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2010年2月

2010年2月28日 (日)

「お兄さん、カメラマン?」と、渡さんは言った。

87362b66なぜ、オレはあのバンドを観ておかなかったのだろう。なぜ、あの人のライブに足を運んでおかなかったのだろう…。今になって、そんな後悔の念にかられてしまう人が何人かいる。

高田渡さんもそんな中の一人だ。
ライブは観た事がないのだけれど、実は、オレは高田さんと町でばったり会って、一緒にお酒を飲むという不思議な体験をしているのだ。場所は渡さんが毎日通いつめてることで有名だった吉祥寺の飲み屋「いせや」。あれは何年前だったか…。21世紀になる前、たぶん96年か97年の冬だったんじゃないかと思う。
当時のオレは、なぜかバードウォッチングに異常に夢中になっていて、週末ともなれば、でっかい望遠鏡やカメラ、三脚なんかを持って、珍鳥が出たという噂を耳にするたび、野に山に飛び出して行くという生活を送っていた。その日は、吉祥寺の井の頭公園に、都心の池にしてはちょっと珍しいカモが渡来したという噂を聞きつけたんだと記憶している。その頃のオレは、吉祥寺とは目と鼻の先の小金井市に住んでいたから、井の頭公園はちょっと近所に出かけるぐらいの感覚だった。朝一番の電車に飛び乗り、誰も居ない公園でお目当てのカモ君とご対面。撮影にもばっちり成功して、意気揚々と公園通りの「いせや」本店に寄り、独り昼間から祝杯をあげていた。
三脚だの、でっかいリュックだのをブラ提げ、バードウォッチングの雑誌を眺めてニヤニヤしながら、昼間からビールをかっ食らってるオレの姿は、傍から見ればかなり異様だったのかもしれない(苦笑)。近くの席で飲んでいた渡さんの方からオレに声をかけてきたのだ。

「お兄さん、カメラマン?」

オレは最初、その人が高田渡って気が付かなかったんだよね。で、自分がバードウォッチングを趣味にしていること、井の頭公園に珍しいカモを観に来たこと、それから、自分が使ってるカメラの話なんかをひとりきりしたんだ(意外なことに、渡さんはカメラにけっこう詳しかった)。渡さんは、チューハイかなんかをちびちび飲みながら、オレの話を面白そうに聞いていたっけなあ…。
で、こんなことをボソッと言ったんだよ。

「あのさあ~、鳥好きの人が焼き鳥なんか食っちゃっていいの~?」

まあ、それとこれとは別ですから…。みたいなことをオレは答えたんだと思うけど、その時、目の前にいる猫背のおじさんが高田渡であるということに突然気が付いたんだよね。なんでって言われてもうまく答えられないんだけど、その時のちょっと皮肉っぽい言い方が、ほんの少しだけ知っていた高田渡さんという人のイメージにぴたっと合わさったということだったのかもしれない。
でも、自分は今、伝説のフォークシンガー高田渡とグラスを酌み交わすというとんでもない時間を過ごしていると気が付きはしたけれど、なんとなく、そんなことは口に出さない方がいいような気がして、そのまま渡さんと吉祥寺や武蔵野界隈の世間話を続けた。ただの酔っ払い同士の会話だ。店には2,3時間ぐらいいたのかなあ。席を立ったらけっこう足がふらついていたから、オレはかなりの本数のビールを空けたと思う。
オレが席を立ったら、渡さんも腰を上げて、

「じゃ、元気でね…」

って言って、ひらひらと手をふってくれたのを今でも憶えている。

あの日から、高田渡という人は自分の中でなんとなく気になる存在になった。だけど、オレは、高田渡のアルバムを一枚も聴いた事がないし、曲も代表的な数曲しか知らなかったんだよなあ…。いつかアルバムをちゃんと聴こう、いつかライブに行こう…。そう思っていたんだけど、結局そのままにしてしまった。なんとなく、高田渡のライブは行こうと思ったらいつでも行けそうな気になっていたんだと思う。
そうしたら、2004年になってドキュメント映画『タカダワタル的』が公開され、高田渡は一躍時の人になってしまった。へー!?と思っていたら、次の年の春に北海道で高田さんが突然倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまった。
オレ、はっきり言って、この急な展開についていけなかったんだ。だって、何年か前の冬に一緒に飲んだくれてたおっさんが急に時の人になっちゃって、ライブもばりばりやるようになり、そしたらすぐに逝っちゃって…。いくらなんでも、展開が早すぎるでしょう…。哀しかったけど、気持ちが付いていかなかった。そんなだから、自分の高田渡に対する想いは、ずっと中途半端なままになっていたのだ。

あれから10年以上の時が流れた今年2月、NHKの「こだわり人物伝」という番組で、4週にわたって高田渡の特集が組まれた。案内役を務めたのは、彼を師と仰ぐなぎら健壱だ。オレがはじめて知る渡さんの生い立ち、吉祥寺での生活、そして生活に密着した魅力的な音楽。
番組で流れた曲たちは、まるで鉛筆で書いたクロッキーのように、シンプルだけど力強かった。そして改めて思ったのだ。ああ、オレは何を差し置いても聴いておかなければいけなかった音楽がすぐ目の前にあったのに、また素通りしてしまったと…。

80年代に音楽に目覚めた世代は、長くフォークという言葉に偏見を持っていたと思う。フォークとは、ロックと対極にある辛気臭いもので、暗い歌をちまちまと歌っているようなイメージ…。
それは、当時の世相とも大いに関係がある。あの頃は、何でもかんでも「ネアカ」と「ネクラ」に分類しなければ気が済まないような風潮があったから、そんな時代にネクラとされていたものを身の回りに置いておくことにはけっこうな勇気がいったのだ。なにしろ、あの頃はバリバリのロックバンドですら、カフェ・バーみたいなところでグラスを持って流し目で立ってる姿をジャケットに平気で載せてた時代。そんな時に高田渡みたいな歌を聴くことは、自分が変わり者だってことを宣言してるようなもんだった。

