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2009年9月29日 (火)

思っちゃいけないことだけど思っちゃうこと

俺が結婚したのは、30になる歳の夏。もう15年も前の話だ。
うちら夫婦は結婚してもしばらくは子供を意識的に作らなかったんだよね。当時は子供が欲しいとは全く思わなかったし、2人ともそれぞれ熱中していることが別にあったから、その時間を育児に取られてしまうことはまっぴらごめんだったのだ。だいたい、子供なんかできたら自分が一気に老け込んでしまうと思ってたもん、俺。慣れない手つきでオムツ換えしてる自分を想像するとぞっとしてしまったぐらい(苦笑)。

状況が変わったのは、妻が婦人科系の病気を患ったから。結果として、彼女は卵巣を一つ失い、妊娠できる確率がぐっと下がってしまった。ここで俺たちは子供を作る・作らないという選択をはじめて真剣に考えざるを得なくなったのだ。結果として子供を作る結論に落ち着くのだけれど、当然のことながら、その時点ではまだ自分が“人の親”になることに納得してはいなかったんだ。

だから、妻が妊娠した時、嬉しい反面、俺はものすごく動揺してしまったんだよな。自分に“親”という役目が務まるんだろうか…。今は笑い話なんだけど、その時は夜も眠れないぐらい悩んだ。
覚悟を決めなくてはいけないと思った。もうロックなんか聴いてる場合じゃないと思った。ちゃらちゃらしたカッコなんかできないと思った。休みになるとつい髪を立ててしまうクセも直そうと思った。夜な夜なライブに行ったりする生活ももうお終い。明日からは誰が見ても父親として世間に認めてもらえるようにしなきゃならない…。そんな悲壮な決意を抱いてたんだよなあ(苦笑)。

なんとか父親になることを受け入れられるようになった理由の一つとして、ひどい話に聞こえるかもしれないけど、“あのミック・ジャガーや忌野清志郎だって子供がいるんだから…”って思い出したことが挙げられる。ステージにオムツも取れていない我が子を上げる清志郎の親バカぶりには、微笑ましいを通り越して呆れ果ててたから。当時の俺は(笑)。あんな調子で子育てできるなら俺もなんとかなるだろう、ぐらいのもんだったんだよ(苦笑)。

でも、ベビーベッドですやすや眠る我が子の顔を見た瞬間、親になる不安なんていっぺんに吹っ飛んじまったんだよな。だって、むちゃくちゃ可~愛いいんだもん!(笑)俺、あの時の気持ちは一生忘れない。ああ、こいつのためなら、自分がオヤジになることぐらいなんてことねぇや、って思ったもん(笑)。
子供がいたらできなくなると思っていたことも、全然大丈夫だった。うちは夫婦ともに仕事をしているから、さすがによちよち歩きの頃までは俺もやりたいことを控え、妻と一緒にオムツ替えをしたり、慣れない手つきでベビーバスに入れたり、ミルクをあげてゲップをさせたり、子守唄を歌いながら寝付かせたりした。それも自分がジョン・レノンになったみたいですごく楽しかったし(笑)。
そして、ある程度手がかからなくなってくると、夫婦で分担し合ってそれぞれ遊びに行ったりもできるようになったんだ。

結局、子供ができても何も変わらなかったんだよな。…いや、変わったか。一緒に暮らす仲間が増えたことで、より人生が楽しくなった。同じものを見て笑うのは1人より2人の方がずっと楽しい。それが3人ならもっと楽しい。

俺、その時やっと悟ったんです。なぜ、清志郎が急にあれほどの親バカぶりを発揮するようになったのか…。
それから、それまで清志郎に関して理解不能だったいくつかの事柄、たとえば唐突に童謡をリリースしてみたり、急にコマ回しに凝りだしたり、不思議な昆虫のイラストを描いてみたり、年柄もなくピカチュウに夢中になったりした時の気持ちも、なんとなく理解できるようになってきた。

子供は成長するにつれて自分が忘れていたようなことを次々にやりだす。遊び、その時々のマイブーム、夢中になるテレビ番組…。まるで自分の生き写しのように様々な場面を見せてくれるのには驚かされた。俺は息子の成長に忘れかけていた子供の頃の自分自身を見ていたのだと思う。それは、自分がもう一度“生き直す”作業といってもいい。“父親になること=オヤジになること”ではなかった。実際はその逆だったのだ。
そんなことに気付かせてくれたのは…。やっぱり忌野清志郎だったんだよなあ…。

