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2010年11月

2010年11月28日 (日)

ホーボー・コネクション リクオ20周年記念イベント / 2010年11月27日(土)・28日(日) 下北沢 GARDEN

きねしおてー11/27(土)下北沢 GARDEN 前¥4800 当¥5100 開場18:00 開演18:30
【ゲスト】梅津和時、斉藤有太、鈴木亜紀、三代目魚武濱田成夫、Dr.kyOn、友部正人、ハシケン、広沢タダシ、三宅伸治、YO-KING(真心ブラザーズ)、羊毛とおはな

11/28(日)下北沢 GARDEN 前¥4800 当¥5100 開場18:00 開演18:30
【ゲスト】有山じゅんじ、石田長生、岩崎慧(セカイイチ)、ウリョン(cutman-booche)、ギターパンダ、多和田えみ、バンバンバザール、藤井一彦(The Groovers)、山口洋(HEATWAVE)
【サポート】朝倉真司(Per.)、坂田学、寺岡信芳(Ba.)

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今年の11月でCDデビュー20周年を迎えたリクオが、縁のあるミュージシャンを集めて、大阪、東京、福岡、名古屋でライブイベントを開催することになった。全公演主演者が違い、その数なんと総勢34組!ちょっとしたロックフェス並みだ。この20年間でさまざまなミュージシャンと共演し、数々のイベントに関わってきたリクオらしい企画だと思う。
本当は全公演観たいところだが、そうもいかず、僕は27・28日に下北沢で行われた東京公演2日間に行った。
ライブは2日ともまずはリクオが2曲ソロで歌い(「2人のワンダフルワールド」と「雨上がり」)、その後はゲスト+リクオでリクオの楽曲やゲストの曲を共演するという流れ。リクオの歌と演奏はもちろん、ゲストの奏でる音楽にも大きく心を動かされた素晴らしい夜だった。
2日間それぞれで心に残っている部分を書いておきたいと思う。

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11/27(土)、まずぐっと心を掴まれたのは、大阪のピアノウーマン・鈴木亜紀だ。彼女の歌った「夜の過ごし方 朝の迎え方」は本当に素晴らしかった。これはリクオの曲の中でもかなり色っぽい歌だと思うのだが、鈴木亜紀はこの曲を女性ならではのぞくっとくるような情感で奏でていた。彼女の持ち歌「クラゲの二人」も良かったなあ。僕はこういう豪快姉御的なキャラの中に繊細さが透けて見えるような女性が昔からツボ(笑)。音楽性はちょっと違うけど、なんだか70年代のSSWジュディ・シルを思い起こさせた。

ハシケン・ヴァージョンの「ソウル」は何度か聴いたことがあって、いつもこの人の誠実さ溢れる歌い方に感動していたのだが、この日のそれはとりわけ素晴らしかったと思う。三代目魚武濱田成夫を観るのは、数年前のCHABO BANDやSIONと一緒に出たイベント以来。ただ、あの時はポエトリーリーディング・スタイルだったので、ちゃんと歌うところを聴くのはこれが初めてだ。ソロアルバムでリクオが何曲か書いているそうだが、「アルバイト」という曲は胸に沁みた。言葉を叩き付けるような荒っぽいシャウトなのに、何でこんなに感動しちゃうんだろう。やっぱり表現者なんだなあ…。そんなことを思った。

YO-KINGはリクオのピアノをバックに、真心ブラザーズ時代の「マイ・バック・ページ」を歌ってくれた。僕はこれがくるとは夢にも思ってなかったので、うるうるしちゃって困った(苦笑)。大好きなんだ、この曲。“歌ってて自分もちょっとぐっときた”。YO-KINGは冗談めかしてそう言っていたが、あれは半分本当だったんだろう。“あの頃の僕より今のほうがずっと若いさ”。オレもそう思ってるよ、YO-KING。オレたち、90年代よりも今のほうがずっと若く、自分らしく生きてるよな…。

11/27(土)のゲストでとりわけ重要だったのは、梅津和時と友部正人だったと思う。梅津さんはリクオのデビューアルバムをプロデュースした人物。そして、友部さんはリクオが今やっているような、草の根のネットワークで全国各地に音楽を届けるスタイルを作り上げた人。要するに、二人のような先人がいたからこそ、リクオは今の活動スタイルが確立できたのだ。
僕は友部さんのちょっとぶっきらぼうな語り口が大好きだ。あれはシャイな部分の照れ隠しなんだと思う。リクオとはアルバム「Talkin' Blue」に収められていた「カルヴァドスのりんご」と、三宅伸ちゃんも加わって「はじめ僕はひとりだった」を演った。「はじめ僕は…」はとりわけ胸に響いたなあ…。この日はリクオの20周年を祝う日ではあったが、友部さんがずっと独りで歌い続けてきたからこそ、こうして今日この日にこれだけのホーボー・ミュージシャンが集まったのだ。そういう意味では、友部さんが撒いた種が、今ようやくこうして花開いたとも言えるのでは?そんなことも思ってしまったんだよな。

シャイといえば梅津さんもシャイな人。リクオにとっては恩人ともいうべき人物なのに、ぜんぜん偉ぶらないでいつものように飄々としてる。なんて素敵な人なんだろう。こういう大人にワタシはなりたい…(笑)
。MCでは、梅津さんがデビュー前のリクオをライブのゲストに呼んだ話を披露。リクオがPIT INNに出たのは後にも先にもこの時だけだそうだ。
いつも思うことだけど、梅津さんはキャンバスに絵を描くようにサックスを吹く。それは、梅津さんが歌詞をじっくり聞き込んでイメージを膨らませているからなんじゃないだろうか。この日リクオと共演した「同じ月を見ている」からは、ピアノ弾き語りとはまた違った情景が浮かんできた。
そして、忌野清志郎作詞・作曲の「胸が痛いよ」。リクオは多くを語らず、すぐに曲に入ったけど、二人の想いは痛いぐらいに伝わってきた。特に、リクオ…。彼は普段、あまり感情に流されて歌に向かうタイプではないと思うのだが、この時は思い切り深く歌の中に入り込んでいたと思う。

後半はDr.kyOnと斉藤有太が加わって、クレイジー・フィンガーズでの演奏。いやあ、まさかこの日にクレフィンまで見られるとは…。ものすごく得した気分!客席は最後には総立ちとなり、大盛り上がりでライブ本編が終了した。
アンコールがまた感動的だったんだよな…。出演者が全員出ての日本語詞での「I shall Be Reresed」には、なんか泣きそうになるぐらいに感動してしまった。

終わって時計を見てびっくり。なんと10時近い時間!このライブ、休憩時間を入れないでも、たっぷり4時間もあったのだ。

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11/28(日)、前日のライブがあまりにも素晴らしかったので、この日も期待に胸弾ませて下北沢に向かう。
2日目はサポートに朝倉真司、坂田学、寺岡信芳が入るし、ゲストもギタリストが多いことから、昨日よりも音数が増えるんじゃないかと予想。僕はクリアーなサウンドを堪能すべく、あえてステージサイド後方の席をキープした。結果的にこれは大正解。特に、リクオバンド+藤井一彦でプレイされた豪快なバンドサウンドは最高に気持ちよかった!

