだったのだ。だいたい、子供なんかできたら自分が一気に老け込んでしまうと思ってたもん、俺。慣れない手つきでオムツ換えしてる自分を想像するとぞっとしてしまったぐらい(苦笑)。

状況が変わったのは、妻が婦人科系の病気を患ったから。結果として、彼女は卵巣を一つ失い、妊娠できる確率がぐっと下がってしまった。ここで俺たちは子供を作る・作らないという選択をはじめて真剣に考えざるを得なくなったのだ。結果として子供を作る結論に落ち着くのだけれど、当然のことながら、その時点ではまだ自分が“人の親”になることに納得してはいなかったんだ。

だから、妻が妊娠した時、嬉しい反面、俺はものすごく動揺してしまったんだよな。自分に“親”という役目が務まるんだろうか…。今は笑い話なんだけど、その時は夜も眠れないぐらい悩んだ。
覚悟を決めなくてはいけないと思った。もうロックなんか聴いてる場合じゃないと思った。ちゃらちゃらしたカッコなんかできないと思った。休みになるとつい髪を立ててしまうクセも直そうと思った。夜な夜なライブに行ったりする生活ももうお終い。明日からは誰が見ても父親として世間に認めてもらえるようにしなきゃならない…。そんな悲壮な決意を抱いてたんだよなあ(苦笑)。

なんとか父親になることを受け入れられるようになった理由の一つとして、ひどい話に聞こえるかもしれないけど、“あのミック・ジャガーや忌野清志郎だって子供がいるんだから…”って思い出したことが挙げられる。ステージにオムツも取れていない我が子を上げる清志郎の親バカぶりには、微笑ましいを通り越して呆れ果ててたから。当時の俺は(笑)。あんな調子で子育てできるなら俺もなんとかなるだろう、ぐらいのもんだったんだよ(苦笑)。

でも、ベビーベッドですやすや眠る我が子の顔を見た瞬間、親になる不安なんていっぺんに吹っ飛んじまったんだよな。だって、むちゃくちゃ可~愛いいんだもん!(笑)俺、あの時の気持ちは一生忘れない。ああ、こいつのためなら、自分がオヤジになることぐらいなんてことねぇや、って思ったもん(笑)。
子供がいたらできなくなると思っていたことも、全然大丈夫だった。うちは夫婦ともに仕事をしているから、さすがによちよち歩きの頃までは俺もやりたいことを控え、妻と一緒にオムツ替えをしたり、慣れない手つきでベビーバスに入れたり、ミルクをあげてゲップをさせたり、子守唄を歌いながら寝付かせたりした。それも自分がジョン・レノンになったみたいですごく楽しかったし(笑)。
そして、ある程度手がかからなくなってくると、夫婦で分担し合ってそれぞれ遊びに行ったりもできるようになったんだ。

結局、子供ができても何も変わらなかったんだよな。…いや、変わったか。一緒に暮らす仲間が増えたことで、より人生が楽しくなった。同じものを見て笑うのは1人より2人の方がずっと楽しい。それが3人ならもっと楽しい。

俺、その時やっと悟ったんです。なぜ、清志郎が急にあれほどの親バカぶりを発揮するようになったのか…。
それから、それまで清志郎に関して理解不能だったいくつかの事柄、たとえば唐突に童謡をリリースしてみたり、急にコマ回しに凝りだしたり、不思議な昆虫のイラストを描いてみたり、年柄もなくピカチュウに夢中になったりした時の気持ちも、なんとなく理解できるようになってきた。

子供は成長するにつれて自分が忘れていたようなことを次々にやりだす。遊び、その時々のマイブーム、夢中になるテレビ番組…。まるで自分の生き写しのように様々な場面を見せてくれるのには驚かされた。俺は息子の成長に忘れかけていた子供の頃の自分自身を見ていたのだと思う。それは、自分がもう一度“生き直す”作業といってもいい。“父親になること=オヤジになること”ではなかった。実際はその逆だったのだ。
そんなことに気付かせてくれたのは…。やっぱり忌野清志郎だったんだよなあ…。

俺は、自分に子供ができてから清志郎に対する想いが微妙に変化した。なんてのかなあ、くすぐったい言い方だけど人生の先輩みたいな見方になってきたのだ。
俺もそうだけど、社会に出たり、結婚したり、子供を作ったりするような人生の節目に出くわした時に、それまでの自分自身との折り合いをつけることに不器用になってしまうロック野郎ってすごく多いと思う。青い時代の情熱を歳を重ねてもうまく静められずに苦労する時、ふと忌野清志郎の顔を思い浮かべていた人はすごく多かったんじゃないだろうか。

5月9日の葬儀式には、単に清志郎の音楽が好きだった人たちだけじゃなく、清志郎の生き方に惹かれていた人たちも大勢集まっていたに違いない。そうじゃなければ、あんなに何万もの人が集まるわけがない。
80年代に青春を過ごした俺たちは、日本最初のロック世代でもあるわけだけど、清志郎はそんな俺らに正しいロックオヤジの歳のとり方を見せてくれていたのだ。歳をとることは全然怖いことじゃない。これからも楽しいことがたくさん待っているんだから、安心してオヤジになれる。清志郎を見てるとそう思えた。自分の前に清志郎がいてくれたことに、いったいどれだけのロック馬鹿が励まされていたことだろう…。

清志郎が遠くに行ってしまった喪失感がいつまで経っても抜けないのは、単に彼の音楽がもう聴けなくなってしまったからということだけじゃない。オレら世代にとって、先を歩いてくれるだけで安心できた旗頭が唐突にいなくなってしまったからなのだ。“あんなオヤジになりたい”“あんな歳のとり方をしてみたい”と思わせてくれる先輩が急に目の前からいなくなってしまった、そんな巨大な喪失感が強力に自分たちの世代を包んでいるからだと思う。

俺、思っちゃいけないことだけど思っちゃうよ、どうしても。
彼は誇り高いボーカリストとして最後まで気高く病と闘った。それはよくわかってる。痛いほどよくわかってるよ。清志郎の選択、あえて手術をせずに自分の信じた方法で闘病し続けた選択は神々しいとすら思う。
だけど…。だけどね…。たとえ歌えなくなっても良かったから、メスを入れ、生き続けてくれる選択肢はなかったのかと、どうしても思ってしまうんだ。あれから5ヶ月になろうとしてるけど、いまだに、ことあるごとにそう思ってしまう自分がいる。それがオレは苦しい…。苦しいんだよ、すごく…。

個展 忌野清志郎の世界」であの素晴らしい絵を見た時も、たとえ声が失われてもこういう表現方法があったじゃないか、それでもよかったんじゃないかって、反射的にそう思っちゃったんだよなあ、俺は。とても未公開映像の中身まで吟味するような接し方はできなかったんだ。
先輩にはね、先輩にはね、どんな身体になってでも生きていて欲しかったんだ。ほんとは…。

ごめんね。こんなことは今さら言ってもしょうがないことだよな…。俺もこんなこと、もう二度と書かないつもりです。
でも、忌野清志郎はそんな存在だったんですよ、俺にとっては。日本最高のR&Bシンガーであると同時に、いや、もしかしたらそれ以上に、人生におけるセンパイだったんです。
これからも、俺は何か人生の節目にぶち当たった時、“清志郎ならどう考えるだろう…”って考える場面にさんざん出くわすだろう。それはもう、思春期の頃からずっとそうだったんだから、これからも変わらない。変わりようがないのだ。

そうだなあ…。考えてみたら、妻がいようと子供がいようと、俺自身は20年前と何も変わってないのかもしれない。ただ、忌野清志郎がもうここにはいないという、どうしようもない現実以外には…。

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2009年9月26日 (土)

【本】彼女について よしもとばなな(著)

1632758015月2日以降、オレは自分の中の何かが確実に変わったことを自覚している。うまくいえないんだけど、なんか何事に関しても開き直ってしまったような感覚があるのだ。

一番大きく感じるのは「死」に対する感覚の変化。なんと言うか、「死」というものはこれまで自分が思っていたよりも、ずっと近いところに忽然と潜んでいるものなんだと感じるようになった。
かといって「死」に対して怯えるようになったかというと、全然そんなことはなく、むしろその逆だ。今、オレは自分が明日死の宣告を受けても別に驚かないだろう。もちろん、直後はビビるし落ち込みもするだろうけど、案外すぐに冷静になって、残された時間をどうするか考え始めるのではないだろうか。

5月2日以降、「死」は自分が思っていたより、ずっと大きな確立で起こり得ることがわかってしまった。「生」と「死」は俺が知らなかっただけで、常に背中合わせで存在していたのだ。理屈じゃなく、事実そうなんだという確信が今はある。…そんな気持ちになってしまうことが、決していいことだとは思わないけどね(苦笑)。
オレは死ぬのが怖くなくなった。だって、それはしょうがないことなのだ、きっと。今の自分なら、たとえ明日死んでしまっても、それはそれである程度納得のいく人生だったと自分を慰めることもできるだろう。

