« 戦後の終わり | トップページ | リクオ「セツナグルーヴ2011」 / 2011年4月29日(金) 渋谷 BYG »

2011年4月26日 (火)

日常へ帰ること。非日常に抵抗すること

気が付けば、もう4月も後半。
3月11日以降、この国の風景はがらっと変わってしまったけれど、それでもいつものように桜は咲き、ツバメが舞う季節はやってきた。何気ない季節の風物詩でも、今年はそんな当たり前の日々がなんだかとてもいとおしく感じられて仕方がない。

僕らの国は、この災害でたくさんのものを失った。多くのかけがえのない命が奪われ、東北地方の生産力の低下はこの国全体の経済に暗い影を投げかけている。
そして、あの原発事故…。白状すると、僕は今でも朝起きるとこれが全部夢だったなんてことになってないかと願ってしまう。だって、この国の未来がこんな惨憺たるものになるなんて、子どもの頃は誰も思わなかったじゃないか。あの頃、僕らの夢見た未来は、美しい高層ビル群の間に高速道路が引かれていて、その上をカッコいい電気自動車がすいすい走っているような、何もかもがキラキラしている美しい風景だった。原子力は人間の手で完璧に制御され、限りなく安全でとてつもないパワーを人類にもたらしてくれているはずだった。鉄腕アトムのエネルギーが原子力で、アトムの妹が“ウランちゃん”という名前だったことに、当時の僕らは何の違和感も抱いていなかった。
僕の地元で起きた原発事故は、そんな僕らの夢が単なる幻想でしかなかったことを嫌というほど知らしめた。

でも、今僕は思う。この1ヶ月は確かに最悪だったけれど、決して失ったものばかりではなかったと…。

家族や家を失い、住んでいた町の面影さえ残っていないような大地を前にしてもなお、「オレはここに残る。この町が元通りになるように力を尽くす」と言う若者がいる。命の次に大事な舟を奪われてもなお、「いつの日か必ず漁に戻る」と決意する若者がいる。それは、巷で言われる“草食形”なんていうイメージからは全くかけ離れた、たくましい若者の姿だった。

計画停電で真っ暗な町をバスに揺られるのは怖かった。灯りが無いと東京という大都市ですらこんなにも暗くなることを僕は思い知った。でも、信号さえ消えた漆黒の町を事故もなく車が通れたのは、お互いがお互いを気遣い、譲り譲られていたからに違いない。生き馬の目を抜くようなこの都会でも、思いやりという温もりはまだ残っていたのだ。

3月の末から4月の始めにかけては、被災地での卒業式や入学式の様子がしばしば報道された。白状するけど、テレビでそんな場面を見るたび、僕は涙していた。
級友を津波で失った子どもがいる。両親を失った子どもがいる。それでも子ども達は悲しみを堪えて懸命に答辞を述べていた。先生たちも心を尽くしていた。津波で汚れた卒業証書を、先生方が徹夜で綺麗に磨き上げたという話には胸を震わされた。
そして、節目で歌われる歌の数々…。とくに、何度も歌われていた「ふるさと」には、もう…。この歌が、こんなに美しく優しい歌だったとは…。

必要のない買占めだの、被災地での盗難だの、嫌な話もあったけど、この一ヶ月は普段僕らが忘れていた様々な人間らしさを再確認することにもなったんじゃないだろうか?悪夢を潜り抜けた今、この国に生きる人たちの大多数は、何とかして被災地の力になりたいという気持ちを大なり小なり持っているんじゃないかと思う。そんなバイブレーションは、この国がまだまだ捨てたもんじゃないと僕に強く思わせてくれるのだ。
芸能人が被災地に行って炊き出しを行うのだって、売名行為と言う人もいるだろうけど、避難所の人は間違いなく嬉しいと思う。テレビに出ているタレントさんから、「頑張って!」と言う言葉とともに炊き出しのおにぎりを渡されたなら、その人にとっては間違いなく力になるでしょう?その行い自体が悪かろうはずがない。ぼくはそう思う。

こんなときだからこそ気付かされるものがある。人間ってやっぱり素晴らしい!僕らの人生にどんなに酷い未来が待っていようと、見えない明日が逃れられない不幸に覆われてしまおうと、それでも僕らは人を信じ、この世に生を受けた幸せを噛み締めながら生きていくしかないと思う。