この日の若手で気に入ったのは、セカイイチの岩崎慧くん。いやあ~素晴らしいボーカリストです、彼は。リクオとの共演は小坂忠の「機関車」だったんだけど、若いミュージシャンがこんなに上手くこの曲を歌っているのを見たのは初めてだ。
こういう場面に遭遇すると、つくづく時代は変わっているんだなあって痛感する。毒にも薬にもならない音楽が巷には溢れているけど、素敵な音楽をやってる若者だってたくさんいる。ただ、これはライブハウスとか音楽の現場に実際にいないと気が付かないことでもある。少なくとも、ただテレビやPCの前にいるだけでは絶対わからない。某映画のセリフを借りれば“音楽はテレビの中で起きてるんじゃない。現場で鳴ってるんだ”ってとこだな(笑)。

ギターパンダこと山川のりをは最高だった。もう、腹の皮がよじれるかと思うくらい大笑いしてしまった(笑)。最高だぜ、ギターパンダ!とばせロック!イェーッ!いやいやいやいや、こちらこそイェーッ!(笑)
噂には聞いてましたが、ほんとに着ぐるみ着て出てくるんですね、この人。スタッフに支えられてヨロヨロとステージに現れたジャイアントパンダ、セミアコ片手にR&Rで攻めまくり、ピート・タウンジェントばりの風車奏法を見せるんだけど、なにしろパンダがやってるわけだから、そのミスマッチがたまらなく可笑しい(笑)。山口洋をはじめ他の出演者も楽屋から出てきて、その楽しいステージに大笑いしていた(笑)でも「とばせロック」とか、楽曲はどれもゴキゲンなのだ。いやあ~すごいじゃないの、ギターパンダ。これは絶対ソロのステージが観たい。イェーッ!いやいやいやいや、こちらこそイェーッ!(笑)
そんなギターパンダ、リクオと歌ったのは某山口洋も落涙寸前だったという、大阪のボッサ演歌ミュージシャン・カオリーノ藤原作の「人生の花」。最高に楽しくて面白くて、ポップでロックで最後にしんみりさせてもらった。楽しませてもらったぜ~ギターパンダ!イェーッ!いやいやいやいや、こちらこそイェーッ!(笑)

石田長生が出てくると場内の空気がとたんに関西テイストになった(笑)。一瞬で客席のムードをぱっと変えちゃうのはさすがだ。朝倉真司も加わっての「IKO IKO」はゴキゲンだった。リクオもお得意のセカンドライン・スタイルでコロコロとピアノを弾きまくる。朝ちゃんと石やんは今回初めて一緒にやったらしいが、とてもそうとは思えないぐらいに息はぴったり。この日の朝ちゃんはコンガを多用していて、その音色もこの曲のイントロにハマっていた。

藤井一彦を見るのはすごく久しぶり。たぶん、Leyonaがデビュー間もない頃に原宿でやったイベントにグルーヴァーズが出たのを見て以来だと思う。一彦、すごく良かったぞ!ブライトなギターのトーンに心を鷲掴みされてしまった。
リクオとやったのは、まず渋いところでマーク・ベノのカバー。しんみりしたミディアム・ナンバーだが、これがカントリーテイストを感じさせる如何にもロックンロール・ギタリストの弾くほろ苦ギターだった。元ロック小僧はこういう展開に非常に弱い(苦笑)。たとえばローリング・ストーンズのアルバムには、派手なR&Rナンバーの隙間に渋いバラードがさらっと入ってるのがあって、そこで聴かれるキース・リチャーズのド渋なギターにはぐっとくるでしょ?この日の一彦のギターは正にそんな感じだったのだ。
2曲目は寺さんをはじめとするサポートミュージシャンも加わり、完全なバンドスタイルに。これがもう、最高にカッコよかった。曲名は失念しちゃったんだけど、豪快なスワンプロックを存分に堪能。素晴らしかった!一彦のギターには一点の曇りもない。タフでラフでルーズで…。これはグルーヴァーズ、近いうちにちゃんと見なきゃなあ…。

休憩明けの2部は、朝倉真司、坂田学、寺岡信芳が加わり、セツナグルーヴ・スタイルで幕を開けた。
多和田えみとの共演では、今年横浜で聴いた「スローバラード」を再び演奏。この二人がやるとちょっとジャジーなテイストになるところが僕は好き。清志郎の真似をしたってしょうがないし、こういう昇華の仕方は自然なミュージシャンシップが現われていて、とても素敵だと思う。

2部ではバンバンバザールとのステージがとても印象に残った。この共演はほとんどリハなしだったらしいが、メドレーで日本のフォーク&ロックの名曲を次々に繋げていき、先人のホーボー・ミュージシャンへのリスペクトがいっぱいに感じられた。もしかしたら、2日間の中でこのパートが一番“ホーボー・コネクション”という言葉にフィットしていたかもしれないと僕は思う。
オレ、リクオとバンバンバザールの活動スタンスはとてもよく似ていると思うんだよね。大手の流通システムに頼らず、ハンドメイドで音楽を作って自分で聞き手の手元に届けるやり方。そういう自由さはステージングを観ていても感じる。バンバンのライブには、ラフなスケッチだけを元にやってるような自由さがあるのだ。

その自由の風は、そのまま有山じゅんじのステージに引き継がれた。いやあ~久しぶりに観たけど、相変わらずだなあ、この人は(笑)。この日はリクオに“リクオさぁ~”って東京風の口調で話しかけて自分で自分に大笑い。この人はずーっとこうやってガハハと笑いながら生きていくんでしょうな(笑)。ともかく、観てるだけでこっちも肩の力が抜けて楽~な気持ちになってしまう。おかげで有山さんが何を歌ったのか、よく憶えてないんだ、オレ(苦笑)。「梅田からナンバまで」を歌ったのは、バンバンバザールだったか有山さんだったか…。うーん、どっちだっけ?(苦笑)。でも、どっちだっていいんだよ、きっと。人生そんなもんです。ぼちぼちいけばいいんです(笑)。

山口洋が出てきた頃には、時計の針は既に9時を回っていた。そういえば、昨日も終盤はクレフィンで演奏したっけ。2日目は最後に近年一番多く共演してる山口洋と演ったわけで、リクオはこうすることで、より現役感を打ち出したかったんじゃないかっていう気がする。
リクオバンド+山口洋は今年夏の藤沢でも体験済みだが、HEATWAVEとは違った、この組合わせならではのグルーヴが生れつつあると思う。この組合わせでの「トーキョー・シティ・ヒエラルキー」がオレは大好き。目下のところリクオの一番新しい曲「フォーエバー・ヤング」をヒロシとやったところにも、二人の強い絆を感じた。

アンコールは出演者が全員ステージに上がり、お祭りのような賑わいに。ギタリストがいっぱいいたから、途中から山口洋はギターを弾くのを止め、完全にカメラマンになってるし(笑)。
客席から見てて、ほんとミュージシャンってのはイイなあ~って思ったよ。世代も性別も超え、音楽っていう共通の玩具で遊んでる大人たち。みんな本当にいい顔で笑い合っていて、そんな姿はちょっと羨ましかった。
時計の針は10時を回り、昨日以上に長い夜となったが、そんな長さは全く感じなかったなあ…。ハッピーなバイブレーションが客席にもいっぱい伝わってきて、あの場にいた誰もが温かい気持ちで家路に着いたのではないだろうか。

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それにしても、この2日間で僕はいったい何人のミュージシャンの音楽を聴いたのだろう?
出演者の中には、ふだんよくライブに行く人もいれば、今回初めて観る人もいた。でも、聞いたことがある無しに関わらず、耳にした音楽の総てに僕は大きく心を動かされた。月並みな言い方だけど、本当に音楽って素晴らしいと思った。心に残る音楽ってのは、ミュージシャンが若かろうがベテランだろうが、メジャーだろうがインディーだろうが、男だろうが女だろうが、そんなことはまったく関係ないんだってことを強く感じた。
素敵な音楽には、ロックやフォークなんていうカテゴライズさえ必要ないと思う。気持ちイイ音楽。ぐっとくる音楽。それで十分。それでも、この2日間に集まったミュージシャンたちにあえて名前付けをするならば、それこそが“ホーボー・ミュージシャン”なんだと思う。

