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2009年9月 8日 (火)

キヨシローのいる夏

Dscn1729

「個展 忌野清志郎の世界」に再び行って来た。
この展覧会では30分ぐらいの未公開スペシャル映像が流れていて、これが曜日ごとにバージョンが違うということで、全部見たいと足しげく通っている人もいるらしい。オレも前と違う映像が見たい気持ちがなかったわけではないんだけど、それ以上に、もう一度清志郎の絵に囲まれて立っていられるあの場所に身を置きたいという気持ちが強かった。

なんていうのかなあ、あの場所、ラフォーレ原宿の6階は、今現在、自分にとっては最も忌野清志郎の近くにいるような感覚を感じることができる場所なのである。国分寺の多摩蘭坂とか、ファンにとっては聖地と呼ばれる場所が都内にいくつかあるけれど、自分はそういうところに行っても、あんまり清志郎の気配を感じることができないでいた。確かに、かつてそこに清志郎はいたんだろうけど、2009年9月の今、その気配は希薄になってしまっているように感じてしまう。

でも、この展示会では本人の息遣いが息苦しいほど感じられる。やっぱり、本人の使っていた道具とか、じっくりと時間をかけて仕上げた絵には何がしかの“気”が宿るものなのだろうか…。じーっと見入っていると、ポン!と清志郎に肩を叩かれそうな錯覚に陥ってしまうほど。その感覚を味わいたくて、また表参道の駅を降りたのである。

不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、これはオレにとってお墓参りのタッチに近いような気がする。お線香に火をつけてお墓の前で故人を偲ぶ時、誰でも故人の在りし日の姿や佇まいを思い起こすだろう。個展の会場に訪れるのはその感覚ととてもよく似ている。清志郎の元気一杯のスナップや映像を眺め、遺された品や絵の数々を観るのは、なんだか自分にとって、とても、とても癒されるのだ。とても、とても…。

オレ、思う。展覧会が開かれてる間、キヨシロー本人もあの場所にちょくちょく遊びに来てるんじゃないだろうか?
なんか、今日はそんな気配をすごく感じたんだけど…。

この展覧会も、夏の終わりと共に終了してしまう。
一連の清志郎関連本も落ち着いてきているし、これが終わったら本当に、本当に何も予定がなくなってしまうんだなあ…。
なんか、寂しい。秋はいつも人恋しい気持ちになるオレだけど、今年はいつも以上にたまらなく寂しい気持ちになっている。

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忌野清志郎」カテゴリの記事

コメント

私も土曜日の夕方に行ってきました。
会場入り口の若き日の清志郎の写真でいきなり胸がいっぱいになりました。
数々のカッコイイ写真。
きらびやかなステージ衣装。カラフルなブーツ。
そしてイラスト、油絵、スケッチ・・・

映像の清志郎はとっても元気に駆け回っていました。
印象的だったのが、ももちゃんの小学校の卒業式ライブ。
なんかいつもと勝手が違うんだけど、いつもと同じようにパワフルに歌ってる清志郎がステキでした。

青山葬儀場に行ったときより、私は今回の個展の方が清志郎を失ったことを実感しました。

今日は9月8日。1年前の今日、野音のステージがあったはず。
もう野音に行く事も無いのかな~
そんな事をふと思いました。

私も清志郎さんはちょくちょく覗きに来てたんじゃないか?
なんてことをと思ってました。
ちゃこさんと同じ土曜日に見にいってたんですが、
あの場所は何か特別な「気」を感じました。
ラフォーレを出ると、いつもの原宿の喧騒がそこにありましたけど…

青山ロックンロール・ショーでは、ただただ事実を受け入なければ、
というような精一杯の状態でしたけど、
今回はじっくりと作品や、展示物と接することができたのもあってか、
それぞれのアイテムが、「どーだい?」なんて、
語りかけてくるような錯覚にさえ陥るくらいでした。
ホント肩を叩かれて、振り向くと清志郎さんがいたりして、
なんてことを真剣に想いながら展示物を見ていました。