白状してしまうと、オレはそんなネガティブなイメージを、90年代に入っても引きずっていたんだと思う。本物のフォークシンガーの唄う歌のすごさに気が付き、本当に力のある歌ってのは、ロックもフォークも関係ないってことを知ったのは、本当につい最近のような気がするのだ。
高田渡の歌、高田渡の生き方、高田渡の生活の中から生まれてきた歌の数々は、今現在日本中を旅しながら歌い続けているミュージシャンたち、それこそリクオやおおはた雄一くんたちの原点なんだと、今は思う。逆に言ってしまえば、高田渡という先人がいなければ、リクオのようなミュージシャンも出てこなかったかもしれないと思う。「こだわり人物伝」では、渡さんの吉祥寺での生活ぶりの一端も紹介されていたけれど、それを見ていて、オレは、現代のフォーボー・ミュージシャンであるリクオが、江ノ島という土地に腰を落ち着けて音楽を作り、そこを拠点に全国を旅するという生き方を選んだ理由がよくわかったような気がした。

今からでも遅くない。改めて、高田渡という太く深い泉を掘り下げてみようと思う。

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2010年2月24日 (水)

【雑誌】BRUTUS 2010年 3/1号 「日本のロック 愛」

51hlk8ow0kl__sl500_aa300__2物足りない!読んだ後にものすごく要求不満を覚える特集だった。
キャスティングに関しては、まあこんなもんなんだろう。2010年現在、ロック・フィールドでのメジャーどころ、若手の注目株をとりあえずおさえてみました。ワキを固める面々も、木村カエラだの箭内道彦だの、巷で“なんとなくロックっぽい”と思われてる人たちを集めてみました。そんな感じ。

はっきり言うと、そこ止まりなのだ、この特集は。
だって、いまさら高橋幸宏と小山田圭吾が対談したって、そんなの当たり前すぎだろ?ちょっと音楽を知ってる人なら、読まなくても展開がわかってしまうはず。案の定、対談は小山田くんが聞き手に回って幸宏さんがYMO時代の裏話を語り、最後は坂本龍一とのツィッター話を披露して、そこはかとなく現役感を醸し出してお終い。
予定調和な幕引き。なんとも安全な着地点。だけど、こんなんでエディターはほんとに満足してるのか?

他のパートもだいたいこんな感じなのだ。
奥田民生の日常のロック性?佐野元春の日本語をロックに乗せる試み?そんなのは、20年前からずっと言われてきたことじゃないか。オレ、2人は嫌いじゃないし、言いたいこともよくわかる。だけど、こうも毎回同じ切り口ばかりだと、まるでこの人たちの音楽にはこれしかないみたいで、いい加減うんざりしてくる。
サンボマスターに愛聴盤を語らせる企画にしたって、オヤジロックファンも取り込めるだけの幅広い音楽性を持ち、山口君をはじめとするメンバー全員がロックオタク的な面を持つこのバンドに持っていく企画としては、当たり前すぎるぐらい当たり前ではないか。こういう見え見えの企画は“あざとい”と思う。

今回のブルータスに限らず、ここ数年、いろんな媒体で日本のロックを俯瞰した企画が目立つようになってきた。それは、この国のロックに語るだけの歴史と裾野の広さが生まれたということなのかもしれないが、反面、ロックをこんなにのっぺりと、それこそ流行のスーツを紹介するみたいに語っていいのか、とオレなんかは思っちゃうんだ。

そもそも、裾野が広がったということは、それだけ目と耳の肥えたロックファンも増えてきているということ。そんな人たちが、こんな展開で満足しているとはとても思えない。ここまで金と人を使った特集ができるなら、長年ロックを聴いてきた人たちを唸らせるような企画を組んで欲しい。
木村カエラをロック親父のアイドルみたいな扱いに落とし込んでイイのか?対談だったら、「30年の禁を破って語る日本語とロック -内田裕也×細野晴臣-」ぐらいのことをやってくれ。エディターには、この特集で閉塞した音楽業界に風穴を空けるぐらいの気概を持って欲しかった。

この号、オレはこの特集よりもむしろ、レギュラー枠での、スカパラの谷中敦とバーのオーナー、それにDJの3人のトークを収録した記事の方に、今後のロックを展望するキーが隠れていたと思う。
谷中たちは、結局、東京にはクラブ文化が根付かなかったといい、業界全体が盛り下がっているけれど、これからは“ライブはきっと伸びる”だろうということと、もしかしたらCDは、現在の物販のTシャツのように、ライブの副産物になるかもしれないなんてことをさらりと語っているのだ。
これはとても鋭い指摘だと思う。気が付いた人がいるかどうか知らないが、実は特集の中でも似たようなことを語っている人がいた。何よりも、オレ自身が最近ライブハウスで遊んでいて、なんとなく感じていたことでもある。CDショップのカウンターや、ただたらたらネットを眺めてるだけではわからない何かが、現場では確実に起きているのだ。
シーンの芽生えとはそういうことである。そういう小さな萌芽をピックアップできるかどうかが、編集者の腕の見せ所なんじゃないだろうか?

できないなら仕方がないさ。だけど、ブルータスだろ?マガジンハウスだろ?できないはずがないと思う。前号の吉本隆明の特集なんて、素晴らしかったじゃないか!今回だって、これだけのキャスティングが可能だったんだから、やろうと思えば絶対にできる。
そもそも、一般誌は専門誌よりもずっと自由な企画ができるはずなのだ。メジャー誌は、レコード会社の営業からどうしても逸脱できない専門誌とは根底から土壌が違うのだから…。
もっと心意気を見せて欲しい。メジャー誌ならではの仕事ぶりを見せて欲しい。

きついことを書いたけど、ブルータスだからあえて愛をこめて言ってるんだぜ。
オレはこの特集に“愛”を感じることはできなかった。

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2010年2月20日 (土)

