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2010年4月30日 (金)

あれから1年

今日で4月も終わり。明日からはなんと5月になる。
あれから1年も経ってしまったのか…。

谷底に落ちてしまったような去年の5月から、僕はどうにかこうにか這い上がってきた。当分はまともに耳にする事ができないだろうと思っていたRCや忌野清志郎の楽曲も、意外に早く聴く事ができるようになった。それだけ清志郎の作った楽曲の力が強いってことなんだろう。清志郎の歌には、作者の不在さえ乗り越えて聴く者を揺り動かしてしまうような、圧倒的な存在感があることを改めて感じた。
これからも、何が起ころうと、やっぱりオレは清志郎の作った歌を死ぬまで聴き続けるんだろう…。

忌野清志郎がもうここにはいないことも、頭では理解しているつもりだ。去年の今頃のように、街中で流れてきた清志郎の歌声に、ふいに激しく心を乱されるようなこともなくなった。
だけど、空虚感、胸の下あたりの肉をごっそり削ぎ取られてしまったかのような、からっ風が身体を通り過ぎていくような、胸がすーすーする空虚感だけは、1年経ってもどうしても抜けない。

振り返ってみたら、僕がこの1年で一番多く耳にした清志郎の曲は、「JUMP」だった。この曲に関して、たくさんのライブバージョンが残されたのは、とても幸せなことだったとしみじみ思う。アルバムバージョン、ライブバージョン、この1年で、僕はいったい何百回「JUMP」を聴いたのだろう…。

今、僕らの生きる国は明らかに迷走している。
先月のギリシャの財政破綻は、僕にとってものすごく大きなショックだった。あれは近い将来の日本の姿なのではないか…。そう思わずにはいられない。
僕らは、37兆円の税収しかないのに、赤字国債を乱発して92兆円という異様な予算を組む国に生きている。こんな奇怪な予算を組んでおきながら、この国の経済はジリ貧まっしぐらだ。投資先としての日本の価値は下がる一方。トヨタがアメリカからバッシングを受けたみたいに、長期国債の価格が暴落して日本への信用不安が起きたら、世界の投資家は一斉に日本の国債を売り払うだろう。そうなったら、この国はギリシャと同じ道をたどることになる。これはSFの世界の話じゃない。今週末に起きたって全然不思議じゃないのだ。

じゃあ、ここまで犠牲を払って組んだ予算で、鳩山さんが何をするかっていうと…。子供手当てを倍にするだの、高速道路の値段がどうのだの、事業仕分けだの、そんな小さなことばかり。
誰もがわかっていることだろうが、事業仕分けごときで莫大な財政赤字が埋められるわけがない。やらないよりはやった方がいいだろうが、あんなのは小手先だ。そんなことより、この狂った財政状況をどう正常化していくかという中長期指針の方がよっぽど重要だと思う。
約束の地がちゃんと見えているのなら、人は苦境を耐え凌げる。だが、信じられないことに、今の政権には、それが“ない”のだ。中長期の指針が“ない”!信じられるか?行くべき場所が“ない”のだよ。「命を守る」政治が、子供手当てを倍にすることだけって…。冗談は止してくれよ、まったく!

ねえ、清志郎。オレたちは沈み行く船に乗っているのかなあ…。なぜ、こんな時にあんたがいないんだよ…。オレだって弱音のひとつも吐いてみたくなる。「JUMP」であんたが感じてたこの国の空気を、もう少し聞かせてほしかったぜ…。
だけど、オレはへこたれないよ。いつかまたあんたに逢える日が来た時に、土産話をするためにも、もう少しオレはこっちでじたばたしてみようと思う。まあ、爪跡のひとつも残せないかもしれないけど、後はオレのバカ息子たちの世代が何とかしてくれるだろうから。

ブルースはまだまだ続いている。一生続くんだろうなあ、このヘビーなリフは…。
時々めげそうになるけれど、清志郎さん、オレはまだまだそっちに行くわけにはいきませんや。もうちょっと、こっちで踏み止まります。“こんな時、キヨシローならどう言うのかなあ…”なんてことを思いながら。
人間、どうせいつかは土に返るのだからして。

