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2010年8月 3日 (火)

存在の限りない希薄さ ~「向日葵の咲かない夏」と「ボトルネック」を読んで~

Photo_3Photo_4最近話題になっている若手ミステリ作家の小説を、立て続けに2冊読んでみた。
結論。全然面白くない(苦笑)。と言うか、なんだかものすごく後味が悪いのだ。不快と言ってもいいぐらいの読後感。なんなんだろう、この気持ちの悪さは…。

読んだのは、道尾秀介の「向日葵の咲かない夏」と米澤穂信の「ボトルネック」だ。

前者のあらすじはこんな感じ。明日から夏休みを迎える終業式の日、主人公は先生に頼まれて欠席した級友S君の家を訪ねる。そこで彼は衝撃的な光景を見てしまうのだ。S君は部屋の中で首を吊って死んでいた。そして、事件発覚後なぜか彼の死体は忽然と消えてしまう。しばらく経つと、S君はクモに姿を変えて(!)主人公の前に現れ、「僕は殺された…」と告白する。主人公は、クモに変わったS君と妹のミカの3人で、事件の真相を暴くために事件を追い始める。そんな夏の物語だ。

一方の「ボトルネック」は、主人公がいきなり最初から死んでしまう。亡くなった恋人を追悼するため石川県の東尋坊を訪れていた主人公は、不慮の事故で断崖から墜落してしまうのだ。ところが、死んだと思っていた主人公が目を醒ますと、そこは見慣れた金沢の街の公園のベンチだった。不可解な思いで自宅へ帰った主人公を不審そうに迎えたのは、いるはずもない「姉」。やがて、彼は自分が存在していない“別の世界”に迷い込んでしまったことを知る。そして、彼はそこで発見する小さな“違い”が、すべて自分の存在を介して生じているという事実を知ってしまい、自身の存在価値を疑い始めてしまうのだ。元の世界に戻ろうとしていたというのに、物語が進むにつれて主人公が、自分は生まれなかった方がよかった人間なのだと思い込んでしまうのが読んでいてとても辛い。そんな小説だ。

ミステリーだから結末を明かすことはできないけれど、この2冊はどちらも全く救いがないような結末を迎える。少なくともそれは僕にとって読書のカタルシスをもたらすようなものでは全くなかった。僕が背筋を寒くしたのは、なぜこんな気持ちの悪い小説が若者を中心にこれほど売れているのか、と考えてしまったからだ。

二つの小説に共通するものは“死”の色濃さと、自身の存在価値の希薄さだ。この小説の主人公はどちらも思春期手前の少年なのだが、2人とも両親の不仲や兄弟との折り合いの悪さなど家庭内に問題を抱えている。そして、限りなく退屈に思える学校生活の中でなんとか日々をやり過ごしているのだ。彼らが持つ未来への展望も、決して明るいものとは思えない。僕から見れば、どちらの主人公もキラキラした青春を謳歌しているようには見えないのだ。
青春というのは決して爽やかで甘いだけではないとは思う。むしろ、そのど真ん中では悩みも多いし、本当は楽しいことより辛く苦しいことの方が多いのではないか。キラキラした青春なんて絵空事…。それはオレにもよくわかるし、この2つの小説はそんなリアルな青春像を冷徹に描き切っていることが指示れているのかもしれない。
それでもやっぱり釈然としない。こんなんでいいのだろうか…。ミステリというエンタティメント分野の小説ですらこんな痛々しい青春が描かれていて、それが支持されてる今の日本って、なんかてとても寂しい社会だとオレは思ってしまうのだ。

道尾秀介、1975年生まれ。米澤穂信1978年生まれ。2人の作家の“死”に対する似たようなスタンスは、今の若者たちが抱える得体の知れない空虚感を反映したものなのかもしれない。

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コメント

東尋坊は福井県です、念のため(笑

投稿: 福井出身 | 2010年8月 5日 (木) 16時31分

◆福井出身さん

>東尋坊は福井県です、念のため

ごめんなさい。実は僕、あの辺土地勘ないんです。金沢は行ったことあるんですけどね…。

投稿: Y.HAGA | 2010年8月 5日 (木) 20時28分

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