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2010年1月

2010年1月29日 (金)

「RIKUO&PIANO」 / リクオ

41bkhhbvmyl__ss500__2このアルバムの発売を知った時、正直言って自分は、“なんで今更、カバーアルバムなんだろう?”と思ったことを白状しなければならない。もったいないような気がしたんだよ、最初は。
だって、リクオは今、シンガー・ソング・ライターとして油がのり切っている状態。前作の「WHAT'S LOVE」は、現時点でのリクオの最高傑作だと思う。ピアノの弾き語りとバンドサウンド+ストリングスの融合という、彼にしかできないスタイルを極めたところに、タイミングよく15年ぶりにメジャーからアルバムが出せるチャンスが巡って来たんだから、ここはがっつりオリジナル+バンドで勝負すべきでしょう!とオレは思ったんだよ。
だけど、そんな気持ちは、先日のアルバム発売記念ライブを観て綺麗になくなってしまった。それは、レポにも書いたけど、歌われたカバー曲のどれもが、リクオのオリジナルと言っても遜色ないぐらいに素晴らしい出来ばえだったからだ。そして、リクオ自身の解説を聞いたおかげで、なぜ彼が今、これらの曲を歌いたくなったのか、その理由もよくわかったからだ。

今、オレはあの日買って帰ってきた「リクオ&ピアノ」を毎日繰り返し繰り返し聴く日々を送っているんだけど、ライブの時に感じた想いはますます強くなるばかりだ。今歌われるべくして歌われている歌…。そこからは、リクオの音楽的なルーツばかりでなく、彼のミュージシャンとしての佇まいまでもがきちんと伝わってくる。

もうひとつ、このアルバムで特筆したいのは、音響の素晴らしさ。
「リクオ&ピアノ」を部屋に流すと、ピアノの温かい温もりとリクオの丸い歌声が、たちまち場の空気を小さなライブハウスに変えてしまうのだ。これは、クリアな音とか分離の効いたミックスっていう意味ではない。アルバムの持つ空気感に、そういう力があるのだ。
リクオは、このアルバムを窓のないスタジオではなく、江ノ島が一望できる開放的な空間で録音したという。昼間は江ノ島の青い海と海上を舞うカモメたちを眺め、夜は町明かりを眺めながらアルコールを片手に、ピアノを弾き、歌った。そんないい意味でリラックスした雰囲気が、そっくりそのままアルバムに収録されているように感じる。
リクオのピアノは、時にコロコロと気持ちよく転がり、時に弦のように艶やかにしなる。それに乗っかるリクオの声も、いつも以上にのびのびしている。
自分は、最近はipodで音楽を聴くことが多いのだけれど、このアルバムに関しては、ヘッドフォンではなく、できる限りスピーカーで聴きたくなるんだよなあ…。

ここからは個人的な想いになるんだけど、このアルバムを聴いて、オレはリクオに同世代ミュージシャンとしての連帯感をますます強く感じた。アルバムで取り上げられた「氷の世界」、「スローなブギにしてくれ」、「魚ごっこ」、「ホーボーへ」等は、時代もジャンルも異なる楽曲だ。でも、一緒に歌うことに、リクオはまったく違和感を感じていないだろうし、聴いてる自分もまったく違和感を感じない。それは、音楽的な嗜好が近いということもあるのだろうけど、同世代として同じような音楽体験を潜り抜けてきていることも大きいような気がする。
ライブでは洋楽に日本語詞を付けたものも多く歌っているリクオだが、今回に関しては、すべて邦楽のカバーでまとめたのも、アルバムの趣旨を理解し易くするという意味においては成功だったんじゃないかなあ。

自分は、「リクオ&ピアノ」を手に入れてからというもの、このアルバムを小さく流しながら眠りにつくのが日課になった。このアルバムを聴いて夜を過ごすと、どんなハードなことがあった日でも、自分のペースが取り戻せるような気がして、とても落ち着くのだ。
東京から少し離れた海の近くに生活の拠点を移し、私生活でも大きな転機を迎えた同世代の男が、今の気分のおもむくままに作ってみた手紙のようなアルバム…。オレは「リクオ&ピアノ」をそんな風に捉えている。

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2010年1月26日 (火)

【本】YOU MAY DREAM / シーナ(著)

Sheenadream_obi_2 さらに夫婦ネタは続く(笑)。
先日の妻に対しての気持ちを書いたトピは、後から読み返すと、我ながらえらいこっぱずかしいんですが、そういうこっぱずかしいことを今年はどんどん言おうと思ってんのよ、オレ(苦笑)。
だって、ミュージシャンは歌で愛しい人への想いを、たくさんの人たちの前で堂々と歌ってるわけじゃん。こっぱずかしいことを堂々とやってるわけですよね、彼らは。誰だって、恋人とか家族とかに対するLOVEって一番身近なLOVEだから、そういう気持ちを表に出すのはとても自然なこと。だったらオレも…。と、まあそう思ったわけなんだけど…。うーん、オレみたいな小市民がそれをやると、なんでこうもこっぱずかしくなっちゃうんだろう…(苦笑)。
いいんです!オレ、今年は半径5メートルの大切な人へ、自分の気持ちをきちんと伝えることをひとつの目標にしてるんですから!

先日のトピで、うちは“似たもの夫婦”じゃないって話をしたが、最近“似たもの夫婦”の代表選手の本を読んだ。そう、日本において“夫婦ロック”という新しいジャンルを築いた(ほんとかよ!(笑))、シーナ&ロケッツのシーナさん初の書き下ろしでございます。
若い頃、オレはこの夫婦のあり方にとても憧れたんだ。だって、シーナさんと鮎川さんというロックの申し子みたいな二人が出会ったのは、もう奇跡のようにロマンチックな話だし、結婚して子供ができてもバンドを続け、娘さんたちもロックの道へ…なんていうのは、フィクションにしたって出来過ぎてると思っちゃうぐらいだ。オレら世代には、この夫婦を日本のジョン&ヨーコみたいに捉えてる人もきっと多いと思う。大げさに言うと、シナロケってのは、音楽だけじゃなく、ロック世代の新しいファミリーのあり方まで見せてくれていると思うのだ。
だから、バンド結成30年にして初めて書き上げたこの本で、シーナさんが家庭やバンド内での鮎川さんとの関係をどんな風に語っているのか、とても興味があった。

本は、少女時代、鮎川さんとの出逢い、バンドとしてのデビュー、そして家族と4つの章に分かれていて、それぞれの章の巻末には、鮎川さんのコメントも挿入されているという、このバンドのスタンスそのままの形で構成されている。

読んでますます強く思ったのは、ほんとにこの二人は出会うべくして出会ったんだなあ、ってことだ。今まで表に出ていたシナロケ・ヒストリーだと、サンハウスを解散した鮎川さんが、その時すでに結婚していたシーナをボーカルに据えて新バンドを作り、満を持して東京に進出した、みたいな感じだったと思う。いわば、鮎川さん主導でシーナさんボーカルのバンドを作り上げていった、みたいなニュアンスだ。
でも、事実はそうじゃないんだよね。鮎川さんとシーナの関係は、もっとフィフティ・フィフティ。サンハウスが解散した時、鮎川さんはどんずまりの状態で、これから何をしたらいいのか全くわからず、精神的にも危機に陥っていたという。それを支えたのが、どこまでも明るいシーナだったのだ。そして、鮎川さんが、ある女性ボーカルのバッキングの仕事を頼まれた時、たまたま一曲だけシーナに歌うチャンスが回ってきたのがきっかけで、シーナが“私、歌いたいの!”と初めて気持ちを打ち明け、稀代のロックバンドが生まれたというわけである。

オレ、“女性って強いなあ…”と思いましたよ。鮎川さんだって、もちろんロックな感性バリバリの人なんだけど、直感で動く大胆さと芯の強さはむしろシーナの方が上なんじゃないだろうか。言い方を変えると、鮎川さんはR&Rを演奏するバンドを作りたいという気持ち以上に、シーナさんと一緒にバンドでプレイすることが大前提なんだろう。同じ方向を向いていることが、ほんとうにカッコよく見える2人。陳腐な言い方だけど、やっぱ“ロックな夫婦”だなあ…。

そうそう、この本には、シーナの声のことも包み隠さずかかれてあった。
ここ数年、シーナの声が酷い状態に陥っていたことは、ライブに行ったファン誰もが認めざるを得ない事実だったのだが、なんと、シーナは数年前から喉にポリープがあったことを知っていたというのだ!でも、彼女はライブだけは絶対キャンセルしたくないという一心で、身体を騙し騙しやってきた。それが最悪の状態に陥ったのが、2009年の1月。そう、CHABOをゲストに迎えて福岡のビルボードでやったライブの時期だ。あの頃、シーナは声が出ないどころか、呼吸が苦しくてステージで窒息してしまうのではないかと思った事すらあったという。
CHABOとのライブが終わり、さすがにこれはダメだと観念して病院に駆け込んだシーナを待っていたのは、最悪の告知だった。ポリープが声帯全部に広がり、声帯がゼリー状に腫れ上がっていたという。ここまできたら、もう手術以外に治す手だてがない…。
当たり前だが、ボーカリストが喉にメスを入れるということは、ものすごいリスクを伴う。シーナは、何度も悪夢に襲われ、汗びっしょりで目覚める日々を過ごしたというが、幸運にも、この方面の名医に執刀してもらったおかげで、経過は良好。それどころか、以前のようなポップな声も戻ってくるという幸せな結果になったというわけ。
オレが噂で聞いていたシーナの禁煙というのは、実は、それどころではない大変な事態が裏にあったというわけだ。

驚いたことに、鮎川さんもタバコを止めたという。サングラスと煙草がトレードマークだった、あの鮎川誠がだよ!
ただ、その理由はシーナとは全く違うと言っていて、きっかけは、娘さんの“タバコを止めたら音が良く聞こえるし、色も綺麗に見える”という何気ない一言だったらしいのだ。
で、ここからがカッコいい話だと思うんだけど、鮎川さんは禁煙にロックを感じたと言うのだ。なんで禁煙がロックなの?って思うかい?ふっふっふ。何かを感じたら即行動に移す。ビビッときたら“ジャジャーン”!それがロック。わかんない人には一生わかんない感覚。一瞬のひらめきを感じた鮎川さんは、以来、日に60本吸ってたタバコをぷっつりと止めた。
そして彼は言う。タバコを止めたことで、故郷の花である椿が信じられないぐらいに綺麗に見えるようになったと。鮎川さんは、健康のためにタバコを止めたのではなく、美しい椿をもっと見るためにタバコを止めたと言うのだ。

