『クリスマスキャロル』発売記念ライブ 小坂忠、古書ほうろうで歌う / 2010年12月10日(金) 東京・千駄木 古書ほうろう
今思い返しても、なんだか信じられないような気持ちだ。僕の住んでいる町に、それこそ家から歩いて10分もかからない所に、あの小坂忠さんが来たのだから…。
若い音楽ファンには小坂忠の名前を知らない人もいるかもしれないが、忠さんは70年代の日本のロックを語るとき、絶対に忘れてはならない重要人物なのだ。忠さんが1969年に細野晴臣や松本隆らと結成した「エイプリル・フール」は、やがて「はっぴいえんど」へ発展していく母体となったバンドである。忠さんはロックミュージカル「HAIR」に出演することになったために、結果的には「はっぴいえんど」へは参加しなかったのだが、その代わりに入ったのが大瀧詠一。歴史ってのは不思議だよねえ…。その後、忠さんは75年のソロアルバム「ほうろう」の制作で細野さんたちと邂逅した。細野晴臣、鈴木茂、 林立夫、松任谷正隆による音楽集団「ティン・パン・アレー」がバックを務めたのだ。ティン・パン・アレー絶頂期の油の乗り切った演奏に、若き日の山下達郎、吉田美奈子、大貫妙子のコーラス隊が加わるというこのゴージャスなアルバムは、日本のR&Bの名盤として今なお多くの音楽ファンを魅了している。
僕がこのアルバムを初めて聴いたのは90年代に入ってからなのだが、その音は少しも古臭さを感じさせなかった。むしろ、当時の主流だった宅録では絶対に出せないグルーヴ感がそこにはあったのだ。音の職人達によるキレキレの演奏と、忠さんのしなやかなヴォイスに、とにかく圧倒されたのを憶えている。
その後、忠さんは牧師となりゴスペル・シンガーとして活躍していたのだが、2000年のTin Panへのゲスト出演を皮切りに再びポップスシーンに帰って来た。その後の忠さんは若手ミュージシャンとも数多く共演し、僕もリクオや山口洋との共演を通して、ようやくその素晴らしい歌声に直に触れる機会を得たというわけだ。
そして今年。なんと地元の町に忠さんがやってくることになったのだ。会場はホールでもライブハウスでもなく、古本屋。その名も「古書ほうろう」!
実は、この本屋がオープンした時期と、僕自身がこの町に引っ越して来た時期はほぼ同じなのだ。東京の下町・千駄木で12年、「古書ほうろう」は本を愛する人たちに支えられ、静かにこの町に根付いてきた。温かいぬくもりを感じさせる板張りの床にゆったりと本棚が配置され、店主の趣味性が反映された音楽が流れる空間は、そこに身をおくだけでも気持ちが和む。置いてある本も他ではなかなか見つからない濃厚なものばかりだ。
僕はこの町に来てすぐにここの常連となった。この町で日々を重ねるごとに「ほうろう」から購入した本も一冊また一冊と増えていった。やがて「古書ほうろう」は、ライブや詩の朗読会などのイベントも開催するようになり(友部正人さんや山口洋も来たことがある)、この町における文化の発信基地みたいな役目を果たすようになっていったのだ。
そうして迎えたのが、この日。ライブが実現した経緯は、店主・宮地さん自らがこことここに書いている。なにしろ忠さんの名盤から名を借りてスタートしたこの店に、遂に本人がやってくるのだから、宮地さんの感激は如何ほどか…。単なる客でしかない僕が、こんな貴重な場にいてもいいものなのかと思ったりもしたのだが、やはり忠さんのライブを自分の町で見る機会を逃したくないという気持ちには勝てなかった。
いやもう、素晴らしかった!この夜は僕の期待を遥かに上回る素晴らしいものとなった。
このライブは忠さんがトラディショナルな賛美歌を歌ったニューアルバム『クリスマスキャロル』の発売記念として開催されたものなので、1部は新譜からの曲が中心だったのだが、忠さんの歌うクリスマスソングのなんと優しく温かかったことか!冷たい冬空の下に灯る一本の蝋燭の炎のように、その声は力強く、確かなカタチを持って会場を舞った。
この日の忠さんは、バンドではなくギターの西海孝がサポートに入るだけのシンプルなスタイルだったのだが、豊かな音の響きは、実際に鳴っていた以上の音を観客に届けていた。忠さんのギターがヴォーカルと同じぐらい味わい深いのにも驚いたなあ。
古本屋とアコースティックな音楽がとても相性がいいことにも気付かされた。古本屋って独特の香りがするでしょう?僕はあの香りが大好きなんだけど、それはそれぞれの本が年を経てきた証であり、持ち主による生活の温もりでもあるのだと思う。そんな香りに包まれてアコースティックな音楽を耳にするのは、なんだかとても気持ちが落ち付くのだ。音響的にも、本が音を包み込むのか、コンクリート詰めのライブハウスとは違うタッチがあった。なんていうのか、とても丸くて柔らかいのだ。京都のライブハウス、磔磔の音を思い出したなあ、僕は。
休憩を挟み、2部は最近のアルバムや「ほうろう」からの小坂忠スタンダードを中心としたメニュー。「機関車」も歌われたし、「ほうろう」ももちろん歌われた。
