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2010年6月

2010年6月28日 (月)

【映画】 息もできない(原題:BREATHLESS)/ 監督・主演 ヤン・イクチュン

Untitled
エンドロールが流れ終わった後も、しばらく席を立つことができなかった。まるで、自分も血まみれになって路地裏に突っ伏しているような気持ち。痛かった。切なかった。悲しかった…。
この映画は韓国人の俳優、ヤン・イクチュンが監督・主演・脚本・演出をすべて手がけた入魂の作品である。低予算で作られ派手な宣伝など一切なかったマイナーな作品なのだが、口コミで評判が広がって、今多くの映画ファンが劇場に足を運んでいるという。オレは他の映画の予告編で偶然この作品の存在を知ったのだが、何か心に引っかかるものを感じ、どうしても見過ごすことができなかった。

主人公のサンフンは冷徹で粗暴な借金取り。彼の異常なまでの暴力への執着は、時として仲間たちへも牙を剥くほど激しい。ある日、サンフンは彼の粗暴さをもろともしない不思議な女子高生・ヨニと出会う。出会うはずのない世界に生きていた2人なのだが、実は2人とも暴力に対するジレンマを抱えながら生きているという共通項があった。サンフンの暴力は、かつて父親の家庭内暴力が母と妹を死に追いやったことに対するトラウマであり、一見普通の高校生に見えるヨニも、痴呆症を煩った父親と引きこもりのような状態になった弟の暴力に悩む日々を送っていたのだ。時が経つにつれ、2人は徐々に惹かれ合っていく。

映画はいきなり殺伐とした暴力シーンから始まった。男が女を激しく殴りつけている。そこにサンフンが現れ、男を殴りつけて女を助ける。…と思ったら、サンフンは助けた女を激しく殴りつける。彼の言い分はこうだ。“ただ殴られるだけになるな…”。
この映画、陰惨な暴力シーンが多いから、女性や子供にはとても薦められないし、男でも心が弱っている奴は正視するのが辛いかもしれない。テーマも一見暴力そのものの苦しさとその連鎖を描いているように見える(事実、そのようなことを書いたレビューも多い)。
だが、自分はヤンが本当に描きたかったテーマは、どんな問題を抱えていようと一生断ち切ることのできない「家族」への愛憎と、そこからの救済なのではないかと思う。殴り続ける男・サンフンは、監督ヤンの心の闇の反映でもあるのだ。
ある雑誌のインタビューで彼はこんなことを言っていた。

家族の問題を抱えてきたせいで、家族に言いたいことが言えないし、愛する人にも告白ができないんだろうなと自己分析したことがあります。実際、異性と付き合った経験も多い方ではないし、結婚について考えたこともほとんどありません。親から続くこの血が、僕の代で絶えてしまってもいいという気持ちもあります。

実際のヤンの父親が、家族を死に至らしめるほどの暴力をふるっていたのかどうかはわからない。だが、少年時代の彼の家庭に何がしかの問題があったことは事実なんだろうし、それが成人してからも行動基盤や他者との関係に暗い影を落としてしまうことに関しては、思い当たる人も多いのではないだろうか。
この映画ほど激しいものではないにせよ、自分の父親や母親、もしくは兄弟との関係に何がしかのトラウマを抱えた人は多いはず。この映画の評判が静かに広がっていったのは、そんな誰もが抱える心の闇の部分に光を当てたことが、多くの人の共感を呼んだからだとオレは思う。

自分は、お互いの境遇を知らないサンフンとヨンが、つかの間のひとときに心を通わせるシーン(そこに恋愛感情は全く絡んでいない)に、激しく胸を突かれた。
特に、サンフンが子供の時のトラウマをふり払うかのように自分の父親を殴り続け、ある日その父親が思い余って自殺を図った時、はじめて自分が父に対する愛情を心の奥に持っていたことに気付くシーンは忘れられない。サンフンは自分の気持ちをどこにも持っていけなくなり、ヨニを呼び出して彼女の膝枕で泣いてしまうのだ。その時、ヨニも自分の境遇を思って泣くのだが、彼女はそれをサンフンに知られまいと、声を殺して忍び泣く。だが、サンフンは手で顔を覆っているから、彼女が泣いていることに最後まで気付かない。本当は似た者同志で暴力の連鎖に苦しみ続けているのに、互いの境遇を何も知らずに魂で共鳴し合っているのだ。何と悲しく切ないシーンだったことか…。

それから、サンフンが腹違いの姉の子(甥っ子)を不器用に可愛がるところも切なかった。その甥っ子がまた健気で可愛いのだ。彼の父親もまた(おそらく暴力で)母と別れているのだけれど、心の中ではやっぱり父親が欲しい。そして、サンフンがどんなに粗暴な男であろうと、そこに父親の影を見てしまう。“行かないで…”と脚にしがみつく甥っ子の姿には泣けた、ほんと。

なんとなく予測はついたけど、最後はハッピーエンドとは言えない終わり方だった。
ヨニは真実を悟ってただ呆然とする。そして観客もやるせない暴力の連鎖を見てただ呆然とする。後には、なんとも重たい余韻が残った。
だけど、不思議とやるせない感じにはならなかったんだよな…。辛い事実を知ったことから何かがまた始まっていくような、これからすべては救済へと向かうような、そんなタッチも感じた。

まあ、すげえ映画だぜ、これは。東京では本当に小さなシネコンでしか上映されなかったのだが、連日いろんな人がお忍びで観に来たって言う噂。それもうなずける話だ。
韓国映画の底力を観たような気がした。これから地方でも徐々に公開されるのではないかと思う。気が向いたらぜひ見てみてほしい。

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2010年6月27日 (日)

大相撲の野球賭博

大騒ぎになってますね…。
思うんだけど、これはかなり以前から行われていたことなんじゃないだろうか。ただ、昔はこういうことはあくまでも日陰の遊びであり、何があっても表には出さない・出させないという不文律が徹底してたんだと思う。仕切る方も遊ぶ方も絶対にトラブルを起こさないという、任侠らしい寛大さと揉め事を起こさない器量の両方を持っていたと。それが、常軌を逸した負けを積み重ね、自分の責任なのに借金で首が回んなくなっちゃったバカ者とか、それに便乗して口止め料を脅し取ろうとするチンピラまがいの奴が出てきたりするようになって、おかしくなっちゃったんだろうなあ。
個人的には、もともとスポーツ界や芸能界の人たちは我々堅気の人間とは違う世界で生きてるんだから、多少の呑む・打つ・買うで豪快な部分があってもいいとは思う。だけど、出ちゃったからにはしょうがない。法律に照らせば明らかに黒。まして黒い金の一部は真っ黒な組織暴力団に流れたという。黒は白にはならないのだから、何があろうとこれはもう終わりだ。

そう言えば、うちの職場には旦那が元プロ野球選手っていう女性がいるんだけど、彼女、この事件が出てから旦那に聞いてみたんだと。

「一生懸命試合してたのに、それが賭け事に使われてたなんて悔しいと思わない?」

それを聞いた旦那、

「いやあ~全然。だって、オレたちも高校野球の勝ち負けで賭けてたからね。」

だってさ…。
この問題、相当根は深いぜ。

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2010年6月25日 (金)