CHABOも“素敵な話ですねえ…”と感心していたらしいが、オレもこれはすごくカッコいい話だと思う。
もしかしたら、この理由は鮎川さんにとって伊達なのかもしれない。だけど、伊達でもなんでもいいのだ。あえて“健康のため”とか“シーナのため”とか言わないところがクールじゃないか。こういう伊達なスタイルを“粋”っていうんじゃないのかなあ?
ロックって瞬間瞬間に感じ取るもの。感じ取ったらパッと動くもの。そういう生き方を選んだ二人だってことが良くわかって、シーナ&ロケッツというバンドがますます愛おしくなる一冊でした。

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2010年1月25日 (月)

【映画】 今度は愛妻家

Photo

この映画を観ようと思ったきっかけは、下のトピのとおりであります(笑)。なんとなーく、これは、オレみたいに素直に妻に気持ちを伝える事ができない、ダメダメ亭主が観るのに向いてるんじゃないかなあ~なんて思ったんだよね。

果たして、豊川悦司演じるカメラマンの夫、俊介は妻への愛情を素直に表現する事が下手クソで、仕事も適当、家事もしない予想どおりのダメ夫であった。ま、いくらなんでも、オレはここまで酷くないけど(苦笑)。
で、このダメ夫を献身的に支える健康オタクの妻を演じてるのが、なんと薬師丸ひろ子なんだな!薬師丸さんってのは、自分ら世代の男にとっては、もう絶対的な存在なのだ。団塊のおじさんたちがみんな吉永小百合にひれ伏しちゃうように、自分ら世代の男どもにとって、薬師丸ひろ子はずーっと大事にしたい永遠の女性像。トヨエツと薬師丸さんが夫婦を演じるだけでも、見てみたいなあーと十分に思わされる映画だったんですよ。

最初はもう、予想どおりの展開だった。トヨエツ演じるぐうたらカメラマンのダメダメぶりに笑わされ、近年にないほどチャーミングに撮られた薬師丸ひろ子に胸ときめかせ…。
ところが、中盤からストーリーは急転直下の展開を見せ始める。ついに夫に三行半を突きつける妻…。それは実は…。これから観る人のために、あえてこれは書きませんが、もう、予想だにできなかった方向に映画は進むのであった。

そして…。オレはだんだんヤバくなってきたのである。何がって?涙腺がだ!(苦笑)この映画、公開されたばかりで評判いいみたいだから、平日の昼間だってのに、オレは前・後ろ・左右全部お客さんに囲まれて座っている状態。映画のテーマがテーマだけに、恋人同士で来ているような人たちも多い。こんな密集状態で泣いたら、恐らくそれはバレバレだろう。平日一人で映画を観にきている40男が、スクリーンに向かって嗚咽…。うーんそれはかなりイタい光景だぞ(苦笑)。
だが、ヤバい。切ないのだ。セツナ過ぎる。ふと気が付いた。この映画を撮った行定勲ってのは、あの日本中を泣かせた“セカチュー”を撮った監督じゃなかったか!いわば泣かせの達人だ。しまった!ヤツの手中にまんまと乗せられている…。くそーっ、そう簡単には泣かないぞ。こんなの、わかり切った泣かせの展開じゃないか!わかっている、わかっているんだけど…。

ダメでした(苦笑)。もうオレ、号泣してしまいました(泣笑)。
行定勲、ズルいぜ!はっきり言って、妻子持ちの40男に、このストーリーは反則でしょう!(笑)。詳しく書けないけど、先日のトピみたいなことを常日頃感じてるオレには、これはツボに入りすぎる話であった。
トヨエツの台詞は、もうじんじん来過ぎて胃が痛くなるほど。心に残った台詞はいっぱいあったけど、なんつっても、ラストの「行ってきます」だ。参った、これには。それまで十分泣いたのに、オレ、ここでまた涙。エンドロールになっても涙が止まらなくなっちゃったのには、我ながら焦ったなあ(苦笑)。

ってなわけで、これはできる限り前情報は何も入れずに見たほうが絶対いい。なので、このレビューも、良かった、泣いてしまったとだけしか書かないでおく。
でも、ほんとにそれで十分なんだもん。断言できるのは、気が早いけど、年末の日本アカデミー賞で、この映画はきっと賞をたくさんとるだろうってこと。

トヨエツのダメっぷりも、石橋蓮司演じたおせっかいなオカマの怪演ぶりも素晴らしかった。
でも、なんつっても薬師丸ひろ子だなあ…。最近は、テレビにしても映画にしても、“ちょっとそういう役はないでしょう…”と言いたくなるような、キツイものが多かったように思うんだけど、この映画の薬師丸さんはとにかく素敵だった。なんでも、行定監督は僕らと同世代で、大の薬師丸フリークらしい。で、カメラの福本淳と“薬師丸ひろ子を、とにかく可愛く撮る”という裏テーマ(笑)を徹底的に突き詰めたそうだ。
映画の中で、トヨエツの構えたカメラのファインダーの中に映った彼女の姿は、泣きたくなるほどチャーミングだった。一連の角川映画で薬師丸さんに胸焦がした世代は、絶対この映画を観て欲しいと思う。彼女と一緒に歳を重ねられたことを、ほんとうに幸せに思うに違いないから。

それにしても、日常の何気ない出来事も、この一瞬を誰かとすごしていることも、本当にかけがえのないものなんですね…。そういうことが、しみじみと伝わるイイ映画でした。

いやあ~、泣いた、泣いた(苦笑)。
なんか、涙とともに自分の中の汚れた部分も洗い流されたような気持ちになった。

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2010年1月23日 (土)

「愛してる」って、難しい。

僕と妻は、結婚して今年で15年になる。
15年…。当たり前だが、これまでの人生でこれだけ長く共に暮らした女性は、彼女しかいない。

世の中には“似たもの夫婦”なんて人たちがいるらしいけど、僕らはまるで正反対だ。
たとえば、僕はがちゃがちゃしたロックやどたばたしたブルースが好きだけど、彼女の好みは旋律の美しいクラシック音楽。アウトドア志向で釣りやキャンプに憧れる僕に対し、彼女は都会暮らしをこよなく愛する人だったりする。好きな本や映画だって、まるっきり違う。
そんな2人だから、オフの過ごし方だってぜんぜん違う。好きなことをそれぞれ勝手にやってるだけだ。僕は、ライブハウスに行ったり、ジムで走ったりしているわけだけど、彼女は5歳から始めたクラシック・バレエのレッスンを、今でも週2回続けるという、僕からすればちょっと驚異的な生活をずっと続けているのである。

正反対の2人。だけど、僕はもう彼女なしの生活は考えられないのだ。
彼女と一緒に暮らすまで、何人かの女性と深い関係に陥ったけど、僕は相手があまりにも自分と似たタイプだと、逆にあんまり長く続かないみたい。
こんなことを言うのはものすごく照れるけど、僕は、自分と嗜好の違う人間である彼女を、未だに「愛してる」んだろう…。
もちろん、15年前と「愛してる」のカタチは確実に変わってきている。白状すれば「愛してる」のカタチそのものがぼやけてしまったことだって、何度もあった。

世の中には星の数ほどラブソングがあるけど、僕のラブソングへのアプローチは、彼女と暮らしてから確実に変わったように思うなあ。
独りの頃、ラブソングは一種の疑似体験だった。こんな女性と出会ってみたい。こんな恋愛イイよなあ…。若い頃はそんなことを思いながら歌を聴いたもんだけど、今はそんな聴き方はしない。今、ミュージシャンが目の前でラブソングを歌うのを聴く時、頭に思い浮かぶのは一人の女性だけなんだから…。
もっと言えば、今、僕がラブソングを聴くという行為は、自分の中の彼女への「愛してる」のカタチを、よりくっきりとさせることなのかもしれないと思ったりもする。

年末、テレビで斎藤和義のライブを観ていて、ある曲で思わず涙が零れてしまった。
それは「かすみ草」という曲だったんだけど、せっちゃんは、ちょっと赤裸々すぎるぐらい素直に「愛してる」の気持ちを伝えようとしていて、その真摯さに完全にヤラれてしまったのだ。
ミュージシャンはズルいよね…。普段の暮らしの中では「愛してる」なんて、とても面と向かって言ったりできないけど、歌に託せば全然平気だもんね。

あーあ。こんなに「愛してる」のになあ…。
わかってんのかなあ…。
伝わってんのかなあ…。
「愛してる」って言うことは、ほんとに難しい。

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2010年1月20日 (水)

リクオ・アルバム発売記念ライブ「リクオ&ピアノ」 / 2010年1月20日(水)・渋谷BYG

1/20(水) リクオ・アルバム発売記念ライブ「リクオ&ピアノ」
場所:渋谷BYG 前¥3500 当¥4000  開場18:30 開演19:30

この日のリクオは、いつも以上にMCに時間をかけていたのが印象的だった。
この夜のライブは、ちょうど当日が発売日でもあったニューアルバム、「RIKUO&PIANO」の発売を記念したもの。これは新旧の日本のミュージシャンの名曲を取り上げたカバーアルバムなのだが、リクオは、ピックアップしたカバー曲のそれぞれに関し、なぜそれを取り上げたのか、その曲に自分がどんな思い入れを持っているのか、丁寧に話しながら演奏をしたのである。
つまり、アーティスト自らの解説付きで、アルバムに収められた名曲の数々が演奏されていったわけ。新譜を心待ちにしていたファンにとって、これほど贅沢なことはないよねえ。オレなんか、このリクオによる曲解説だけでお金を払ってもいいと思ったぐらいだ(笑)。
それに加えて、終演後はアルバム購入者全員にリクオが直接サインしちゃうという大盤振る舞い。もう、大満足!このライブに足を運んでほんとに良かったと思っている。