俺は、自分に子供ができてから清志郎に対する想いが微妙に変化した。なんてのかなあ、くすぐったい言い方だけど人生の先輩みたいな見方になってきたのだ。
俺もそうだけど、社会に出たり、結婚したり、子供を作ったりするような人生の節目に出くわした時に、それまでの自分自身との折り合いをつけることに不器用になってしまうロック野郎ってすごく多いと思う。青い時代の情熱を歳を重ねてもうまく静められずに苦労する時、ふと忌野清志郎の顔を思い浮かべていた人はすごく多かったんじゃないだろうか。

5月9日の葬儀式には、単に清志郎の音楽が好きだった人たちだけじゃなく、清志郎の生き方に惹かれていた人たちも大勢集まっていたに違いない。そうじゃなければ、あんなに何万もの人が集まるわけがない。
80年代に青春を過ごした俺たちは、日本最初のロック世代でもあるわけだけど、清志郎はそんな俺らに正しいロックオヤジの歳のとり方を見せてくれていたのだ。歳をとることは全然怖いことじゃない。これからも楽しいことがたくさん待っているんだから、安心してオヤジになれる。清志郎を見てるとそう思えた。自分の前に清志郎がいてくれたことに、いったいどれだけのロック馬鹿が励まされていたことだろう…。

清志郎が遠くに行ってしまった喪失感がいつまで経っても抜けないのは、単に彼の音楽がもう聴けなくなってしまったからということだけじゃない。オレら世代にとって、先を歩いてくれるだけで安心できた旗頭が唐突にいなくなってしまったからなのだ。“あんなオヤジになりたい”“あんな歳のとり方をしてみたい”と思わせてくれる先輩が急に目の前からいなくなってしまった、そんな巨大な喪失感が強力に自分たちの世代を包んでいるからだと思う。

俺、思っちゃいけないことだけど思っちゃうよ、どうしても。
彼は誇り高いボーカリストとして最後まで気高く病と闘った。それはよくわかってる。痛いほどよくわかってるよ。清志郎の選択、あえて手術をせずに自分の信じた方法で闘病し続けた選択は神々しいとすら思う。
だけど…。だけどね…。たとえ歌えなくなっても良かったから、メスを入れ、生き続けてくれる選択肢はなかったのかと、どうしても思ってしまうんだ。あれから5ヶ月になろうとしてるけど、いまだに、ことあるごとにそう思ってしまう自分がいる。それがオレは苦しい…。苦しいんだよ、すごく…。

個展 忌野清志郎の世界」であの素晴らしい絵を見た時も、たとえ声が失われてもこういう表現方法があったじゃないか、それでもよかったんじゃないかって、反射的にそう思っちゃったんだよなあ、俺は。とても未公開映像の中身まで吟味するような接し方はできなかったんだ。
先輩にはね、先輩にはね、どんな身体になってでも生きていて欲しかったんだ。ほんとは…。

ごめんね。こんなことは今さら言ってもしょうがないことだよな…。俺もこんなこと、もう二度と書かないつもりです。
でも、忌野清志郎はそんな存在だったんですよ、俺にとっては。日本最高のR&Bシンガーであると同時に、いや、もしかしたらそれ以上に、人生におけるセンパイだったんです。
これからも、俺は何か人生の節目にぶち当たった時、“清志郎ならどう考えるだろう…”って考える場面にさんざん出くわすだろう。それはもう、思春期の頃からずっとそうだったんだから、これからも変わらない。変わりようがないのだ。

そうだなあ…。考えてみたら、妻がいようと子供がいようと、俺自身は20年前と何も変わってないのかもしれない。ただ、忌野清志郎がもうここにはいないという、どうしようもない現実以外には…。

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忌野清志郎」カテゴリの記事

コメント

そうですよね。
俺もそんなこと言っちゃ、思っちゃいけない、って思ってたから言わなかったけど。
音楽ありきなのは判るけど、俺も清志郎という人間そのものが好きだったから、いや、だから。
自分が、主に年齢に見合ったシリアスな場面に遭遇した時、“清志郎みたいな一見チャランポランな人でもどうにかなってんだから大丈夫”とどれだけ励まされたか。
俺たちはこれから誰の背中を追っかけて生きていけばいいんだろう?