このイベント、デビュー20周年を迎えたリクオのお祝いの場であったことには間違いない。だけど僕は、2010年の今、これだけ大勢のホーボー・ミュージシャンが一つの場に集まったこと自体に、何か大きな意味があるような気がしてならない。そう、たとえば、単なる一バンドの解散コンサートであったLAST WALZが、後になって次の世代が新しい音楽の扉を開くきっかけになったように…。
このイベントには、既にここにいない人の影さえ僕には見えた。佐藤くん、どんと、HONZI、高田渡さん、そして忌野清志郎…。この夜、確かに彼らはここに来ていた。この2夜を通し、僕は“ホーボー・ミュージック”という壮大な日本のフォーク&ロックの系譜を見たのだと思う。

リクオにも20年間やってきた感慨みたいなものはあまり感じられなかった。むしろ、自分はまだまだ発展途上で、これからもこのミュージシャンたちと一緒に転がり続けていくんだという、決意表明的な色合いの方が強かったのではないだろうか?
すべてのボーダーを跳び越え、自由であり続けるホーボー・ミュージシャンたち。彼らを見ていて、僕は“たかが人生。だけど、やり方次第でこんなにも楽しくなるんだぜ…”と教えられたような気がする。

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2010年11月27日 (土)

ビートルズにいちばん近い記者 星加ルミ子のミュージック・ライフ / 淡路和子(著)

1102964185 これは、雑誌「ミュージック・ライフ」の編集長として世界中を駆けまわり、日本の音楽と洋楽の発展に貢献した星加ルミ子さんの半生を描いた本。
星加さんは1965年に日本人初のビートルズとの単独会見を成功させた女性だ。当然、この本にはビートルズに関する話題がたくさん出てくるが、それ以外でも60年代・70年代のミュージシャン・インタビュー時のエピソードや、雑誌を編集する際の裏話がたくさん出てきて、1965年、ちょうど星加さんがビートルズと対面した年に生まれた、当時を知らない僕にも、とても面白く読めた。

星加さんは実に多くのミュージシャンと会っている。それも絶妙のタイミングでだ。その事実にまずは素直に驚いてしまう。だって、70年代にボブ・ディランがバイク事故で入院してた時、それを見舞いに行ったとか、メロディーメイカー誌のパーティーでジミ・ヘンドリックスと一緒だったとか、ビートルズ解散直前のアップル・ビル屋上でのライブを、実際にその下で聴いていたとか、ものすごい話が次々に出てくるんだもん…。この辺のトピックは、ロックのバイオ本によく出てくる話ではある。でも、まさかそこに日本人記者が立ち会っていたとは…。
ビートルズとの会見時、ブライアン・エプスタインへのお土産にするために本物の日本刀を玩具の刀に紛らせて飛行機の中に持ち込んだとか、日本公演中のインタビューで既にジョン・レノンが解散を匂わせる言葉をちらりと口にしていたこととか、今だからこそ書ける話もあるし、うん、やっぱ、こういう貴重な話は残しておかなければイカンですよ。

それから、僕は仕事人としての星加さんの行動力や考え方にも考えさせられるところが多かった。
星加さんがビートルズとの単独会見を成功させた時、弱冠24歳の女性が何故?と世界中が驚いたらしいが、この本を読んでむしろそれは当然じゃないかと思ったもんね。たとえば、「ミュージック・ライフ」はミュージシャンやスターに憧れるミーハー的なスタンスを保ちながらも、イギリスの大衆紙みたいなゴシップは一切載せない編集方針を変えなかったし、ミュージシャンが実際に口にした言葉であっても、載せて欲しくないと言われたことは載せなかったという。こういう公平さと誠実さが、ガードの固かったビートルズから信頼を勝ち取ったんだと僕は思うなあ。
また、タブロイド版が主流だった当時の欧米の音楽誌に対し、「ミュージック・ライフ」は当時からカラーグラビアで紙面を飾っていたことも信頼を勝ち得た理由だったのでは?と星加さんは冷静に分析しているが、それもあっぱれな話。60年代といえば、欧米からは日本なんて極東のちっぽけな島国としか見られてなかっただろう。それでも、そこで完璧な仕事をし続けていたことが、やがて大きな実を結んだのだ。

もちろん、単純に今と昔を比較することはできないと思う。星加さんのやり方には、パイオニアであるが故の自由さがあったことも事実だろう。それでも僕は、この本に書かれている星加さんの仕事ぶりには、今の社会の閉塞感をぶち破るヒントが隠されていると思うのだ。
ミーハー精神ってのはやっぱし偉大(笑)。それは時として人を行動させる原動力になるんだから。彼女がレコード会社と一緒になって洋楽ミュージシャンをブレイクさせるためのシカケを考えたりしていたのも、いい意味でのミーハー精神を仕事に落とし込めていたからだと僕は思う。
今はファンも業界人も“なんちゃってミーハー”になっちゃってんじゃないの?ファンはファンでありながら裏を見ようと必死だったり、業界人はそれを利用しようとしていたり。気持ち悪いぞ、そういうのは。
喩えは違うかもしれないが、ファンがプロデュースするアイドルなんていう構図は絶対おかしいと思うんだ、オレ。いやいや、そういうのに熱中しちゃってるファンに罪はない。そういう気持ちを利用してる大人の根性が汚いと思う。それを知ってて乗っかってるタレントの卵たちのほうがもっと汚いとも思うけどね…。

あーあ。なんでこんなに時代は歪んじゃったんだろう…。この本に出てくる、学校帰りにミュージック・ライフ編集部に押しかけていた女の子たちや、ビートルズのフィルム上映会で絶叫していた人たちは今どうしているんだろう?十代の頃の好きなものにとことん夢中になれた気持ちが、やがては世界を変える波となり得たことを、この世代の人たちは誰よりも知っているはずなんだけどなあ…。

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2010年11月26日 (金)

【本】まだ夢の続き / 小坂忠 (著)

5169t0bd69l来月に近所で行われる小坂忠さんのライブ(いまだに信じられない!)を前に、2006年に発売された忠さんの自伝を読む。

忠さんは、僕が理想とする大人の男なのだ。今年、忠さんのライブを初めて観て、その素晴らしい歌声に痺れたのと同時に、誠実さが滲み出るようなお人柄に一発で魅せられてしまった。シャイで堂々としていて、少年のようにピュア。なんて素敵な人なんだろう…。オレがもし女だったら、一発で惚れちゃっただろう(笑)。こんな素敵な大人になれるのなら、歳をとるのも全然悪くないなあ~って思った。

小坂忠。その素晴しいヴォイスは他に並ぶべき者のいない、不世出のソウルシンガーだ。
1968年に「フローラル」としてレコード・デビュー。68年に行われたモンキーズ来日公演では前座を務めた。
1969年には伝説のバンド「エイプリル・フール」を結成。メンバーは小坂忠、細野晴臣、松本隆、柳田ヒロ、菊池英二。

この本には、当時のことがこんな風に書かれている。

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 1968年も終わりに近づいた頃、新しいメンバー探しが始まった。そんな年末のある日、柳田ヒロの兄である柳田優がニューイヤー・パーティに誘ってくれた。パーティーが開かれている場所に行ってみると、目白にあった野上眞宏の家だった。野上君は後に当時の写真を中心とした『はっぴいな日々』(ミュージック・マガジン)などを出版する。そこには細野晴臣(ベース)、松本隆(ドラム)、鈴木茂(ギター)、林立夫(ドラム)などのミュージシャンも来ていて、自然にセッションが始まった。茂や林はまだ高校生、細野君は立教大学の、松本は慶應大学の学生だったと思うが、その頃から彼らの演奏は確かだった。

