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2010年12月

2010年12月23日 (木)

【映画】酔いがさめたら、うちに帰ろう

Yoi
アルコール依存症っていうのはなかなか難しい病気だと思う。だって、大多数の世間の人は“アル中になるなんて自業自得だ”と思って依存症患者に同情なんかしないでしょ?(苦笑)
この映画は、漫画家・西原理恵子とその旦那の鴨志田譲氏の家族にあった実際の話が元になっている。戦場カメラマンだった鴨志田さんは重度のアルコール依存症に苦しみ、病院に入院して治療に努める。しかし、症状の改善が見られ始めた頃に、末期の膵臓癌が見つかってしまうのだ。彼は病院を出て家族の元に戻るが、闘病かなわず帰らぬ人となった。西原さんは鴨志田さんのDVに耐えられず、いったんは離婚するのだが、別居時も子供と共にずっと鴨ちゃんを見守り、癌発症後は再婚してもう一度家族としての時間を過ごした。

実は、僕はこの映画をアルコール依存症と関わった家族の話だとは受け取りたくない。そりゃあ、医者の立場だったら“アルコール依存症は病気なんだから温かく見守ってあげてくださいね”なんて言うだろう。でも、実際に家族の一人がこんなだったら、周りの苦労は想像を絶すると思う。子供の成長にも影響してくるし、下手したら命の危機にさらされる事件だって起こりかねないだろう。
サイバラさんが壊れてしまった鴨ちゃんを最後まで見捨てなかったのは、鴨ちゃん自身にアル中時のダメっぷりを補って余りあるほどの人間的魅力がもともとあったからではないだろうか。であるならば、これは限りある時間の中を誇り高く生きた家族の再生の物語なんだと理解したい。

主演は浅野忠信と永作博美。もともと大好きな役者さん二人なのだが、この作品でも素晴らしい演技を見せていた。
永作博美、この神々しさはいったい何なのだ!なんだか、彼女は結婚して更にその母性に凄みが増したような気がする。ずっと抑えた演技をしてきた彼女が、夫の最期が近いことを悟って、玉葱を切りながら堰を切ったように涙を流すシーンは、どんなベテラン女優でも出せないような圧倒的な説得力があった。
浅野さんは相変わらずのダメダメっぷりが素敵(笑)。松たか子と共演した「ヴィヨンの妻」での太宰治もダメダメだったが、今回もアレを上回るダメっぷりで満足、満足(笑)。強いていえば、本物のアル中はあんなに健康的な顔色してませんけどね…。ま、浅野さんはリアルでは一滴もお酒を飲まないらしいので、そんなこと言ってもしょうがないんですけど。

それにしても、ダメダメ旦那としっかり女房、今年はじめに観た「今度は愛妻家」もそうだったけど、オレはこういうシチュエーションにほんと弱いなあ(苦笑)。
415gfaydtzl 「酔いがさめたら、うちに帰ろう」。この映画のタイトルは、鴨ちゃんが生前に残した著書名そのままなんだけど、酒呑みの切ない気持ちをこれほど適確に表している言葉はないと思う。
恥を忍んで告白すると、僕だって誰に聴いたって立派なダメ亭主だ(苦笑)。アル中ではないけれど、お酒の失敗だって数知れず。人は嬉しくて酒を飲むだけじゃない。何かから逃げたくて酒を飲むことだって多いのだ。僕だって虚しさを肴にグラスを傾ける夜を幾つもやり過ごしている。そして、ふと我に帰った時、自分には帰るうちがあることを思い出し、その幸せを噛み締めることになる。

話はどんどん脱線する(笑)。今話題の(笑)市川海老蔵が、記者会見で、暴力を振るわれていた時は“とにかく家に帰らなければ…と、それだけを考えていた”って言っていたじゃないですか。酒呑みの直感なんだけど、オレ、あれは本当のことを言っていると思うんですよ。酒を飲んで何かをしでかしてしまった時、酒飲みがまず考えることは“家に帰らなければ…”ですから。
彼が相手に逆襲したかどうかはわかりませんよ。でも“帰りたい”と思った人が自ら渦中に飛び込んで大立ち回りするようなことはないと思うんだよね、普通。確かにあいつはいけ好かない奴ではある(苦笑)。でも、その代償はもう存分に払ったんじゃないのかなあ?うーん、どうもオレは酒呑みの失敗には甘い…(苦笑)。

閉話休題。どういった境遇であれ、人はいずれ死ぬ。だったら、限られた時間でどれだけ楽しい思い出を作れるか、それが重要なのではないか。たとえ、その人の生きた時間の9割が糞ったれであったとしても、残りの1割が光り輝くものであれば、その思い出は残された者の心の中でずっと生き続ける。そう思うと、ダメダメ亭主の僕でも、なんだか救われるものを感じるなあ(笑)。

エンディング、きらきらと輝く波打ち際で戯れる家族のシーンに被さり、突然、忌野清志郎が歌う「誇り高く生きよう」が流れてきた。これ、事前情報を仕入れてなかったので、いきなりの不意打ち。くぅー!やられた!畜生、泣いちまったぜ…。

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2010年12月22日 (水)

【映画】ノルウェイの森

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原作があるものを二次作品化したものに接する時、どうしたってオリジナルとの比較をしないわけにはいかなくなる。僕も原作となった小説には強い思い入れがあるだけに、この映画に関してはなんとなく小説との刷り合わせをするような見方になってしまったことは否めない。
キャストについては、ワタナベ役の松山ケンイチ、緑役の水原希子はハマリ役。だけど、直子役の菊地凛子はどうなんだろう?僕の感覚としてはちょっとエキセントリックすぎるように思うのだが…。60年代当時の町並みやキャンパスの様子、それに音楽はGOOD。音楽はジョニー・グリーンウッドの書き下ろしのスコアに加え、CANの楽曲が意外に合っていてびっくりした。
まあ、細かい不満はあるものの、全体としては小説の静謐な世界観がよく出ているといって良いと思う。

ただ、上映時間という制約があったにせよ、小説の重要な部分が幾つか端折られているのが、どうしても気になった。
一番残念だったのは、最後の最後、直子を失ったワタナベとレイコが一夜を共に過ごす場面が、非常に薄っぺらく描かれていた点だ。小説では、ワタナベの部屋でレイコはビートルズの歌を次々に弾き語り、最後に深く身体を交えることになる。この場面は、生前の直子に深く関わった二人が、二人だけのやり方で直子を送る重要な場面だ。直子を失った哀しみをビートルズの「音楽葬」で弔ううち、二人の間に哀しみの共感が生まれていき、身体を重ねることで必死に喪失感と抗ってゆく…。それは単なる一夜の情交ではない。この世界がどんなに哀しみに満ちていようと、必死に「生」へ向かおうとする行為なのだ。