【2010 FIFA WORLD CUP】2010年06月25日 日本vsデンマーク

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うすうす気がついていたが、この試合を見ていてはっきり自覚してしまった。普段どんなにクールでいようとも(いやまあ、そんなに気取ってるわけでもありませんが…(苦笑))オレの本質は負けず嫌いの汗臭いスポ根野郎(笑)。残念ながら運動神経も頭脳もあんまりデキが良く生まれてこなかったから、これまでの人生で勝利の美酒に酔った経験はほとんどないが、やらねばならない場面では、いつも自分なりに精いっぱい努力し闘ってきた。やる前から“どうせ駄目だから…”と諦めたり、負けた時の言い訳を用意するのは大嫌いだ。運動会、受験、仕事。中途半端にしてしまうと後々まで重い後悔が残る。それが嫌だから勝つために自分と闘う。
スポーツを観戦する時も基本的なスタンスは同じ。勝つために闘っているスピリットが伝わってくることが一番大事。不器用でも真剣にやってる奴のあげ足をとるようなことを言う評論家もファンも大嫌いだ。

オレが4年前のドイツ大会の日本代表を見ていて、怒りにも近い気持ちを覚えたのは、彼らから闘う集団としての匂いが一向に伝わってこなかったからだ。もちろん、ベストを尽くした選手もいたとは思う。だが、チームが一丸となって勝利を目指しているようにはとても見えなかった。
今の日本代表は違う。全員がエゴを捨て、勝利を目指してチームのために闘っていることが、テレビを通してもはっきりと伝わってくる。それが嬉しいんだ、オレは。結果としてこのチームは1次リーグを突破したけど、この闘い方を見せてくれていれば、全敗でも熱くなれたかもしれない。だが、勝った。勝って一次リーグを堂々と自力で突破した。素晴らしいじゃないか!

対デンマーク戦は、対カメルーン・対オランダよりもさらに良かったと思う。それは、彼らがデカい欧州野郎に対して中途半端に引かず、堂々と立ち向かっていたからだ。本田の目の醒めるようなフリーキックは確かに素晴らしかったけど、真に賞賛されるべきは全員で勝利を目指した姿勢とひたむきさだと思う。できることなら、選手全員にMOMをあげたいぐらい。
それにしても、こういう戦術をなんと言えばいいんだろうなあ…。よく言われる本田の1トップ、これ、欧州サッカーをよく観ている人なら気が付いてると思うけど、実は1トップになっていないよね?むしろ、スパロッティが監督をやっていたASローマの“ゼロトップ”の考え方に近い。攻撃的か保守的かといわれれば明らかに保守寄りなんだけど、全員でガチガチに固めているわけでもなく、行くときは行く。空いてるスペースにはどんどん出て行く。要するに、オシムさんの言ってた“走るサッカー”に岡田さんが実戦的なスパイスを効かせた戦術が見事に効いているように、オレには見える。

この素晴らしい結果を生んだのは、本田圭佑の覚醒や堅守速攻のフォーメーションがうまくハマったこともあるだろう。だが、いみじくもデンマーク戦後に岡田監督が語っていたように、最大の要因は選手もスタッフも一丸となって勝利を目指す闘う集団になっていることなのではないだろうか。
確かに、これは美しいサッカーではない。“アンチ・フットボール”と言われれば全くそのとおり。だけど、それでもオレにとってこれは十分に魅力的で熱いサッカーなのだ。アンチで大いに結構。闘莉王も言ってたけど、下手クソが下手クソなりの美学を通せば、それは十分に心を打つものなのだ。

オレの涙腺が完全決壊したのは、DFの中澤佑二が嬉しさを堪えきれない表情でインタビューを受けている映像を見た時。彼は、全敗したドイツ大会で失意の底に落ち込み、一時は代表引退まで考えた選手なのだ。そんな彼が少し目を潤ませながらインタビューに応えている…。
正直言って、この戦術がどこまで通用するのかはわからない。でも、取りあえずはこれが今の日本の集大成。決勝トーナメント1回戦、もちろん勝って欲しいが、それ以上に魂をこめた全員サッカーを、一試合でも長く見ていたい。

2009年6月25日金曜日。
オレは、この日ハーフタイムに見た朝焼けの美しさを一生忘れないだろう。
目を赤くした人たちが、少し誇らしげに駅で電車の来るのを待っていたこの日の出勤風景を、オレは一生忘れないだろう。

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2010年6月19日 (土)

GO!!60 CHABO with HAYAKAWA Tour 2010 仲井戸“CHABO”麗市・早川岳晴 / 2010年06月19日(土) 南青山MANDALA

実は、自分にとって今回のCHABO還暦ツアーはこれが初めての参加。以前はツアーともなれば、地方まで追っかけたりもしたんだけど、最近は仕事も普段の生活も忙しくなり、さすがにそういうことは難しくなってきた。ま、これが歳を重ねるってことなんでしょうな(苦笑)。加えて、最近は首都圏のCHABOのライブはチケットを取るのがなかなか難しくなってきている。たぶん、昨年あんなことがあって、これまでライブに来てなかった、かつてのRCファンがライブに戻って来たんだろう。どんなきっかけであれ、CHABOの音楽が多くの人に届くのはすごくいいこと。まあ、個人的にはチケットが手に入り難くなったことは辛いけど、こればっかりはしょうがない。“欲しいものがいつも手に入るとは限らない”って、ミック・ジャガーも歌ってたじゃん(苦笑)。

オレはこの状況を逆手にとろうと考えた。この日までCHABOのライブが見られないことは早くからわかっていたから、できる限り情報を遮断して、まっさらな状態で臨もうと思ったのだ。このネット社会の中、これはなかなか難しい。強固な意志とドMな性格を併せ持ったオレみたいなタイプじゃないと無理(苦笑)。
真面目な話、オレみたいに先入観なしでライブに臨みたいと思ってる地方のファンは多いと思うんだ。だから、この記事もレポじゃなくて、できる限り自分の想いを記すことにとどめたい。でも、どうしても幾つかは曲名を書くことになっちゃうと思う。全くの白紙でライブに臨みたい人は、どうかこの記事、読み飛ばしてください。ヨロシク。

この日はステージ中央やや右寄り、ボックスシートのテーブル席最前列に座った。ここは視界を遮るものが何もないんで、MANDALAで一番好きな席だ。開演前は前述した自分流のモチベーションの高め方でかなり緊張していたんだけど、すぐ後ろに知り合いのソウルシスターが座ってくれ、彼女が行って来たばかりのニューオリンズ・ジャズフェスティバルの話なんかをしてくれたおかげで、思いがけなくリラックスすることができた。ありがとう。感謝してます。

全体を通してまず感じたのは、一曲一曲の演奏時間が長いこと。序盤は比較的定番の曲が続いたんだけど、「ギブソン」なんか間奏がすごく長くなっていて、おそらく曲全体は10分以上あったと思う。CHABOのギターと早川さんのベースの絡みは、まるでギターバトル。これはバンドでもソロでもなく、デュオだからこそ産み出せるスリルだと思う。
それから、2人が頻繁に楽器を持ち替えていたのも印象的だった。ステージ袖のラックに用意された楽器は、とてもプレイヤー2人分とは思えないほどの異常な多さ(笑)。CHABOは複数のアコギにエレアコ、早川さんにいたってはでっかいウッドベースまで持ち込んでいたんだから驚いてしまう。因みにこれは輸送にも手間がかかるし、とてもデリケートな楽器だから、早川さんもあまり過酷な移動はさせたくなかったらしいのだが、CHABOがどうしてもこの音色が欲しいと無理を承知でお願いしたらしい。そこまでして地方の客に最高のライブを見せようとするCHABOの気持ちがまず素晴らしいし、それに応えた早川さんもまた素晴らしいと思う。

楽器といえば、北海道の電気屋さんに造ってもらったというベースやエレキギターを2人が使っていたのも興味深かった。MCによれば、この電気屋さんは最初、ギターを作成してCHABOに贈ったらしい(昨年のMANDALAライブで、CHABOが“雨上がりの夜空に”で使った小型のナチュラル・ウッドのギターがそれだ)。それを見た早川さんが“ベースも作れなきゃ一人前じゃないよ…”と本人に言ってベースが出来上がったそうだ。世の中にミュージシャン多しといえど、こういうパターンはあんまりないような気がする。それだけ熱心なファンが全国にいるということなんだろうな…。

