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2011年5月

2011年5月29日 (日)

Leyona Live trip「Middle and Mellow」/ 5月29日(日)Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLESURE PRESURE

Leyona Live trip「Middle and Mellow
☆5.29(sun)@Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLESURE PRESURE
open 17:00/start 18:00
BAND ds:沼澤尚 key:エマーソン北村 b:中條卓

約2時間のライブの本編が終わり、Leyonaはバンドのメンツと一緒にいったんステージを去る。
アンコールの拍手が鳴り止まない中、やがて彼女はは独りでステージに戻ってきた。そして、センターに腰掛けると静かにギターを手に取って、スタンドマイクを口元からすっと遠ざけたのだ。いったい何が始まるのかと息を呑む場内。その中を彼女は静かに、しかししっかりと歌い出したのだ。

  雨 潸々と この身に落ちて
  わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして
  人は哀しい 哀しいものですね
  それでも過去達は 優しく睫毛に憩う
  人生って 不思議なものですね

これは効いた。僕は席に沈み、ただただ必死に涙を堪えるしかなかった。美空ひばりの「愛燦燦」。この日唄われたどの歌よりも、どのMCよりも、このカバーには今のLeyonaの気持ちが沁み込んでいたと思う。

この日のLeyonaは、全ての曲でギターを持ち自らの手で弾き語っていた。驚いたことに、事前にバンド編成でのライブがアナウンスされていながら、あえてオープニングの数曲は彼女一人による弾き語りで行われたのだ。
自分でも“デビュー当時は自分がギターを弾いて歌を唄うなんて想像できなかった”と言っていたLeyonaだが、その姿はミニスカートにハイヒールでくるくると踊っていたデビュー当時の姿から、もう一段ミュージシャンとしてのステップを上がったことを、確実に感じさせてくれるものだった。

オープニングは「パッチワーク」。松本隆の美しい歌詞を噛み締めるように唄うLeyonaの温かい声が会場いっぱいに響き渡る。それから彼女が18歳の時に作った「うた」。いつも思うことだけど、こんな素敵な曲を18歳の少女が書き上げたなんて、未だに僕は信じられない。こんな言い方をしたらLeyonaは嫌がるだろうけど、やっぱり天才だと思う。
キーを半音下げ、凝ったアレンジが施された「Town to Town」なども唄われ、この弾き語りのパートだけで、観客はあっという間にLeyonaワールドに惹き込まれていた。
エマーソン北村とのデュオスタイルで歌われた、シャーデーのカバー「キス・オブ・ライフ」も良かったなあ…。
それから、CHABOのカバー「魔法を信じるかい?」。これはなんと言ってもエマーソンのレゲエアレンジが素晴らしかった。さすが元ミュート・ビート!

そして、沼澤尚と中條卓が加わり、バンドスタイルになるとサウンドにぐっと厚みが増す。考えてみたらこのバンド、佐藤タイジ大先生(笑)がいないだけで、完璧にシアターブルックなんだよね。これまでもいろんなバンドマンがLeyonaのバックを務め、それぞれに魅力的だったけど、今のバンドは完成度で言えば群を抜いている。
沼澤さんのドラミングは相変わらずスリリング。クールにベースを弾く中條卓とのリズム隊は鉄壁だ。その上をエマーソン北村のキーボードが自由自在に飛び回る。この人のプレイは、あえて音数が少ないのが逆にすごい。ボーカリストの色を決して崩すことのないキーボードプレイヤーなのだ。
そんな完璧なバンドサウンドを従えてギターを弾くんだから、Leyonaもさぞかし気持ち良かったんだろう。つい力が入ったのか、この日は自前のピックを2枚も割ってしまったと言っていた。そんな彼女はギターアンプのネットに貼り付けてあったピックを手にする。それは清志郎からもらったピックだそうだ。アンプにはもう一枚ピックが貼ってあって、それはCHABOのものだそうだ…。

ライブは僕の聴きたかった曲をほとんどやってくれた。「Sweet Baby Love」のウエストコースト・ロック的なバンドサウンドは最高に気持ちよかったし、久々の感のある「beautiful day」はLeyonaがテレキャスター・カスタムを手にしてちょっとサイケな香りのするトーンを弾き出していたのが印象的。「Tone」や「travellin'man」もリリース当初とはアレンジを変えてあって、聴き応えがあった。

あっという間の2時間半。でも、とても充実したいいライブだった。
渋谷でのこれまでのLeyonaのライブといえば、DUOやAX、クアトロといったスタンディングのフロアで、満員の観客が気持ちよさそうにゆらゆら揺れている印象があったんだけど、この日はゆったりと椅子に腰掛け、じっくりと歌を噛み締めるようなタッチ。いつもと比べれば、全体的にやや大人しめの感があった。これは会場が悪名高き(?)PLESURE PRESUREだったということもあるのかもしれないが、僕はあえてLeyona自身がこういうライブをやりたかったんだと見ている。「愛燦燦」のカバーは、そんな気持ちを象徴するようなセレクトだったんじゃないかなあ…。

ライブを観てよくわかった。やっぱり、3月11日の出来事は、Leyonaの心にも様々な影を落としていたのだ。この日、LeyonaはMCでこんなことを言っていた。“こうしてライブができ、お客さんの前で歌が唄えるということ。それがどんなに幸せなことなのかを今、改めて実感しています”。それから、少女の頃に母親から教えられたという、生きていく上で忘れてはいけない3つの大切なことも語ってくれた。それは“決して奢らないこと”“感謝の気持ちを忘れないこと”“いつも笑っていること”だったという。
なんかねえ、こんな話を聞きながらまた泣きそうになっちゃったんだよ、オレ。なんて素直でストレートな子なんだろうと…。でも、そう思ったのは僕だけじゃなかったはず。ステージにいたキーボード奏者のエマーソン北村も、LeyonaのMCに目をしばたいていたのを僕は見逃さなかった。
少女の頃を過ぎて歌手になった今でも、Leyonaは母親の教えそのままにステージに立っている。そんな彼女の誠実さが強く伝わってきた。セクシーな衣装に身を包み、パワフルな歌声で観客をノックアウトする歌姫だけど、そのハートは歌手になることを夢見ていた少女の頃のままなんだろう。
デビュー当時から彼女に魅了され、ライブを観続けている僕だけど、最近のLeyonaは人間的な成長ぶりが著しいと思う。年下の女の子にこんなことを言うのもなんだけど、包み込むような母性を感じるようになってきたなあ、彼女…。

まさか、Leyonaに美空ひばりの歌で泣かされるとは夢にも思わなかったよ…。
「愛燦燦」。いい歌だなあ…。

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2011年5月28日 (土)

THE GROOVERS ワンマン@下北沢 "SHIMOKITA BLUES AGAIN" / 5月28日(土)下北沢 CLUB251

去年行われたリクオの20周年記念イベント、ホーボー・コネクション。その大勢のゲストの中でも、僕が特に心に残ったのが藤井一彦だった。3ピースのR&Rバンド、ザ・グルーヴァーズのギター&ボーカリストであり、SIONや佐野元春などさまざまなミュージシャンからその腕前を頼りにされる男。
ホーボー・コネクションの2日目、藤井一彦はリクオと一緒にスワンプロックの大御所、マーク・ベノのカバーをやった。これはカントリーテイストを感じさせる渋いミディアム・ナンバーなのだが、彼のストラトから放たれる乾いた音色とほろ苦いボーカルは、僕の心の深いところにすーっと落ちていったのだ。2曲目はリクオバンドで豪快なR&Rギターを存分に披露。たった2曲だったけれど、この対極的なパフォーマンスは強烈な印象を残した。
実は、藤井一彦を見たのはこれが初めてではない。SIONのライブでバックバンド・MOGAMIのギタリストとしての姿を何度も見ているし、一度だけだがグルーヴァーズのライブも見たことがある。でも、これまでのどのタイミングより、この時の藤井一彦は鮮烈だったのだ。これはグルーヴァーズのライブ、見とかないと…。強くそう思った。

その機会は意外に早く訪れた。5月28日土曜日、下北沢でグルーヴァーズのワンマン・ライブがあるという情報をキャッチ。場所はバンドスタイルのライブが多くブッキングされるCLUB251だ。
当日は雨だったが、僕の気持ちは盛り上がっていた。今日はR&Rを浴びる日。そう決めていたからだ。3.11以来、自分の中では絶望に近い気持ちと、怒りと、それでも必死に上を向こうとする気持ちとがごちゃごちゃになっている。そんなギリギリの心境もあってか、このところ僕の中ではR&Rに回帰する傾向が再び強くなってきているのだ。
地下へ続く階段を降り、人いきれのするフロアに立つ。それは小洒落た雰囲気の女子がいっぱい集まっていた隣の440とは対照的な空間だ。いまや、多くのライブハウスが禁煙を謳う中、ここはまだスモーキングOK。周りでは煙草を咥えた人たちがたくさんいる。ライブハウスはこうでなきゃ。僕自身は何年か前に煙草を止めてしまったけど、煙草の匂いが沁み込んだライブハウスの匂いが好きだ。僕は自分の気持ちがふ~っとほぐれるのを感じていた。

そんな僕の気持ちも追い風になったんだと思う。迷える45の男にグルーヴァーズはぴたりとフィットした。最高だった!僕は彼らの曲は初期のものと最新アルバムからのものしか知らない。それでも、曲を知ってるかどうかなんて全く関係なかった。彼らの演ってるのは一点の迷いもないブライトなサウンドだと思う。かつてのストリート・スライダーズがそうだったように、優れたR&Rバンドの音を聴いていると、僕は頭の中が真っ白になる瞬間がやってくるのだが、この日の2時間の濃縮された時間の中、僕は何度そんなR&Rフラッシュバックに襲われたか…。こんな気持ちになるのはいつ以来だろう。すごく気持ちよかった!

