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2011年3月

2011年3月16日 (水)

うつくしま ふくしま

“うつくしま ふくしま”

これは僕の生まれ故郷、福島県が地元をPRするのに使っているキャッチコピーだ。
大学入学以来、ずっと故郷を離れて東京で暮らしてきた僕は、“なんてダサいコピーなんだ。これだから田舎は…”なんてことをずっと思っていた。いっぱしの都会人気取りで…。
こんなことがあってようやく気が付いた。福島県は、自然の恵み豊かな限りなく美しい土地だったのだ。僕は今、自分が“うつくしま ふくしま”で生まれ育ったことを誇りに思う。
失ってみてそんなことにやっと気が付いた。まるで死の際でやっと親のありがたみがわかったように…。






なんて僕は馬鹿なんだろう…。







故郷の町がめちゃめちゃになっているのをテレビで見るのは、まるで大切にしまってあった宝物を粉々に壊されてしまったような気持ちだ。
かつて村上春樹が、生まれ育った神戸の町を阪神淡路大震災で壊されたことへの喪失感を文章に綴ったことがあったが、まさか自分もそんな気持ちを味わうことになるなんて夢にも思わなかった。

加えて福島には“原発”がある。
30キロ圏内から外れているとはいえ、あの地で暮らしている父や母、古い友人たちはどんな気持ちでいるというのか…。

某ミュージシャンは、この状況を“かなり切迫した危機的状況にあり、政府や東電の発表はある種大本営の発表のようで要領を得ない”と書いた。はっきり言うが、僕はそんな物言いに“怒り”を感じる。
政府や東電の言うことがいったい何処まで本当なのか、そんな疑問を持ってるのはあんただけじゃない。あのしどろもどろの会見を見れば、子どもだってわかることだ。事態は限りなく切迫しているし、もはや限界を超えているのかもしれない。それでも彼らはああしか言えないのだ。無用なパニックを起こさないために…。
今、誰もが誰もなりの立場で必死に闘っている。どうしようもない現実の中でも、一縷の望みがなければ人は生きていくことができない。地方にとって行政とは良きにつけ悪しきにつけ、とても大きな存在なのだ。まして、今回のように手足を奪われた地方の人々は行政しか頼るところはない。そんな切迫した地方の民の心情がわかってない人に、わかったようなことを語って欲しくない。

そんなことより、僕は未来を担う子供たちが心配だ。ガイガーカウンターを頭に押し付けられている子どもの映像を見ていると、胸が張り裂けそうになる。
換われるものなら換わってやりたい。オレなんか、少しぐらい放射能を浴びたっていいとすら思う。どうせもう子どもを作る気なんかないし…(苦笑)。
人生半分過ぎてる僕なんかより、小さな子供たちが放射能の影響におびえてこれからの人生を生きていくのかと思うと、本当にいたたまれない。

なんとかして故郷に戻りたい。
美しかった町の復興に汗を流したい。
親不孝してきた償いを果たしたい…。
放射能なんかなんだというのだ。

もう「覚悟」なんかとっくにできている。

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2011年3月14日 (月)

奇妙な日々

日常の景色が騙し絵のように崩れ落ちてしまった。
口の中が粘着くようなザラついた感覚。オウムの時も、阪神淡路大震災の時も、9.11の時も感じたあの感覚。
だが、今回の衝撃はひと際大きい。
自分自身が身の危険を感じる大地震を体感し、生まれ育った福島がめちゃめちゃになってしまったからだ。

立っていられない様な激しい揺れにゆさぶられ、炊き出しを手伝った後、深夜に帰宅開始。
12日の早朝にやっと家にたどり着いた。幸い家族は全員無事。
故郷に残る年老いた両親とは、昨日の朝、やっと連絡がついた。
茨城に住む弟は、仕事で東京にいたのだが、帰るに帰れず一晩僕の家で過ごした後、家族の待つ被災地へと果敢に帰っていった。

ぼんやりとテレビを見る。
錯綜している記者会見。
二転三転する停電情報。
“僕の今生きているこの世界は一体何処なんだ?”

