« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »

2010年8月

2010年8月29日 (日)

もののけ盆ダンスツアー ~辺野古の海から世界が見える~ / 2010年8月29日(日) 吉祥寺・スター・パインズ・カフェ

もののけ盆ダンスツアー ~辺野古の海から世界が見える~
出演 知花竜海[from 琉球]
    上間綾乃[from 琉球]
    ソウルフラワーモノノケサミット
2010年8月29日(日) 吉祥寺・スター・パインズ・カフェ 18:00/19:00
¥4000+1dirnk *6才児以下は入場無料

いやあ~楽しかったなあ!モノノケは今年2月以来2度目のライブ体験なんだけど、今日は初回よりも更に楽しめた。
思ったんだけど、このバンドはあんまり先入観を持たずに臨んだ方がいいね。前回はシーサーズがゲストで来るから、きっと沖縄色の強い音楽になりそうだと予想してて事実そのとおりになったんだど、今回はそういうことをあんまり考えずに行った。でも、それが却ってこのバンドのごった煮的な嗜好をストレートに感じとれることになったと思うんだ。
共演者の上間綾乃は若い沖縄の島唄うたいで、彼女がモノノケのステージにもゲストで加わったから、もちろん沖縄色がまったく無いわけではなかった。だけど、それは前回よりは薄味であくまでもモノノケの持つごった煮的な音楽性の一部として表に出ていたと思う。これは、上間綾乃がまだ若く、民謡だけじゃなくてロックやポップスを聴く世代だからってことも大きいんじゃないかと思うけどね。

スタンディングで見れたことも良かった。疲れるけど(苦笑)、やっぱりこのバンドは座ってみるより立って見た方が断然良い。中川のMCに大笑いし、陽気なチンドンのリズムと中川の豪放な唄、それにヒデ坊の絶妙の合いの手に自然に身体を揺らす。そんな付き合い方がイイんじゃないでしょうか。なんだか民謡酒場にいるような気分だった(笑)。

ライブは「辺野古節」から始まり、戦前の流行歌や労働歌のオンパレードだった。「釜ヶ崎人情」、「有難や節」など、僕でも知ってる古い歌がチンドンのリズムで次々に奏でられていくと、自然と両手は拍子をとり始めてしまう。
今日のモノノケサミットは、元祖演歌士・添田唖蝉坊の曲をたくさん演ってたような気がする。それらの曲が今聴いても全然古びてないのにもびっくり。「ああわからない」なんて、まるで今の政治の混迷を皮肉ってるようだもんねえ…。
もともと大衆歌謡ってのは、色恋沙汰だけじゃなくてこういう社会風刺を得意としてたんだよね。その辺はレゲエやパンクとまったく同じ。だから、ロックを通過してきた僕らがこういうところに原点回帰していくのは、すごく自然なことのように僕は思う。ロックだって演歌だって流行歌だって、実はみんなレベル・ミュージック!
日本のR&B系はどうの、とか知った風なことを言ってる人がいるけど、こういうライブを観てるとつくづく小せえなあ~と思っちゃうね。音楽ってのはジャンルじゃない。とにかくヤルことなんだよ…。

モノノケサミットにゲスト参加している大熊ワタルさんもイイ味出していた。オレ、はっきり言ってこの人のファンですから(笑)。大熊さんはシカラムータというモノノケサミットと似たようなミックスチャー・バンドをやってて僕も一度ライブを観たことがある。ステージではチンドン・テイストのクラリネットを吹いてるんだけど、朴訥なMCがなんとも良い味なのだ(笑)。中川の濃いボーカルが続いてそろそろ胃がもたれてきたという時に挟み込まれる(笑)、大熊さんボーカルの「野毛節」は、モノノケサミットには欠かせない名物なんじゃないかなあ…。

名曲「満月の夕」や、「インターナショナル」・「さよなら港」で大いに盛り上がり、ライブは9時半に終了。うーん、欲を言えばもうちょっと観たいぜ…。
でも、ほんと楽しかった。今日のライブはモノノケサミットという雑食性のバンドの、何が飛び出すかわからないびっくり箱的な面白さが良く出ていたいいライブだったと思う。
なんか、田舎に帰って盆踊りに行ってきたような気分(笑)。機会があればこのバンド、ぜひ野外で見たいなあ。それも野音みたいなとこじゃなく、神社の境内みたいな土の地面のあるところがいい。そんな気がしてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年8月28日 (土)

New Shoes

Dscn9290
神田のショップにオーダーしていたインソールとシューズが出来上がってきた。今週は早速これで走り込んでるんだけど、今のところとても快調だ。
これまで使ってきたシューズも初心者用としては定評のあるものだったんだけど、今度のやつはそれよりも軽い。ちょっとソールが薄いのが心配だったのだが、思ったよりクッションがあるみたいで着地の衝撃もあまり感じない。何より足全体を包み込むようなフィット感がすごく気に入っている。ショップで診てもらってわかったんだけど、僕の足は日本人男子平均からすると、やや踵が小さく幅が狭いみたい。これが細身のこのシューズのラインに合ってるんだと思う。どちらかと言うとオーバープロネーション対応というのも、靭帯を痛めた経験のある自分にとって 安心材料。
フロントのアッパーが左右非対称になってるのがなんかカッコいいと思わない?ランニングシューズって獣神サンダーライガーみたいなのばっかで(=山口洋談(笑))、デザイン的にはトホホなものばっかりだったりするんだけど、これは気に入ってます!