この場面はある意味「ノルウェイの森」のキモだと思う。描写されるのはビートルズの弾き語りと性交だけでも、そこには多くの物事が語られていた。かつてキズキを失った悲しみを直子と共有したワタナベは、今度はレイコさんと直子の死を共有することになってしまった。そんなワタナベの底知れぬ悲しみをわかっているからこそ、レイコさんはこの夜、身体を開いたのだ。本当は自分だって外の世界に出ることが怖くて怖くてしょうがないのに…。そのレイコさんの優しさと切なさに、僕は何度読んでも胸が締め付けられてしまうのだ。
それが映画では、弾き語りの部分はいっさい無し。レイコさんは唐突にワタナベに「抱いてくれない?」と切り出す。なんだか、とても安っぽいシーンになっちゃっていたのがとても残念だ。たぶん、版権の関係でビートルズの曲を使うことが出来なかったんだろうが、それでも何らかの形で音楽葬を盛り込んで欲しかったなあ…。

ただ、久々に迷い込んだ「ノルウェイの森」の世界はやっぱり強烈だった。死と生の激しいコントラストは、学生時代に原作を読んだ時から20年の歳月を経てなお、僕の心に強い揺さぶりをかけてきた。そう、まるで大人になったワタナベが、飛行機の中で流れ出した「ノルウェイの森」に激しく動揺してしまったように…。
映画が終わり、館内が明るくなっても、僕はしばらく席を立てなかった。そして自分の感じた強い揺さぶりが何だったのかをずっと考え続けることになった。なんだか、それは10代の終わりに小説を読んで感じた時の衝撃とは異なるもののような気がしたからである。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」

映画には出てこなかったけど、これは小説の中を一貫して流れる概念だ。20年前の僕はその意味を頭でしか理解できなかった。しかし、今の僕はあの頃より歳を重ね、身近な人や大切な人の「死」を、よりリアルに感じることが出来るようになってしまった。はっきり言うと、20年ぶりに足を踏み入れた「ノルウェイの森」の中で、自分の中の“老い”と“汚れ”を意識せずにはいられなかった。

小説の中で、ワタナベはこんなことを言う。

「僕は、君やキズキやレイコさんが捻じ曲がっているとはどうしても思えないんだ。捻じ曲がっていると僕が感じている連中はみんな元気に外を歩き回っている…」

直子やレイコは決して精神を病んでいるわけではないのだ。ただ、生き馬の目を抜くような現代社会を生きるために必要な“ある種の技術”が欠如しているだけ。その技術とは、永沢の持っているような世渡りの巧さであったり、自分を勝者たらしめるメンタリティということになるのだが、かつての僕らはそれらを汚れたもの、持ってはいけないものとして捉えていたのではなかったのか…。
気が付いたら、僕はそんな汚れた世界で生きていた。かつて僕の中にあった、硝子玉のような何かは、確実に損なわれてしまっていた…。
「ノルウェイの森」という作品は、直子やレイコの住む静寂な世界と、長沢や緑の住む喧騒に満ちた世界との間を行ったり来たりしながら、この汚れた世界に生きる者に、そんな哀しい現実を突きつけてくるのだ。

2010年12月。この世に生を受けて45年。
僕はいったい、今、何処にいるのだろう?

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2010年12月21日 (火)

白い恋人!?

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大阪出身の同僚からもらいました。
あはは。最高ですね、これ。さすが、吉本興業!

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2010年12月16日 (木)

小坂忠 NEW アルバム!「クリスマス・キャロル」発売記念 トーク&ライヴ / 2010年12月16日(木) 横浜サムズアップ

小坂忠 NEW アルバム!「クリスマス・キャロル」発売記念 トーク&ライヴ
小坂忠(Vo/G)/西海孝(G/Vo)
トークゲスト:佐野史郎
急遽決定 SPECIAL GUEST : 山口洋
OPEN18:00/START19:00

昨日に引き続き、この日もCHABOさんのDJ・Nightに行く予定だったんだけど、昨日参加してみてやっぱりこの企画は自分には合わないと思った。いくら好きなCHABOさんでも、僕にはこういう普段見ないチャンネルがいくつかある。たとえばこのDJイベントがそうだし、ビルボードで演奏する麗蘭もそうだ。それはどうしても自分の嗜好に馴染まない。でも、オレはファンだからってあるもの全てを甘受する必要はないと思うんだよね。そんなことをしてると自分が自分でなくなってしまう。要は自分の感性に忠実に動けばいいだけの話なんだから…。そう考えると、ますます足が重くなってしまった(苦笑)。昨日は大好きな竹中直人さんがゲストだったけど、今日の寺岡呼人には何の思い入れもないしなあ…(苦笑)。
逡巡してるうち、同じ日に横浜サムズアップで行なわれる予定の小坂忠さんのライブに、なんと山口洋がゲスト参加することが急遽決定したことを知る。1週間前に地元・千駄木で忠さんのライブを観たが、チャンスがあるのならもう一回観たいと思っていた矢先。これは南青山より横浜だべ!ってのが僕の出した結論だ。CHABOさん、ゴメン!(苦笑)

この日のサムズアップも、10日の千駄木でのライブと同様、ニューアルバムの「クリスマス・キャロル」の発売を記念して行なわれるもの。サポートがギターの西海孝というのも10日と同じだ。ただ、この日はトークゲストとして佐野史郎が来ることになっているので、千駄木とはかなり異なる構成になるであろうことが予想できた。
久々に来たサムズアップの店内は、クリスマス・デコレーションの電飾が飾られ、いつも以上にくつろいだ雰囲気に包まれていた。お客さんの入りは寂しかったけど、集まったのは忠さんの熱心なファンばかり。お嬢さんのasiahさんやそのお子さん(つまり忠さんのお孫さん)も駆け付けており、なんともアットホームなムード。

