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2010年2月28日 (日)

「お兄さん、カメラマン?」と、渡さんは言った。

87362b66なぜ、オレはあのバンドを観ておかなかったのだろう。なぜ、あの人のライブに足を運んでおかなかったのだろう…。今になって、そんな後悔の念にかられてしまう人が何人かいる。

高田渡さんもそんな中の一人だ。
ライブは観た事がないのだけれど、実は、オレは高田さんと町でばったり会って、一緒にお酒を飲むという不思議な体験をしているのだ。場所は渡さんが毎日通いつめてることで有名だった吉祥寺の飲み屋「いせや」。あれは何年前だったか…。21世紀になる前、たぶん96年か97年の冬だったんじゃないかと思う。
当時のオレは、なぜかバードウォッチングに異常に夢中になっていて、週末ともなれば、でっかい望遠鏡やカメラ、三脚なんかを持って、珍鳥が出たという噂を耳にするたび、野に山に飛び出して行くという生活を送っていた。その日は、吉祥寺の井の頭公園に、都心の池にしてはちょっと珍しいカモが渡来したという噂を聞きつけたんだと記憶している。その頃のオレは、吉祥寺とは目と鼻の先の小金井市に住んでいたから、井の頭公園はちょっと近所に出かけるぐらいの感覚だった。朝一番の電車に飛び乗り、誰も居ない公園でお目当てのカモ君とご対面。撮影にもばっちり成功して、意気揚々と公園通りの「いせや」本店に寄り、独り昼間から祝杯をあげていた。
三脚だの、でっかいリュックだのをブラ提げ、バードウォッチングの雑誌を眺めてニヤニヤしながら、昼間からビールをかっ食らってるオレの姿は、傍から見ればかなり異様だったのかもしれない(苦笑)。近くの席で飲んでいた渡さんの方からオレに声をかけてきたのだ。

「お兄さん、カメラマン?」

オレは最初、その人が高田渡って気が付かなかったんだよね。で、自分がバードウォッチングを趣味にしていること、井の頭公園に珍しいカモを観に来たこと、それから、自分が使ってるカメラの話なんかをひとりきりしたんだ(意外なことに、渡さんはカメラにけっこう詳しかった)。渡さんは、チューハイかなんかをちびちび飲みながら、オレの話を面白そうに聞いていたっけなあ…。
で、こんなことをボソッと言ったんだよ。

「あのさあ~、鳥好きの人が焼き鳥なんか食っちゃっていいの~?」

まあ、それとこれとは別ですから…。みたいなことをオレは答えたんだと思うけど、その時、目の前にいる猫背のおじさんが高田渡であるということに突然気が付いたんだよね。なんでって言われてもうまく答えられないんだけど、その時のちょっと皮肉っぽい言い方が、ほんの少しだけ知っていた高田渡さんという人のイメージにぴたっと合わさったということだったのかもしれない。
でも、自分は今、伝説のフォークシンガー高田渡とグラスを酌み交わすというとんでもない時間を過ごしていると気が付きはしたけれど、なんとなく、そんなことは口に出さない方がいいような気がして、そのまま渡さんと吉祥寺や武蔵野界隈の世間話を続けた。ただの酔っ払い同士の会話だ。店には2,3時間ぐらいいたのかなあ。席を立ったらけっこう足がふらついていたから、オレはかなりの本数のビールを空けたと思う。
オレが席を立ったら、渡さんも腰を上げて、