泣けました・・・

お久しぶりです。もう何年か前にメッセージを送らせて頂いたことがありましたが(覚えてくださってなくてもしょうがないくらい前のことです)あれからずっと時々覗かせていただくだけでした。でも今日は・・・。私にも17歳と15歳の子供が居ます。正直言って子供は嫌いで自分が子供の親になるなんてことずっと考えていませんでした。しかし、婦人科系の病気をしたり、その経過で夫の男性不妊症が判明したりして、結果病院で不妊治療を受けることになりました。しかし子供が出来た時は嬉しさよりも不安の方が大きくて自分が子供の母親になれるのか?なって良いのか?頼りなくて危うい気持ちを抱えての妊娠期間でした。しかし子供が産まれてしまうと、そんなやわなモラトリアム気取りなんて吹き飛ばしてしまうような日々が始まりました。なにしろほっといたら直ぐ死んじゃうんですものね。人間の赤ん坊ってやつは。こちらの気持ちも体調もおかまいなしに泣いたりぐずったりするし、そして、信じられない位可愛いし。
アタシも子供が生まれたらもうライブとかそーゆー物は全部諦めなきならないと思っていましたがやはりそんなことはなかったです。
清志郎が子供の親になって変わった丸くなったと言う人が多いけど彼の本質はなんにも変わってなかったと思います。その素直な気持ちのまんまにタッペイ君やももちゃんのことを愛しただけで。
アタシも清志郎にはたとえ歌えなくなってもずっと生きていて欲しかったです。でも、もし手術をしたとしても命を永らえることが出来たのかどうかは誰にも分かりませんよね。HAGAさんのおっしゃることに反論したいわけでもなんでもないのですが、清志郎本人が一番生き続けたかったはずだと思うから・・・。
いや、ただ生きてて欲しかったってその気持ちは皆一緒ですよね。この気持ちを残されたアタシたちはずっとこの先も抱えて生きていくよりないのでしょうね。

◆LA MOSCAさん
俺、夏が終わるにつれて、また虚無感が広がってきちゃってます…。今回書いたことも、言っちゃいけない思っちゃいけないことだとは思ってるんだけど、どうしても一回吐き出したかったんだ。でないと前に進めないような気がして…。

>俺たちはこれから誰の背中を追っかけて生きていけばいいんだろう?

ほんとだよね。大人になるってのは孤独な魂を抱えて走り続けることなのかもなあ…。

◆ちゃこさん
泣かしちゃってゴメンなさいね(苦笑)。もう泣き言は書かないつもりです。

◆yukodokidokiさん
そっか。yukodokidokiさんも様々な困難を乗り越えて子育てをされたんですね。俺も子供たちがいてくれてほんとに良かったと思ってます。彼らのお陰で俺は大人になれたんだと思うし、反面子供のままでもいられるんだと思ってますから。俺が今一番大事にしてるのは、“自分が生きてるのは自分のためだけじゃない”っていう感覚です。これがないと、ほんとボロボロになっちゃうかも、俺…。

>清志郎が子供の親になって変わった丸くなったと言う人が多いけど彼の本質はなんにも変わってなかったと思います。

俺もそう思います。表面的に歌われていることだけ見てれば“丸くなった”と思えるかもしれないけど、清志郎自身は30年前と全然変わってなかったと思うよ。それは家庭を持ったり、子供がいるような元ロック少年・元ロック少女にはよりわかりやすかったのかもしれませんね。

>でも、もし手術をしたとしても命を永らえることが出来たのかどうかは誰にも分かりませんよね。

そういえば、“癌の治療に何を選ぶかはイコールその人の生き方なんだ”みたいなことを誰かが言ってました。清志郎は、何よりも大事な声を失うのなら確率が低くとも抗がん剤+民間療法を、という選択をしたわけで、それは清志郎らしい、立派な選択だったと僕も思うようにしてます。

それでもなお…。ってどうしても思い返してしまうんだ。初期の咽頭癌は完治する確立が高かったと聞くだけに、なおさら無念が気持ちが募っちゃって…。
なんか、今の俺は清志郎の不在が春先よりなお強く感じられるようになってしまいました。これから冬が来るのがたまらなくイヤです…。