~中略~

バンドの新しい名前は「エイプリル・フール」と決まった。ミュージカラーレコードのマネージャーだった幾代昌子さんの知り合いで、当時、まだ電通でコマーシャル写真を撮っていた荒木経惟氏がジャケット写真を撮ってくれた。

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この部分を読んだだけでも、当時の忠さんの周りには、後に各分野の大御所と呼ばれる存在になっていくような人たちがたくさんいたことがわかる。

エイプリル・フールはアルバム1枚のみで解散し、そこから「はっぴいえんど」の誕生に繋がっていくんだけど、忠さんはミュージカル「ヘアー」に出演することになって、この時点では細野さんたちとは袂を分かつ。
もちろん、音楽を止めたわけではなく、やがて忠さんはソロアルバム「ありがとう」を発表。そのライブのために組んだバンドが「フォージョーハーフ」だ。メンバーは、駒沢裕城(スティール・ギター)、松任谷正隆(キーボード)、林立夫(ドラム)、後藤次利(ベース)。時には高橋幸宏(ドラム)と小原礼(ベース)というリズム隊もあったらしい。

後に細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫という「はっぴいえんど」と「フォージョーハーフ」のメンバーが半分筒集まったグループが結成されるが、これが伝説のミュージシャン集団「キャラメル・ママ」だ。このスーパーセッションが実現したのは、両バンドのマネージメント会社が同じだった(「風都市」っていう会社)という事情もあったらしい。

この本には、現場にいた人ならではのこんな話がたくさん出てくるのだ。もう、出てくる名前が、今をときめく大御所ばかりなんで、オレなんか読んでてくらくらしてしまったぜよ(笑)。

その後、お嬢さんの怪我を契機に忠さんは牧師となり、音楽業界の表舞台からは降りてしまったかに見えたが、もちろん、音楽そのものを止めてしまったわけではなかった。忠さんはゴスペルシンガーとして曲を作って、歌い続け、音楽事務所を立ち上げて教会音楽を豊かなものにしていくための活動をしていたのだ。

そして2000年、忠さんはティンパン(細野晴臣、鈴木茂、林立夫)のレコーディングに参加。満を持して旧友たちとの再会を果たす。01年には25年ぶりにアルバム『People』をリリース。プロデューサーはもちろん細野晴臣!2人の友情物語はまだ続いていたというわけだ。

この本は、そんな忠さんの歩みを駆け足で記してあるけれど、書名のとおり、まだまだ忠さんの歩みは“夢の途中”なんだろう。僕は2005年に行われた“ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル”のDVDで観られる細野さんと忠さんの少年のような笑顔が大好きだ。巻末に収められた対談を読んでも、両氏ともにあのライブはそれぞれのキャリアの中でもとりわけ印象に残っているみたいだ。実際、細野さんはあのライブ以来、少し前からは考えられないぐらいライブをやるようになったし、今の2人の活動は、明らかにあのライブのとで新しい章に入ったような気がする。

新しいことを始めるのに、遅すぎることはないのだ。僕らはいつでも自由。
小坂忠さんのたおやかな佇まいは、そんなことを僕らに教えてくれてるような気がする。

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2010年11月25日 (木)

【本】夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです / 村上春樹(著)

51ahtnwu7l_sx230_1_2 村上春樹はメディアへの露出が極端に少ない作家である。テレビはおろか、雑誌のインタビューでさえほとんど受けることがない。しかし、いったん取材を受けたとなると、小説同様ずっと心に残る言葉を発して読む者の胸を深く打つのだ。
これはそんな氏の数少ないインタビューを集めた本。収録された時期は 『アンダーグラウンド』から『1Q84』発売直前まで。国内より海外の雑誌向けのものが多いのも、なんだかこの作家らしい。

あとがきによれば、氏は収録するインタビューを選ぶにあたり、似たような内容の部分は削除したというが、それでも同じような話が何度も繰り返し出てくる。これは、どのインタビュアーにとっても聞きたいポイントが共通しているということなんだろうが、似たような質問にも氏は毎回違う言葉を使って表現してみたり、角度の異なる視点からコメントを返すなどしているので、読んでいて飽きることがない。絶妙な受け答えは、氏の小説での独特の比喩を思い起こさせる。

何回も出てくる話の一つとして、氏は小説を書いている時、その結末をまったく分かっていないということがある。これだけ整った小説を書いているのだから、その展開や構成について、当然ある程度の設計図があるのかと僕なんかは思っていたのだけれど、それが全くないというのだから驚くよなあ…。と同時に、だからこそ氏の小説は心の深いところに降りてくるんだな、とも思った。

氏は、自身の作り上げた登場人物を使って筆を進めて行く時、意識の深層まで深く降りて(それを氏は井戸の中に降りていくという)、自身の心の奥にある暗闇を探る作業をするという。そして、それはとても体力のいるヘヴィな作業だとも語るのだ。
音楽を作り上げたり絵画を描くことと同様、小説を書くというのもある種の神がかり的な行為なのだと僕は思う。ポップスと呼ばれる音楽を作る人たちには、ある程度着地点を想定して音楽を作る人が多いのではないか。あらかじめ約束されたグルーヴのための音楽だったら、それでもかまわないだろう。だが、そこで得られるものはあくまでも予定調和内での感動だ。心の奥の深い襞まで届く音楽は、やはり闇を見て荒い息を吐きながら産み出したものだと僕は思う。中途半端なカバーなんてクソの足しにもならない。

氏は作家になってから走り始め、何度もフルマラソンを完走している長距離ランナーでもあるが、走り始めたのも、作家として井戸に降りていくための体力を維持するためなのだという。
どうだろう、この自己完結ぶり。一昔前まで、芸術家や表現者に健康なんていう言葉はアンマッチだった。作家は無頼であれ。青白き頬のままでいてこそ優れた小説は生れる…。そんなことを言って若死した作家が、過去どれだけいたことか。村上春樹は不毛なロウライフとは無縁なのだ。

翻って自分。オレは自分の井戸の中のどこまで降りていけるのだろう…。自分の持つ井戸がどれだけ深いのか、それさえもオレはよくわかっていないように思う。かつて、夏目漱石は自身の苦悩を“偉大なる暗闇”と言った。そこまで自分のダークサイドを突き放せる強さに僕は憧れる。氏のいうとおり、精神の不健康さを保つためには、肉体の健康を維持することが必要なのだ。

最後に書かれているあとがきも胸に沁みた。村上春樹は必要以上に抒情的なことを書き連ねる作家ではないが、そのシンプルな文章には長く仕事をしてきた同志に対する慕情が溢れていて胸を打たれた。

「僕は決して発展しながら小説を書いてきたのではなく、 あくまで小説を書くことによって、かろうじて発展してきたのだ」

小説を書くという作業を、これほどまでに美しく、謙虚に語る作家を、僕は他に知らない。

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2010年11月22日 (月)

【映画】 アイルトン・セナ ~音速の彼方へ

337536view005二度目のハーフマラソンを完走した翌日、日比谷の映画館で以前から気になっていたアイルトン・セナのドキュメンタリー映画を観た。

僕はこれまでF1に夢中になったことはない。80年代後半から90年代にかけて空前のブームがあったことは知ってるけど、それにはあまりいい印象を持っていなかった。偏見かもしれないけど、あのブームはバブルに浮かれて高級車を買い込み、ボディコン女を助手席にはべらせて喜んでる成金連中が支えているみたいなイメージがあった。それと、F1ってのは人間がマシンを介して行うもので、スポーツのように純粋な肉体のみで行われる競技ではないことも、僕がなんとなくのめりこめなかった理由の一つだと思う。