「じゃ、元気でね…」

って言って、ひらひらと手をふってくれたのを今でも憶えている。

あの日から、高田渡という人は自分の中でなんとなく気になる存在になった。だけど、オレは、高田渡のアルバムを一枚も聴いた事がないし、曲も代表的な数曲しか知らなかったんだよなあ…。いつかアルバムをちゃんと聴こう、いつかライブに行こう…。そう思っていたんだけど、結局そのままにしてしまった。なんとなく、高田渡のライブは行こうと思ったらいつでも行けそうな気になっていたんだと思う。
そうしたら、2004年になってドキュメント映画『タカダワタル的』が公開され、高田渡は一躍時の人になってしまった。へー!?と思っていたら、次の年の春に北海道で高田さんが突然倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまった。
オレ、はっきり言って、この急な展開についていけなかったんだ。だって、何年か前の冬に一緒に飲んだくれてたおっさんが急に時の人になっちゃって、ライブもばりばりやるようになり、そしたらすぐに逝っちゃって…。いくらなんでも、展開が早すぎるでしょう…。哀しかったけど、気持ちが付いていかなかった。そんなだから、自分の高田渡に対する想いは、ずっと中途半端なままになっていたのだ。

あれから10年以上の時が流れた今年2月、NHKの「こだわり人物伝」という番組で、4週にわたって高田渡の特集が組まれた。案内役を務めたのは、彼を師と仰ぐなぎら健壱だ。オレがはじめて知る渡さんの生い立ち、吉祥寺での生活、そして生活に密着した魅力的な音楽。
番組で流れた曲たちは、まるで鉛筆で書いたクロッキーのように、シンプルだけど力強かった。そして改めて思ったのだ。ああ、オレは何を差し置いても聴いておかなければいけなかった音楽がすぐ目の前にあったのに、また素通りしてしまったと…。

80年代に音楽に目覚めた世代は、長くフォークという言葉に偏見を持っていたと思う。フォークとは、ロックと対極にある辛気臭いもので、暗い歌をちまちまと歌っているようなイメージ…。
それは、当時の世相とも大いに関係がある。あの頃は、何でもかんでも「ネアカ」と「ネクラ」に分類しなければ気が済まないような風潮があったから、そんな時代にネクラとされていたものを身の回りに置いておくことにはけっこうな勇気がいったのだ。なにしろ、あの頃はバリバリのロックバンドですら、カフェ・バーみたいなところでグラスを持って流し目で立ってる姿をジャケットに平気で載せてた時代。そんな時に高田渡みたいな歌を聴くことは、自分が変わり者だってことを宣言してるようなもんだった。

白状してしまうと、オレはそんなネガティブなイメージを、90年代に入っても引きずっていたんだと思う。本物のフォークシンガーの唄う歌のすごさに気が付き、本当に力のある歌ってのは、ロックもフォークも関係ないってことを知ったのは、本当につい最近のような気がするのだ。
高田渡の歌、高田渡の生き方、高田渡の生活の中から生まれてきた歌の数々は、今現在日本中を旅しながら歌い続けているミュージシャンたち、それこそリクオやおおはた雄一くんたちの原点なんだと、今は思う。逆に言ってしまえば、高田渡という先人がいなければ、リクオのようなミュージシャンも出てこなかったかもしれないと思う。「こだわり人物伝」では、渡さんの吉祥寺での生活ぶりの一端も紹介されていたけれど、それを見ていて、オレは、現代のフォーボー・ミュージシャンであるリクオが、江ノ島という土地に腰を落ち着けて音楽を作り、そこを拠点に全国を旅するという生き方を選んだ理由がよくわかったような気がした。

今からでも遅くない。改めて、高田渡という太く深い泉を掘り下げてみようと思う。

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コメント

とっても素敵な、そして貴重なエピソードですね。
高田渡、俺も殆ど知りませんが、コレ読んだら聴きたくなりました。

ステキなエピソードですね。且つ貴重な体験されましたね。
高田渡さんは2001年かな?バウスシアターであったどんとの
追悼イベントで1回だけライブを見ました。
「生活の柄」を飄々と歌われました。
当時彼がどんな凄い人か全く無知でした。
ボクも「日本のフォーク」はバカにしてた口なので。

今高田さんの血は例えば真心ブラザーズあたりに引継がれてる。
そんな気がします。

ボクもHAGAさん同様、後で見ておけば善かったって後悔してる
バンドやミュージシャンが沢山あります。
ボ・ガンボス、フィッシュマンズ、ナンバーガール、ブランキー。
当時はその善さが分からずに見逃してた。見過ごしてた。
ライブ行くチャンス幾らでもあったのに。

