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2010年10月

2010年10月23日 (土)

Life goes on

学生時代の友人が突然この世を去った。

今週初め、彼の奥さんから突然の報せが入った。自宅で頭が痛いと訴え、病院に運ばれて一週間闘ったのだが遂に戻ってこなかったというのだ。死因はクモ膜下出血だった。

あまりにも突然であまりにも早すぎる死。今日は彼との最後の別れとなった。
こんなに辛い葬儀は初めてだ…。享年44歳。あいつの無念さを思うと胸が張り裂けそうな思いがする。
一粒種の息子にいたってはまだ8歳。これからますます父親が必要な年頃になってくるだろうに…。彼がボーイスカウトに入っていることがせめてもの救いか。父親代わりのリーダーのもとで、逞しい男の子に成長することを願って止まない。

あいつは敏腕の経営コンサルタントとして全国を飛び回り、会社からも将来を期待されていた男だった。
葬儀の場には、彼が関係していた会社の社長さんもたくさん来ていた。ある社長の話では、彼と出張した帰りの新幹線の車中で、あいつは小さな子供を連れたお母さんににっこり笑って席を譲ったそうだ。それが倒れる2日前の話。きっと自分も疲れていただろうに…。そういう奴だったのだ。

参列者には学生時代の友人たちがたくさん集まった。こんな時にしか集まれないってのは、なんて皮肉なことなんだろう。でも、それもしょうがないか。みな一様に歳を重ね、それなりに責任を負って日々を送っているのだから…。時間をもてあましていた学生時代とは違うのだ。バカばっかりやっていたオレたちも、いつの間にかこんな年回りになっていたってことなんだろう。
でも、それでもオレはしみじみ思わずにはいられない。これからは、会えるときには万難を排してみんなと会っておこうと。だって、自分も含めて明日は何があるかなんて誰にもわからないのだから…。

それにしても、あいつはオレたちの中では一番「死」から遠い存在に思えたのに…。本当に悲しく、やりきれない。社長賞なんてもらったってしょうがねえじゃねえかよ!とにかく生きていて欲しかった…。
残された奥さん、息子さんのことを思うと不憫で不憫で仕方がない。オレも、どんなに不様でも、とにかく生き続けなきゃダメだ…。強くそう思った。

どうぞ、安らかに。
またいつか会えることを信じて。

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2010年10月17日 (日)

初ハーフマラソン。1時間51分15秒。

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いよいよこの日がやって来た。人生初レース。ハーフマラソン21.09キロを走るのだ。
前の晩は緊張で眠れなくなるんではないかと思ったが、ベッドに入ったら5分で爆睡。どこまでも単純にできてるなあ、オレ…(苦笑)。でも、5月の中旬からオレなりにやれるだけのことはやったのだ。後は野となれ山となれ。そんな気持ちからか、自分でも不思議なぐらい心は冷静だった。

会場の荒川河川敷に着いてまずはぶったまげた。なんなの、この人の多さは!一瞬ここはフジロックかと思ったぜ(笑)。世の中のマラソンブームってのはスゴイんだなあ…。オレの出るハーフマラソンの部も9000人強の人間がエントリーしているという。

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自分の目標はまずは完走だ。何が何でもこれだけは死守。たとえどんなアクシデントがあっても、這ってでもゴールまで帰ろうと決めていた。そして、あわよくば2時間を切るタイムで帰って来たい。そのためには1キロあたり5分20秒以内でラップを収めていこうと作戦を立てていた。
ところが、スタート地点は人が多くて大混雑状態。レースの初っ端はそこから抜け出そうと焦ってしまい、当初考えていたよりもかなり速いペースで飛ばしてしまった。最初の1キロこそ5分15秒だったものの、その後は1キロ5分台前半のラップを刻みだす。これは今の自分の実力では明らかにオーバーペースだ。でも、息は上がっていないし足も軽い。ならばと安易に作戦変更。“このまま行けるだけ行ってしまえ!作戦”をセレクト(笑)。ま、これが後々失敗だったことがわかるんだけどね(苦笑)。

それにしても暑い。10月とは思えない暑さだ。オレは河川敷を走るのは初めての経験なんだけど、河原ってのは日陰が全然ないんですね…。こんなことならタンクトップで走れば良かったな…、なんて思いながら黙々と足を動かす。だんだん周りの景色を楽しむ余裕も出てきて、10キロまではかなり快調なペースで走れた。