一部は西海さんのギターと共に「クリスマス・キャロル」に収録された曲を披露。この日も忠さんの声は素晴らしかった。この時期にしか聴けない歌を、極上のソウルボイスで堪能する楽しみを存分に味わった。
佐野史郎とのトークは1部の中ごろに行なわれたのだが、思ったよりもとても濃い話が飛び出した。特に印象に残っているのが、忠さんが最初に組んだバンド、フローラルについて。その後に細野さんや松任谷さんと作ったエイプリルフールは有名だけど、フローラルについては、これまで何故かあまり多くを語ってないですね?と佐野さんが忠さんに話をふる。それに対して“このバンドは日本のモンキーズファンクラブの後ろ盾でデビューさせられたようなものだったから、なんだか後ろめたかった”といった旨のことを忠さんは言っていた。いったん話し出したら止まらなくなっちゃったらしく、当時はアイドル路線でヒラヒラの衣装を着させられたとか、レコード会社が同じだった関係で島倉千代子と一緒にツアーをした(!)とか、驚愕のエピソードがぞくぞく登場(笑)。
終盤では「どろんこまつり」のさわりを披露する場面もあった。

2部は小坂忠+西海孝に、ギターの山口洋とパーカッションの永原元も加わる。これは素敵だった。もう、ほとんどバンドだ!ゆったりとオーガニックなサウンドで、お馴染みの小坂忠レパートリーが次々に披露された。
僕は、山口洋が自分の歌を弾き語るのではなく、誰かのためにでギターを弾く姿を見るのも大好き。敬愛する忠さんの傍で嬉しそうにギターを爪弾くヒロシは、普段自分のステージに立つ時よりずっと穏やかに見えた。西海さんとのコンビネーションも絶妙で、短いソロの交換があったり、なかなか聴き所が多い夜だったと思う。
途中からは佐野史郎もでてきて、なんと「機関車」と「ほうろう」を一緒に歌った。何か歌うかなあ?とは思ってましたが、まさか「機関車」とは!佐野さん、歌うまいんだなあ~。ちょっとびっくりしました。
最後に忠さんが歌ったのは、ロッド・スチュワートのカバー「セイリング」だった。これが演奏も含めて素晴らしかったんだよなあ…。なんだか、ロッドの曲というより、ロニー・レイン&スリム・チャンスの演奏を見ているみたいだった。

あっという間の2時間半。サムズアップの雰囲気にぴったりの素晴らしい夜だった。
小坂忠さんは同年代の旧友たちだけじゃなく、若手ミュージシャンとも積極的に共演しているが、それって本当に素晴らしいことだと思う。実際、それがあったからこそ、僕はリクオや山口洋を介して小坂忠さんのライブの素晴らしさを知ったわけでもあるし…。
来年も忠さんのライブにはできるだけたくさん足を運びたいと思う。忠さんの温かい声に包まれて幸せな気持ちをたくさん味わいたい。

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2010年12月15日 (水)

仲井戸“CHABO”麗市 DJ Night!! 「チャボとナオトのHoly Night」 / 2010年12月15日(水) 東京・南青山MANDALA

仲井戸“CHABO”麗市 DJ Night!!
「チャボとナオトのHoly Night」
2010年12月15日(水) 東京・南青山MANDALA
Guest:竹中直人 Open18:00/Start19:00

オレは自他共に認めるCHABO好きで、できるだけたくさんライブに行きたいと思ってるクチだ。だけど、実はこのDJイベントだけはどうしても違和感が拭えない。いや、テーマにのっとったCHABOの選曲には興味があるし、ゲストとのトークも楽しみではある。でも、なにもこういう形でやらなくても良いのでは?ってどうしても思っちゃうんだよなあ…。たとえば、このイベントの内容で雑誌の対談だったりラジオ番組だったりするならば、ぜんぜん印象は違ってくると思うのだ。だけど、ライブイベントとしてDJをやるってどうなんだろう…。
個人的に一番違和感を感じるのは、曲が流れてる時にいったいどこを見たら良いのかわからなくなってしまうこと(苦笑)。僕は、このイベントは基本的にCHABOが良いと思ってる曲を、みんなでじっくり聴いてみましょうっていう趣旨だと思ってる。だから、できるだけその曲の世界に没頭しようと、スクリーンに映るジャケット写真を一生懸命見てたりするんだけど、なにしろ目の前にCHABOがいるわけじゃん。“CHABO、どんな顔してこの曲聴いてんだろう?”なーんて思って、どうしてもそっちを観ちゃうんだよなあ…。これが自己嫌悪(苦笑)。はっきり言って曲に集中できない。CHABO自身もそんな観客の視線を意識してるのかいないのか、なんとなくそわそわしていて、お互いに居心地悪い空間になっちゃってると思うんです(苦笑)。他の人はどうか知らないが、僕は普段音楽に没頭してる姿を人からまじまじと見られたりしたらかなりイヤだ。はっきり言って、家族にもそういうところは見られたくないぐらい。CHABOも同じだと思う。四方から視線を浴びるのはけっこうキツイと思うぜ。

ただ、今回のゲストは竹中直人さん。彼がCHABOや清志郎の大ファンであるということを抜きにしても、僕はこの俳優さんが大好きなので、これは見てみたいなあと思わされた。
結果として、トークも選曲もとても面白かった。イベントへの違和感は相変わらずだったが、僕の参加した数少ない(笑)CHABOのDJイベントの中でも、間違いなく満足度はNo.1だった。

雑誌のインタビューで知ってはいたが、お酒をいっさい飲らないことで有名だった竹中さんが、この日はワインをぐびぐび。これは実際に見るとかなりの驚きだった。しかも、相当の量を呑んでたぞ!(笑)フルボトル一本は軽く空けてたはず。CHABO曰く、竹中さんは楽屋でも飲んでたっていうんだから、トータルでどんだけ呑んでたんだろう、この人(笑)。でも、全然顔に出ないし呂律が回らなくなったりもしてなかった。お酒、強いんだなあ、竹中さん。うん、こういうところをリアルに観られるのはこのイベントの良いところかも!(笑)

それにしても、竹中さんの選曲はとても興味深かった。
CHABOは竹中さんがスティーリー・ダンの「DO IT AGAIN」を選んできたことを意外だ、意外だといっていたけれど、全然意外じゃない。如何にも竹中さんらしい選曲だと思う。これは僕も大好きな曲で、久々に大きな音で聴けたのは嬉しかった。パーカスのイントロからキーボードが絡む瞬間、二人が顔を見合わせて“ここがカッコいいよねー”って言ってたのには、オレも思わず膝を打ちたくなったな。
個人的にこの曲にはとても大きな思い入れがある。10年以上前になるんだけど、仕事でカナダに1ヶ月滞在した時、あっちのテレビでこの曲がチョコレートのCM曲に使われていたのだ。あのクールでタイトなリズムと、カナダの冬の荒涼たる風景がなんかすごく合ってたんだよなあ…。
竹中さんが“ドナルド・フェイゲンの声が好き”って言ってたのも納得だ。この日は、クルト・ワイルの三文オペラをカバーしたスティングもかけたんだけど、たぶん竹中さんはああいうタッチの男性ボーカルが好きなんだろう…。