藤井一彦のギターは太くてシャープで、ピーンと音が張っている。そして、何度も言うようだけど一点の迷いも無いのだ。なるべくして鳴っている音がただそこにある。そんな感じ。リズム隊の2人もすごい安定感だった。
僕が前に見たグルーヴァーズのライブは10年ぐらい前だったんだけど、その時と比べたら別のバンドと思うぐらいの迫力が違った。以前のグルーヴァーズは、今より狭いフィールドで音が鳴っていたような感じだったと思うが、今は何倍もスケールが大きくなった。ブリティッシュとかスワンプトかの色分けも不要。強いて言えばアメリカンロック的な匂いを以前よりも強く感じるようになったようには思うが、そんな枠組はかえってこのバンドの魅力を伝え難くしてしまうのではないだろうか。
だって、カッコいいリフがあって、心躍るメンバー同士のリレーションがあって、1曲の中で目まぐるしく変わるサウンドの起伏があれば他に何が要る?そこには紛れもない純度100%のロックンロールがあった。

この日、僕はグルーヴァーズって歌詞も抜群にいいと気が付いた。やさグレてるわけでも、無理に若ぶってるわけでも、退廃を気取っているわけでもない。R&Rに被れた少年が大人になった心の奥をつぶやいたような私的な世界。最新アルバムの「今を行け」とか「独断」、それに「最後の煙草に火を点ける」なんて、心臓鷲づかみだ。こんな素敵な歌詞にピカピカのリフが乗っかってるんだから、嫌でものってしまう。

もうひとつ気が付いたこと。藤井一彦の風貌は70年代のキース・リチャーズそっくり(笑)。ギターワークもキースの影響を感じるんだけど、顔がこれほど若かりし頃のキースに似てる日本人って、オレ、他に知らないぞ(笑)。

ファースト・インプレッションの段階でぐだぐだくっちゃべるのは、野暮ってもんだ。もうこのぐらいにしておく。
でも、僕はこれから足しげくこのバンドのライブに足を運ぶと思う。今更ではあるが、このバンドとは長い付き合いになりそうな気がする。

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2011年5月25日 (水)

黒い怒り

オレは今怒っている。怒りで震えている。

自分はこれまで、原発事故に関してはなるべくフラットに情報を咀嚼し、根拠のない情報を基にした感情的な書き込みはしないように心掛けてきた。こんな時、政府や東電を批判する立場に立つのはある意味簡単なことだが、自分の書き込みが風評被害に加担するようなことになってはならないと思ったし、今は誰かを批判するより、とにかく原発事故が収束するよう、政府や東電を信じるしかないと思ってきたからだ。
そんな態度は今日で止めだ!もう我慢できない。政府と東電は明らかに情報を隠蔽している。しかも、そんな情報操作で危険にさらされているのは、両親や幼なじみの多く住む、僕の故郷・福島なのだ。

僕がこう思うようになったのは、5月15日(日)の夜に放送されたある番組がきっかけだった。NHKで深夜放送された「ETV特集/ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~」。これは、今まで報道されてきた政府や東電の発表を根底から覆す衝撃の内容だった。
番組は放射線衛生学者の木村真三さんが、文部科学省の測定とは別に、独自で福島県内の放射線量を細かく調査する様子を追ったドキュメンタリーだったのだが、僕が何よりも驚いたのは、テレビでよく見る原発からの距離を同心円で示した危険地域、いわゆる「5キロ圏内」「10キロ圏内」「20キロ圏内」「30キロ圏内」から外れた場所でも、ケタ外れに高い汚染度を記録する場所があるという事実だった。

番組の後半、木村さんは僕の生まれ故郷・福島市に入って行った。ある地区に差し掛かった時、ガイガーカウンターの針が引きつったようにピーンと振り切れる。そこは「福島市立渡利中学校」前だった。木村さんが車を降りて正門前で汚染度を測ると、なんと現在のチェルノブイリ原発から3キロ地点と同じレベルという、とんでもなく高い放射線量を記録したのである。チェルノブイリは、今でも30キロ圏内までは立ち入りが禁じられている。まして、原発から3キロ地点なんてとても人が住める場所じゃない。そんな場所に、普通に子供たちが通っていたのだ!

なんでこんなことになっているのか。それは福島市が原発から60キロの地点にある「30キロ圏外」だからだ。
放射能汚染は同じ地域でも地形や風向きで濃度が変わり、政府が言うような同心円状になるわけがないということを、これまでも多くの学者が言ってきた。それが、この番組によって証明されてしまったことになる。放射能が溜まり易い「ホットスポット」が、福島にはまだら状に存在するのだ。もしかしたら、僕の両親が住む町にも…。
だが、政府は今に至っても原発から30キロ圏内だけを避難区域に指定し、そこから離れた地域については何の対策もとっていない。

本当に政府は何も知らないのだろうか?
そうではない。それを証明するようなこんな事実も番組では公表されていた。

3月15日、文部科学省は福島県浪江町赤宇木の汚染度が通常の5500倍だったことを官邸に伝える。しかし、枝野官房長官は「直ちに健康に害のあるレベルではない」と発表し、住民を避難させなかったのである。後に政府は町に計測データを報告するのだが、それは地名が全部伏せられたものであり、浪江町の人たちが本当に知りたい“自分の住まいのある場所での汚染度”が全くわからないものだったというのだ。地名を伏せた理由は“パニックを起こさないため”。

…。何かが間違ってないか?
木村さんの測定結果を聞いて、赤字木の人たちはびっくりして自主非難を決めたというが、この取材がなければ、この人たちは自分達がどれだけ危険な状態にあるかさえ知らなかったのだ。結果として、彼らの安全を守ったのは、国民の命を守るべき政府ではなく、一民間の学者だったことになる。これは本末転倒だろう。僕らの国の政府とは、この程度のものだったのだ。
前述の「福島市立渡利中学校」の先生も生徒も、自分の学校が高濃度に汚染されたホットスポットだとは知らずにいた。そして、悲しいことに彼らは不安な気持ちに苛まれながら今も学校に通っている。それは、政府が学校の校庭の放射線量の上限値を“年間20ミリシーベルト”としているからだ。

僕の書いていることは、どっか遠くの町で起こっていることだとお思いだろうか?
福島は生まれ故郷だから、僕が過剰に反応しているとお思いだろうか?
違う。これは決して遠い町で起こっていることではない。僕のブログを読んでくださってる方の中には、CHABOのファンの方も多いと思う。CHABOが昨年のツアーでライブを行った「風と木」には、首都圏から足を運んだ人も多かったと思う。あのお店があるのが正に渡利地区なのだ。そして「福島市立渡利中学校」は「風と木」のすぐ傍なのである。あの会場に行く時に、誰もがあの校庭を見たはずなのだ。人ごとではない。僕らが忘れがたき夜を過ごしたあの町が、今、放射能という目に見えない悪魔に苦しめられているのだ。

だんだんわかってきた。政府の言う「安全だ」とか「問題ない」は全く根拠がない。文部科学省の出す放射線データも、できるだけ低い数値が出るように操作しているとしか思えない。
今でも首都圏の放射線量は、地上から何メートルも高い空間線量だけを計測して“問題ない”と言っている。だけど、今回の事故は、3月15日前後に大量の放射能が拡散されたことが既にわかっている。あれから2か月以上経った今、大気中の放射性物質はほとんどが地表に落ちていると考えるのが自然だろう。だったら、なぜ首都圏の土壌調査をしない?放射能は1回発生したらそう簡単には無くならない。大気だけ測って値が下がっていると見せかけるのは“詐欺”ではないのか?

