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2009年12月

2009年12月31日 (木)

スケッチ・2009年冬・京都

年末は、2年ぶりに京都に行ってました。磔磔で麗蘭のライブを観るためです。今日のお昼に東京に戻り、大急ぎで大掃除の残りを…。ゴメンね、マイ家族(笑)。
実は、直前に家族がみんなインフルエンザでダウンしてしまったり、僕自身も酷い風邪にやられてしまったりで、ギリギリの状態ではあったんだけど、今年は絶対にCHABOと同じ時間を過ごしたかったんだよね。
28日の“小坂忠さんライブ@横浜サムズアップ”を飛ばしちゃったのは心残りだったけど、その分、気合で麗蘭のライブと、古都の師走を感じてきました。

ライブレポは来年かな…。とりあえずは、年の瀬の古都をスナップ。
皆さん、今年はお世話になりました。来年はきっといい年になるよ。

Life Goes On!

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2009年12月26日 (土)

山口洋×おおはた雄一 / 12月26日(土) 東京・duo MUSIC EXCHANGE

山口洋×おおはた雄一 / 12月26日(土) 東京・duo MUSIC EXCHANGE
出演=山口洋/おおはた雄一
開場/開演=18時/19時

11月に入ってから突然決まった、ギター男2人によるデュオライブ。
この組み合わせを最初聞いた時、ちょっと意外な気がしたんだよな、オレは。だって、ヒロシは何をやるにも1か100かしかない熱い男。片や、おおはた君は肩の力の抜けた天然系のギタリスト。一見、水と油のこの2人、どこに接点を見つけたのだろう…。
実は、僕はおおはた雄一のライブを一度だけ観たことがある。2年前に江ノ島で行われた「海さくらコンサート」というイベントに、彼が出演していたのだ。ただ、その時の自分のブログには、おおはた雄一に関する記述があまりないことからもわかるとおり、あんまり印象に残んなかったんだよな、これが(苦笑)。その前に出たハシケンとSaigenjiの印象が強烈だったせいもあり、余計そういう印象が強く残ってしまったんだけど、僕の持ったおおはた雄一へ対するファースト・インスピレーションは、ちょっとフォーキーな線の細い音楽をやっている人、という感じだった。少なくとも、“ロック”というイメージはあまり感じられなかったのが正直なところだ。
ところが、去年あたりだったか、リクオの日記に“滅多に他人を褒めない山口洋が、珍しくおおはた雄一を絶賛している”というエピソードが書かれていた事があり、それが妙にアタマに残っていたんだよなあ。一体ヒロシはこのスキニーなギタリストのどこにこれほど惹かれているんだろう?このライブの一番の興味はそこだった。

で、1曲目のおおはた雄一のボーカルに、ヒロシがギターを乗せた瞬間、あっ!と思わされたんだよ。
なんて言うんだろう、歌に寄り添うギターはあまりにもジャストだった。ジャストすぎた。ボーカルから一歩下がったところで爪弾かれるヒロシのアコギは、物凄く琴線に触れた。ある意味、ヒロシのソロライブ以上にだ…。
2時間半の間、ヒロシは時としてワイルド、時として最近ないほどリリカルにギターを爪弾いた。おおはた君は終始飄々としていた。どっちも全然無理していない。だけど、すごく当たり前の佇まいなのだ。
何と言っても、2人とも自然ですごく楽しそうだった。これは、2人が同じギタリストだったということが大きいと思う。世代は違えど、ギターを弾きながら曲を作り、歌う表現者同士。フォーマットを同じにしているからこそ分かり合えるツボ、それが観客にもはっきりとわかるパフォーマンスだった。

ほんと、ヒロシはのっていた。嬉しそうだった。なにしろ、グレッチを手にした頻度といったら、バンドを除けば、最近の自分のライブよりずっと多かったぐらいなのだから…。ソロライブよりもエレキを弾きまくり、ギターの手数も明らかに多かった。
そしておおはた君。この日のおおはた君からは、すごく力強さを感じた。それと、ナチュラルであることの素晴らしさも…。おおはた君の普段の客層がどうなのかは知らないけれど、少なくとも“バカになれーっ!”なんて声援は出ないだろう(笑)。そんな反応にも全く動ぜず、“んー?どうすりゃいいのかな~”なんて飄々と受け流し、曲の合間には“サンシャイン・オブ・ユア・ラヴ ”や“21センチュリー・ボーイ”のフレーズを弾いたりする。そこには、彼のロック少年の初期衝動が見え隠れしていた。それをヒロシは、ニヤリと笑って受け流す。とにかく、2人の佇まいがすごく良かった。すごく自然でピュアなミュージシャン・シップだった。

この佇まいは、ある意味体育会的だったと思う。おおはた君はセンパイであるヒロシをリスペクトし、普段はあまり見せないであろうロック的なアプローチに近づいて見せた。ヒロシはヒロシで、おおはた君の世界観をぐんと受け止め、時としてその中で激しく感情が揺さぶられているのを、恥ずることなく観客に見せていた。それは本当に美しい光景だったんだよ。
オレ、ちょっと嫉妬に似た気持ちを覚えたもん…。これはギターという共通の魔法の道具を持つ男同士だからこそ具現化できる世界。“体育会ギター部”部長・山口洋。副部長・おおはた雄一。そんな感じだ(笑)。

セットリストは、ムッシュの「ゴロワーズを吸った事があるかい?」といった、意外なカバーもあったけど、ほとんどは2人の代表曲を交互にやっていく形。
印象に残ったのは、ヒロシの「Life Goes On」。イントロの入り方がすごくカッコよかったし、おおはた君のスチール・ギターは痺れた。それから新曲の「Star Light」ね。オレはこの前のHEATWAVEのライブに行けなかったので、はじめてこれを聴いたんだけど、参った。圧倒された。
そこへきて、「オリオンへの道」だ。くぅ~!ヒロシ~!オレ、白状するけど泣きそうだったぜ…。

汗を流し 胸を焦がし

年末の渋谷、いろんな事があった2009年の師走に、この雑踏でこの曲を聞いている44歳の自分に、ちょっとぐっときてしまった…。

そして、おおはた君の「おだやかな暮らし」。ヒロシはこの曲をおおはた君のそばで奏でる時、涙を必死に堪えていた。ヒロシはこの曲を、2009年最も感動した曲だと断言していた。今日のこの日も、車の中でこの曲を大音量で流しながら号泣してきたところだと、そんなことを恥ずることなく言い放つ。オレは、そんなヒロシを心の底からカッコいいと思うぜ。
そして、こんな曲を作ってしまえる20代の男、おおはた雄一というシンガー・ソング・ライターに、並々ならぬ才能を感じた。