プラスして専用のインソール(中敷)が入ってる。これだけの新兵器を入手したら頑張んないといけないっしょ。最近は家族の迷惑省みず(苦笑)、またまた4時半起きで走りに出ております。
新兵器+ストレッチ+アイシング。この併せ技効果か膝の痛みも全く出ない。ここ数日は10キロ走をやったら、1キロ5分40秒ぐらいから始めて最終的には4分30秒ぐらいまでビルドアップできるようになってきた。うーん、なんか幸せ(笑)。

最近つくづく思うんだけど、ランニングって楽器を練習するのとなんだか似てるような気がする。
ギターを始める時って最初にいくつかのコードを憶えて簡単なフレーズから徐々に始めたりするじゃん。ランニングもそれと同じなんだな、これが。最初に基本的なフォームを覚えて短い距離から始めていき、徐々に距離と速さを追求していく。時間をかける事、地道な繰り返しを飽きずにやる事で達成感を得られるところも似ている。ヤワヤワな指先が硬くなってきたり、泣きたいほどの筋肉痛を耐えて走れる脚になっていったりするところも同じ。
そう考えると、さしずめNew Shoesはオレにとってトーカイのギターからフェンダー・ジャパンのストラト・モデルにグレードアップしたようなもんか。それなら、ギターよりシューズの方が全然安くてありがたい(笑)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年8月27日 (金)

【本】滝山コミューン一九七四 (講談社文庫) / 原 武史(著)

B448553a91fb0282e9ce6ef09f0717dc1965年生まれの僕は、詰め込み教育と呼ばれた70年代の指導要領をモロに引っ被った世代である。そんな中、隣のクラスにとても人気のある若い先生がいた。その先生は指導要領に囚われない独自のクラス運営を行っていて、子供心にとても自由な感じがしたのである。先生は業者テストを一切使わずに、自分で作ったプリントのみを授業で使ったり、学校行事以外のクラスイベントをたくさんやったり、大人顔負けの選挙活動を行わせてクラス委員を決めたりしていた。彼は「みんな」で何かを「一緒に」やり、「全員」が「同じ」であるべきことを繰り返し教えていたのである。
なんでそんなことが可能だったのかは今となってはわからないが、彼のやり方がクラスの団結力を高め、校内水泳大会や球技大会では必ず入賞者を出していたから、生徒のみでなく保護者からもウケが良かったことは確かだ。結果的にその評判を学校上層部も認めざるを得なかったのだろう。

だけど僕は知っていた。それはいい面ばかりではなかったことを。
ある日、僕はそのクラスにいたある友達にこう言ったことがある。

「お前の組は楽しそうでいいよなあ。オレも○○先生に習ってみたいよ…」

すると、彼は一瞬身を硬くしてこう答えたのだ。

「そうでもないよ。けっこうキツイこともあるんだ…」

希望者を募るのではなく「絶対参加」のクラス活動は、スポーツの苦手な彼には苦痛でしかなかったのだ。加えて先生の平等精神は勉強にも及んでおり、彼はクラス全員ができるまで納得しないから、授業の進度は僕たちのクラスの半分も行っていないという驚愕の事実を知った。言い方を換えれば、その先生の教育は特定の優等生を出すことより、「平等」を重んじて「みんな」が「同じ」であることを目指したものだったのである。それは落ちこぼれは生まないかもしれないけど、同じ電車に乗り合わせることしか許さない窮屈さを生むことになる。スポーツ少年ではなく、算数が得意で一人静かに読書をすることが好きだった僕の友達は、本当はその電車に乗りたくなかったのだ。「みんな」が「同じ」でなければならないという圧力の中、彼は静かに追い詰められていたのである。

「滝山コミューン1974」を読んでいて、そんな30年前の出来事を思い出した。このルポルタージュは、70年代の東京で、僕の友達の更に上を行くような教育が行われた実態を書き記したものなのである。
70年代、東京の新興住宅地にできた新しい小学校で自由で民主的な教育を目指す試みがあった。若い一人の教師とPTAが中心となり、独特の算数教育法「水道方式」を取り入れた集団教育を行った。そして、民主主義の名の下にクラスを班分けして競わせたり、児童委員会や生徒会選挙、林間学校を通して理想的な集団を目指して突っ走っていく。
しかし、平等や自由を目指していたクラスが産み出したものは、自由を束縛し個人が集団の一員であることを強要するような相互監視社会だった。班競争は「ダメ班」や「ビリ班」を作り出し、できない生徒をスポイルすることになった。ホームルームでは他者への糾弾・自己批判が繰り返し行われた。こうした民主主義の名の下に行われた行為の数々が著者のトラウマになっていったのだ。著者は30年ぶりに少年時代をすごした団地を訪れ、当時そこで何が行われたのか検証していく。

実は、読んでいて僕も“あっ!”と思うことが幾つかあったことを告白しなければならない。班競争や卒業式での決まった台詞での呼びかけなど、ここに書かれていることの幾つかは、僕自身が少年時代に経験していたことだった。たぶん、僕じゃなくても同世代がこの本を読めば、幾つか思い当たるフシがあると思う。
ここに書かれていることは、ある意味あの時代に行われてきたことのタネあかしなのだ。当時の僕は“なぜそこまでやらなくてはいけないのか?”と違和感を感じたこともあったのだが、それは全生研という組織が提唱していた、個人より集団を重視する教育方針が根底にあったことを今初めて知った。
そして思う。戦時下に何の疑問も持たずに軍国日本へと突入していった話を聞く時、その時代に誰も正常な思考回路が働かなかったことを疑問に思ったりもするのだが、それと同じようなことは今でも簡単に起きるのだということを。そして、自分もその渦中に確かにいて何もできなかったのだということを…。

終章、著者はこんなことを書いている。
2006年に教育基本法が改正される根拠となったのは、旧教育基本法がGHQの干渉を受けて制定され「個人の尊厳」を強調し過ぎたものとなっていたために、個人と国家や伝統との結びつきが薄まり、戦後教育の荒廃を招いたという歴史観であった。だが、果たして旧教育基本法のもとで本当に「個人の尊厳」は強調されてきたのか。滝山コミューンのようなものが存在したという事実は、問い直されるべきなのは旧教育基本法の中身ではなく、むしろこの歴史観そのものではないか、と。
また、滝山コミューンは、成年男子を政治の主体と見なしてきた日本の歴史にあって、はじめて子供や女性を主体とした民主主義が行われたものだったのではないか、とも言っている。

