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2010年5月14日 (金)

2007年、忌野清志郎+仲井戸“CHABO”麗市

41r8xyq677l__sl500_aa300__2忌野清志郎と有賀幹夫さんとのコラボレーション、写真展『NAUGHTY BOY KING OF ROCK'N ROLL』の東京での開催が終わった。5月6日から11日までのわずか6日間という短さではあったが、開催中はきっと多くの清志郎・RCサクセションのファンが足を運んだことだろう。
自分は初日に写真展に行ったのだが、帰宅後に会場で購入した写真集を見ていて、あることに気が付いた。2007年に撮影された清志郎とCHABOの2ショットが、写真展と写真集とでは配置が違っているのだ。

有賀さんのコメントによれば、この写真は清志郎が「イマジン」で素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた「ジョン・レノン・スーパー・ライブ」の打ち上げでの一コマで、CHABOが有賀さんの存在に気付いて視線をくれたところを1回だけシャッターを押したものらしい。
写真展では、この2ショットがトップに展示され、2枚目からは86年のRCサクセションまで一気に遡って、以後時代を追って展示が進む流れになっていた。だが、写真集では86年から始まって時系列で写真が流れ、この2ショットが出てくるのは一番最後という構成なのだ(正確には、最後の最後の写真は清志郎が愛用したテレキャスターの写真だが)。

いったい、この違いは何を意味しているのだろう?時系列で考えれば、写真集で時代順に並べてあったのを、写真展では何らかの意図で、もしくは有賀さんに何か考えがあって“あえて”変更したということになるのだが…。
じゃあ、その意図とは、有賀さんの考えとは何なのだろう?写真展の時に気が付いていれば、直接有賀さんにお聞きできたのだが、気が付いたのは帰宅後。でも、時が経つにつれて、これはなんだかとてもとても大切なことのように思えてきた。

なので、思い切って有賀さんに直接メールしてみたんですよ。
ありがたいことに、有賀さんからの返事はすぐに来た。今、僕は胸の支えがとれたような気持ちなんだけど、もしかしたら他にも同じようなことを思っている人がいるかもしれないし、有賀さんの話はファンにとって大事なことが示唆されてるようにも思ったので、ちょっとその内容を紹介してみたいと思う。

まず、有賀さんもこの2007年の2ショットはとても重要だとおっしゃっていた。なぜなら、この1枚が有るかないかで、写真集と展覧会が、懐かしいね、で終わるかそうでないかの大きな差がでるからである。
そして、写真展では、エンド・エピソードからストーリーが始まる映画のようなイメージを、写真集では小説のような流れを意識してこういう構成にしたということであった。また、写真集ではNo.121の『covers』レコーディング時における清志郎とCHABOの2ショットと近いページにあえて2007年の2ショットを置くことで、ある意味悲しい時の流れも表現したかったとのことであった。

僕は、特にこの最後の言葉が深く心に残ったんだ。もちろん、ただウェットなだけの本にしたかったわけではない、とも有賀さんはおっしゃっていたのだが、忌野清志郎という日本ロック界における巨星が去ってしまった事実と悲しみを、有賀さんは真正面から受け止めてこのプロジェクトに携わっていたんだな、ということが痛いほど伝わってきた。

写真集を手に入れてから、僕は何度も何度もこの2ショットを見ている。そして、見るたびにいろんな感情が生まれるのを感じるのだ。
カメラを意識して止まっているCHABOに対し、まるで立ち止まらず何処かに行ってしまいそうな清志郎…。この写真の清志郎には、本当に不思議な雰囲気を感じる。その後の2人を知っているからこそ、そう見えるのかもしれないが、清志郎は、この写真を通して、僕らへの惜別の想いと後をCHABOに託しているようにも思えるのだ。

僕には、この写真は偶然生まれたものだとはどうしても思えない。80年代の輝ける時代に出会った有賀幹夫さんと清志郎、CHABO。その3人が、2007年のあの時点で出会うべくして出会った必然の邂逅だったのではないか。そして、こうして今、ファンの前に公開されることも必然だったのではないか…。

ふー。ため息ひとつ…。
一枚の写真が語りかけてくるたくさんのイメージに、その重さに、僕はただただ圧倒されている。

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忌野清志郎」カテゴリの記事

コメント

そうか、写真展ではアレが最初にあったんですね。
これは確かに印象変わりますよね、大いに。

メール、すぐ返してくれるなんて、どれだけ誠実な人なんでしょうね、有賀さん。
そしてその内容がね・・・。

絶対に便乗商売じゃない、深い愛情と敬意を感じます。

◆LA MOSCAさん
有賀さんはね、この写真展を“戦場に向かうような気持ちで企画した”とも言ってました。清志郎のことをよく知っていた人だけに、僕ら以上にその死を悼み、その悲しみを振り切るようにこれに没頭したんだと思います。

絶対に便乗じゃないと僕も思いますよ。これは清志郎と有賀さんとの共同企画なんだと思ってます。

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