アンコールでは おおはた君が仕込んだサプライズで、山口洋の誕生日を祝したケーキが登場。おおはた君の爪弾く「Happy Birthday to you」をオーディエンスも一緒に歌い、ヒロシは照れくさそうに46本の蝋燭の灯を消した。山口洋は、マジに涙ぐみ、「46年間生きてきた中で、最高の誕生日。ありがとう!」と叫ぶ。

なんだか、夢のような、予想を遥かに上回るような初共演だった。
山口洋×おおはた雄一。これはもう、またやらないわけにはいかないでしょう!なんか、この2人の組み合わせは、ホーボー・ジャングルとはまた違った面白さと、無限の進化の伸びシロを感じる。
近い将来、この2人の邂逅が見られることを、オレは確信している。
年末の渋谷で、新しい出会いの幕開けを感じた。

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2009年12月21日 (月)

風を感じて

最近の山口洋の日記ときたら、ほとんど陸上選手のような内容になっている(笑)。
今年、突然ランニングに目覚めた洋は、毎日のように15キロ、20キロという距離を走り、来年3月のフルマラソン出場に向けて猛特訓しているのだ。既に9月にはハーフマラソンの大会に出場し、自主トレではフルも経験済みらしい。

さらっと書いちゃったけど、これってかなり驚異的なことなんだよ。洋のブログにランニングに関するものが目立ち始めたのは、確か6月ぐらいだったから、わずか半年でフルマラソンに出場できるぐらいの走力を身に着けちゃったことになる。洋45歳。うーむ、凄い…。

自慢じゃないけど、僕も走り始めてけっこう経つ。
だけど、僕は屋内のジムでトレッドミルを使った走りがメイン。もともとは体重を落としたいと思って始めたから、長い間ジョギングに毛の生えたような速度でたらたら走ってただけだったのだ。
でも、僕よりひとつ年上の男が、これだけストイックにやっているのを知ると、モチベーションが上がらざるを得ない。とてもフルは無理だけど、オレも走力を上げたい、って最近は切実に思うようになってきた。洋の日記は自分にとっては、リポビタンDみたいなもんなのだ(笑)。

そう思って頑張ると、不思議なもんで身体ってのはだんだんそれなりになってくる。僕は筋トレをやった後に走ってるんだけど、最初は30分走るだけでぜいぜい言ってたのが、この頃は1時間ぶっ通しで走れるようになってきた。調子のいい時には時速10キロ、疲れている時でも9.0キロぐらいで走り切れる。
まだ、ここまでが限界。とてもハーフを走れるような力はないんだけれど、いずれは…。なんて夢も見ているんだよな。

ランニングは確実に身体が変わる。ウェストが細くなったり、顔が締まったりするのは自分でもわかる変化だけど、いつも髪を切ってもらってる美容師さんに“頭の形が変わりましたね”って言われたり、指が細くなっているから、風呂に入ると石鹸で滑って結婚指輪がするする抜け落ちたり、思いもしなかった身体の変化に驚くことになる。
いいことばかりじゃなく、脂肪が減ることで身体が冷えてしまい、風邪をひきやすくなってしまったり、足首や膝の痛み、それに腰のハリがなかなかひかない事もある。やっぱり、10キロ20キロ走るってのは、身体にかなりの負担をかけることなんだろうなあ…。

山口洋の日記を見ていると、その身体の変化はちょっと心配になってしまうぐらいだ。
顔の輪郭は明らかに小さくなっているし、足の爪は血マメでどす黒くなっている。このごろは、空腹になると血糖値が下がって震えがくるという。どう考えてもオーバーワークだろう、それは(苦笑)。
だけど、多分、洋は身体がぶっ壊れても走ることを止めようとはしないだろう。それは、肉体の苦しさよりも、何かを成し遂げた時の自信とか、やり切った感の方がずっと大きいからだ。

その気持ちは、僭越ながら僕にもよくわかる。走ってる時は、日常背負ってるものなんか何も考えていないものなのだ。不安も、憂鬱の種も、とりあえずは棚上げ。ただただ足を動かす。走る。呼吸する。それだけだ。明日の仕事のことも、今夜の妻との約束も、その時は頭からすっ飛んでいる。
そう言えば、5月2日直後のランニングは、がむしゃらに走って汗でぐちゃぐちゃになりながら、ぼろぼろ涙こぼしてたなあ、俺…。でも、そういうことをして、俺は現実の悲しみに押し潰されることから、自分を守ってきたような気がするのだ。
自分が真っ白になる感じ。リセットされる感覚っていうのかな…。こんな感覚は、日常生活ではなかなか味わえないと思う。

僕は、これから先、この感覚を失いたくない。いくつになっても、できるだけ長く走り続けていたい。
そのためには、これからは栄養のことや、効果的なトレーニングの仕方も知っておく必要があるんだろうなあ…。

来年は意識して外を多く走りたいと思っている。風を感じながら時を駆け抜けたいと思うのだ。
それは明日を生きる糧に、十分なり得るような気がするから…。

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2009年12月18日 (金)

デフレだってよ、デフレ。

このデフレはどっかおかしい。

ユニクロや西友の低価格ジーンズ、それに大手牛丼チェーンの値下げ合戦なんかはあっても、スーパーの食材なんか一向に安くなってないじゃないか。安くできてるものと安くできないものとの差がありすぎ、全体としてモノの値段が下落している実感があまり沸いてこないのだ。これは、企業として体力のあるところは値下げ合戦に参戦することができるけど、中堅以下はそんな余力さえないっていうことなんじゃないだろうか。
果たしてこういう状況をデフレと言えるのかなあ?なんか、とても不気味な気がするのだが…。

もうひとつ怖いと思うのは、こういう時代になるとモノの価値観がガラガラと崩れていくこと。
考えてみればすぐわかることだけど、これだけ安いモノを作って、それなりの品質を保ってるっていうことは、必ずどこかで誰かが泣いているってことだ。
低価格ジーンズを例にとれば、テキスタイルは国内で行い、裁断や縫製は人件費の安い東南アジアに受注するパターンが多いと聞く。低価格を実現するために、生産の段階で発展途上国の労働者が不衛生な環境の工場で労働させられたり、時には子供が酷使される現状があるのだ。
世界の恵まれない子供たちに胸を痛め、LOVE&PEACEのロックを聴きながら、一方でユニクロの低価格ジーンズに身を包む…。それは実はとても矛盾した行為だと気付くべきだ。

いいモノには、それに相応しい値段が付く。それは当たり前のルールなのではないだろうか。
服飾がひとつの文化であるとするならば、良い服にはそれなりの金額を支払うのは当然。作る側の汗が報われるような生産システムが確立されていなければ、モノを作る職人たちの居場所は徐々になくなり、必然的にモノの水準は下がっていくだろう。
食品の分野では、生産者の顔が見えたり、フェアトレードと呼ばれるシステムが浸透してきたけれど、こんな時代だからこそ、僕は作り手の顔が見えるものを手元に置いておきたいと思う。

