いろんなものを失った年
12月も半ばを過ぎた。やっと2009年が終わる…。
今年は、本当に多くのものを失った年だった。
特に、忌野清志郎という太陽のように大きな存在を失ってしまった喪失感は、そう簡単に埋まることはないだろう。
でも、辛い時期に同じ喪失感を抱いた者同志が悲しみを共有できたという実感も確かにあり、それは自分にとってはとても大きな助けになった。死者に鞭打つようなくだらない企画や、浅はかな物言いをする人もいる中で、同じ悲しみを持つ者同志が、お互いを支えあいながらなんとか立ち上がろうとしている…。それを感じるだけで、どれほど大きな救いになったことか…。
そういえば、夏が過ぎた頃、ある人からこんなことを言われたんだ。
“あなたは「清志郎は、ボーカリストとして自分の命と引き換えに喉を守った」って言うけど、そうじゃないと思う。清志郎は「命と声を引き換えに…」なんて思ってなかったんじゃないかな。喉を守って癌だって克服できると最後まで信じてたと思うよ”
って。
はっとしたよ、オレ。そのとおりだと思ったからね…。
「ボーカリストの誇りを持って、命と声を引き換えに…」なんて考えてしまうと、その決断はとてもへヴィに思えて辛くなる。だけど、清志郎は自分の信じた方法で喉も命も両方守ろうとしたってことなら、それはいかにも清志郎らしいでしょ?そう考えるようになってからは、だいぶ気持ちがラクになれたんだ。
癌になった人の闘病の仕方ってのは、イコールその人の人生観だって誰かが言ってた。清志郎は、身体にメスを入れずに抗がん剤と自然食で治癒することが最良の方法、自分らしい癌との闘い方だと、最後まで信じていたんだろう。
確かに、手術をすれば完治する可能性は高かったかもしれない。でも、それはあくまでも確率の話だ。実際どうなったかなんて誰にもわからないじゃないか。そんなことよりも、自分が信じた生き方を最後の最後までまっとうした清志郎の決断を尊びたい。今のオレはそう思えるようになったのだ。
たぶん、独りで考え込んでいたら、なかなかこんな風に気持ちを切り替えることはできなかったと思う。かけがえの無い音楽仲間がいてくれたからこそだ。人は独りじゃ生きていけない。そんなことを思った年でもあったなあ、今年は。
それにしても、本当にひどい年だった、2009年。
例年ならこの時期は、師走のせわしなさにうんざりしてるはずなんだけど、今年は一刻も早く年が明けて欲しいような気持ちになっている。
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こんばんわ 自分も喉を守って癌だって克服できると最後まで信じてたと思います。40周年のことも伸ちゃんと話していたみたいだし・・・。だってそれが忌野清志朗でしょ?
投稿: ヒロヤス | 2009年12月17日 (木) 20:51
コレ読んで、少し楽になりました。
HAGAさん、ありがとう。
投稿: LA MOSCA | 2009年12月17日 (木) 21:52
先週、ビルボードで麗蘭を観ました(一年ぶり)
「今夜R&B」も「時代は変わる」も「HELLO GOODBYE」も歌わなかったけれど。なんかあったかい夜でした。
最後に何度もチャボが天井を指さしながら
「イエー!って言え」を叫んだ時に
なんだかね。ようやく長い長いトンネルから
抜け出せるそんなそんな気になりましたね
きっと来年いいこといっぱいあるよ
投稿: NOAH | 2009年12月18日 (金) 08:18
◆ヒロヤスさん
>40周年のことも伸ちゃんと話していたみたいだし・・・。
僕、少し前までは何十周年記念とかのイベントって、なんか演歌歌手みたいだなあ~なんて思ってたんですが(苦笑)、やっぱり節目節目でこういうのは大切なことなんだなあって最近は思います。
CHABOが40周年を迎えた時は、伸ちゃんも迎えて盛大にライブをやって欲しいですね。きっと清志郎も来てくれると思いますし。
投稿: Y.HAGA | 2009年12月18日 (金) 09:50
◆LA MOSCAさん
「声」か「命」か、なんて二者択一で考えちゃうと、ものすごく辛いよね…。そんな風に思うより、清志郎の選んだ闘病の仕方を、最後まで清志郎らしかったと考える方が前を向けるでしょ?僕も、なかなかそういう気持ちになれなかったんだけど、こういうことに気付かせてくれた友人には、本当に感謝しています。
投稿: Y.HAGA | 2009年12月18日 (金) 10:00
◆NOAHさん