演奏された楽曲はこれまでとは異なるアレンジが施されたものも多かった。特に自分が印象に残ったのは、オープンコードでプレイされた「BGM」。リズムボックスを使用して気持ち良さそうにコードストロークする様は、まるで「真夏の熱帯夜」みたいなタッチ。カッコよかった。
ポエトリーリーディングが1曲だけだったのは少し意外だったな。これは早川さんのソロ曲に「読書する男」という新作の詞を載せたもの。
カバーが少なかったのも意外といえば意外。そのカバー曲、マーサ&バンデラスの「Dancing In The Street」は中盤のハイライトだった。途中、ウィルソン・ピケットの「ダンス天国」のコーラスをお客さんに歌わせたりして、客席は大盛り上がり。これは地方でも同じように持ち上がっているそうで、CHABOは嬉しそうだった。

もうひとつ、このツアーに関してオレはどうしても気になっていたことがあった。それは、果たしてCHABOはRCサクセションの曲を演るのかどうかということ。ファンなら知っているだろうけど、CHABOは昨年10月に「I stand alone」という、ほとんど全編RCの曲で構成された一夜限りの特別なライブを行った。おそらく、一夜のうちにあれほど多くのRCナンバーをやるライブは二度とやらないだろう。あれは重要な区切りの一夜。僭越ながら、自分もこのライブで自分なりの区切りを付けたつもりでいた。
だが、あの場に足を運ぶことができなかった地方のファンは、やっぱりひとつでもいいからCHABOにRCナンバーを歌って欲しいと願うだろう。その期待にCHABOは応えるのか…。それはもしかしたらCHABOにとっては苦しいことかもしれないと思うだけに、オレは複雑な気持ちを抱いていた。
結論から言うと、CHABOは“演った”。何を演ったかはあえて書かないが、CHABOが選んだいくつかの楽曲は、オレにはすごく納得できるものだった。また、ボーカルパートのかなりの部分をお客さんに歌わせたところに、RCに対する、そして清志郎の仕事に対するCHABOの想いをひしひしと感じた。
MCでは、今RCの歌を歌うことに対する気持ち、遠くに行ってしまった盟友に関する話も淡々と語った。それまでこのライブは湿っぽさなど微塵もなく、CHABOも早川さんもお客さんも笑顔いっぱいだったのだが、このあたりから明らかにCHABOの表情が変わったと思う。そりゃそうだろう。辛くないわけがない。忘れることなんて一生できない。でも、あえてRCを演奏し、清志郎を語るその誠実さ、生真面目さに、オレは深く感動した。演奏が終わっても、拍手がなかなか鳴り止まなかったのは、そんなCHABOの気持ちがお客さん一人ひとりに伝わったからだろう。

ジョン・レノンの「MOTHER」のように、鎮魂の鐘の音から始まるあの曲をやり、本編最後は「My R&R」で締められた。最後にこの曲を持ってきたのも、自分的にはすごく納得。ぐっときた。

余韻に浸る中、アンコールに応えたCHABOは、グッズ紹介をしたあとに土曜日のライブ限定の「Take You To The Movies Tonight」を一節歌って、なんと「月夜のハイウェイドライブ」を演った!コレはオレ、ライブで初めて聴いたと思う。大好きな曲だけに嬉しかったなあ。

次の曲からは再び早川さんがステージに。早川さんが自分のアルバムを紹介するMCは最高に可笑しかった。それをペットボトルの飲み物を呑みながら聞いてるCHABOも微笑ましい。
グレッチのでっかいセミアコを抱えたCHABOは、「平和BLUES」で客席乱入!俺のすぐ前を通るCHABOに場内は大盛り上がりになった。続けて北海道の電気屋さん特製ミニギターを手にしたCHABOの、「雨あがりの夜空に」が始まると、フロアは総立ち、大合唱。興奮冷めやらぬ観客を、CHABOは「おすわり!」と言っていったん座らせ(笑)、じっくりと「ガルシアの風」をやってから、スタッフ、MANDALAのお店の人たち一人ひとりの名前を呼びながら感謝の言葉をかける。最後の最後は「Hobo's Lullaby」。
そして、「What a Wonderful World」が流れて会場はスタンディングオベーションとなる。CHABOと早川さんがステージを去った後は、本編で演奏された「Dancing In The Street」のオリジナル、マーサ&バンデラスのバージョンと続けてビートルズの曲が流れていた。

3時間半にわたる長いライブ。でも、全然長く感じなかったんだよなあ…。オープニングからあっという間に時間が流れた感じだった。これだけ集中すると身体のコンディションもライブ対応になるんだろう、トイレにも全然行きたくならなかったんだよ、オレは(笑)。

しかし、凄かったなあ…。なんかもう圧倒されてしまった。今年に入って洋の東西を問わずいろんな人のライブを観たけど、その充実度は群を抜いていたと思う。なんと濃密で力強い3時間半だったことか…。そして、力強いだけでなく、とても温かくて前向きな気持ちになれるライブでもあった。
オレ、思う。本編で演奏されてライブ後のSEでも流れた「Dancing In The Street」に象徴されるように、今回のツアーでCHABOは、観客に元気を、ポジティブなフィーリングをまず伝えたいと思っているのではないだろうかと。人生は辛く儚い。歳をとるということは悲しみの衣を一枚一枚身に纏うことなのかもしれない。でも、とりあえずこうして音楽を通してこの場にいることを喜び合おう。そんなメッセージを自分は受け取った。
CHABOとお客さんとの関係性もちょっと変わってきたような気がするんだよね、オレ。RCの歌をやった時、かなりの部分を観客にも歌わせたのは、清志郎と作った歌たちを“みんなのもの”にしようと思っているのではないかと思ったし…。

ともあれ、60を前にした男が日本中を回ってこんな凄いライブを毎夜やり続けているという事実、それだけでも驚嘆に値する事実だと思うんだ、オレは。これはもう体力だけの話じゃない。何としてでも“やり遂げる”という強い意思、それがなければこんなことは到底無理なんじゃないだろうか。CHABOは観客に音楽だけを届けているんじゃない、生き様を見せているんだなと思った。

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2010年6月18日 (金)

2010年6月18日(金) 東京うたの日コンサート Vol.5 ~PLEASURE PLEASURE 編~ 山口洋/直枝政広 / 渋谷PLEASURE PLEASURE

このライブは、渋谷のロック喫茶BYGを中心に行われているイベント、「東京うたの日コンサート」の一環として行われたものだ。山口洋はカーネーションのギタリスト・直枝政広と共に出演することになった。
会場は渋谷にできた「PLEASURE PLEASURE」という新しいライブハウス。オレも初めて入る会場。どこかと思ったらセンター街から道玄坂に向かう途中の、一階にド派手なユニクロがあるビルの6階だった。入ってびっくり。会場はクッションの効いた座り心地のいい椅子が並ぶゴージャスな雰囲気で、なんか全然渋谷っぽくない(苦笑)。椅子にはドリンクホルダーまで用意されていて、ライブハウスというよりは小奇麗な映画館みたいだ。ステージも広く、これなら大編成のバンドでも対応可能だろう。
この日のオレは最前列のステージに向かって一番右端という微妙な席。ほとんど角度のないところから観るようになっちゃうんでは?と思われ、空いている席があるのなら移りたいってよっぽどスタッフに言おうかと思ったんだが、フタを開けたら2人とも中央に立っての弾き語りスタイルだったんで、斜めから仰ぎ見るような形になり、逆に見易かった。ただこの会場、音はあんまり良くないな。特にボーカルが変なエコーがかかっていてとても聴き難かった。もっとも、これはオレの場所が場所だったからで、他の席がどうかはわからないけど…。