このところ、U2の87年のアルバム「ヨシュア・トゥリー」をずっと聴き続けている。若かった頃、僕はこのバンドの直球ぶりを重たく感じることもあった。でも、今、このアルバムに収められた曲のなんと崇高に響くことか…。ボノの書く詞、バンドの奏でるサウンドには一点の曇りもない。彼らの楽曲は、どんなに過酷な状況にあろうと、光を目指して歩み続ける人間の素晴らしさを描いているように、僕には思える。



今週末、震災後初のライブに足を運ぶ。大好きなローリング・ピアノマン、リクオのライブだ。
正直言うと、11日以降はなんだか音楽を聴く気にもなれず、チケットを持っていたいくつかのライブを飛ばしてしまった。そんな日々はそろそろ終わりにしよう。僕は僕の日常に静かに戻ろう。
今、僕はこんなことを思う。災害の被害を直接受けなかった僕らができる最善のこと、それはまず自分自身が普通の生活を続けられるよう努力することなんじゃないだろうか?淡々と日常を過ごし、大切な人と大切な自分自身のために普通の暮らしを続ける。非日常に対する一番の抵抗は、ありふれた日常そのものなのではないかと思う。そして、ふとした時に被災地にいる人々のことを思い続ける。これからも、僕はそんな暮らしをしていきたい。

|

« 戦後の終わり | トップページ | リクオ「セツナグルーヴ2011」 / 2011年4月29日(金) 渋谷 BYG »

日記」カテゴリの記事

コメント

大いに共感です。

俺はHAGAさんの地元、福島の隣り、茨城県北部在住なんですが、実家が全壊したりCDソフトなどが破損したりの被害を受けました。

個人的にはショック大きかったけど、それでも“全然大したことねーよ”と思いたい。

現実逃避かもしれないけど、当たり前に普通の暮らしを淡々と続けたい。無理してでも。

あと、そうそうたとえ本当に売名行為だったり動機が不純だったりしても何もしないよりは全然いいですよね。
何もしないヤツ(含む俺)にどうこう言う資格はないと思います。


投稿: LA MOSCA | 2011年4月27日 (水) 21時28分

日常生活送ってますが、なかなか私達の仲間の情報(つまり東日本の被災者)の正確な情報がつかめていないので、日常生活が送れないですね。

気持ち的な意味で。

こんなにYouTubeサーフィンしているのは生まれて初めてです。
しかし色々新しい事実が出てくるのには呆れます。

甲状腺異常が特に心配です。タイムラグあるから。

投稿: | 2011年4月29日 (金) 05時40分

◆LA MOSCAさん
茨城も大変でしたよね。僕も弟が茨城ですので、話には聞いてます。でも、ほんと少し無理してでも普通にふるまうって必要なことだと思います。そうすることで気持ちをアゲてかないと、僕達よりもっと苦しんでる人に失礼だと思うんですよ。元気な人が元気にやってかないと、日本全体が沈んじゃいますもん。

投稿: Y.HAGA | 2011年5月 3日 (火) 16時28分

◆僧さん
原発事故に関しては、被爆に関する情報がネットにもたくさん出てますが、何が正確なのかわからないから余計に不安になりますよね。
結局専門家も正確なことは解らないんだと思いますよ。だって、こんな事例はないんですから。それこそ広島・長崎、チェルノブイリ、各国の核実験、そこからはじき出される予想しかないんですから、言ってることはすべて推定によるデータ。だから余計怖い。
知ろうと努力することは大事だと思いますが、振り回されそうなときは、あえてパソコン閉じてます、最近は。

投稿: Y.HAGA | 2011年5月 3日 (火) 16時36分

小出裕章さんの情報は素晴らしいですね。
信念を貫き通した男ですね~

投稿: 僧 | 2011年5月 3日 (火) 20時56分

◆僧さん
小出裕章さんの情報は確かに僕も信頼性の高い情報のような感じはしています。しかし今回の件に関して、僕は特定の人物の意見に組するべきではないと考えています。あくまでも重要な情報の一つとして接していきたいと思います。

>信念を貫き通した男ですね~

人間的にはそう思います。
ただ、それを情報に接する際の先入観として持つことは避けるべきだと思います。
偉そうに聞こえたらごめんなさいね。でも、僕らが情報をきちんと取捨する姿勢としては、これはとても大事なことだと思いますので…。

投稿: Y.HAGA | 2011年5月 4日 (水) 12時17分

なるほど。

ところでHAGAさんは原発に賛成ですか?反対ですか?