来年、CHABOはたくさんライブをやる予定のようです。僕、これは今年の大きな出来事が影響している面も多分にあるんじゃないかと思うんですよね。普段、CHABOを見る機会があまりない地方の方は、どうしても“清志郎の相棒だったCHABO”の姿を求めてしまうと思うし、それはきっと辛いことだと思うんだけど、CHABOはそういうこともすべて背負っていく覚悟でいるんでしょう。
僕自身の今年最後のライブは、京都での麗蘭を29日、30日の2日間にわたって見ます。この一年の嫌な出来事をぶっ飛ばしちゃうような空間を、僕らもステージのミュージシャンと一緒に作って行ければいいなと思っています。
投稿: Y.HAGA | 2009年12月18日 (金) 10:16
私は、HAGAさんに、だいぶ救ってもらいました。
いろんな気持ちとか、あの日からのチャボのことを知ることができたりとか。
いってしまってからも、清志郎はいろんなことを教えてくれました。ここを知ることができたのも清志郎のおかげなのです。(複雑ではありますが)
前に一度しかコメントしたことがない私がここに書いてもいいのかなと思いつつ、感謝の気持ちをこめて。
投稿: miyama | 2009年12月18日 (金) 19:13
僕も喉を守って、と思っていました。
でも確かに喉も命も、と考える方が清志郎らしいですよね。HAGAさんのこの記事を見て、はじめて思いました。
僕、30代後半ですが、今年は世間的にも、身の回りでも悲しいことが多かったです。ティ-ンエイジャーのころに自分や周りが影響を受けていたヒト、学生時代の同世代(±3歳くらい)etc.…たくさんの“思い入れのあるヒト”がたくさんいなくなってしまいました。
去年まではこんなことはなかったのに…
きっと今年は“今夜R&Bを”の唄に入る前のチャボの言葉、きっと泣いてしまいます…
今年を表す一文字は「新」となったようですが、個人的には違和感は感じざるを得ないです(苦笑
来年は(今年より)一つでも多くいいニュースがありますように♪
投稿: フィル・カスル | 2009年12月18日 (金) 20:34
◆miyamaさん
>私は、HAGAさんに、だいぶ救ってもらいました。
ありがとうございます。
あまりネガティブなことばかり書いても…と思いつつ、気持ちの整理が付かずにだらだらと書いてしまったものもあるのですが、それが自分だけじゃなくて、誰かの助けにもなっていたとしたら、こんな嬉しいことはありません。
“一度しかコメントしたことがない…”なんて全く問題無しですよ。これからも気軽にコメントしてください。
投稿: Y.HAGA | 2009年12月19日 (土) 20:33
◆フィル・カスルさん
僕は今年44なのですが、この歳になると辛い別れを経験することも多くなりますね、確かに。そういったことを受けて、今年は大げさに言っちゃうと自分の人生観にも少し変化があったように感じています。
本当に、来年は今年よりも良い事がたくさん起きて欲しいですね。
投稿: Y.HAGA | 2009年12月19日 (土) 20:37
2009年、終わろうとしていますね。
うーん・・あっという間だったようなきがするなあ・・。
うん。私も、清志郎は命と引きかえに、なんて決して思っていなくて、最後までずっと自分を信じてたと思います。
(もちろん、覚悟というものもあったと思うけど。)
だから私もずっと信じていられた。絶対大丈夫って。
今年起こったことはあまりにも大きく、ショッキングなことだったけど、清志郎はあれからもずっと、色んな大切なものを与え続けてくれてる。今でもいろんなことを気づかせてくれてます。
たぶんこれからもずーっとだと思う。
投稿: nobu | 2009年12月20日 (日) 23:37
◆nobuさん
>うん。私も、清志郎は命と引きかえに、なんて決して思っていなくて、最後までずっと自分を信じてたと思います。
オレはねえ、なかなかそういう気持ちになれなかったんですよ…。漏れ聞く話、いろいろあったでしょ?完全復活祭のツアー中、蛍で有名な宿をなかなか離れようとしなかった話とか、旧知の人と電話をした時に呂律が回っていなかったとか…。だから、清志郎は覚悟を決めて完全復活祭をやってたのか…。って思って、ずっと辛い気持から抜け出せなかったんですよね。
>清志郎はあれからもずっと、色んな大切なものを与え続けてくれてる。今でもいろんなことを気づかせてくれてます。
落語家の三遊亭円楽さんがなくなった時、一番弟子の楽太朗さんが「思い出寿命」という言葉を使ってました。大切な人がいなくなってしまっても、故人の思い出はそれぞれの人の心の中にそれぞれの人が死ぬまで生き続けるということを語ってたんです。いい言葉ですよね…。
投稿: Y.HAGA | 2009年12月21日 (月) 09:51