でも、矛盾するようだけど、やっぱりすぐには死にたくないや(笑)。いや、死にたくないというより死ねないって。それは、数は少ないけれど、自分を愛し自分を必要だと思ってくれている人がこちら側に確かにいるから。こんな時代、それは涙が出るほど幸せなことだろう?自分一人なら死を迎えることにあきらめもつくけど、彼らの存在がオレをこっちに引き止めてくれている。彼らのために、オレはそうそう簡単に消えるわけにはいかないのだ。

でも、「死」というものが、当人にとっても残された者にとっても、きちんと落とし前がつくようにやってくるなんてことは、老衰でもない限りあんまりないんだろうなあ…。そう思うと、本当にやり切れない。
オレは、いなくなってしまった人を思うセツナさが、こんなにも痛いことを初めて知った。まるで、結末を知っている悲しい話を何度も何度も読み返しているようだ。トラウマってのはこういうことを言うのだと、オレは44年間生きてきて初めて悟った。

今年の夏は苦しかった。なんでこんなに何を見ても何を聞いても哀しいんだろう…。本当にやり切れなかった。
そんな時にこの小説と出会ったのだ。オレ、はっきり言って、これまでよしもとばなななんか全然読みたいと思ったことなんてない。過去に代表作のいくつかは読んだ経験があるが、こんなオンナオンナした小説なんかまともに読めるか、と思ってたんだ、実は(苦笑)。

今年の春、山口洋がブログでこの本に打ちのめされた話を書いていた。併せて、5月2日に起きたことについて、よしもとばななが新聞に書いていた文章がとても心に響いていたことが、自分にこの本を読ませるきっかけとなったのである。
予感は間違っていなかった。よしもとばななは、オレが知らないうちにここまで来ていたのだ。この読後の余韻はなんなのだろう…。すさまじい波動が胸を揺さぶる。
この小説は、イコールよしもとばななの死生観なのだ。悲しい話でありながら、確実に魂が救済されるのを感じる。決して難解な文章ではないし、気持ちを掴むような比喩が飛び出してくるわけでもない。だけど、ページを捲るたびにざくっざくっと胸をえぐられていくような感覚があった。

読み終わって、オレは色々なことを考えた。
平凡な日常を積み重ねることは、当たり前すぎるぐらい普通のことだけど、それをずっと続けていけることがどんなに大切で幸せなことなのか…。それを身に沁みて感じたな。“生きてるだけで丸もうけ”ってやつだ(笑)。
だが、理不尽な「死」は、そんなささやかな幸福を唐突に消し去ってしまう。この小説には、不意にそんな「死」に直面してしまった人の苦しみ、いなくなってしまった人の心残りと、残された者の喪失感を同時に救済するような力があると思う。こんな難解で重いテーマを、同時代に生きる同世代の作家が真っ向から書き上げたことを、オレは少しの嫉妬ともに嬉しく思った。

自分は、もともとスピリチュアルとかオーラとか、その手の類は信じないタイプの人間だ。だが、肉体とか精神とか、現世とかあの世とか、そういう次元とは別の領域において、いなくなってしまった人と残された者とが傷を癒し合うことが、あるいは可能なのかも知れないと思うようになった。そう思わせてしまうパワーがこの小説にはある。
確実に言えること。たとえ人は一人になっても独りではないのだ。だからオレたちは、どんなに孤独に苛まれようとも前に進んでいける。

秋が来る前にこの小説と出会えて本当によかった。ありがとう、よしもとばなな。
オレはいなくなってしまった“あの人”のおかげで、こうしてここにいるのだと思う。そうであるのなら、残されたオレは、“あの人”の志を継いで真摯に生きていくだけだ。このクソッタレの世界の中で。

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2009年9月23日 (水)

ROLLING STONES「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!<40周年記念デラックス・エディション>」とな!?

C1039298 どうやら、ローリング・ストーンズの名作ライブアルバム、「ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!」の<40周年記念デラックス・エディション>ってのが11月に出るらしい。
このアルバムはストーンズの69年全米ツアーの模様を収めたもので、11月27日と28日にマディソン・スクエア・ガーデンで行われたコンサートから曲がセレクトされている。キャリアの長いバンドだから、ライブ盤も数多いストーンズだけど、これをベストに挙げる人も多いんだよね。

オレ、実はこのアルバムの良さがわかったのって、恥ずかしながら90年代に入ってからなんだ。アルバム自体は70年に発売されてるんだけど、自分が初めて聴いたのは80年代中頃だったと思う。その時は“うわー、えらいヘタクソだなあ…”って思ったんだ(苦笑)。LOVE YOU LIVEやSTILL LIFEみたいな軽いノリがなく、引きずるような重たいビートにのせてシンプルなリフを繰り返すだけに感じ、なーんか物足りなさを覚えたんだよなあ…。

ところが、90年代に入って、周りが猫も杓子もデジタルサウンドの影響を受けた、定規で縦軸を区切ったようなチャキチャキしたビートばかりになった時代にこのアルバムを聴いたら、これがイイんですよー、すごく。
チャーリーのドラミングは今よりずっとシンプル。バタバタしたビートに少し後ろにのけぞった様なタッチでキース・リチャードとミック・テイラーのギターが絡む。ミックの声は…。やっぱ若い。若くてすごく瑞々しいのだ。
そう、ここに収められたストーンズはほんと若い。若いストーンズの若々しい演奏がたくさん入っているのだ。今聞くと、ちょっとスワンプ・ロック的なタッチも感じられるなあ…。

今度出る40周年記念エディションは、これまでのアルバムの最新リマスターに加え、「放蕩むすこ」や「アンダー・マイ・サム」、「サティスファクション」なんかの追加収録曲があるらしいのだ。それだけでも貴重なのに、更にゲスト・ミュージシャンの演奏も加えられるという。
ストーンズの前座ってのは、昔からスゴイ人たちが務めていて、そこからステップアップしていくパターンも多い。若き日のスティービー・ワンダーなんかもやってんだよね、ストーンズの前座。それは「フィラデルフィア・スペシャル」っていう有名なブートレッグに収められているんだけど、スティービーの「UP-TIGHT」に続けて「サティスファクション」が演奏されたり、とにかくすさまじい演奏なのだ。
69年ツアーでストーンズの前座を務めたのは、アイク&ティナ・ターナーとB.B. キング。きっと「プラウド・メアリー」や「エヴリデイ・アイ・ハヴ・ザ・ブルース」なんかが収められるんだろう。もしかしたら、ストーンズとの共演もあるかもしれない。

加えてDVDもあるというから驚きだ。演奏シーンとMSGでのバックステージの様子が入るっていうんだけど、この時期のストーンズは、日本ではその全貌があまり知られていないだけに、いったい何が飛び出すのか…。

それにしても、ストーンズのアルバムで既存のアルバムに曲が加わった事があっただろうか?ちょっとオレは記憶にない。
これまで、いろんなアーティストが既存のアルバムに未発表テイクを加えた記念盤を出してきましたよね。ストーンズは頑なにそれを拒んできた。それは彼らのプライドだったのかもしれないけど、ファンとしてはやっぱり期待しちゃうわけですよ、そういうのを。なにしろ、ストックは他のバンド以上に膨大な量があるはず。これまで、ファンはそれを高い金を出してブートで聴くしかなかった。それが公式で出るっていうんなら、これはもう大歓迎なのだ。

こうなってくると、昔からマニアの要望の高かった、70年代初頭のライブとかも期待しちゃうなあ。
ローリング・ストーンズ、21世紀に入ってもがっつり楽しませてくれます。ほんと、嬉しいなあ、このリリースは!

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2009年9月22日 (火)

祭り

この連休、遠出してる人も多いんだろうなあ…。
わが町はお祭り。下町が一番にぎわう時です。
神輿を担いでる人をよくよく見ると、あらま、知り合いがいっぱい。なーんだ、みんな旅行より祭りの方が大事なのね(笑)。
近所の奥さんも髪を上げて艶やかなお化粧をきりり。なんだか妙に色っぽいぞ(笑)。

下町に暮らす我が家はみんなお祭りが大好き。朝から聞こえる祭囃子に胸を躍らせ、子供たちは半被に豆絞り姿で山車を引く。それをオレと妻は大声で応援。
今年は“裏”なんだけど、どうしてどうして。大勢の人手と活気は相変わらずでした。
変わり映えのしない日常を一瞬だけ塗り替えてしまう熱狂。これが祭りの魅力です。悲しい気分なんてぶっ飛ばしちまいなよ…。みんな元気をもらいました。

来年は長男も中学生。一緒に大若の神輿を担ぐことを今から約束して幕。
とーちゃんは酔っ払ったぜぃ!(笑)

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2009年9月20日 (日)

忌野清志郎 Rock'n Roll Radio Show!(2009.9.20 O.A)

ありがとう、CHABO。
ありがとう、克也さん。

この番組の情報がリリースされ、オレは楽しみな反面、ちょっと聴くのが辛いようなところもあり、複雑な気分で放送日を待っていたんだ。
でも、聴いてよかった。ほんとに聴いてよかったと思う。よくぞここまで話してくれました、CHABO。
そして、CHABOがここまで話せたのは、番組の進行役が小林克也さんであったことが大きかったのではないかと思う。克也さん、ほんとうにありがとう。