後者の文章は一瞬作者の考えを見え難くする。滝山コミューンに忌まわしいトラウマを抱き続けてきた著者が、最後になっていきなりそこに肯定すべき点を見出してしまっているからだ。Amazonなどでの書評を見ても、そこに著者の意図を読み切れず、戸惑う声も幾つか見られた。
だが、僕には著者の気持ちが良くわかる。そして、この相反する複雑な感情こそが真実なのだと思う。
自分の体験を省みる時、確かに僕はあの時一種の共同体の渦中にいた。そして、時に疑問を抱きもした。だけど、それはそのまま流れてしまったのだ。何故なら、共同体幻想というものはそこに溶け込んでしまえばとても居心地のいいものだからである。友達と一緒に何かをすることが大好きなお気楽少年だった僕は、時として疑問を持つことはあっても、圧倒的多数の集団に属していることに心地よさを覚えていたことを告白しなければならない。
こういう相反する感情を抱いていたのは著者も同じだったのだと思う。30年余りもトラウマに囚われながら、それでも団地在住の6年間の影響を認め、小学校時代に郷愁を感じたりしているところに、僕はこの著者の誠実さと切なさを感じてならない。
原武史さんは熱心な鉄道マニアとしても知られているそうだが、休日に都心の塾に通う時、好きな車両の中に忍び込んでたった一人で食事をするエピソードなど、追い詰められた少年の声にならない叫びが聞こえてくるようで、強く心に残った。

翻って今の教育現場。そこはまたぞろ集団主義的側面を強めつつある。また、社会全体も声の大きい人の意見に左右されて世論が形成されたり、空気を読むような世の中になりつつある。
そこに何の疑問も抱かなかったらそのままでもいいだろう。だが、70年代に初等教育を受けた世代だったら、僕らは既にこんな集団主義的な社会を体験してきていることをわかっておいた方がいいかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月20日 (金)

神宮外苑花火大会

招待券をいただいたんで、子供と行って来ました。
この花火大会は花火と距離が近いのがイイね。さすがに都心だから玉はちょっと小粒な感じがするけど、近くで打ちあがる花火を、神宮球場のスタンド席からのんびり眺めるのは格別。

花火の前座にはTRFやMY LITTLE LOVERが出て、僕でも知ってるメジャーな曲をガンガンにやってました。若いサラリーマンやOLさんたちがここぞとばかりに盛り上がってるのが微笑ましかったな(笑)。
宵の口に吹く風は意外に涼やかでちょっと驚きました。暑い日が続いてますが、季節は確実に秋の気配が忍び寄ってます。それはそれでちょっと寂しいな…。

Dscn9206_3
Dscn9198_3

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年8月19日 (木)

三種の神器

Dscn9194
残暑お見舞い申し上げます。
と言ってはみましたが、なんだか全然残暑って感じじゃないっすね。“夏全開”じゃねえか(笑)。今年の夏はほんとに異常な暑さだ。
皆さん、暑い中いかがお過ごしですか? 僕は相変わらず走ってます、とは言っても、この陽射しの中を走ったらスルメになっちゃう(笑)。朝、5時ごろごそごそ起き出して上野公園をRUN。この時間ならまだ殺人的な陽射しではない。1キロ5分30秒ぐらいのペースで10キロ走るのが今年の夏のルーチン。

ところで、今月始めに腸頸靭帯炎が再発してしまったって書いたけど、結局数日間休んだだけでランニングを再開してしまった。そんなに深刻な症状ではないと思うことにしたのだ。膝の痛みはおっさんランナーである以上、ある意味しょうがないことなんだと思う。時間がかかっても、地道にストレッチをして走りこむことで筋肉を柔らかくし、屈強な足を作っていくしかないんだろう。
それより、走れないストレスの方が問題。走れない日が続くといらいらしてきて精神的にとても辛いのだ。走れば走ったでそれはもちろん辛いのだが、走らなくて後悔する事はあっても、走って後悔する事は絶対ないことを経験上知ってしまっているからなお辛い。
なんとかならないものかと思って、スポーツ洋品店で出会ったのが高機能サポーターだ。こいつをきつめに締めると、なんと痛みを感じなくなるのだ!なので、痛みが出てる時はこいつの世話になることにした。そしたらいつの間にか痛みが消えていたんだよね。症状が軽かったせいもあるのかもしれないけど、僕の場合、膝の痛みは走りながら徐々に治っていったことになるのかな…。

さらに強力な武器を発見。アイシング・パックだ。これは高機能の氷嚢みたいなシロモノなんだけど、水と氷を入れてがっちりテーピングするとあっという間に膝が冷やせる。これをランニング後に15分やるだけで、かなり効果があるのだ。なにしろ、この暑さだから冷たいものを当てるだけでもすごく気持ちよくて、すっかり病みつきになってしまった。いやあ~スポーツ用品店ってのは宝の山だなあ…(笑)。

これらに加え、最近は走る時に左右のバランスを保つというグリップを握りながら走っている。自分が左膝ばっかりトラブるのは、たぶんフォームが左に傾くような感じになってるからだと思うので、これで矯正しようと思っているわけ。んー、これは効果があるのかどうかまだ今イチ実感がないんだけどね…。
とりあえず、サポーター、アイシング・パック、e3グリップ。この三つが今の僕の三種の神器ってわけです。

8月は家族を連れて旅行したり帰省したりで走れない日も多いんだけど、それでも気がつくと今日で月間走行距離はトータル90キロになった。最近は公園でも顔なじみの人ができてきたし、朝の一時間走る習慣が付いただけでも、いつもと違った夏を過ごしているようで達成感がある。
走ってよく食べているせいか、今のところ夏バテも全くない。やっぱり一日の初めに思いっきり汗をかいておくのは身体にもいいんだと思う。
まあ、1キロ5分30秒からはなかなか追い込めないんだけどね…。なにしろ、早朝でも温室の中を走ってるぐらいにむわっとしてるからなあ、今の季節は。