だけど、アイルトン・セナという男の存在だけは、妙に引っかかるものがあった。音速の貴公子とまで言われたあの端正な顔立ちは、屈強な男たちが並ぶサーキットの中で奇妙に浮いていた。なぜ彼のような優男がそこにいるのだろう…。彼の存在は美しくもあり、同時に夏の日の陽炎のように、今にもふっと消え去ってしまうような危うさを感じた。それは彼のレーススタイルとも印象が重なる。インコーナーから強引に抜き去るセナのテクには、神懸り的なすごさを感じると同時に、一歩間違えるととんでもない事になってしまいそうな危険な香りがしたのだ。
僕の予感は的中してしまう。セナは94年にレース中の事故で死亡してしまうのだ。彼の死を当時の民放のアナウンサーが涙ながらにコメントしていたのを、僕は今でもはっきりと憶えている。
いったい、アイルトン・セナという男は何者だったのか…。僕はそれが知りたくて映画館に足を運んだ。

映画は、数々のレースシーンやプライベート映像、本人や知人・家族のインタビューなどを通し、自分のようなセナに対する知識の浅い者でもわかり易い作りになっていた。
僕はセナの言動がけっこう過激なことに驚いたなあ…。当時のニュースやF1番組では、HONDAのエンジンを乗りこなし、日本を第二の故郷と言ってはばからない彼の人の良さばかりが強調されていたが、映画に挿入されている生前のインタビューでは、組織の上層部を公然と批判したり、チャンピオンでありながら事故が多いと忠告する先輩ドライバーに、猛然と反論するシーンなどが収録されていた。

映画を見ているとうすうすわかるのだが、F1は政治とお金が絡む世界であることは間違いない。その中で、レーサーはテクニックと資金力の狭間、自分の夢と政治との狭間で苦悩しながら走り続けている。強引な言い方をすれば、その両者の間に折り合いをつけてキャリアを全うできたのがアラン・プロストであり、最後まで折り合いを付けられなかったのがセナではなかったのか。

映画が終わりに近づくにつれ、僕は胸が潰れるような気持ちになっていった。こうして時系列に並べられた映像を見ていると、勝利を重ねれば重ねるほどセナの眼に憂いの影が濃くなっていくのが手に取るようにわかるからだ。
最新鋭の技術が結集されたトップチームのマシンに乗るためには、強力な政治力とスポンサーが必要。だが、セナはそれに加えて、時には生命の危険さえ伴うような爆発的スピードと絶妙なシフトチェンジ、ブレーキングを身上とした。そして、仲間のレーサーから危険な男と批判され、政治力を無視したことで組織の上層部に嫌われても、最後までその走りを貫いたのだ。

若いときの僕なら、組織の中でうまく立ち回りながら確固たる地位を築いたプロストよりも、巨大な組織にたった一人で立ち向かい続け、最後は神になったセナの方にシンパシーを抱いたことだろう。
だが、今の僕はセナの生き方が素晴らしくてプロストが姑息だったとは全く思わない。大人になればわかることもある。プロストの立場ではああいう選択をするしかなかったのだ。そして、それはそれで苦悩に満ちた生き方だったに違いないと思う。

もうひとつ確信したことがある。生前は確執が伝えられていたセナとプロストだが、2人の間には歪な形ではあったかもしれないが、間違いなく友情のようなものがあったのではないか。言い方を変えると、組織の枠に囚われなかったセナの生き方を、プロストは心のどこかで憧れていたのかもしれない。映画のエンドロールで「セナ財団 管財人 A.プロスト」の文字を見つけた時、僕は胸が熱くなった。

それにしても、映画のラスト近くで、一番ベストだったレースは?と聞かれたセナが、政治もお金も絡まないカートレース時代を挙げていたのは、胸が痛かったなあ…。
セナはF1界に入って本当に幸せだったんだろうか?そんなことを思わずにはいられなかった。雨に煙るサーキットで、セナはいったい何と闘っていたんだろう?

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2010年11月21日 (日)

2度目のハーフマラソン

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2度目のハーフマラソンの大会を、僕は風邪が完全に抜け切っていない状態で迎えることになってしまった。
この2週間ほどは体調の回復を第一においていたから、レース直前の走り込みも不足している。こういった負の要因は精神的な不安がとても大きくなるものなのだ。21.09キロもの長い距離、オレの体力はどこまで持つのだろう。もしかしたら2時間切りも難しいかもしれない…。ちょっと弱気になってしまい、今回は記録狙いというより、自分のペースを守って後半大きな失速をしないことを目標とした。
いったんそう決めてしまうと、人間ってのはモチベーションがとたんに下がる(苦笑)。なんだか緊張感がなくなってしまい、3日前には解禁になったボジョレーのフルボトルをがっつり一本空けてしまうという堕落ぶり。うーん、先月の初レースの時の気合と比べれば、えらいユルユルだなあ…(苦笑)。

だけど、いざ会場に到着すると、自分でも驚くぐらいに闘争心が沸きあがってきた。やっぱり、受付を済ませてゼッケンを着けると自然と燃えてくるものがあるのだ。これはれっきとしたレース。そしてオレは選手!ならば出場者として恥ずかしくない走りをしようじゃないか。それに、今シーズンにおいてエントリーしている大会は、これが最後。この舞台を目指してあんなに暑かった夏の日も走りこんできたんだろ?直前の追い込みがうまくいかなかったぐらいで諦めるのは早すぎる!自分で自分に渇をいれ、ストレッチを繰り返しながらテンションを高め、スタートを待った。

号砲が鳴ったのは11:00ジャスト。11月も後半だというのに、とても日差しが強い。僕はTシャツの下に長袖のコンプレッション・シャツを着込んでいたんだけど、これは完全に失敗だった。いつも早朝に走っているから、この時間の体感温度を見誤ってしまったのだ。この天気だったらTシャツ1枚でも十分だったと後悔。走り始めて5分もたつと、もう額に汗が滴り始めた。でも、今更どうしようもない。袖をまくり、汗が目に入らないようにリストバンドで汗をぬぐいながら、ひたすら走り続けた。

この前のレースは最初にぶっ飛ばして後半バテバテになってしまったので、今回は前半は抑え目を意識し、全体として1キロあたり5分20秒前後のペースで走り切れれれば良いと思っていた。
で、最初の1キロのラップは5分34秒。ちょっと遅めかもしれないが、なかなかいい入り方では?

今日のレースは大きな湖の周りを走るコースで景観がとても美しい。雄大な自然から力をもらったのか、思ったよりずっといい調子でレースを運べた。10キロまでのラップは1キロあたり5分8秒から20秒の間。僕ぐらいのレベルだったら、10秒ぐらいのラップのバラつきはしょうがないだろう。とにかく、このままのペースを保っていられれば、そんなに悪い結果にはならないはず。
そう思いながら走っていると、あっという間に15キロ地点まで来た。さあ、ここからが鬼門。前のレースでは、前半飛ばしたツケが15キロ過ぎから一気にきて、足がぱったり動かなくなってしまったのだ。しかし、今日は前半抑え気味だったせいか、それほどの疲れは感じない。さすがにハムストリングと左足の親指の付け根が痛くなってきてはいたが、それもまだまだ耐えられる範囲内。脚の疲れは、腕を振って肩甲骨をぐいぐい動かし、体幹のバネを使って脚を前に出すフォームをイメージしてカバーする。これで脚の疲労が回復したのか、18キロ・19キロ地点でもラップは落ちず、5分台前半で通過することができた。