週が明けて今日。
大混乱の御茶ノ水駅から電車に乗り込み、一日、汗をかきながら淡々と仕事をした。
余震と電気が消える恐怖におびえながらも、平静を装ってパソコンのキーボードを叩き、かかってくる問い合わせの電話に、決められたとおりに冷静に応対した。

なんとか一日をやり過ごし、満員の中央線に揺られて、灯りの消えた真っ暗な東京の町並みを眺めながらまた考えてしまう。
“僕の今生きているこの世界は一体何処なんだ?”
3.11以降、何かが歪み、平凡な日常は奇妙に捻じ曲がってしまった。

それでも僕は絶対にあきらめない。地震が起きる前の穏やかな空気を取り戻すことを。
今そばにいる子供と妻の温もり。それが僕をこの奇妙な世界に辛うじて繋ぎ止めてくれている。

明日もあさっても、もしかしたら一週間先も一ヶ月先も、余震におびえながらも、僕は必死で平静を装って日常を生きるだろう。
それでも良いではないか。
平凡な日常を、ありきたりの日常を淡々と過ごすことこそが、穏やかな空気を取り戻す唯一の方法だと僕は信じているから。

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2011年3月10日 (木)

ドン・マツオとは何者だ!?

少し前の話になるんだけど、2月にスカパーで「STONES SUMMIT」という番組が放送された。あんまり期待せずに観たんだけど、こいつがめっぽう面白かったのだ。
これは昨年DVDでリリースされたローリング・ストーンズの「レディース・アンド・ジェントルメン 」という映像を、スカパーが日本で初めてテレビ放送することになったのを記念して行なわれた座談会だ。とは言っても、つまりはゲストが映画を観ながら、ストーンズに関するヨタ話を延々4時間くっちゃべるだけというトンデモ番組。(笑)おそらく、ストーンズファン以外は呆れて15分でチャンネル変えただろう(苦笑)。
ストーンズファンの間ではお馴染みの評論家・マイク越谷が司会を務め、出席者はかまやつひろし、鮎川誠、ダイヤモンド・ユカイなどのミュージシャン、それに元ミュージックライフの編集長で日本で初めてビートルズにインタビューした星加ルミ子さん、カメラマンの有賀幹夫さん、何故か三代目魚武濱田成夫や井上陽水の奥さん・石川セリなんかが呼ばれていた。

マイクや鮎川さんのストーンズ・ネタってのは、けっこういろんなところで披露されている。僕もそういうのは何度も目にしてるから、まあどうせ今度もいつものパターンの番組なんだろうなと思っていたのだ、最初は。ところが蓋を開けると、これまではなかなか出てこなかったネタ、それこそローリング・ストーンズというバンドへの違った見方を発見するような発言がいくつもあり、夢中になって観てしまった。

この番組をかくも面白いものにした功労者、それはドン・マツオだ!この人がストーンズの大ファンだってことはなんとなく知ってたけど、いやはや、これほどとは…。

一番印象に残ったのは、彼がキース・リチャーズの伝記に対する感想を語っていた場面。この伝記はまだ日本未発売だから、おそらくドン・マツオはこれを原文で読んだんだろう。彼は、この本は一般的なキースに対するイメージを変えてしまうかもしれないと言っていた。すなわち、日本だとキースはデカダン・ロッカーの代表みたいな言われ方をされているが、実はとても元気でエネルギー力が高い人間なのではないかと言うのだ。常人ではないほど人間力が強い男。それがキースではないかと…。
さらに付け加えてこんなことも。マイケル・ジャクソンとか、エルビス・プレスリーとか、ブライアン・ウィルソンとか、アメリカでスターダムにのし上がった人物は頂点を極めた後は何故か破綻してしまう人が多い。でも、ストーンズの面々はとても幸せな人生をおくっているように見える。それは彼らがイギリス人だからなのか、もともと持っていたパーソナリティから来るものなのかはわからないが、もしかしたらこれがバンドでやってる強みなのではないか。ストーンズという絶対的な核を複数のメンバーで共有することで、強力なプレッシャーも分散できているのではないかと言うのだ。

なるほどなあ、と思ったよ、オレは。
こういう視点はストーンズと同時代生れの評論家なんかからはなかなか生れ難い。この番組がかくも面白いものになったのは、ドン・マツオや若手ロックバンドのオカモトズ、毛皮のマリーズの志磨遼平など、これまでの同種の番組より若い層をゲストに読んだことが大きかったと思う。