低価格ジーンズの先に“夢”はない。

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2009年12月17日 (木)

いろんなものを失った年

12月も半ばを過ぎた。やっと2009年が終わる…。

今年は、本当に多くのものを失った年だった。
特に、忌野清志郎という太陽のように大きな存在を失ってしまった喪失感は、そう簡単に埋まることはないだろう。
でも、辛い時期に同じ喪失感を抱いた者同志が悲しみを共有できたという実感も確かにあり、それは自分にとってはとても大きな助けになった。死者に鞭打つようなくだらない企画や、浅はかな物言いをする人もいる中で、同じ悲しみを持つ者同志が、お互いを支えあいながらなんとか立ち上がろうとしている…。それを感じるだけで、どれほど大きな救いになったことか…。

そういえば、夏が過ぎた頃、ある人からこんなことを言われたんだ。

“あなたは「清志郎は、ボーカリストとして自分の命と引き換えに喉を守った」って言うけど、そうじゃないと思う。清志郎は「命と声を引き換えに…」なんて思ってなかったんじゃないかな。喉を守って癌だって克服できると最後まで信じてたと思うよ”

って。

はっとしたよ、オレ。そのとおりだと思ったからね…。
「ボーカリストの誇りを持って、命と声を引き換えに…」なんて考えてしまうと、その決断はとてもへヴィに思えて辛くなる。だけど、清志郎は自分の信じた方法で喉も命も両方守ろうとしたってことなら、それはいかにも清志郎らしいでしょ?そう考えるようになってからは、だいぶ気持ちがラクになれたんだ。

癌になった人の闘病の仕方ってのは、イコールその人の人生観だって誰かが言ってた。清志郎は、身体にメスを入れずに抗がん剤と自然食で治癒することが最良の方法、自分らしい癌との闘い方だと、最後まで信じていたんだろう。
確かに、手術をすれば完治する可能性は高かったかもしれない。でも、それはあくまでも確率の話だ。実際どうなったかなんて誰にもわからないじゃないか。そんなことよりも、自分が信じた生き方を最後の最後までまっとうした清志郎の決断を尊びたい。今のオレはそう思えるようになったのだ。

たぶん、独りで考え込んでいたら、なかなかこんな風に気持ちを切り替えることはできなかったと思う。かけがえの無い音楽仲間がいてくれたからこそだ。人は独りじゃ生きていけない。そんなことを思った年でもあったなあ、今年は。

それにしても、本当にひどい年だった、2009年。
例年ならこの時期は、師走のせわしなさにうんざりしてるはずなんだけど、今年は一刻も早く年が明けて欲しいような気持ちになっている。

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2009年12月13日 (日)

クレイジー・フィンガーズ「Tiger Driver 2009」 / 2009年12月13日(日)横浜Thumbs Up

2009年12月13日(日) CRAZY FINGERS「Tiger Driver 2009」 横浜 ThumbsUp
CRAZY FINGERS(リクオ/Dr.kyOn/斎藤有太)
開場18:00 開演19:00  前¥4000 当¥4500

久しぶりの生クレイジー・フィンガーズ。ツアーに出るのは2年半ぶりだそうだ。ソロに、他のミュージシャンのサポートにと、みんな超忙しいからなあ~。しかも、斎藤有太の参加はなんと4年ぶり。最近のクレイジー・フィンガーズは、リクオ+kyOn+YANCYっていう組み合わせが多くなっており、初期メンバー、伊藤ミキオと斎藤有太の合流は少なくなっていたから、この復活は個人的にとても嬉しい。

久しぶりのライブということもあって、この日はステージも客席も、久しぶりに味わうクレフィンの感触を確かめつつ、このユニットの持つ底抜けに楽しい音楽性に改めて気付かされるようなタッチがあったと思う。
この日はリハーサルが少し押し気味になり、開場は15分遅れぐらいになった。店内に入ると、いつもの音楽仲間とテーブルを囲む。サムズアップは、こうやって飲みながら食べながらライブを観られるのがいい。まあ、僕は一人でライブを観ていても全然平気なタイプではあるんだけど、やっぱりクレフィンのライブ見たいな時は、パーティー感覚でわいわい見る方が断然楽しいと思う。ご一緒してくださった女子2名に感謝です(笑)。
女子といえば、首都圏のリクオ関連のライブはいつも女子率が高いんだけど、この日はフロアを見渡すと男性の姿も結構あった。ちょっとファン層に変化があったような気もするなあ…。

19:15過ぎ、ファンにはおなじみのクレフィン・キャラの猫マスクをかぶって3人が登場。リクオは、長い髪を後ろで束ね、ブラウンのレザー・パンツとジャケットといういでたち。kyOnさんは朱色のベルベットのスタンドカラー・スーツにニット帽を被っていた。斎藤勇太は落ち着いた色合いのベルベットっぽい生地のスーツ。並びは、ステージに向かって左手にリクオ、右手に斎藤有太、中央にkyOnさんという配置だった。

ライブはおなじみの「MICK’S BLESSING」でスタート。実は、僕は奇しくもこの前の日にあったソウル・フラワー・ユニオンのライブでも、奥野のキーボードをフューチャーしたこの曲を聴いてたんだけど、当たり前だが、クレフィンの演奏はSFUのそれとはぜんぜん違う。3台のキーボードが転げ回り、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさだ。そうそう、この感じ、この感じ…。僕は、久々に味わうクレフィン・サウンドの楽しさを改めてかみしめた。

序盤は、ステージも客席も、久しぶりに聴くクレフィン・サウンドに、頭と身体をほぐす様な感じで進んでいったような気がする。「LOUISIANA BREAKDOWN」や「FUCKIN’TIME」みたいな、定番曲のオンパレードと目の醒めるようなインストの早弾き…。さすがに実力派の3人。リラックスしつつも、いい意味での緊張感もみなぎったステージ。
それにしても、ほんとに2年半ぶりなのか?と疑ってしっまうほど、3人はコンビネーション抜群だった。メンバー紹介の時には“イケメン、韓流スター”と紹介された有太が、いきなり冬のソナタのテーマを弾き出して客席の笑いをとったりして、ステージングにもプロの芸を見せてもらったし(笑)。