このまま夏を乗り切って、秋風が吹く頃にスピード練習ができるぐらいになっていればいいんだけど…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月 8日 (日)

WORLD HAPPINESS 2010 ~Yellow Magic Orchestra with 小山田圭吾・高田漣・権藤知彦 guest. Crystal Kay~ / 8月8日(日)東京・夢の島陸上競技場

夢の島に行って来た。YMOを観たかったのだ。
WORLD HAPPINESS。一昨年から行われているこの夏フェスで、YMOは3年連続のトリを務めている。一回目の時は「HASYMO」名義だったが、昨年は国内では16年ぶりにYMO名義でのライブを行った。名実ともにイエロー・マジック・オーケストラとして3人は21世紀の音楽シーンに復活したのだ。

前にもどこかで書いたことがあるけれど、僕は少年の頃、熱狂的なYMOファンだった。RCサクセションにもローリング・ストーンズにも出会う前のこと。その頃の音楽少年の大半がそうであったように、僕と音楽との出会いはフォークだった。そんな僕を思春期に完全にロック嗜好に振り切ったのがYMOだった。僕は彼らを通じてロックのビートを身体に取り込み、ロックミュージシャンのアティテュードを知ったんだと思っている。“機械的で冷たい”とも言われたYMOのサウンドだが、僕は当時から全くそんなことを感じたことがない。特にライブでの躍動感と言ったら、もう…。もしかしたら、全盛期のライブ盤「Public Pressure」は、僕がこれまでの人生で一番数多く聴いたアルバムかもしれない。
それほどまでに好きだったYMOだけど、後期の実験的な路線に入ってからは急速に熱が醒めてしまった。その頃は既に洋楽ロックにどっぷりと漬かっていたし、国内でもぐっとくるバンドがたくさん出てきていたから自然とそっちに足が向いて行ったのだと思う。結局、僕は生音とシンセ音をミックスさせた、初期のロックっぽいYMOが好きだったんだろう。再結成後のアンビエントっぽい音には全く興味を持てなかったし、もう僕がかつて好きだった往年の熱いYMOは体験できないんだろうと諦めていた。

ところが、YouTubeで昨年のWORLD HAPPINESSでのYMOの演奏を見てびっくりしてしまった。演奏に80年ごろのダイナミックさが戻ってきている!これは僕がかつて夢中になった初期のYMOスタイルにかなり近いと思った。





RCサクセションは観た。ストリート・スライダーズも観た。絶対に日本では観られないと思っていたローリング・ストーンズだって観てしまった。だけど、考えてみたら僕は少年の頃にあれほど夢中になったYMOのライブをまだ体験していないのだ。44の今になって気が付くのも相当遅いと思うけど、僕は今になって猛烈にYMOが観たくなってしまった。それは青春時代の忘れ物をとりに行くかのような気持ちに近かったかもしれない。

ただ不安も大きかった。なぜかって、あの気まぐれな3人はみんなの望んでいる曲をなかなかやってくれないからね…(苦笑)。眠たくなるようなアンビエント路線ばかりのセットで、最後に「RYDEEN 79/07」でお茶を濁して終わり、みたいなライブだったらどうしよう…。イベントを楽しみながら、そんな一抹の不安を抱きつつ出番を待っていたのですが…。

見てくれ!このセットリストを!

01.LOTUS LOVE
02.Day Tripper
03.音楽
04.体操
05.千のナイフ
06.BEHIND THE MASK
07.Tibetan Dance
08.Thank You For Talkin' To Me Africa
09.Rydeen
10.Fire Cracker
11.Hello Good-By

大満足!こんなに聴きたかった曲をやってくれるとは思わなかった!

最初の驚きは2曲目の「Day Tripper」。アレンジもアルバムバージョンを踏襲していたのが嬉しい。幸宏の変則ドラミングに教授のブニョブニョしたキーボードの音色…。この曲を演奏してくれるとは全く予想していなかっただけに、夢を見ているんじゃないだろうか?と思ったぐらい。
さらに驚いたのは「体操」。イントロで、あの“シャカ、シャカ、シャカ…”っていうサンプリング音が流れると、会場からどよめきが起きる。ステージには体操着を着た2人組が現れ、拡声器を持った教授が号令を。アレンジはこれもほとんどアルバムと同じだった。この曲、散会後にやったことってあるんだろうか?ものすごく驚いたんだけど…。

「千のナイフ」は大好きな曲だったので、生で聴けたのはすごく嬉しかった。幸宏の力強いドラミングと細野さんの土台を固めるようなベースのリフに乗せ、教授があのキーボードラインを重ねていく。本当に美しかった。会場には荘厳といっても言いぐらいの空気が漂う。圧倒的な音空間…。白状するけど、この瞬間オレはもう泣きそうだったぜ…。一瞬自分の足が地面からふわっと浮き上がったような錯覚にとらわれた。この曲はサポートの小山田圭吾のギターと、権藤知彦のトランペットのアバンギャルドなプレイも素晴らしかったと思う。“YMO楽団”としての演奏の充実度はこれが一番だったんじゃないかなあ。

会場のどよめきが一番大きかったのは「BEHIND THE MASK」がはじまった時だ。あの印象的なイントロが聴こえただけで驚きの声が挙がる。ヴォコーダーを通した教授のボーカルが始まると自然発生的に拍手が起きたぐらいだ。

クリスタル・ケイがゲスト参加した「Thank You For Talkin' To Me Africa」と「Rydeen」では、スカパラ・ホーンズの4人も加わり、さらに厚みが増す。「Thank You…」ではYMOが上質のファンクバンドに早変わりだ。こういうビートを叩かせると幸宏さんは本当に巧い。細野さんも楽しそうにベースを弾いてたなあ。
「Rydeen」は「79/07」じゃなく、オリジナルのパワフルなアレンジの方で演奏された。イントロの“チッチキ、チッチキ…”抜きで、いきなりドラムがバーン!と入るカッコいい構成には興奮しました!間奏でのスカパラのプレイも豪快で、なんかもう頭の中が真っ白になってしまった。