ドン・マツオ率いるズボンズはアメリカでも人気があり、ライブも何度か行なっているそうだ。確かに、ドン・マツオのコメントからは、アメリカという国の空気を肌で感じた彼ならではの視点が、そこここに表れていた。とてもクレバーなミュージシャンだと思う。彼らのストーンズへの想い、音楽に向かう姿勢はとても共感できるなあ…。
ズボンズのライブは、ずーっと昔ソウル・フラワー・ユニオンと対バンした時に一度だけ観たことある。その時は引っかかるものがなくて素通りしてしまったのだが、今、僕はドン・マツオというやせっぽちの怪人と彼が率いるズボンズが、かな~り気になっている。

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2011年3月 5日 (土)

OK!C'MON CHABO!!! CHABO'S 60TH ANIV. / 2011年3月5日(土)ZeppTokyo

まず最初に、僕はこのイベントに最初割と淡々とした気持ちで臨んだことを白状しなければならない。
これは2月23日に出たCHABOへのリスペクト・アルバムに参加したアーティストが、カバーした曲をライブで実際に演奏するというもの。そして、CHABO本人もゲストとして出演する。
そもそも僕はCHABOのリスペクト・アルバムが作られるということ自体に違和感があった。こういうのは押しも押されもせぬ名声を得たミュージシャンズ・ミュージシャンの晩年に開催されるようなものでしょう?CHABOはまだ現役バリバリじゃんか。日本に“還暦”という風習があるにせよ、こういうのはいくらなんでも早すぎるし、なんつうか、ジジむさい(苦笑)。
この日のライブにしたって、出演者が自分の曲も演奏するというならまだわかる。それはCHABOと若手が同じ土壌で共演するということだからね…。でも、これはそうではなかった。完全に若手がCHABOのカバーだけを演奏するという。なにもそんなに無理に崇め奉らなくたっていいのに…(苦笑)。
僕は、清志郎がいなくなってから、なんだかCHABOを必要以上に日本のロックのリビング・リジェンドに据えようとする空気があるような気がしてならない。そういう見方はちょっと違うんじゃないか?忌野清志郎や桑田みたいに、全方位的に日本のロックのアイコンとなっている人なら、それでもいい。けど、CHABOはそういうタイプのミュージシャンではないと思うのだ。

ライブは定刻を15分ほど押して始まった。寺岡呼人がまず出てきて挨拶。うん、好青年なのは良くわかったよ。CHABOが激しく好きだってのも良くわかったよ。けど、“みんなでOK!C'MON CHABO!って叫んでくれ~”って、そういうのは止めてくれないか?こういうノリ、おぢさんは激しく苦手なんだよ!(苦笑)。

なーんて、シラけて観てたんだけど、始まったらすごく面白かったんだな、これが(笑)。
まず、トップのクロマニヨンズに一発で持っていかれた。「GIBSON(CHABO'S BLUES)」をラモーンズ風というか、むちゃくちゃパンキッシュに演奏してあっという間にステージを去ってゆく。スゲエ!ヒロト、やっぱロック!マーシー、むちゃくちゃクール!
さらに、斉藤和義の「うぐいす」やら、寺岡呼人の「ティーンエイジャー」やら、アレンジを変えたCHABOの楽曲が次々に演奏される。僕はアルバムを全く聴かずにライブに臨んだだけに、出てくる曲一つひとつに驚きがあった。いやあ、やるもんだなあ…。感心したり、思わずニヤリとしてしまったり。各ミュージシャンがその曲を取り上げた理由なんかを想像するのも楽しくて、あっという間にステージに惹き付けられてしまった。