2部は3人での演奏以外に、2人づつの組み合わせでデュオ形式の演奏も披露された。kyOnさんがカバーした美空ひばりの「びっこの七面鳥」など、珍しい曲も飛び出した。
聴いていて気が付いたんだけど、この3人の組み合わせって実は初めてなんだよね。これまではここにYANCYなり伊藤ミキオなりがいたからなあ…。初めての組み合わせに、3人がお互いに刺激を受けながらプレイしている感覚が、客席にもはっきりと伝わってきた。

途中に休憩を入れ、演奏は実質2時間半ぐらいだったかな…。とにかく楽しかった!やっぱり、クレイジー・フィンガーズはクリスマスが迫った今の時期みたいな、うきうきしたムードに良く似合う。僕は千秋楽の渋谷BYGでのライブには行けないんだけど、この分でいったら最終日は相当に盛り上がっちゃうんだろうなあ。

それから、この日のステージからは、3人がそれぞれ通り抜けてきた2年半が、にじみ出ていたようなタッチもあったと思う。
実際、久しぶりっていう感覚はリクオにもあったようで、ツアー直前の彼の日記では、それぞれのメンバーの近況が書かれていた。なんでも、ヘビースモーカーだった齋藤有太は、手の骨折を機にすぱっとタバコを止めたというし、シガー好きで有名だったkyOnさんも、ある出来事を機に葉巻を止めたというのだ。

かつては僕も煙草吸いだったからわかるけど、男が煙草をきっぱり止める時ってのは、価値観をがらっと変えてしまうような、かなり強力な出来事が起こった時が多いように思う。だって、それまで習慣にしていたものが“健康のため”なんつう甘っちょろい理由で止められるわけないでしょ?(苦笑)。
因みに、オレが煙草を止めたのは、忌野清志郎が癌を公表した時。オレは願掛けにきっぱり煙草を止めた。以来、吸いたいと思ったことは一度もないし、たぶんもう死ぬまで煙草は口にしないだろう。

これは僕の想像だけど、ピアノマンにとって命より大事な手を怪我した有太は、それを通して何か大きな心境の変化があったのではないだろうか?
kyOnさんにいたっては、なんと自身のHPで出家したと発言している!最初、冗談かと思ったんです、俺(普通そう思うよな…)。ところが、文章にはジョークの色は欠片もないし、陽気に語ってはいるものの、かなりシリアスなタッチも見え隠れしている。きっと、これはほんとなんだと思う。
この日のkyOnさんはお洒落な赤いベルベット・スーツを身に着けていたんだけど、ヘアスタイルはもちろん坊主。でも、なかなか似合ってたんだよなあ、これが。考えてみれば、2年半前はリクオがこういうヘアスタイルだったんだよなあ。まるで、2人のルックスが入れ替わっちゃったみたい(笑)。

まあ、人間、生きていればいろんなことがあるもんだ。
クレイジー・フィンガーズというユニットが誕生したのは、つい昨日のことみたいな感じでいたけど、うーん、人に歴史あり…ですなあ…(笑)。

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2009年12月12日 (土)

ソウル・フラワー・ユニオン「年末ソウル・フラワー祭」 / 2009年12月12日(土)恵比寿リキッドルーム

素晴らしいライブだった!久々に見たソウル・フラワー・ユニオンのライブは、底抜けに楽しいお祭りみたいな空間だった。中川敬も言ってたけど、今年の嫌なことがみんな吹き飛んじゃうような、まるで忘年会みたいなライブ。きっちり3時間。オール・スタンディング。ぎっしり入ったお客さんの放つ熱気、汗の匂い。鳴り止まぬコール&レスポンス。そして、溢れる笑顔、笑顔、笑顔!ほんと、最高だった。大満足!久々にロックのライブらしいライブに行ったような気がする。

実は、僕はSFUのライブはそんなにたくさん見た経験はないんだ。2002年に仙台で『ARABAKI ROCK CIRCUIT「多賀城ブルース」』っていうイベントのトリに出てきたのを観たのが最初(今思えば、この時のギターは山口洋だったんだよなあ…)。これでびっくらこいて、その年の年末に今は無き新宿リキッドルームでズボンズが前座で付いたライブを見に行ったりしてたんだけど、その後はなぜか遠ざかっちゃったんだよなあ…。

久々に観たSFU、やっぱりロックバンドらしい華があるとしみじみ思った。なんか、出てきただけでわくわくさせられてしまうオーラがあるのだ。
オープニングは「月光ファンファーレ」。これは嬉しかった。だって、この曲は昨年僕がSFUの素晴らしさを再認識したアルバム「カンテ・ディアスポラ」の初っ端にぶち込んであった曲だったから。
フロアは最初からお祭り状態。僕らは中央付近の鉄柵あたりでステージを見てたんだけど、それより前にいた観客は独り残らず跳ねまくっていた。いや~SFUのファン、凄い!若い人だけじゃなく、僕ぐらいの歳と思われる人もけっこういたんだけど、そんな人たちも前の方でガンガンに跳ねてるんだもん(笑)。
でも、確かにこれは身体を動かさずにはいられないや。中川の扇情的なボーカル&ギター、奥野の宙を舞うキーボード、JIGENのぶっといベース、ミホちゃんのお囃子、伊藤孝喜の千手観音みたいなドラム、もう何でもござれだ(笑)。なにしろ、SFUは曲のバリエーションがロックから民謡まで物凄く幅広いから、どこで何が飛び出すかわからない。まるで、どこかの村祭りに迷い込んだような楽しさだった(笑)。
新加入の高木克のギターも冴えまくり。先日のアコパルの時はブズーキなど、アコースティック主体の楽器に徹していた克ちゃんだけど、この日はバリバリにエレキを弾きまくっていた。中川とのツインギターの絡みはコンビネーション抜群で、そういう時のSFUはストーンズばりのカッコいいR&Rバンドになる。とても最近加入したメンバーだとは思えないほど、克ちゃんはバンドに溶け込んでいた。

セットリストは、これ以上何を望むの?って言いたくなる位にベストなもの。最近の「ルーシーの子どもたち」や「ラヴィエベル~人生は素晴らしい!」、それに新曲の「Aqua Vite」なんかに加え、「風の市」や「満月の夕」、「海行かば 山行かば 踊るかばね」みたいな定番もしっかり演ってくれた。JIGENがボーカルをとる「騒乱節」もあったし、奥野のキーボードを中心としたインストも幾つかやってたなあ。もう、大満足だ。お腹いっぱいになったぜ(笑)。
僕はコアなファンじゃないので良くわかんないんだけど、周りは「もののけと遊ぶ庭」の時が一番盛り上がっていた。中川も奥野も、“やっぱりモノノケの曲はやってて楽しいなあ~”なんて言ってたし、観客からも“もう一回やれ~!”なんて声援が飛んでたぐらいだ。
お囃子のミホちゃんも、“ヒデ坊が20年前に作った曲”っていう中川の前振りから「闇の波間」でボーカルを披露。男臭いSFUの中でミホちゃんの存在はすごく際立っていると思う。