リクオ・アルバム発売記念ライブ・ツアー「リクオ&ピアノ」 / 2月20日(土)神奈川県藤沢市片瀬海岸 虎丸座

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海の気配が感じられる場所が昔から好きだった。もしかしたら、オレは生まれ育ったところが山に囲まれた町だったから、海への憧れがなおさら強くなったのかもしれないと思う。
この日の会場は江ノ島の片瀬海岸のすぐ近く。オレはライブ前に海の香りを感じたくて、開場の2時間前には片瀬江ノ島にいた。改札を出ると、頬に当たる潮風の感触がなんとも気持ちいい。西の海原には冬の弱い太陽が金色の光を波間に落としている。その遥か向こうには富士山の美しいシルエット…。いやあ~素晴らしい眺めだった。心の底から自分が開放されていくのを感じたなあ…。
海岸に降りると、陽が落ちる前の短い時間を惜しむように波乗りに興じる人たちや、犬を連れて散歩する人たち、そして湾岸沿いの道を走る人たちの姿が。湘南国際マラソンが開かれる土地柄もあり、この辺りはランナー人口が多いとは聞いていたんだけれど、確かに自分のホームグラウンドである上野公園よりランナーはずっと多い。うん、気持ちはよくわかる。これだけ素晴らしい自然の傍で暮らしていたら、人間誰しも走ったりサーフィンしたりしたくなるだろう。

今、ピアノマン・リクオが暮らしているのは、こんな海沿いの小さな町なのだ。そして、「リクオ&ピアノ」は彼がこの町で暮らして初めてリリースしたアルバムということになる。彼は江ノ島の海を見下ろす建物の一室にピアノと機材を持ち込み、家から自転車で通いながら、昼間は海原を飛び交うカモメ達を、夜は遠く夜景を眺め、アルコールを片手にレコーディングに臨んだという。
この日のライブは正にそのレコーディング場所、江ノ島ビュータワー7階にある虎丸座というイベントスペースで行われた。アルバム発売日にBYGで行われたライブも素晴らしかったが、レコーディングしたその場所で行われるこのライブもまた特別なものに違いない。そう思って、オレはこの日が来るのが本当に待ち遠しかった。

予感は100%的中した。演奏された曲はBYGとほとんど同じなのに、ライブ全体の感じはBYGとはちょっと違っていた。何と言ったらいいんだろうか、よりリラックスして外に向かって開放されたようなタッチ。BYGが収録曲を丁寧に紹介する濃密なライブだったとすれば、この日はショーケースに入った曲たちを一つひとつ空に解き放っていくような、のびのびしたフィーリングを感じた。
オレ、つくづく思ったよ。歌もピアノも生き物なんだなあと…。同じ歌でも、聴く方、演る方のシチュエーションで、全然違って響く。それをこの日ほど強く実感したことはなかったように思う。

この日はゲストも登場。ファンにはお馴染み、クレイジー・フィンガーズで一緒に演奏している鍵盤奏者、YANCYと斎藤勇太の2人だ。会場にはリクオ用とゲスト用に、グランドピアノが2台も用意されているという贅沢さ。この2人の演奏もいつも以上に良かったんだ。
YANCYは最近1910年代の古いスタイルのピアノに傾倒しているということで、オールドスタイルのインストを披露。それと、1部の最後の方、リクオと共演した「ソウル」。これ、もちろんリクオが主旋律を弾いて歌うわけだけど、そこに付けたピアノが、短いフレーズなんだけどとても効果的なバッキングで良かったんだよなあ…。
斎藤勇太はいきなりの「氷の世界」で会場を熱くさせ、本人もライブ初披露と話す「飛行船」をソロで演奏。これ、後から勇太ファンに聞いたところだと、もともと藤井フミヤに提供した曲だとか。確かに、節回しとかどことなくフミヤの歌う曲っぽいところがあった。うん、いい曲でした。
それから、BYGではやらなかった曲で「同じ月を見ている」。いやあ~これが斎藤勇太との共演で演奏されるとは夢にも思わなかった。かなり揺さぶられた。オレ、切ないけどすごく好きな曲なんだよね、この曲。江ノ島の夜景が見える会場でのライブというシチュエーションに、この曲はすごく合っていたと思う。

演奏された曲はBYGとほとんど同じでも、曲順はけっこう変えてあり、このへんもリクオ氏、考えてきましたね~?っていう感じ(笑)。オープニングが「ヘブンズブルース」だったり、前半にちょっとノリのイイやつを並べたあたりは、地元ならではの盛り上がりを意識したのかもしれない。
それから、2部の中盤、客席が温まった中でじっくりと歌われたバラードの数々も、とても印象に残るものだったと思う。

とにかく、あっという間の3時間。MCはBYGよりも少なかったけど、曲の持つ説得力は少しも劣っていなかったと思う。

それにしても、虎丸座は記憶に残るとても素敵なライブスペースだった。
まずはその素晴らしいロケーション!片瀬海岸を眼下に見降ろし、夕陽に染まった富士山のシルエットが浮かぶ様は息を呑むほど美しかった。そして、とっぷりと陽が落ちると、今度は遠くに藤沢の街明かりが見えてくるのだ。これはもう、リクオじゃなくてもアルコールを注入したくなっちゃうよ(笑)。
虎丸座という空間がどれだけ素晴らしいかは、正にここで撮影されたこのPVでもお分かりいただけるだろう。



それと、この日のライブはドリンクに加え、なんとバイキング形式の食事まで用意してあった。それも、軽食どころではなく、ディナーとして十分なぐらいの量と種類。ワンドリンク付きのライブはよくあるパターンだけど、食事まで付いてるライブってのは珍しいんじゃないだろうか?まるで、リクオんちのホームパーティーに招待されたかのような錯覚を覚えてしまうほど。オレ、これで採算取れるんだろうか?なんて余計な心配までしてしまった(苦笑)。
それから、なんと言っても虎丸座のマスター、あなたは最高ですっ!(笑)。まあ~天然というか何と言うか…(笑)。話してるとワザとやってるんじゃないかと思うくらいにボケてくれるんで、可笑しくてしょうがなかった。

オレ、この日聴いた曲のいくつかは、虎丸座と江ノ島の海、それにこの町の持つ空気によっていっそう引き立ったことは間違いないと思う。「やさしさに包まれて」は、太陽の暖かい日差しが差し込んでくるような、柔らかく優しいタッチを感じたし、「時の過ぎ行くままに」は、海辺の町でジントニックのグラスを傾けて聴くのに、これ以上にフィットする曲はないんじゃないかと思ったぐらい。

