ぼくの好きなキヨシロー / 泉谷しげる・加奈崎芳太郎
5月2日以来、いろんな人と清志郎の話をした。
改めて感じたのは、清志郎が遠くに行ってしまったことで、誰もが生まれて初めてに近いぐらいの大きな喪失感を抱いていたということだ。これまでにも、家族や好きだった歌手が亡くなってショックを受けたことはあっても、それらとは全く種類の違う感情が胸に渦巻き、それに戸惑っているという人とたくさん出会った。
彼らの中には、オレと同じような想いを持った人もいれば、ちょっと違う気持ちを持った人もいた。でも、どちらの場合でも、話を聞くことでオレ自身の気持ちを整理する上ではとても助けられたと思っている。そんな貴重な時間をオレと持ってくださったすべての人に、心から感謝したい。
いろんな人の話を聞いていてこんなことも思った。スターは、死すると“みんなのもの”になるというけれど、清志郎の場合は彼のライブを観たことのある人間がこの世から完全にいなくならない限り、そう簡単に“みんなのもの”になることはないのではないだろうか。
忌野清志郎というミュージシャンが作る歌は、“清志郎 対 自分”という構図が中心だから、必然的に自分だけの清志郎像ができあがる。百人いたら百人の清志郎像があるんだろうし、そういうパーソナルなタッチがあるからこそ、誰もが身を削られるような巨大な喪失感を抱いてしまっているのだと思うのだ。それはそう簡単に最大公約数的なイメージで“みんなのもの”に昇華することはないと思う。
この本には、“泉谷しげるにとっての忌野清志郎”と、“加奈崎芳太郎にとっての忌野清志郎”があますところなく描かれている。
2人に共通する、そして忌野清志郎と仲井戸麗市にも共通するキーワードは「青い森」だ。だから、2人の書く清志郎の思い出は、70年代に起こった出来事が圧倒的に多い。オレなんかはRCからの清志郎ファンだから、スパイス・マーケットの舞台裏話なんかを聞きたい気持ちもあるんだけど、泉谷にとってはやっぱり、圧倒的に「青い森」なんだろう。そういえば、10月11日にあったCHABOのソロライブでも、CHABOの口から思い出として最も多く語られたのは、やっぱり「青い森」時代のことだったっけ…。
これは、単に彼らが最も多感で苦しい時期を、共に「青い森」で過ごしたというノスタルジックな気持ちからきているのではないと思う。70年代の「青い森」では、明らかに尋常ではない何かが“起こり”、何かが現在まで“引き継がれた”のだ。
現在でも、70年代のRCサクセションの音源はいくつか聴く事ができる。だが、2人は口を揃えて“あの頃のライブはレコードの何百倍も良かった”と言っているのだ。泉谷なんか、ロック化した80年代のRCよりも、「青い森」時代のほうがもっとパワフルだったというような意味のことすら語っているぐらい。
オレ、これを読んで、自分はまだ忌野清志郎という人物の氷山の一角しか知らないのかもなあ、なんていう気持ちにもなった。それはある意味、オレらRCサクセションで忌野清志郎に出会った世代が、後追いで入ってきたファン達がよく抱いている“Love&Peaceの伝道師”みたいな清志郎のイメージに違和感を抱くのとよく似ている。
でも、それはどっちもしょうがないことなのだ。「青い森」はもうないし、RCのライブを今体験しようと思っても、それは不可能なんだから…。
泉谷しげるが自身のオフィシャル・サイト内で、「緊急特別連載-忌野清志郎・伝」を書き始たのは5月5日のことだった。それはあの日からわずか3日後という早さ。もう、感情が爆発してる状態だったというか、とにかくどんなカタチであれ、何かをすぐに書かずにはいられない心境だったんだろう。
オレ、これまでにも何度か、なんで泉谷はそんなに清志郎のことが好きなんだろうって思った事がある。RCのゲストで、30周年の武道館で、スパイス・マーケットで、泉谷は清志郎をリスペクトし続けた。そして、今となっても「彼の死は認めない」と言い続けている。ファン心を丸出しで、ほとんど同業者としてはありえないほどの熱の入れようだ。
オレ、これを読んでなんとなくそこまで泉谷が入れ込む理由がわかったような気がする。
泉谷は、清志郎もCHABOも加奈崎さんも、「青い森」で同じ時を過ごした仲間達は、みんな文字通りの戦友だと思っているんだと思う。80年代以降、それぞれの進む道は違った。清志郎はロック化して王道を突き進んだ。泉谷は役者をやり、音楽をやり、役者をやり、ひたすらエキセントリックな方向へ向かった。そして、加奈崎さんはフォーク時代の面影を最も強く残し、ひとり流浪化していった。三者三様だが、どれも「青い森」時代からの精神を、カタチを変えて守り続けていると言えないだろうか?