なんかもう、ほんとうにわからないことだらけ。何故隠す?なぜ本当のことを教えてくれない?
マスコミだって腰抜けだらけ。煽るだけ煽っておいて、本当に知りたいことは報道してくれていない。たとえば、一昨日の参議院行政監視委員会で小出裕章さんが何を話したかなんて、誰もが知りたいことだろうに、ネット以外ではほとんど目にすることができない。

その委員会で、小出さんは愕然とするようなデータを公表していた。3月15日の台東区(うちの近くだ)での放射線データ…。これを見て僕は心臓が止まるかと思った。
どうやら、台東区周辺はこの一日で一般人に定められた年間放射線の限界を超えてしまったらしい。恐ろしい話だが、あえて冷静に書けば、隣接する文京区の学校に通う僕の子ども達は、この日の経った数時間で、何十年後かにセシウムの内部被曝による癌発症のリスクと、白血病の晩発障害のリスクを同時に抱え込んでしまったことになる。
確実に言えるのは、政府がこの日の正確な放射線データと風向きの情報を公表し、屋外活動の自粛などを勧告していれば、被曝はかなり抑えられただろうということ。
どうしてくれるんだ?菅直人!僕はこの事実を一生恨み続けるぞ…。もし、愛する2人の子どもが病気になるようなことがあれば、オレはもう自分で自分の行動をコントロールできなくなるかもしれない…。

「ETV特集/ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~」は、視聴者からかなりの反響があったらしく、28日(土)15時から再々放送があるらしい。興味のある人はぜひ見てほしいと思う。

7月始め、僕は3日間福島に行くことになった。
渡利にも絶対行く。どんなに放射線が強かろうと行く!もう45年も生きてきているのだ。いまさらちょっとぐらい放射能を浴びたって屁でもない。そんなことより、僕は死にかけている故郷の町にもう一度帰り、「風と木」でランチを食べたい。そんなことをして何になるっていう人もいるかもしれないが、僕にとってそれは、放射能から逃げることなんかより、よっぽど大事なことのように思える。

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2011年5月23日 (月)

キース・リチャーズ自伝「ライフ」 / キース・リチャーズ(著)・棚橋志行(訳)

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御大キースの自叙伝。総数656ページの豪華本。昨日ようやく読み終わりました。

いや~、しかしこれはほんと面白い!これまでにもキースの自伝はいくつか出てるけど、何しろこれはキース本人が書いてるわけだから信憑性が違う。まあ、実際はキースがしゃべったことをジェイムズ・フォックスが書き取って出来たらしいんだけど。口述筆記みたいなもんだったのかな?

それにしてもキース、口の悪い人からは、どうせ70年代のことなんてラリパッパで何にも憶えてないんだろうなんて言われていたけど、とんでもない!これから読む人のためにあえて内容は書かないが、僕らがよく知ってるあんな話・こんな話から、あまり知られていない驚きのエピソードまで、いろんなことを実によく憶えている。比喩で使う言葉も意外に(?)文学的な表現が多くて感心してしまった。

読み終わって僕が強く感じたのは、キース・リチャーズという人物の圧倒的な“人間力”の強さ。
キースっていうと、日本ではデカダンな男の代表みたいに捉えるむきが多いけど、実際のキースは人並みはずれてエネルギッシュで生命力の強い人なのではないだろうか?
もちろん、本には従来のキースのイメージと合致するようなジャンキー時代のことも書かれている。実際、薬物についての記述はかなり多く、それを読む限りでは、一時期のキースが重度の薬物中毒状態だったことは疑うべくもない。しかし、キースは常にドラッグに溺れる自分自身を客観視していたようにも思える。死の淵すれすれまで行っては戻ってくるようなことも、実は冷静な頭で繰り返していたのではないだろうか。
そもそも、この人の場合は飛び道具としてクスリを使ったわけではないのだ。その逆で、ツアーが続いて日常でもぶっ飛び状態から降りられなかったから、どうにか自分を鎮めるためにドラッグに走ったようなところがある。
やっぱりスターダムのプレッシャーってのは、想像を絶するものがあるんだろう。マイケル・ジャクソン、エルビス・プレスリー、ブライアン・ウィルソン…。アメリカでスターダムにのし上がった人物は、頂点を極めた後、自己を破綻してしまう人がかなりいる。でも、キースはスターダムとプライベートにうまく折り合いをつけ、とても幸せな人生をおくっているように見えるのだ。
そのリトルヘルプとしてドラッグを使った…。なーんて言ったら、ちょっとキースの肩を持ちすぎでしょうか(笑)。

ドラッグはともかく、ここまでキースが生き延びて来られたのは、彼が“バンドの一員”であったからこそなのかもしれない。
どんなプレッシャーや障害があっても、まずはバンドの存続を第一に。それがローリング・ストーンズというバンドの基本理念。どんなに堕ちても、必ず帰れる場所としてバンドがあった…。悲しみの海に沈むことがあっても、絶対的母性としてのバンドがあった…。それは、時代や人生の荒波をも跳ね除けてしまうほど強力だったのだろう。
ストーンズという絶対的な核があったおかげで、強力なプレッシャーは分散され、キースもミックも時代の谷に落ちずに済んだ。そんなものなのかもしれないな…。

スゲエよなあ。ほんと、スゲエと思う。ロックンロールはただの玩具じゃないのだ。たかがロックンロール。だけど、やり続けることでこんなにも優雅に人生を泳いでいける。憧れちゃうよ、ほんと。
この人は、自分がファンからどう見られているのか、どうあって欲しいと思われているのかを、早くからわかっていたんだと思う。で、うまくバランスをとりながら、50年間、常にキース・リチャーズであり続けてきた。オビの文句”誰の中にもいる荒れ狂うキース・リチャーズ”と”優しさを持つ男”が一つの人格の中に同居しているのだ。奇跡だよ。こんな完璧なロックスター、そうそういない。女はもちろん、男が惚れるのも当たり前だ。

なんだか、キースの言葉を読んでたら、こっちまで元気になってきてしまった。
83年、映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』で、咥えタバコで“ダイスをころがせ”をプレイするこの男を見て以来、僕はずっとこの男に魅せられ続けている。これからもずっと…。キース・リチャーズ、大好きだ!

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2011年5月21日 (土)

仲井戸"CHABO"麗市リスペクトアルバム「OK!!!C'MON CHABO!!!」発売記念トークイベント / 2011年5月21日(土)タワーレコード渋谷店B1「STAGE ONE」

これは、今年の2月に発売されたCHABOのリスペクトアルバム「OK!!!C'MON CHABO!!!」を買った人向けに行われた無料トークイベント。当初は3/12 (土)にやる予定だったんだけど、3.11の震災の影響で延期になり、今日ようやく行われることになった。
昨日も渋谷で3Gのライブがあったから、僕にとっては2日続けて渋谷でCHABOだ。なんか幸せ(笑)。でも、この日タワレコに来てた人はみんなそう感じてたんじゃないかなあ…。夏みたいな日差しの土曜日の午後、きらきら輝く渋谷の町並みを抜けてCHABOと寺岡呼人の穏やかなおしゃべりを聞く。なんか、このシチュエーションがとても良かったんだよなあ。
CHABOもご機嫌だった。寺岡君の進行ぶりもとても好感が持て、自然と笑顔がこぼれてくる素敵なイベントだったと思う。

イベントの流れは、アルバムに収められた曲順に寺岡君がCHABOから感想を聞き出し、寺岡君もプロデューサーとしての裏話を披露していくという流れで、最後にミニライブもやった。その後は抽選もあって全部で1時間とちょっと。

CHABOの感想は、その曲が生まれた当時のエピソードと、カバーバージョンに対する感想・エピソードという二つの視点から話されていたのが興味深かった。それと、3月5日のZepp Tokyoでの楽屋や打ち上げでのエピソードね。これは笑える話がいっぱい飛び出して面白かったなあ(笑)。僕がちょっとびっくりしたのは、「うぐいす」をカバーした斉藤和義が、打ち上げで“CHABOさん、あれは政治に対する歌なんですか?”って聞いてきたって話。まあ、違うらしいんだけど、僕も長い間この曲をそういう風に聴いていた時があったから、せっちゃんも同じような感じ方をしてたんだなあと思った。CHABO、これをせっちゃんのモノマネで言うんだよね。これがまた似てて(笑)。大笑いしちゃったよ、オレ(笑)。
あと、TRICERATOPSをCHABOも前々からかなり好きだったと言ってたのも嬉しかった。で、和田唱の打ち上げ話は、話す時に顔を近づけて指を指しながら離す癖があるってこと。これもその場を想像してなんか笑ってしまったなあ(笑)。

他にも楽しい話がたくさん飛び出したんだけど、もったいないから書かない(笑)。
ただ、どうしても書いときたいのは、寺岡くんがこの企画を思いついたきっかけとして、「ヘイル!ヘイル!ロックンロール」があったというエピソードだ。これは86年に公開されたコンサート映画で、ロックンロールの生みの親、チャック・ベリーの60回目の誕生日を、様々なミュージシャンを招いて故郷のセントルイスで行った様子を描いたもの。彼はこれを見て、当時は日本では60歳を迎えるミュージシャンが当時はいなかったけど、3年ぐらい前になって“あ、CHABOさんがいる!”って気がついて準備を始めたんだそうだ。どっちかといえばアルバムよりライブをやる話が先だったと。
「ヘイル!ヘイル!ロックンロール」は僕も何度も観てDVDも持ってる大好きな映画なんで、この話は嬉しかったし、寺岡君には世代的な親近感を覚えた。
この「ヘイル!ヘイル!ロックンロール」でハウスバンドを務め、チャックとミュージシャンとの間を取り持ったのは、誰あろうローリング・ストーンズのキース・リチャーズ!僕は今、先週日本語訳が出たばかりのキースの伝記「ライフ」を読んでいるんだけど、不思議なことに、ちょうど今読んでたのが、キースがこのチャックとのイベントについて語ってる部分だった。