本編は「Fire Cracker」で終わって、アンコールの「Hello Good-By」で余韻を残しつつイベントは終了。YMOの演奏時間は1時間ぐらいだったと思う。

いやあ~夢のような1時間だった。何よりも高橋幸宏が全曲で生ドラムを叩き、細野晴臣がベースギターを手にする曲が多かったことが嬉しい。本当に行って良かったと思う。僕の知る限り、この日のYMOは散会以降のライブで最もYMOらしいYMOだったんじゃないだろうか?
初めて生で観たYMOのライブは神々しいまでに素晴らしかった。観る前は“野外で見るYMOってどうなんだろう?”って思っていたのだが、とっぷりと暮れた宵闇の中を舞うシンセサイザーのサウンドと、空高くどこまでも上り詰めていくようなビートは、夢の島という都会のオアシスのムードにハマりすぎるほどハマっていた。
確かに3人は一様に歳をとった。80年代当時は美少年と言われた坂本龍一なんか、白髪に丸眼鏡をかけてまるで昭和の文学者みたいな風貌になってしまったし…。でも、3人の編み出すサウンドは十分にエネルギッシュだったし、そのサウンドはやっぱり唯一無二のものなんだなあ、って強く思った。

ってなわけで、YMO中心のライブになってしまったんだけど、フェス全体を通して見ても、とても見所が多くて楽しいイベントだったと思う。気になったミュージシャン、バンドを少しだけ…。
まずCoccoには圧倒された。こんなに“歌”に自分を委ねている人を見るのは久々だ。僕は代表的な曲しか知らなかったんだけど、彼女の歌の持つ力にぐいぐいと引き寄せられてしまった。痛々しいけど力強い。そして何よりも圧倒的な説得力があるのだ。彼女の歌には、好む好まざるにかかわらず聴く者を捕えて離さない強力な磁力を感じる。きっと彼女の人生における“歌”の比重は、僕みたいな一音楽ファンには及びも付かないぐらい大きなものなんだろうなあ…。そんなことを思わずにはいられなかった。
ムーンライダーズは流石の貫禄。プログレッシブで文学的で、気難しくてルーズで。そしてとびきりロックンロール!素敵なおっさんたちだったなあ…。
サカナクションにはびっくりした。僕はこういう若手のビートバンドにはあまりピンと来ないことが多いんで、実は彼らの出番は次のスカパラに備えてのトイレタイムにしていた(苦笑)。ところが、聴こえてきた音がえらくぶっ飛んでたので、用もそこそこに(おい!(笑))慌ててステージ前に走ったってわけだ。このバンド、何より演奏がむちゃくちゃ巧い!ダイナミックでありながらとても凝ったことをさりげなくやっている。ボーカルもよく通る声でライブで鍛えられた喉をしてるし、曲もいい。何よりこのバンドはオーセンティックなロックバンドのシャープさに加え、サンプリング経験後の世代らしいセンスを持っているところが強みだと思う。僕が言うのもなんだけど、これはとんでもないバンドになる可能性を秘めていると思うぞ。
プラスチックス…。巷ではYMOの次ぐらいに期待を集めていたみたいなんだけど、うーん、残念ながら僕はあんまりピンときませんでしたね。僕は昔からこういうキッチュ路線、はじめにファッションありきみたいな人たちのやるバンドは苦手なんだよなあ…。ただ、さすがにサウンドは昔の薄っぺらいピコピコ音だけじゃなく、立花ハジメのファンキーなギターを前面に出した今風なものになってはいたけどね…。

それから、入場に予想以上に時間がかかってしまい、外で漏れ聞く音を聴くだけになってしまったLOVE PSYCHEDELICO。これがものすごくぐっときた。“Freedom”の限りなくハッピーな、天高く希望が羽ばたくようなあの感じは、WORLD HAPPINESSと銘打ったこのフェスにピッタリだったと思う。いやもう、理屈抜きに素晴らしいロックバンドだと素直に感動した。僕はかつてこのユニットに対して否定的なことを書いたことがあるが、それはこの際全面撤回したい。なんでもう少し早く来てこのバンドのステージを見なかったのか、すごく悔やんでいる。うーん、つくづくナマで観たかった…。

オール8時間の長丁場。でも本当に楽しい一日だったなあ。夏、バンザイ!(笑)
スカパラの谷中さんが言ってたけど、WORLD HAPPINESSはいろんな意味で最も東京らしいフェスかもしれない。2ステージがサクサク進行するからタイムロスもほとんどないし、夢の島って意外にアクセスもいい。それに、なんと言っても日本人だけのこの豪華な出演者!僕みたいにあまり時間が取れない家庭人でも参加しやすい、お得感満載の夏フェスだと思う。うん、来年もYMOが出るなら行こうかなあ…。

【主演者】(出演順)
にほんのうた楽団(小池光子+高田漣+ASA-CHANG+鈴木正人)
LOVE PSYCHEDELICO
清 竜人
MONGOL800
大橋トリオ
Cocco
カヒミ・カリィ
RHYMESTER
□□□(三浦康嗣、村田シゲ、いとうせいこう)
pupa(高橋幸宏+原田知世+高野寛+高田漣+堀江博久+権藤知彦)
安藤裕子
ムーンライダーズ guest 小島麻由美
サカナクション
東京スカパラダイスオーケストラ
プラスチックス
Yellow Magic Orchestra with 小山田圭吾・高田漣・権藤知彦

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月 6日 (金)

また膝が…。

Dscn9064
うーん、駄目だ…。腸頸靭帯炎が再発してしまった…。ランニングを再開して10日目のこと。ストレッチを入念にやって、2日走ったら1日休むようなペースであまり無理のないようにしていたつもりだったんだけどなあ…。さすがにショックだった。女房には「向いてないんじゃないの?」なんてせせら笑われるし…(苦笑)。
これはもう近所の整形外科じゃダメだろうと思い、ネットでスポーツドクターのいる整形外科を探して行く事にした。