絵画の数々の原画を見ていると、
色の重ね方や配色の扱いなどに、
清志郎さんの想いがすごく感じられて、
そこにグッときたりもしました。

ずっとこの個展が開かれていて、
気が向いたらいつでも訪れることができたりしたら…なんてことも考えてました。

◆ちゃこさん
>青山葬儀場に行ったときより、私は今回の個展の方が清志郎を失ったことを実感しました。

ああー、そうですねえ…。その気持ち、わかるような気がします。これは言ってもしょうがないことなんだけど、絵だけでもこんなに人を感動させられるのだから、たとえ声を失っても画家としていき続けてくれれば…なんて…。
本人が最後までボーカリストでいたいが故の選択だったことは、痛いほどわかってるんですけどね…。

◆きあさん
>絵画の数々の原画を見ていると、色の重ね方や配色の扱いなどに、清志郎さんの想いがすごく感じられて、

僕が印象的だったのは、高校生の頃の絵よりも最近の絵のほうがどんどん原色に近い華やか色をたくさん使ってたってことです。鬱屈した少年時代からRCのブレイクなどを得て、清志郎の心象風景もどんどん変わっていってたんだなあってことが、絵を観て実感できました。

>気が向いたらいつでも訪れることができたりしたら…なんてことも考えてました。

そうですね!オレ、今まで有名人の記念館とかに全く興味がなかったんですが、清志郎に関してはそういうのがあってもいいかな、って思いました。そういう場所があると、僕ら、どんなにか癒されるんですけどね…。

HAGAさん、こんにちは。

私は9月10日に行ってきました。悩んでたんですが、やっぱり行ってよかった。

私は「The day of R&B」のパンフを見た瞬間、当時の記憶が甦ってきて涙。絵を見て涙。上映会で涙。結局涙ばっかりでぼんやりとした記憶しか残ってません・・・。

上映会のスタートはヘンタイよいこのfootageで、私が初めて生で見た清志郎がそこにいました。子供だった自分もそこにいる気がして見た瞬間涙腺が完全崩壊しましたよー。
頑張って録音したテープを当時繰り返し聴いてましたが、今でもちゃんと歌える自分にびっくりしました。仕事はすぐに忘れちゃうのに(笑

この個展は清志郎を感じられて嬉しい反面すごく心細くなったというか、改めて自分が清志郎の死を全然受け止められてなかったことを思い知らされました。

実は親が洋楽好きで私の原点はレイ・チャールズなんですが、ジャクソン5も大好きでいつも兄弟でデタラメ英語で歌ってました。なのでマイケルは幼馴染(年は離れてますが)感覚でどうしても嫌いになれない人だったりします。ロンドンコンサートのチケットも取って少しづつ一人旅の準備をしてました。

清志郎を連想させない人ということもあってマイケル、そしてロンドン行に集中することで逃避してましたがその彼も亡くなり・・・悲しさは倍以上。逃避してたツケが廻ってきた感じです。

私は完全復活祭に行くことが出来なかったので、次回復活祭を願ってきましたが叶いませんでした。ロンドンも同じです。見ることが出来なかった後悔と未練がずっと続きそうでツライです。今も日常生活の中でどこか頭と心の間に時差があるのか、ふとした瞬間に涙が出てしまいます。
もう少したてばさようならもありがとうも言うことが出来るのかも知れませんが、まだ無理。

◆asatoさん
>この個展は清志郎を感じられて嬉しい反面すごく心細くなったというか、改めて自分が清志郎の死を全然受け止められてなかったことを思い知らされました。

ああ、お気持ちはすごくよくわかります。オレはこの個展がもうすぐ終わってしまうのが怖いです。これで生身の清志郎の表現に出会えるチャンスはなくなってしまうのか、と思うと…。

マイケル・ジャクソンの件はお返しする言葉もありません。ロンドンコンサートのチケットも取ってあったのですか…。神様はなんて残酷なことをするんでしょうね…。

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