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2010年11月25日 (木)

【本】夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです / 村上春樹(著)

51ahtnwu7l_sx230_1_2 村上春樹はメディアへの露出が極端に少ない作家である。テレビはおろか、雑誌のインタビューでさえほとんど受けることがない。しかし、いったん取材を受けたとなると、小説同様ずっと心に残る言葉を発して読む者の胸を深く打つのだ。
これはそんな氏の数少ないインタビューを集めた本。収録された時期は 『アンダーグラウンド』から『1Q84』発売直前まで。国内より海外の雑誌向けのものが多いのも、なんだかこの作家らしい。

あとがきによれば、氏は収録するインタビューを選ぶにあたり、似たような内容の部分は削除したというが、それでも同じような話が何度も繰り返し出てくる。これは、どのインタビュアーにとっても聞きたいポイントが共通しているということなんだろうが、似たような質問にも氏は毎回違う言葉を使って表現してみたり、角度の異なる視点からコメントを返すなどしているので、読んでいて飽きることがない。絶妙な受け答えは、氏の小説での独特の比喩を思い起こさせる。

何回も出てくる話の一つとして、氏は小説を書いている時、その結末をまったく分かっていないということがある。これだけ整った小説を書いているのだから、その展開や構成について、当然ある程度の設計図があるのかと僕なんかは思っていたのだけれど、それが全くないというのだから驚くよなあ…。と同時に、だからこそ氏の小説は心の深いところに降りてくるんだな、とも思った。

氏は、自身の作り上げた登場人物を使って筆を進めて行く時、意識の深層まで深く降りて(それを氏は井戸の中に降りていくという)、自身の心の奥にある暗闇を探る作業をするという。そして、それはとても体力のいるヘヴィな作業だとも語るのだ。
音楽を作り上げたり絵画を描くことと同様、小説を書くというのもある種の神がかり的な行為なのだと僕は思う。ポップスと呼ばれる音楽を作る人たちには、ある程度着地点を想定して音楽を作る人が多いのではないか。あらかじめ約束されたグルーヴのための音楽だったら、それでもかまわないだろう。だが、そこで得られるものはあくまでも予定調和内での感動だ。心の奥の深い襞まで届く音楽は、やはり闇を見て荒い息を吐きながら産み出したものだと僕は思う。中途半端なカバーなんてクソの足しにもならない。

氏は作家になってから走り始め、何度もフルマラソンを完走している長距離ランナーでもあるが、走り始めたのも、作家として井戸に降りていくための体力を維持するためなのだという。
どうだろう、この自己完結ぶり。一昔前まで、芸術家や表現者に健康なんていう言葉はアンマッチだった。作家は無頼であれ。青白き頬のままでいてこそ優れた小説は生れる…。そんなことを言って若死した作家が、過去どれだけいたことか。村上春樹は不毛なロウライフとは無縁なのだ。

翻って自分。オレは自分の井戸の中のどこまで降りていけるのだろう…。自分の持つ井戸がどれだけ深いのか、それさえもオレはよくわかっていないように思う。かつて、夏目漱石は自身の苦悩を“偉大なる暗闇”と言った。そこまで自分のダークサイドを突き放せる強さに僕は憧れる。氏のいうとおり、精神の不健康さを保つためには、肉体の健康を維持することが必要なのだ。

最後に書かれているあとがきも胸に沁みた。村上春樹は必要以上に抒情的なことを書き連ねる作家ではないが、そのシンプルな文章には長く仕事をしてきた同志に対する慕情が溢れていて胸を打たれた。

「僕は決して発展しながら小説を書いてきたのではなく、 あくまで小説を書くことによって、かろうじて発展してきたのだ」

小説を書くという作業を、これほどまでに美しく、謙虚に語る作家を、僕は他に知らない。

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