ライブは、「RIKUO&PIANO」に収録された曲全部が演奏され、そこに最近のライブの定番曲もたくさん挟み込まれるという贅沢なものになった。
リクオは、今回取り上げたカバー曲は、もはや自分のオリジナルと変わらないぐらいの位置づけになっていると言っていたが、全くそのとおりで、こんな形で聴いていると、どれがカバーでどれがオリジナルかわからなくなってしまうほどだった。

オープニングは、井上陽水のカバー「氷の世界」でスタート。
その何曲か後に歌われた、アルバム未収録の「ゴロワーズというタバコを吸ったことがあるかい」にはちょっとびっくりした。個人的に「ゴロワーズ…」は、このところ聴く機会がなぜか多いんだよなあ…。年末にはおおはた雄一と山口洋の共演ライブで聴いたし、もっと前にはblues.the-butcher-590213のライブで、ムッシュかまやつ本人のボーカルで聴いたっけ。でも、まさかリクオのライブで聴けるとは…。
この2曲を取り上げた理由に関するMCはなかったんだけど、オレは、リクオの思う日本のシンガー・ソング・ライターの元祖的な作品って意味合いじゃなかったのかな、と思ってる。

おおはた雄一の「ホーボーへ」と、西岡恭蔵の「アフリカの月」は、新旧のホーボー・ミュージシャンの代表曲であり、自らもホーボー・ミュージシャンの系譜を引いているということを表明する意味合いがあったのではないだろうか。
曲に入る前、リクオは西岡恭蔵や友部正人、それに有山じゅんじや高田渡の名前を出し、“彼らこそが、興行師の手をかけないで、各地の草の根ネットワークを活用したライブをやる基礎を築いた”と先人をリスペクトしていた。自分の活動は彼らの作った道をなぞっているだけだ、なんてことも言ってたっけ。実際はリクオ自らが切り拓いたネットワークがたくさんあるんだけどね。

おおはた君に関しては、最近の若手の中では、最も共感できるホーボー・ミュージシャンだなんてことを言ってたなあ…。実は、オレも昨年末の山口洋との共演を観て以来、おおはた雄一というミュージシャンが気になって仕方がないのだ。リクオの話を聞いていて、自分は彼の佇まいにリクオやヒロシと同じ匂いを感じ取ったたのかもしれないと思った。
そして、リクオのオリジナル「グレイハウンドバス」。アメリカを縦断する長距離バスに、町から町へと旅する自分を重ねた歌だ。MOJO CLUBにも同名の曲があったり、ブルースでもたびたび歌われるこのフレーズに、歌にカバーもオリジナルもないんだ、なんて話も。うーん、なるほど…。

ピアノ弾きのリクオの原点として取り上げられたのが、原田真二の「キャンディー」と南佳孝の「スローなブギにしてくれ」。曲に入る前の話では、リクオがピアノを弾くようになったきっかけが話される。そして“男のピアノ弾きがカッコいい”ことを強烈に知らしめてくれた曲として、上記の2曲が紹介された。このあたりはオレ、完全に同世代だから、原田真二がベストテンに出た時の鮮烈な印象も、南佳孝の“ウォンチュー!”のカッコよさもよくわかるぞ(笑)。
「キャンディー」は比較的原曲に忠実な演奏だと感じたけど、「スローなブギにしてくれ」はかなりラグっぽく、前のめりなアレンジになっていた。オリジナルでの三連ピアノの畳み掛けるようなタッチとは、また違った味わい。“ウォンチュー!”で“ヒュー!”って言ってくれ、っていうリクオのリクエストに応えるには、この日の客席はちょいとシャイすぎたけどね(笑)。

同世代体験ということで言えば、沢田研二の「時の過ぎゆくままに」に関する思い入れもよくわかる。サワケンの原曲はオレも大好き。年に何回かしか行かないカラオケでも、たまに歌うからね、これ(苦笑)。ひょっとしたら再録ものかも知れないんだけど、オレが子供の頃に聴いたバージョンは、あの印象的なフレーズが歪んだエレキギターだったような記憶があるんだよなあ…。そう、あのエレキの音にも痺れたんだ、オレ。そういう意味では、この曲は個人的にはロックの原初体験に近い。そこにあの歌詞が乗っかるわけですから、これはもう、完全に大人の世界でしたよ(笑)。
今の若者は、早く大人になりたいとはあんまり思ってないみたいだよね。むしろ、いつまでも子供でいたいと思ってるように見えるけど、オレらが子供の頃は、誰もが一日も早く歳をとりたい、大人になりたいと思っていた。そんで、場末のバーでちょっと疲れた風情の女の人と気だるくグラスを傾けたい、なんてね…(苦笑)。
そういう願望が、やさぐれた歌謡曲やハードボイルド・タッチのポップスに惹かれた理由だったんだけど、そういう大人な歌が今はほとんどないよなあ…。

「愛の賛歌」に続けて演奏された、小坂忠の「機関車」も強く印象に残った。
「機関車」を歌う前、リクオは少しシリアスな話をした。ご存知の方も多いと思うけど、この曲は歌詞のある部分が問題視され、ラジオ等では自主規制されてしまうことも多い。リクオは、この件に関してきっちりと自分の考えを述べていた。リクオの言った話を要約すると、そもそも、ラブソングは突き詰めると反社会的になるのではないだか。それは、恋愛という行為自体が反社会的だからだ。そして、その行為が個人的で反社会的である以上、誰かを傷つけてしまうようなことも起こり得てしまうと…。
オレもリクオの考えとほぼ同じ考えだ。それは、人を傷つけるようなことはなるべくしたくないし、起こしたくない。でも、自分の激しい情感や、どうしようもない感情の昂ぶりが、時として社会的な範疇の許容範囲を超えてしまったら、それはそれでしょうがないではないではないか。
いつも以上に感情のうねりを前面に出したような激しいボーカル。この日の「機関車」は、鬼気迫るものがあった。

個人的な感想だけど、この日はなぜか、リクオのオリジナル「I WANT YOU」と「機関車」がだぶって聴こえたんだよね。どっちも、すごく大人のラブソングだと思う。で、どっちも反社会的だと思う。「I WANT YOU」の、昨日も今日も、男も女も、夢も妄想も飛び越えて…っていうのは、もう究極の愛だ。僕らは自由なんだ。2人で漂いながら何処へでも行ける。愛という名のもとに…なんつって(笑)。

荒井由美の「やさしさに包まれたなら」に関する話も強く記憶に残った。
リクオは、この歌を“とても日本的な歌”だと言ったのだ。それは、いろんな物事に神様が宿ってその人のことを見守ってくれているという歌詞を指していたんだけど。リクオは、アニミズムなんて言葉まで使って、何とかの神様を語っていた。おーい、考古学者か、リクオ?(笑)
実を言うと、オレはこれまでこの歌に関して、もっとネガティブな捉え方をしていた。楽しい曲調とは裏腹に、子供の頃常に感じていた誰かに守られているようなやさしさは、大人になるとだんだん失われてしまうゆくという悲しみを歌っているのかと…。でも、この日のリクオの歌を聴いていて、この曲にはもっと前向きで温かいメッセージがこめられているんだってことに気が付いて、はっとした。あらためてこの歌を作ったユーミンをスゴイと思ったし、そんなことを気付かせてくれたリクオの歌の表現力もスゴイと思う。

えーと、ここまで書いてきてちょっと不安になってきた。こんなレポだと、とても理屈っぽいライブだったんじゃないかと思う人もいるかもしれないって…。それ、全然違うからね(笑)。なにしろ、そんな話をしながらリクオはビールをぐいぐい呑んでいて(グラスで4,5杯は飲んでたと思う)、ピアノもかなり酔っ払ってましたから(笑)。
実を言うと、オレもこの日は相当呑んでたんだ(苦笑)。記憶が確かなら、ジントニック3杯に赤ワイン1杯(笑)。リクオのライブはほんとにお酒が美味く感じるんだよ。この日は呑めば呑むほど五感が冴え渡る感じで、歌もピアノもお酒もすごく美味かった。異議なし!(笑)
「RIKUO&PIANO」のレコーディング自体、昼間は江ノ島の海を一望し、夜は夜景を眺めてアルコールを…っていうシチュエーションで行われたらしい。だから、リクオの言う“ピアノが酔っ払う”っていうフィーリングを知るには、こっちも酔っ払わないと(笑)。音楽ってのはそういうもんだ!

最後の最後に演奏された「胸が痛いよ」も素晴らしかった。オレ、泣かなかったぜ、今回は。この曲を通して、自分が去年の5月から少し前に進んだことを実感できたし、この曲自体も、以前より少し客観的に聴くことができるようになったんだと思う。
曲前のリクオの、RCサクセション、忌野清志郎・CHABOに関する話には、静かな感動を覚えた。感傷的にならず、清志郎の人柄を静かに淡々と偲ぶリクオは、なんというか、とても誠実だったなあ…。

そのほかにも、「マウンテンバイク」や「アイノウタ」、「孤独とダンス」みたいな最近の定番曲あり、名曲「雨上がり」あり、「ピアノライダー」での大盛り上がり大会あり、本当に盛りだくさんのライブだった。

19:30から始まったライブがすべて終了した時、時計の針は10:30を回っていた。間に休憩時間があったことを差し引いても、リクオはたっぷり2時間半演奏したことになる。時間も演奏も内容も一期一会感たっぷり。後々まで記憶に残るような素晴らしいライブだった。

こういうライブが作り出せたのは、BYGというお店の持つ空気感も大きいんじゃないかなあ。そもそも、BYGがなかったら、道玄坂になんか行かないもん、オレ(苦笑)。どぎつい広告が並び立つ小道を足早に駆け抜けて古ぼけた扉を開くと、そこには外の猥雑さとは完全に遮断された空間が広がっている。古ぼけた木の温もり、色褪せたディランとはっぴぃえんどのポスター…。ここに身を置くだけで、ほっと気持ちがほぐれてくる。ライブスペースの密室度が高いのもいい。他のライブハウスより照明が暗めなのも、ステージ・客席ともに集中力が高まるような気がする。

2月には、このアルバムが録音された藤沢の虎丸座でライブが行われる。アルバム・レコーディング時と同じ環境で名曲の数々が再現されるのだ。
これはもう行くしかない。万難を排して藤沢に行こうと心に決めた。、