しかし、15キロを過ぎたあたりからガクッとペースが落ち出した。実は、練習の時でもいったんペースを決めたらずっとそれを保っていられるのが自分の特徴だと思っていたんだけど、この日のラップはバラバラで4分50秒台から5分10秒台までを行ったり来たり。これは参加者が多くて抜いたり抜かれたりしていたことも関係していたんだろう。そんなこんなで後半はかなり体力を消耗していることに嫌でも気付かされることになった。それと前半飛ばしたツケがここで急にきた。とにかく足が動かない!おまけに燦燦と照り付ける秋の太陽…。こりゃあ、大変なことになったな、と思った。
練習だったらここで走るのを止めてしまったかもしれない。でも、オレはこの日、絶対に止まったり歩いたりはしたくなかったのだ。だって、これはマラソン大会でしょ?仮にもレース。歩いたり休んだりするものではないはず。それに“完走”は走り切った人だけに与えられる称号だと思うのだ。途中に歩きを入れてしまっては“完走”ではない。だから、とにかく走り続ける…。それだけを頭に足を動かした。

17キロ以降は本当に苦しかった。冗談抜きにキツかった。それでもなんとかラップは5分30秒台を保っていられた。これは、はっきり言ってザ・ド根性以外の何者でもない。もう技術もへったくれもなかった。何だかこの時点でオレはもう訳が分からなくなってきていたんだと思う。何が自分を動かしているのか、何で自分がお金を払ってまでこんなキツイことをしているのか…。
ただ、明らかに言えることは、沿道からの見知らぬ人からの声援が確かな力になったことだ。オレはマラソンってのは自分との孤独な戦いだと思っていた。でも、実際は違ったのだ。オレは独りじゃなかった。一緒に走っているランナーからも、沿道から声援をくれる人からも、大会を運営している地域の人からも、猛烈な連帯感を感じた。みんな一緒に走っている。みんな一緒に汗を流し、胸を焦がしている…。白状すると、そんなことに気が付いて後半はじわっと涙が出てきたんだよなあ…。
最後はどうやって走っていたのか自分でもよく憶えていない。とにかくゴール!左腕の時計は1時間51分15秒を記録していた。目標達成!練習での自己ベストより2分も速かった。ついでに言うと、山口洋の初ハーフのタイムよりも4分以上速かった(笑)。

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ゴール後、ふくらはぎが痙攣するなんていうオマケも経験しつつ、余韻に浸る。初レースにしては、でき過ぎなぐらい良い結果を手中にできたんじゃないかな…。
けれど、このタイムは前半の貯金を使ったもので、後半バテバテでゴールしたことを思えば、もうちょっとペース配分を考えないといけないと痛感した。実は今秋は来月にもう一つハーフを走る予定なんだけど、その時は回りに惑わされず、自分のペースをキープしようと思う。全体を通して5分20秒前後のラップで21キロ走り切り、もう少し余裕を持ってゴールに帰れれば…。
ま、それはこれからの課題。せめて今日ぐらいは自分で自分を褒めてやろう(笑)。

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2010年10月11日 (月)

仲井戸“CHABO”麗市 with 早川岳晴 Tour 2010 GO!! in SHIBUYA-AX / 2010年10月09日(土)

Photo 今回の「GO!!60」ツアーは、これまでCHABOが行ってきた全国ツアーのどれとも違うタッチがあったと僕は思う。それは、一言で言うと届けるものの重さの違いだったのではないだろうか。CHABOは全国各地に音楽だけを届けたのではなかった。少年の頃、ビートルズやブルースで音楽と出会ってから、それらを片時も離さずに生きてきた自分という人間のありのままの今の姿と、これから歩いてゆく道標をも人々の心に残そうと、そう思っていたように僕には思えてならないのだ。