実は、克也さんが忌野清志郎の追悼番組をやったのは、今回が初めてではない。J-WAVEで土曜の深夜にやってる「DJ KOBY'S RADIO SHOW」ってのがあるんだけど、ここで克也さんは、6月に「忌野清志郎が愛した音楽たち」というテーマで清志郎が影響を受けたりカバーしたりしたミュージシャンを特集した。ジョン・レノンのイマジンにはじまって、サム&デイヴとかウィルソン・ピケットとか、ヴェンチャーズとかモンキーズなんかがかかったと記憶している。
オレ、これを聴いていて“ああ、こういう追悼の仕方もアリだなあ…”って思ったんだ。誰もが知っているとおり、克也さんは洋楽に詳しいDJ。この番組も基本は洋楽中心の選曲なんだけど、その枠の中で、克也さんは克也さんらしいマナーで清志郎に哀悼の意を表したと思ったのである。
番組の終わりが近づき、清志郎が最も敬愛していたソウルマン、オーティス・レディングの I've Been Loving You Too Longがかかった。そうか、最後はやっぱりコレだよな…。そう思っていたら、最後の最後になんと克也さんは1曲だけRCサクセションの曲をかけた。克也さんが選んだのは「ヒッピーに捧ぐ」…。これは沁みた。とてもとても沁みたんだ。泣いちゃったよ、オレ…。

あの日の放送をCHABOが聴いていたかどうかはわからない。だけど、克也さんは魂のこもっていない仕事は決してしない人であり、この特番にも誠意を持って関わっているのは、CHABOにも伝わっていたんだと思う。
実際、小林克也さんは並々ならぬ気持ちでこの番組のパーソナリティーを務めていたとオレは感じた。それは、清志郎が最後に残した「Oh! RADIO」にこめられたメッセージをきちんと受け止めたからなんじゃないかとオレは思う。奇しくも清志郎が残した最後のメッセージは、自分もずっとこだわり続けてきたラジオへの賛歌だった…。そこにきてこの番組の仕事。克也さんは何か運命的なものを感じていたのではないだろうか?
もしかしたら、克也さん自身が癌からの生還者だということもあったのかもしれない(克也さんは3年前に初期の胃癌と診断されて胃の摘出手術を受けている)。

番組でCHABOが登場してきたのは番組中盤の30分ぐらいだったけれど、その内容はとても濃かった。それは、CHABOに克也さんへの信頼があったからだと思う。
2人は、気持ちを抑えながら一言一言、言葉を紡ぐように語っていた。それはCHABOにとって辛いことだったには違いないが、なんとなく“癒し”にもなっていたんじゃないかな…。オレはそう思いたい。

心に残った言葉はいくつもあるんだけど、やっぱり、西海岸のシンガー・ソング・ライター、故ウォーレン・ジボンの件は胸に刺さった。
ウォーレン・ジボンが亡くなり、その後に未発表音源を集めたCDが出たらしいのだが、そのライナーノーツは彼の息子が書いていたという。その中で彼は、亡くなってから本当に父のことを誠意を持って扱ってくれている人と、そうじゃないタッチで近づいてくる人とがいるのを感じたというのだ。そして、自分はそれを見極めなければならない責任を感じていると…。
それに続けてCHABOは、清志郎が亡くなってから本当に彼が喜んだかどうか疑問を感じてしまうような企画もいくつかあったと話したのだ(それは“少ない”とは言っていたが)。
具体的にそれが“何だったか”を詮索するようなことは今さらしたくない。まして、それが例えばオレがはっきりと“拒絶”しているものと同じかどうかもわからない。ただ、CHABOやおおくぼさんが眉をしかめてしまったような、安っぽい企画があったということは厳然たる事実なのだ。その事実自体にオレは胸が痛くなってしまう。

もちろん、CHABOは清志郎が“みんなのもの”となり、これからはみんなが思い描く清志郎のイメージが語り継がれていくであろうこともわかっている。わかってはいるんだけど、CHABOの知る素顔の栗原清志と重ね合わせると、商業ベースに乗る“忌野清志郎”が、どうしても納得のいかない時もあるんだろう。身近にいた者であるが故の苦悩なんだろうけど、CHABOは一生かけてでもそれと付き合っていく覚悟なんだろうな、と思った。

番組でかかった、フジロックでの「いいことばかりはありゃしない」には度肝を抜かれた。魂がこもった演奏とはこういうことを言うのだろう。伸ちゃんの歌が終わった後のCHABOのギターなんか神がかってるとしか思えない。これも覚悟の現れ、って言ったら考えすぎだろうか?

この放送を聴いて、オレも肝が据わった。
トータス松本の“これから清志郎さんの新しい曲が聴けないのは残念だけど、それを言ったら、もうみんなの前で歌えなくなった清志郎さんの方が、何百倍も残念に違いないんだから…”っていう言葉にもはっとした。そうだよな、そのとおりだよな、トータス…。
オレたちは、これから“清志郎のいない世界”を生きていかなければならない。それはもう、どうしようもない事実なのだ。だけど、オレにとって清志郎の歌はずっとずっと必要なもの。清志郎の曲を聴きながら歳を重ねていく。いつしか自分が清志郎の亡くなった歳を超えようとも…。
この番組を聴いて、その覚悟ができたような気がする。

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2009年9月19日 (土)

【映画】 宇宙(そら)へ。

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今年はアポロ17号が月面着陸に成功してから40周年を迎える年なんだそうだ。そこで、NASAで保管されていた未公開映像を元に、有人宇宙開発の歴史をたどったドキュメンタリーとして制作されたのが「宇宙(そら)へ。」である。作ったのはドキュメンタリー映画では定評のあるイギリスのBBC。
オレら世代の男なら、誰もが少年時代に宇宙飛行士を夢見たことがあるだろう。オレも、この映画を観ていてあの頃のわくわくした気持ちを思い出したよ…。

映画は、NASAの未公開映像と当時ニュースなどで流されていたものとを併せながら進んでいくのだが、圧倒されるのはやはりNASAからの映像だ。これはもう映画の出来がどうのというよりも、宇宙空間に浮かぶ地球の様子や宇宙飛行士の生の声のリアルさ自体に感動してしまう。
たとえば、人類で始めて宇宙船の外へ出て宇宙遊泳をした宇宙飛行士が映る。地球上に生命が誕生して45億年の間、宇宙空間に身を置いた生命体は皆無だ。そんな気の遠くなるような年代を超え、彼はたった一人で宇宙空間に投げ出されるのだ。オレだったら恐怖と緊張で身がすくんでしまうに違いない。いや、宇宙飛行士だって直前まではきっとそうだったのだと思う。
ところが、実際に宇宙に出た飛行士の口調からは恐怖の欠片は微塵も感じられないのだ。“素晴らしい眺めだ…”“生涯で最高の体験をしている…”という言葉は、見るものの胸を熱くさせる。宇宙空間と、そこに浮かぶ母なる地球の美しさに対する感動が、恐怖を圧倒的に上回っているのだ。この生々しい臨場感は、どんな名俳優の演技からも得られないだろう。

ハイビジョン処理された映像は、宇宙飛行士の観た風景を観客にも疑似体験させてくれる。美しい。美しいのだ、我々の住む地球は…。こんなのを観たら、そりゃあずっとこの星を守りたいと思うだろう。この美しい星に住む自分らを誇りに思うだろう。オレ、事故で死んじゃったって構わないから、この体験、できるものならしてみたいよ(笑)。こんな体験したら、絶対人生観、変わるはず。

もちろん、美しい成功物語だけではない。目を覆いたくなるようなロケットの打ち上げ失敗のシーンや、訓練中の飛行士死亡事故、記憶に新しいスペースシャトルの空中爆発なども取り上げられている。人類が宇宙で生活するなんていう夢物語のために一体どれだけのおカネを使ってるんだ、どれだけの人が犠牲になってるんだ、と感じる人もいるとは思う。
しかし、それでもNASAのあくなき探求心は素晴らしいとオレは思った。どんなリスクを背負ってでも、夢の実現のために邁進してきたのは、おカネのためでも国益のためでもない。彼らの勇気と向上心、人類全体に対する使命感だったと思うのだ。

考えてみると、オレらはロケットだとか宇宙開発だとかの影響をもろに受けている世代だ。
今の子供たちに言うと鼻で笑われそうだけど、小学校のクラスで“将来の夢”なんてテーマを与えられれば、何人かは必ず“宇宙飛行士”だの“月面ロケットの乗組員”だのを描いていた。
ロケットや月面探査には夢があった。世界の明日は明るいという希望があった。アメリカやソ連の人工衛星打ち上げ成功のニュースを目にした時、誰もがそれを人類全体の成功として捉え、将来自分が宇宙へ旅立つ日が来ることを夢見ただろう。
そしてそれは、自分が地球という惑星に住むちっぽけな存在でしかないことを改めて感じる機会でもあったのだと思う。たとえ、ロケット開発が軍事目的をも視野に入れた側面はあったにしても…、だ。