開演前の会場には、ずっとルー・リードの曲が流れていた。これは出演する2人のカラーを考えればとても納得できるセレクト。
開演予定時刻を10分ほど回り、まずは直枝政広がステージに登場した。オレはこれまでカーネーションもソロライブも観た事がないので、全く先入観なしで臨むライブ。黒地に水玉のシャツを着た直枝は、赤いテレキャスターを肩にかけると、いきなり歪んだ音色で空気を震わせ、淡々とボーカルをとっていく。まずは歌詞がとてもシュールなことに惹き込まれた。夏の駅で独りたたずみ“幻想列車”を待っている…とか、日常のありふれた光景をぐらりと揺るがせる言葉がたくさん散りばめられていた。シュールなだけでなく、聴き手に映像を喚起させる映画的なタッチも感じられ、曲調もベースにブルースやざらついたロックテイストが感じられるものばかりで、とてもサイケデリックな気分になった。向こうの人で言えば、開演前にかかっていたルー・リードやテレヴィジョンのトム・ヴァーラインなんかに近いかな決してとっつき易いタイプの音楽ではなかったけど、思っていたよりずっと楽しめた。

短いセッティングの後、山口洋の登場。ステージに用意されたのはアコースティック・ギターとハーモニカホルダー。
1曲目は「トーキョー・シティ・ヒエラルキー」だった。相変わらずボーカルの音響は悪かったが、ヒロシの声は直枝政広よりもはっきりと聴き取れ、ヒロシのボーカリストとしての力量を改めて感じた。
現在ソロツアーで全国を回っている最中のヒロシ、このところはお客さんとステージが近いところでの演奏を重ねているせいか、最初はPLEASURE PLEASUREのがらんとした雰囲気にちょっと戸惑ったみたいだ。「今日はえらい静かですねえ、皆さん」「今日の会場はエグゼクティブですね…。ビジネスクラスにようこそ(笑)」とか、盛んにお客さんをイジる。いやあ~ヒロシ、戸惑ってたのは観てる方もなんだよ。こんなゴージャスな会場でR&Rってちょっと…。始まって早々に硬い椅子のライブハウスが恋しくなった(苦笑)。

まあそれはそれとして、この日は共演した直枝政広が似たタイプのギタリスト&シンガーだったことで、山口洋の個性や楽曲の良さがより際立って感じられるライブになったように思う。率直に言って、直枝政広の後に耳にしたヒロシの歌はとても聴き易いと思った。どちらも日常の風景を切り取って独自の視点で世界観が貫かれているには違いないんだけど、ロック村の住人としての感覚が顕著な直枝に対して、ヒロシの表現はもっと普遍的。20年前のオレだったら、直枝の表現の方がぐっときたかもしれないけど、今は外に向かって扉が開いたような山口洋の方に惹かれてしまうなあ。

セットリストも普段どおりというか、この日のためにがらっと何かが変わったわけではない。
だけど、もしかしたらこの日のライブは、オレがこれまで見た山口洋のライブの中でも一番余裕があるように見えた。
なんだか、今のヒロシは自分の歌と楽曲に絶対の自信を持っているように感じる。実は、この日のヒロシの機材は何故か機嫌が悪くて、ケーブルはノイズが入りまくりだった。ヒロシみたいに曲にどっぷり入りこみながらプレイするタイプには、かなりストレスだったと思う。だけど、この夜のヒロシはトラブルを逆手に取るように、ある曲でケーブルを引き抜き、なんと生音でまるまる一曲演奏したのだ。オレ、なんかすごくヒロシを逞しく思ったなあ。“音がでかいからロックなんじゃない。街でやるからロックなんだ”っていうのは、ピート・タウンジェントの名言だけど、アコギを激しくかき鳴らしてステージを彷徨する山口洋は、紛れもなくロックだったと思う。なんだかとてもいいものを見た。反抗的だったケーブル君に感謝したい気分だ(笑)。

アンコールは直枝政広と山口洋のジョイント。まずは直枝の曲。直枝のエレキにヒロシがアコギでバックアップ。この2人、一緒にステージに立つのは初めてのようだが、初対面ではなくて以前地方のバーで飲んだことがあるそうな。もっとも、そのことをヒロシは完全に忘れていたようだが…(苦笑)。直枝のMCで、出番前のヒロシはこの日3本もドリンク剤を飲んでいることが判明。“こんな人、初めて観ました”という直枝の言葉には笑うしかなかった(笑)。
それと、こうやって並んだ2人を見ていると、やっぱヒロシはカッコいいなあ(笑)。直枝の方がちょっと年齢が上だってこともあるのかもしれないけど、引き締まったヒロシのそばだと、なんだかオタッキーなロック少年が中途半端に大人になっちゃいました、みたいな感じでちょっと辛かった(酷いこと言ってますね、オレ。直枝さんのファンの方、すいません(苦笑))。

アンコール2曲目は、この日演るとは思わなかった「満月の夕」。いやあ~ナマで聴くのは久々のような気がするなあ…。
終わってみたら2時間半。2人ともたっぷり1時間づつ演奏したから、とても満足感のあるイベントだった。次に山口洋のライブに行くのは7月の江ノ島。久々にリクオと共に出演するイベントだ。楽しみだなあ~。

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2010年6月16日 (水)

【2010 FIFA WORLD CUP】2010年06月15日 日本vsカメルーン

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泣いてしまった。心から感動した。

確かに、一部の海外メディアが酷評しているように、客観的に見れば日本は美しくスペクタクルなフットボールを展開したとは言い難い。
でも、だからどうした?そんなものは決勝トーナメントの常連国に任せておけ。僕らはまだそのレベルの足元にすら到達していないのだ。今の僕らに必要なのは、どんなカタチであれ“結果”を手中にすること。選手たちはそれをわかっていたからこそ、徹底してつまらないサッカーを威風堂々90分間やってのけた。そこに僕は深く感動したんだ。

危ないシーンもあった。はっきり言うと薄氷の勝利だった。
僕が思うに、決定的なピンチは大きく言って2つあったと思う。ひとつは前半37分、カメルーンの左サイドバックにパスを刈り取られ、ドリブルで一気に上がられたシーン。2つ目は後半40分台にカメルーンが最終ラインをぐいぐい上げてきたため、日本はセカンドボールを全く拾えなくなり、あられのような波状攻撃を受けたシーンだ。
前者は中途半端なパスミスを当然のように奪われたもので、これは凡ミスと言われても仕方がない。修正の余地大いにありだ。後者はある意味相手が強引にパワープレイに持ち込んできたわけだから、しょうがないと言えばしょうがないと思う。両方とも相手シュートが外れたのは、この日のニッポンが運も味方につけていたということなんだろう。

甘々に聞こえるかもしれないけど、オレはこの2つ以外、この日のニッポンはほぼ完璧だったと思っている。パスミス?そんなもの、トライしてればいくらだってあることじゃないか!
この日のニッポンのディフェンスは本当に素晴らしかった。エトーを中へ入らせなかった長友の頑張りも、中沢&闘莉王の門番も良かったけど、オレは両サイドハーフが献身的に守備をしたことと、中盤の3人がトリプルボランチ的な連携で上手く機能したことが何よりも大きいと思う。
攻撃では右ハーフの松井大輔。以前から大好きな選手ではあったが、この日の勇敢なプレイには心から感動させられた。フランスリーグで黒人選手とのマッチアップに慣れているとは言え、黒豹のように立ちはだかるカメルーンのDF陣に、何度も何度もドリブル突破を試みる青きサムライの勇気と気迫…。本当に心打たれた。なんか、書いていてまた涙ぐんでしまうぐらいだ…。