この日はその60回の公演の千秋楽だったのだが、セットリストは他の59箇所とほとんど同じだった。これも当然といえば当然だったんだと今にして思う。
“Born in 新宿”で自分の立ち位置を確認し、“ホーボーへ”でロック世代の立ち位置を肯定し、ポエトリーリーディングや観客とのコール&レスポンスを挟み、親友が去ったことについて言及し、“My R&R”で戦後生まれのロック世代すべてを包み込む壮大な決意表明をしていくというライブの構成。これは最初からこのツアーでのステージをこういうものにしようというCHABOの強い意志に基づいて緻密に構成されていたのだと思う。
言い方を変えれば、このツアーで演奏された曲こそが、60を迎えたCHABOの世界観そのものなのだ。そんな濃い夜を、今年CHABOは60回も各地のファンの前で繰り広げたのである。

この日のAXで、千秋楽らしい演出は最初だけ。ツアーでまわった全国59ヶ所のスナップがスライドで上映されたのだ。雪の北海道から春のMANDALA、ついこの前の東北など、こうして見るだけでも60という回数の重さがよく判る。

ただ、選曲こそほとんど同じだったが、ライブの時間は軽く4時間を超えた。それは、ライブを重ねることでCHABOと早川さんの演奏がこなれ、インプロビゼーション部分が長くなったこともあるが、何よりMCが長くなったことが大きい。もともとCHABOはライブでMCをよく挟む方だと思うのだが、今回のツアーはいつも以上にMCが多かった。それはそれだけ今回のツアーで直接伝えたいことが多かったからなのではないかと思う。

特に、清志郎と作った曲をやろうかやるまいか葛藤する気持ちを率直に語る時、僕は毎回胸が締め付けられそうな気持ちになった。でも、僕がどんな気持ちを持とうと、それは所詮一RCファン、一清志郎ファンとしての気持ちでしかないのだ。どんなに思い入れがあろうと、かけがえのない親友を失ったCHABOの気持ちとは悲しみの濃さが違っている。それはCHABOもわかり過ぎる位わかっているはず。でも、それでも清志郎の曲、RCの曲を全くやらないのもおかしいだろうとCHABOは考えたのだ。CHABOは、“あえて”「毎日がブランニューデイ」と「激しい雨」のワンフレーズ、そして「君が僕を知ってる」を毎回演奏したのだ。

「君が僕を知ってる」を紹介する時のCHABOの誇らしげなMCを僕はずっと忘れない。「清志郎はこの曲を紹介する時こう言っていたんだ。“これから演奏する曲は、日本の生んだミディアムテンポのR&Bの最高傑作です”」CHABOはずっとそう言って、このツアーで観客と一緒にこの曲を歌ってきた。それは、清志郎の作ってきた歌をずっと歌い継いでいくことを決意したかのように僕には思えた。
この日は間奏のギターソロの話も強く心に残った。この曲、オリジナルのKEYはDだったのだが、それだとあまりにも高くて歌えないから、KEYをAに下げたのだという。そうすると間奏のギターもDからAにしなければならないので、それをCHABOは4ヶ月必死で練習したのだというのだ。この日、CHABOは曲が終わった後、もう一度丁寧にその間奏を弾いた。そして、天を仰いで「清志郎、どうだ? 弾けたぞ!」と叫んだのだ…。まったくもう、なんて男なんだよ、CHABO…。
CHABOはこの曲の間奏と「雨上がりの夜空に」のイントロの二つこそが、自分のRCサクセションにおける最大の貢献だといっていた。謙虚すぎるとオレなんかは思うけどね…。

アンコール1曲目、「ティーンエイジャー」も、冒頭に書いたような気持ちでいたせいか、今日はとりわけジンときた。
Photo_2 そして、ここからがサプライズ。 CHABOが早川さんを呼び込もうとしたタイミングでHappy Birthdayが流れ、宮沢和史、浜崎貴司、寺岡呼人、吉田健、そして各地のイベンターが次々にステージに姿を現す。そして、最後に紹介されたやせっぽちの若者にひときわ大きな拍手が送られた。その若者こそ、清志郎の愛息・タッペイ君だったからだ。
蘭丸が運んできた大きなバースディケーキの上に点る60本のロウソク。それをCHABOは照れくさそうに吹き消してゆく。最後に蘭丸の音頭で会場全体で「ハッピーバースディ」の大合唱。
こんなのダサイって思うかな?20年前の僕だったら間違いなくそう思っただろう。もしかしたら、10年前の僕だって斜に構えてこの光景を見ていたかもしれない。ロックにバースディーケーキ?還暦のロッカー?なんじゃそりゃ?って…(苦笑)。
でも、今は違う。人は誰でも平等に歳をとる。それはどうしようもないことなのだ。そして、歳をとるということはやっぱり大変なことなのだと最近はつくづく思う。清志郎は還暦を迎えられなかった。ジミ・ヘンドリックスやジョン・レノンは僕の今の歳にすらなれなかった。そんな中、どうにかこうにか渋谷のこの日に辿りつき、皆でハッピーバースディが歌えている…。それだけでも人生には意味があるんじゃないのか?昔の人はそういう生き難さとか生き続けることの尊さとかをよく知っていたんだろうなあ…。還暦の意味なんて、これまであまり考えたことはなかったけれど、人生の節目をこうして盛大に祝うのは尊いことなんだと最近は思うようになった。