投稿: 僧 | 2011年5月 5日 (木) 02時17分

◆僧さん
反対です。できることなら、すぐにでも日本中の原発を止めて欲しいぐらいの気持ちです。でも、それが難しいことも重々承知しています。
福島に帰ると、正直言って東京との温度差を感じます。この前、NHKで双葉町の下請け作業員が言ってました。「東京の人はずるい。今まで何食わぬ顔して福島で作った電気使ってきて、いざ事故が起こったら今度は大慌てで原発は要らないなんて騒いでる。でも、あの人たち、実際被災もしてないわけでしょ?被災した俺たちは、原発も無くなったらどうやって食ってけばいいの?はっきり言って、俺は日本のために原発を復旧してるんじゃないよ。自分たちが食うためにやってんだよ。そもそも原発しかないんだ、ここは。今頃になって東京モンがあんなこと言うのは二次災害だ!」地元では、復興=原発復旧と考える人もかなりいるんです。

僕は福島出身で、今は東京に出て生活をしているという人間です。だから、こういう意見を聞くととても辛いです。そんな人たちを前に、「原発反対!」と正面切って言えるか…。僕は自信がありません。
そもそも大熊町や双葉町は原発から落ちるお金で成り立ってたような自治体ですから、この災害に見舞われて原発も撤退となるともう町としては成り立たなくなってしまうのではないかとも思います。
だいたい、原発作業員の劣悪ぶりなんて、「原発ジプシー」っていう本があったように40年前から言われてたことなんですよね。彼らにしてみれば、今ごろ知った気になって大騒ぎしてんじゃねえ!ってとこだと思います。
原子炉が冷温停止状態になっても、完全に廃炉にするには何十年もかかるといいますよね。その作業にどれだけの作業員が必要かわかりませんが、できる限りそれまで原発で作業していた人を雇用してあげられないかと思います。

原発問題って、米軍基地問題とすごく良く似てると思います。

投稿: Y.HAGA | 2011年5月 7日 (土) 11時52分

HAGAさん、やっぱり利権構造が原発生んでるんですよ。

原発を廃炉に追い込むことは、この利権構造を追い込むことにつながるんじゃないかなぁ。

自分も横須賀で少し活動したことありますけど、米軍とは違う気がしますね。あれは利権構造とは言い難い面がたくさんあります。

投稿: | 2011年5月 7日 (土) 17時50分

◆僧さん
>HAGAさん、やっぱり利権構造が原発生んでるんですよ。

うん、そうだと思います。戦後の日本社会はその利権構造が社会システムの中に深く取り込まれてしまっているように感じます。だから、特定の個人を追及してもしょうがないと思うんですよね。あえて言うなら、こういう国を生み出し、それを承認してしまった僕ら一人ひとりに責任があるのだと思います(きれいごとを言うようですけど…)。
本当の意味で原発をこの国から無くす為には、そのシステムそのものを解体するようにするしかないんじゃないでしょうか?
これからは、目先の利益に大ボラを吹くのではなく、少しづつでもそういうことができる政治家を選ぶようにしていきたいと個人的には思っています。

投稿: Y.HAGA | 2011年5月 8日 (日) 10時53分

利権構造の特定の個人の責任に関しては、やっぱり芋づる式ですね。追求すれば色々出てきます。
(個人個人の責任でなくとか・・・いやぁ個人個人の責任ですよ。人災なんだから)

今の日本人にかけているのはウェーバー式の資本主義における倫理観の欠如ですよ。

東電バックアップで「日本はがんばれる」の大合唱には、欧米の合理論的資本主義の精神の臭いがプンプンします。

投稿: | 2011年5月 8日 (日) 16時00分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111538/51491382

この記事へのトラックバック一覧です: 日常へ帰ること。非日常に抵抗すること:

« 戦後の終わり | トップページ | リクオ「セツナグルーヴ2011」 / 2011年4月29日(金) 渋谷 BYG »