あっという間に20キロ。“え、もう?”と自分でも驚くぐらい短く感じてしまった。ラストの1.09キロも殆どペースは落ちず、そのままゴール!ネットタイムは1時間50分31秒。40秒ほどではあるが、前回の記録を上回るタイムだった。
ゴールした後も、前回のようにしばらく立ち上がれないほどの疲労感は感じなかった。もちろん疲れてはいたけれど、着替えを終え、一通りストレッチをして張った筋肉をほぐしていくと、10キロぐらいならまだまだ走れそうなぐらいだ(笑)。

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レース前の弱気な目標設定を思えば、いい意味で意外な結果だった。でも、これがマラソンの面白さなのだと身に沁みて感じた。
本当に学ぶところの多いレースだったと思う。一番強く感じたのは、自分のペースを守ることの大切さだ。今回の最大の勝因は前半を抑え、最後まで自分のペースを守り切ったことだと思う。結局、練習以上のことを本番でやろうとしてもダメなのだ。そうでなくたってレースは気持ちも高揚しているし、周りに煽られてペースが速くなりがち。そこをぐっと抑えて練習で養った感覚をそのままレースに落とし込み、後半になっても余力が残っていればペースアップすれば良いのだ。そういった意味では、今回はもう少し早くペースを上げても良かったのかもなあ…。
ともあれ、コンディションの悪い中、前回ほどの苦しさを感じずにゴールでき、僅かな時間ではあるけれど自己ベストを更新できたのは、まだまだ自分に伸びシロがあることを予感させ、大きな自信になった。

それにしても、今回の会場である彩湖は素晴らしい場所だった。陽光を受けてきらきら光る川面。風になびくススキの穂。そんなちょっと懐かしい、美しい田園風景を眺めながら走るのは本当に気持ち良かった。都心の近くにこんなにも緑豊かな水郷地帯があるなんて、マラソンを始めなかったら永久に知らなかったことだろう。これだけでもなんだか得をした気分だ。
それから、このレースは運営側のホスピタリティが素晴らしかった。スタッフはてきぱきと動き、進行はとてもスムーズ。オレは食べなかったけど、給水所には皮を剥いたミカンまで置いてあった。これは後半スタミナ切れのランナーには嬉しかっただろうなあ…。その他にも、アイシングをしてくれるサービスがあったり、コーンスープを無料で配っていたりと至れり尽くせり。“全国ランニング大会100撰”に選ばれているのは、伊達じゃないと思った。
完璧な週末。本当に楽しい21.09キロだった。この大会、来年も必ず参加しようと思う。

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2010年11月17日 (水)

bad condition

畜生、気を付けていたのにとうとう風邪をひいてしまった。喉が痛くて身体がだるい。日中はちょっと熱っぽさも感じる。実は次のレースまで2週間を切っている。この時期に走らないのはかなり痛いのだが、風邪をこじらせてしまっては元も子もない。ここは走るのを止めて体調が回復するのを優先することにした。

で、走らなくなってちょうど一週間。うーん、今年の春以来、故障以外の理由でこんなに連続して休んだのははじめてだ…。休んでみてつくづく感じたこと。それは得体の知れない不安感だ。なにしろ、ある本によれば、鍛えた筋肉も3日過ぎるともう劣化が始まるというのだから…。

もう我慢できない。喉の痛みもだいぶ治まったし、ジョグ程度でもいいから明日は絶対に走ろう…。昨夜はそう決めて9時半にそそくさとベッドに入り、今朝は4時半に起床。寝ぼけた身体と頭をストレッチで叩き起こし、まだ暗い街に走りに出た。

1キロ5分30秒ペースで10キロを走った。思ったよりも身体は軽く、長く休んだせいか疲労がとれていて脚もよく動いた。
そして、なによりも一週間ぶりのランはすごく気持ちよかった。まだ真夜中のような公園を駈け抜けると、なんだか自分の中の野性がむき出しになってくるような気がする。走る前は震えるほど寒かったのに、気が付くと全身から汗が流れ出していた。

久々に走って確信したよ、オレは。今の自分には走っているこの時間が絶対に必要なのだ。なんといっても、地を駆けている時間、自分は完全に独りになれている。この震えるような孤高の感覚がたまらない。まだ暗い道を獣のように黙々と走っていると、自分の身体も魂も闇の中に溶けていってしまいそうな感覚に陥る。

レースは今度の日曜日。ハーフマラソン21.09キロだ。それまでに風邪が抜けるかどうかわかならいが、レースには何が何でも出てやろうと思う。このコンディションでは当初考えていた自己ベスト更新はかなり難しいだろう。だけど、体調が悪い中で自分が何処まで頑張れるか、それを見てやりたい。

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2010年11月15日 (月)

突然の贈り物

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信じられない!あの小坂忠さんが、僕の住む町にやってくることになった。

今年、藤沢でリクオ・山口洋との素晴らしいライブを披露し、横浜のサムズアップでも圧倒的な歌声で僕をノックアウトした小坂忠さん。その忠さんがなんと近所の古本屋さんで新譜発売記念のライブをやることになったのだ!

その古書店、その名も「古書ほうろう」という。音楽ファンなら良くご存知だろう。何を隠そう、この店名は小坂忠さんの名盤『ほうろう』からとったもの。「ほうろう」は、僕と同年代と思しきスタッフが1998年に立ち上げ、独自の品揃えに加えて音楽やトークイベントなども開催している、気骨ある古書店。近所ということもあり、僕も以前からここの常連なのだが、まさかここで小坂さんのライブが見られる日が来るとは夢にも思わなかった。

今日から先行発売されたチケット、さっそくお店に行って店主の宮地さんから直接購入してきた。
店を開いて12年あまり。ついにこの記念すべきライブを開催できることになった宮路さんは、感無量のご様子だった。限定で500枚だけ作られたという「HORO2010」のアナログ盤なんていう貴重なものを見せていただきながら、しばし音楽談義に花を咲かせる。

当日はクリスマスにちなんだ手作りのお菓子も付くらしい。お酒はここで行われるイベントの慣例で、お客さんが隣の酒屋さんから直接購入して持ち込むシステム。きっと、ホームパーティーみたいな温かいライブになるんだろうなあ。

とにかく楽しみだ!
クリスマスらしい素敵なチケットを眺め、小坂さんの書いた本を読みながら12月を待ちたい。

『クリスマスキャロル』発売記念ライブ
 小坂忠、古書ほうろうで歌う

 日にち 2010年12月10日(金)
 時間  18時半開場/19時半開演
 会場  古書ほうろう

 出演  小坂 忠 Vocal,Guitar   
          
http://www.chu-kosaka.com/
     西海 孝 Guitar,Chorus
          
http://www.ishibashi.co.jp/Band_Web/nishiumi/ 
       
 入場料 2500円(お菓子付き)
     *飲み物持込み可(三軒隣りに酒屋あり)

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2010年11月 7日 (日)

一年半後の気持ち

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雑誌「SWITCH11月号」に、今のCHABOが清志郎に対して抱く心境が語られている。「LOVE さまざまな愛のかたち」という特集の中で唐突に出てくるかけがえのない盟友への想い。やっぱり重かったなあ、俺にとっては…。

10月まで行われてきたツアーの中で、CHABOは切々と清志郎と過ごした日々を語り、彼と二人で作った曲をプレイした。そこにはある種の“覚悟”があったと僕は思う。
この雑誌でのCHABOは、そこからまた一歩気持ちが進んでいるんだなあと思った。今のCHABOは、たとえばライブを終えて独りになった時、「どうして俺は今日清志郎の話をしてきたんだろう…」と思ったりするそうだ。そして、あれから一年半も月日が経っていることに驚き、清志郎がもうここにはいないという実感がますます薄れてきていると告白している。