そしてCHABOは叫んだ。曲はシド・ビシャス・バージョンでの「MY WAY」。客席、やや引いてました(苦笑)。でも、オレは燃えたぜ!だって、これこそCHABOがこの日一番やりたかった曲なんじゃないかと思ったからね。CHABOはダックウォークまで繰り出して大ハッスル。いいぞ、CHABO!
そして「雨あがりの夜空に」。弾かれるように総立ちになる観客。R&Rだった!

「ガルシアの風」の後は、いつもどおりにスタッフの紹介なのだが、これは千秋楽らしく、このツアー全体でお世話になった人を丁寧に紹介していったから、いつも以上に長く感動的なものになった。
最後の最後に紹介されたのは、伊藤恵美社長。「エミちゃん、俺もうちょっと歌ってみるからさあ…。これからもよろしく頼むぜ~!」っていう言葉には、なんだか無性に感動したなあ…。

最後の最後、星空の演出をバックに歌われた「Hobo's Lullaby」は本当に美しかった。ライブでは中盤に歌われる「ホーボーへ」とこの曲は対になっているんだと僕は思っている。僕らすべてのロクデナシをやさしく包み込むような素晴らしいエンディング。そして、これで本当にツアーが終わってしまうんだという切なさが去来し、なんだか無性に胸がじんじんした。
「What a Wonderful World」が流れ出すと、お客さんはいつもより早いタイミングでスタンディング。それだけ訴えかけるものがあったのだろう。
ステージで、CHABOと早川さんは満面の笑顔を浮かべていた。涙もろいCHABOもこの日涙はなし。完走したマラソンランナーのように爽やかで誇らしげな笑顔だった。
ステージ後方のスクリーンには、CHABOの子供の頃の写真と、還暦の祝着を着てギターを手にしたCHABOの写真が並べて投影される。そこにビートルズの「Rock And Roll Music」と「I Wanna Hold You Hand」が続けて流された。MY R&R。これからもロックを傍らに生きていく…。そんなCHABOの決意表明ともとれるSEだった。
演奏時間4時間10分。素晴らしいライブだった。CHABOという男の生き様をとくと見せてもらった。

ミック・ジャガーは若かりし頃「45歳にもなって“サティスファクション”をまだ歌ってるぐらいなら死んだ方がマシだ」という有名な発言をした。しかし、実際のミックは、45はおろか67になった今でもサティスファクションを歌い続けている。それを“ノスタルジック”とか“老いぼれ”とせせら笑う若いロックファンもいるだろう。だが、僕はミックを笑えない。断じて笑えない。だって、今年45になった僕自身が、今なおかなりの頻度でサティスファクションを聴いているのだから…。
だけど、僕はミックを笑う若いロックファンのことだって間違っているとは思わないし、かつてのミックの発言を浅はかだとも思わない。だって、現在の若いロックファンも、若き日のミック・ジャガーや30年前の僕も、その時は45になった自分の姿なんて全く想像することができなかったのだ。

時間は誰にも平等に訪れる。気が付いたら僕は今、その「想像もつかなかった」世界に立っていた。忌野清志郎がこの世に存在せず、CHABOが還暦を迎えていて、そんなCHABOの姿を客席から見つめている45の自分がいる世界。うーん、こんな時代が来るとは夢にも思わなかったぜ…(苦笑)。
60になったCHABOのライブを見ていて、僕は切なさともおかしさとも違うなんとも言えない不思議な感覚を味わっていた。ライブを見ていてこんな気持ちになるのは生まれて初めての経験だ。
きっと、これが歳をとるということなのだろう。わずか45年しか生きていない僕だけど、そんな僕でもそれなりにヘヴィな出来事を潜り抜けてきた。それらの一つひとつが、ステージで歌われたCHABOの歌と重なり、走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