そういう意味ではBRUTUSみたいなロックカタログみたいな特集
も要るのかな?と思います。若い人が過去の音楽に触れるとき
こういう特集が頼りになるかも知れないので。
こういう雑誌をきっかけに例えば元春、キヨシローを聴いてほしい。そう願います。

◆LA MOSCAさん
>とっても素敵な、そして貴重なエピソードですね。

そうですよねえ…。なんか、オレもあれはほんとにあったことだったんだろうか…って思ってしまうこともあるぐらいです。
高田渡はロックだと思います。あの人の生き方はそん所そこらのロッカー崩れよりよっぽどロックだと思います。

◆ながわさん
>高田渡さんは2001年かな?バウスシアターであったどんとの
追悼イベントで1回だけライブを見ました。

ああ、正に高田さんのホーム、吉祥寺でのイベントですね…。
後で見ておけば善かったって後悔してるバンド、僕もながわさんとかなり重なってます。特に、全盛期のボ・ガンボスやフィッシュマンズは、本当、悔やんでも悔やみきれません。
考えてみれば、自分が強く人の死を意識したのって、どんとや佐藤君の時が初めてかもしれません…。

まあ、確かにロックカタログみたいな特集も若い人には必要かもしれませんね。
でも、ブルータスがわざわざやるべきことなのかなあ~?っていう気もしちゃうんですよね。だって、そんな特集、やろうと思えば簡単にできちゃうじゃないですか。もっと、シーンを切り拓くような展開を期待したいんだけどなあ…。なまじ音楽専門誌に元気がないだけにね…。

素晴らしい出会いをされていたんですね!
確かに私も「あの時ちゃんと聴いていれば...」って悔しい思いをすることがたくさんあります。
でも最近、音楽と出会う(自分の琴線に触れる?)タイミングってある意味、宿命なんじゃないかとスピリチュアル(^^;)なことを考えたりもします。
「今出会ったことに意味がある・・・」と、呪文のように唱えています(単なる負け惜しみ・・・
(;_;)
でも、HAGAさんが体験した高田さんとの出会いは、本当に一生モノの稀有な体験ですねぇ。
いつか「いせや」でその時のお話をきいてみたいです(^-^)

◆naoさん
うん、そうですね。音楽と出会うタイミングってのはやっぱりあると僕も思います。ある程度年齢を経ないと響いてこない音楽だってありますし。
でも、死んじゃった人や解散したバンドはもう観れないですからねえ…。やっぱり後悔の念は残ります。

>いつか「いせや」でその時のお話をきいてみたいです(^-^)

お、じゃあ今度スタパでライブがある時でも、ちょっと行きましょうか?渡さんが行きつけだった公園通りの本店は、改装されて以前の面影はありませんが、美味しい焼き鳥とでっかいシュウマイは昔のままですよ(笑)。

渡さんは
何度かあそこで見かけました
なんか空気みたいな

いや、仙人のような
不思議な空気を醸し出してましたね
なんかすごい会話を読んでいて

いやあいい時間を過ごしましたね
心からうらやましいな

で、あの年齢になったら僕らは
あんな感じになるのかねえ?

◆NOAHさん
そうそう、渡さんって「いせや」の壁紙みたいになってましたよね(笑)。僕以外にも、渡さんと話したことがあるっていう人は、けっこう多いみたいですよ。

>で、あの年齢になったら僕らはあんな感じになるのかねえ?

いやあ~僕は無理な気がするなあ…。実際の渡さんって、一般的なイメージの飄々としてるおじさんってわけでもないんですよね。ふわっとしてるんだけど、ぎらっとしたものも秘めてるっていうのか…。上手く言えないけど、ああいう人にはあまり出会ったことがないです、僕は。
渡さんって、あの風貌だから枯れてるように見えるけど(苦笑)、実は享年56歳だったんですよね。精神は十分に若い人だったんです…。

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