だけど、あえて言えばこの日の試合にヒーローはいなかったのではないか。この試合に関わった全員が、魂を震わせて必死に、必死に、必死に、必死に闘っていることが見る者にもはっきりと伝わってきた。一人のストライカーが超人的な技で勝利をもぎ取ったのではなく、誰もが自分の役割を自覚し、ベンチやスタッフも含めた全員が闘って貴重な海外でのW杯初勝利をものにした意義はとてつもなく大きいと思う。

確かに、カメルーンはグダグダだった。日本にとって最も幸運だったのは、このチームでのエトーはゴールを決める役割以外に、チーム全体のオーガナイズもしなければならなかったということ。そして、ストライカーとしては超一流の彼も、そっちにおいてはそうではなかったということだ。そのため、日本にとって最高に危険であったはずの黒豹は、ほとんど右のアウトサイドに貼り付き状態になっていた。
でも、だからと言ってこの勝利の輝きはいささかも揺るがない。そもそも、選手間の関係やコンディションも含めてトータルにチームを作り上げていくのも、国際大会における大切なチーム・マネジメントだ。実際、前回大会までの日本は、実力以前にそこがダメダメだったのだから…。もし、今回のカメルーンがそれに失敗していたというのなら、そこも含めて日本はカメルーンに勝っていたのだ。

もちろん、僕らはまだ何も手にしてはいない。でも、この勝利を境に、明日から見るであろう光景はこれまでとは少しだけ違ったものになるのではないか。
実を言うと、オレ自身、最近はチームの急激な進化ばかり夢見て、目先の成果が出ないと文句ばかり言っているサッカーファンに、ほとほと嫌気がさしていた。これが日本のサッカーファンのベーシックなスタンスだというのなら、オレはもうそんなところにはいたくないとすら思った。これからは何があろうと黙して語らず、静かに熱く日本代表を追い続けていよう…。そんなことまで思っていたんだけど、この夜を境にまた考えが変わったな。

繰り返すが、これは断じて酷い試合でもつまらない試合でもなかった。1-0のスコアは本当に美しい。4年前の悪夢を払拭してくれたことが本当に嬉しい。僕たちの代表が、こんなにも魂を振るわせてくれる試合をしてくれたことが本当に嬉しい。この試合、MVPは本田でも松井でも長谷部でもない。チーム全員がMVPだ。

ゴールを決めて、ベンチの輪に飛び込む本田の写真を見るたびに、また涙が出てきてしまう…。

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2010年6月15日 (火)

【映画】 ACACIA-アカシア-

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辻仁成がアントニオ猪木を主演にした映画を作っているという事を知ったのは、3年ぐらい前、飛行機の機内誌で読んだ小さな記事からだった。はっきり言って、オレは辻が80年代にやっていたECHOESには何の思い入れもないし、作家や映画監督にシフトチェンジした後も、全く関心を持っていなかった。だけど、この記事はなんだか妙に記憶に残ったんだよね。辻は少し上の世代だけど、自分と同じように、かつてブラウン管の中のアントニオ猪木に夢中になった経験があるのだろうと直感的に思ったのだ。
以来、封切りされたら絶対映画館で見ようと思ってずっと待っていたんだけど、なかなか一般公開の報せが入ってこなかった。ひょっとしたら、昨年ミッキー・ローク主演で同じように年老いたレスラーの生き様を描いた映画が公開されたから、それとカブらないように、あえて時期をずらしたのかもしれないけどね。

映画は自分の予想に反し、とても静かな作品だった。
アントニオ猪木演じる「大魔神」は、かつて悪役レスラーとして活躍していたが、今は引退して老人たちが集まるのどかな団地で静かな日々を送っている。ある日、大魔神はふとしたきっかけで、タクロウという少年を預かることになった。複雑な家庭環境を持ち、実の父親に憎しみを抱いているタクロウだが、大魔神にはすぐに心を開いた。やがて本当の父と子のような毎日を送る2人のもとに、かつて大魔神と暮らしていた妻が訪ねてきた。実は大魔神と彼女の間にはタクロウと同じ年頃の子供がいたのだが、その子が死んでしまったことを気に夫婦の絆が崩れてしまっていたのだった。また、団地の老人のもとを訪れていたケースワーカーが、実はタクロウの実の父親だったことがわかったりして、静かに映画は動いていく。

猪木は実年齢よりもさらに年老いた男を演じていた。白髪交じりで腰が曲がり、老眼鏡をかけた姿には、リングの上で躍動していたプロレスラー・アントニオ猪木の姿は影も形もない。だが、見ているうちにそれもすんなりと受け入れられるようになっていった。猪木の佇まいがあまりにも自然だったからである。いじめられっ子のタクロウにプロレスの技を教えたり、無邪気に船乗りごっこをする姿からは、これまでの猪木からは感じられなかった、大らかな父性がじんわりと伝わってきた。
猪木ってこんなにいい顔してたっけなあ…?顔に刻まれた深いしわが、丸まった背中が、屈託のない笑顔が、見るものに無骨な優しさをじわりと伝えてくる。まるで、最近のキース・リチャーズみたい。
はっきり言って、演技はヘタクソだし台詞は棒読み。だけど、この映画の中のアントニオ猪木は、紛れもなく名優だったと言い切れる。

実は、「ACACIA」はこれだけの映画だ。猪木に始まって猪木で終わる。それ以外は何も無い。映画としては傑作とは言い難いと思う。なんと言っても脚本が弱い。家族の絆を描きたかったことはわかるけど、タクロウと父親との関係、大魔神と亡くなった子供との関係、大魔神と元妻との関係の3つまでテーマを広げすぎてどれも中途半端になってしまっているような感がある。

だが、演技とは思えない猪木の存在感は、そういった弱点を補って余りあるのではないか。
この映画には、猪木の実人生をも反映した部分が幾つかあるように思う。たとえば、猪木自身もかつて先妻との間の子供を亡くしているし、船乗りごっこの際に“この船はこれからブラジルに進路を取る”なんていう台詞があったのも、幼い猪木がブラジルに移民した生い立ちを反映したものと言えなくもない。レスラー時代の思い出の品物が詰まったトランクを開けると、プレートに“DOLLY FUNK JR. VS DAIMAJIN”なんて文字が見えるのも、粋な演出。だから、猪木のファンなら「大魔神」というキャラクターに、アントニオ猪木自身の姿をどうしたってダブらせてしまうのではないか。

猪木は、今後映画に出ることはまずないだろうと語っている。まあ、そうだろうな(苦笑)。でも、だからこそ、この映画は貴重だと思うのだ。だって、これはプロレスラー・アントニオ猪木が「大魔神」というキャラを借りて、父親としての、家庭人としての素顔を少しだけ見せてくれた映画なんだから…。オレは、この映画をそんな風に解釈した。
うん、そうだよ…。大魔神にアームロックを教えてもらっているタクロウ少年は、もしかしたら少年の頃のオレ自身だったのかもしれない。

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2010年6月14日 (月)