幸いにも家から比較的近い入谷にそんな整形外科があることがわかった。
僕を診てくれたのは、日本体育協会公認のスポーツドクター。彼は患部を診る前に僕の身体をいろいろ動かして冷たく一言。

「身体、硬いですね~。」

ギクッ!分かってはいたが、そうはっきり言われると傷付く(苦笑)。さらに彼は身体の硬さからくるランニング障害をいろいろ教えてくれた。筋肉に柔軟性がないと、膝だけではなく今後腰や肩など様々な箇所に障害を及ぼす危険性があるとのこと。彼の指摘は僕にとっていちいち思い当たることが多く、“なるほど!”と大いに納得。はい、もうなんとでも言って下さい。身体が硬いと言われようが、もう若くないと言われようが、すべて受け止めますから…(苦笑)。
膝の痛みに関しては、僕の足はちょっとO脚気味なので、足底の外側を使って着地する傾向があり、それが膝に負担をかけているとのことだった。フォームの改善を丁寧に絵で解説してくれ、更にトレーニング後のストレッチとアイシングの大切さを教えてもらう。
うーん、さすがはスポーツ整形。やっぱり障害の原因が運動からきていることが分かっている場合は、町の整形外科じゃなくて専門のお医者さんが居るところで診てもらわなければダメだと思った。

午後からは神田の「アスリートクラブ」へ。ここはその人にあったオーダーメイドのインソール(中敷き)を作ってくれるショップだ。ここでインソールを作ってから、腰や膝の痛みが改善した人がかなりいると聞き、藁をも掴む思いで駆け込んだのだ。このお店が何よりも安心なのは、店員さん全員がランナーであること。更に何万という日本人の足を見ているので、足形を見ただけでその人の癖を把握してしまうという。
最初に足型をとって、それを見ながらじっくりとカウンセリングをしてもらう。当初、僕はインソールだけをオーダーしようと思っていたのだが、できればシューズ込みで考えた方がより効果が高いとのこと。場合によっては靴もその人用に手直しするという。金額的にお高くなるしちょっと迷ったのだが、僕の使用していたシューズはソールの内側が強く反発するように出来ており、X脚の人には適するがO脚の人には逆効果なのでは?という言葉が決め手に。ここは思い切ってシューズを変えよう。何よりも身体が大事だ…。
店員さんは2種類のシューズを出してくれたのだが、どれも僕が今履いているものより軽いのに、クッション性も十分に確保されているという優れもの。これにカスタムのインソールが加わるのだから鬼に金棒だ。店主さんも、

「ああ、チョーケイね。大丈夫ですよ。これで出なくなります。」

と、さらっと言ってくれた。いやもう、この一言だけでもすごく安心してしまうものなのですよ…。

というわけで、今日は膝にかかりっきりの1日になってしまった。
陸上経験者でもあるまいし、なんでそこまで入れ込むの?と訝るむきもあろう。でも、今の僕にとって走ることはすごく大きな生きる糧になっているような気がするのだ。前からうすうす感じていたことなんだけど、僕はプレッシャーが好きな性格なんだと思う。膝が痛かろうが、息が苦しかろうが、自分で自分を追い込むことが楽しくて仕方がない。プレッシャーのない生活なんてきっと退屈してしまうだろう。言い方を換えればドMなタイプ(笑)。そんな人間にとってランニングは最も手軽に始められるモノなのだ。
プレッシャーついでにもう一つ。膝の痛みにもめげず、今年の10月と11月にハーフマラソンのレースに出ることにした。考えてみれば、故障が夏の暑い時期で良かったよ。大会直前の時期に膝痛がきたら泣くに泣けないからね…。

新しいシューズとインソールが出来上がるのは21日。今からその日が楽しみだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年8月 5日 (木)

ある評論家の死

今野雄二が亡くなった。自宅マンションで首を吊っての自殺だという。
今野さんは僕が高校生の頃、音楽や映画の評論で大活躍していた人だ。正直言うと、この人の評論は過剰なスノッブさが鼻につく時もあって全面的に心酔していたわけではないんだけど、それでも僕ら世代にとっては一世を風靡した印象に残る人だったことは確かだと思う。あんな華やかに見えた人が、こんな寂しい幕引きを自ら選んでしまったのはとても悲しく思う。

80年代には、洋楽のライナーノーツや雑誌の音楽コラムなどで、この人の名前を頻繁に目にする機会があった。当時の今野さんは11PMなどのテレビ番組にもよく出ていて、アーストン・ボラージュの最新ファッションをさらりと着こなし、欧米の最新カルチャーをいち早く紹介するその軽妙な佇まいは、バブル期のライトな時代のノリにもよく合っており、正に東京の流行最先端にいる文化人という感じだった。

だが、21世紀に入ると今野さんのメディアへの露出は極端に減ってしまう。いや、この人に限らずこの頃から音楽や映画の評論家自体があまり表に出なくなったような気がするんだ。
これにはいろんな理由があるんだろうけど、僕はインターネットの普及が一番大きかったんじゃないかと思う。あれで誰もが評論家になれると錯覚してしまい、ブログなどで膨大な情報発信が始まった。表現者側も公式サイトを設置したり自らがブログを書くなどして、積極的に情報発信を始めた。結果として、表現者と受け取る側が媒体を使わずダイレクトに繋がることになったし、昔なら上陸するのに一年かかったニューヨークやロンドンの流行も3日後には世界中に広がることになった。そこにはもう評論家の入る余地なんか無くなってしまったんだと思う。それを誰かはこう言った。情報のグローバル化…。