偶然なんだけど、なんか不思議な感じがする。
そうかあ~。「OK!!!C'MON CHABO!!!」においては、さしずめ寺岡呼人がキース・リチャーズかあ…。

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2011年5月20日 (金)

吉田健 仲井戸麗市 村上秀一 Hello! my old friends act.1 / 2011年5月20日(金) Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE

この組み合わせを最初に聴いたとき、僕が最初に思い浮かべたのは“LOSERの再現”ってことだ。たぶん、僕以外にもそう思った人は多かっただろう。ただ、泉谷がいるわけじゃないし、メニューはそれぞれが曲を持ち寄ることになるんだろう。メインボーカルはCHABOだろうから、きっとCHABOの持ち歌をLOSERっぽいキレキレのアレンジで演るんだろうなあ…。僕はこの日のライブをそんな風に予想していた。

大外れ!(笑)
約2時間で演奏された20曲ほどのナンバーは、ほとんどが驚きの書き下ろしだった。しかも、演奏はキレキレ・アレンジというよりも、もっとレイドバックした落ち着いたロックサウンド。リラックスした中にも心地よい緊張感が漂う、ベテランならではのいぶし銀のバンドサウンドであった。
吉田健によれば、3人で一緒に演る話が出たのが去年の冬。それから3人は月に一度集まって音を出し合ってきたという。しかも、配られたフライヤーからの情報だと、現時点で8月に東京・大阪で次のライブも決まっているという。要するに、これは一夜限りの邂逅ではないのだ。なんと、トリオ編成の新バンドとしてのお披露目だった!僕らは、CHABOの新バンド誕生の瞬間に立ち会うという滅多にない体験をしてしまったのだ!
当たり前だけど、こんなのが見られるとは夢にも思ってなかっただけに、オレは序盤から俄然スイッチが入ってしまった。約2時間の間、CHABOの持ち歌で演奏されたのは「キューバの唄」のみ。「ガルシアの風」も「BLUE MOON」も「雨上がりの夜空に」もなしだ。いやあ~マジな話、全く先の読めないCHABOのライブなんて何年ぶりだろう…。すごく面白かった!なんか、最初期に麗蘭を観た時のことを思い出してしまった。

この日は、オープニングの「ディジー・ミス・リジー」みたいなフックが印象的だったナンバーに代表されるように、インストも多かった。CHABOは気持ちよさそうにテレキャスターを弾いていたのが印象的。そう、CHABOのエレクトリックって言えば、RCの時はGRECOのシグネチャーモデル、少し前までは黒のストラトっていうイメージがあったんだけど、最近はテレキャスターがすごく似合うようになってきたと思う。ハリのあるフェンダーサウンドがホールいっぱいに響き渡るのがすごく気持ちよかった。
ポンタは相変わらず手数の多いドラミング。吉田健のベースは相変わらずタイトで曲を盛り立てる。とにかく、見てて全く危なげながないのだ。むしろ、このメンツだとCHABOのギターがラフに聞こえてくるぐらいなんだけど、それはそれでこの3人だとちょうどいいバランスになっているんだからゴキゲンだ。
何と言っても3人が3人ともすごく楽しそうだった。気心知れた3人が、心から音楽を楽しみ、余裕しゃくしゃくでやってる感じ。こんなのを前にしたら、音楽好きにはたまらない。すごく安心して音楽に没頭できるライブだった。
ほんとにこのユニットはイイ!“3G”って名前にしたらしいが、ロックバンドの最小単位といわれるトリオ編成なのがまずイイじゃない。音は必要最低限でかつ充実している。音数が少ないからそれぞれのプレイがはっきり聞き取れるし、本当に大人の楽しめるロックユニットだと思った。

ライブで演奏されたオリジナル曲は、カントリーロックっぽいテイストがあったり、ベンチャーズ風の味付けがあったりもしたが、この日唯一演奏されたカバーがグレイトフル・デッドだったように、僕はベースとして70年代アメリカンロックを強く感じた。僕らは、CHABOだとブルースやビートルズ、吉田健だとブリティッシュロックやファンク、ポンタだとフュージョン畑みたいなプレイの色分けをしてしまいがちだ。だけど、やっぱりこの年代の人たちが帰ってくる場として、アメリカンロックってのは外せないんだろうなあ。あれは時代の音なんだろう。
実は、この辺のジャンルは僕ら世代にとっては、割と通過してない部分も多い。僕自身も、折に触れて改めて追体験しているような感じなんだけど、3人の演奏を聴いていて、この時代の風を少しだけ吸い込んだような気がした。

意外なことに(って入ったら失礼か…(苦笑))、この3人の連絡手段はケータイメールだそうな。夜中にこの人たちがちょこちょこメールを打ってるのを想像すると、そのあまりにも似つかわしくない姿になんだか笑ってしまうが、それでフットワーク軽く曲が作れるんだったら素晴らしいと思う。
この日披露された曲の中で僕が一番強く印象に残ったのも、そんな風にして作られた曲だった。吉田健がCHABOのメールにあった“ある文章”にとても強い印象を受け、それをCHABOに伝えて作られたというポエトリーリーディング調の曲。これは、明らかに3.11後のCHABOの心境が織り込まれていると思う。何かが変わってしまった時代に対する違和感と、それでも希望を信じたい気持ちが交差する複雑な心模様。これは、今後もっと育っていきそうな、なんか名曲になりそうな予感がする。

とにかく、僕はこの3G、かなりのインパクトを受けた。
8月のライブはもちろん行くつもりだけど、僕はぜひこのユニットでアルバムを作ってほしい。だって、この日だってピカピカの新しい曲がこんなにたくさん演奏されたのだ。こんな日本の音楽の宝みたいな人たちの楽曲を、この場だけで終わりにしちゃってはもったいなさ過ぎるっての!

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2011年5月18日 (水)

キースの自伝、読んでます。

300 キース・リチャーズが自らの半生を語った「ライフ」。海の向こうでは昨年刊行されてたんで、日本語訳が出るのを首を長くして待ってましたが、遂に今月12日に発売になりました。僕もさっそく手に入れましたが、総数656ページという予想を超えたボリュームにまずはびっくり。
これは読むの、けっこう手強いぞ…。と思っておっかなびっくり読み始めましたが、マジで面白い!すらすらページが進みます。

感心したのは、訳された文章のテイスト。いかにもキースっぽいワイルドさとヨーロッパ的な洗練さが適度にミックスされています。洋書を訳したミュージシャンのバイオ本って、音楽をまるでわかってない人が訳すと、すごく変なタッチになるじゃないですか。“デヴィッド・ボウイがこんな安っぽい言葉遣いするか?”みたいな…(苦笑)。あまりにもイメージと違ってたり、音楽用語の誤訳が多かったりすると、ストレスが溜まりまくって、それだけで読むのが嫌になったりしますが、こいつはそういうストレスを全く感じません。実にいい感じ。
調べてみたら、訳者の棚橋志行氏ってのは、オバマ大統領の自伝なんかも訳した経験のある人なんですね。歳も50代半ばだから、世代的にもストーンズを通過してる人なんでしょう。

ただ、さすがにこのページ数ですから、なかなか読み終わんねえ(苦笑)。ま、こうしてたらたら読んでる時間が一番幸せなんだけどね…(笑)。
感想は読了後に改めて書こうと思いますが、こいつはストーンズ・ファンに限らず、70年代の英国音楽が好きな人なら絶対読んどくべきだと思うよ。とにかく面白いです!