僕が大好きな「極東戦線異状なし!?」や「うたは自由をめざす!」もちゃんと演ってくれた。「極東戦線異状なし!?」は、後半の中川敬と高木克のギターの絡みが最高にカッコいい!最近出たライブ盤にもこの曲は収録されていたけど、それよりも更に長い演奏。奥野のキラキラしたキーボードも含め、まるでローリング・ストーンズのストリート・ファイティングマンのライブ・ヴァージョンみたいなタッチ。興奮したなあー。
「うたは自由をめざす!」は、コーラスを観客が一緒に歌うんだけど、後半はそれがこだまするような大合唱になった。ロックのコール&レスポンスの理想系を見るようでちょっと感動したなあ…。

アンコールは2回。最後の名曲「荒れ地にて」は感動的だった。
SFUのライブは、観客をじっとしていられない気分にさせてくれる何かがある。僕も、次のライブからはTシャツ一枚でいいな、こりゃ。ちょっと前の方でギンギンになるのは無理かもしれないけど(苦笑)。
これはなんか、癖になりそうな予感だ。完全にハマってしまった。麗蘭の東京公演をキャンセルしてまで行ったライブだけど、全く後悔はしていない。満を持して出会ってしまった究極のR&Rバンドって感じだ。これは、2月のモノノケ・サミット、3月の闇鍋音楽祭も行くっきゃないなあ…。

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2009年12月10日 (木)

Monthly CHABO Extra「DJ Night!!」 ゲスト・夏木マリ / 2009年12月10日(木)南青山MANDALA

CHABOは、横浜のサムズアップで、定期的にDJ Nightというイベントを行っている。折々のテーマのもと、喋りを交えながら、持参したお気に入りの曲をかけていくという、文字通りのDJスタイル。プレイヤーであると同時に、熱心な音楽リスナーでもあるCHABOの顔が見られることから、ファンの間ではなかなか好評らしい。
だけど、実はオレ、一度も行った事がないんだよな、これ(苦笑)。僕はあくまでもミュージシャンとしてのCHABOのファンであり、この手のイベントにはあまり興味がないというのが正直なところ。CHABOが普段どんな曲を聴いているか興味がないわけじゃないけど、それは後々公式サイトにアップされるプレイリストを見れば済む話だし、自分にとっては、わざわざお金を払ってまで見に行くようなものではないと思っていたのである。

だが、この日は特別だと思った。ゲストが夏木マリだからである。数年前の「二人会」で、CHABOとマリさんが共演した時のインパクトは未だに鮮明に憶えているし、CHABOは事あるごとに“あの時の「ガルシアの風」をどうしても越えられない”と言っている。その2人の邂逅とあらば、たとえライブでなくても足を運んでみたくなったのだ。
もう一つ。これがMonthly CHABOというシリーズ・ライブの、本当に最後となるんだという感慨があったからだ。Monthly CHABOという呼び名で行われたいくつかのライブと、会場となった南青山MANDALAという場所は、僕にとって本当に忘れがたいものとなった。だって、忌野清志郎が遠くに行ってしまった直後の一番辛い時期を、ここでCHABOと一緒に乗り越えたのだから。今にして思えば、身を切られるような辛さの中で何とか踏み止まれたのは、MANDALAという空間が醸し出す空気の温かさ、あそこにいけば、同じ気持ちを胸に抱えた仲間たちと同じ時間を共有できるという気持ちも少なからずあったからではないかと僕は思っている。

ステージに向かって右側にテーブルが置かれ、向かい合わせでスツールが。ここにCHABOとマリさんが座るのだろう。左の椅子のそばにはギターラックに小型のアコギが立てかけてあるから、CHABOが座るのはこっち?テーブルの上にはラジカセとCDが積まれている。左手には机の上にプロジェクターが設置されていて、OA中のCDジャケットがスクリーンに投影できるようになっていた。

開演時間が近づくと、場内にはCHABOのクリスマスソング「Merry X'mas Baby」が流れる。その中をまずはCHABOが一人で登場してきた。
序盤はCHABOの選曲によるクリスマスソング特集。まずは僕が買おうかどうするか迷ってる(苦笑)ボブ・ディランのクリスマス・アルバムから1曲。んー、やっぱし微妙だな、これ(苦笑)。前半は個人的には、曲を書ける前にCHABOが訳詩を朗読した、ジョニ・ミッチェルの名盤「Blue」からの「リバー」が印象に残った。昔、何度も何度も聴いたアルバムだけど、この曲がこんな歌詞だったとは気が付かなかったなあ…。

その後でゲストの夏木マリ登場。なんと客席からステージに上がるという大胆な登場。CHABOの「I stand alone」のTシャツを着たマリさん。スタイルE~!顔地小さ~(笑)。やっぱりむちゃくちゃカッコいい姉御です。
2人のトークはいきなり盛り上がる。CHABOは、進行役をやって、曲を紹介して、CDをかけてと八面六臂の活躍ぶり。こういうのは苦手だと事あるごとに言っているCHABOだけど、いやいや実に上手だと思います。その軽快なホストぶりに、マリさんもつい話が長くなってしまっていた。

基本的にマリさん登場後の選曲は、マリさんのこれまでの歩みに絡めて、節目節目で印象に残ったものをピックアップしたものだったんだけど、とてもここには書ききれないほどの意外な選曲、意外なエピソードが盛りだくさんだった。かなり得した気分になったな(笑)。
最初にかかった曲がフレディ・キングのブルースってのも意外だったし、少女時代はGSの追っかけだったことも意外。そのGSバンド(タックスマンってバンドだったな、確か)経由で「朝日のあたる家」や「アンド・アイ・ラヴ・ハー」を聴いたって話は面白かったなあ…。マリさんは、GSの話をノリノリで語っていたんだけど、通ってた高校の教室から池袋にあった伝説のミュージックホール「ドラム」の楽屋が覗けたってのは、考えてみればかなりスゴイ話だ。やっぱ、そういう環境があって夏木マリというカッコいいオンナができあがったのね…(笑)。

イベント途中からは、マリさんのご主人、斎藤ノブさんも客席に現れ(僕の席はステージに向かって左側の上の方だったので、ノブさんがフロアに入ってきたのもよく見えた)、CHABOはノブさんも意識しつつトークを進める。やっぱCHABO、気配りの人だ。