この映画は、宇宙開発技術の進化をなぞった映画ではない。夢の実現のために宇宙へと旅立った男たちの勇気と誇りを描いたドキュメンタリーだったのだと思う。
そういった意味では、映画のタイトルは邦題の「宇宙(そら)へ。」よりも、原題の「Rocket Men」の方がしっくりくるような気がするなあ。
それと、日本版は主題歌が付いてて最後にゴスペラーズが「宇宙へ」とかっていう歌を朗々と歌い上げるんだけど、はっきり言ってこれはドッチラケだった。配給側は、映画があまりにも地味だと思ったのかもしれないけど、こんな演出は必要ない。観る側にとっては、ドキュメンタリーならではのこの美しい映像だけで十分感動できたと思う。ナレーションをやった宮迫博之が意外なほど良かったというのに、なんでこんな余計なことをしたのだろう…。これだけが残念。

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2009年9月18日 (金)

【映画】 ディア・ドクター

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昨年、『ゆれる』で個人的に衝撃を受けた西川美和監督の最新作。
オレ、この映画を田舎の映画館で観たんだ。出張合間の平日昼間。なのに、映画館にはけっこうな観客が集まっていて驚いた。でも、映画が終わってロビーにぞろぞろ出てきた人たちは、みな一様に困惑した表情だったんだよね。この映画に関しては、へき地医療や高齢化社会に対する医者の役割に切り込んだ社会派映画なんてことを書いた評論がいくつかあった。たぶんこの町の観客たちも、その記事を鵜呑みにして映画館に足を運んだんだろう。

でも、これはそんな社会派ナントカとは全然違う映画だと思うんだ。
はっきり言うと、テーマは『ゆれる』とほとんど同じ。あの映画は、一人の女を死なせてしまったことをきっかけに、兄と弟がそれまで隠していた本心を曝け出すというストーリーだったけど、今度はニセ医者と彼を信じた村人たちとの間で同様のテーマが描かれている。
西川美和という女性監督が一貫して描いているのは、この複雑で奇怪な世界では、人はみな何者かになりすまして生きてかざるを得ないのではないかという、ぞっとするような問いかけだ。普段は隠していた真の姿が、些細な事件をきっかけに不気味な姿を曝け出す。その瞬間の“ゆれる”心理を手を変え品を変え、描いているんだと思う。

ニセ医者を演じたのは、なんとあの笑福亭鶴瓶。このキャスティングは大成功だと思ったなあ。彼の人の良さそうな、だけど本心からは笑っていないような瞳の奥の鈍い光は、なりすまして生きていることの不安感と、そうせざるを得なかったあきらめとを見事に映し出していた。
脇を固める研修医の瑛太と、看護婦の余貴美子も旬脱。どの役者も、抑制された中に感情の襞が見えるような繊細な演技をしていて素晴らしかった。

恐らく、西川監督はアメリカン・ニューシネマやハードボイルド小説の技法に強く影響を受けているんだと思う。ベタベタした感情表現を極力抑え、淡々と風景が切り替わるようなカメラワークで人間の感情の“ゆれ”を表していくやり方は、所々でくすりと笑わされつつも、観る者の気持ちをざわざわと揺さぶっていく。
オレ、西川監督の独特のタッチ、好きなんだよねえ…。この世界に没入できるかどうかは、何かを装ったり、何かになったつもりにならなければ生きていけないことに、どれだけクールでいられるかに関わってくると思う。
実際オレも、よき家庭人の顔をしたり、2人の子の父親だったり、社会の中堅を支える仕事人だったり、こうしてしょうもない事書いてるブログの管理人だったりと、世間にはいろんな顔を見せて生きている。だけど、それってどんだけほんとのオレなんだよ?って思っちゃうんだよな、時々(苦笑)。
この監督は、そういう痒いカサブタをいきなりべろっ!と剥いちゃうんだ。それがたまんねえ。うーん、オレは心理的にMなのかもしれない…(笑)。

映画を観終わって思ったんだけど、実はこの村の人たちは、自分たちがだまされていたと知っても、あまり怒っていなかったのではないだろうか。医者の免許も資格も持っていない。だけど、周囲からの期待と信頼は並みの医者以上。患者の意向で処方箋が決まれば、結果はどうあれ患者と家族は満足。それで何も問題なかったんだから…。
結局、自分が思い込んでる“自己”なんてものは、他人の見るそれとは差があるに決まってるのだ。それとどう折り合いを付けていくかが、その人なりの人生ってものなんじゃないだろうか。こんなこと、あんまり真剣に考えてると神経症になっちゃいそうだけどね…(笑)。

そういう意味では、この映画で一番かわいそうだったのは、井川遥演じた女医さんだったかもしれない。オレが井川遥女子のファンなんで、なおさらそう感じたのかもしれないけど(苦笑)。実際、この映画での井川遥は一時期よりだいぶスリムになって清楚な色香が漂い、超絶的に美しかった。
彼女の母は胃を重く患っているのだが、娘に心配かけたくないからと、その事実を娘にひた隠しにしてしまう。それは、無医村を出て遠いところで医者になった娘に診てもらったら、自分も娘も村人の恨みを買ってしまうと考えてのことなのだが、一番近いところにいるのに屈折した関係にならざるを得ないなんて…。悲しすぎるよなあ…。

最後の最後にも、ちょっとしたどんでん返しがあるのだが、それはほっとする反面、やっぱり女医さんの立場だとは、素直に喜べないと思う。うーむ…。

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2009年9月17日 (木)

【映画】 サマーウォーズ

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あまり大きな話題にはならなかったが、これはアニメーションの枠を超えた素晴らしい作品だと思う。
聞くところによると、この映画を監督した細田守は、昨年ロングランになったアニメ版『時をかける少女』を手掛けた人だとか。オレ、一発でこの人がポスト宮崎駿と呼ばれる理由がわかったよ。壮大な映像美といい、観るものを引き込んで離さないストーリー展開といい、未来の巨匠と言われる要素は十分。何よりも、彼の作品には誰もが心震わせずにはいられない温かい人間性と未来への肯定が感じられる。そこが素晴らしい。

映画の主人公は、天才的な数学力を持ちながらもちょっと小心者の高校生、小磯健二。彼はパソコンクラブの友人と、世界中に張り巡らされたデジタル・ネットの管理人をほんの少しだけやっている。
夏休みのある日、健二は憧れの先輩である夏希に頼まれ、長野県にある彼女の田舎で過ごすことになった。そこで健二を待っていたのは、見たこともないような大きな日本家屋と大勢の親戚たち。実は夏希は武田信玄の末裔であり、彼女のお婆ちゃんは武田家の何代目かの当主だったのである。親戚たちが集まったのは、そのお婆ちゃんの誕生日をお祝いするためであり、夏希はお婆ちゃんを喜ばせるため、健二に「婚約者のふりをして」と頼むのだった。事の成り行きに戸惑う健二だったが、美しい田舎の景色と大家族のにぎやかで温かい雰囲気に惹かれ、大役を引き受ける。
そんな時、彼が管理人をしているデジタル・ネットの世界に異変が起きた。何者かが健二のIDを盗み、ネットで管理された世界の秩序を壊し始めたのだ。健二と夏希たちは、最新のデジタル技術と長年継承されてきた武田家の結束力で、サイバー・テロと闘う。

この映画の何よりも素晴らしいところは、デジタル世代を肯定した上で、昔の日本が持っていたアナログ的人間社会の温かさ、大切さをもきちんと描いているところだと思う。
普段ネットはおろか、ケータイさえほとんど使わないというような人でも、これが荒唐無稽なストーリーだは思わないだろう。21世紀の現在、ネットに依存したインフラがテロで崩壊し、世界の終わりが忍び寄ってくるっていうのは、宇宙人が攻めてきたり隕石が衝突したりすることよりもよっぽど現実味のある話だから…。
そんなサイバーテロに立ち向かったのは、デジタルキッズの頭脳と老婆を中心とした親戚縁者の古式ゆかしい結束力なのだ。デジタルとアナログの融合。温故知新の正しき姿。新と旧が融合する爽快なストーリー展開には胸が躍った。

アナログとデジタルの融合は、この映画の技術的な部分にも表れていて、アナログ世界はセルで描かれ、デジタル世界はCGで、という風に技術の使い分けをしているのが感じられる。そのどちらもとてもクオリティーが高い。うーん、スゴイな…。まさしく21世紀の今の時代だからこそ可能になったアニメというか…。