全体的に映画音楽からのセレクトが多かったことが印象的で、それに伴うフェバリット・ムービーの話はファンにはかなり貴重だったと思う。特に「ベティ・ブルー」はDVDが完全版で出ていて、それが劇場公開版とはかなり違うっていう話は、全く知らなかっただけにとても驚いた。竹中さんはだんぜん劇場公開版が好きらしい。僕は劇場版しか見たことがないんで、これはDVDの完全版を絶対見なきゃと思った。でも大好きな映画だし、印象が変わっちゃったら嫌だなあ…(苦笑)。

改めて思ったが、竹中さんはあの世代には珍しいぐらいヨーロッパ嗜好を強く持っている人だ。そして、フラットな部分を少しだけ外れた、激しい愛への憧憬が好きな映画の話から垣間見れる。そのあたりが、この人の演技が独特の余韻を残す秘密なのだろう。うん、ますます竹中さんが好きになりました。

竹中さんが舞台用にやってもらったという、栗コーダーカルテッドによるフィッシュマンズ・カバーも流された。これはCD化されていないとても貴重な音源。曲は「バックビートにのっかって」と「頼りない天使」。これはぐっときたなあ…。佐藤くんの、あの背景に溶けて行ってしまいそうな儚い笑顔を思い出した。

最後にセレクトされたのは、竹中さんが監督をした映画 『119』 のサントラから、忌野清志郎の「満月の夜」。努めて平静を保とうとしたけど、あの声が大音量で流れるとぐっとくる、やっぱし。清志郎、「笑っていいとも」のテレフォンショッキングでもこれを歌ったことがあったっけ…。
それにしても、今、清志郎がいないなんてなんだか信じられない。なんだか、1年前の今頃よりもいなくなってしまった実感が薄くなっている。そんな自分の気持ちに戸惑っていることにも気付かされた。もう、突然涙が出てくるようなことはなくなったけど、気持ちの落ち着きどころが見つからずにいる…。そんな感じなのだ。
アンコールは2人で古井戸の「ポスターカラー」を弾き語り。スゴイや…。あれだけ呑んでてよく指動きますねえ、竹中さん。

CHABOのことをあんまり書けなくなっちゃったけど、旧友と二人でリラックスしてたのか、この日も鮮やかな進行ぶりを見せてくれた。楽しくて、和やかで、ちょっぴり切なくて…。なんだかんだ言って、とてもいい夜を過ごせました。気のおけない人と、こんな風にクリスマスが過ごせたら良いなあ、なんて思ったな。

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2010年12月12日 (日)

斉藤和義 LIVE TOUR 2010 “STUPID SPIRIT” / 2010年12月12日(日) ZEPP TOKYO

CHABO絡みのライブとか、Leyonaの10周年記念とか、イベントではちょくちょく観てるんだけど、単独ライブの斉藤和義はかな~り久しぶりだ。でも、ずっと行きたかったんだよねえ、この人のライブ。
斉藤和義に関して、ロックと歌謡曲との境界線的なところに位置付けてるロックファンはけっこう多いと思う。それはたぶんCMソングになってるようなスィートな楽曲のイメージが強いからだと思うんだけど、僕はせっちゃんって本質的にはゴリゴリにロックな人だと思っているのだ。聴きやすい楽曲の中にカッコいいギターリフが入ってて、時々びっくりするぐらいヘヴィな歌詞がのっかる…。反論覚悟で言うと、ある意味、今の若手の中では一番忌野清志郎の楽曲と似た世界観を持ってるんじゃないかと思う。

僕の記憶だと、単独ライブに行くのは2002年の野音以来だから、なんと8年ぶり!
会場に入ってまずはびっくり。だって、だだっ広いZEPP TOKYOがぎっしりなんだもん!東京は2日間公演だったんだけど、そこにこれだけの人を集めちゃうってのは凄い。いやあ~しばらく見ないうちにビックになっちゃったのねえ、せっちゃん!
2階席には有名人もけっこう来てたみたい。誰かが入ってくるたび、観客が上を見上げていた。オレは唯一、竹中直人が派手なコートを着てど真ん中に座ってたぐらいしかわからなかったけど(苦笑)。観客は若い女子率高し。でも、よく見ると同世代もけっこういて、中には頭の薄くなったおっさんや恰幅のいいおばちゃんなんかもいたんでかなり安心した(笑)。意外だったのは、若い女の子でも独りで来てる人がけっこう見受けられたこと。経験上、一人でライブに来てるような女子ってのは、男以上に熱心なファンであることが多い。こういう女性ファンをがっちり掴んじゃってるのはさすがです、せっちゃん。

この日のライブは新譜の「ARE YOU READY?」を中心に、最近リリースされたアルバムからの曲が多かった。「僕の見たビートルズはTVの中」も「歌うたいのバラッド」も「幸福な朝食 退屈な夕食」もないセットリスト。うーん、時代は変わる…(笑)。
でも、すごく楽しめたなあ。やっぱ、せっちゃんはライブの人だと確信。アルバムで聴くより何倍もロックしたせっちゃんが堪能できた。アルバムでは一人で全ての楽器を担当している曲も多いが、ライブでのせっちゃんはギターとボーカルに専念し、サイドをギター2人とベース、ドラムががっちりとサポートする。なんと、この日はトリプルギターだったのですよ!最近のライブでは、エマーソン北村さんとか、キーボードが入ってるって聞いてたんで、これはちょっと意外ではあった。でも、その分サウンドはかなりハードになっていて、個人的には大満足!やっぱ、斉藤和義はこうでないと!
せっちゃんはテレキャスター、アコギ、レスポール、フライングVと次々にギターを持ち替えて嬉しそうに弾きまくっていた。いやあ~、カッコいい!やっぱせっちゃん、ギターすげえ巧い!
それと、改めて思ったんだけど、なんて色っぽい声なんだろうねえ、この人って(笑)。MCの時なんかは「うぃーっす」みたいな、のへーっとした感じなんだけど、歌い出すととたんに甘く艶っぽくなる。まあ、これが天性のボーカリストってことなんだろうな。

少し前に化粧品のCMで使われてた「ずっと好きだった」は、3曲目ぐらいで早々と演奏された。これは、もともとのチャック・ベリー風な出だしの前に、さらにT-REX風のイントロをくっ付けるという、ライブならではのアレンジがむちゃくちゃイカしていた。これで会場をうっとりさせておき、間髪いれずに「FIRE DOG」をやったりするからたまらない。