正直言って、今こうしてこの時代に生きていることが幸福なのか不幸なのか、それすらも僕にはよくわかっていない。だが、もしかしたらそれは今はわからなくてもいいことなのかもしれないとも思う。だって、ヘヴィな出来事も、それに起因する様々な感情も、歳を経てきたからこそ味わっているものであり、それ自体が初めての経験なんだから、そんなものをどう扱って良いかわからないのは当たり前ではないか。だったら細かい判断は後回し。とりあえず今をあるがままに受け入れ、とりあえず必死で今を生きていく。そうすれば生きる意味なんて後からついてくる。いつかきっとわかると確信できる。今はそんな予感だけで十分なんじゃないだろうか?
もしかしたら、ステージの上で一心不乱にギターをかき鳴らすCHABOもそんな風に考えているのかもしれない。僕はふとそう思った。昨年のあの哀しい出来事は、CHABOの心に深い悲しみの陰を落としてきたし、それは今だ癒えていないだろう。でも、CHABOは自身の音楽の軌跡を見せるのと同列に、その悲しみの色を纏うことを厭わなかったのだ。今年は例年以上に積極的にライブを行ったCHABO。フェスにもたくさん出演し、ツアーでは全国各地で歌い、叫び、ギターを弾いてきた。それはなんと誠実で美しい生き方だろう…。

還暦おめでとう、CHABOさん。こんな素晴らしいライブを60本もやってきたあなたを、僕は心から尊敬します。
そして、大怪我にも負けずにライブを続けた早川岳晴さん。あなたにもCHABOと同じぐらいのリスペクトを。このツアーは早川さんなくして成り立たなかったと僕は思います。

僕らは生きているのではない。いなくなってしまった誰かのためにも、生きなければならないのだ。ステージのCHABOを見ていて強くそう思った。
そうですよね?Dear 忌野清志郎。

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2010年10月 5日 (火)

R.I.P. 角野恵津子様

リクオのツイッターで突然の報せを知った。

僕は今猛烈に悔しい。角野恵津子さんという音楽ライターはずっと前から知っていたのだが、角野さんが“あの人”だとはずっと気が付かなかった。ライブハウス「晴れたら空に豆まいて」のスタッフであり、リクオやソウルフラワー・アコースティック・バルチザンのライブなどでもたびたびお顔をお見かけしていた“あの人”。“あの人”が角野さんだったとは…。

角野恵津子さんのお名前は、80年代からさまざまなミュージシャンのインタビューで見掛けてきた。角野さんのフィールドは、「パチパチ・ロックンロール」みたいなミーハー誌からコアなファンクラブの会報まで幅広かったけど、僕にとってはやっぱりCHABOや麗蘭に関するものが印象深い。嵐のような80年代が去り、メジャー誌が掌を返すようにベテランとなった人たちを取り上げなくなっても、角野さんは相も変わらず彼らを追い続けてくれ、本当に心強く思ったものだ。
そう、角野さんの目線は常に一貫していたのだ。彼女の目には、売れている・売れていない、メジャー・マイナーはまったく関係なかった。ただひたすらに良質の音楽を作り続けている人を、ベテラン若手の区別なく応援し続けていた。
90年代に入ると、メジャー誌に載るインタビューのほとんどは、レコード会社とのタイアップだということに、音楽ファンはうすうす気付き始めた。だが、角野さんはそんな提灯記事を書くようなことも一切なかった。好きなミュージシャン、信頼できるミュージシャンだけを取り上げ、やがてメジャー誌から声がかからなくなっても、自ら作り上げたウェブサイトで良質な情報を僕らに送り続けていた。それは決して楽な生き方ではなかったと思う。ウェブの日記では、アルバイトをしながら音楽ライターとしての仕事を続ける日常が記されていたりして、なんと気骨ある女性なのかと思ったものだ。