でも、それにしたってもこのしっかりしたストーリーがあるからこそ引き立つのだろう。まずは物語ありき。この未来を生きるティーン・エイジャーを温かく見守るような視点には、感動すら覚えてしまう。
デジタル+アナログっていうテーマだけじゃなくて、ここには内気な少年が大人への階段を一歩登るようなタッチも感じた。そんな瑞々しいストーリーが、日本の原風景のような温かい大家族や、美しい田舎の風景や、背筋のすっと伸びた美しい少女とともに展開されていく。
オレ、この手のピュアな表現に非常に弱い(苦笑)。なんか夢のような時間だったなあ…。夏がキラキラと輝いてるみたいだった。
確かにサイバーテロは悪。だけど、オレ、この映画でほんとに悪いヤツは一人も出てきてないと思ったなあ。ラストは幸せすぎてちょっと泣きそうになったぐらいだ(笑)。

あんまり説明しすぎると野暮になる。
この映画はぜひ夏が終わらないうちに観て欲しい。子供の頃の夏休みを思い出すぜ、きっと。
あ、テーマを歌ってるのは山下達郎です。これもイイですよ。

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2009年9月16日 (水)

R.I.P. ジム・キャロル

東京に出たての頃、オレはこの人が少年時代の日々を書き綴った「マンハッタン少年日記」を何回も何回も読み直した。
ジム・キャロル。ニューーヨークの町を徘徊し、12歳からヤクを打ってた本物の不良。だけど、その精神は水晶のようにピュアで、心の琴線に触れるセンテンスをたくさん見つけることができたのだ。

20年前、恋人も心を許しあえる友人もまだいなかった孤独な少年は、ジムの文章を噛みしめながら、吉祥寺の街をふらついていたっけ。その目に映る風景をNYの路地裏とダブらせながら…。
オレにとって、ニューヨークの街を代表するアーティストは、デビッド・バーンでもリチャード・ヘルでもない。今でもジム・キャロルとガーランド・ジェフリーズなのだ。

10年ぐらい前、なんと「マンハッタン少年日記」が映画化された。
「バスケットボール・ダイアリーズ」。なんと、主演はレオナルド・デカプリオ!全然観る気になれなかったけど、ジムにも大金が転がり込むんだったらそれもいいのかな、と思っていた。

今日、突然の逝去の報。マンハッタンの自宅で心臓発作。享年60歳だという。

なんだか、がっかりだ。この混沌とした時代にいて欲しい人が、また一人あっちに行ってしまった…。
人間、そんなに長く生きていてもしゃあないのかな…。なんか、あっちの世界もけっこう楽しそうに思えてくるな…。

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2009年9月15日 (火)

【映画】 20世紀少年 最終章

O03500494102126011091_5去年の夏に第一章が公開されてからほぼ1年。
うちの家族は妻を除く男3人が、みんな「20世紀少年マニア」なんで、この1年は男3匹、この映画と原作漫画のおかげで楽しい時間を過ごせた。それもこれでお終い。なんだか寂しいなあ…。まあ、よげんの書が延々続いたらそれはそれで困るんだけど…(笑)。

映画の結末は、漫画のそれとはちょっと違っていた。
これから観る人のために詳しく書くのは控えるけど、エンドロールの後に10分間ぐらいケンヂのストーリーが続くのだ。これは、ケンヂが子供時代に自分が犯した小さな過ちに決着をつけるような話。賛否両論あると思うけど、オレはこれがあってとても良かったと思う。子供たちも同じ感想を持ったみたいだ。

最後の10分間は、漫画でもはっきり表現し切れなかった裏テーマ、“ともだち”を作ったのは、結局“みんな”だったんだっていうことを、よりはっきりとカタチに出すことができていたと思う。
自分を守るために見ないふりをしてしまう小さな嘘や小さな裏切り。それが、やがて大きな間違いの結晶である“ともだち”を作ってしまった…。なーんて言うと、オウムに走った信者たちみたいだけど、こういう危険って誰の心中にも潜んでいるんじゃないかと思ったなあ、オレは。そんな自分自身の嘘にちゃんと向き合う勇気を持つことは、結局は自分自身をも救うってことなんじゃないかとぼんやり考えた。

オレは、子供たちがはからずも漏らした一言、「ともだちも可愛そうなんだよね、ほんとは」っていう感想に“はっ!”とさせられた。で、そんな“ともだち”を、あの10分間の挿入部分で少しは救えたんじゃないかなと…。うちら家族はそういう感想を持ちました。

しかし、漫画を映画化するってのはやっぱり難しいんだなあ…。まあ、これは話がデカイから余計そうだったのかもしれないけど、最終章はどうしても駆け足で進むような感じになっちゃってたと感じる。
あ、そうだ。第二章までは、ケンヂが歌う「Bob Lennon」の歌詞、コーラスの“グータララー、スーダララー”が単に“ラーラララー、ラーラララー”になってたのが大いに不満だったんですが、最終章ではちゃんと“グータララー、スーダララー”って歌われてました。しかも、それはここにきて重要な意味を持って…。

あとは…。そうさなあ、第二章までは大活躍だった小泉響子があんまし台詞がなかったり(コーンビーフ食ったり、おにぎり食ったりするシーンばっかりなんだ、これが(苦笑))、楽しみにしていた(笑)エロイム・エッサイムズの演奏シーンがちゃんと映んなかったことが不満といえば不満。
そうそう、エロイム・エッサイムズのギタリストが元チェッカーズの武内享だったのにはびっくり。顔にペイントしてたんで、わかんない人もけっこういたんじゃないかと思うけど(苦笑)。

それにしても、これで終わると思うとほんとに寂しい限りだ。
遠藤カンナがケンヂと再会してわんわん泣くシーンがあるんだけど、あれは一世一代の役を担った平愛梨ちゃんが、大役を演じ切ったことで流した本気の涙だったんじゃないかなあ。ちょっとじーんときました。

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2009年9月14日 (月)

究極の中華麺の話

支那そば 佐川

住所:福島市森合屋敷下1-8
TEL:024-534-4669
営業時間:10:30~18:00
定休日:毎週木曜日
交通機関:福島交通飯坂線曽根田駅より徒歩5分

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田舎のラーメン屋に、白湯と昆布だしのダブルスープだの、じっくり煮込んだ究極チャーシューだのといった小洒落たワザを求めるのは野暮だと思う。そういうのは都会の有名店に任せておけばいいこと。地方には地方ならではの新鮮な食材と綺麗な水がある。それを使った昔から変わらぬ味の中華麺がある。それがまたびっくりするほど美味かったりするのだ。

都会に住んでる田舎者ならきっと憶えがあるだろう。名店と呼ばれている所は確かに美味い。だけど、遠い昔、ラーメンがまだご馳走だった頃に口に入れた、名も知れぬお店のあの味がどうしても忘れられない…。どんなに名店と呼ばれるラーメンを食べても、あの味にはかなわない…。そんな思いを抱いているラーメン好きは、実は多いのではないだろうか。
オレにとって、ここ「佐川」の「支那そば」は、そんな郷愁を100%満たしてくれる。シンプルな醤油系中華そばとして、これはオレにとって究極の一品だ。恐らく、一生かけてもこれ以上の中華麺には出会えないだろう。

実はこの店、かつては「佐川食堂」という名で、福島の町で30年以上も中華麺を出し続けてきた。
今でも憶えている。幼い日、父の後ろに付いて必死に自転車を漕ぎ、この店の暖簾をくぐると、お世辞にも綺麗とはいえない土間ブチの狭い店内に大勢の老若男女がひしめき合い、みな旨そうに支那そばを啜っていたあの光景を。銀の灰皿、三角のマッチ箱、手垢の付いた少年ジャンプ。ここはオレにとっては大衆食堂の原風景でもあるのだ。

今は店もずいぶんと綺麗になり、折からのラーメンブームにのって、わざわざ県外から食べに来るお客さんもいるらしい。だが、どんなに有名になろうとも、「佐川」の懐かしくも一本筋のとおった支那そばの味は少しも変わっていない。

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「佐川」のオヤジさんのこだわりその1。美味しいスープ。これは井戸水を使用し、なんと石釜で薪を焚いて作っているのだ。お店の外にはオヤジさん自らが斧をふるった薪木が並んでいる。
最新の厨房機器を使えば、こんな手間はかけなくて済むのかもしれない。だが、水道水を寸胴鍋で焚いたって、絶対にこの味にはならないだろう。鶏ガラベースの優しい甘みは臭みが出るぎりぎりのところで抑えてある。舌に優しく染み渡るこの味わいは、井戸水の新鮮さが効いているからに違いない。

そういえば、オレが初めて「東京風中華そば」を食べた時、なんとなくスープが苦いと感じたことを思い出す。それと、かん水と化学調味料の匂いが強く鼻を突いたことも…。それはそれで慣れてくると美味かったりもするのだけれど、「佐川」の純度の高いスープを口にすると、余計なものが入っていないシンプルなものこそ何より美味いという当たり前の事実に改めて気付かされる。

こだわりその2。ゆるく縮れて透き通った品のいい中華麺。この縮れ具合がスープとうまく絡んで絶妙の美味さを醸し出すのだ。
実は、この手の中華麺は昔よく市販されていた。「佐川」の麺は、昔、母親が買っていた「中華麺」という名の生麺の味にとても近い。懐かしくもこれが原点だということを改めて思い起こさせる説得力のある味だ。あの頃の中華麺、今ではとんと見かけなくなった。