海外でも評判は上々のよう。だけど、それに一番驚いてるのは当のキース本人みたいね。

「あのストーリーが批評家に理解してもらえた上、ほとんどの奴が好きだっていうんだから驚きだ。俺のアルバムは、そこまでいいレビューもらってないぜ」

だそうです。あはは(笑)。キース、最高!(笑)

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2011年5月15日 (日)

CHABOの“強さ”

このGWはCHABOがらみの大きなイベントが2つもあった。しかも、その両日ともにCHABOはエレクトリックをバリバリ弾いてくれたんだから、嬉しさは輪をかけて大きかった。バンドでの出演だからある程度期待はしていたが、正直言って、この時期にこれほどまでにロッキン・モードのCHABOが見られるとは思わなかったのだ。あれから一週間以上経つけれど、まだ余韻に浸ってる状態なんだよな、オレ(笑)。

実は、この少し前、CHABOのファンクラブから一枚のCDが送られてきていた。4月中に発行予定だった会報は、当初OK!C'MON CHABOと麗蘭結成20周年のお祝い企画で製作が進められていたらしいのだが、東日本大震災という未曾有の出来事が起きてしまい、“この時期にお祝い企画を届けるような気持ちにはなれない”というCHABOの意向で急遽予定が変更され、CDによる「特別号」という形になったのである。
ファンクラブ限定企画だから、ここでその内容を詳しく書くことはできないのだが、そこには、3.11後のCHABOが何を感じ、どんな音楽に心を寄せているかが、CHABO自身の声で淡々と語られ、彼自身の選んだ音楽が収められていた。選曲されたものはアッパーなものは一つもなく、アコースティックでシンプルなボーカルが流れていくようなものばかり。3.11を潜り抜けてきた今のCHABOの気持ちが、どんな言葉を重ねるよりもはっきりと据えられていると僕は感じた。

約一時間のCDを聴き終え、僕は改めてCHABOの誠実さを感じた。そして、この時期にステージに立つCHABOの胸中に想いを馳せた。
実は、白状すると少し不安な気持ちにもなったのだ、僕は。2つのイベントは、どちらも特別なもの。単独のライブならともかく、そこでは共演者・観客からある程度求められるCHABO像があるだろう。今のCHABOがそんなパフォーマンスをする心境になれるのだろうか…。ロックなモードでギンギンにぶっ飛ばすのは、なかなか難しいかもしれない…。ファンの分際でそんなことを考えるのは不謹慎かもしれないが、CDを聴いた後の僕は、正直そんな気持ちでいた。
だから、2日5日のイベントで元気一杯にエレキギターを弾きまくるCHABOを見て、僕はとても驚き、ものすごく嬉しくなり、そして大いに盛り上がったのである。

実際、CHABOがどんな気持ちでステージに立っていたのかはわからない。もしかしたら、心をよぎる陰りもあったのかもしれない。でも、会場を埋め尽くした大勢のファンに、CHABOから感傷的なタッチを感じた人は一人もいなかっただろうことは断言できる。CHABOは完璧なロック・ギタリストだった!
そういえば、忌野清志郎もかつて言っていたっけ…。“化粧をしていざステージに上がると、普段とは違うスイッチが入る”と。化粧こそしないけど、CHABOにもそんなところがあったのかもしれない。CHABOは、どこかで普段の自分のフィーリングとはスイッチを切り変え、2つのイベントを通して完璧に「ロックギタリストとしての仲井戸“CHABO”麗市」を全うしたのだ。

今、改めて思う。なんて素晴しいミュージシャンシップなんだろうと。そして、なんて素敵な男なんだろうと…。僕らは2つのイベントを通して、CHABOのプレイを堪能したのと同時に、プロとしての、男としての生き様を見たのだ。
そして、目には見えないスイッチ。この、自分のモードを切り替えられるスイッチこそが、優れたミュージシャンとか表現者とか言われる人たちが持っている類稀なる才能の一つなのではないだろうか?

圧倒的な悲しみに見舞われたとき、果たして音楽が有効なのかという問いかけがしばしば発せられる。今回の震災時にも、今この時期に音楽をやることにためらいを感じたミュージシャンがいたと聞くし、僕自身、震災直後は自分の中から音楽の影が消えてしまいそうな時期もあった。2つのライブを通して見せてくれたCHABOの姿は、期せずしてそんな問いかけに対するある種の答えにもなっていたのではないだろうか。
音楽の持つ力。音楽の持つ力を信じる意思…。言い方を変えれば、CHABOは音楽と同時に、リアルな現実さえ突き抜けてしまうような、ある種の“強さ”を僕らに見せてくれた。
僕が仲井戸“CHABO”麗市という人に惹かれて止まない理由も、もしかしたらそんなCHABOの人間的な“強さ”にあるのかもしれない。そんなことを強く感じたGWだった。

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2011年5月12日 (木)

違和感。

5月2日の武道館で、実はちょっと気になっていたことがあった。
もちろん、総じていいイベントだったと思うし、そのことはファンの間でも気にしていない人が多かったから、僕もあえて水をささずにそのことには触れずにおこうと思った。だけど、dokemonoさんはそのことをきちんとブログに書いていた。その勇気に感心したのと同時に、やっぱり僕も自分の気持ちに正直に、あの時感じた違和感はきちんと書いておこうと思ったのだ。

僕が違和感を感じたのは、あの日ステージとステージの隙間で流されたある映像のこと。竹中直人が例によって例のごとくハイテンションでこの日のために作られたグッズを紹介していたんだけど、そこでグッズの製作会議を模して演じられていた小芝居に、タッペイくんとモモちゃん、それに石井さんが登場していたのである。
もっと別なカタチで清志郎の家族がイベントに出てきたならば、僕もそれほど複雑な気持ちにはならなかったかもしれない。しかし変てこな小芝居で、しかもグッズの宣伝をするというのは、果たしてどうなんだろう…。

僕の言ってることが部外者の勝手な感想だってことはよくわかってる。当人達が納得して出てるんだったら、それでいいのかもしれない。
でも、ちょっと嫌な匂いがしたのだ、オレは。正直言って悲しくなった。タッペイくんにはこういった形で表に出て欲しくはなかった。

ファンの間では、クロマニヨンズのステージ終了後に清志郎の映像が流れたことについて、賛否両論あったみたいだけど、オレにいわせりゃそんなことこそどうでもいいこと。っていうか、趣旨を考えればあれは必要なことだったと思う。僕の中では全く違和感はなかった。
だけど、件の映像を含む、ステージの合間合間の“忌野清志郎ニュース”、あれは必要だったんだろうか?僕の言ってるのはそういうことだ。もし、あのイベントにあの部分がそっくりなかったら、イベント全体の印象ももっと違ったものになっていたのではないだろうか?

わかってるさ。僕の言ってることは、青臭いファンの感傷だ。
でも、僕は清志郎をこれ以上変なアイコンにして欲しくないと思う。まして、そこにタッペイくんが関わっているのを見るのはなんだか悲しい気分になってしまう。
少なくとも、それはRCサクセションの楽曲を歌い継いでいくということとは、何か違うのではないだろうか…。

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2011年5月 5日 (木)

JAPAN JAM 2011 / 2011年5月5日(木・祝)幕張メッセ

JAPAN JAMはロッキング・オンが主催する春フェス。ここにCHABOの出演がリリースされた。しかもバンド名義は“仲井戸麗市BAND”。ファンなら“おっこれは何かある!”と思ってしまうわなあ(笑)。その後、CHABOは泉谷しげると共にエレファントカシマシのステージにもゲスト出演することになった。これは3年前の“野郎共の競宴!!!”の再現だ。いやいや、あの時は3組一緒で演奏する場面はなかったから、正真正銘の初セッション。これで決まった。もう行くしかないだろう!

午前中から始まっていたこのイベント、仲井戸麗市BANDが出てきたのは、17:00ジャスト。ライブはバンドスタイルのオープニングでよくやるインスト、“Fox, trot”から始まって、レイ・チャールズの“What’d I Say”に続く。メンバーは、河村“カースケ”智康(Dr)、早川岳晴(Bass)、Dr.kyOn(Key)だ。カースケ&早川はCHABO BANDのリズム隊として勝手知ったる関係。旧友kyOnとは3日前の武道館で共演したばかり。もう息はぴったりだった。最初から余裕しゃくしゃくで楽しみながら演奏してる感じ。
3曲目には、なんとストーンズの“夜をぶっ飛ばせ”が飛び出した。自作の日本語詞で歌うCHABOお得意のパターンで、kyOnのキーボードが大きくフューチャーされ、レコードバージョンに近いアレンジになっていた。欲を言えば80年代のストーンズのライブみたいに、CHABOのギターであのサビを弾いて欲しかったなあ…。

ここまでCHABOはギターを持ち替えず、テレキャスター一本で通していたのだが、今度は黒のストラトにチェンジ。そこから爪弾かれたのはジミ・ヘンドリックスの“Little Wing”。これは2年前に山中湖で行われたフェスで演奏されたと聞いていたので、いつかライブで聴いてみたいと思い続けていた曲だった。アレンジはオリジナルよりむしろデレク&ザ・ドミノスのカバーに近かったが、正直言って僕はそこで聴かれるクラプトンのギターがあまり好きではない。だが、CHABOのはとても良かった。カバーのカバーの方がよりジミヘン・オリジナルの世界に近いような気がしたな。何よりも胸を打たれたのは、その日本語詞。「君は今空の上 雲の中 歩いているのかな…」。盟友の不在が切々と歌いこまれ、ギターがむせび泣いていた…。

いよいよCharの登場。まずはCharがボーカルをとって“Crossroads”。そうか、“Little Wing”からの流れでクラプトン繋がりにしたのか…。
2人のコンビネーションは抜群だ。Charの艶やかな音色とキレの鋭さは言わずものだが、CHABOも負けてはいない。果敢にCharに斬り込み、積極的にフレーズを絡めあう。濃厚であの世代のベテランにしか出せないような極上の味わいだった。