メイン・ストリートのならず者<デラックス・エディション> / ローリング・ストーンズ

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正直言って、オレはこのリマスターにはあんまり期待してなかったんだ…。
そもそも、このアルバムは楽曲の良さだけじゃなく、それぞれの楽器が一塊りになったような音の悪さも逆に魅力になっているとオレは思う。モノラルみたいなモコモコの音が、キースの家の地下室で行われたというこのセッションのリアルさをより強く際立たせていると感じるのだ。これが変にすっきりした音像になっちゃったら、それはもはや「ならず者」ではないような気がする。物事はなんでもかんでもクリアにすりゃいいってもんじゃないと思うぜ。音楽も人生も混沌としてるから面白いんじゃないか?(笑)。
ただ、CD1枚丸々収録されるというボーナストラックだけは気になった。なにしろ、ローリング・ストーンズがリリース済みのアルバムに曲を追加したのは、今年になってリリースされた「ゲット・ヤー・ヤー・ズ・アウト!」40周年記念盤からで、スタジオレコーディングの未発表テイクにいたっては、50年近く活動を続けているストーンズの歴史の中でもこれが初めてなのだ。

そういうわけだから、アルバムを買ったオレはまずボーナストラックの入ったDISC2から聴き始めた。そして、びっくりして腰を抜かしそうになってしまったのである。それは、飛び出してきたミック・ジャガーの声が明らかに70年代のものではなかったからだ。一瞬、オレのCDには何かの手違いで彼らの最近の発表曲が入ってしまったのかと思ったぐらい(笑)。
慌ててライナーノーツを読んでみると、ボーナストラックのかなりの曲にはオーバーダビングが施してあることが判った。中にはメンバーだけでなく、現在のストーンズのツアーメンバーであるリサ・フィッシャーらがコーラスを被せているテイクもある。
驚いた。この力の入れようは何なんだ!オレは、このアルバムの前情報を全然チェックしていなかったから、どうせボートラって言ったって、腐るほどある未発表曲の中から適当にぶち込むんだろうぐらいにしか思っていなかったんだ(苦笑)。いやあ~ここまで緻密に作りこんだものにしてくるとは…。

オレは、これまで過去音源のリリースには消極的だったストーンズが、ここまでやったことに非常な驚きを感じている。
しかも、収録された曲のどれもが極めて完成度が高い。ボーナストラックには、純粋な未発表曲と、「メインストリートのならず者」に収録された曲の別テイクの2パターンがあるが、1曲目の「PASS THE WINE」なんて、既発の「メインストリートのならず者」に収められたどの曲とも違うタッチを感じる。っていうか、これは2010年の今、新曲としてリリースしても全然違和感ないんじゃないだろうか?
2曲目の「PLUNDERED MY SOUL」はストーンズならではの分厚い音のミディアム・ソウル。リードギターは間違いなくミック・テイラーだと思うが、今回のオーバーダブ・セッションには彼が呼ばれたという噂もあるそうで、これはひょっとすると新録かもしれない。
「FOLLOWING THE RIVER」のミックのボーカルは間違いなく新録。正直言うと、オレは最近のミックのこの“ウニャッ”っていうバラードの歌い回しがあまり好きではないのだが、これに関しては亡きニッキー・ホプキンスのピアノとよくマッチしていると思った。ニッキーは「I'M NOT SIGNIFYING」でもニューオリンズ・テイストの素晴らしいピアノを聴かせているし、やっぱりこの時期のストーンズ・サウンドに欠かせない存在だったことが改めて判る。
既発の曲も、チャック・ベリー風味バリバリの「オール・ダウン・ザ・ライン」や、キースのカントリーっぽいギターが最高でオリジナルより数段ねちっこい「Shine A Light」など、聴き所満載だ。
リマスター盤と銘打ったアルバムではあるけれど、DISC2に関して言えば、これはもう新作と言ってもいいぐらいだと思う。

おそらく、このやり方には賛否両論でるだろう。オーバーダブなんかせず、70年代当時の音をそのまま真空パックして世に出すようなやり方のほうがベターだと思う人もきっと多いと思う。
だけど、個人的にはこの方法、“全然アリ”だと思うなあ…。それどころか、このやり方は今後キャリアの長いバンドのリマスターのあり方にも、新たな一石を投じたのではないか。
プライドの高いミック・ジャガーは、埃をかぶったような音源をススばらいするだけなのは絶対嫌だったに違いない。どうせやるなら、今からでも手を入れて自分たちの満足できる作品として世に出そう。それがバンドとしての現役感を打ち出すことにもなると考えたんだと思う。そういった意味ではやっぱりこれは新譜。ミュージシャンが過去の定番曲を時代ごとにアレンジを変えて演奏していくように、1971年の音を2010年式にリメイクした新譜なんだ、これは。オレはDISC2をそう捉えた。
ただ、これは相当今の自分たちに自信がなければできないと思う。ローリング・ストーンズは、この作品で“過去の遺産を食い潰しているどっかのバンドとは違う!”という強烈な自己主張も成し得たように思う。

肝心の「メインストリートのならず者」本編のリマスターも素晴らしい出来栄えだ。何よりも素晴らしいと思ったのは、新ミックスがオリジナルの混沌とした空気を損なうことのない自然な仕上がりになっていたこと。全体的に低音を強調したり、音の定位をはっきりさせて聴き易くしたりしているが、それほどド派手なマスタリングでないことにほっとしている。これならOK。素晴らしい!

しかし、遂にやったな、ストーンズ。これで、彼らは一つのタブーを破った。膨大な過去の遺産を一般公開する準備はいつでも整ったってことだ。そういった意味で、この作品はストーンズの長い歴史の中でもかなり重要な転換期だと思う。
悪徳ジャーマネ、アラン・クラインが亡くなって足枷がなくなったのかもしれないが、これは今後も何が出てくるかわからないのではないだろうか。21世紀になっても相変わらずワクワクさせてくれるローリング・ストーンズ。彼らが元気でいてくれるだけで、人生の楽しみが何倍にも増えるような気がしてしまう。

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2010年6月13日 (日)

一人10キロレース開催

いったいオレの今の実力だったら、本気で走って10キロ何分で走れるんだろう?ふと思い立って、今日の練習は実際のレースを想定して走ってみることにした。
ジョギングシュミレーターによれば、いつも走ってる公園の外周は1.347キロ。ということは、8周すれば10.776キロ。10キロよりちょっと多めだけど、これを真剣に走ってみようと思った。ラップを取るのは外周の1キロ地点。都合8回だ。

一回目のラップを見てびっくり。なんと4分44秒!。明らかにオーバーペース。オレはいつもこうなんだ…。自己嫌悪に陥ってしまう。経験がないから、どのぐらいの力加減が自分のペースかわかってないんだと思うんだけど、最初に突っ込みすぎて後半バテバテになってしまうのだ。
今日は日差しが強くて湿度もかなりある。早くも汗が顔をつたっている。休日の公園は人も多くて走り辛いし、フォームを崩さずに少しペースダウンしながら走り続ける。
2回目のラップは5分03だった。お、これならなかなかいいんじゃないか…。以下、4分55秒から5分05秒のペースを保ちながら8周を走りきって、タイムは53分14秒だった。700メートルぐらい余分に走ってることになるから、たぶん、10キロだと50分をぎりぎり切れるか切れないかぐらいになるんじゃないかなあ?