こだわりその3。これだけこだわった中華麺を出していて、なんと値段はたったの400円!これでも値上げ後の価格で、少し前までは360円だったのだから呆れてしまう(笑)。
この値段だからこそ、ガキの頃のオレたちは、高校の帰り道にここに寄って腹ペコの胃袋を満たすことができた。都会では一杯800円もするようなラーメンも珍しくないが、そもそもラーメンとは、庶民が銭湯の帰りにポケットの小銭で気軽に口にできるぐらいのモノだったのである。

オレは、福島に帰ると必ず一度はここの「支那そば」を食べる。
「支那そば」と名付けられたメニューはあちこちで見かけるが、それは実はただの醤油ラーメンである場合がほとんど。「佐川」の「支那そば」は、そんなものとは一線を画す究極の一品なのだ。
でも、ほんとにここの「支那そば」が美味いのは、冬なんじゃないかなあ…。福島の冬は寒い。雪はあまり降らないが、吾妻連邦から吹き降ろしてくる風は、厚手のコートの襟からも容赦なく入ってきて身体を冷やしていく。
そんな時、「佐川」で食する「支那そば」は最高のご馳走なのだ。薪を焚いて作ったそのスープは熱く、外がいくら寒かろうとなかなか冷めない。優しい味わいの麺とともに、冷えた身体を芯から温めてくれるのだ。

ニュースが北国での初雪の話題を取上げるたびに、オレは「佐川」の懐かしい「支那そば」の味を思い出す。
今年の冬は故郷に帰れるだろうか…。

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2009年9月13日 (日)

小林克哉のRADIO BAKA

http://www.radiobaka.com/reg.html

上に書いたのは「小林克哉のRADIO BAKA」っていうブログのURL。
9/3のエントリーを見て欲しい。19日にFMで流れる忌野清志郎の追悼特番の収録のことが語られているから。

CHABOはこの番組にかけてたんだろう。
あの日以来、テレビやらラジオやら雑誌やら新聞やら、いろんな話があったんだろうけど、それをすべて断って…。

でも、克哉さんの番組で本当に良かったとオレは思う。
こんな大事な特番のパーソナリティに選ばれたら誰だって嬉しいだろう。なのに、克哉さんったら、自分がそれに相応しかったのかと悩み、自分としてはもっと個人的な追悼番組を聴きたいと言う心境すら告白しているのだ。なんて冷静で謙虚な人なんだろう…。

この記事の前後のエントリーでもわかるとおり、克哉さんは今のテレビの現状に疑問を感じたり、ラジオに何が出来るかを常に考えたりしながら仕事を行っているご様子。
オレは、思春期の頃にラジオ番組や、ミュージックビデオを流すテレビ番組のVJなどで小林克哉さんの声にたくさん接してきた世代だけど、克哉さんが今もってラジオの可能性を信じ続けていることがよくわかって嬉しくなった。ロックンロールですよ。バッキー!

それにしても、ヤバイぜ、CHABO。
ギターがぺちゃんこって…。こんなことってあり?いったいどのギターだったんだろう?ほんとに神様はイジワルだな…。

ありきたりの言葉しかいえないけど、CHABO、どうかめげていませんように。天国の清志郎もきっと苦笑いしてるぜ…。

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2009年9月12日 (土)

【カレー】 curry diningbar「笑夢」(福島市)

curry diningbar「笑夢」(えむ)
福島県福島市大町2-35-2F

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久しぶりに帰った故郷の町は激変していた。昔あった百貨店のいくつかは閉店してしまい、駅前の繁華街で目立つのはチェーンの居酒屋とラーメン屋ばかり。浪人時代、悪友たちと飲み歩いた馴染みの店は影も形もなくなっていた。まあ、このご時勢だからそれも仕方ないんだろうとは思うけど、日本中どこに行っても同じような飲み屋ばかりってのは、旅行者にとっては非常につまらないことなのだ。
地方は車社会だから、郊外まで足を伸ばせば、きっと隠れた名店も存在しているんだろうけど、わずかな滞在でそれを開拓するのはちょっと無理。出張者がその町で居心地のいい店と出会うってのは、実は意外に難しいことなのだ。たとえ、それがふるさとのように土地勘のある町だったとしても…。

そんな中、これは!と思うお店をばっちり見つけられたオレはほんとラッキーだと思う。しかも、お店のある一帯は昔は気の効いたレコード屋や本屋、老舗のジャズ喫茶なんかがあって高校時代は自分の縄張りだったところなのだ(笑)。これは運命だろ?やっぱ。うん、仕事はさておき、この店との出会いはこの出張で一番の収穫だったかも(笑)。

そのお店、名前を「笑夢」(“えむ”と読む)という。カレー屋だ。このブログを長く読んでくださってる方はご存知だと思うけど、オレはカレーが3度の飯より大好き(笑)。なので、地方出張の時には、事前に必ず訪ねる町のカレー屋をチェックしておくんだけど、わが故郷福島市には、どういうわけかこれまで本格的なカレー店がなかった。
ところが、今回は思いがけなくもネットでここを発見。南インド風を掲げるカレー屋だけに、これは是非行って見なくては!と思っていたんだよね。

結論から言うと、オレ、3日間の福島滞在中に2回も行っちゃったぞ、ここに(笑)。それほど美味しくて居心地のいいお店だったのだ。
1日目は開店とほぼ同時刻に行ったんだけど、店内には既にたくさんのお客さんがいた。このあたりは市内でも銀行が多く集まっている地域だから、店内は制服を着たOLさんがいっぱい。お昼は740円から840円でサラダ、デザート、ドリンク付のカレーランチが食べられるんだから、そりゃあ通うわなあ…。ロコモコなんかがっつり食べてるお嬢さん方もおりまして、うーん、福島の女は逞しいわ(笑)。

自分は厨房がよく見えるカウンターに座り、お店自慢の一品だというキーマカレーをオーダー。
うん、美味い!一言で言うととてもバランスよく味を整えたキーマカレーだと思う。キーマというと、たとえば「カフェハイチ」のそれをすぐに思い浮かべるけど、あんなとんがった印象ではなく、誰にでも好まれそうな温かさを感じるキーマカレー。辛さもそれほどではなく、これなら辛いものが苦手な女性や子供でもOKだろう。かと言って、スパイスをきちんと使ったことも感じられる奥の深い味付け。
で、食べ進むとライスの中から半熟卵が顔を出すのがお茶目(笑)。カレーと卵っていうのは相性いいんだよね、実は。吉祥寺の「まめ蔵」とか、渋谷の「ムルギー」とか、ゆで卵をカレーに添えて出している店はけっこうある。だけど、半熟はけっこう珍しいんじゃないかなあ?それも、黄身がとろっと外へ流れ出さない絶妙の茹で具合だった。これだと、そのまま食べても良し、黄身をカレーソースに絡めてまろやかな風味にして見るのも良し、好みで2パターンの食べ方がチョイスできる。よく考えてあるなあ~と思った。

2日目はぜひ店主さんと話がしてみたいと思い、お客さんが引けていそうなランチタイムの終わりの時間帯を狙ってみた。
昨日と同じようにカウンターに腰掛け、マスターに「一番南インドっぽいカレーが食べたいんだけど…」とリクエストしてみたら、「ポークとたっぷり茄子の辛口カレー」ってのを薦めてもらった。

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これも美味かった…。インドカレーらしいサラサラのカレーソースに、控えめなスパイスの下味が口の中に残る。ポークはよく見かけるブロック肉ではなく、バラ肉を使っていたのが、却ってこのカレーの素朴な味わいを印象深くしてくれていると思った。深いイエローのソースに浮かぶ紺の茄子との彩りもよく、南国風に調度されたお店の内装とも相まって、なんとも心地よい午後の空間を作ってくれた。

オレ、この日は結局一時間ぐらいお店に居たのかな…。厨房に入っていた30代半ばぐらいと思われるマスターは、奇しくも自分と同じ姓。やはりこの町の出身だというから、ひょっとして遠い親戚かも(笑)。そんなこともあって、一気に話が弾んでしまったのだ。
厨房にはマスターも含む男性2人とアルバイトらしい女性が一人。男性2人、顔つきがよく似ていると思ったら案の定兄弟だそうだ。この場所に兄弟でお店を開いて3年になるという。店内にはブラック・ミュージックのレコードジャケットが品良く飾ってあったので、それも気になって聞いてみたら、お兄さんのほうは時々DJもやっているとのこと。内装のセンスの良さやBGMの趣味はそういうお兄さんの趣向が反映されているんだろうと思った。

夜はお酒を出してバーのような形態でやってるというから、きっとソウル・バーみたいな雰囲気になるんだろうなあ。
とにかく、すごく居心地のいいお店。オレみたいな人間にとっては、行く先々の町でこういうお店を知ってるってのは本当に嬉しいことなのだ。オレらの世代は、旅先で夜を過ごす時、ポン酒をぐいぐい飲りながら土地の珍味を…みたいな飲み方にはまだ早い。ましておネエちゃんがにじり寄ってくるような店もちょっと勘弁だ(苦笑)。そんな夜を過ごすんだったら、気の効いた音楽が流れる小さなお店で、店主と軽い会話を交わしながらゆっくりジントニックを…、みたいに考える連中のほうが多いと思う。
うん、ここならそんな夜が過ごせそうだ。よーし、次回は夜、行ってみるぞ!