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2010年1月18日 (月)

山口洋&細海魚(HEATWAVE) / 1月18日(月)横浜サムズアップ

1/18 mon 山口洋&細海魚(HEATWAVE)
横浜Thumbs Up
OPEN19:00/START20:00/ADV¥4000/DOOR¥4500

今年最初の山口洋のライブは、ヒートウェイブのキーボード奏者、細海魚との共演だ。
細海魚というキーボード・プレイヤーの存在は独特だと思う。リクオやkyOnのようにメロディアスなフレーズを弾きまくって観客を魅了するのではなく、アンビエントな、まるで空間を浮遊するような音色を漂わせて、場の空気をじわりと変えてしまう。はっきり言って、R&Rバンドのキーボードとしては異色だ。鍵盤奏者というよりも、まるで音響技術者のような感じ。
でも、現在のヒートウェイヴに、細海魚という稀代の音響系プレイヤーがいることはとても大きい。池畑潤二+渡辺圭一という男っぽいリズム隊に加えて、場の空気感を自在に操れる細海魚がいることにより、このバンドは通常編成のR&Rバンドでは表現の難しいと思われるような繊細な楽曲をもステージで再現することができるのだから。

この日のライブも、そんな魚の独特の音色を存分に生かしたものだった。
昨年、池畑潤二、渡辺圭一とのトリオ編成でのライブは、“これ、ほとんどヒートウェイヴじゃん!”と言いいたくなるぐらいバンド寄りのサウンドだったのだが、この日のサウンドはヒロシのソロ寄り。ギターも、ヒロシは2本のアコギだけでグレッチは使わなかった。
もともと、ソロの時のヒロシのギターは、バンドの時とは異なったアプローチをしているとオレは感じる。バンドの時のように、何かにとりつかれたようにグレッチをかき鳴らすのではなく、繊細なアコースティック・ギターの音色でじわりと場の空気を作っていく。そんなアプローチの仕方は、実は細海魚のスタイルともとても相性が良いのではないか。細海魚が隣にいることで、場の空気はヒロシ一人の時よりもいっそう複雑な襞を織り成していた。

ライブは「夜の果てへの旅」からスタート。ヒロシがギターを手にする前から、魚のシンセは映像を喚起するような不思議な音色を奏でており、そこに深くエコーをかけたヒロシの鋭いアコギが差し込まれていく。ある意味、ニューウェイヴっぽいとも言えるような深い情感を誘うサウンドに、ぐいぐい気持ちが引き付けられていった。

ライブを観ていて、なんだかオレはとても不思議な気持ちになった。
数年前に山口洋というミュージシャンを知って以来、何度もソロライブに通い詰めているけれど、何度観ても違う感触を抱いてしまうのはどうしてなのだろう?昔のことはよく知らないが、オレが通うようになってからは、ヒロシのライブの基本的なセットリストは毎回あまり変わらない。だけど、ヒロシのギターと歌には、その時々の彼の心の移ろいがはっきり現われていて、それはその時にしか感じられないような気がして、ステージに目と耳が引きつけられて離れなくなってしまうのだ。
これは、山口洋が自分とほとんど同世代であると言うことも大きいと思う。卓越した歌とギターを楽しむのと同時に、オレは無意識のうちに、同世代の無骨な男の生き様を、ヒロシの佇まいから感じたいと思っているんだろう。
そう、どっかのバーのカウンターで、悪友とお互いを牽制しながら酒を呑んでるような気分と近いかも(苦笑)。酒を呑む時って、同じ人とグラスを交わしても、その場の雰囲気や話題、2人のその時の状況なんかによって、毎回全然違うムードになったりするじゃないですか。そういうフィーリングととてもよく似ているのだ、山口洋のソロは…。

この日の洋は、ライブの進行という面では、細海魚と2人だけという初めてのシチュエーションに、ちょっと手探りな部分も感じられたが、セットリストについては、今の自分の立ち位置ならこれしかないと確信しているかのような自信を感じた。

オレ、山口洋の歌って“再生”をテーマにしたものがとても多いと思う。再生という言葉が大袈裟なら“やり直す”歌と言ってもいい。オレが彼の歌に惹かれて止まないのは、彼の歌の中に、自分がこの歳になって日々感じてしまっている、ある種の諦めや挫折、だけどそこからなんとか光を見出そうとあがいている自分自身の姿をも垣間見てしまうからなんじゃないかと、そんなことをぼんやりと思ったりしたなあ…。
「ガールフレンド」に漂う諦観と挫折。だけど、決して打ちひしがれているばかりではないという強い意志。現実と理想のパーセンテージをこんなに絶妙に織り込んだ楽曲って、今の日本の音楽にはなかなかないと思うんだ。

昨夜の10時に書き上げたという名もなき新曲や、まだ音源はないものの、最近のライブでよく演奏される「愛と希望と忍耐」なども演奏された。
この日特に印象に残ったのは、ヒロシの激しいカッティングと細海魚のハモンドが火花を散らした「Life goes on」や「オリオンへの道」、そして「満月の夕」かな…。
「オリオンへの道」は、昨年末のおおはた雄一とのライブでも演奏されていたけど、今のヒロシの心境そのままなんだろう。
「満月の夕」はとりわけ気持ちのこもった名演だった。震災から15年経った節目に、絶対に歌わなければならないって決めていたんだろう。でも、この曲がいろんなミュージシャンにカバーされてきたことはミュージシャン冥利に尽きるって、そんな素直な心境も話していたっけ。

サムズアップのライブは間に休憩が入るから、実質きっちり2時間。あっという間にも感じられたけど、とても濃厚な時間だった。
3月には、この組み合わせで短いツアーもするという。ツアータイトルは「ひかりを探しに」。うん、わかるなあ…。こんなタイトルひとつにも、山口洋という人の気持ちが現われているような気がしてしまう。2ヵ月後のツアーで、この組み合わせがどう進化していくか、そしてその進化がバンドにどう反映されていくのかが、オレはとても楽しみだ。
なにしろ、この日のライブでヒロシは“今年こそは新しいアルバムを作りたい”と力強く宣言したのだから…。

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2010年1月17日 (日)

MASTER TAPE-荒井由実“ひこうき雲”の秘密を探る NHK BS2 2009/01/16 21:00-21:55

素晴らしい番組だった。まるで、魔法の種明かしをするかのような至福の時間。50分があっという間だった。

荒井由実(現・松任谷由実)のデビューアルバム「ひこうき雲」。この無名の新人のデビューアルバムには、今はユーミンの旦那になっている松任谷正隆や細野晴臣、林立夫、鈴木茂など、キャラメル・ママ系の錚々たるミュージシャンが名を連ねている。制作に要した期間はなんと1年。当時としては最先端の機材を揃えた、芝浦のアルファ・レコード所有の「スタジオA」で、伝説のサウンドは収録された。
この番組は、現存するアルバムのマスターテープを、ユーミンをはじめ当時レコーディングに参加した人たちが30年ぶりに試聴して当時の様子を語りあい、名盤「ひこうき雲」の秘密を探っていくというものであった。

Hikokigumo_3 集まったミュージシャンは、松任谷由実、松任谷正隆、細野晴臣、林立夫、そしてレコーディングスタッフ。いまや押しも押されもしない大ベテランたちが、37年前の自分達のプレイに顔をほころばせ、「あ、ここはボーカル抜きで聴かせて…」とか「ピアノとベースだけにして…」とか、当時を思い出しながら静かに興奮していた。
マスターテープには、16のトラックに各楽器がきちんと振り分けられており、息を呑んでしまうような生々しい未加工のサウンドが蘇る。これは、レコードの完成されたサウンドとはまた別の味わいだ。テレビの前のオレは、思わず座り直してしまうぐらい、そのぐらい素晴らしかった。

実は、オレは荒井由実時代のユーミンが大好きである(あくまでも“荒井由実時代”というカッコつきで)。この時期のユーミンを語るにはいろんな要素がある。バックを務めたキャラメル・ママ=ティン・パン・アレイとの関係性、アルファ・レコード創設者・村井邦彦の存在…。
確実にいえることは、この時期に製作されたニューミュージック系のアルバムのいくつかは、その後の日本の音楽にとても大きな影響を与えたということ。70年代初めと言うのは、日本の音楽史で言うと、いわゆる「ニュー・ミュージック創成期」にあたり、後々メジャーシーンで大活躍していく人たちの多くが、スタジオ・ミュージシャンとして活躍していた。この時期のポップスや歌謡曲のアルバムには、そんな腕達者なミュージシャンたちが、信じられないぐらい素晴らしいプレイを披露しているものが数多くある。いわゆるヘッド・アレンジの手法が本格的に確立していったのも、この時代なんじゃないだろうか?