鎌倉芸術館でのマリさんとの共演の裏話も聞けた。意外だったのは、あのライブは事前にかなり段取りが決めてあったということ。これはどちらかと言えば、あらかじめ次の動作が決まっている表現、演技者としてのマリさんの流儀に則ったやり方だ。ミュージシャンは俳優と比べれば、表現の枠はかなり自由なわけだけど、そこをあえて枠にはめてみよう、というのが事前のマリさんと伊藤社長のもくろみだったという。これは、CHABOもはじめて知った様子だった。僕も、伊藤恵美さんがここまで深くステージングにかかわっていたとは思わなかっただけに、ちょっと驚きだった。
また、マリさんが演技に入るタイミングを取るために、CHABOがギターを弾いた手を上に上げなければならないところを、忘れてしまった…なんていうエピソードも明かされた。
そして、過去にが何度も語られていることだけど、「ガルシアの風」でのマリさんの解釈に(あの時、マリさんは即興で歌詞を朗読した)、CHABOは“こんな表現があったのか!”とショックに近い衝撃を受けたことも話された。
今思い返しても、やっぱりあのパフォーマンスはとても濃かったと思う。あの夜、映像が残ってないんだろうか?ぜひ、もう一度あの夜を追体験してみたいと思うのだが…。

後半はマリさんの今のバンド、GIBIER du MARIの曲がたくさんかかる。CHABO作の「ヴィソツキー」や最新アルバムからのバラード「One Of Love」…。それから、マリさんが“ジャニス・ジョプリンが21世紀の東京で歌ってるようなバンドにしたかった”てことで、ジャニスの曲もかかったなあ。確か、「Tell Mama」のカバーを、オリジナルのエタ・ジェイムス・バージョンと一緒にかけてた。そして、エタ・ジェイムスとくれば、やっぱり今年の夏に公開されてCHABOもパンフにコメントを書いてた映画、「キャデラック・レコード」…。
まるで、仲の良い幼馴染みのように、2人の話は尽きることがない。CHABOも言ってたけど、2人は同じ表現者、同世代として、ミュージシャンと役者とか、男と女とかも超えた深い友情で繋がっているように感じた。

僕なんか、夏木マリさんというと、やっぱり女優という仕事をメインに据えた人なのかと思っていたが、マリさんはきっぱりと“今の活動の比重は、一番がGIBIER du MARI、二番が「印象派」で三番目に役者”と言っていた。実際、来年はGIBIER du MARIの活動に時間を割くため、ドラマの仕事は一本も入れていないという。この潔さ、素晴らしいと思った。
最後にトム・ウェイツの「からっぽの家」を朗読して、観客の心を鷲づかみ。大きなインパクトを残してマリさんはステージを降りる。

ここまでで、既に時計は十時を回っていたが、夏木マリ退場後もCHABOはクリスマス・ソングいくつかかける。選曲はN.R.B.Q.、ザ・バンド(これは、昨年の今の時期にkyOnさんとカバーした曲で、この日もギターで1フレーズ歌ってくれた)、そして清志郎も大好きだったというオーティス・レディングの“ホワイト・クリスマス”だった。

清志郎に関する話もさらりと…。CHABOがギターを盗まれ落ち込んでいる時に、闘病中の清志郎からメールが届いた話だ。これはいつかの回のMonthlyで話されたことなんだけど、そこでCHABOが“ここだけの話”と言っていたからここには書かないでおく(笑)。なんか、その魔法、まだ有効なような気がするもん。何年か先のクリスマス前に、ひょっこり…。なんてね(笑)。

はじめて行ったDJ Nightだったが、やっぱり行って良かったと思う。まさか、こういうイベントでもソロライブ並みに、3時間半もやってくれるとは思わなかったしなあ(笑)。クリスマス・イルミネーションの輝く青山通りを歩きながら、こんな12月をこれからもずっと過ごしていきたいな、なんて思った。

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2009年12月 9日 (水)

【映画】E.YAZAWA ROCK

B6eaa9f1 80年代ごろは、僕らの間では“矢沢永吉が好きだ!”と声を大にして言うことは、なんとなく恥ずかしい雰囲気があったと思う。あの頃、たとえばRCサクセションやストリート・スライダーズが優等生にも不良にもなりきれない少数派のための音楽だったとしたら、矢沢永吉はストレートな“不良”のための音楽だった。当時はそんな住み分けがあったのだ。何と言っても、永ちゃんは僕らにとってはビックでありすぎた。“E.YAZAWA”の例のロゴや、本人が口にする強烈な上昇志向も、80年代の軽いノリには濃厚すぎて、なんだかそぐわない感じがしたっけ。 要するに、同じロックでも、矢沢永吉は僕らの聴くロックとはちょっと違う種類のような気がしていたのだ。

あれから20年の歳月が流れた。僕が、“あ、最近のヤザワ、いい顔してるなあ…”と気が付いたのはいつ頃からだろう。時々テレビで観る永ちゃんは、相変わらずパナマ帽を被って白いマイクスタンドを跳ね上げてロックを歌っていたけれど、その佇まいは80年代とは何かが違っていたのだ。使い込んだ銀のような味って言えばいいのかな…。いつの間にか、大人の男のシブさが備わっていたのだ。

そこへきてこの映画。もう、ガツーン!だぜ。ヤザワ、むちゃくちゃカッコいいじゃないの!オレ、男だけど、なんて色気のあるオヤジなんだと思った。若い時もそりゃあカッコよかったけど、今のヤザワは間違いなくもっとカッコいい。カッコよくて優雅なのだ。

オレ、しみじみ思い知ったよ。人から何といわれようと、ひとつの物事に正面から取り組んできた男はやっぱりスゲエな、と…。
矢沢永吉のやっていることは、昔も今も基本的に何も変わっていない。ドラマに出たり、海外進出してみたり、時代時代で夢中になることは違えども、基本は無骨なロックと珠玉のバラードの二本立て。それだけなのだ。でも、だからこそカッコいい。時代に色目を使うことなく、自分の信じることを真正面から“きちんと”やって、欲しいものは真正面から勝負して獲った。後ろから不意打ちを食らわして獲るようなことは決してしなかった。今の永ちゃんには、そんなスジを通して登り詰めた男にしか身に纏えない、いぶし銀のシブさが漂っている。その永ちゃんの男の顔を、リハーサルシーンで、ライブで、プライベートなインタビューで、この映画は真正面から捉えているのだ。それだけでもう十分じゃないか。素晴らしいドキュメンタリーだと思った。

当然のごとく、矢沢語録も大爆発。それも、うわべだけの台詞ではなく、すべて裸一貫でやってきたヤザワだからこそ言える言葉ばかり。その説得力たるやハンパじゃないのだ。20年前なら滑稽に聞こえたかもしれない言葉の数々が、大きな感動となって耳に飛び込んでくる。うーん、なんでこんなに感動してるんだろう、オレ…(苦笑)。永ちゃんがいい感じで歳を重ね、俺も歳食って若さだけではない人生の機微を感じられるようになったからなんだろうか…。
永ちゃんはこんなことを言っていた。