さらにCHABOは、様々な洋楽を現代風にアレンジしてギターでプレイしたという、最近のCharのアルバムの話をしてビートルズの“A Hard Day's Night”をプレイ。わかったよ、CHABO。今日は徹底してカバーで攻める気だな?若い世代の多いこのイベントでは、確かにこういう選曲はいぶし銀の魅力を放つ。この時点で場内は完全にロックの王道に酔いしれる空気になってきた。
更に続けて“ルート66”。ストーンズっぽいストレートなアレンジで、これはCHABOもライブで時々やってるだけにカッコいいフレーズがびしばし決まる。

CHABOとCharの2人はとにかく楽しそうだった。この2人はよくよく考えるとけっこうスタイルは違うんだよね。Charのギターはロックの枠を超えててちょっとフュージョンっぽい感じがあるんだけど、CHABOのほうは徹底してクラプトンとかジョージ・ハリスンとかの王道ブルース・ロック路線を突き詰めてる。だけど、一緒にやるとなぜかすごく合うんだよなあ、この2人は。
この日、何度もCHABOがCharに対して言ってたのは「彼は日本のロックの宝だ」ってこと。そして、話は2人がかつて共演したライトニング・ブルースギター・フェスに及び、その第一回の時に出演した、今は亡き大村憲司がCharを評して言った言葉が紹介された。大村さんは「Charがいなければ、日本のロックは成り立たなかった…」(だったかな?)って言ってたらしい。

そして「Charにブルースを弾いてもらうよ」というMCで、ロバジョンの“Love In Vain”へ突入。これがまた凄かったんだよなあ…。いつだったか、CHABOがこれをソロでアコギの弾き語りで演ったことがあり、実は僕はこの曲に関してはそのプレイが一番好きだった。だが、この日の演奏はそれを超えていた。Charの艶やかなソロにCHABOのスライドが絡み合い、正に“日本のブルースギタリストの共演”といった空間が作り出されていた。
セッション最後になって、はじめてチャボのオリジナルが炸裂。曲は“Free Time”。ワウの入ったCharのファンキーなギターに、CHABOの高速ギターソロ。いやあ~もう、お腹いっぱい。いい物を見せてもらった。

演奏時間は1時間10分ぐらい。各バンドの持ち時間は1時間だったと思うんだけど、それを少し超えていた。2人とも気合が入ってついついソロが長くなったりしたんじゃないかな?(笑)

エレファントカシマシが出てきたのは、夜8時ジャスト。この日は3日間続いた『JAPAN JAM 2011』の最終日だったので、イベント全体の大トリでもある。それもあってか、エレカシは最初から気合入りまくりだった。
2曲目に“悲しみの果て”を持ってきたのは、やっぱり3.11を超えての宮本からのメッセージだったんだろう。これに繋げて“戦う男”が演奏されたのも良かった。燃えたぞ!なんか、このあたりから僕も久々にロックモードにスイッチが入った状態になってきた。
そして名曲“風に吹かれて”。オレ、なんだかんだ言ってもこういうベタなエレカシが大好き。予断だけど、僕はランニングする時あんまり音楽を聴かないんだけど、20キロとか長い距離を走っててめげそうになるといつもエレカシの曲が頭に浮かぶ。なんか、奮い立つんだよなあ、エレカシのナンバーは。絶対負けられねえ!絶対あきらめねえ!エレカシの曲は、なんかサムライっぽいっていうのか、クロマニヨンズとはまた違ったロックっぽさがある。シビレるなあ、もう!

そしてミヤジはいよいよCHABOを呼び込む。
さあ、何を演る?なんと1曲目はRCサクセションの“ブン・ブン・ブン”だった!チャボはテレキャスターを手に、カッコいいリフをビシビシ。出だしこそCHABOが歌ったものの、その後はミヤジが歌を継ぐ。これがまた凄いテンションだった。この人はまず声がデカイ!(笑)でも、声がでかいのは優れたロックボーカリストにとっては絶対条件じゃないかと思う。そして、どんなにでかい声でも歌詞がよく聞き取れることも必要。清志郎がそうだったよね。ミヤジもその条件を完璧に備えているのだ。とにかく、気合の入りまくったミヤジの歌いっぷりはとんでもなくロックだった。恐れ入った!

そしてなんと“スローバラード”!あれから2年。その間、いろんな人がこの曲を歌ったけど、ミヤジのが一番いいと思う。2日に聞いた奥田民生のも良かったけど、申し訳ないがあれが翳んでしまったぐらい(苦笑)。なんつったらいいんだろう、ミヤジのボーカルは清志郎のそれとはもちろん違うんだけど、同じように熱くて優しいのだ。そして、清志郎と同じぐらいエモーショナルでぐっとくる。やっぱり、歌にこめる気の入れ方なんだろう。これ、横で弾いてるCHABOもかなりキてたと思う。

RCカバー3曲目は“君が僕を知ってる”。僕は、これがこの日歌われたことにけっこう驚いた。たぶん、CHABOが清志郎以外の人間とこの曲を演るのは、これが初めてだと思う。それだけ宮本を認めているんだろう。
終盤にはステージに泉谷しげるが乱入。これで役者が全員そろった。始まったのは泉谷の“春夏秋冬”。アレンジはLOSERバージョン!これはちょっと見ものだった。CHABOはスライドギターを弾きまくり、ミヤジはタンバリンを壊れるほど振りまくってシャウトする。泉谷も「宮本、難しいアレンジにするんじゃねえ!」とか言いながらも、がっちり歌い上げる。
続けては“翼なき野郎ども”。コレがまたえらいカッコいい演奏で鳥肌が立った。途中、泉谷がギターソロを弾くはずだったのを、ミヤジがCHABOと言ってしまい、泉谷のソロパートが半分になってしまういうハプニング(?)も面白かった(笑)。
そしてこの日も出ました。“チャンスは今夜”。CHABO、ミヤジ、泉谷の3人でボーカルを回し、ギターもCHABO、泉谷、石くんがこれでもかとばかりにキメのフレーズを弾きまくる。俺はもう、この辺から何がなんだかわからなくなってしまった。興奮してきて頭の中が真っ白。

ラストはエレカシの持ち歌“ガストロンジャー”!これは“野郎共の競宴!!!”の時エレカシの締めだったな。でも、あの時と違うのは何しろギタリストが4人もいるので音がとてつもなく分厚くなっていたこと。その爆音に触発されるようにステージを歩き回ってアジるミヤジには、ものすごい妖気が漂っていた。その横で泉谷も激しくがなり立てる。決まりごとじゃなく拳を突き上げたくなるライブに久々に出くわした。僕も我を忘れてサビを歌い、拳を振り上げた。いやもう、自分の中のロックモード全開!ミヤジに引っ張り出された感じだ。

ここで泉谷を除くメンバーはいったん袖に引っ込み、残った泉谷は“ラヴ・ミー・テンダー”をさらっと口ずさむ。
その間に再びメンバーがステージに現れ、ミヤジが「日本で一番有名なロックナンバーを演ります!」と言う。来るな!と思ったら、CHABOがミヤジに何か耳打ち。そしてミヤジが「OK!CHABO!!」と叫ぶと、待ってましたとばかりに“雨あがりの夜空に”が始まった。CHABO、ミヤジ、泉谷が楽しそうにボーカルを回す。石くんが嬉しそうな照れくさいような、何ともいえない表情でCHABOの横でギターを弾く。もうステージ前は大乱舞状態。フロアもお祭りみたいな盛り上がりぶりだった。

終わったのは10時近く。僕はイベントの最初から見ていたのだが、間違いなく最後が一番盛り上がった。
今年は5月2日に続けてGW中に2回もCHABOを見ることができたわけだけど、どっちのCHABOもエレクトリックをバリバリ弾いてくれ、完全ロックモードに入ってたのが嬉しい。やっぱりロックなCHABOは最高だ。カッコいい!2つのイベントとも自分より若い出演者がほとんどだったこともあってか、こういうのを見ると、CHABOは本当に日本のロックの王道ギタリストだってことが認識できるのだ。

それにしてもこのイベント、1日通してすごく面白かった。その名が示すとおり、出演者が必ず誰かとコラボするお約束になっているのがミソなのだが、こういうことができるのは、演る方も見るほうも日本のロック層が厚くなっているからに他ならない。せっかくなんで、他のミュージシャンのこともさらっと…。

オープニングは奥田民生。総合プロデューサーという立場だった渋谷陽一がステージに現れて民生を紹介していた。久々に見ましたが、渋谷さん、やっぱおっさんになったなあ。…ってこっちももう45のおっさんか…(苦笑)。
奥田民生は最初からHiGEとセッション。全然ノーマークだったんですが、僕の好きな會田茂一もHiGEのメンバーだったんですね。そのアイゴンも含め、ギター4本のステージは圧巻だった。この会場は鳴りが良くて、特にギターの音がとてもよく響く。4台のギターのパワフルなロックサウンドはむちゃくちゃ気持ち良かった。“イージュー★ライダー”とか“ヒゲとボイン”とか、俺でも知ってる曲を惜しげもなくやってくれてすごく楽しめたなあ。