忌野清志郎がいなくなって、1年が経った。
この先僕らにどんな未来が待っているのか、答えはただ風の中にあるだけだ。

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忌野清志郎」カテゴリの記事

コメント

もう1年なんですね。5月4日が父の命日。3年前癌で亡くなりました。
2日はキヨシロー。楽しいGWだけどこの季節せつなくなります。

ただ父が亡くなった後1年間はホント辛く喪失感が強かった。
んですが3年経つと「いないのが当たり前」になる。
もしかするとキヨシローの不在もそうなるのかも。。

日本の政治は惨憺たる物ですね。
こども手当、普天間、高速道路・・・
何が大切か?何の意味があるのか?そこを真剣に論ぜずに
手段と手続きだけが決まる。
ホント「呆れて物が言えない」です。

でもこんな無能な政治家を選んだのはボク等日本人。
何処の政党に投票したというレベルでなくて・・・
結局政治のレベルが日本人のレベルを表すと思います。
政治が「約束の地」「将来のプラン」を示さないなら
自力で何とか生き残るしかない。そう思います。
政治家の示す「未来」なんて信用できない。期待しない。
自分の未来は自分で何とかする。それしかない。

キヨシローが生きていて今の日本の政治を見たらどんな風に歌うだろうか?
タイマーズを復活して茶化すのか?
強烈にハードなメッセージを叫ぶんだろうか?
それをもう聴くことが出来ないのはホントに悲しい。


◆ながわさん
>でもこんな無能な政治家を選んだのはボク等日本人。

そうなんですよね。僕もこの前の選挙では「何かが変わるかも…」と思って民主党に投票したクチですが、状況はますます酷くなっていっていってますよね。
普天間に関しては、できっこないのに思わせぶりなことを言っている鳩山さんの責任は思いと思います。と、同時にこんな総理を擁く党に投票してしまった自分も責任を感じます。なんだか沖縄の人に申し訳ないです…。

清志郎が今ここにいても状況は何も変わらないでしょうけど、あんな人が同じ空の下にいて、この時代を一緒に生きている…って思えるだけでも勇気付けられたのにね。この喪失感は、1年経っても小さくなりません…。

小さくなりませんねぇ、全然。
でも最近、思うんですが、無くなったのは
肉体としての栗原清志で
忌野清志郎は死んでないですよね。

お久しぶりです。

前原さんもベトナムに新幹線を売り込みに行ったり、ニュース観ると落ち込む一方ですね。

キヨシローのパパの歌なんですよ。結局。

責任持って計画通りに、決められたことを決められたとおりに実行に移す。
この単純なことをやらなければ、そりゃ借金も増えるというものです。

◆LA MOSCAさん
そうか、そうだよね。肉体としての栗原清志はここにはいないかもしれないけど、「忌野清志郎」という概念は、僕らそれぞれが擁いている限りずっと無くならないもんね。
オレ、今日も「Baby #1」を爆音で鳴らしながら走りました。あの余裕しゃくしゃくの声を聴いてると、このお先真っ暗な世界でも、何とかなりそうな気がしてきちゃいますね。

◆僧ちゃんさん
オレ、むしろ前原さんみたいなことはどんどんすべきだと思ってます。もう、日本製品が世界一とか、最先端の技術だとか言って胡坐かいてられる時代じゃないんだから、大臣だろうがなんだろうが、日本の売り込みを積極的にすべき。
もっとも、新幹線みたいに国の尾鰭が付いたものじゃなく、民間が入り込める隙間を作る事が第一の仕事だとは思いますけどね…。

ま、今頃何のために沖縄に行ったのかわかんないような人よりは、いいんじゃない?(苦笑)

Y.HAGAさん

うーん、そういう意見もありますか・・・。でも日本そっちのけでベトナム行くのは、私的には受け付けないっすねー。
というか法的にもあの人はあの役職では本来そんなことをやってはいけない立場の人なんですよね。(私運輸関係の管理仕事なので・・・困ったものです)
だから当たり前の事が出来てないんじゃないかなぁと・・・。

当たり前が出来ないから、この国は迷走しているかと思いますよ。

◆僧ちゃんさん
>法的にもあの人はあの役職では本来そんなことをやってはいけない立場の人なんですよね。

そうなんだ!それは知りませんでした。じゃあ、前原さんには国内でやるべきことをやってもらわなくちゃね。
でも、僕的にはちょっとその法律、首を傾げちゃうなあ…。けっこう融通利かないものなんですね。僕は東国原さん流のセールスを大臣がやって、海外にじゃんじゃん新幹線売ればいい、なんてかる~く考えてました(苦笑)。

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