オレ、藤沢の町でレコ発ライブが観られて本当に良かったと思う。
何度も言うけれど、このアルバムはリクオがこの町に住んで、この町の自然に包まれながら暮らしていく中で生まれたアルバムなのだ。この夜のライブを観て、そのことが肌で感じられたことが何よりも嬉しかった。

そうそう、リクオが話してた言葉ですごく印象に残ったことがある。“自然の中で暮らしていると、五感のバランスがよくなる”って彼は言ったんだよね。オレ、これすごくイイ言葉だと思った。
鎌倉や湘南や江ノ島など、海や自然の近くに住んだ人が、いきなりランニングやサーフィン、サイクリングなんかに目覚めたりする話をよく聴くけど、それってよくわかる気がするなあ…。オレも、ライブ前に夕暮れの海岸線を走る人たちを見て、なんだか羨ましかったもん。

藤沢。鵠沼。片瀬海岸。江ノ島。いい町だなあ…。
もし、自分が今独りの身だったら、ここに住むことを真剣に考えたかもしれない。陽が高いうちは海を見ながら走って、潮の香りをかいで。夜になったら好きな音楽を聴いて、お酒を呑んで…。そんなおだやかな暮らしが送れたらどんなにいいだろう…。
大好きな潮の香りを感じに、またこの海沿いの町に来たい。この町でまたリクオのライブを観たい…。そう強く思わせてくれる夜だった。

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2010年2月15日 (月)

懐かしい武蔵野・三多摩の匂い - 【映画】「グーグーだって猫である」を観て -

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2年前にロードーショー公開された映画をWOWWOWにて鑑賞。
んー、一口で言ってしまうと、いかにも文科系女子が喜びそうな映画だ、こりゃ。あまりにもまったりした展開に、オレなんか途中眠たくなってしまったぜ(苦笑)。でも、映画の本筋とはちょっと違う話ではあるんだけど、僕はこの映画の舞台になった町をリアルによく知ってるんで、その町の空気がとても上手に収録されているのには、ちょっと感心してしまった。
この映画は、漫画家の大島弓子さんと彼女の愛猫、それに周辺の人たちとの様々な人間模様を描いた作品。その大島さんが長年住んでいた町が東京の吉祥寺だ。この映画のロケも、実際に吉祥寺のさまざまな場所を使って数多く行われている。

実は、僕は18で東京に出てきてから、結婚するまでの長い間、吉祥寺に近い小金井に住んでいた。地方に住んでる人には位置関係がよくわからないかもしれないが、吉祥寺も小金井も東京の中心からちょっと離れた、中央線に沿って広がる“武蔵野”と呼ばれるエリアに属している。昔からこの辺に住んでる人だと、三多摩地区なんていう言い方をしたりもするなあ。
中央線沿線は昔から音楽や演劇を志す者、小説家・漫画家などが多く住むと言われ、特に吉祥寺はライブハウスや芝居小屋、ギャラリーやアートっぽい洒落た店が数多くあり、若者に人気がある町なのだ。

十代後半、僕は小金井市から隣の武蔵野市にある大学に通う生活を続けていた。吉祥寺は武蔵野市にある街だったから、本当に良く遊びに行っていた。当時は呑みに行くのもデートするのも、CDを買うのも服を買うのもすべて吉祥寺。都心なんかめったに出なかったもんね。友人や行き付けの店の店員さんなど、知り合いが何人もいて、住んではいなかったけど、僕自身も町の持つ独特の雰囲気に溶け込んでいたように思う。

吉祥寺ではいろんな人を見かけた。たとえば、この映画にも出ている漫画家の梅津かずおさんなんか、もう何度会ったかわからないぐらい。行き付けのバーのカウンターで一人でお酒を呑んでいたら、隣に大柄な女性が座ったので、そっと顔を見たら当時人気が出始めたばかりの松下由樹だったなんてこともあった。今はもう無くなってしまった三鷹楽器の前の道で、忌野清志郎にばったり!なんてこともあったなあ…。
さらっと書いてるけど、ほんとにさらっとそんなことが起こる町だったんだよ、あの頃の吉祥寺は。

映画には、青春の思い出が残っている懐かしい場所もたくさん出てきた。たとえば、小泉今日子演じる漫画家が作品を書き上げ、打ち上げをするお店として提案した「ドスガトス」ってのは、吉祥寺に昔からあるスペイン料理の老舗だ。アシスタント役の森三中と上野樹里が呑んだくれてるのは、フォークシンガーの高田渡が常連だった、焼き鳥が旨い居酒屋の「いせや」。
その他にも、井の頭公園やら、日本最高齢の象として有名な自然文化園のはな子やら、今でも時々行っちゃう駅前のハモニカ横丁やら、若い頃の青い思い出が染み込んでいる所ばかり。

住んでる町の匂いがアーティストの作品に影響を与えるってことは、大いにあると僕は思う。映画の原作者、大島弓子さんの漫画は読んだことがないけれど、東京23区の喧騒からちょっと離れた吉祥寺のタッチが、彼女の作品に影響を与えているであろうことは、映画からも容易に想像が付いた。

ところで、この映画を観て、久々に思い出したのが、ストリート・スライダーズのアルバム「スクリュー・ドライバー」だ。
僕は、これほどまでに吉祥寺から福生あたりの三多摩地区の匂いを色濃く感じるアルバムを他に知らない。実際に三多摩の町を歩いたことのない人には、なかなかわかってもらえない感覚なのかもしれないけれど、もし、彼らが武蔵野の空気を吸う日々を送っていなかったら、このアルバムに収められた曲たちは、世に出ていなかったのではないかとすら思う。

んー、なんだか映画からかなり離れた話になってしまいました(苦笑)。
でも、これを観たおかげで、忘れかけていた吉祥寺でのワイルドライフが蘇ってきたのは嬉しい。昔は、仲間と「いせや」で呑んでたら、突然蘭丸やPJが入ってきた、なんてこともあったんだよなあ…。当時は全然そんなことを思わなかったけど、小金井・吉祥寺時代は、自分の人生の中でも、かなりロックな季節だったんだなあ、と今思う。

下のスライダーズの懐かしいPV、これ、最初の方は吉祥寺の井の頭公園で撮られたものだ。
僕は仲間たちと公園で酒盛りをした時、酔っ払って終電を逃し、HARRYの後ろに見える野外音楽堂のステージの上で夜を明かしたことがある。
あの時、冷たいステージの上に寝転びながら、“東京でもこんなに星が綺麗に見えるのか!”って感動したのを今でも憶えてるなあ…。