HAGAさんの「もう一度生き直す作業」という言葉、その通りだと思います。
子どものために自分の人生を捨てるなんて、という人がいるけれど、それは子どもと親とを全く別のモノととらえた感覚だと思います。でもやはり子どもは自分なんだと思うんですよ。だって自分の遺伝子を受け継いでくれているわけですから。私は子どもを産んだとき、「これが私の使命だったんだ」と思いました。命は1人1人で途切れるのではなく、ずっと繋がっていくんだと思います。
そういう子どもと自分との一体感を、清志郎は躊躇無く表現してくれましたよね。晩年のラブソングに思える作品も、実はお子さんのことを歌っていたのではないかと思います。例えば『仕草』とか。清志郎は、今自分の心にあるものを歌にする、という「歌」の原点のようなものを見せてくれたように思います。
それと、癌の手術ですが、初期であったかどうかも微妙なのではないかと思います。診断がついた時点で体全体にがん細胞は散らばっていたのかもしれません。手術しても結果は同じだったかもしれませんよ。親になることと同様、清志郎は死ぬ事についても恐れを無くしてくれた、とも思えるのですが、いかがでしょう。

声や音楽と引き換えに、長生きしてもう少し「父親」でいるという選択肢もあったと思います。でも、彼はそれをしなかった。私は子どもがいないので親としての清志郎さんの気持ちはわかりませんが、娘の立場から言えば、たとえ自分を残して早くあっちの世界に行っちゃっても、そんなお父さん最高にカッコいいし誇らしいですよ。生きて傍にいることだけが親にできることじゃない、って、清志郎さんの生きざまを見てすごく感じています。

もちろんその一方で、どんな形でもいいからもっと生きてて欲しかった…という気持ちは拭えないんですけどね。。

清志郎さんの選択に関しては、確かに今さら言っても仕方ないんだろうけど…自分の生き方を考え直すのに、とても大切な問いだな、と、読んでいて感じました。

17:06の投稿でHNを書き忘れていました。
それと癌治療のことで重ねて言わせてください。
よく「命と引き換えに声を選んだ」と言われていますが、癌の治療の選択はそんな単純なものじゃないです。歌手としてだけでなく、その後のQOLのことも考えなくてはならないのです。声帯を切り取ってしまうという恐怖だってあるでしょう。大きく切ってしまって後悔する人だってたくさんいるんです。一種の賭けですね。

◆ayakoさん
>生きて傍にいることだけが親にできることじゃない、って、清志郎さんの生きざまを見てすごく感じています。

そうですね。そうかもしれませんね。そう思うと少し気持ちも楽になるなかもな…。僕も2児の父であるわkですけど、父親ってのは母親とはまた違う形で子供に生き様を見せていかなくてはならないんだろうな、なんてことを思いました。

時々どうしようもない喪失感に囚われてしまいますが、僕も清志郎の選んだブルースとの付き合い方は、清志郎の生き方そのものだったと思います。
自分があの立場になった時どうするかも含め、幕の閉じ方を考えてしまいました。

◆K.Iさん
K.Iさんの書き込みには、僕が普段感じていても言葉に出来なかった大事なことがたくさん含まれていると感じました。素晴らしいコメントをいただいて本当にありがとうございます。
実はこの記事、ネガティブな内容なんで最初はアップをためらったんですが、K.Iさんのコメントをいただけただけでも、アップして本当に良かったと今は思っています。

>親になることと同様、清志郎は死ぬ事についても恐れを無くしてくれた、とも思えるのですが、いかがでしょう。

そうですね!「彼女について」の記事の長い前説でも書いたとおり、これは僕、正にそうです。清志郎は僕らのずっと先の道標も立てておいてくれたんですね。

それと、子供に関する考え方にもとても共感しました。「子供は自分」、ずっと繋がっていくという気持ち、それは父親である僕も日頃から感じる感覚ですし、晩年の清志郎のラブソングが、いつの頃からか歌われる裾野がぐっと広がったと感じられたのはここからきていたのか、と気が付きました。
子供への愛、父親となってから改めて見渡した社会、父親と母親になってからの夫婦間の愛情の進化…。晩年の清志郎のラブソングは様々な顔があり、大人が聴いても深い示唆が感じられるようなものになっていたと思います。