“若い時の俺は、季節で言ったら夏か冬しかなかった。だけど、この歳になって春のよさ、秋のよさにも気が付いたんですよ。これからの俺の人生は春と秋をいっぱい感じることだと思う”。

これ、すごくぐっときた。なんてイイ言葉なんだろう。15年後、俺が永ちゃんと同じぐらいの歳になった時、果たしてこんなことが言えるだろうか…。うん、言えるように頑張んなきゃな。心からそう思った。

それから、名曲“I Love You,OK”を歌ってる途中で、永ちゃんが感極まって歌えなくなってしまうシーンが出てくるんだけど、この時の顔がすごくすごく良かった。映画では、ここに広島から夜行列車に乗って東京に出て来た時の独白が重なるんだけど、これはヤラれたなあ…。思わずもらい泣きしてしまった自分にも驚いてしまった。俺、矢沢永吉のファンでもなんでもなかったんだけど、あんないい顔で涙する男の顔を見たのは久々だった。それが演技でも何でもなく、ステージで見せたってところがまたスゴイと思う。

かつて、僕ら世代が憧れたミュージシャンや俳優は、圧倒的に同年代よりも上の人が多かった。忌野清志郎しかり、萩原健一しかり、アントニオ猪木しかりだ。それは、そういった男たちの背中に、兄貴としての作法や人生の先輩としての生き様を見たかったからだと思う。
今年は、そんな僕ら世代のヒーローが次々に遠くに行ってしまった辛い一年だったけれど、最後の最後にこの映画に出会えたことは、すごく救いになった。そうだよな、俺たちにはまだ永ちゃんがいたんだよな…。

“俺は地球温暖化とか愛と平和とか歌ってきたわけじゃないけれど、毎年東京ドームに足を運んでくれるお客さんが、ヤザワを見て元気をもらって、またこれで一年頑張れる、そう思ってくれるだけでいいと思ってるんだ”

くーっ!泣かせるじゃねえか!永ちゃんの言うとおり、映画を見て、僕はものすごくたくさんパワーをもらったような気がする。

さあ、走らなきゃ。
60近い永ちゃんも、ランニングやってマシンで筋トレしてんだもんな。たかが40ぐらいでふやけちゃいられねえ。そう思った。

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2009年12月 6日 (日)

【本】越境者 / 松田美智子(著)

10306451_4 映画「SOUL RED」を観てからというもの、僕の中では再び松田優作という不出のヒーローの像が大きくなってきた。今の日本映画界にも良い俳優はいるけど、やっぱり優作や萩原健一は、自分にとって別格の存在なのだ。

この本の著者は、ノンフィクション・ライターの松田美智子さん。と言うより、元女優・堀真弓で松田優作の最初の奥さんだった女性といった方が早い。彼女は優作がまだ無名の劇団員だった頃に彼と出会って、後に最初の妻となった。81年に優作が熊谷美由紀と出会って離婚するまでずっと傍にいたわけだから、実は美由紀さんよりも松田優作と過ごした時間は長いのだ。
それだけに、この本で語られる松田優作のエピソードは、幼い時の怪我が元で腎臓が片方機能していなかったことや、少年の頃に罹った中耳炎を完全に治さなかったため、大人になってからも耳の痛みに悩まされてきたことなど、意外な話もたくさん出てくる。「SOUL RED」が“表”の優作なら、「越境者」は“裏”の松田優作だ。おそらく、今後もこれほど素顔の松田優作に肉薄したものは出てこないだろう。

だけど、そんなエピソードよりも強く胸を焦がされたのは、優作の人並み外れた向上心だ。それは有名になりたいとか、金持ちになりたいとか言うのとはちょっと違い、激しく生きなければ自分の存在そのものが消えてしまう強迫観念に追われているような、実も心も演技に捧げているような、凄まじいまでの修練ぶりなのだ。
その向上心ゆえに、彼は自分だけではなく、周りのスタッフにも時として厳しく当たった。優作といくつもの作品を作り上げた“共犯者”、脚本家の丸山昇一氏でさえ、優作との関係は愛憎の狭間で苦しんだと語るぐらいなのだから、この人と付き合うのは並大抵のことではなかったのだろう。
はっきり言うと、松田優作という男は、ある部分、人間としての精神バランスを完全に欠いている。演技への執念にとり付かれ、異常なまでに偏った生き方をした人間だったのだ。その生き急ぐような熱い生き方を多くの人は彼の出自に求める。確かに在日韓国人として背負ってきた苦悩が、彼の反骨心に火をつけていた部分はあるだろうが、自分はそれだけではないような気がする。
ブルースのスタンダードで“悪い星の下に生まれて”ってのがあるけど、松田優作という男は、生まれた時から役者だったのだ。その性を全うするにはこういう生き方しかできなかったんだと思う。この本には、こちらも若くして夭折した俳優・金子正次もちらっと出てくるんだけど、僕は金子にも優作と同じような匂いを感じるなあ…。

後半の癌との闘病部分は読んでいて辛かった。晩年の彼が新興宗教にはまってしまったことや、実利的な治療より精神的な繋がりを重視した主治医の治療に、美智子さんは今も不信感を持っているようだ。離婚して疎遠になっていたこともあるのだろうが、彼に対して何もできなかった無念さが、行間から滲み出ているようで胸が痛くなった。

でも、オレは松田優作はある意味で今も死んでないように思っている。彼の存在は、今でも日本映画界に大きな影響を及ぼし続けていると思うからだ。
この本で僕がうれしかったのは、現役時代から彼と親しかった水谷豊と桃井かおりのコメント。水谷豊は自他共に認める松田優作の大親友。入院中の優作を見舞いに行った時、病院のトイレで止められていたタバコを二人吸い、“まるで高校生みたいだ…”と笑いあった話など、思わずこちらの頬も緩んでしまうような微笑ましい話もたくさん語られている。桃井かおりは流石!としかいいようがない。恐らく、女優の立場で優作とがんがんやり合ったのは彼女ぐらいなのではないか。桃井かおりと松田優作は、男女を越えた友人であり、気の置けないライバルだったのだと思う。
そう言えば、松田優作が死んだ時、桃井かおりは、こう言っていた。“これで自分が死んでも伝説になることはない。なら、長生きしてやる”と。この覚悟と男顔負けの切符の良さがこの女優の真骨頂。この本でも、彼女は“優作が「ブラック・レイン」に出なければ「SAYURI」に出ることはなかった”とまで言っている。実際、単身でハリウッドにわたった時も“ことあるごとに、優作ならどうしただろう?”と考えたというのだ。
桃井かおりと水谷豊。押しも押されもしない名優だけど、今は少なくなった70年代の香りを濃厚にまとった、いわば松田優作の作法を今に引き継いでいる俳優でもあると僕は思っている。