読んでいて、僕は胸が締め付けられるような思いがした。
最近、僕自身もつらい別れを経験したからよくわかる。CHABOはこれからもずっとこういう気持ちを抱えながら生きていくのだろう。その気持ちは、今後カタチを変えることはあるにせよ(わかり易いところでいえば、清志郎と作った曲を演ったり演らなかったりするとか)、盟友の不在をどうしても受け入れられず、自分はずっと“あいつ”とともに生きているという感覚が消えないのではないか。そんな気がする。

CHABOがこういう気持ちでいることが、彼にとって幸せなことなのかは僕にはよくわからないし、それが時間が経って落ち着くところに落ち着いた故人への“落とし前”であるのかもよくわからない。でも、いずれにしてもCHABOはそういう気持ちでいるのだろうし、僕も今後の人生の節々で居なくなった親友のことを思い出しながら生きていくことになるのだろう。それは辛いとか悲しいとか、そういうことではないのだ。なんと言うか、そうするしかないのである。
やるせないよなあ、残された方は…。でも、残った者が居なくなってしまった人を忘れずに未来を生きていくということは、イコールこんな気持ちを抱きながら歩み続けるということなのだと自分は思う。

多くのファンの気持ちとは違うかもしれないが、僕はCHABOがRCサクセションや忌野清志郎の曲を歌わなくても構わないと思っている。少なくとも、CHABOが清志郎やRCを歌うことが自然なことでは断じてない。清志郎の曲を歌うのは、清志郎の盟友CHABOが誰よりもふさわしいとか、そんな単純な話ではないのだ、これは。そうではなくて、歌ったって自然だし歌わなくたって自然。それは、清志郎の不在と闘い続けているCHABOの気持ちがカタチを変えているだけの話なんだから…。

もうひとつ言いたいこと。それはCHABOが歌う清志郎&RCは、あくまでもCHABOの歌う清志郎&RCなのだ。それを僕は忘れないでいたいと思う。言い方を変えると、CHABOが歌う清志郎&RCを聴くことは、忌野清志郎という男の圧倒的な存在感とその不在を感じることでもある。それは身を切られるように苦しいけど、そのどうしようもない喪失感に胸を焦がすことも、故人を思い続けるための残された者の生き方なのではないだろうか。

P.S. それにしてもSWITCH、創刊当時から知ってるけど、つくづくつまんねえ雑誌に成り下がっちまったなあ…。このCHABOのインタビューをまとめた記事を除くと、後のコンテンツは殆どがタイアップ記事じゃん。今回の特集だって、結局はカルチェの“LOVE”コレクションとリンクしてるというオチだからねえ。
これって愛なの、新井さん?

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2010年11月 6日 (土)

羽根をもう一枚

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火曜日、皇居で25キロ走った後、僕は代官山に向かった。もう一枚羽根を手に入れるために…。

代官山に店舗を構える「knife acoustic groove」は、山口洋にインスパイアされた“希望を載せて飛ぶ為の羽根”というシルバー・アクセサリーを製作している。これが単なる装飾品ではないことは一目でわかった。デザイナー中野貴さんの熱い魂が篭っている芸術品と言ってもいい一品。着用することで何がしかのリーズンが生じるぐらいの存在感があるのだ。僕は基本的に男が装飾のためにジュエリーを身に着けるような行為は好まないんだけど、これは一発で気に入った。
安さにかまけてユニクロなんかの服ばかり着ていると、気持ちがふやけて自分の五感がどんどん鈍ってくるじゃん。決して安い買い物ではなかったけど、自分の直感を信じて去年の初冬にシリーズ最大の羽根3号を購入した。男44にして堂々のシルバー・デビューだぜ(笑)。

あれから一年。オレはもう一枚羽根が欲しくなってきた。ターコイズの入った「羽根4号」がどうしても欲しい。「羽根3号」が風切り羽を連想する力強さがあるのに対し、こいつは繊細な細工が美しいと思う。この対象的な2枚を首から下げて、いつか飛べるかもしれない空を想いたくなったのだ。
通販でも買えるが、どうせならお店に行って、作り手である中野さんと直接顔を合わせて羽根を手に入れたい。それがこいつを身に付ける者の礼儀のような気がする。そう思った。

平日の代官山の昼下がり。いやあ~中野さん、思ったとおりの熱い人でした(笑)。
シルバーの手入れの話やら、ヒートウェイヴの話やらをひとしきりした後、お目当ての「羽根4号」を購入。中野さん曰く、これは去年の秋に発表されてから細かいバージョンアップが施されているそうな。確かに最初のものと比べるとターコイズの色が濃い。これは複数の羽根を下げた時、ぶつかっても割れないように石の強度を上げているからだとか。この色の濃さ、オレ好きだな…。

てなわけで、今、僕の首には羽根が2枚下がっている。こいつを付けていると、鳥が空を飛ぶように、どこまでも大地を駆け抜けて行けそうだ。

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2010年11月 4日 (木)

【映画】ドアーズ/まぼろしの世界

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ドアーズを初めて聴いたのは高校1年の夏だったか…。流行りモノを追い駆けるより、ガイドブック片手にロックの名盤を辿るような聴き方をしていたロック少年にとって、この70年代のLAを代表するサイケデリックなバンドに出会うまで、そう時間はかからなかった。ある意味、思春期に出会うべくして出会ったバンドだと思う。それに、なぜかあの頃はTレックスとドアーズが再評価される波が来ていた。渋谷陽一もよくラジオでドアーズをかけていたし、未発表ライブやベスト盤がリリースされたりしてマスコミへの露出もけっこう多かった記憶がある。

でも、僕はジム・モリソンという人物になかなか感情移入することができなかったのだ。70年代に若くして亡くなりリジェンドされる何人かのミュージシャンがいるけれど、僕はジムをどうしてもそういう人たちと同じようには見られなかったのである。
ジミ・ヘンドリックスが死んだのはなんとなく納得できる。あんな人間とは思えないような音楽をやっていたら寿命が何百年あったって足りないだろう。ジャニス・ジョプリンにしたって、あれだけヘヴィな歌に自身を寄り添わせてしまっては身が持たないに決まってる。
じゃあ、ジム・モリソンはどうか?僕は彼の死は自滅としか思えなかった。音楽に殺されたというより、ロックスターとしての自分と素顔の自分との谷間に落ち込んでしまった結果が“死”であったという見方しかできなかったのである。

もう一つ、ドアーズの音楽は“楽しむ”という聴き方を拒絶してしまう音楽だとも感じていた。ジミヘンにしたってジャニスにしたって、音楽そのものに死の影はあまり感じない。Tレックスにいたってはヤバい高揚感で一杯だ。それらは今でもipodに入れて持ち運べるし、精神のドーピングとして魂を高揚できる。しかし、ドアーズは聴けば聴くほど頭の芯が冴え渡ってきて、頭上斜め45度からもう一人の自分が自分を見下ろしてくるような冷たい感覚に襲われてしまうのだ。
まあ、その感覚が無性に欲しくなる時があるのも確かなんだけどね。つまり、ドアーズってのは常習したくなる音楽ではないけれど、時としてどうしても欲しくてたまらなくなる時がある…。そんな存在なのだ。こんな風に、僕は少年の頃からドアーズやジム・モリソンに対しては、ずっと複雑な思いを抱いていたのである。