でも、グローバル化ってのはイコール均一化ってことだ。経済のシステムなんかはその方が効率がいいのかもしれないけれど、僕は文化にそんなものは必要ないんじゃないかって思ったりもする。だって、それは結局最大公約数の流行りばかりがクローズアップされ、ニッチなものは抹殺される傾向に拍車がかかってしまうだけじゃないだろうか?
80年代の評論家の優れていたところは、異端といわれ、とうていメジャーにはなれそうもないニッチなものにも光を当てていたことだと思う。今ほどレコード会社や映画配給会社がシステマティックになっていなかったこともあるんだろうが、評論家は思いっきり趣味に走れた。たとえば今野さんなら、まだ日本では誰も目を付けていなかったロキシー・ミュージックやデビッド・リンチの映画をいち早く紹介していた。それはすぐに大衆に受け入れられるものではなかったが、何年かの時間をかけて一部のファンにはとても大きなものになったのだ。現に、ロキシー・ミュージックは今年のフジロックに久しぶりに来日し、若者にも熱狂的に迎えられたと聞く。

優れた評論家がいなくなったおかげで、僕らはそんなニッチなストリート・カルチャーを見つけられなくなってしまったのだ。最近の洋楽の不振はそんなところにも原因があるように思うのだが…。
でも、そんなことはきっと中年の音楽ファンのノスタルジーとしか思われないんだろうな…。

今野さんがこの世からおさらばする時、何を考えていたのかはわからない。だけど、この時代の何かに激しく絶望していたことは確かだと思う。あんな人がもっと悠々と活躍できるだけのスキマがあるのが、本当に成熟した社会だと思うんだけどなあ。
なんとなく、彼の死は昨年の加藤和彦さんの死にも共通するものを感じる。
つくづく、つまらない国になってしまったんだな、日本は…。

心からご冥福をお祈りします。どうぞ心安らかに…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月 3日 (火)

存在の限りない希薄さ ~「向日葵の咲かない夏」と「ボトルネック」を読んで~

Photo_3Photo_4最近話題になっている若手ミステリ作家の小説を、立て続けに2冊読んでみた。
結論。全然面白くない(苦笑)。と言うか、なんだかものすごく後味が悪いのだ。不快と言ってもいいぐらいの読後感。なんなんだろう、この気持ちの悪さは…。

読んだのは、道尾秀介の「向日葵の咲かない夏」と米澤穂信の「ボトルネック」だ。

前者のあらすじはこんな感じ。明日から夏休みを迎える終業式の日、主人公は先生に頼まれて欠席した級友S君の家を訪ねる。そこで彼は衝撃的な光景を見てしまうのだ。S君は部屋の中で首を吊って死んでいた。そして、事件発覚後なぜか彼の死体は忽然と消えてしまう。しばらく経つと、S君はクモに姿を変えて(!)主人公の前に現れ、「僕は殺された…」と告白する。主人公は、クモに変わったS君と妹のミカの3人で、事件の真相を暴くために事件を追い始める。そんな夏の物語だ。

一方の「ボトルネック」は、主人公がいきなり最初から死んでしまう。亡くなった恋人を追悼するため石川県の東尋坊を訪れていた主人公は、不慮の事故で断崖から墜落してしまうのだ。ところが、死んだと思っていた主人公が目を醒ますと、そこは見慣れた金沢の街の公園のベンチだった。不可解な思いで自宅へ帰った主人公を不審そうに迎えたのは、いるはずもない「姉」。やがて、彼は自分が存在していない“別の世界”に迷い込んでしまったことを知る。そして、彼はそこで発見する小さな“違い”が、すべて自分の存在を介して生じているという事実を知ってしまい、自身の存在価値を疑い始めてしまうのだ。元の世界に戻ろうとしていたというのに、物語が進むにつれて主人公が、自分は生まれなかった方がよかった人間なのだと思い込んでしまうのが読んでいてとても辛い。そんな小説だ。

ミステリーだから結末を明かすことはできないけれど、この2冊はどちらも全く救いがないような結末を迎える。少なくともそれは僕にとって読書のカタルシスをもたらすようなものでは全くなかった。僕が背筋を寒くしたのは、なぜこんな気持ちの悪い小説が若者を中心にこれほど売れているのか、と考えてしまったからだ。

二つの小説に共通するものは“死”の色濃さと、自身の存在価値の希薄さだ。この小説の主人公はどちらも思春期手前の少年なのだが、2人とも両親の不仲や兄弟との折り合いの悪さなど家庭内に問題を抱えている。そして、限りなく退屈に思える学校生活の中でなんとか日々をやり過ごしているのだ。彼らが持つ未来への展望も、決して明るいものとは思えない。僕から見れば、どちらの主人公もキラキラした青春を謳歌しているようには見えないのだ。
青春というのは決して爽やかで甘いだけではないとは思う。むしろ、そのど真ん中では悩みも多いし、本当は楽しいことより辛く苦しいことの方が多いのではないか。キラキラした青春なんて絵空事…。それはオレにもよくわかるし、この2つの小説はそんなリアルな青春像を冷徹に描き切っていることが指示れているのかもしれない。
それでもやっぱり釈然としない。こんなんでいいのだろうか…。ミステリというエンタティメント分野の小説ですらこんな痛々しい青春が描かれていて、それが支持されてる今の日本って、なんかてとても寂しい社会だとオレは思ってしまうのだ。

道尾秀介、1975年生まれ。米澤穂信1978年生まれ。2人の作家の“死”に対する似たようなスタンスは、今の若者たちが抱える得体の知れない空虚感を反映したものなのかもしれない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年8月 2日 (月)

暑い!