もう20年も昔の話だ。

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2010年2月12日 (金)

「笑っているよ」 -そして日々は続く-

http://www.youtube.com/watch?v=o_RuIXa_EJw

スゲエいい曲じゃん、これ!
ここ数年は忌野清志郎と一緒の曲作りも多かった伸ちゃんだけに、フシ回しはまるで清志郎の作ったメロディーかと錯覚してしまうほど。

それ以上にぐっときてしまったのは、歌詞。
この歌、カタチとしては三宅伸治が石塚英彦に贈った曲になってるけど、僕には最近の伸ちゃんの偽らざる心境が織り込まれているように思えてならない。

オレ、あんなことがあって以来、実は伸ちゃんのことがCHABO以上に心配だったんだ。
あの、お葬式で「雨上がりの夜空に」が流れた時、CHABOが人目も憚らず一心不乱に飛び跳ねたっていう報道があったじゃないですか。これはある人が言ってたことで、僕もそうだよな~って思ったんだけど、あれは胸が痛んだのと同時に、なんだか安心もしたんだよなあ…。それは、ああいう気持ちの発散ができるCHABOは、きっと大丈夫。そう思ったからだ。
人の目なんか気にせず、感情の赴くままに自分を開放できる人は、実は強いと思う。どんなにヘビーなことがあっても鬱々と沈みこむことはないのではないか。時間はかかるかもしれないけど、CHABOはいつしか悲しみを自分の中で昇華させることができるだろう。僕はそう確信したのだ。

でも、伸ちゃんはそういう発散の仕方はできない人なんじゃないだろうか?何があっても、人前ではニコニコと笑顔を絶やさない伸ちゃん。それだけに余計彼の辛さが伝わってきて胸が痛かった。あの笑顔の影に、いったい伸ちゃんはどれだけの悲しみを抱え込んでしまっているんだろう、なんてことを思ったんだ。
これまでも時々伸ちゃんのライブに行っていた僕だけど、特別熱心なファンとは言えない自分が、果たしてこの時期に伸ちゃんのライブに足を運んでいいんだろうか…。そんな躊躇いを覚えるぐらい、僕は伸ちゃんが心配だった。

でも、「笑っているよ」を聞いて、伸ちゃんは伸ちゃんなりのやり方で(って言うか、今までの伸ちゃんと変わりないやり方で)、必死に大きな悲しみを乗り越えようとしてるんだなあ、って思ったんだ。その真摯さ、誠実さ、強さに、僕は静かな感動を覚えた。

大事な事は言えぬまま
虹の空を見上げている
あなたのうたを口ずさむ
あなたの声が聞きたいよ

でもとりあえず笑っているよ
僕は今日も笑っているよ
夜空に大きなお月様
ずっと笑って笑っているよ


そして…。
3月5日発売の忌野清志郎の新譜「Baby #1」では、なんとCHABOのギターに乗せてタッペイくんがコーラスを付けているらしい。僕は基本的に作者不在の作品に手を入れることには否定的だけど、これは素直に嬉しい。これも、如何にもCHABOらしいやり方だなって思った。

清志郎がいようといまいと、この日々は延々と続いていく。
みんな、あの人のいない世界を必死に生きているんだな…。みんなそれぞれのやり方で悲しみから必死に立ち上がろうとしてるんだな…。そう思った。
僕もお月様を見上げながら、とりあえず笑って日々を過ごしていこう。そう思った。

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2010年2月10日 (水)

マイクは死んでも離さない―「全日本プロレス」実況、黄金期の18年 / 倉持 隆夫(著)

Htbookcoverimage_2 この本は、僕が最もプロレスに熱中していた時代、プロレスがまだ楽しいエンターティメントだった70年代末から80年代に日本テレビの全日本プロレス中継でアナウンサーをしていた、倉持隆夫さんが書いた初の書き下ろしだ。

プロレスのアナウンサーというと、世間的にはテレビ朝日のワールドプロレスリングを担当していた古舘伊知郎の方が有名だと思う。だけど、往年のプロレス好きには倉持さんのファンもきっと多いのではないか。古館さんの造語連発の派手なアナウンスぶりに対し、倉持さんは一見地味だが、奇をてらわないオードドックな語り口で、実況としてとても聴き易かった。
倉持さんのスタイルは、プロレスの王道路線から決してはみ出さなかったジャイアント馬場のプロレス哲学とも通じるものがあったように感じる。エキサイティングな新日本も好きだったけど、大物外国人レスラーが続々来日して“夢の対決”を実現させていく全日本プロレスも大好きだった僕としては、全日本プロレスの雰囲気=倉持隆夫の名アナウンスと思っているところもあるので、この本は絶対に読んでおかなければならないと思ったのである。

ただ、僕は内心怖くもあったんだ。だって、昭和プロレスに関する本は、21世紀に入った今でもたくさん出版されているけれど、その中には当時の夢を打ち砕いてしまうものも多いからね…。
だいたい、倉持さんはアナウンサー勇退後に奥様とスペインに移住し、今までプロレスのことは一切語っていない。それは、この時代の思い出が必ずしもいいことばかりではないことを物語っているのではないか…。

そんな心配は全くの杞憂だった。この本は、僕が少年時代に胸焦がした、懐かしい全日本プロレスの空気がそのまま真空パックされていた。
倉持さんがこれまでプロレスを語らなかった理由も書かれていた。なんと、彼は好きでプロレス・アナウンサーになったわけではないというのだ。スポーツの現場を希望して日本テレビに入社し、たまたま担当になったのがプロレスだった。倉持さんはプロレスを好きになろうと18年間努力したけど、“実際に好きになれたかどうかはわからない”なんてことまで言っている。
あのね、倉持さん。それは違いますって!だって、そんなことを言いつつ“実はアントニオ猪木の大ファンだった”なんて、衝撃の告白をしてるあたり、あなたはもう十分すぎるぐらいプロレス・ファンです(笑)。
倉持さんって人は、つくづく真面目な人なんだと思うなあ。真面目だからこそ、社命で担当することになったプロレスを「プロレス実況」という仕事として捉えることしかできず、好きとか嫌いとかの次元では語れなくなってしまったのではないだろうか。