癌の手術についても、確かにそうですね。僕が思っていたほど単純なものじゃないということはよくわかりました。
清志郎はもちろん完全復活を信じて闘病してたわけですけど、なんとなく悟ってたっていうのか、いつでも幕を引ける覚悟も持ちながら毎日を過ごしていたんだろうな、って今は思います。

HAGAさんにそんな風に言っていただけるなんて、感激です。
「大人が聴いても深い示唆が感じられる」との言葉には、うんうん頷くばかりです。
「彼女について」の記事も読ませていただきました。「死」に対する感覚の変化について既に書かれていましたね。失礼しました。
楽曲だけ聴いていればいいという人もいますが、清志郎の歌には清志郎のリアルな心が伝わってくるからこその感動があると思います。人間性や生き方を感じながら曲を聴く事ができるというのは、本当に幸せなことですよね。おっしゃる通り、まさに人生の先輩です。
これからも、HAGAさんの文章を楽しく読ませていただきますね。

◆K.Iさん
>楽曲だけ聴いていればいいという人もいますが、清志郎の歌には清志郎のリアルな心が伝わってくるからこその感動があると思います。

音楽の聴き方は人それぞれですから楽曲の世界だけで満足ならそれはそれでいいのでしょうけど、僕は楽曲から見える人間性にまで強く思いを巡らせてしまうタイプです。だからこそ、清志郎の不在をこれだけ強く感じてしまっているんでしょうけど…。
でも、彼がいなかったら今の僕は今とは違ったカタチで大人になっていたと思うんですよね、明らかに。いなくなってその大きさに気が付く自分はなんていい加減だったんだろうと思うけど、僕の身体の成分の何%かは確実に清志郎でできていると思っています。

HAGAさんの日記、皆さんの書込み見てジンと来ました。

ボクは決してキヨシローの熱心なファンじゃなかったけど
彼がいなくなって未だに大きな喪失感があります。
この感覚、2年前に父親が死んだ後の感覚に近いんです。
自分の何かが切取られたような、削られたような感覚。
単に好きなミュージシャンが亡くなった以上の・・・。

ボクも未だにこの「ポッカリ」が埋まりません。

HAGAさん、キヨシローのいない悲しみを綴ったとき
謝るけど・・・謝らなくてイイですよ。
イイじゃないですか。大切なヒトがいなくなって悲しくて当然。
隠すことも強がる必要もないですよ。むしろカッコいいです。

ボクは読んでて凄く共感したし、他の皆さんもそうだと思う。
「悲しみの共感」があってもイイと思います。
それは・・絶対ネガティブじゃないと思う。

>僕の身体の成分の何%かは確実に清志郎でできていると思っています。

この文章・・・感動しました。ホントに。

あの・・・キザッちいこと云っちゃいますが・・・。
キヨシローの「遺伝子」はもちろんお子さん達に継がれてるけど
きっと・・彼を愛したファンの皆さんにも引継がれてますよ。

きっと皆さんもキヨシロー´sチルドレンだと思います。
何か恥ずかしいこと書いてスミマセン(苦笑)

そうですよね、よくわかります、その気持ち。
だけどQuality of lifeを全うした清志郎の選択も痛いほどわかります。
実はワタクシ医療者なのもあって、そういう選択をする何人かの人を見てきましたので。

そこで思い出すのが、過去の清志郎のコトバ。
約20年位前のファンクラブの会報で、何故か追っかけガールズに一言、というのがあって。(当時はたくさんいましたね)
「追っかけなんて早くやめてほしい。もっと君自身のことに夢中になるべきだ。人生で出来ることなんて、ほんの少ししかないんだから。君自身のことをすべきだ。」というもの。
この当時、またしても心にズシンと来たものです。
最近、昔の雑誌やらファンクラブ会報を引っ張り出して、再びズシンときました。
清志郎はほんの少しドコロかたくさんのものを残してくれましたね。
なので私も見習わなくてはいけない、と思う次第なのです。