中盤にはギターの3人によるアコースティック・コーナーも。こういうフォーキーな持ち味もこの人の魅力。ちょっとぐっときちゃったのは「名前を呼んで」。これ、アルバムで聴いた時にはラブソングだとばかり思ってたんだけど、ライブで聴いて、突然“この曲は清志郎のことを歌ってるんじゃないか?”って思ったんだ。

後半の酸欠コースも素敵だった。沢田研二の「ダーリング」のカバー、「歩いて帰ろう」、「社会生活不適合者」。いやあ~素敵、素敵。すごくわかりやすくて楽しいR&R大会だった。
アンコールでは、ポンキッキつながりでスチャダラパーのBoseがゲストで登場して「いたいけな秋」を共演した。ラップと斉藤和義って意外に合うのが面白い。

オレ、ライブを観てて“今、せっちゃんは幸せなんだろうな~”ってすごく感じた。斉藤和義はどの時期でも楽曲のクオリティはとても高くて、アルバムの出来不出来はあまりない人だと思う。だけど、その時の環境で楽曲のカラーはかなり変わるんだよね。たとえば、2003年の「NOWHERE LAND」や「青春ブルース」の頃は、迷いが感じられるというか、なんとなくダークなフィーリングが感じられる曲ばかりだが、このところの曲にはそういうタッチはあまり感じられなくなった。それは、シングルがヒットして世間に大々的に受け入れるようになったこととか、いい人たちと一緒にやれるようになったこととか、いろんな要因があるんだろうけど、一番大きな変化はやっぱり彼に新しい家族が出来たことなんじゃないかと思う。
本編最後の「罪な奴」は、正にそんな彼の日々を赤裸々に歌った衝撃曲だ(笑)。演奏はライブ全体の中でも最高にハードだったんだけど、それでもヘヴィなフィーリングは感じられないんだよね。コーラスの“オギャー!、オギャー!”は最高。フライングVをギンギンに弾き倒しながら、こういうロックを演るってのも、なんだか清志郎っぽいって思った、オレは。

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2010年12月11日 (土)

ソウル・フラワー・ユニオン『「キャンプ・パンゲア」発売記念ツアー』」 / 2010年12月11日(土)赤坂BLITZ

いやはや今回のSFUは凄かった。見るたびスゲエ!と思っちゃうSFUだけど、この日のライブは僕がこれまで見た中でも、一番気合いが入っていたと思う。バンドはいつものメンツに加え、ヒデ坊(伊丹英子)とモノノケ・サミットの大熊亘を呼び寄せ、セットリストも新旧取り混ぜ3時間という磐石ぶり。やっぱ、これは会場が赤坂BLITZだったからなんだろう。外見に似合わず意外とビビりの中川敬(笑)、柄にもなく大きな会場でやることになって、ちゃんと人が集まるか心配だったんだろうなあ(苦笑)。
ところが、ところが、蓋を開けたらフロアはお客さんでぎっしり。これはメンバー、嬉しかったに違いない。中川もゴキゲンで終始ノリノリ(わかり易い男だ…(笑))。美保ちゃんもお客さんを煽りまくりで、まるで忘年会みたいな楽しい宴となった。

僕もこの日は騒ぎまくった。もう、冒頭の3曲で頭の中が真っ白(笑)。SFUナンバーの中でも超オキニの3連発、「サヴァイヴァーズ・バンケット」→「ラヴィエベル~人生は素晴らしい~」→「ムーンライト・ファンファーレ」の流れを轟音で聞くのは本当に気持ちよかった。

この日の僕はフロアの後ろのほうで観てたんだけど、最初から会場全体が波のように揺れていた。もう明日のことなんかどうでもいい。とにかくこの場を楽しめ!エネルギーを放ち、放たれ、思い切り唄い踊れ!そんな感じで、パンク小僧みたいにピョンピョン跳ねてる奴がいるかと思えば、沖縄民謡のように掌をひらひらして踊ってる人がいたり、決まりごとがなくてみんなそれぞれのやり方でライブを楽しんでいる。とにかく、SFUのファンのノリってすごく独特なのだ。最近は慣れてきたけど最初はちょっとびっくりしたな、オレ(笑)。でも、このフリーな雰囲気に身を置く快感を覚えてしまうと、SFUのライブはもう止められない、止まらない(笑)。

ニューアルバム「キャンプ・パンゲア」からの曲ももちろん演奏された。僕はこの日会場でアルバムを購入したから、新譜は未聴状態だったんだけど、いくつかの曲は今年春の闇鍋音楽祭や夏のツアーでも演奏されていた。っていうか、最近のSFUの曲は何を聴いても、前から耳に馴染んでいた曲のような気持ちになってしまう。それだけ楽曲としてのクオリティーが高いってことなんだろう。もともとミクスチャー・ミュージックなんて言われていたSFUだけど、僕はその範疇が前よりもっと広くなったように感じる。視野がワールドワイドになって、世界中の音楽のいいところだけをどんどん抽出してる感じだ。しかも、表面をなぞるんじゃなくて自分達で一回飲み込んで咀嚼しているから、曲がすごくこなれて誰が聴いても一発で楽しめてしまうようになってるんじゃないかなあ…。
カバーの選曲にしても、SFUのかっぱらい方は節操がないというか、とても大らか(笑)。だって、スタカンの「Mick's Blessing」とマーティン・デニーの(というか、これはYMOか?)「ファイアー・クラッカー」を同じライブ内で聴けるなんて考えられないでしょ、普通?(笑)でも、SFUだと全然違和感を感じないんだな、これが。
オレ、この日演奏された「ファイアー・クラッカー」のカバー、すごく気に入った!これはメインのメロを奥野真哉が弾き、ギターやベースが合いの手を入れるんだけど、ビートの刻み方がとてもとてもツボ。たぶん、中川も奥野も高校時代にはかなりYMOを聴いていたんだろう。この感覚は同世代としてとてもよくわかる。

ヒデ坊はむちゃくちゃカッコよかった。楽器はブズーキーとチンドン太鼓だったけど、エレキを弾かなくてもその佇まいは、超ロックっぽい。いやあ~あれほどカッコよくブズーキーを弾く人を、僕は初めて見た!(笑)ヒデ坊はモノノケのステージには出ていても、SFUでプレイするのはかなり久しぶりのはずだ。でも、全くブランクを感じさせないのはさすが。今年の秋には、いろんな困難にぶち当たりつつも、辺野古でのフェスを大成功させたみたいだし、ほんとにカッコいい女性だと思う。ロック姉ちゃんの正しい歳のとり方を見る感じ…。あ、こんなこと言ったらヒデ坊に怒られるか…(苦笑)。
ヒデ坊と一緒にやるのは中川たちもやっぱり嬉しいらしく、この日はNEWEST MODELの「こたつ内紛争」も飛び出した。もう何も言うことないです。カッコよすぎです!あとはアレでしょう。タイミングがあえば是非うつみようこ嬢も!SFU+ヒデ坊+うつみようこで夏の野音なんかでライブがあったりすれば、女房を質に入れてでも観に行きますよ、オレ!(笑)