「ひこうき雲」でのミュージシャンたちのプレイぶりも筆舌に尽くしがたいほど素晴らしいのだ。70年代後半の亜米利加音楽を聴いてきた人ならわかると思うが、細野晴臣のベースは、さしずめチャールズ・ラーキー+ジェームス・ジェマーソンといった感じだし、鈴木茂は、ダニー・クーチとエイモス・ギャレットとローウェル・ジョージのエッセンスをそれぞれミックスしたようなプレイを効かせている。
そんなマニアックなことを言わなくったって、センシティヴな感性を持った天才少女の作った繊細な歌が、アメリカ音楽に強い影響を受けたミュージシャンたちによって、しっかりした骨組みを与えられ、素晴らしく普遍的な作品になっていることは、誰が聴いてもよくわかるだろう。

この番組、嬉しい驚きもたくさんあった。
たとえば「きっと言える」で細野さんがガットギターでバッキングをやっていたなんて、これまで全く気付かなかったぜ、オレ。これがまた、ボサノバっぽいタッチで実にイイのだ。細野さんのガットギターとユーミンのボーカルだけで聴くこの曲は、アルバム・ヴァージョンとは全く別モノ。いやあ~素敵だったなあ…。オレ、つくづく思った。ほんとにイイ曲ってのは、たとえ何十年経とうとも鮮度が落ちる事がないんだと…。
「ひこうき雲」では、あの駒沢裕城もスティール・ギターを弾いている。駒沢さんは、このブログを観てくださるような人なら、CHABOと何度か共演したペダル・スティール奏者と言えばお分かりだろう。駒沢さんは、アルバム収録のある曲で自分が演奏した間奏を気に入っておらず、ずっと録り直したいと思っていたそうで、なんと番組中に間奏を再録してしまったのだ!もちろん、今後この曲のトラックを、この日収録されたものと差し替えて発売する、なんてことはないと思うのだが、世に出る出ないは抜きにして、ただ自分の気持ちに素直に、37年ぶりの再演を果たした駒沢さんのピュアなミュージシャンシップは素晴らしいと思った。

当時を再現したスタジオで、ミュージシャンたちが実際に当時の曲を演奏する場面もあった。ピアノの前に座るなり「ベルベット・イースター」のフレーズを弾き出すユーミン…。そして、細野晴臣、林立夫、松任谷正隆と一緒の「ひこうき雲」。オレ、なんだか涙が出そうだったぜ…。このサウンドは、正に日本のポップスの至宝だと思った。

後半、ユーミンが、ぼそっと「小さい部屋で打ち込みだけでやってるミュージシャンたちは可哀想ねぇ…」って言っていたが、ほんとにそうだなあ…。バブルがはじけて、レコード会社も制作費を出し渋り、若いミュージシャンたちは、たっぷり時間をかけた音作りができ難くなっていると聞く。だけど、やっぱり生音の響きと、じっくり時間をかけたミュージシャン同士の音の交換、そして、その場で生まれるヘッド・アレンジの妙こそが音楽の魔法なんじゃないだろうか?

オレ、この機会に荒井由実時代のアルバムをもう一回買い直そうと思う。なにしろ、長いキャリアのユーミンだけど、荒井由実名義のものは、「ひこうき雲」「ミスリム」「コバルト・アワー」「14番目の月」とベスト盤「ユーミン・ブランド」の5枚だけしかないのだ。

YouTubeで探したらこんなのが見つかった。これはかなり貴重だと思うよ、凄い!

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2010年1月12日 (火)

ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト! 40周年記念デラックス・エディション / The Rolling Stones

Msc0912151610002p1 いやあ~やっぱしカッコいいなあ、69年のストーンズ!
実は、この時期のストーンズ・サウンドはなかなか微妙なのだ。オリジナルメンバーのブライアン・ジョーンズからミック・テイラーへと、初のメンバーチェンジを経たバンドは、60年代のタイトなビートと70年代のへヴィロックの中間のようなノリを聴かせるようになっていた。この、わざと腰を屈めたようなルーズなタッチは、ストーンズの長い歴史の中でもこの時期だけのものだと思うんだ。

実は、高校生の時にこのアルバムをはじめて聴いたオレは、もったりしたビート感がどうにも好きになれなかった。その頃大好きだったストーンズのライブ盤は、何と言っても「Still Life」。あのパンキッシュなライブを先に聴いてしまうと、「ゲット・ヤー…」はどうにもゆるゆるに思えたんだよな。はっきり言うと、この遅さは単にストーンズがヘタだからだと思っちゃってました(苦笑)。
でも、90年代に入ってから、突然このテンポ感がものすごくカッコよく聴こえてくるようになったんだよなあ…。いつの頃からか、この手のルーズなビートは“スワンプ・ロック”と呼ばれるようになった。要するに、オレら世代はパンクから一回りしてまたここに戻ってきたし、デジタル世代には聴いたことのない新鮮な音として響いたってことなんだろう。
この時代のノリは、今のストーンズでも絶対に出せないと思う。2曲もチャック・ベリー・ナンバーがカバーされてるけど、テンポを遅くしているが故の、この腰のうずくようなスイング感は一体何なんだろう?正にR&Rの魔法だ。

もっとびっくりしたのは、今回はじめて世に出ることになった「放蕩むすこ」や「ユー・ガッタ・ムーヴ」。これは、今では当たり前になったアコースティック・セットの走りだともいえる。物の本でこの時期のストーンズがこういう曲をライブで演ってることを知ってはいたけど、こんなスタイルでライブが展開されているとは思わなかったので、ちょっと驚いた。
ディスク3の前座ミュージシャンの熱演集も素晴らしい。特にアイク&ティナ・ターナーのパワフルなパフォーマンスには圧倒されてしまった。

オレ、思うんだけど、どうせならこれ、ストーンズのパートは1曲目から実際のライブに忠実に再現した方が良かったんじゃないだろうか?
世間的には、ボートラを別ディスクにまとめたのは、長年の名盤としての本作の味わいを崩さなかったとして、評判がいいみたいなんだけど、オレは逆。どうせ、レギュラー盤はこれからも残るんだから、ここはひとつ、スペシャルなものとして当時の空気をそのまま再現すれば良かったと思うのだが…。

それにしても、「アンダー・マイ・サム」のこのシブさはいったい何だ?地を這うようなグルーヴを生み出すビル・ワイマンのベース、イイなあ~。映画「ギミー・シェルター」でもこの曲は演奏されていたけれど、それとこのアルバムとではかなりアレンジが違って聴こえてくるから不思議だ。
このボックスセットには、ローリング・ストーンズという、イギリス人のブルース好きが作ったマニアックな集団が、強靭なロックバンドへと変容してゆく直前の“屈み”が真空パックされていると思う。ホップ・ステップ・ジャンプの“ステップ”状態。うん、味わい深いよ、この時期のストーンズは。

それにしても、ついにストーンズもこういうリイシューをするようになったのかと思うと、なんとも感慨深い。
アンソロジー・プロジェクトにおけるビートルズや、ブートレッグ・シリーズと題したボブ・ディランのお蔵出しなど、今やビッグネームのほとんどは、過去の貯金を何らかの形で世に出す作業をしているけれど、これまでストーンズはそういうことを一切しなかった。リマスターを出すにしても、せいぜい別バージョン止まりで、未発表曲は絶対に出さない徹底ぶりだったのだ。それが、このボックスセットでついに禁を解いたわけである。
なぜ、今になってストーンズがこういったリリースをするようになったんだろう?僕は、悪徳ジャーマネとして名高かったアラン・クラインが亡くなったことが大きいと思う。ストーンズの曲の権利はすごく複雑になってて、本人たちですら自由にステージで演奏できないものがあると聞いたことがあるが、そういった諸々にアラン・クラインが関わっていたことは想像に難くない。その枷が無くなった今、やっと自由に過去の音源がリリースできるようになったということなんじゃないだろうか?

こうなると、もう何が出ても不思議じゃない。まずは、「エグザイル・オン・メインストリート」のリマスターだな。ひょっとすると、こいつも未発表曲やらライブ映像ならを詰め込んだボックスだったりして。
個人的には、今まではブートでしか聴けなかった、スティービー・ワンダーが前座を務めた72年ツアーの完全収録ライブなんかを期待したいなあ。スティービー+ストーンズで演奏された、UP TIGHT~SATISFACTIONのメドレーが高音質でリリースされたりなんかしちゃったら、もう泣いちゃうよ、オレ。

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2010年1月 9日 (土)

Sheena & The Rokkets “Back In The Rock City '10” / 2010年01月09日(土) 渋谷duo music exchange

Sr2009_lineup_7 今年の初ライブはシナロケ。
このバンドを観るのは、2008年9月にCHABOがゲストで出たライブ以来なんだけど、実は最近のシナロケ、去年からずーっと観たいと思っていたんだよね、オレは。それは、シーナの声が、最近になって往年の調子を取り戻しつつあるという噂を耳にしていたからだ。

オレはイベントなども含め、昔から何度もシーナ&ロケッツのライブを観ている。だけど、ここ何年かはどこか要求不満が残るものになってしまっていた。その理由は、最近のシナロケを見たことのある人なら、暗黙のうちにわかってもらえていると思う。そう、シーナの声だ。煙草を1日60本も吸うというシーナの声からは、若い時の甘いコケティッシュな味が完全になくなってしまった。まるで男かと思うような太いガラガラ声。もともとフラットな歌い方のボーカリストだったこともあり、ハードにシャウトする曲ならともかく、往年のポップな曲が歌いこなせなくなってしまったシーナは、昔を知る者にとっては痛々しかった。
そんなシーナが、昨年春から煙草をきっぱり止めたというのだ。その成果は早くも現れ始めており、昨年の夏ぐらいからは、ライブに行った人から口々に“昔のシーナが戻って来た!”と言う声を聞くようになった。加えて、今のシナロケはドラムの川島に加え、2008年からベースの浅田孟も復帰してメンツ的には最強だ。これでシーナの声が蘇ったのなら、もう何も言うことはないじゃないか!

2008年に結成30周年を迎えたシーナ&ロケッツは、昨年あたりから再び動きが活発になってきている。12月にボックスセットを出したり、シーナの自伝本が出版されるなどしていて、今回のライブはそのリリースに併せたものであった。もう、これ以上ないぐらいのタイミングの良さじゃないか!スペシャルな、バンドの集大成的なライブが観られるんじゃないかと、年が明けてからこっち、オレはこの日が楽しみで楽しみで仕方がなかった。

この日の整理番号は22番。オレは前から3列目、鮎川さんとシーナのメインマイクの中間あたりというばっちりの席をゲットして、Tシャツ一枚で早くから気合入りまくりだった(笑)。もっとも、てっきりオールスタンディングだと思ってたんで、座席があったのはちょっと驚きだったんだけど。まあ、オレも含めて観客の年齢層が高いライブだからそれもしょうがないか…(苦笑)。

ライブは開演予定の18:00を10分ほど回ってスタート。恒例のロケット発射のカウントダウンSEを観客も一緒に叫び、「ゼロ!」と同時に照明がバーッと明るくなってメンバーがステージに出てくる。毎度毎度のパターンだとわかってはいても、やっぱしカッコE~!興奮せずにはいられない!周りを見たらみんな総立ち。なんだあ~やっぱり座席、いらないじゃないの~っ!(笑)。