はじめまして。以前からおじゃまさせていただいていました。
私も子を持つ親です。同じような事を感じていました。

上手くは言えないのですが、わかってはいても、時々「清志郎なんでいないのさ」ってところに戻ってしまいます。揺り戻しのように、波がかえってくるように。
言いたくはないけれど、それがつらい。喪失感でいっぱいになってしまう。

時が経つのを待つしかないのかな。
何年も何十年もかけて向き合って、そのたびに、答えを見つけていくしかないのかな。
長い間、清志郎のことが好きで影響を受けてきたんだもの、同じだけ時間がかかるのかも。あるいは一生…。

すみません。ひとりごとみたいですね。

◆ながわさん
>HAGAさん、キヨシローのいない悲しみを綴ったとき
謝るけど・・・謝らなくてイイですよ。

ありがとう。そう言って頂けるとすごく気持ちがラクになります。みんな立ち直ろう、立ち直ろうとしてる時に、ネガティブな書き込みは良くないかなあ、と思ったりもしてたので。

>キヨシローの「遺伝子」はもちろんお子さん達に継がれてるけど
きっと・・彼を愛したファンの皆さんにも引継がれてますよ。

そうですね。そんな人が日本中にいっぱいいるんだと思うと、こんな八方塞がりな社会ですけど、もう少し頑張ってみなきゃな、っていう気持ちになりますね。

◆びおらさん
ファンクラブ会報での清志郎の言葉、僕も読んだ憶えがあります。「ロックで独立する方法」でも、ファンに対していくぶんクールなスタンスを持っている事がうかがえる記述があり、ちょっと驚いたというような感想を持たれた方がいらしたようですが、清志郎は昔からその手のことは何度か語っているんですよね。
清志郎はファンに対しても馴れ合いにならず、自立した関係を求めていたところがありました。だからこそ、僕は清志郎の言葉や行動を、“自分だったらどうしただろう?”と置き換えて考える癖が付いたんだと思います。
清志郎、ほんとにいろんな言葉をたくさん残してくれました…。これから人生でも、清志郎の言葉が青い月のように輝いて見える夜を何度も迎えることになるんだろうと思います。

◆miyamaさん
>上手くは言えないのですが、わかってはいても、時々「清志郎なんでいないのさ」ってところに戻ってしまいます。揺り戻しのように、波がかえってくるように。

そうなんですよねえ…。清志郎がいないことも、最後まで誇り高く病と闘ったこともわかっているんだけど、でも…、って螺旋階段のようにぐるぐると考えが巡ってしまうんです、自分も。
頭ではわかっていても、気持ちがついていっていないんですよね。でも、しょうがないですよね、いるのが当たり前だった人が突然遠くに行っちゃったんですから…。
これからも、時々心にぽっかり空いた穴に風が吹くのを感じながら、いくつもの季節を通っていくんだろうなあ、オレ。
それでもイイや、っていう気持ちもあるんですよね。この5ヶ月で悲しみを抱いて生きていく覚悟はもうできましたから…。

HAGAさん、かっこEです。

自分に足りなかったのは、覚悟だったのかもしれないと気付きました。

ありがとうございます。

◆◆miyamaさん
“覚悟”なんて言うとちょっと大げさかもしれないですけど(苦笑)。でも、歳をとるってことは、イコールそういう悲しみをいくつも潜り抜けることなのかもしれませんね。
余談ですけど、そう思うと、盟友ジョンや最愛の奥さんを亡くしても老け込まず、悲しみの色をまとわず、軽やかに走り続けるポール・マッカートニーって人はつくづくスゴイなあ…って最近思います。

“思っちゃいけないこと”
なんて、この世にひとつだってないんです。
“思うこと”“感じること”に
間違いなんてないです。
“ココロ”だけは
いつだって、完全に自由ですもん(^-^)
だから…自分の気持ちに蓋なんかしなくていいんですよ。
HAGAさんのキモチ…ココロ…
ありのまま…大切にしてあげてください。

「まだまだ生きていて欲しかった」
そのキモチがHAGAさんにとっての真実なんだもの。

◆REICOさん
>「まだまだ生きていて欲しかった」そのキモチがHAGAさんにとっての真実なんだもの。

そうなんです。はっきり言ってその一言に尽きます。“まっとうした”なんて全然思えないです、オレ。
清志郎、まだまだたくさんやりたい事があったと思うんですよね。

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