アンコールはこってりと3回。この時は、なんか異様なおっさんがステージに現れてノリノリで踊り始めた。誰かと思ったらイラストレーターの八木康男。なんか酔っ払いのタコ踊りみたいだったけど、実はこの人、細野さんの名盤「トロピカル・ダンディ」のジャケットなんかも手掛けた大アーティストなのだ。どうやら、今SFUの本を手掛けているらしい。“じゃがたら、ボ・ガンボスと来てソウルフラワーをやれるのは嬉しい”って言ってたな。これは楽しみだ。

気がついたら3時間超えの長尺ライブ。でも、ほんと楽しかったなあ~。自分でも大人気ない…”と呆れてしまうぐらい騒ぎまくってしまった(笑)。大人気ないっていえば、この日フロアの後方には子供連れもけっこう多かった。アーティストによっては、子供の入場がそぐわないようなライブもあると思うが、SFUに関しては全然アリでしょう!小さい子供がピョンピョン跳ねるその隣で、お父さんが大きな声で唄ってる姿はとても微笑ましかった。うん、オレも今度は子供連れて来ようかなあ?(笑)

すべてのライブが終わって、会場に流れたのは「死ぬまで生きろ!」だった。メンバーはとっくにステージから去り、会場が明るくなっているというのに、お客さんはほとんど帰らずにそれを大合唱している。それぞれがそれぞれのやり方でライブの余韻を楽しんでいた。これもなんか、すごくイイと思ったなあ…。
人生一度きり。生きてるだけで丸儲け。オレもせっかくの人生なんだから、死ぬまで生きよう!強くそう思った。正に年の瀬にぴったりのライブ。来年もいっぱいSFUのライブを観に行きたい。

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2010年12月10日 (金)

『クリスマスキャロル』発売記念ライブ 小坂忠、古書ほうろうで歌う / 2010年12月10日(金) 東京・千駄木 古書ほうろう

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今思い返しても、なんだか信じられないような気持ちだ。僕の住んでいる町に、それこそ家から歩いて10分もかからない所に、あの小坂忠さんが来たのだから…。
若い音楽ファンには小坂忠の名前を知らない人もいるかもしれないが、忠さんは70年代の日本のロックを語るとき、絶対に忘れてはならない重要人物なのだ。忠さんが1969年に細野晴臣や松本隆らと結成した「エイプリル・フール」は、やがて「はっぴいえんど」へ発展していく母体となったバンドである。忠さんはロックミュージカル「HAIR」に出演することになったために、結果的には「はっぴいえんど」へは参加しなかったのだが、その代わりに入ったのが大瀧詠一。歴史ってのは不思議だよねえ…。その後、忠さんは75年のソロアルバム「ほうろう」の制作で細野さんたちと邂逅した。細野晴臣、鈴木茂、 林立夫、松任谷正隆による音楽集団「ティン・パン・アレー」がバックを務めたのだ。ティン・パン・アレー絶頂期の油の乗り切った演奏に、若き日の山下達郎、吉田美奈子、大貫妙子のコーラス隊が加わるというこのゴージャスなアルバムは、日本のR&Bの名盤として今なお多くの音楽ファンを魅了している。
僕がこのアルバムを初めて聴いたのは90年代に入ってからなのだが、その音は少しも古臭さを感じさせなかった。むしろ、当時の主流だった宅録では絶対に出せないグルーヴ感がそこにはあったのだ。音の職人達によるキレキレの演奏と、忠さんのしなやかなヴォイスに、とにかく圧倒されたのを憶えている。
その後、忠さんは牧師となりゴスペル・シンガーとして活躍していたのだが、2000年のTin Panへのゲスト出演を皮切りに再びポップスシーンに帰って来た。その後の忠さんは若手ミュージシャンとも数多く共演し、僕もリクオや山口洋との共演を通して、ようやくその素晴らしい歌声に直に触れる機会を得たというわけだ。

そして今年。なんと地元の町に忠さんがやってくることになったのだ。会場はホールでもライブハウスでもなく、古本屋。その名も「古書ほうろう」!
実は、この本屋がオープンした時期と、僕自身がこの町に引っ越して来た時期はほぼ同じなのだ。東京の下町・千駄木で12年、「古書ほうろう」は本を愛する人たちに支えられ、静かにこの町に根付いてきた。温かいぬくもりを感じさせる板張りの床にゆったりと本棚が配置され、店主の趣味性が反映された音楽が流れる空間は、そこに身をおくだけでも気持ちが和む。置いてある本も他ではなかなか見つからない濃厚なものばかりだ。
僕はこの町に来てすぐにここの常連となった。この町で日々を重ねるごとに「ほうろう」から購入した本も一冊また一冊と増えていった。やがて「古書ほうろう」は、ライブや詩の朗読会などのイベントも開催するようになり(友部正人さんや山口洋も来たことがある)、この町における文化の発信基地みたいな役目を果たすようになっていったのだ。

そうして迎えたのが、この日。ライブが実現した経緯は、店主・宮地さん自らがここここに書いている。なにしろ忠さんの名盤から名を借りてスタートしたこの店に、遂に本人がやってくるのだから、宮地さんの感激は如何ほどか…。単なる客でしかない僕が、こんな貴重な場にいてもいいものなのかと思ったりもしたのだが、やはり忠さんのライブを自分の町で見る機会を逃したくないという気持ちには勝てなかった。

いやもう、素晴らしかった!この夜は僕の期待を遥かに上回る素晴らしいものとなった。
このライブは忠さんがトラディショナルな賛美歌を歌ったニューアルバム『クリスマスキャロル』の発売記念として開催されたものなので、1部は新譜からの曲が中心だったのだが、忠さんの歌うクリスマスソングのなんと優しく温かかったことか!冷たい冬空の下に灯る一本の蝋燭の炎のように、その声は力強く、確かなカタチを持って会場を舞った。
この日の忠さんは、バンドではなくギターの西海孝がサポートに入るだけのシンプルなスタイルだったのだが、豊かな音の響きは、実際に鳴っていた以上の音を観客に届けていた。忠さんのギターがヴォーカルと同じぐらい味わい深いのにも驚いたなあ。