何はともあれ、この不景気な時代、福島みたいな保守的な町で飲食店を営むことがどんなに大変なことかは、素人のオレでもよくわかる。そんな中、この若い兄弟はカレーを通じていろんな人との繋がりを持つ夢を抱きながらお店を営んでいるようだ。市内の野外イベントへ出店を出してみたりするのも、そんな試みのひとつなんだろう。
こんな素敵なお店が地元にできたことが、オレは素直に嬉しい。そして、オレはこの町を出た人間だけど、町に残った若者たちがこんな素敵な食文化を育てていることも嬉しく思った。

福島市大町のカレー屋「笑夢」、もし福島に行く機会があったら是非寄ってみて欲しい。
厨房から南国の太陽のような笑顔を浮かべた2人のナイスガイが出迎えてくれるはずだ。

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2009年9月11日 (金)

故郷の町へ

仕事で故郷の町へ行ってきた。

高校生の頃、オレはこの町から逃げ出すことばかり考えていた。
あれから20年以上の歳月が流れ、今、故郷をたまらなく愛しく思う自分がいる。この町の懐かしい風景を時々夢に見たりもするようになった。
旅人として駅を降り、改めて町を歩くと、なんと故郷は美しい町だったのかと思う。

美しい欅並木。青い空に吸い込まれてしまいそうな鄙びた駅舎。

紛れもなく、オレはここで生まれ、ここで育ったのだ。

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2009年9月 8日 (火)

キヨシローのいる夏

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「個展 忌野清志郎の世界」に再び行って来た。
この展覧会では30分ぐらいの未公開スペシャル映像が流れていて、これが曜日ごとにバージョンが違うということで、全部見たいと足しげく通っている人もいるらしい。オレも前と違う映像が見たい気持ちがなかったわけではないんだけど、それ以上に、もう一度清志郎の絵に囲まれて立っていられるあの場所に身を置きたいという気持ちが強かった。

なんていうのかなあ、あの場所、ラフォーレ原宿の6階は、今現在、自分にとっては最も忌野清志郎の近くにいるような感覚を感じることができる場所なのである。国分寺の多摩蘭坂とか、ファンにとっては聖地と呼ばれる場所が都内にいくつかあるけれど、自分はそういうところに行っても、あんまり清志郎の気配を感じることができないでいた。確かに、かつてそこに清志郎はいたんだろうけど、2009年9月の今、その気配は希薄になってしまっているように感じてしまう。

でも、この展示会では本人の息遣いが息苦しいほど感じられる。やっぱり、本人の使っていた道具とか、じっくりと時間をかけて仕上げた絵には何がしかの“気”が宿るものなのだろうか…。じーっと見入っていると、ポン!と清志郎に肩を叩かれそうな錯覚に陥ってしまうほど。その感覚を味わいたくて、また表参道の駅を降りたのである。

不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、これはオレにとってお墓参りのタッチに近いような気がする。お線香に火をつけてお墓の前で故人を偲ぶ時、誰でも故人の在りし日の姿や佇まいを思い起こすだろう。個展の会場に訪れるのはその感覚ととてもよく似ている。清志郎の元気一杯のスナップや映像を眺め、遺された品や絵の数々を観るのは、なんだか自分にとって、とても、とても癒されるのだ。とても、とても…。

オレ、思う。展覧会が開かれてる間、キヨシロー本人もあの場所にちょくちょく遊びに来てるんじゃないだろうか?
なんか、今日はそんな気配をすごく感じたんだけど…。

この展覧会も、夏の終わりと共に終了してしまう。
一連の清志郎関連本も落ち着いてきているし、これが終わったら本当に、本当に何も予定がなくなってしまうんだなあ…。
なんか、寂しい。秋はいつも人恋しい気持ちになるオレだけど、今年はいつも以上にたまらなく寂しい気持ちになっている。

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2009年9月 5日 (土)

国際親善試合 日本-オランダ戦

090521_honda1_2あーあ。またこのパターンかよ…。
な~んか、ものすごく要求不満の残る試合だったなあ…。

このところ、日本代表が格上との試合で陥るパターンは、“前半はガシガシ走って善戦”するも、“後半はスタミナ切れでボコボコにされる”っていうものだ。この前のアジア最終予選のオーストラリア戦もそうだったでしょ?
一生懸命走り回って勇気を持ってプレスをかけるってのは、方向性としては間違ってないとは思う。それは、日本人が欧米人に劣る体躯の差・パワーの差を機動力と組織的な連動とでカバーするという、日本代表がずーっと継承してきている戦術だからね。

ただ、もうそろそろみんな気が付いちゃったと思うんだ。そもそもこの戦術は90分持たないものなんじゃないだろうか?
オランダははじめからそれがわかってたんだと思う。一見、前半は日本が試合の主導権を握ってるように見えてたけれど、実は敵さんは後半こっちがガス欠を起こすことをわかってたから、前半は走らせるだけ走らせ、自分らは後半にフレッシュな選手を入れて一気にカタをつけようと、最初から狙ってたんじゃないだろうか。
最近の日本の試合映像をちょっとでも見ていれば、後半にガス欠を起こすことは子供でもわかる。そもそも、日本はボールを持つ時間が長いって言ったってそれは中盤までの話。ゴールを脅かすようなきわどい繋ぎは殆どないから、ペナルティエリア内さえきちんと閉めておけばOKなのだ。
で、後半エリアとフンテラールを入れ、フラフラになってる日本の守備網をあざ笑うかのように、3点獲っちゃった。まるでシュート練習みたいに…。
悔しい。なんか馬鹿にされてるみたいだ…。

オレ、岡ちゃんの考えがだんだんわかんなくなってきちゃった。
誰か岡田さんにはっきり聞いて欲しい。これだと選手が90分持たないことぐらい、彼だってわかってると思うんだ。なのに、なんで後半中盤の選手を変えないんだろう?この手の質問を記者がしないのが、オレは不思議で仕方がない。
このひたすら走り回る路線をずっと続けるつもりなら、稲本でも今野でも橋本でもいい、時間が経ってバテバテで走ってる選手を早めにとっかえて鮮度を保つようにしなくちゃ選手が可愛そうだ。

それともあれか?岡田さんは試合前、「強い相手に何が通用して何が通用しないかをはっきり認識したい」って何回も言ってたから、それをスタメンになるような選手に肌で感じてもらうため、少しでも長い時間ピッチに立たせたったってか?
うーーーーん、わからん…。岡ちゃんの考えてることがよくわからん…。

さて、ガーナ戦です。間髪入れずに9日、またアフリカの格上と戦います。
ここでまたおんなじような試合をやるようだったら、オレはもうがっかりですよ。“何が通用して何が通用しないか”はもうわかったでしょう?いい加減、このパターンは勘弁してください。

フォーメーションは今のままでいいから中盤を上手くローテして、バランスを守備寄りにしたり、高い位置からプレスをかけに行ったり、そういうのが90分続くサッカーをオレは観たいし、そういう状態をキープするのは、ベンチの仕事じゃないかと思うんだよ。

実は、岡田さんの言ってるサッカーって、試合の最初から最後まで貫けたことってほとんどないんです(苦笑)。
9日、オレは俊輔のFKよりも、本田の突破よりも、冴えたベンチワークが見たい。

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2009年9月 4日 (金)

僕が君を知ってる

I stand alone 仲井戸"CHABO"麗市 「僕が君を知ってる」
2009年10月11日(日)東京 SHIBUYA-AX
開場 17:00 開演 18:00

そうか。そうきましたか…。

CHABOの万感の想いが痛いほど伝わってくる。胸が痛い…。
でも、CHABOがそういう気ならオレに言うことは何もないです。
どうぞ、かけがえのない人への想いを思いっきり歌ってください。それがどんなに辛いものであったとしても、どんなに悲しいものであったとしても、オレは最後まで見届ける覚悟ができていますから…。

でも、願わくばこのライブが、CHABOにとっても僕らにとっても笑顔で明るい明日に踏み出せるようなものであって欲しい。だって、これはCHABOのバースデイなんだから…。
清志郎はちょっと遠いところに行ってしまったけれど、CHABOはずっと僕らの傍にいる。僕らはこれからもCHABOといっしょに年を重ねていける。10月11日、オレはその喜びを噛み締めたいんだ。

CHABO、あなたは決して独りじゃないんだぜ。

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2009年9月 2日 (水)