まあ、あれです。気にする人は必要以上に気にする“筋書き”に関することも多少は出てきます。でも、それは読んでて決して嫌じゃなかったよ。むしろ、“筋書き”は、鍛え抜いたアスリートだからこそ可能であることがよくわかって、爽快に思えたぐらいだ。
倉持さんが最後に担当したプロレス放送から、もう二十年以上の時が経つ。だけど、倉持さんはかつて土曜の夜8時にテレビの前で熱狂していた、僕のようなかつてのプロレス少年を最後まで裏切らなかったのだ。幸せな、本当に幸せな気持ちで本を読んだ。最後まで読み終わった時には、胸がいっぱいになって涙が出ちゃった(泣笑)。オレは、いい時代にいいプロレスを観てたんだなあって思う。ほんとにほんとにそう思う。

今の40代から50代の男たちは、誰もが少年時代にプロレスに夢中になった経験を持っていると思うが、僕のプロレス熱が最も高かったのは、中学から高校生にかけての6年間だ。金曜日夜8時の「ワールドプロレスリング」(アントニオ猪木=新日本プロレス=テレビ朝日)と、土曜日夜8時の「全日本プロレス中継」(ジャイアント馬場=全日本プロレス=日本テレビ)を毎週欠かさず観て、別冊ゴングなんかのプロレス雑誌も毎号買い、同級生のプロレスファンと毎日情報交換する毎日だった。
あの頃はずっとそんな日々が続くと思ってたんだよなあ…。晩酌をしながらプロ野球を見ているオヤジみたいに、自分も白髪の紳士になっても、いつまでもプロレスを観続けるんだろうと思っていたんですよ…。

気が付いたら、僕はいつの間にかプロレスを観ない大人になっていた。
東京に出てきて、後楽園ホールや国技館など、プロレスの殿堂といわれる会場にも足が運びやすくなったのに、結局生観戦は一度も経験がない。テレビも大きな試合がある時しか観なくなり、やがてはそれすら観なくなってしまった。
今や、プロレスは世間的にも人気が急落してしまった。テレビ放送は深夜枠やCS放送に追いやられ、どこの団体も経営に苦しんでいる。もはや、プロレスはマニア向けのカルトなものになり下がってしまったのだ。
でも、かつてのプロレスは決してマイナーなものじゃなかった。ゴールデンタイムに堂々とお茶の間に流れ、タイトルマッチや年末のビッグイベントでは、テレビの前で男も女も大人も子供も熱狂する、プロ野球やロックのライブと同じぐらいに楽しいエンターティメントだったのである。

もう、プロレスがゴールデンタイムで流れるような時代は二度と来ないだろう。昭和の時代にブラウン管の中で活躍していた人たちも、その多くは鬼門に入ってしまった。今、プロレスを語る時、そこにはどうしても悲しみや悲壮感が漂ってしまう。
それでも、オレはあの頃のプロレスを忘れることができない。この本みたいに、あの頃の名残が感じられるモノが世に出れば、またそっと買ってしまうだろう。
この国には、そんなオヤジたちがいっぱいいるんじゃないかなあ…。昔、村松友視さんが「男はみんなプロレスラー」なんて本を書いていたけど、その言葉の深さに40過ぎてやっと気が付いたオレなのである。

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2010年2月 7日 (日)

「つづらおりの宴~夜見のしまのカーニバル」ソウル・フラワー・モノノケ・サミット&シーサーズ / 2月7日(日)吉祥寺・スターパインズカフェ

「つづらおりの宴~夜見のしまのカーニバル」
ソウル・フラワー・モノノケ・サミット&シーサーズ
18:00/19:00 ¥4000+1drink

吉祥寺でソウル・フラワー・モノノケ・サミットのライブを観た。
実は、自分はこのユニットのライブに行くのは初めて。昨年秋にリリースされたソウル・フラワー・ユニオンのライブ盤をきっかけに、今更ながらのソウルフラワー熱にとりつかれてしまったオレ。中川敬は本体のソウル・フラワー・ユニオン以外にも、ソウル・フラワー・アコースティック・バルチザンと、このソウル・フラワー・モノノケ・サミットという2つの活動形態を持っているのだが、モノノケだけはライブ未体験だった。なので、この機会にぜひ観ておきたいと思ったのである。

そんなわけだから、このユニットに関する事前情報はほとんどなし。はっきり言って、アルバムも聴いたことがない。知っていることといえば、これはソウル・フラワー・ユニオンのメンバー達が、阪神・淡路大震災の直後に被災地で行なった演奏活動から始まったユニットだということ、子供からお年寄りまで幅広い聴き手に音楽を楽しんでもらうために、レパートリーは戦前の流行歌や、韓国・アイヌの民謡などだということぐらいかな…。

この日はゲストにシーサーズを迎えてのライブだった。シーサーズは沖縄の島唄を歌うユニットだ。10年以上前にソウル・フラワー・ユニオンの全国ツアーに参加したことがあるらしいんだけど、昨年オリジナルメンバーの一人が他界してしまったのを期に、再びソウル・フラワーと共演する話がまとまったそうだ。
ライブは、シーサーズが一時間ぐらい前座で演奏してから、モノノケ・サミットが出てくる形だったのだが、途中からはモノノケのステージにシーサーズも加わったので、全体的にとても沖縄色の強いライブとなった。

結論から言ってしまうと、すごく楽しかった!曲をまったく知らないから、ちょっと溶け込むまで時間がかかるかなあと思ったら、全然そんなことはなかった。まるでお祭りのお囃子に浮かれて道を跳ねる子供のように、あっという間に五感が開放されてしまった。なんだか、普段自分が聞いてる音楽とは、身体の別の部分で音を受け止めたような気分。
目覚めてしまったような感じがしたなあ…。何に目覚めたかって?自分がアジア人であることに、だ…。