TRICERATOPSは、実はデビューしたての頃からこ気になってるバンド。ブルースや60年代ロックをベースにしたバンドはいっぱいあるけど、このバンドはそこにグルービーなテイストがあるのがミソ。それを3ピースでやってるのがカッコいいと思う。
オープニングの"Groove Walk"でそれを確信した。その後も"Neo Neo Mods"とか"Raspberry"とか、腰にくるカッコいいナンバーがばんばん飛び出す。フェス向けっていうか、最高に楽しかった。
ゲストはなんと藤井フミヤ!もちろん僕は見るの初めてだ。いやあ~もうスターのオーラびんびん。マイクをくるくる回したり、ぱっとモニターに飛び乗ったり、アクションだけで観客を魅了するのはさすがだ。"TRUE LOVE"なんかも歌ってくれ、なんか得した気分(笑)。後半では藤井フミヤ繋がりで奥田民生も出てきてフミヤ+トライセラ+奥田という3者のジャムが実現。フミヤもボーカルはもちろん、ブルースハープを吹いたりしていた。なかなか見られないイイものを見た気がする。

真心ブラザーズのステージは楽しかった。この人たちは、わかりやすい楽曲をわかりやすい演奏できっちりやるのが魅力。
ゲストはなんと松たか子!去年の「soul of どんと」に一緒に出ていたのがきっかけで、今回のセッションが実現することになったという。この日、YO-KINGはあえて松たか子にロックンロールを歌わせたかったらしい。キャロルの“ルイジアンナ”のカバーは楽しかった。“拝啓、ジョン・レノン”はコーラスで参加。そして、忌野清志郎が日本語詞を付けた“500マイル”にはぐっときたな。Leyonaもいいけど、松さんバージョンもなかなかいい。
そして、このステージにも奥田民生が飛び入り。ボブ・ディランのカバー“My Back Pages”をやってくれた。これ、なんと今月にシングルとしても出るらしい。民生が原詞を歌い、真心が日本語詞を歌う展開だったんだけど、んー、僕は真心の全部日本語のやつが聞きたかった、ほんとは。

ほんと、楽しい一日だった。なにしろ場所が幕張メッセだから、アクセスもいいし飲食エリアは広くて快適。こんなまったりしたフェスなんて、少し前までは考えられなかったんじゃないかな。Tシャツとかグッズのデザインもいいし、すごく快適なイベントだった。これは来年も来るしかないな…。

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2011年5月 2日 (月)

忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー 日本武道館 Love&Peace / 2011年5月2日(月)

正直言って、もしCHABOが参加していなかったら僕はこのイベントに足を運ばなかっただろう。この日、日本武道館には1万人を超える人々が集まったが、彼ら一人ひとりに僕は尋ねてみたい。あなたは何が見たくて武道館に来たのですか?ただ純粋に清志郎が好きで、彼の名を冠したイベントなら何はともあれ行ってみよう。清志郎を通じて知り合ったファン同士が同じ空気を共有するならば、自分もその場にいなければ。そんなことを思った人たちが大勢いたに違いない。僕も、ファンなら本来そんなふうに振る舞うべきだとも思う。だが、どうしてもそういう風には気持ちを持っていけないのだ。たぶん、僕は純粋なファン気質を持った清志郎好きではないのだと思う。
はっきり言うと、この手のイベントにはどうしても懐疑的になってしまう。清志郎が居ないのにこんなことをしていいのだろうか?それは道義的に許されるのだろうか?どっかで誰かがRCや清志郎の名を使って金儲けしてるだけなんじゃないだろうか?オレたちはまんまとそれに乗っかっちゃってるんじゃないのか…、なんてことまで考えてしまうのだ、オレは。
それに単純に怖かった。だって、RCや清志郎のナンバーを清志郎以外のミュージシャンが歌ったって、逆立ちしたってオリジナルには勝てっこないじゃないか。そんなのを見たら、また清志郎の不在を強く感じてしまうだけになってしまうのではないかとも思った。青臭いと言えば言え。だけどこっちだって、あれから2年、いろんなことを積み上げながらここまで気持ちを整理してきたのだ。

唯一僕が見たかったのは、この日のスペシャルバンド。CHABOとこーちゃん、それに梅津さんと片山さんが一緒にRCを演奏するというのは素直に嬉しかったし、純粋に見たいと思った。これはかなりの部分でRCサクセションそのもの。他のバンドメンバーも生前の清志郎と深く関わってきた人たちばかりだ。このバンドが武道館に立つところを単純に見たかった。

僕は、開演前からCHABOがどんな表情でこの日のステージに出てくるのか、すごく気になっていた。何というか、本当の気持ちを押し殺して“使命感”でやっているようだったら見てる方も辛くなってしまう。もしそうだったらどうしよう。やっぱりこの場にいることを後悔してしまうんじゃないだろうか…。
ところが、「雨上がりの夜空に」で勢いよくステージに現れたCHABOはとても楽しそうだったのだ!自然な笑みがこぼれ、すごく元気にRCナンバーを演奏していた。その佇まいは僕を心底ほっとさせた。これで自分も意外なほどに気持ちが前のめりになっていったのだ。
しかも、当たり前と言えば当たり前なのだが、スペシャルバンドの一員だったCHABOは6時間弱のイベントの中でも出番が多く、トータルすると2時間以上ステージに立っていた。イベントの趣旨をちゃんと理解していなかった僕は、これほどまでにCHABOが見られるとは思っていなかったので、とても嬉しかった。
そして、何よりも嬉しかったのは、名うてのプレイヤーばかり集めたこのバンドの中でも、CHABOは間違いなくバンドマスター的な存在に見えたことだ。終始エレキギターを弾きまくり、自身もRCや清志郎の曲を思い切りシャウト。日本を代表するミュージシャンを招いても、実に堂々たるホストぶりを発揮してステージを盛り上げていた。素晴らしいミュージシャンシップ!泣けた。カッコよかった。プロだった!
ああ、なんてすごい男なんだろう、CHABO…。また惚れ直してしまったなあ…。

何度でも言う。本当にCHABOは素晴らしかった。ファンであるという贔屓目抜きにしても、この日集まったそうそうたるミュージシャンの中で、CHABOのパフォーマンスがベストだったと僕は確信している。そして、観客も参加したミュージシャンも、CHABOがここに居る意味を良くわかっていて、自然なリスペクトが生まれていたのが素敵だった。ある意味、3月の「OK!C'MON CHABO!!!」以上にCHABOの存在感が際立ったイベントだったのではないだろうか。
気合が入りまくったCHABOは、RCの曲を次々にプレイしてくれた。十代の頃から何千回と聴いてきて耳に焼き付いてしまっている「自由」や「ドカドカうるさいR&Rバンド」のリフ、そして「よそ者」の汽笛が鳴るような物悲しいイントロが、「Sweet Soul Music」でのブルーデイ・ホーンズとの絡みが、惜しげもなく目の前で展開されているのだ。これが興奮しないでいられるか!ただ違うのは、ボーカルが清志郎じゃないことだけ…。でも、それで哀しくなるようなことはなかったんだな、意外にも。

心に残るシーンは幾つもあった。はっきり言って、CHABOのかかわった曲のすべてに聴き所があったと言っても過言ではない。
特筆すべきは、この日のCHABOはGRECOのORIGINAL NAKAIDO MODELを多用していたこと。RC後期はストラトを使うことも多かったCHABOだが、やはり僕などはRCでのCHABOのギターというとこいつが印象深い。そして、実際2011年の今でも、このギターはすさまじい破壊力を秘めていたのだ。金子マリをボーカルに、金子ノブアキとkenkenの2人をリズム隊として演奏された「MIDNIGHT BLUE」のリフの切れ味は凄まじかった。金子ファミリーの息子たちは、明らかにグランジ通過後のラウドなビートを刻んでいるのだが、それにCHABOのギターは決して負けていなかった。「自由」や「よそ者」で使ったギターもGRECOじゃなかったかなあ…(違ってたらゴメンなさい)

そんなわけで、僕が印象に残っているのはどうしてもCHABO絡みになってしまうのだが、このイベントで印象に残っているシーンを思いつくままに記しておきたい。

まずはLeyona。彼女はスペシャルバンドのコーラスという位置付けだったので、CHABOと同じくらい長くステージに立っていたのがなにより嬉しい。「Sweet Soul Music」ではブルーデイ・ホーンズと清志郎ばりのカラミを見せてくれたのがさすがだった。「ダンスミュージック☆あいつ」も、清志郎よりむしろ自分のアルバムに入れたバージョンに近いアレンジ(CHABOのプレイもそんな感じだった)。
それから、後半には「ブン・ブン・ブン」をCHABOと金子マリとで代わる代わるに歌った。僕は前々からマリさんとLeyonaが同じステージに立つのを見たいと思っていたので、これには興奮した。しかも、Leyonaのボーカルはマリさんに全くひけをとらなかったと思う。いつの間にか、小股の切れ上がったカッコいいソウルシスターになっちまったなあ、Leyona…。

