【本】マイ・バック・ページ - ある60年代の物語 / 川本三郎 (著)
この本に収められた文章は、現在、評論家として活躍している川本三郎氏が、1969年に朝日新聞社に入社して、週刊誌の記者をしていた時に体験した様々な出来事を綴ったものだ。
軸になっているのは、1971年のある事件。当時、急激に過激化していった新左翼グループ、「赤衛軍」によって陸上自衛隊朝霞基地の自衛官が殺害されるという事件が起きたのだが、川本氏はそれ以前から「赤衛軍」のメンバーだったKを取材していた。そして事件後もKに会い、殺害された自衛官が身につけていた警衛腕章を預かって、後にそれを消却処分してしまうのだ。これにより、川本氏は証拠湮滅の容疑で埼玉県警に逮捕されてしまう。氏は朝日新聞社を懲戒免職となり、懲役10ヶ月、執行猶予2年の有罪判決を受けた。
これを初めて読んだ時の衝撃は大きかった。軽やかな映画評論を書くライターとしての印象しかなかった川本氏に、こんな苦渋に満ちた「前科」があったとは…。
これは「個人」対「組織」とか、「理想」対「現実」という構図に置き換えることもできると思う。川本氏はKを新左翼の「思想犯」として見た。しかし、朝日新聞社内の大半の人物は、単なる「殺人犯」としてKを見た。だから当然Kの情報を当局に提供すべきと判断した。しかし、川本氏はジャーナリストにとっての「取材源の秘匿」をあくまで守り通そうとしたのだ。
今でもしばしば問題となる、ジャーナリストと取材対象者との信頼にまつわる問題。そして取材源の秘匿の範囲。これを子供っぽい正義感だとか、青臭い理想論だと見るむきもあろう。生き馬の目を抜くような世界の中で、氏のふるまいはナイーブ過ぎるという意見もあるかもしれない。僕自身、氏の立場になったらどういう行動をとっていたか、全く創造することができないし、川本氏自身、当時の判断が正しかったのか、間違いだったのか、未だに判断が下せないという。
ただ、これを境に氏はいっさい政治的なことを書かなくなった。ライターとしての自分の居場所は、映画や漫画などサブカルチャーの場にしかないと悟ったという。この事件は、川本氏が一生背負っていく重い十字架となったのである。
実は、僕がこの本に収められた文章に最初に出会ったのは、もう20年以上も昔のことだ。当時まだマイナーな雑誌だった「Switch」に川本さんの連載があり、大学生だった僕はそれを噛み締めるように読んでいた。
数年後、この連載は単行本化され、僕はすべての文章をまとめて読み返したのだが、その時も文章の重さは全く変わらなかった。むしろ、社会に出て理想と現実の狭間で格闘していたその時代の僕にとって、この本の苦さはより一層リアルに迫ってきたことを憶えている。
また、この時は本に出てきたある感情を指す言葉、氏が記者時代に常に抱いていて、最後まで消えなかったという「センス・オブ・ギルティ」という言葉が強く胸に迫ってきた。これは日本語にすると「良心の呵責」とか「罪の意識」という言葉になる。川本氏は、記者として安全を保障された中で、学生と機動隊の衝突を「取材」と称して「見物」するような行為が、どうしても納得できなかったのだ。詳細は省くが、当時似たような状況に陥っていた僕にとって、「センス・オブ・ギルティ」は、とても切実に感じ取れるものでもあった。
もう一つ。僕はこの本を読むことで、自分が勝手に作り上げてきた理想郷と決別した。白状すると、僕はこの本に出会うまで、60年代・70年代という時代に憧れに近い気持ちを持っていたのだ。それは僕が青春を過ごした80年代が、あまりにも空っぽな軽さに溢れていることへの反動だったのかもしれないが、若者たちがキャンパスで自由を叫んで行動し、その背後にはローリング・ストーンズやジミ・ヘンドリックスの力強い音楽が流れていたのが70年代だと、そんな甘くのどかな幻想をずっと持っていたのである。
しかし、ここに収められた70年代の断片は、どれも苦く、重く、暗かった。それは団塊世代の文化人が嬉々として語り、一時期の僕が憧れた輝かしい時代とはあまりにも違っていた。学園紛争は東大安田講堂攻防戦で終焉を迎え、若者の蒼き理想は、あさま山荘事件での無残な内ゲバで粉々に打ち砕かれた。そして斜陽化していく時代に引き摺り込まれるように、多くの若者が死んでいった。70年代の真ん中を生きた者にとっては、この時代は敗北と挫折に満ちていたのである。
これは自分にとってもある種の決意を呼び起こされた。オレたちにとって行くべき場所は何処にもないのだ。楽園なんかどこにもない。今ここに踏みとどまり、何かを成し遂げるしかないのだ…。僕は過去からそう学んだ。
「マイ・バック・ページ」にまつわる物語はまだ終わらない。
その後、この本は長く絶版になっていたのだが、先月の末に突然復刊されたのである。その理由にとても驚かされた。なんと、これが映画化されることになったのだそうだ!主演は妻夫木聡と松山ケンイチ。正直言って、とても複雑な気持ちである。なんだか、学生時代に辛い別れをした恋人に、街でばったり再会してしまったような気分…。
眩暈がするような展開だが、僕より10近くも年下の若い山下敦弘監督自らが、古本屋でこの本を見つけて衝撃を受け、ぜひとも映画化しなければならないと思ったというから、その感性を信じ、今はあまり先入観を持たずに映画の完成を待とうと思う。
それにしても、僕はもう何度この文章を読んだんだろう。そして、これから先、何度この文章を読むのだろう…。不思議なことに、ここに書かれた出来事は、もう40年以上も前のことなのに、80年代よりもむしろ今のほうが、よりにリアルに感じられる。今僕の立っているこの国で、あの頃のように熱い風が吹くことは二度とないにしてもだ…。
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