【映画】  『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』

Peacebed

2007年の12月8日(ジョンの命日だ)に劇場公開された映画。ジョン・レノンを扱った映画はこれまでもいくつかあるが、これはジョンと彼を国外追放しようとしたアメリカ政府との間の闘いにスポットをあてたドキュメンタリーである。オレ、公開当時はなんとなく気乗りしなくて観てなかったんだよね、この映画。
ジョンは、その死後に「愛と平和」を唱える伝道師というイメージが大きく拡大していった人である。これはオノ・ヨーコが積極的にそういうイメージを世間に発信した結果であることも大きいのだけれど、近しい人が書いた本なんかを読むと、実際のジョンはそんなことばかり考えていた人ではないことがわかる。けっこうだらしないところがあったり、強烈なニヒリストであったり。個人的にはそういうところもひっくるめて人間臭いジョン・レノンが好きだから、「愛と平和」のジョン・レノンばかりクローズアップされていたら、ちょっとイヤだなあ~と思っていたのだ。

今年の夏、この映画がCSで放送された。で、オレもようやく観てみたわけだけど、予想していたよりはジョンの多面性がきちんと描かれていて良い映画だった。
そして、何よりもこの映画には、ミュージシャンが政治的なメッセージを歌うことの意義と危険性の両面がきちんと描かれていたのが強く心に残った。

ジョン・レノンが生前のある時期にCIAから監視されていたことは噂でもなんでもない。公開されている政府の資料からもわかる明らかな事実だ。ただ、どんな過激な内容でも、それを歌っているだけなら政府から目をつけられるようなことはなかったのではないか。歌だけならそれは危険でもなんでもないから…。政府が眉を潜めたのは、彼が後にブラック・パンサーみたいな家激な活動家と交流を持ち始めたからなんだろう。
ジョン・レノンという人は、けっこう熱くなりやすいタイプだったみたいで、テレビ番組などでそういった人たちと出会うと、すぐに意気投合してしまったようだ。活動家のほうも“元ビートルズの”メンバーが応援してくれているとなると自分たちにハクが付くから、何が何でもパイプを持ちたがる。ジョンも当然そんなことはわかっているのだろうけど、純粋というのかお人良しというのか、説得力のあることを言われるとすぐにホイホイのってしまうのですね(苦笑)。
でも、そのフットワークの軽さってのはロックにとっては大切なことだとオレは思う。良いとか悪いとか、そんなことはどうでもいいんだ、はっきり言って。どうせ、良い悪いの基準なんて時代とともに変わってしまう。そんなことより、今の自分がYESだったらさっとやってしまう。それがジョン・レノンという人の生き方だったのだとオレは思う。

ただ、ミュージシャンが社会問題に踏み込む時、そのサジ加減はすごく難しいと改めて思った。
メッセージ性の高い歌を唄うことに大きな影響力があることは疑いようがない。それは今すぐに社会の何かを変えるわけではないが、触発されて何かを変えようとする人たちを後々まで生んでいくことになるからだ。
70年代、反戦を唱えるデモ行進で歌われた「Give Peace A Chance」は、その場にいて行動を起こした人たちを奮い立たせただけでなく、そのずっと後に産まれた世代にも影響を与え続けている。
何を隠そう、65年にこの世に生を受け、20世紀の終わりに人の親となったオレ自身も、多感な頃に出会ったジョン・レノンの楽曲の欠片が何パーセントか確実に身体に入っているのを自覚しないわけにはいかない。オレはオレなりのやり方で、家族という宇宙を作り上げ、自分の生きる世界の中で「Give Peace A Chance」を体現していると思っているのだ。

世界には、レノン・チルドレンのような人たちがたくさんいるのだろう。オレも、仲井戸“CHABO”麗市も、忌野清志郎も、もしかしたらこれをよんでいるあなただってレノン・チルドレンかもしれない。
オレ、ミュージシャンの役割ってここまでで充分なのではないかと思うんだ。鳥のように自由な立場で、思ったこと、感じたことを歌う…。それはたかが音楽家一人が実際に行動を起こすことよりも、さらに大きな波を起こす可能性があると思う。晩年のジョンはそれに気が付いたからこそ「過激な愛と平和」ではなく、ヨーコとショーンのための「半径5メートル内の愛と平和」にシフトチェンジしたんじゃないだろうか。
それがもどかしいという人もいるだろう。甘いという人もいるだろう。たとえば、U2のボノはジョンの歌の中で一番嫌いなのが「イマジン」だとどっかで言っていた。それは“思っているだけでは世界は何も変わらないから”だそうだ。
でも、思う人がたくさんいれば世界はいつか変わるのではないかとオレは思うし、そう思っているのはオレ一人じゃないと思うんだ。

この映画の邦題は、「アメリカVSジョン・レノン」なんていう扇情的なものだった。だけど、ジョン・レノンはアメリカとの闘いに敗れたわけでも勝ったわけでもないと思う。そもそもジョンはアメリカと闘うなんて気はさらさらなかったんじゃないだろうか。やりたいことをやってたら目を付けられてしまっただけの話。晩年のジョンだって、決して丸くなったわけじゃないと思う。ただ、やり方をちょっとだけ変えてみただけなのだ。

ジョンの死後、オレはオノ・ヨーコがあまりにもジョン・レノン未亡人の顔を強調し続けているように思えて嫌だった時期がある。でも、この映画を観てそれは誤った認識だと思ったな。彼女は、たとえ戦略的にジョン・レノンの名前を使ってでも、「愛と平和」を一人でも多くの人に伝えることができるのなら、それこそが亡き夫の遺志を継ぐことだと思っているんだろう。

2007年といえば、ジョン・レノン・スーパーライブで忌野清志郎が感動的な「マザー」と「イマジン」を歌った年だ。清志郎もこの映画を観たんだろうか。どんな感想を持ったんだろうか…。

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2009年9月 1日 (火)

夏休み最後の一日に

昨日はうちの長男の夏休み最後の一日だった。
ところが、せがれときたら「自由研究」なんつう一番厄介な宿題をまだ終わらせていない。たまたま休みだった俺も手伝うハメになり、窓の外の嵐も気にならないようなバタバタの一日が始まった。

せがれは最近戦国武将に凝っている。これは巷の歴史ブームの影響だと思うんだけど、せがれは自由研究にもこれを応用して、戦国時代に天下統一を夢見た武将たちの足跡をたどりながら、30日に行われた総選挙での麻生さんと鳩山さんを、現代の天下統一を夢見る2人の将軍に見立て、2人を戦国武将と比較した絵巻物を作ろうという、発想だけは面白いことを考えていたのであった。

で、オレも一緒になってあらためてネットでマニフェストを調べたり、いろんなエピソードを検索して2人のキャラを調べたりしたわけだ。
けっこう面白かったんだ、これが。投票が終わった後だけど、マニフェストなんて初めてちゃんと読んだからさ。こっちが勉強になっちゃった(笑)。

で、マニフェストを読んでせがれが漏らした感想が2つあった。

ひとつが、
「なにこれ?2人ともおんなじことやろうとしてるだけじゃないの?」
ってもの。

確かにそうなんだよな。やり方はそれぞれ違うけど、子供のいる家庭への教育支援だの、年金問題の是正だの医療制度改革だの、やろうとしてることはほとんど同じ(繰り返すけどやり方は違うからね)。

それから、
「地球環境の保全とか言ってるくせに、選挙カーでがんがん排ガスを撒き散らすのは、言ってることとやってることが全然違う」
とも言ってたな。

うーん、、我が息子ながらけっこう鋭いこと言ってるなあ、と思っちゃったよ、オレ(笑)。
戦国時代の大名は“誰が何をやった”ってことがはっきり区別できる。太閤検地をやった豊臣秀吉、江戸幕府の基礎を築いた徳川家康、それぞれに後世まで残るはっきりした政策を実行してるわけだよね。そんな大名たちを調べていたせがれの目からは、似たようなことをちまちま言ってるだけの2人が、えらい小さく見えたんだろう。選挙カーに関しては、子供ながらに政治家の言行不一致を見抜いていたんだろうなあ…。

結果はご存知のとおり鳩山将軍の大勝利(笑)。でも、それで責任取るって言ったって、麻生さんは戦国大名みたいに切腹しちゃうわけじゃないからね…(苦笑)。
それにしても308議席って…。民主の勝利を予想はしていても、ここまで取るとは誰も思わなかったのではないか。
鳩山さんに勘違いして欲しくないのは、民主の政策に国民がモロ手を上げて賛成したわけじゃ決してないってことだ。“何かを変えたい”という漠然とした気持ちが束ねられた結果としてこうなっただけなんじゃないか。
これで裏切られれば、オレらの失望は今以上に大きくなる。自民党以上に民主党を憎むぞ、みんな。似たような光景を細川さんや村山さんの時にオレらは見てるけど、状況はあの時以上に切羽詰ってるってことを忘れないで欲しいと思う。

これからの4年間、間違いなく日本は嵐の時期になるんだろうなあ…。これからの50年に向けて、とても大事な4年間。コレをどう乗り切るかでこの国の未来は決まっちゃうかもしれない。

5年後、オレは40代も終盤を迎え、せがれは高校生になっているはずだ。
5年後の夏、オレたちはどんな景色を見ているんだろう。この自由研究のことを笑って懐かしく思い出せるんだろうか…。

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