オープニングは、お馴染みの「バットマン」。続いて「ゲリロン・ベィブ」やら「ホラフキイナズマ」やら、定番曲を惜しげもなく畳み掛ける。カッコ良し~っ!最初の4曲はシーナ抜き・ザ・ロケッツ(笑)で演奏するのが定番なんだけど、男4人は全員革ジャンでキメていて、まったくもうカッコいいったらありゃしない。もう、徹頭徹尾R&Rだ。鮎川さんたちは、オレたちのイメージするR&Rのイメージそのものを体現している。
そんな硬派な面構えと男前なプレイ。…に反する鮎川さんの素朴なMC(笑)。ガツン!とハードに決めた後に、“寅年~!明けましておめでとう~”なんて、超日本風なことを言うんで、ついつい笑ってしまうんだなあ、これが(笑)。

シーナは5曲目から満を持して登場。曲は「スイート・インスピレーション」だ!うわー、懐かしい!これはシナロケの曲の中でもポップなヤツなんだけど、前述した理由もあって、最近は正直言ってちょっと聴くのがキツかったりもしたんだ。だけど、この日は違った!だって、シーナの声、ほんとに戻ってたんだから!もちろん、全盛期と同じとまではいかないけれど、ここまで回復しているとは思わなかっただけに、嬉しかった、これは。
続いて演奏された「プリティーリトルボーイ」や、本編ラストに演奏された「ユー・メイ・ドリーム」は、やっぱりシーナのコケティッシュな声があってこそ輝く楽曲なんだなあ、ってことを改めて強く思った。

シーナの好調ぶりに触発されたか、浅田孟と川島のリズム隊も、以前にも増して強固になったように感じた。オレ、浅田さんがロケッツに帰ってきたのは嬉しいなあ、やっぱり。ARBでのベースも印象深いけど、浅田さんが抜けた後、渡邊信之がベースに回った時は、正直言ってがっかりしたからなあ…。ストーンズじゃないけど、やっぱりこのバンドにはツインギターが似合うと思う。鮎川さんのギターは、一本の時より今の方が明らかに余裕が出てきた。まるで水を得た魚みたいに、カッコいいフレーズをビシバシとキメまくる。ボキャブラリー不足で申し分けないけど、やっぱしカッコE~ぜぇ鮎川さん!最高のキャプテン・ギター!
王道のR&Rバンドはやっぱしツインギター。ストーンズしかり、エアロスミスしかりだ。シナロケは、どうしても鮎川誠のギターばかり注目されるけど、実はナベのサイドギターも凄く良かったりするんだなあ…。この日も、鮎川さんはお馴染みのブラック・レスポールを思いっ切り歪ませ、ナスティーなトーンでひたすら攻めてたんだけど、ナベは曲ごとにギターを持ち換え、いろんなトーンを聴かせてギター小僧の片鱗を見せてくれていた。
あと、思ったんだけど、今のシナロケ、昔の曲も全般的にテンポ速くなってないか?歳を重ねるとレイドバックしたサウンドに傾く人が多い中、まるでクロマニヨンズばりの失踪感。60を超えた人たちが出してるビートだとはとても思えなかった。また言いますが、やっぱしカッコE~!(笑)

キャリアの節目でもある特別なライブだということもあってか、バンドはこの日のためにウェブでリクエストも募ったらしい。そこから選ばれたのは「ハートブレーカー」とか。オレ、この曲聴くの20年ぶりぐらいかもなあ…。いやあ~なんというか、自分がジョン・レノンが亡くなった歳を超えても、シーナ&ロケッツというバンドがまだ存在してて、こともあろうに土曜日の夜に渋谷のど真ん中でライブ観てるなんて…。なんとも言えない不思議な気分になった。こういう瞬間、オレは歳をとるのも悪くないし、音楽を好きで本当に良かったなあ~って思うんですよ。
豪快な「キャプテン・ギター・アンド・ベイビー・ロック」や、お決まりのカウントの合いの手が気持ちいい「ダイナマイト」あたりは、もう頭の中が真っ白になるぐらいノリノリになっちゃった(笑)。

後半は、ロケッツ定番メニューのオンパレード。懐かしい「レイジー・クレイジー・ブルース」、Hでカッコいい「レモンティー」、鮎川さんのギター大爆発の「たいくつな世界」…。本編ラストの「ユー・メイ・ドリーム」では、シーナがステージ下に降り、最前列に詰め掛けた熱心なファンたちの目の前で歌った。

アンコールがまた良かったんだよなあ…。
まずはシーナ抜き・ザ・ロケッツで「マイウェイ」。曲前では、“シド・ビシャスも内田裕也さんもやってました”っていう、先人へのリスペクトも忘れない鮎川さんのMCが泣かせる。次からはシーナも出てきて、デビューシングルの「涙のハイウェイ」。そして、なんとルイ・アームストロングの「What A Wonderful World」をパンクバージョンで演奏。CHABOファンのオレは、いつもライブの最後のSEで聴いている曲だけど、テンポをガンガンに上げてプレイされたシナロケ・バージョンもなかなかでした。
最後の最後は、これまたカバーで「My Bonnie」。これは、ビートルズがデビュー前、誰かのバックバンドで演奏したバージョンがロックファンの間では有名ですよね。シナロケ版もそれと近いアレンジだったな。

全部で2時間半弱。最近のバンドのライブと比べると、ちょっと短いと思うかもしれないけど、オレは十分。なんと言っても、60超えてあのパワーを2時間持続するだけでも凄いと思う。シーナなんて、若い時とほとんど体形も変わってなく、いまだにピンヒール履いて踊りまくっているんだから驚いてしまう。よくあれだけ踊りながら歌い続けられるもんだよなあ…。衣装換えは3回やったのかな。最初がお腹丸出しの白いレザーのセパレート、次がサファイアブルーのチャイナっぽいドレス、アンコールの時が黒い革ジャンと革のホットパンツ。そのどれもが若い時と同じ超ミニスカートなんだから、その心意気だけでもカッコいいと思うよ、オレ。

オレは、シーナ&ロケッツのライブを観ていると、正直言って伝統芸能を見ているような気分になることもある。彼らのライブの展開は、昔から何も変わっていないのだ。お馴染みのR&Rマナーに徹した楽曲を、ガツン!とカマして後は最初から最後までガーッと駆け抜ける…。それ以上でもそれ以下でもないのだ。
でも、それがイイんですよ。以前、誰かが言ってたことだけど、ジャックダニエルは百年前から21世紀の現在まで何も変わらず、美味く芳しいではないか。R&Rやブルースもそれと同じ。変わらないことが芳醇さを生むものだってあることが、この歳になってやっとわかってきたよ、オレも。
ただ、今のシナロケは“進化”はしてないかもしれないけど、演奏のレベルはますます“深化”している。今のバンドのコンディションは、過去のシナロケの歴史の中でも最高レベルなんじゃないだろうか?

彼らのファン達の熱さにも感動したなあ…。開演前、オレは席近くのファンたちと言葉を交わしたんだけど、驚いたことに、静岡だの三重だの九州だの、遠くから来ている人たちもたくさんいたんですよ。そんな人たちも、この日のライブの熱さは大満足だったことだろう。
ストリート・スライダーズもRCサクセションも存在しない今、シーナ&ロケッツは、80年代の日本のロック黎明期から残っている、数少ない正統派R&Rバンドのひとつだ。鮎川さんもシーナも、いつまでも元気にステージで暴れてて欲しい。

いやあ~今日はほんと、パワーをもらった。ごっつあんでした、鮎川さん、シーナ!
オレ、ガッツが欲しくなったら、またライブに足を運びます。お互い、それまでkeep on Rollin'っすね!

Back In The Rock City '10 SHEENA & THE ROKKETS @ 20100109 (sat) DUO MUSIC EXCHANGE, SHIBUYA

Batman's Theme (Neil Hefti) バットマン
Get it on babe ゲリロン・ベィブ
Oh no! I'm flash ホラフキイナズマ
Virus Capsule (Ayukawa - Shibayama) ビールス・カプセル
Sweet Inspiration スイート・インスピレーション
Pretty Little Boy プリティーリトルボーイ
Happy House ハッピー・ハウス
Rock on Baby ロックの好きなベィビー
JAPANIC (4:25) ジャパニック
PLANET GUITAR (4:28) プラネット・ギター
Heart Breaker ハートブレーカー
A Main Lover 今夜はたっぷり
Captain Guitar and Baby Rock キャプテン・ギター・アンド・ベイビー・ロック
DoBuNeZuMi (Ayukawa Makoto) ドブネズミ
Stiff Lips スティッフ・リップス
Dynamite ダイナマイト
Propose プロポーズ
Cry Cry Cry クライ・クライ・クライ
Lazy Crazy Blues レイジー・クレイジー・ブルース
Lemon Tea (Ayukawa - Shibayama) レモンティー
Taikutsuna sekai たいくつな世界
You May Dream ユー・メイ・ドリーム
ENCORE

My Way マイウェイ
Namida No Hiway 涙のハイウェイ
What A Wonderful World ホヮット・ア・ワンダフル・ワールド
My Bonnie マイ・ボニー

OPEN/SHOW:17:00/18:00
全自由席 \4,500(1Drink別、入場整理番号付)

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2010年1月 8日 (金)

【本】「正しい戦争」は本当にあるのか / 藤原 帰一 (著)

41d0413yjyl もう去年の話になってしまったけど、12月のオバマ大統領のノーベル平和賞受賞時のスピーチは、僕にはかなりショックだった。彼は、自分が現在も2つの大きな戦争を行っている国の最高司令官であるという事実を認めたうえで、戦争は平和を保つための大きな役割を持っていると明言したのだ。
もちろん、どんな言葉で正当化しようと、戦争は人類に大きな悲劇をもたらすものだという真実にも言及してはいたのだが、それでもオバマさんのスピーチは、ノーベル平和賞受賞者が、この世には“正しい戦争”があるということを、世界中にはっきり言い切ったことになる。この発言は、“戦争は国際法で定められた外交手段の一つだ”なんて、利いた風なことをぬかしているネット右翼の戯言とは、比べものにならないほど重い。

一体、“正しい戦争”とは何なのか。何を持ってその戦争を“正しい”とするのか。そもそも“正しい戦争”なんてものが本当にあるのか…。オバマさんのスピーチに大きな違和感を覚えた僕は、以前斜め読みしてほっぽり出していたこの本を、この機会にもう一度読んでみたくなったのである。