彼らの演奏を聴いていて強く感じたことがひとつある。それはCHABOの楽曲の持つ普遍性だ。僕はCHABOの曲はCHABOが歌ってこそのものだとずっと思っていた。「魔法を信じるかい?」のポピュラリティも、「ホームタウン」の寂寥感も、「ガルシアの風」の説得力も、それはCHABOがあのギターで、あの声で弾き語るからこそのものだとずっと思っていた。
しかし、Leyonaの歌う「魔法を信じるかい?」は限りなくドリーミンで、まるでカーペンターズの曲を聴くようだった。さだまさよしの「ホームタウン」は彼らなりの解釈のギターで、あの寂寥感を醸し出していた。浜崎貴司の「ガルシアの風」は圧巻だった。こんなにスゴい歌うたいだったのか、こいつは…。僕はイカ天出身のバンドや“渋谷系”といわれた90年代出自のバンドには偏見があるのだが、そんな僕の先入観を引っくり返してしまうようだった。
ただ、彼らのパフォーマンスがあれほど素晴らしかったのも、それはあくまでCHABOの作った詞とメロディがもともと決定的に素晴らしかったからだと思うのだ。素晴らしい曲は、素敵なミュージシャンによって演奏されてこそ素敵に響くという、当たり前といえば当たり前だが、実はこの上もなく贅沢な時間がこの夜は流れていた。かえって「さなえちゃん」みたいなベタな曲を原曲に忠実に演った曽我部恵一とかの方が、僕にはつまんなく聞こえた。
世代や時代を超えて歌い継がれているスタンダードとは、こういうものなのかもしれないとふと思う。CHABOの世界観そのものと思っていた楽曲に、実はこんなにもスタンダードとなり得るような要素が詰まっていたということに、改めて気付かされたライブであった。

最後のゲスト、奥田民生がステージを去ると、後方のスクリーンにチャボのバイオグラフが流され、2011.3.5 ZeppTokyoの文字が。いよいよCHABOの登場だ。
1曲目はなんと「いいぜBaby」。これは久々に聴くから嬉しかったけど、なぜこの日この時にこの曲なんだろう?なんか、CHABOに謎賭けをかけられてるような気分。
弾き語りはこの1曲のみ。この後はすべてこの日のために組まれたスペシャルバンドがCHABOのバックを務めた。これが土屋“蘭丸”公平、佐藤タイジのダブルギターに伊東ミキオがキーボードで加わるという豪華なもの。おまけにギターで寺岡呼人、コーラスでLeyonaまでも入っている。
でも、なんと言っても素晴らしかったのは河村“カースケ”のドラミングだ。この人のドラミングの見事さには改めて感心させられてしまった。いわゆる“歌モノ”のバックとしては日本最強じゃないだろうか?このバンドでのCHABOが見られたとことだけでも、このライブに来て本当に良かったと思う。
この後CHABOは「ハイウェイのお月様」と「遠い叫び」、そして「早く帰りたいPartⅡ」を演る。結果的にとてもロックなセットリストになった。

ロックなモードはアンコールでも続き、一発目は「打破」。さらにお約束の「雨あがりの夜空に」で会場は大盛り上がり。
そして、最後の最後は「GET BACK」。これはちょっと感動的だった。この日は他のバンドのファンもたくさん詰め掛けており(っていうか、相対的に見れば生粋のCHABOファンより、他のバンドのシンパのほうが圧倒的に多かっただろう)、いつものCHABOのライブよりもだいぶ若い客層だったのだが、そんなお客さんが最近のCHABO色100%のこの曲で「雨あがりの夜空に」と同じぐらいに盛り上がっていたのだ!
今をときめく若いミュージシャン達がステージを埋める中、CHABOは堂々と中央でギターを弾き、シャウトしていた。そして、清志郎へのコメントも…。終わったのは9時半ぴったし。CHABOの演奏時間もたっぷり1時間半。気が付いたら予想を遥かに超えて楽しんでいたライブだった。大満足!

だだ、このイベントの意味合いを、僕の中できちんと収めるにはもう少し時間がいるのかもしれない。この日は会場にだいぶたくさんのカメラが入っていたみたいだったけど、是非テレビなりDVDなりで映像を公開してほしい。もう一回、冷静にライブを最初から観て聴いて感じたい。そう思う。

帰り道、僕はなんだか無性に嬉しかった。だって、還暦だのリスペクトだの、僕にとっては違和感バリバリのイベントであっても、CHABOはいつもどおりだったんだから。どんな場であっても、CHABOはやっぱりCHABOのまま。
そして、これは声を大にして言いたいんだけど、あんなにいっぱいミュージシャンが出てきても、やっぱりCHABOが一番カッコ良かった!それが僕には堪らなく嬉しかったのだ。

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