それにしても、癌に侵されていながらも、手術も強い抗がん剤の投与もやらなかったのか、優作は…。その生き様、最後まで映画そのものだよなあ…。

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2009年12月 5日 (土)

Hole In My life

難しい状況。

オレは君の純粋な向上心をリスペクトするよ。それは美しく高貴だと思う。
君だったらオレに頼らずともそれは実現できるだろ?
頼むから独りで成し遂げてくれ。それが結果的には君の力になる。

オレは君から知らず知らずのうちにいろんなものをもらっていたんだと思う。
若さの特権ってのは確かにあった。それは認めざるを得ない。君の大胆さ、何者も恐れぬ潔癖さはオレの忘れかけていたものをもう一度思い出させてくれた。

ここまでにしたい。我がままに思えるかもしれないけれど、フラットな関係が保てるのはここまでだ。

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2009年12月 2日 (水)

【本】差別と日本人 / 野中広務・辛淑玉

B1ebf0cd この本は、今だこの国に蔓延る「差別」という問題を考えるきっかけになると同時に、野中広務という独りの男を知る上で、さらに言えば僕らが政治家の本質を見抜く上でも貴重な本なんじゃないかと思った。

実は、この本を読む前から、野中広務という政治家は僕にとってずっと気になるおっさんだったのだ。気になりだしたのは、橋本内閣の幹事長代理をやってた頃からかな。野中さんは党内でも誰もやりたがらないような難しい問題を次々に押し付けられ、いつも苦虫を噛み潰したような顔で記者会見をやっていた。僕は、気の毒だなあと思う反面、この人の問題解決能力は相当なもんなんだろうなあ、と思ったものだ。

野中さんが米軍用地特別措置法改正案のまとめ役をやった時には驚きの発言があった。法案が通過した後の報告で、野中さんは「この法律が沖縄県民を軍靴で踏みにじるような結果にならないよう、そして国会の審議が大政翼賛会のような形にならないよう、若い皆さんにお願いをします」なんてことをしゃあしゃあと言ったのだ。
ひっくり返りそうになったよ、オレは。この人何言ってんの?って感じだった。だって、それは沖縄中が大反対している中、野中さん自身が取り纏めてきた法案だったんだから。今更そんなことを言うぐらいなら最初から関わんなきゃいい。なんて食えないオヤジなんだ…。その時は強くそう思った。
だが、彼の一見矛盾があるように見える行動は、実は最大限の実利をとるための彼なりの基準があることをやがて知ることになる。
そして、彼がいわゆる被差別部落の出身であり、これまで様々な苦労を経験してきて、身内の自民党内からですら酷いことを言われ続けてきたことを知ったのは、それからさらにだいぶ経ってからだった。

この本は、その野中さんと、自らも在日韓国人として様々な苦労を体験してきた辛淑玉さんとの対談だ。対談の節目節目に辛さんの短い解説が挿入されるが、差別にかかわる様々な報道はこれまでタブー視されてきたものが多いだけに、知らなかったこともたくさんあり、これを読むだけでも勉強になった。

この国において「差別」という概念は、本当に暗く太く根深いのだとつくづく思う。
僕は東北の生まれだけど、同じ東北出身の人だと、自分は同和教育を受けたこともないし、被差別部落の存在も知らなかったから差別とは縁遠かった、なんてことを言う人にしばしば出会う。でも、それは嘘だ。差別問題は部落や在日韓国人だけじゃないのだから。職業や男女、知能など、大きな差別から小さな差別まで、僕らは自分でも気がつかないぐらいの差別を通過して大人になったことを自覚すべきだ。

差別をする側は、差別が「ある」から差別するのではなく、差別を「したい」から差別が生まれる。そしてなぜ差別をしたいかといえば『差別は享楽である』からだと辛さんは語っている。
そうであるならば、誰もがレールから落ちこぼれることを恐れているこの格差社会は、人を差別して自分を少しでも上においておきたいという意識をますます増長させてしまうのではないだろうか。

この本のラスト9ページは本当に重かった。辛さんと野中さんが差別を撤廃しようとすればするほど、自らの出自が世に知らされる。そして、“人権は好きだけど当事者とは関わりたくない”人たちによる新たな差別が始まってしまうのだ。「家族だけは守らなきゃいけない…と思ったんですよね。私たち…」という言葉には、政治家・野中広務の苦悩と評論家・辛淑玉の悲しみが染み込んでいると思った。

それと、この本を読んで、僕は今の時代に本当に必要な政治家ってのはどんな人物なのか、なんてことも考えた。今のような時代に必要な政治家は、高尚な理念よりも現状における最良の結果を求める政治家なのではないかと僕は思う。
野中広務は、被差別部落の出身でありながら差別される側の利権を激しく批判したり、ハト派と呼ばれていながら「南京大虐殺」という言い方では日本人の心を捉えられないから変えろ、と中国側に詰め寄ったりしてきた。
一見矛盾するように見え、世間の批判を浴びながらも紙一重のところで最良の結果を導き出す。それが野中広務という男の真骨頂なのだろう。出自からは差別される側でありながら、差別される側はすべて被害者だという安易な二極論には決して立たない。差別される側の利権が差別する側の「理由」になっているのなら、まずはそれを取り除こう。南京大虐殺が虐殺であるか否かの論議の前に、日本と中国が同じテーブルで話し合う土壌を作るために虐殺と言ってしまっては何もはじまらないから下げろ。野中さんにとっての行動原則は、どっちが正しいかではなく、現状を打開するにはどうすればよいかということなのだ。
アメリカは機会の平等を重んじるが、野中さんは結果の平等を重んじると辛さんがコメントしているが、正しくその通り。リアリスト的な視点に立てば、実にあっぱれな手腕なのではないか。

ただ、野中さんは、談合政治の時代にその枠の中で最良の結果を導き出そうと汗を流した政治家だ。それが古いか普遍的かを見極めるには、もう少し時間が必要なのではないだろうか。
結局、信頼できる政治家ってのは結局は政党なんか関係なく、いかに人間的に信用できるかってことなんじゃないかと僕は思う。民主党だろうが自民党だろうが共産党だろうが、人間的に素晴らしい人はきっといるはず。要はその人がどんなハコに収まっていようと、そこでどれだけ自分の政治信念に基づいた行動をとってるか、ってことなんじゃないかな…。
民主党が政権を獲得して新しい風が吹き始めた今、政治家の人権問題に対する視点は、今後どのように移り変わっていくのだろうか。僕はそれを粛々と見守りたい。

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