そのドアーズの軌跡が映画になるという。
実はドアーズに関しての映画はこれが初めてではない。10年ぐらい前、オリバー・ストーンが監督を務め、どっかの若手俳優がジム・モリソン役をやったやつがあるはず。だけど、僕はそんな映画を見る気にはなれなかった。ジム・モリソンを俳優が演じるなんてクソだと思ったからだ(確か、元メンバーもこの映画には否定的なコメントを言っていたはず)。
でも、この「ドアーズ/まぼろしの世界」は純然たるドキュメンタリーだというではないか。映像はすべてバンドが活動していた71年までのもので、後から追加撮影されたものは全くないという。おまけに、監督のトム・ディチロは、僕の好きなジム・ジャームッシュ監督のストレンジャー・ザン・パラダイスで撮影監督を務めたと男だというし、ナレーションはなんとジョニー・デップ!
ピンときた。何かが僕の琴線に触れた。これは観ておかなければならない…。

結論から言うと、とてもストレートな作りでドアーズの活動を追った映画だと思った。
そして、僕の中ではこのバンドとジム・モリソンに対する見方がかなり変わったことを告白しなければならない。ジムは決して自滅したのではなかったのだ。この男は、アメリカという巨大な国の時代の潮流に翻弄されたのではないか。
これまで僕は、ジム・モリソンの死は自らがそこに向かって突っ走った結果だと思っていたところがある。いや、ジムに限らずオーバードーズで死に至ったミュージシャンのほとんどにそういう見方をしていたかもしれない。言ってみれば“緩やかな自殺”というか…。
しかし、ジムは決して死を望んではいなかったのだ。むしろ、そこから離れよう離れようともがいていたのだと思う。そんな彼を死に追いやったのは、カウンター・カルチャーの旗手として彼を持ち上げ、やがて掌を返すように保守化して彼を批判したアメリカという国そのものだったのだ。

うーーーん。大衆ってのは、つくづく残酷なものだなあ…。結局、彼らの音楽そのものがじっくり聞かれるようになったのは、ジムがいなくなってからなのだろう。僕が高校時代に体験した再評価の波は、そういう時期だったのかもしれない。まあ、実際にあのライブを見たら、僕だってジムの圧倒的なカリスマ性と喩えようもないぐらい独特なステージ・パフォーマンスに心奪われ、音楽なんか二の次になってしまっていたかもしれないけどね…。

オレはこのバンドの音楽をちゃんと聴いていたのだろうか…。そんな風に自省したりもした。ドアーズは、ある意味伝説化されやすいバンドだ。でも、この映画はあくまでもクールなドキュメンタリーに仕立ててあるのがすごく良いと思う。
出会ってから30年近く。僕はこの映画を見ることで、ようやくドアーズという水晶のようなバンドの実像が掴めたような気がしている。末期のコンサートでジムが叫んだ言葉、“楽しめ!”にはなんだか目の覚めるような思いがしたなあ。
映画学科の学生だったジムが、69年に自主制作した映画『HWY(ハイウェイ)』の映像が、違和感なく挿入されているのも素晴らしい。とにかくこの映画、ロック好きなら必見だと思う。

P.S. 新宿武蔵野館ではロビーに生前ジム・モリソンが残した直筆のイラストなんかも展示されてます。

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2010年11月 2日 (火)

皇居を走る

ミーハーと思われるかもしれないけど、皇居を走るのはやっぱりイイ。

最近は女性ランナーのメッカと言われている皇居。確かに都内で、これだけパノラマのように変わる景色が詰め込まれ、安全なコースはなかなかないと思う。起伏の変化があって1周5キロというキリの良さも便利。
木曜や金曜の夜はランナーで渋滞するほどの混雑ぶりだというが、僕は平日の昼間や休日の早朝に走るのであまりそういう場面に遭遇したことがない。

今日もおもいがけず平日に休みが取れた。最近の僕は、こういう時は躊躇うことなく皇居へ走りに行くことにしている。最近は長い距離を走る時間がなかなか取れなかったので、今日はLSDで走れるだけ走ろうと決めた。

結果、2時間23分かけて皇居5周。25キロ走った計算だ。荷物を預けてある神保町の某ランステから皇居までの往復2キロを加えれば、27キロぐらいは走ってるか…。今のところこれは僕の人生最長走行距離だ。

今月は21日にハーフマラソンがあるんだけど、実は気持ちはすでにフルに向いている。今年は無理かもしれないけど、ハーフのレース後も走りこんで、来年こそはフルマラソンに出たい。

レースが終わったら、また聖地皇居に来て今度は30キロ走に挑戦してみるつもりだ。

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2010年11月 1日 (月)

【映画】 ベンダ・ビリリ~もう一つのキンシャサの奇跡

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この映画は、アフリカのコンゴ民主共和国の首都キンシャサ出身のバンド、スタッフ・ベンダ・ビリリが、1stアルバムをリリースしてヨーロッパで成功するまでを描いたドキュメンタリーだ。いやあ~なんかもう圧倒されてしまった。超強力!なんなんだ、この徹底的に前向きな音楽は。
スタッフ・ベンダ・ビリリみたいな人たちってのは、日本では見て見ぬふりをされてしまう場面が多々ある。なにしろ、彼らはメンバー8人のうち4人が車椅子、1人が松葉杖という身体障害者。おまけに生活は徹底的に貧乏で、メンバーのほとんどはストリートに段ボールを敷いて寝泊まりをしているという有様なのだ。日本で言ったら、小人プロレスみたいなもんか。あれも、子供の頃は屈託なく見て笑ってたってのに、大人たちは見てはいけないものを見たように顔をしかめてたなあ…。
ベンダ・ビリリの音楽は、そんな過酷な境遇にもかかわらず徹底して明るい。いやいや、歌詞はなかなかにヘヴィだし、メロディーラインだって哀愁を帯びたものもあるんだけど、それでも底辺には“何とかなるさ”的ポジティヴさと強力な希望が満ち溢れているように感じるのだ。そして、なんと言ってもヘヴィな日常もぶっ飛ばしてしまうほどの異常なトランス感!
こういうの見ると、ほんと痛感する。かなわねえよ、とても…。

はっきり言って、彼らの奏でる音楽のジャンル自体はオレが日頃好んで聴くようなものではない。自分は“ワールド・ミュージック”と言われる音楽の要素を取り入れたロックを聴くことはあっても、生身のそれを聴くことはほとんどない。でも、そんなちっぽけな嗜好なんてぶっ飛ばしてしまうほどのエネルギーが彼らの音楽にはあるのだ。
オレはこの映画を見ていて、音楽ってこれまで自分が考えていたよりずっとシンプルなものだったのかもしれないと思った。結局、メロやリズムなんて関係ないのだ。大事なことは音楽がどれだけプレイヤーに根付いているか。生活に近いか。そういうことなんじゃないか…。
彼らには、どうしても歌いたくて、伝えたいことがあった。バンドでどっかにぶっ飛びたかった。極悪な生活からぶっ飛ぶためには歌うしかなかった。そりゃあ歌うだろう。必死で歌うだろうさ。そこにこめる情熱たるや、どっかで聴いた音楽を耳コピで真似る僕らとは端から志が違うんだと思う。この音楽の高揚感、溢れんばかりの情熱はそんなバックボーンがあるからこそに違いない。

僕にとって悔しいのは、つい最近彼らが日本を訪れて来日公演を行ったのを知らなかったこと。ああ、もう少し早くこのバンドの存在を知っていたなら…。やっぱり、自分の好きなジャンルばかりじゃなく、360度アンテナを張ってなきゃダメだなあ。日比谷野音で彼らのご機嫌なビートに身を委ねることができていたら、どんなに幸せだったことだろう。
ともあれ、映画からも彼らのエネルギーは十分に受け取った。このところ、ヘヴィな出来事に心沈む日々を送っていたんだけどれど、一発で元気になっちゃったなあ(笑)。こんなの見せられちゃ、落ち込んでなんかいる場合じゃない。“生きてるだけで丸もうけ”なんて気分になっちまったぜ(笑)。

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