ロックやR&Bは欧米からの輸入文化であることは明白な事実だ。オレが普段聞いてる8ビートや16ビートは、生まれた時から身についていたモノではなく、実は後から学習して学んだリズムなんだと思う。ロックコンサートで手拍子する時とかって、モミ手にならないように無意識のうちに気をつけてたりするでしょ?それは、心の奥でそういうのはダサいとなんとなく思っているからなんだよね。欧米に対するコンプレックスなのかどうかはわからないけど、ほんとは拍子のリズムなんて人それぞれ違ってたって全然かまわないはずだと思うんだ。
オレは、この日のステージのモノノケを見ていて、モミ手とか、民謡のリズムっていうのは、本来すごく気持ちいいものだと気が付いた。
っていうか、この日のオレの手拍子は、確実にモミ手になっていたはず(笑)。身体の反応もタテじゃなくてヨコとナナメにゆらゆらとゆれ…。そういう風に勝手に身体が動いちゃうんだもん。土着のリズムに血が呼び覚まされたみたいな感じだった。

民謡、カッコいいじゃん!戦前の流行り歌、イイなあ…。純粋にそう思った。知ってる曲はほとんどなかったけど、勝手に耳と身体が反応してしまう。「カチューシャの唄」にも「東京キッド」(これ、美空ひばりの唄だよね?)にも、自然に頬が緩んでニコニコしてしまった。

それと、この日のオレは、メインボーカルの中川敬以上に、太鼓を叩く伊丹英子、ヒデ坊に目を奪われてしまった。いやあ、この人はほんとに変わらない。沖縄に引っ込んでも、母親になっても、背筋の伸びたしゃんとしたところは昔のまんまだ。やってることも、昔からホントにブレがなく一貫してる。カッコいいよなあ~。
ロックな生き方をしようとしてそうなってるんじゃなくて、自然体なんだけど、結果としてどうしようもないぐらいロックになってる。ヒデ坊ってのはそんな女性だと思うんです。なんて素敵な女性なんだろうと改めて思った。
MCでの中川敬との掛け合いも最高(笑)。ソウル・フラワー・ユニオンの時は奥野さんとの掛け合いになるけど、そこにヒデ坊の鋭い突込みが入ると、いっそう喋りが楽しくなる。ヒデ坊の“えへへへ”っていう笑い声、オレ大好き!で、どっちにしても奥野さんはオチに使われるという…(笑)。

いやあ、初めて体験したソウル・フラワー・モノノケ・サミットは、予想以上にインパクトが大きかった。
留学で長く海外に出てた学生が日本に帰国すると、日本独特の文化が際立って見えてしまい、逆カルチャーショックを受けるっていうけど、そんなシチュエーションと近いかもなあ…。

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2010年2月 5日 (金)

幸福な朝食 退屈な夕食

今年から、これまで通っていたスポーツ・ジムを変えた。
ここ数年、うちの近くにたて続けにジムができていたんだけど、そのうちの一つが勤務先のグループ企業であることが判明したからである。会員になれば、今のジムより安い会費で都内にある施設すべてが利用でき、毎回レンタルタオルがタダで借りられるってんだから、実にオイシイ(笑)。

でも、それ以上に興味があったのが、このジムにパーソナル・トレーニングというプログラムがあったから。もちろん、これまでのジムにもちゃんとトレーナーがいたんだけど、ここでは、個人の目的にあわせて、更に踏み込んだ効果的なトレーニング方法をアドバイスしてくれるというのだ。
実は、オレ、ランニングに関しては、密かに目標にしていることがある。それは、今年中にハーフマラソンの大会に出る!ってこと。そのためには、ただ走るだけじゃなく、ちゃんと脚力が付くようなトレーニングをしたい…。そう思っていたところだったのだ。これまでお世話になっていたトレーナーさんには悪いけど、この気持ちにはどうしても勝てず、数年間お世話になったジムを変えることを決意した。

で、早速パーソナル・トレーニングを受けてみたんですよ。
僕に付いてくれたコーチはうら若き女子。だが、短パンから出たおみ足は筋骨隆々。なんと、彼女は長年ロードレースをやっており、脚部の強化には自信があるというガテン系女子であった。うーん、これはオレの目標に最適のコーチではないか!

彼女、まずはオレの腰から腿にかけてをいろいろ動かし、脚周りの肉の付き方をいろいろとチェック。その結果、オレの下半身は非常にバランスの悪い筋肉の付き方をしていることがわかってしまった(泣)。
走る時によく使う筋肉は、お尻の下と腿の内側だったりするんだけど、どうもオレの場合、右だか左だかのケツ下の筋肉はきっちり付いてるのに、内マタの筋肉が全然無いんだって…。そういうパターンが左右それぞれ逆になってるっつうことらしい。

なんでこんなことになってるかっていうと、普段から姿勢が悪くて身体が歪んでるからなんですね。それに加えて、全体の筋肉量も男にしては少ないほうだから、歪みを矯正できるだけの体幹の強さも足りないと…。
うーん…。うすうす気付いてはいましたが、これはちょっとハーフマラソンどころではないかもしれませんなあ…(苦笑)。

なので、こっちに移ってからは、体幹を鍛えるマシンと、ケツ下・太腿・それに内股を鍛えるやつを黙々とやってます。かなり地味なトレーニングだけど“今歩いてるこの道が、いつか思い出になればいい”と思って…(苦笑)。

うー、早くニコニコ笑いながら21キロ走れるようになりたいぜ…。

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2010年2月 4日 (木)

【映画】 ゴールデンスランバー

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はっきり言って、これは出張中に時間調整で観た映画(苦笑)。もちろん、事前情報全くなし。
ところが、最高に面白かったんだな、これが!ホン良し、キャスト良し、音楽良し(なんと、斉藤和義が担当してました)。決して大作ではないけれど、2時間半、たっぷりと楽しめた。

映画の舞台は杜の都仙台。その日の仙台は、地元出身の総理大臣の凱旋パレードが華々しく行われていた。ちょうどその時、主人公の青柳雅春は、大学時代の旧友・森田森吾と久しぶりの再会を果たしている。だが、森田は最初からなんとなく様子がおかしい。やがて彼は意を決したように、青柳が首相暗殺の容疑者にでっち上げられようとしており、自分はそのために彼を呼び出したという恐ろしい事実を告げる。間髪いれず、森田と青柳の乗った車が爆発。危機一髪、何を逃れた青柳は仙台の町を逃げ回る。国家権力を敵に回した青柳は、果たして逃げ切れるのか…。大まかに言うと、この映画は、そんなサスペンス・ストーリーなのだ。