しかし苦しかった…。やっぱり、本気モードを保ちながらがっつり走るのはジョグとは全く違う。キロ5分を保つのは今のオレには10キロが限界。ハーフやフルを走るには、もっと違う作戦を考える必要があるんじゃないかと思った。
それと、苦しさに山があることもなんとなく判った。オレの場合、3キロ超えるあたりまでがすごく苦しく、5キロ過ぎぐらいから楽な時間があって、後半また苦しくなるような感じ。その苦しさの山を根性で乗り切れるだけの精神的なスタミナも必要なんだろうなあ。

ただ、思ったよりはいいタイムが出たように思う。まだまだ先かと思ってたけど、10キロのレースだったらそろそろ出てみてもいいのかもしれない。
都内の月例マラソン大会のスケジュールをちょっと調べてみよう…。

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2010年6月 9日 (水)

Running on Empty

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ランニングに夢中だ。
走るのは朝。なんと4時半にベッドを出ているんだから、どうしちゃったんだろう?オレ(苦笑)。水を一杯飲んで軽く身体をほぐし、1.5キロ先の公園まで軽くジョグ。公園に着いたら池の周りの周回コース1.3キロを走る。平日はこれを6周。で、また家まで走って帰って1時間。約10キロを走った計算だ。週末はLSDで距離を長くしてみたり、インターバル走をやってみたり…。そんな感じで、週4日は走っている。

これまで、オレはジムのトレッドミルの上でばかり走っていた。だが、陽気の良くなったゴールデンウィーク明けに試しに外で走ってみたら、あまりの気持ち良さに一発で虜になってしまったのである。
外を走るのがこんなに気持ちいいことだとは思わなかった。照りつける初夏の日差しも、時折頬を撫でる微風も、何もかもが本当に気持ちがいい。
自分と同じように汗だくで走っているランナーとすれ違ったり、散歩している老夫婦と出会ったりすると、言葉こそ交わさないが共通の目的を持った同志みたいな気持ちにもなれる。これも、自分の周囲を透明なバリアで覆っているようなジムのマシンでは、絶対に味わうことのできない感覚だ。
最初はipodから流れる音楽を聴きながら走っていたのだが、都会の公園でも朝は小鳥が鳴いていることに気がついてからは、季節の息吹を少しでも感じようと、自然と耳からヘッドフォンを外すようになった。

実は、走る前はちょっと不安だったのだ。それは、数年前にトレッドミルで走りこんでいた時期、“これで相当脚力が付いただろう…”と思って外を走ったら、全く足が動かず愕然としてしまった経験があったからである。
嬉しいことに、これは全くの杞憂だった。それどころか、今は同じ距離を走るなら外の方が全然ラク。トレッドミルは、足の下のマットが回転し、ランナーはその上を走る仕組みなのだが、これだとマットの上をぽんぽん飛ぶようなフォームになりがちで、実際に地面を蹴る筋肉はまるで鍛えられなかったりする。それを避けるため、オレはいつも傾斜をつけてマシンを走るように心掛けていた。それが結果的に走れる脚を作ってくれたんだと思う。
何と言っても、めまぐるしく変わる風景の中を駆け抜ける快感は何物にも変えがたい。同じ場所でコマねずみのように足を動かすより、風を感じられる外の自由さが、走る辛さを上回ってしまうのだ。

オレ、宣言します。これから夏の間たっぷりと走りこんで、秋にレースに出てみようと思う。
とりあえずは10キロ。そして秋が深まった頃、ハーフマラソン。そんなスケジュールを考えている。これから数ヶ月、きちんと走りこんで脚を作っていけば、ハーフで2時間切りも可能なんじゃないか…。そう思っているんだけどね。

この前の日曜日、試しに21キロを走ってみた。走れた!これまでの人生の最長距離を走ったことになるのだが、今の自分に無理がないペースで2時間ちょっとぐらいのタイムだった。心肺機能は問題ない。だが、太腿の裏側と股関節、膝の裏にかなり痛みが残った。まだまだハーフを走りきる走力はないということなのだろう。

男44。瞬発力やパワーは若いヤツらにはかなわない。だが、マラソンのように、日々を積み重ね、忍耐と努力で苦しさと抗う種目なら、こっちにも目があるんじゃないか?
Running on Empty。走りこんだその先に何があるのかはわからない。だけど、走り始めるのは今からでも遅くないと思うのだ。っていうか、何か新しいことを始めるなら、すぐにやらなければと強く感じている。
オレたちに残された時間は、もう決して多くない。でも、それは汗と努力と忍耐で少しぐらいなら引き伸ばせるんじゃないかな…。
戦闘開始。敵は自分自身。

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2010年6月 2日 (水)

JAPAN BLUES & SOUL CARNIVAL 2010 ~25周年記念スペシャル~ / 5月29日(土) 日比谷野外音楽堂

JAPAN BLUES & SOUL CARNIVAL 2010 ~25周年記念スペシャル~
日程/出演 5月30日(日) 開場14:45/開演15:30
出演:ソロモン・バーク/コーリー・ハリス/blues.the-butcher-590213/SHEENA & ROKKETS
司会:ゴトウゆうぞう/カメリヤ マキ
会場 日比谷野外音楽堂 ※雨天決行
料金 ¥8,000(税込・全席指定)

ジャパン・ブルース&ソウル・カーニバルは今年で開催25周年だそうだ。このイベントには海外の大物ブルースマンがよくやってくるので、自分も何やかやで10回近く足を運んでいる。ドクター・ジョンやゲイトマウス・ブラウンを初めて観たのもこのカーニバルだったし、オーティス・ラッシュやピーター・グリーンもそうだ。
25周年記念となる今年は、なんと伝説のソウルシンガー、ソロモン・バークが来る事になった。知ってる?、ソロモン・バーク。60年代から活躍していて、ミック・ジャガーにも大きな影響を与えた伝説のソウルマンだ。キング・ソロモンの一番有名な曲って言ったら、やっぱしローリング・ストーンズがカバーした「Everybody Needs Somebody to Love」だろう。若き日のミックやキースがブルースやR&Bに傾倒していたのは、初期のアルバムがカバー曲ばかりだったことからも良くわかるけど、この曲はセカンドアルバムの1曲目に堂々ぶち込まれていた。それから40年近く経った2002年のライブで、ストーンズは遂にソロモン・バークをゲストに迎えてこの曲を演奏する。単純なオレなんか、この一件だけでも未だにソウルを忘れていないストーンズの魂を感じて熱くなっちゃうんだけどね…。
日本に目を向けても、麗蘭の「今夜R&Bを…」で例のリスペクト・ミュージシャンをリスペクトするパートでこの人の名前がしっかり叫ばれているし、いつだったか忌野清志郎もソロモン・バークのことを熱く語っていたことがあった。
つまり、この人はロックやソウルのルーツであり、ロックファンならとても足を向けて寝られない重要人物なんです。ストーンズやRCサクセションはソロモン・バークの孫みたいなもんだと思って間違いない(笑)。今年70歳のキング、年齢から考えてもこれが最初で最後の来日となる可能性が高いと思う。これは女房を質に入れてでも観なければ!と思ってたんだよな(笑)

複数の出演者が登場するこのイベント、大トリのソロモン・バークが登場してきたのは17:50ぐらいだった。
御大がステージに現われる前、まずはバンドの面々がセッティングするんだけど、これがまたスゴかったんだ。何がスゴイって、その人数(笑)。えーと、ホーンセクションが5人にキーボードとギターが2人づつ。ベース、ドラムに、バイオリンのお姉ちゃん2人。バックアップ・ボーカルが男女3人。総勢16人の大所帯!いやあ~ジェームス・ブラウンのバンドだって、こんなにいっぱい来なかったぞっ。
そして最後にステージに現れたのは、金ピカの巨大な王座。ここにキングが鎮座ましますんだろう。こんなものをアメリカから持ち込んじゃうこと自体がスゴイよなあ…(笑)。

バンドが演奏を始める中、介添え人に付き添われて紫にラメの入った衣装に身を包んだソロモン・バークがステージに姿を現した。今年70の御大は、ものすごい巨漢で貫禄たっぷり。あまりにもでっかくなって自分で体重を支えられなくなっているのか、登場も退場も車椅子。うーん、さすがのキングも寄る年波には勝てないのか…。