斉藤和義は、「JUMP」と「ドカドカうるさいR&Rバンド」をやったのだが、はっきり言ってデキはイマイチ。それよりもMCに惹かれたぜ、オレ。彼は“清志郎さん、カバーソングは今でも怒られますよ…”“ざまーみやがれ!”と言ったのだ。これは、例の「全部ウソだった」のことなのだけど、これを聞いてCHABOが苦笑していたのが印象に残っている。

この日は映像で様々な人からのメッセージも流されたんだけど、僕が最も印象に残ったのは黒柳徹子。例によって例のごとく、早口でだーっと喋った後、だんだん涙声になってきて、「貴方が『サマータイム・ブルース』や『ラブ・ミー・テンダー』で命がけで訴えていたことを、私は当時深刻に受け止めていなかったように思います。私は今、それを本当に後悔しています。今、本当に貴方に会いたい」って言ったんだ…。この時、会場からはものすごく大きな拍手が起こったことを、僕はずっと忘れないでいようと思う。
そう、もうひとつ言っておきたいのは、この日のイベントもこの日がやはり3.11以降であるということを色濃く感じさせるものであったということだ。未曾有の大災害。原発事故。会場は心なしかいつもより照明が暗く設定されていると感じた。こんな時、ミュージシャンとして、音楽ファンとして何が出来るのか。そして、清志郎が今ここにいたとしたら、いったいどんな歌を歌っただろう…。そんなことを考えながら進行したイベントでもあったと思う。この日は募金箱も用意され、宮沢和史あたりはMCで“是非募金してください。一人千円寄付すれば、この夜だけで1千万円以上のお金を集めることが出来る”と言っていた。実際、どのぐらいの人が募金したのかな…。ちょっと気になる。

スペシャルバンドが様々なボーカリストを迎えるステージが約1時間続くと、舞台はセンターステージへ。ここはアコースティックを中心としたセット。
トップバッターは泉谷しげるで、たぶんやるだろうと思っていた「サマータイム・ブルース」と「ラヴ・ミー・テンダー」を、やっぱり演った(笑)。この日は清志郎のいわゆる“アングリーマン”的な色合いをカバーした人はあまりいなかったので、これは全体としてはいいバランスになったのではないだろうか。
あとは、はっきり言ってこのパートであんまりぐっときたパフォーマンスはなかった。だけど、ハナレグミと矢野顕子の2人だけは凄かった。なんというか、清志郎の曲を完全に自分の世界として昇華していたと思う。
清志郎と同じ中学を卒業したというハナレグミ(というか永積タカシ)は、「多摩蘭坂」をカバーしたのだが、そこに「君を呼んだのに」を挟み込むというアレンジを施していた。時々爪弾かれるジャズマスターの音色のなんとサイケだったことか!個人的には、この日最も独特な世界観を表現し得たアクトだったと思う。
矢野顕子が歌ったのは「恩赦」と「ひとつだけ」。これも凄かった。矢野顕子だからオリジナルとは全く違う表現になることは誰でも想像できたと思うが、歌の持つ歌詞がぐいぐいと胸に迫ってきたのには驚いた。彼女の歌を聴いていて、「恩赦」で歌われている“罪深い僕ら”が、まるで清志郎のいない世界で原発事故という最悪の事態を招いてしまった僕ら一人ひとりを指されているような気持ちになったのは僕だけではないだろう。

アコースティックセットは、途中一回だけメインステージに戻る。そこで繰り広げられたのは、東京スカパラダイスオーケストラのステージ。今や、大きなフェスには欠かせない存在となったスカパラ。そういった意味では、ライブシーンにおいてのスカパラは、清志郎と似たような位置にいるといってもいいのかもしれない。
break into the lightでステージにメンバーが次々に登場してくると、「危ないふたり」と「トランジスタラジオ」をカバー。僕は「トランジスタラジオ」を彼らがカバーしたのが感無量だった。ボーカルをとったのはドラムの茂木欣一。この日、彼らは初代ドラマーの青木の命日でもあったということを語っていたが、この選曲は明らかに欣ちゃんが以前所属していたバンドの無二の親友に捧げたものだ。そう、フィッシュマンズの今は亡きボーカリスト、佐藤伸治が、生前“もし、RCの曲を一曲カバーできるとしたら…”という質問を受けた時、答えていたのがこの曲だったのだ。

後半、再びスペシャルバンドを迎えてから印象に残っているのは、なんと言っても細野晴臣。実は、僕はこの人が今日見られるということを全く知らずにいたので、かなり興奮してしまった。僕ら世代なら誰でもそうだと思うが、CHABOと細野さんが同じステージに立っているなんて信じられない出来事だ。RC+YMOだぜ、まったく…。演ってくれたのは「幸せハッピー」。これ、実は細野さんは去年の5月2日にも野音で演奏していたのだ。細野さんが、清志郎とやったこの曲をすごく大事にしていることがわかる。今の時期にタイムリーだし、スペシャルバンドの演奏でこの歌が聴けて本当に良かったと思う。
それにしても細野さん、最近気弱なことばかり言ってるなあ…。“放射能にやられて僕もそろそろお迎えが来そう…。清志郎、待っててね”なんて、冗談でも言うのは止めてほしい。まだまだ元気でいてくれないと困るよ、細野さんには。

YUKIは「自由」と「不思議」を。はっきり言って、彼女のボーカルは何を歌ってもあのとおり(苦笑)。だけどバンドの演奏には感動したなあ…。「自由」では間奏のギターソロでCHABOが思いっきり前に出てきて、YUKIと並んでギターを弾きまくった。カッコよかったなあ、あれ。普段小さなライブハウスでアコギを弾くCHABOばかり見ているとついつい忘れてしまうけど、この人はこういう大きな舞台でメジャーな人と絡んでも、全くひけをとらないスーパースターでもあるのだ。
それと「不思議」。まさか21世紀に「不思議」が聴けるとは…。でも、歌詞間違えないでくれよ、YUKI。ほんとに好きだったの?なんて突っ込みたくなっちゃうぜ(苦笑)。

奥田民生はさすがの貫禄だった。「スローバラード」の選曲にも驚いたけど、「チャンスは今夜」は盛り上がった。これはバンド全体がノリノリで、なんと片山さんのダックウォークという滅多に見れないものまで飛び出した。でも、やっぱり何と言っても民生のレスポールとCHABOによる(何を使っていたのかはよく憶えていない)ギターバトルには興奮させられた。

そしてクロマニヨンズ。この日、彼らは自身のバンドでアクトを務めたのだが、これがもう凄まじかった。この日の出演者すべての中で、間違いなく一番ロックしていた。曲も「ROCK ME BABY」と「ベイビー!逃げるんだ」という、清志郎の楽曲の中でももっともアッパーなものがセレクトされていた。清志郎から受け継いだ日本のロックのバトンはオレたちが持っている、ということを知らしめるようなパフォーマンス。特にシビれたのはマーシーのギターだ。レスポールJrのTVモデル、イエローから放たれる黄金のリフレインは切れ味抜群。特に「ベイビー!逃げるんだ」のナイフで切ったようなシャープなリフには鳥肌が立った。
彼らはもう1曲、「いい事ばかりはありゃしない」もカバー。本当はこれはCHABOのボーカルで聴きたいところだったが、ヒロトなら構わない。最高だったぞ、このカバー! 

その後、清志郎の映像が数曲流れ、三たびスペシャルバンドが登場して「ブン・ブン・ブン」と「雨あがりの夜空に」が演奏され、6時間近い長い夜は終わった。

ライブが素晴らしかったのはもちろんなんだけど、僕はこのライブの時間を通しての自分の気持ちの変化にも静かに驚いていた。スペシャルバンドの演奏を聴いているうちに、なんだか自分のちっぽけなこだわりなんかどうでもよくなってしまった。そして、いつの間にかたくさんのミュージシャンたちがRCや清志郎の曲を歌うのを、素直な気持ちで楽しむことができたのだ。
やっぱり、時間って大切だと思う。こんなことを言うのはとてもおこがましいのだが、CHABOも僕も、ここまで吹っ切れるようになったのは、あれから2年という時間が経って、清志郎の不在をそれぞれのカタチで自分の中に収めることができるようになったからなのではないかと思う。
もう一つ強く思ったこと。それはRCや清志郎の残した曲の大きさだ。“音楽というものは、作って歌ったその瞬間からもう作り手のもとを離れて一人歩きしていく…”そんなことを誰かが言っていたが、RCや清志郎の残した楽曲も、いつの間にか忌野清志郎当人よりも大きなものになっていた。清志郎ではない誰かが歌う清志郎の歌が、違和感なく大衆の耳に吸い込まれていく光景を目のあたりにするのは、僕にとって全く新しい体験だった。本当に力のある歌は、こうして歌い継がれていくものなんだろうなあ…。

さて、こういうイベントが今後も行われるとしたら、僕はどうするだろうか。正直言って、すぐには答えが出てこない。
でも、そこにCHABOが出演するのであれば、僕はきっとまた足を運ぶだろう。

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