故障から復帰して一週間。10キロ走を何度かやったが特に支障なし。相変わらず朝、淡々と走っております。

今日は振替休日なので朝も時間がある。なので、故障後はじめて長い距離を走ってみようと思った。LSDペースで20キロ行ってみますか…。
ストレッチもばっちりやって、気合入れて走ってみたんだけど…。結果、撃沈!(苦笑)。

なんとか1時間半で15キロ走ったんだけど、それ以上はどうにもこうにも足が動かない。いや、息はそれほどあがってないし、足もまだまだ渇を入れれば動くと思う。敵は暑さだ!暑さで身体が消耗してしまい、どうしても脚が動かなくなってしまうのだ。うーん、ランニングってのは秋冬のスポーツなのだなあ、としみじみ…(苦笑)。

今の時期、早朝でも空気は温室の中のようにむわっとしている。そんな中を体内エンジン全開で走るんだからなあ。体感温度は何度ぐらいなんだろう…。
今日は特に汗の量が凄かった。全身から滝のように汗が流れているのはもちろん、シューズの中までまるで水たまりの中に突っ込んでしまったかのように、汗でびしょびしょになってしまったのには自分でも驚いた(苦笑)。

この時期のトレーニングはつくづく難しいと思う。ビルドアップ走をしようと思ってても、後半スタミナ切れで結局“なんちゃってペース走”になってしまうし、LSDをやってるつもりでも、ハタから見ればただのヘボヘボ走りにしか見えないだろう…(苦笑)。
夏場ってみんなどんな練習をしているんだろう?短い時間でも負荷をかけるようなスピード・トレーニングをしたほうがいいんだろうか?長い距離も走る気はあるんだけど、身体がついていかないという情けなさ。

僕のホームグラウンドは上野公園なんだけど、この時期はハスの花が綺麗。これを励みになんとか頑張っているところだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年8月 1日 (日)

【雑誌】考える人 2010年8月号 - 村上春樹ロングインタビュー -

51ijyexrtpl__sl500_aa300_ 雑誌受難の時代を反映してか読むに値しない軽薄な企画が氾濫する中、これは近年まれに見る濃厚な特集だと思った。
作家・村上春樹を緑濃い箱根の老舗ホテルに3日間幽閉し、じっくりと話を聞いた貴重な記録。インタビュアーを務めたのは、新潮社の誇るベテラン編集者でこの雑誌の編集長でもある松家仁之氏だ。記憶に新しい1Q84の話はもちろん、小説家としてのキャリアのふり返りや生い立ち、村上春樹が一時暮らしていたアメリカの出版界や翻訳のこと、そして今後の展望まで盛りだくさんの内容。
冒頭で氏が述べているとおり、このインタビューで話されたことは“解説”ではない。作品というフィルターを通して、村上春樹という人間が小説家としてどんな姿勢で臨み、今この時代に何を考えているかが浮かび上がってくるようなものになっている。

村上春樹の話は相変わらず理路整然としている。この人のインタビューを読んでいていつも僕が感心してしまうのは、常に自己と作品を冷静に観察し、作家としての立ち位置はもちろん、自身の属する世代意識や自身の経験値をも正確に見据える冷静な目線を持っていることだ。それがあるからこそ、あれだけスケールの大きな小説でもテーマがぶれず、時代に対する有効な投げかけを内包する作品が書けるのだろう。
村上春樹の小説の魅力は、そこには“ただ優れた小説がある”だけで、作者の個の発露や自我を感じさせる部分がほとんどないことだと僕は思っている。僕らが学校で教わってきた読書の方法として、本を読むことによって自我と出会うとか、自己を発見するために本の力を借りるなんてことを再三言われてきた。その影響はとても大きく、最近の日本の小説家なんか、小説としての構築の度合いより自我をどう作品に挟み込んでいくかを優先しているようなものがとても多いと感じる。村上文学にはそれが一切ない。繰り返すが、そこにあるのはただ圧倒的な小説世界だけなのだ。その完成度、小説自体の持つ力の大きさだけで、読者を完璧に圧倒してしまう。それが本来の小説の姿なのだと思う。
このインタビューの中で少年時代の読書体験の話になった時、夢中になった作品として、村上春樹は「カラマーゾフの兄弟」や「戦争と平和」などの19世紀文学の名前を挙げていた。さらに歴史少年でもあって、中央公論社の「世界の歴史」をよく読んでいたとも…。この話は、村上春樹の小説世界がどこからやってきたかを知る上でとても重要な話だと思う。そう考えていくと、「ねじまき鳥クロニクル」の中にノモンハン事件が挿入されていたり、小説における文体が一人称から三人称へ移り変わっていったことなどがとてもよく理解できるのである。

その他にも、物語の間口と奥行きの話、メタファーの活用と描写の話など、このインタビューには村上文学を愛読するものにとって貴重な話がたくさん散りばめられている。
個人的に心を打たれたのはエルサレム賞に関すること。この受賞が発表された時、パレスチナを弾圧するイスラエルからの賞なんてなんで受けるのかという批判がマスコミを中心に沸き起こった。だが、氏はあえて賞を受け、後に「壁と卵」と呼ばれることになった感動的なスピーチを行った。その当時の状況が改めて氏の口から語られたのだ。当時もその勇気あるスピーチにとても感動したのだが、これを読んで改めて村上春樹という文学者の毅然さに涙が出そうになってしまった。

とにかく重厚な特集である。挿し込まれた写真は、写真家が父の形見として所有していたハッセルブラッドで撮影したというモノクロームのみ。それらは、写真家の家の小さな暗室で一枚一枚じっくりと焼かれたものだという。デジタル全盛の中、こんな丁寧な仕事は珍しい。
総ページ数100ページ近く。この部分だけで単行本にしたっていいぐらいの内容だ。村上春樹の小説に影響を受けてきた人はもちろん、この作家に興味がなかった人でも、読めばきっと何かを感じることだろう。
後付けを読むと、この雑誌の創刊以来ずっと携わってきた松家編集長は、この号をもって身を引くらしい。松家さんは新潮社も退社するらしく、正に退路を断った一世一代の気持ちでこの特集に臨んだことがうかがえる。

雑誌が売れない時代といえど、作り手に情熱があればこれだけのことができるのだ。
脱帽するしかない。プロの仕事を見せてもらった。どの世界にも真の仕事人は存在しているのだなあ…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年7月 | トップページ | 2010年9月 »