本の構成は、インタビュアーが藤原さんの話を聞きだす、口述手記のスタイルになっている。対談が行われた時期は、小泉さんが総理大臣となり、国内ではイラクへの自衛隊派兵が是か非かで揺れていた頃だ。今となっては一昔前のことのようだけど、内容は今読んでも少しも古さを感じさせない。それは、この本が戦争という現象を国際政治上にきちんと位置づけ、現在の国際情勢を歴史的な流れの中で、できる限り客観的に説明しようとしているからだと思う。
時事問題を考える時、こういう専門家による解説を精読しておくことは大事だと思う。こういった本から、知識のベースを作っておくと、新聞やテレビの扇情的な報道や一時的な社説、感情的な世論の動向に左右されない、自己の拠り所ができるからだ。

この本は、序盤で戦争という概念の戦争の歴史的な流れが解説される。それはおおよそ次のようなものだ。
中世の戦争は宗教的対立に根ざしたものが主流だった。これはお互いが自分たちを“正しい”と信じ込んでいるため、相手が全滅に近い状態になるまで徹底的にやってしまい、結果として、歯止めがきかない悲惨なものになりがちだった。その反省から、近代に入ると被害を最小限度にとどめるべく、リアリズムに基づいた戦争観が主流になってきたのだが、戦争を制限する国際法規などで、戦争が「違法化」されてくると、今度は戦争を行っている国を平和を乱す悪とみなし、制裁としてそこを攻撃する国が出てくるようになる。
これが現在のアメリカだ。最近のアメリカの軍事行動は、何でもありで歯止めの効かないものになりつつあるが、これは彼らが自分たちを“正しい”と信じて疑わないからなのではないか。つまり、戦争観がぐるっと一回りし、いまや中世の「正戦論」へ回帰してしまっていると藤原氏は言うのだ。

冷戦終結後の世界の見方や、日本国憲法と日米安保条約の見方なども、これを読むことによってだいぶはっきりしたものになってくる。こういう言い方は何だけど、僕はこれを読んでいて、今の世界は、冷戦終結後の総括を行ってこなかったツケを払っているのかもしれないと思うようになった。
第二次世界大戦までは、大きな戦争が終わると、世界の体制や構造が変わらざるを得なかった。日本が正にそうで、敗戦という大きな痛手を負ったわが国は、そこではじめて民主主義に目覚め、経済中心へと国の構造を改革したのだ。
しかし、冷戦終結の場合はそうではなく、アメリカとソ連の代理戦争を戦わされた国々は、冷戦終結と同時にそのままま放り出されてしまった。これが今日の国際情勢の混乱の一因だと藤原氏は語る。

正直言って、僕は藤原さんの考え方にはシニカル過ぎるところもあると感じるし、全面的に賛成しているわけではない。だが、先のオバマさんの発言などは、正に藤原さんの言ってることを踏襲しているとしか言いようがないと思った。change!を標榜していた人物が、実は典型的なアメリカの大国主義的な物言いをしている…。やっぱり、がっかりだよな、これは。

だけど、同時にこうも思ったんだ。“ラブ・アンド・ピース”を理念として持つことは大事だけど、この世から戦争という“悪”をなくすための手段を考える時、僕らはもっとリアルに物事を見つめ、シニカルになるべきではないかと。
外交というものは、突き詰めるところ取り引きと談合なのだと思う。手段は汚くとも、すべての手を打った時にどれだけ国益を手に入れることができたかということ、それこそが外交の成果。結果として理想に近い世界を形成したのならなお良しだ。
藤原さんの言うように、現実主義的な立場から平和の可能性を追求し、少しずつでもいいから状況をいい方向に変えていく…。そんな積み重ねを根気よくやらないと、この世から戦争なんて決してなくならないんだろうな…。

正月明けのボケた頭には少々刺激が強い本だけど、僕らが呑気におせちなんか食ってる間にも、確実に戦争で人が死んでいる。その事実はやっぱり意識し続けなければならないだろうな。
2010年。僕らはこんな奇妙な世界に生きているのだ…。

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2010年1月 3日 (日)

「京都シネマ」で「スラムドック$ミリオネア」を観る

Pickupslumdog

12月30日の昼間は、四条烏丸にある「京都シネマ」で映画を観た。
ここは流行りのシネコンと呼ばれる空間よりも更に狭い、まるで高校の視聴覚教室みたいな所。だけど、なぜか大のお気に入りの映画館なのだ。オレは出張なんかで地方に行くと、必ず映画館に立ち寄るので、全国のいろんな映画館を知ってるけど、ここは本当に良いハコだ。小さいけれど十分な大きさのスクリーン。素晴らしい音響。地味だが確かな眼で選ばれた上映作品。何よりもお客さんのマナーが素晴らしい。本当に映画が好きで来ていると思わされるその静穏な空気の中にいると、身も心も映画の世界に没入できる。会員制だから、オレみたいに観光客としてここに寄るモノ好きはあまりいないのかもしれないけれど、京都で時間があると、なぜか必ずここに来てしまうのだ。

この日は、年末のスタッフセレクションとして「スラムドック$ミリオネア」を上映していた。今年の春にロードショー公開されて話題になった作品だけど、オレは見逃していたので、京都シネマでこれに出会えるなんて、なんてラッキーなんだろう。

この映画、インド人の監督によって撮られたと思ってる人がけっこう多いみたいだけど、実は監督はイギリス人のダニー・ボイル。ちょっとした映画好きなら、90年代に話題となった、「トレインスポッティング」を撮った監督として記憶に残っているだろう。
主人公は、インドのスラム街出身の若者ジャマール。彼は、テレビ番組「クイズ$ミリオネア」に出演し、次々と難問を突破して賞金を獲得するが、スラムで育った貧しい少年が正解を知るはずがないと不正を疑われ、最終問題にのぞむ前に逮捕されてしまう。ジャマールになぜこれほどの知識があるのか、なぜこの番組に出演するに至ったのか、警察の尋問とジャマールの独白によって真実が明らかになっていく…。そんなストーリーだ。

シンプルな話であるがゆえ、いろんな見方ができるだろうけど、オレは何故か主人公であるジャマール以上に、ともに貧しいスラムで育ち、最後は全く正反対の生き方を選ばざるを得なかった、兄・サリームのことが強く心に残ってしまった。
平和ボケした僕らの頭をハンマーで殴りつけるかのように、スラムで育った彼らの生き方はドブネズミのように逞しく美しい。良いことも悪いことも、彼らにとっては生きるための手段でしかない。少年時代のジャマールとサリームの姿は、生きることに必死であるがゆえにとても純粋で可愛らしく映った。
忘れられないのは、ゴミ捨て場の片隅で眠りこける彼らに差し出されたコーラを無邪気に受け取るシーンだ(実はコーラを渡した男たちは、とんでもない悪党どもなんだけど)。あれは演技と言えるのだろうか?こういう見方しかできないのは、先進国でのうのうと生きるオレ自身の傲慢さの表れなのかもしれないけれど、あまりにも素朴すぎるその姿は、素朴でありすぎるがゆえに痛いほど胸を打った。

そんな2人も、やがて違う道を進まざるを得なくなる。弟ジャマールは地味だけどまっとうな市民として生き、兄サリームは、人を殺めたことをきっかけに町を牛耳る黒幕の手先へ…。2人の間には、修復不可能と思われる確執が生まれてしまった。
後半になると、怖ろしいばかりの強運を得ながらも、なぜジャマールがこれほど落ち着き払っていられるのか、その理由もわかってくる。彼は、億万長者になるためにクイズ番組に参加していたのではなかったのだ…。これから見る人のために、これ以上のことは言えないけれど、彼にとっては、億の大金もただの手段に過ぎない。彼が本当に求めたものは、初恋の人・ラティカの心だった。

最後に彼は、成功と栄光を手にするのだけれど、その成功を支えたのは、本当は兄サリームだったのではなかったかとオレは思う。オレは、神に許しを請いながら悪事に手を染め続けたサリームの悲しみが手に取るようにわかるんだ。彼は貧しさの中で生まれた自分の境遇を呪い、誰よりも弟やラティカを、もっといえばスラム全体、インド全体の平和を願っていたはずなのだから…。
結果として、彼は弟とラティカを救ってボロ雑巾のように死んでいくのだけれど、オレは彼のそんな生き方をリスペクトしないわけにはいかない。人間は、ほんのひとかけらの幸福な瞬間を覚えてさえいれば、それを誇りにどんな死に方だってできるんだ…。そんなことを思ったな。

まあ、本物のインドを知る人にしてみれば、こんなのまだまだ甘いと言うんだろう。だけど、ダークでヘヴィなインドの現状を、カラフルなエンターティメントに仕立て上げて、世界中の観客を魅了できたのは、まぎれもないダニー・ボイルの才能なんじゃないだろうか。
ラストシーンで感動の邂逅を果たしたジャマールとラティカ役の役者が、エンドロールのバックで、まるで「踊るマハラジャ!」みたいにガンガンに踊りまくるのは興醒めだったって言う人がたくさんいるみたいだけれど、あれだってダニー・ボイルの計算のうちだったのかもしれないし。へヴィな現状も、音楽とダンスの疾走感でぶっ飛ばしてしまうというインド映画のパワーを、彼なりにリスペクトしたのかもね…。

そうそう、ジャマールを詰問するベテラン警部を演じていたインド人の俳優、どっかで観た事あるなあと思っていたら、2年前の冬に、場所も同じ、ここ「京都シネマ」で観た「その名にちなんで」に出ていた、イルファン・カーンだった。あれも、米国に移民したインド人家族を描いた映画だったっけなあ…。
「京都シネマ」では、なぜかインドに縁があるなあ、オレ…(笑)。

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2010年1月 2日 (土)

京都の、世界で一番美味いごはん

断言する。ここで出される白い飯は、世界で一番美味いごはんだ。
オレは米どころ、東北は福島の産まれだけど、地元でもこれだけ美味いごはんにはなかなか出会えない。強いて言うなら、亡くなったばあちゃんが、新米を使って炊いたごはんととてもよく似ている。懐かしく、とても力強い。食べているだけで気持ちがほぐれ、活力が沸いてくるような、そんなごはんの味がした。