映画を観ていて、オレはこの映画の原作にすごく興味が出てきた。
映画の元となった小説を書いたのは、伊坂幸太郎という若手の作家だ。このところ、この人の書いた本がベストセラーになったり、ドラマ化・映画化されて大きな人気を博していることは知っていたが、オレはまだ一度もこの人の書いた本を読んだことがない。だが、映画を見れば、この人の書く小説が、かな~り面白いものであろうことは容易に想像が付く。
何よりも、登場人物のキャラクター設定が素晴らしい。小説を読まずとも、主人公・青柳を演じた堺雅人がハマリ役であることはすぐにわかった。堺の、ちょっとお人よし過ぎるぐらいに見える笑顔は、青柳のイメージにぴったり。警官に追われながらも、倒した自転車を思わず直してしまったりするシーンには、思わず頬が緩んでしまった。
脇を固める役者さんたちもナイスなキャスティング。大学時代のサークル仲間だった吉岡秀隆や劇団ひとり、それに竹内結子。みんなイイ味だしてたなあ…。

この映画、暴力的なシーンもけっこう出てくるんだけど、なぜかそれほど残酷さを感じない。それどころか、この話の根底には、何か温かいものが流れていることを感じてしまう。それは、主人公の昔の彼女や大学のサークル仲間など、青柳が過去に関わってきた人たちが、彼を救うために時を越えて大きな役割を果たすからなんじゃないかと思う。
人間が生活する上で何よりも大事にしなきゃいけないのは、人との繋がりや信頼関係なんじゃないだろうかか…。この映画の裏テーマで、伊坂幸太郎はそんなことも言いたかったんじゃないかと思う。この売れテーマこそが、この作品を話を単なるサスペンスで終わらせていない所以だ。
そして、これは映画のタイトルにもなっている、「ゴールデンスランバー」にも繋がっているところに、ロック好きのオレとしては、うーんと唸ってしまったわけですよ。

「ゴールデンスランバー」ってのは、音楽好きなら誰もが知ってる、ビートルズ最後のスタジオアルバム「アビーロード」に収められた、ポール・マッカートニー作の小品。
映画の中で、卒業を控えた青柳たちが「アビーロード」を聴きながら、気持ちがバラバラになってしまったビートルズのメンバーたちを必死で繋ぎ止め、昔のような関係に戻ろうとしていたポールの心境に思いを巡らせるシーンがある。それは、やがて、社会に出てバラバラになってしまったかつての仲間たちが、もう一度昔の絆を思い出し、青柳を救おうとするところに繋がるわけだ。ここにオレはぐっときたんだよねえ…。

自分が影響を受けた音楽が、その人の生き方にどう影響していくかというのは人それぞれだ。
ある1曲を聴いたことで、その後の人生の方向が決まるほどの影響を受ける人がいれば、あくまでも音楽は音楽として、自分自身には全く影響を及ぼさないという人もいる。オレの場合は、何かにぶつかった時や、悩み事ができた時、それと近い状況を歌った歌やアルバムに励まされてきたという経験を何度もしているので、「アビーロード」を聴いている時の青柳たちの気持ちも、すごくよくわかるような気がしたのであった。
おそらく、原作者の伊坂幸太郎も、そんな音楽のマジックを何度も経験しているのだろう。そして、こういうフィーリングは、ロックな感性と激しく共鳴するのではないか。
うーん、もはや純粋な映画の感想じゃないような気もしますが(苦笑)、伊坂ワールドに触れるきっかけとして、オレはとてもいいタイミングでこの映画に出会ったような気がするなあ…。

そうそう、エンディングテーマには、斉藤和義の既存の曲が使われてるんだけど、これが映画のテーマとあまりにもうまくハマっててびっくり。
知ってる人には、ちょっとネタばらしになっちゃうから、何が使われてたかは、あえて言わないでおきますけど(笑)。

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2010年2月 3日 (水)

【映画】 「アバター」を観たけれど…。

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子供たちにせがまれて観に行ったんだけど…。
うーーーーん。オレ的には微妙な映画でした。

噂の3D映像は確かにスゴイと思いました。でも、そう思ったのは最初だけ。30分ぐらい観てると、だんだん慣れてきちゃうんですよね、人間って(苦笑)。
そうなってくると、どれだけ映画の世界に没入できるかってのは、やっぱし映画そのものの作りこみです。そういう原点に立ち返ってみると、「アバター」はストーリー、プロット、キャスト、どれもそれほどのものだとは思えませんでした。ストーリーは子供にとってはちょっと難しいし、大人にとっては、いかにもアメリカ人の脚本家っぽい絵に描いたような正義感が鼻に付くし…。
後半は飽きちゃったよ、オレ。これで3時間は長いと思います。最後のほうは、映画の中身より、3Dメガネの曇りの方が気になっちゃって…(苦笑)。

改めて思ったんだけど、映画ってのは、やっぱり観る者の想像力を喚起してナンボの芸術品なんですね。
リアルなことが必ずしも感動を呼ぶとは限らないわけ。作り手の情熱が本物で本当に伝えたいものがあるのなら、ハリボテが見え見えの低予算映画だって、深い感動を呼ぶことがあるわけです。
その感動を呼び起こす源泉ってのは、やっぱりいいホンなんじゃないかと思います。加えて、構成や役者さんの情熱…。そういうものが化学反応を起こすのが映画の世界なんじゃないかと。
映像技術だけで得られるエクスタシーってのは、あんまり大したもんじゃないんだなあ、なんてことを思いました。

「アバター」、な~んか映画を観たというよりも、遊園地の最新アトラクションを体験したような気分。それだって、3Dの質そのものは、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの方がスゴイかも…(苦笑)
これは、3D映画や3Dテレビの普及も見据えて作られてるってなハナシだけど、もし、近い将来、映画の主流が3Dになる、なんつったらオレはちょっと嫌だなあ…。

せめて、映画ぐらい、想像力が発揮できるスキマを残しておいて欲しいと思います。

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