だから、清志郎が遠くに行ってしまった時、彼は自分達の中でも最も尖がった存在だった戦友の歌を、歌い継がなければならないと思ったのと同時に、自分達のルーツである「青い森」の残り火を、何かに記しておかなければならないと思ったんだろう。
オレにとって「青い森」時代の忌野清志郎は永遠の謎になってしまった。
日本のフォークってのは、オレら世代にとっては未知の領域がとても多い。フォークというとなんとなく軟弱なイメージを抱きがちだけど、実は80年代以前は、日本では最もブルーズに根ざしたぶっとい表現形態だったりするんだよなあ…。
オレ、今からでもこの領域を解き明かしたいという気持ちが、強く沸き上がってきている。それは清志郎の歌を深く理解するための一つの重要な作業のような気がするからだ。
この本は、オレにとって追悼本ではないのだ。一つのきっかけになるかもしれない本である。
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>忌野清志郎というミュージシャンが作る歌は、“清志郎 対 自分”という構図が中心だから、必然的に自分だけの清志郎像ができあがる
全く同感です。いくら巨大な人気を誇っても、清志郎はずっと対自分でした、俺にとっても。
音楽性の共通点というより、そういった部分で日本のジョン・レノンだな、と思うんです。
この本、良さそうですねぇ。
投稿: LA MOSCA | 2009年11月 2日 (月) 20:10
◆LA MOSCAさん
おっしゃるとおり、優れたロックミュージシャンはマスのイメージだけではなくて、個としてきちんと向き合ってくれる表現者としての真摯さがあると思います。ジョン・レノンもそうだし、パンクロックだってそうだと思うんですよ、オレは。
この本も、あくまでも泉谷と加奈崎さんの抱く清志郎像ってことになると思いますが、70年代に傍にいた人の証言は貴重だと思います。オレ、数年前に諏訪であった加奈崎さんと清志郎のライブ、見逃してるんですよね。あれは一生悔いが残りそうです…。
投稿: Y.HAGA | 2009年11月 3日 (火) 11:08
”生まれて初めてに近いぐらいの大きな喪失感、
全く種類の違う感情が胸に。。”
ああ、まさにその通りです。
半年たったけど、むしろじわじわ大きくなっていくような・・。
”清志郎 対 自分”、”必然的に自分だけの清志郎像が・・”
ほんと!そうですね!
皆それぞれがそれぞれの形で、清志郎が自分の一部になっているんですよね。
1つのきっかけ。
この本まだ入手していないんです。
早く読みたいです。
投稿: nobu | 2009年11月 4日 (水) 08:51
◆nobuさん
この本、売れてるみたいですね。あまり感傷的にならず、清志郎が音楽でやろうとしていた精神を引き継いでいこうという肯定的な色合いが強いことがその一因なんじゃないかと思います。
けっこう、はっ!とするような事実もありました。加奈崎さんが清志郎と近しい人に聞いたらしいんですが、「デイドリーム・ビリーバー」は、亡くなったお母さんのことを歌っているらしい、とかね…。
投稿: Y.HAGA | 2009年11月 4日 (水) 18:26