と、思っていたらとんでもなかったんだな、これが!身体はともかく、その声は全く衰えていなかった!ものすごい声量で野音に集まった観客をビビらせる。ソロモン・バークって男性ソウルシンガーとしては比較的高い声質だと思うんだけど、その高音も健在。
オレ、はっきり言って、姿を見られるだけで良しだと思ってたから、初っ端からドカーンとヤラレて腰を抜かすほど驚いてしまったよ。これはもう、神の領域と言ってもいいんじゃないだろうか?正に怪人だ。

2曲目で早くも65年の大ヒットナンバー、「ゲット・ユー・オフ・マイ・マインド」が歌われる。客席は大盛り上がり。さすがにソウル通が集まっているとみえ、今日のお客さん良くわかってる。さらに、オーティスがカバーした「クライ・トゥ・ミー」が飛び出すと、野音を埋めた観客は一人残らず立ち上がってしまった。いいよ、いいよ~!そうでなくちゃ!
御大も野音の熱狂的な歓迎に気を良くしたみたいで“最高の夜だ!”と連呼しながら、自分の持ち歌だけじゃなく、「キャント・ストップ・ラヴィン・ユー」や「プラウド・メアリー」みたいな、ゴキゲンなカバーも挟んで盛り上げていく。

オレも最初からノリノリ。実はオレ、この日は朝からそわそわしていて、ちょっとおかしくなっていたと思う(笑)。午前中ランニングに行ったんだけど、気が付いたら20キロも走ってたぐらいだもん(苦笑)。アルコールも大量に注入し、この頃はもう天国に昇ったような気分よ(笑)。
この日は知り合いに会わなくてほんとに良かった(苦笑)。もともとブルース・カーニバルは観客のノリが凄いイベントなんだけど、オレも周りにあおられてかなりイってましたからね、この日は(笑)。
途中、バッキング・ボーカルにいた自分の息子と娘にも一曲づつ歌わせ(なにしろ、20人近い子供がいるらしいですから、ソロモンさん…)、場内に“何か聞きたい曲あるか?”とリクエストを求める。なんかもう、貫禄十分。まるで人間国宝のライブを観ているみたい。

こういう純度100%のソウルショーを観るとつくづく感じるんだけど、ソウルってのは徹底的にポジティブな音楽だよね。こうなっちゃうとオリジナルもカバーも関係ない。ジャンプナンバーもバラードも他人の曲も、ソウルパワーのある人が歌えばすべて前向きなものになっちゃう…。結局、音楽はホンモノか偽物かしかないんだよな。
自分がもし瀕死の床に臥していたら、もう絶対ソウルが聴きたい。スッポンの生き血みたいなもんなんだよ、ソウルって音楽は。ホンモノを聴くとそういうことが身体でわかる。ヤワな音じゃ腰にこねーんだよ、ボケ!(誰に言ってんだ…(笑))

最近の曲、「ドント・ギブアップ・オン・ミー」でちょっとじーんときて、サッチモの「What a Wonderful World」で幸せな気分になって、最後の最後に「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ・トゥ・ラヴ」が飛び出す。サビの“You,You,You…”をステージと客席がコール&レスポンスする場面は、ストーンズの武道館公演を思い出してしまったぜ。…あ、それは逆か。ストーンズがソロモンのステージングを真似したんですもんね(笑)。
熱狂のステージは7時きっかりに終了。残念ながら、カーニバルの恒例だった共演者全員によるアンコールは今回はなかったけど、大満足の1時間だった。

順序が逆になっちゃったけど、他の主演者についてもちょこっと書いとこう。
イベントの最初の出演者はシーナ&ザ・ロケッツ。この日は敬愛するソロモン・バークが出るとあって、鮎川さんもシーナも最初から嬉しさを隠しきれない様子だった。30分ぐらいの短いステージだったんで、イベントの趣旨に合わせてシブくブルースやR&Bで攻めるのかと思ったら、全然そんなことはなく、いつもどおりのセットリスト(笑)。お馴染みの「You Realy Got Me」や「Satisfaction」、オリジナルの「レイジー・クレイジー・ブルース」に、オリジナルかカバーかわかんねえ「レモンティー」。最後は「ユー・メイ・ドリーム」でキマリだ。まあ、いつもどおりなんだけど、いつもどおりがイイのよ、シナロケは(笑)。
鮎川さんとシーナは、自分の出番が終わってからもステージ袖でソロモン・バークを食い入るように観ていた。

2番手はblues.the-butcher-590213。実は、オレはソロモン・バークと同じぐらいブルース・ザ・ブッチャーのステージを楽しみにしていた。もう~期待通り。いやいや、これは期待以上でしょう!
バンドの全員が黒のスーツに黒のネクタイを締め、やる気満々で登場してきたブッチャーズ、沼澤尚のいぶし銀のドラムと中条卓のシンプルなベースに乗って、永井“ホトケ”隆がテレキャスターを弾きまくり、KOTEZがハープで客席を煽りまくった。
オレ、このバンドの魅力はシカゴスタイルのオーソドックスなバンド編成で、ブルースのマスターピースを21世紀にも通用するカタチで堂々とやってくれちゃってることだと思うんだ。その実力を十分すぎるほど見せ付けてくれた。
オレ、はっきり言って、この日の出演者の中ではblues.the-butcher-590213が、一番ブルース純度が高かったと思うなあ。このカーニバルは、日本人バンドと海外のブルースマンが一緒に出る。そうなると、日本のバンドの出番は前の方で、セミファイナルと大トリは外タレっていうパターンが多い。そうなると、オレなんか島国根性を燃やしちゃって(苦笑)、日本人のブルースが世界にどれだけ通用しているか、なんていう見方もしてしまうんだよな、どうしても。そういう観点から見ても、blues.the-butcher-590213は世界レベルのブルースをプレイしていたと感じる。
この日はセットリストもアップテンポなものばかりで攻め立て、エンディングの「Mojo Boogie」では観客の多くも立ち上がってコール&レスポンスでバンドに応えた。カッコ良かったぜ~!
今年はまだ彼らのホームグラウンド、JIROKICHIでのライブを観てないけど、やっぱ高円寺に行かなきゃなあ…。

セミファイナルは、外タレのコーリー・ハリスって人。途中でキーボードがサポートに付いたりしたんだけど、基本的にギター弾き語り。ブルースだけじゃなくて、ボサノバっぽいタッチの曲なんかもやってたな。近いところで言うとベン・ハーパーのミディアムナンバーみたいな感じ…。
うーん、申し訳ない。オレはこのあたりはアルコールがかなりゴキゲンな状態に注入されてて、blues.the-butcher-590213の演奏にノリノリになった後だから、このかったるいノリにちょっと付いていけなかった。なので、この人のステージはほとんど憶えてません(苦笑)。

オレにとって、この日はソロモン・バークとblues.the-butcher-590213に尽きた。ほんとにコテコテのブルース&ソウルパワーをたっぷり浴びた気分。
ただ、こんなにいいイベントなのに、客の入りが年々減ってるのが気がかりだ。今年の入りはどう見ても7割いたかいないかだった。このイベントは日本人が本場のブルースとソウルを堪能できる数少ない機会なんだから、主催のM&Iカンパニーには来年以降も頑張ってもらいたい。
それと、これからも東京での開催場所は日比谷野音を死守してもらいたいなあ。このカーニバルでの独特の盛り上がりは、やっぱり日比谷野音でやっているというアドバンテージも大きいと思うんだ。アルコールの消費量は、数ある野音のイベントの中でもかなり多い方だと思うんだけど、ブルース好きのおぢさんおばさんが足元がふらつくぐらい呑めちゃうイベントなんてこれぐらいしかないでしょ?オレも、また来年この場所でブルースが聴けるのを楽しみにしている。

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