僕のわずか数メートル先で歌われた「機関車」は圧倒的な説得力があった。ぐっときた。ものすごく胸に迫った。エモーショナルという言葉があるけれど、それをこんなにも感じた瞬間はかつてない。メロディーの素晴らしさ、詞の優しさ、忠さんの想いのこもった歌声、そのすべてが一体となって身体の中に流れ込んできた。音楽の持つ力ってこういうことなのかと思い知った。
「ほうろう」は、それがここで歌われているという事実そのものに感動してしまった。僕でさえそうなんだから、この時の宮地さんの想いは、いったいどれほどのものだったんだろう。そんなことを思うとまたぐっときちゃって…。
ライブ自体は1時間半ぐらいだったが、これほど人と人とのぬくもりが感じられたライブを、僕は経験したことがない。
この日のライブは、そのかなりの部分がハンドメイドで作られていた。たとえば、チケットはピックに「古書ほうろう」という屋号と日付が箔押しされ、クリスマスシールが貼られた台紙に挟みこまれたもの。これは店主の知人の方が一家総出で一つ一つ手作りしたのだそうだ。この日窓辺を飾っていたクリスマスツリー(オーナメントには忠さんのアルバムのミニチュアも…)も、この方が家から持ち込んだものだという。店内に漂うコーヒーの香りは、店主の奥さんミカコさん自らが淹れていたし、音響や撮影なども、店主さんを慕う多くの人がこの日のために駆けつけていたという。
こういうフェイス・トゥ・フェイスなタッチは、小坂さんの音楽の温かさとも共通するものがあったと思う。そういえば、入場時にいただいた手作りケーキとコースター(忠さん愛用のギターメーカー、テイラーが使っている木で作られたものとのこと)は、忠さんからの贈り物とのことだった。
ステージが設けられたのは、店の奥のほんの少しのスペース。観客はそのすぐ前にひかれた御座に靴を脱いで上がったり、本棚の隙間に並べられた小さな椅子に腰掛けたりしてライブを楽しんだ。飲み物は近くの酒屋で直接購入して店に持ち込むというスタイル。これってどんなライブハウスでも体験できないシチュエーションだよね(笑)。でも、それがよかった。ざわめく世間を横目に、心の底から気持ちを緩められた。四方を本で囲まれた忠さんも、まるで自分の家の書斎にいるみたいにリラックスしていたし、観客もみな忠さんのリビングルームに招かれたような気持ちになったのではないだろうか。
この日は、忠さんと「古書ほうろう」との橋渡しをした山口洋も会場に駆け付けており、終演後には少しだけ話をすることができた。この日、山口洋はあくまでも観客として来ていたのだが、もしかしたら、今後「古書ほうろう」で忠さんと共演することもあるかも?僕はそんな気がした。そんなライブが実現したら目が潰れちゃうなあ、オレ(笑)。
この時代に古本屋さんという商売を続けていくことは、決して簡単なことではないだろう。その中で店主さんは「ほうろう」の歌詞のごとく、自分たちのテンポで店を続け、遂にこの夜を実現させた。この日、僕は忠さんが歌っている“夢の続き”を見たのだと思う。
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HAGAさんの文章を読んでいると本当にくっきりと情景がうかびます。
すてきな街に住んでいらっしゃるんですね。
訪れた事はないけれど、きっと昔ながらの面影がのこっているであろう千駄木の町並みや、その中の古本屋さんの本の匂い、集っている皆さんの穏やかで暖かい雰囲気や笑顔、メロディもわからないけれど心に染み入るような忠さんの歌うクリスマスソング・・。
師走の日本はなんだかざわざわしているけれど、きっとこの日、「古書ほうろう」さんには特別な時間が流れていたのではないでしょうか?
小坂忠さんのお名前はよく知っていたけれど、牧師さんになられたことなどは全然知りませんでした。
私も忠さんのアルバムを聴いてみようと思いました。
古本屋さんで変なことを思い出してしまいました。
ドラマ「野ブタをプロデュース」でのキヨシロウの役どころ・・古本屋の店長でしたよね?
絶妙なキャスティングだったと思います。
投稿: そらら | 2010年12月15日 (水) 23:12
◆そららさん
千駄木や谷中、根津は昭和の町並みと新しい個性的なお店とが違和感なく調和しているところがイイです。
小坂忠さんは21世紀に入ってから若手ミュージシャンとの共演も積極的に行うようになりました。今年の春に出た「HORO2010」は絶対のおススメです!70年代の「ほうろう」のマスターテープが発見され、そこに今の小坂さんがボーカルパートだけ新たに入れ替えた作品なんですけど、これが言葉にできないぐらい素晴しいです。歳をとるって意外にいいもんだなあ、って思いますよ。
>「野ブタをプロデュース」でのキヨシロウの役どころ・・古本屋の店長でしたよね?
うん、あれも確か東京の下町でロケしたんですよね。僕の住まいの隣にあるお煎餅屋さんでは、YMOのお三方の撮影があったことがあります(笑)。
投稿: Y.HAGA | 2010年12月16日 (木) 08:23