今回の京都旅行、オレは絶対この「十二段屋」に来たかったのだ。きっかけは山口洋の日記。頑固なあの男が、ここまで言い切るのだから悪かろうはずがない。
東京からお店に電話で確認したら、年内は29日までの営業だという。29・30日の麗蘭ライブに併せた京都旅行、当初は29日の夕方に京都入りする予定だったが、29日のお昼時に間に合うよう、急遽切符を変更した。

予感は的中。素晴らしかった!
昼のメニューは、基本的に白いごはんと赤出し、漬け物に卵焼きだけ。だけど、こいつが信じられないくらいに美味い。おかずを食べ、味噌汁を啜りながらゆっくりとメシを食らう。日本人なら当たりまえの食事作法だけど、忙しさにかまけ、自分が如何に“食事を摂る”だけのことが多かったのか、痛感させられた。

オレが頼んだ「水菜」というセットは、上に書いたものに季節の一品が加わる。29日は蕪の穴子あんかけだった。
何度も言うが、こんなにシンプルなのに、本当に美味いんだ。出し巻き玉子は口の中で出汁がじんわり広がるのが堪らなく気持ちいいし、京漬物も、こんなに美味いんなら他におかずは何にもいらない。これだけで、何杯でもごはんが食べられるのだ。
オレは日本人だ。日本人に生まれて良かった。なんかね、大げさじゃなくそう思ったよ(笑)。

それにしても。このメシ…。やっぱりこのメシだなあ…。艶々で、やや固めの炊き上がりがモロに自分好み。柔らかくべたっとしてしまったら、甘すぎてお米本来のしゃっきり感がなくなってしまう。固すぎたらお米の甘みが出ない…。硬すぎず柔らかすぎず。この店は、それが絶妙だった。
最後は漬け物の味で食べるお茶漬けを楚々と。因みに、ご飯とお茶のおかわりは自由だった。
これで1,890円也。高いと思うか安いと思うかは人それぞれ。オレはこの倍の値段でも喜んで払うね。

お店の人の接客も素晴らしかった。男一人の旅人にも胸襟を開くようなたおやかさ。
いや、恐れ入りました。古都の名店ここにあり。是非近いうちに再訪します。っていうか、京都に行くなら万難を排して立ち寄らせていただきたいと思います。ご馳走様でした。

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2010年1月 1日 (金)

麗蘭2009「YOU - I」磔磔 vol.17 / 2009年12月29日(火)・30日(水) 京都・磔磔

麗蘭2009「YOU - I」磔磔 vol.17
2009年麗蘭are... 仲井戸麗市・土屋公平・早川岳晴(B)・JAH-RAH(Dr)
12月29日(火) open 17:45 / start 18:30
12月30日(水) open 16:45 / start 17:30
チケット料金:前売り6,500円(税込)STANDING

今年で17年目になるCHABOの年末の京都・磔磔ライブ。一口で17年と言うが、それは大変なことだと思う。CHABOも蘭丸も早川さんも、口にこそ出さないけれど、体調がすぐれない時や個人的にへヴィな時期だってあったに違いない。僕自身、家庭を持ってからは、年末に東京を離れてライブに行くのはなかなか難しくなってしまった。最近は、年末に京都に来るのは2年に一回のペース。それも、考えてみたら2年前は“麗と蘭”で、CHABOと蘭丸2人だけのライブだったから、バンドとして磔磔で見るのは、なんと4年ぶりなのだ。
ところが、今年は前の週までに家族全員が新型インフルエンザに感染し、僕もインフルの陽性反応こそ出なかったものの、直前に風邪をこじらせて高熱を出すというタイミングの悪さ。一時は、これでは京都行はダメかと覚悟したんだけど、大事をとって28日に別のライブをキャンセルして身体を休め、このライブにかける事にした。だって、今年は一生忘れられないヘヴィなことがたて続きに起きた年。こんな年こそ、せめてその締め括りにCHABOと同じ時間を一緒に過ごしたい…。そんな想いをとりわけ強く持ったのだ。

今、東京に帰ってきてしみじみ感じている。やっぱり無理してでも行って良かった。CHABOと、CHABOを愛するファン達と同じ時間を過ごせて本当に良かった。
高熱が続いたすぐ後に長時間立ちっぱなしでいたせいか、いまだに身体の節々が痛かったりするんだけど、それでも29日・30日の2日間、麗蘭の音のシャワーを浴びて、身も心もすごく浄化されたように感じる。

何より嬉しかったのは、磔磔ならではの、磔磔でしか聴けない独特の温かい音が十分に堪能できたことだ。しみじみ思った。AXやO-EASTで聴く麗蘭ももちろん素晴らしいんだけど、あの“磔磔サウンド”とでも言いたくなる丸く温かい音は、やっぱりここでしか聴く事ができないんだと…。その音は4年前と全く変わらなかった。磔磔が磔磔である要、“磔磔サウンド”を頑なに守り続けていることが、僕にはたまらなく嬉しかった。
この磔磔独特の音響は、フロアのやや後方にいるとより明瞭に伝わってくる。30日なんか、僕は蘭丸側のはるか後方のお立ち台で身体を揺すりながら、その“磔磔の音”に包まれている幸福感に、不意に涙ぐみそうになった。

もう一つ嬉しかったのは、今年の麗蘭からも、昨年から引き続いた“ロック・モード”が強く感じられたこと。これは昨年のO-EASTでのライブレポでも書いたことだけど、以前の麗蘭によく見られたスタイル、CHABOのアコギ+蘭丸のエレキに、パーカスのポリリズムっぽいビートを絡めるというタッチは、今は殆どない。現在の麗蘭は、17年前と比べると、よりオーソドックスな、4人ががっぷり組み合った骨太のロックバンドに変貌した。
そりゃあ、17年もやってりゃあ円熟味だって出てくるさ。でも、CHABOも蘭丸も、ちっとも丸くなってなんかいない。この日、CHABOがメインで使っていたのは黒のストラトとGODIN。松下工房製のSGをいくつも持ち替えて変化自在のファンクビートを叩き出す蘭丸と、“ちょっと大人気ないんじゃないの?”と思ってしまうぐらい(苦笑)、手数の多かったCHABOとの絡みは、17年前以上に激しく、鋭く、まだ麗蘭としてどこか遠くに行こうとする意思を強く感じさせた。

それと、JAH-RAHの加入はやっぱり大きいと思う。彼のドラムによって、特に麗蘭の持っていたファンク・テイストが、ますます強調されることになった。
ファンク色が最もわかり易い形で表れていたのが、定番中の定番、「ミッドナイト・ブギ」。時代時代で様々にアレンジを変えて演奏されるこのマスターピース、今年はへヴィ・ファンクなぶっといアレンジになっていた。それから、久々の感のある「ハイキング」は、2拍目のアクセントを強めたモダンなアレンジで、オリジナルの牧歌的なタッチは影を潜め、フロアの空気をかき混ぜるようなグルーヴ感を醸し出していた。
そうかと思うと、懐かしい「待ちわびるサンセット」が飛び出したりする。蘭丸はもちろん12弦!イントロに絡むCHABOのアコギも最高だった。…これは初期麗蘭の十八番というべき組み合わせなんだけどね。
そんな風に、サウンド的にはよりロックっぽくなり、蘭丸がボーカルをとった「光るゼブラのブギー」や、30日のみ演奏された「Blue Blue」などを除けば、ブルースっぽいタッチは例年より少なかった。なんて言うのか、CHABO自身がそんな気分じゃなかったんだと思うな。憂鬱でリアルすぎる現実なんかぶっ飛ばしちまう、コシの強いビート。今年の麗蘭が狙ったのは、CHABOが出したかったのは、そんなサウンドだったんだと思う。

そして、「今夜R&Bを…」。あんな事があった年だから、今年磔磔で聴く「今夜R&Bを…」は、たまらないものがあるだろうと思っていたが、いつも以上に引き締まった表情でイントロを爪弾く早川さんをはじめ、4人の魂のこもった演奏には本当に胸を打たれた。CHABOは、この曲の演奏前に、“今年も磔磔でこの曲を歌わせてくれ!”といったあと、“今年こそこの曲を歌わせてくれ”と確かに言った。そこにどんな意味がこめられていたのか、誰もが理解したことだろう。間奏には、なんと「スローバラード」まで挟み込み、何度も何度も天を指差して、遠くに行ってしまった親友をリスペクトする。
僕は、涙が出そうになるのを必死で堪えながらこんなことを思ったんだ。生きていくということは、大事なモノを否応なく喪っていくことなのかもしれない。そして「今夜R&Bを…」は、遠くへ行ってしまった人や古き良き音楽をリスペクトするだけではなく、生き残った僕らが朝日を感じるための歌だったんだと…。

CHABOの想いは磔磔に詰め掛けたファンに独り残らず伝わっていたと思う。カバーで取り上げられたビートルズの「I call your name」。新曲「Spirit」での“命以外、もう何にも失うものなどない…”という歌詞…。まったく、まったく、なんて歌詞なんだ…。
歳を重ねることで何より辛いのは、大事にしていたものが自分ではどうすることもできないまま遠くへ行ってしまうことなんだと、44年生きてきて、なんとなく僕にもわかるようになってきた。きっと、僕らはこれからもそんな経験を何度も経験しなければならないんだろう。だけど、それが人生であるのなら…。そう、俺たちはもう命以外、何にも失うものなどない…。

30日、すべてが終わった時、もしかしたらあれはオフマイクだったのかもしれないけど、CHABOははっきりと“ああ、終わった…”と言った。
CHABOは、決して2009年にあった辛い出来事を具体的に話したわけではない。そんなヘヴィなライブでは全くなく、むしろいつも以上に楽しいMCで、みんなを笑わせ、元気にしてくれた。でも、やっぱり間違いなく辛いライブでもあったんだと思う。この2日間は、ある意味壮絶なライブだったと僕は思った。

でもね、同時にすごく力を与えてくれた2日間でもあったんだよ。
根拠はないし、何に対してそう思ったのか自分でもよくわからないんだけど、僕らもCHABOも、もう“大丈夫”。なんだか強くそう感じた。

ありがとう、CHABO。
2009年は酷い年でしたね…。
2010年、いい年にしようぜ。俺も俺のフィールドで精いっぱい頑張ってみますよ…。

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