古本屋とアコースティックな音楽がとても相性がいいことにも気付かされた。古本屋って独特の香りがするでしょう?僕はあの香りが大好きなんだけど、それはそれぞれの本が年を経てきた証であり、持ち主による生活の温もりでもあるのだと思う。そんな香りに包まれてアコースティックな音楽を耳にするのは、なんだかとても気持ちが落ち付くのだ。音響的にも、本が音を包み込むのか、コンクリート詰めのライブハウスとは違うタッチがあった。なんていうのか、とても丸くて柔らかいのだ。京都のライブハウス、磔磔の音を思い出したなあ、僕は。

休憩を挟み、2部は最近のアルバムや「ほうろう」からの小坂忠スタンダードを中心としたメニュー。「機関車」も歌われたし、「ほうろう」ももちろん歌われた。
僕のわずか数メートル先で歌われた「機関車」は圧倒的な説得力があった。ぐっときた。ものすごく胸に迫った。エモーショナルという言葉があるけれど、それをこんなにも感じた瞬間はかつてない。メロディーの素晴らしさ、詞の優しさ、忠さんの想いのこもった歌声、そのすべてが一体となって身体の中に流れ込んできた。音楽の持つ力ってこういうことなのかと思い知った。
「ほうろう」は、それがここで歌われているという事実そのものに感動してしまった。僕でさえそうなんだから、この時の宮地さんの想いは、いったいどれほどのものだったんだろう。そんなことを思うとまたぐっときちゃって…。

ライブ自体は1時間半ぐらいだったが、これほど人と人とのぬくもりが感じられたライブを、僕は経験したことがない。
この日のライブは、そのかなりの部分がハンドメイドで作られていた。たとえば、チケットはピックに「古書ほうろう」という屋号と日付が箔押しされ、クリスマスシールが貼られた台紙に挟みこまれたもの。これは店主の知人の方が一家総出で一つ一つ手作りしたのだそうだ。この日窓辺を飾っていたクリスマスツリー(オーナメントには忠さんのアルバムのミニチュアも…)も、この方が家から持ち込んだものだという。店内に漂うコーヒーの香りは、店主の奥さんミカコさん自らが淹れていたし、音響や撮影なども、店主さんを慕う多くの人がこの日のために駆けつけていたという。
こういうフェイス・トゥ・フェイスなタッチは、小坂さんの音楽の温かさとも共通するものがあったと思う。そういえば、入場時にいただいた手作りケーキとコースター(忠さん愛用のギターメーカー、テイラーが使っている木で作られたものとのこと)は、忠さんからの贈り物とのことだった。

ステージが設けられたのは、店の奥のほんの少しのスペース。観客はそのすぐ前にひかれた御座に靴を脱いで上がったり、本棚の隙間に並べられた小さな椅子に腰掛けたりしてライブを楽しんだ。飲み物は近くの酒屋で直接購入して店に持ち込むというスタイル。これってどんなライブハウスでも体験できないシチュエーションだよね(笑)。でも、それがよかった。ざわめく世間を横目に、心の底から気持ちを緩められた。四方を本で囲まれた忠さんも、まるで自分の家の書斎にいるみたいにリラックスしていたし、観客もみな忠さんのリビングルームに招かれたような気持ちになったのではないだろうか。

この日は、忠さんと「古書ほうろう」との橋渡しをした山口洋も会場に駆け付けており、終演後には少しだけ話をすることができた。この日、山口洋はあくまでも観客として来ていたのだが、もしかしたら、今後「古書ほうろう」で忠さんと共演することもあるかも?僕はそんな気がした。そんなライブが実現したら目が潰れちゃうなあ、オレ(笑)。

この時代に古本屋さんという商売を続けていくことは、決して簡単なことではないだろう。その中で店主さんは「ほうろう」の歌詞のごとく、自分たちのテンポで店を続け、遂にこの夜を実現させた。この日、僕は忠さんが歌っている“夢の続き”を見たのだと思う。

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2010年12月 9日 (木)

【本】マイ・バック・ページ - ある60年代の物語 / 川本三郎 (著)

834084 この本に収められた文章は、現在、評論家として活躍している川本三郎氏が、1969年に朝日新聞社に入社して、週刊誌の記者をしていた時に体験した様々な出来事を綴ったものだ。

軸になっているのは、1971年のある事件。当時、急激に過激化していった新左翼グループ、「赤衛軍」によって陸上自衛隊朝霞基地の自衛官が殺害されるという事件が起きたのだが、川本氏はそれ以前から「赤衛軍」のメンバーだったKを取材していた。そして事件後もKに会い、殺害された自衛官が身につけていた警衛腕章を預かって、後にそれを消却処分してしまうのだ。これにより、川本氏は証拠湮滅の容疑で埼玉県警に逮捕されてしまう。氏は朝日新聞社を懲戒免職となり、懲役10ヶ月、執行猶予2年の有罪判決を受けた。

これを初めて読んだ時の衝撃は大きかった。軽やかな映画評論を書くライターとしての印象しかなかった川本氏に、こんな苦渋に満ちた「前科」があったとは…。
これは「個人」対「組織」とか、「理想」対「現実」という構図に置き換えることもできると思う。川本氏はKを新左翼の「思想犯」として見た。しかし、朝日新聞社内の大半の人物は、単なる「殺人犯」としてKを見た。だから当然Kの情報を当局に提供すべきと判断した。しかし、川本氏はジャーナリストにとっての「取材源の秘匿」をあくまで守り通そうとしたのだ。
今でもしばしば問題となる、ジャーナリストと取材対象者との信頼にまつわる問題。そして取材源の秘匿の範囲。これを子供っぽい正義感だとか、青臭い理想論だと見るむきもあろう。生き馬の目を抜くような世界の中で、氏のふるまいはナイーブ過ぎるという意見もあるかもしれない。僕自身、氏の立場になったらどういう行動をとっていたか、全く創造することができないし、川本氏自身、当時の判断が正しかったのか、間違いだったのか、未だに判断が下せないという。
ただ、これを境に氏はいっさい政治的なことを書かなくなった。ライターとしての自分の居場所は、映画や漫画などサブカルチャーの場にしかないと悟ったという。この事件は、川本氏が一生背負っていく重い十字架となったのである。