個人的なことを言うと、CHABOの2001年10月のAXのソロライブのレポを、僕が当時やっていたファンサイトに書いた時、偶然それを角野さんが読んでくださったことがきっかけで、何度かメールのやりとりをしたことがあった。愚かな僕は、彼女主催のイベントにも何度か誘われていたというのに、何かどうでもいいような理由のために一度もそこに行くことがなかったのだ。
そして、まさかライブハウスで何度もニアミスしていたことも、角野さんが人知れず癌と闘っていたことも、僕は何一つ知らなかった。なんてオレは能天気なんだろう…。なんてオレはバカなんだろう…。
僕は角野さんのイベントに遂に行けなかった(行かなかった)ことを、すぐ傍にいらしたのに挨拶一つできなかったことを、一生後悔し続けるだろう。

バンドブームなんていうバカみたいな風が吹き荒れ、80年代に活躍した良質なミュージシャンたちが軒並みメジャー誌から干されていたころ、角野さんのサイト「恵津子の部屋」は、本当に最後の砦のような存在だった。このサイトは角野さんの生きた軌跡のようなものだと思う。願わくば、彼女の生きた証として永遠に残してほしい。

また一人、癌は美しい人を遠くに連れて行ってしまった。
角野さんのご冥福を謹んでお祈りいたします。(一方的にですが)本当にお世話になりました。どうぞ安らかに…。

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2010年10月 4日 (月)

ハーフマラソン1時間53分58秒。(未公認です…(笑))

この夏は忘れられない夏になった。これほど気合を入れて運動をしたのは何十年ぶりか…。土砂降りの雨でも降らない限り、3日と空けずに走り続けた。ぶっ倒れそうな暑い日でも、滝のように汗をかきながら淡々と脚を動かした。まるで部活動に燃える高校生のような夏(苦笑)。
7月の上旬に膝を故障してからは、心を入れ替え、それまでいい加減だったストレッチも真面目に朝晩やるようにした。おかげで故障しがちだった左膝は、このごろはちょっとやそっと追い込んでもまったく痛まなくなった。体躯は引き締まり、贅肉は脇腹にわずかに残る程度。オレも少しはランナーらしくなってきたんだろうか…。

気が付いたら、9月の月間走行距離は200キロを超えていた。思い返してみたら、異常な暑さだった8月だって月に180キロ走っていたのだ。はっきり言って自分でもバカだと思う(笑)。でも、上には上がいるのだ。シリアスランナーは月に500キロも走るという!いくらなんでもそりゃあ無理。学生や無職だったらともかく、オレには家族がいてサラリーマンもやってるんだから…(苦笑)。

上を見ればきりがない。でも見てしまう。はっきり言って不安なんです、オレ。果たしてこのぐらいでハーフマラソンを走り切れるものなのだろうかと…。
雨が降ると、休めるという安堵感より不安のほうが大きくなる。走るのを2日休むと、それだけで走力ががくっと落ちてしまっているのではないかと、ネガティブなことばかり考えてしまうのだ。
実は、夏にハードワークをやったせいか、このところはどんよりとした疲労が抜けずにいる。なので、この週末はきっちり休もうと思ったのだが、やっぱり不安な気持ちが湧き上がり、いても立ってもいられなくなるのだ。疲れはサプリメントを飲めば抜けるだろうとむりやり自分を納得させ、結局日曜日も走りに出てしまった。

僕が目指している一回目のハーフマラソンの大会まで2週間ちょっと。長い距離を踏める時間はそうそうない。ハーフとほとんど同じ距離、21.08キロをレースペースで走ってみることにする。
初レースの目標は、もちろんまずは完走。でも、これは最低条件。できれば2時間を切るタイムでゴールしたい。当初1キロあたり5分30秒で走ろうと思っていたのだが、これだと2時間を切ることは難しい。なので1キロのラップが5分20秒以内に収まるように走り込む。家→上野公園14周→家というコースをひたすらRUN。

結果、1時間53分58秒。未公認記録では2時間越え達成だ(笑)。
やっと気持ちが落ち着いてきたよ…。ここまで来たら、もう自分を信じることにした。スピード練習はそろそろ控えてコンディション作りに専念しよう。ここで故障したら元も子もないからね…。

ランニングは完璧に独りで行うスポーツ。そこが僕はたまらなく好きだ。完璧に自由で限りなく孤独。行くのも止まるのも、まったくの自己責任。
本番まであと少し。45の孤独なステージが待っている。

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