Life goes on
学生時代の友人が突然この世を去った。
今週初め、彼の奥さんから突然の報せが入った。自宅で頭が痛いと訴え、病院に運ばれて一週間闘ったのだが遂に戻ってこなかったというのだ。死因はクモ膜下出血だった。
あまりにも突然であまりにも早すぎる死。今日は彼との最後の別れとなった。
こんなに辛い葬儀は初めてだ…。享年44歳。あいつの無念さを思うと胸が張り裂けそうな思いがする。
一粒種の息子にいたってはまだ8歳。これからますます父親が必要な年頃になってくるだろうに…。彼がボーイスカウトに入っていることがせめてもの救いか。父親代わりのリーダーのもとで、逞しい男の子に成長することを願って止まない。
あいつは敏腕の経営コンサルタントとして全国を飛び回り、会社からも将来を期待されていた男だった。
葬儀の場には、彼が関係していた会社の社長さんもたくさん来ていた。ある社長の話では、彼と出張した帰りの新幹線の車中で、あいつは小さな子供を連れたお母さんににっこり笑って席を譲ったそうだ。それが倒れる2日前の話。きっと自分も疲れていただろうに…。そういう奴だったのだ。
参列者には学生時代の友人たちがたくさん集まった。こんな時にしか集まれないってのは、なんて皮肉なことなんだろう。でも、それもしょうがないか。みな一様に歳を重ね、それなりに責任を負って日々を送っているのだから…。時間をもてあましていた学生時代とは違うのだ。バカばっかりやっていたオレたちも、いつの間にかこんな年回りになっていたってことなんだろう。
でも、それでもオレはしみじみ思わずにはいられない。これからは、会えるときには万難を排してみんなと会っておこうと。だって、自分も含めて明日は何があるかなんて誰にもわからないのだから…。
それにしても、あいつはオレたちの中では一番「死」から遠い存在に思えたのに…。本当に悲しく、やりきれない。社長賞なんてもらったってしょうがねえじゃねえかよ!とにかく生きていて欲しかった…。
残された奥さん、息子さんのことを思うと不憫で不憫で仕方がない。オレも、どんなに不様でも、とにかく生き続けなきゃダメだ…。強くそう思った。
どうぞ、安らかに。
またいつか会えることを信じて。
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コメント
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他人の私がコメントしていいのか迷いました。
私も数年前に、高校時代の友人を癌で亡くしました。
高校、大学、そして20代中ごろまではよく会っていたのに、就職、結婚、転職、転居と時が経つにつれ、自然に疎遠になってしまいまいした。
共通の知人から告別式の知らせが来たとき、その過ぎ去った時間の長さに、私はお別れに参列していいのか迷い、結局行かなかったのです。
その事を今はとても後悔しています。
あれから思い出すのは、休み時間におしゃべりをしていた教室や、二人で行ったライヴ、食べ放題のピザ屋、何時間も恋愛の相談にのってもらった喫茶店・・、アルバムをめくるようにその場面がよみがえってきます。
そんな事をどんなに時間がたっていても彼女に語り、見送ってあげればよかったと。
それから私もHAGAさんと同じように思うようになりました。
「これからは、会えるときには万難を排してみんなと会っておこうと。だって、自分も含めて明日は何があるかなんて誰にもわからないのだから…。」
そうですね。
どうしているかな、連絡してみようかなと思ったときは、あれこれ考えず行動しています。
大人になればなるほど実感するのは、何も背負うものがなかった頃
に出会って一緒に確かに歩いていた友人達は、どんなに時間をおいて再会しても、照れくさいこともあるけれど、大事な宝物なのだということです。
40代って、ついつい自分の健康が後回しになりがちです。
まだまだ若いと思っていても確実に体は年を重ねます。
どうぞ大事なご家族のためにも、HAGAさんもご自愛ください。
投稿: そらら | 2010年10月26日 (火) 17:30
◆そららさん
40代になって思うのは、やっぱり「死」の感覚が若い頃より身近になってきたな、ってことです。親しかった人であれ、メディアを介して見てきた人であれ、いて当然だと思っていた人が突然いなくなってしまうのは辛いですね、やっぱ。
今回の件は自分にとってかなり辛い出来事でしたが、何が何でも生きていかなきゃな、っていう前向きな思いも強く持ちました。だって、あいつは絶対もっと生きたかったと思うんです。僕らぐらいの歳で逝ってしまって“悔いがない”なんていうことは絶対にない。
僕は自分の残りの人生は自分ひとりだけのものじゃないと思うようになりました。彼のためにも死ぬまで生き続けようと思います。
投稿: Y.HAGA | 2010年11月 1日 (月) 10:13