実は、僕がこの本に収められた文章に最初に出会ったのは、もう20年以上も昔のことだ。当時まだマイナーな雑誌だった「Switch」に川本さんの連載があり、大学生だった僕はそれを噛み締めるように読んでいた。
数年後、この連載は単行本化され、僕はすべての文章をまとめて読み返したのだが、その時も文章の重さは全く変わらなかった。むしろ、社会に出て理想と現実の狭間で格闘していたその時代の僕にとって、この本の苦さはより一層リアルに迫ってきたことを憶えている。
また、この時は本に出てきたある感情を指す言葉、氏が記者時代に常に抱いていて、最後まで消えなかったという「センス・オブ・ギルティ」という言葉が強く胸に迫ってきた。これは日本語にすると「良心の呵責」とか「罪の意識」という言葉になる。川本氏は、記者として安全を保障された中で、学生と機動隊の衝突を「取材」と称して「見物」するような行為が、どうしても納得できなかったのだ。詳細は省くが、当時似たような状況に陥っていた僕にとって、「センス・オブ・ギルティ」は、とても切実に感じ取れるものでもあった。

もう一つ。僕はこの本を読むことで、自分が勝手に作り上げてきた理想郷と決別した。白状すると、僕はこの本に出会うまで、60年代・70年代という時代に憧れに近い気持ちを持っていたのだ。それは僕が青春を過ごした80年代が、あまりにも空っぽな軽さに溢れていることへの反動だったのかもしれないが、若者たちがキャンパスで自由を叫んで行動し、その背後にはローリング・ストーンズやジミ・ヘンドリックスの力強い音楽が流れていたのが70年代だと、そんな甘くのどかな幻想をずっと持っていたのである。
しかし、ここに収められた70年代の断片は、どれも苦く、重く、暗かった。それは団塊世代の文化人が嬉々として語り、一時期の僕が憧れた輝かしい時代とはあまりにも違っていた。学園紛争は東大安田講堂攻防戦で終焉を迎え、若者の蒼き理想は、あさま山荘事件での無残な内ゲバで粉々に打ち砕かれた。そして斜陽化していく時代に引き摺り込まれるように、多くの若者が死んでいった。70年代の真ん中を生きた者にとっては、この時代は敗北と挫折に満ちていたのである。
これは自分にとってもある種の決意を呼び起こされた。オレたちにとって行くべき場所は何処にもないのだ。楽園なんかどこにもない。今ここに踏みとどまり、何かを成し遂げるしかないのだ…。僕は過去からそう学んだ。

「マイ・バック・ページ」にまつわる物語はまだ終わらない。
その後、この本は長く絶版になっていたのだが、先月の末に突然復刊されたのである。その理由にとても驚かされた。なんと、これが映画化されることになったのだそうだ!主演は妻夫木聡と松山ケンイチ。正直言って、とても複雑な気持ちである。なんだか、学生時代に辛い別れをした恋人に、街でばったり再会してしまったような気分…。
眩暈がするような展開だが、僕より10近くも年下の若い山下敦弘監督自らが、古本屋でこの本を見つけて衝撃を受け、ぜひとも映画化しなければならないと思ったというから、その感性を信じ、今はあまり先入観を持たずに映画の完成を待とうと思う。

それにしても、僕はもう何度この文章を読んだんだろう。そして、これから先、何度この文章を読むのだろう…。不思議なことに、ここに書かれた出来事は、もう40年以上も前のことなのに、80年代よりもむしろ今のほうが、よりにリアルに感じられる。今僕の立っているこの国で、あの頃のように熱い風が吹くことは二度とないにしてもだ…。

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2010年12月 6日 (月)

走り始めて半年

ずっと前から走ってるような気になってたけど、考えてみたら、オレは路上で本格的に走り始めてから、まだ半年しか経っていなかった(苦笑)。

でも、この半年で良くも悪くもいろんなことが変わった。
まず、体型が変化した。もともとそれほど過激にメタボってたわけではないが、上半身は以前にも増して肉が落ち、顔の肉が削げた。なかなか落ちなかった脇腹の贅肉もきれいに燃えてしまった。体重は63~65キロの間を行ったり来たり。20キロ以上走った後は62キロ台まで落ちていることもある。ただ、もともとダイエットのために走り始めたわけではないので、これは結果としてそうなっただけだ。はっきり言って、ダイエットを目的とするなら、故障のリスクの高いランニングなんかより、ウォーキングでもやってるほうがよっぽど効率がいいと思う。
逆に、最近はあんまり痩せてもよくないと思うようになった。体脂肪率が下がったため、今年の冬はやたら寒く感じるのだ。空腹時なんか特に酷くて、血糖値が下がるせいか震えがくるくらい寒い。今はとにかく食うようにしている。それでも太らない。ランニングはそれだけ多くのエネルギーを消費するのだ。ランナーには食欲旺盛な人が多いけど、3食好きなものをがっつり食べても太らないのは、走ってることの一番の恩恵でもある。

故障してからは身体のケアにも気を遣うようになった。走った後は欠かさずアミノ酸を摂るし、最近はビタミンやヘム鉄のサプリメントも使っている。
そして、走る日も走らない日も、朝晩欠かさずストレッチをするようになった。この前、行き付けのショップにインソールを調整しに行ったのだが、そこは毎回脚の状態をチェックするために足首の柔軟性を測ってくれる。脚を伸ばした状態から、足首をゆっくりと上体の方へ曲げていくのだが、夏に測ったときは10℃そこそこだったのが、今回は両足ともに15℃を超えた。僕も少しは身体がしなるようになってきたんだろうか…。
おかげで膝や腰を痛めることは無くなったのだが、最近はスピード練習をやったり、長い距離を走った後など、右の土踏まずが痛くなり、これにはほとほと困っている。足底筋膜炎だとは思いたくないが、立ってる時間が長かったりすると、日常生活でも痛みが走る。痛みが引くまでは、着地の衝撃が伝わりにくい「踵着地」を心がけているのだが、これがなかなか難しい。スピードが出ないし、微妙にフォームが崩れてしまう。うーん、どうすればいいのか…。目下のところ、一番の悩みがこれだ。

だけど、どんなトラブルに見舞われようと、来年中にはフルマラソンを完走したい。そのための布石なら4時半起きだって苦にならないし、行くライブの本数を減らしたってかまわない。42.195キロの先に何があるかはわからないけど、とにかくそこへたどり着きたいんだ、オレは。
もしかしたら、半年前から一番変わったのは、そんな自分の気持ちかもしれない。去年の今頃は、一年以内にハーフマラソンを完走できればいいなあ、と漠然と考えていた。それを達成した今、もっと先を見たいと強く思うようになってきている。42.195キロをなんとかモノにしたい。それも4時間30分以内に走破したい。今、僕はそんな得体の知れない欲望に胸を焦がし、夜明け前の暗い路上を走り続けている。

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