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2011年6月15日 (水)

新しい風

素晴らしい、本当に素晴らしい夜だった!
ローテーションでやったわけでも、アルバムリリースに併せたわけでもない、“今、やらなければいつやるんだ!”という山口洋の強い想いで行われることになったHEATWAVEのライブ。

もう、並みのライブとは最初から気迫が違っていた。
熱かった!
気迫があった。
志をビシビシ感じた。
そして、泣きたくなるぐらい人間臭かった。

ヒートアップするバンドに呼応し、ぐんぐんテンションを上げていった観客一人一人も素晴らしかったと思う。
これほど会場全体の想いが一体化したライブも珍しいのではないだろうか?

今、僕は昨夜の感動をどうしても言葉にすることができない。満員のフロアで強力なビートに身を委ねながら、僕は何度も何度も目頭が熱くなった。
R&Rとは、こんなにも強く、こんなにも優しく、こんなにも希望を歌い上げる音楽だったのか…。
もう一度言うが、本当に、本当に素晴らしいライブだったのだ!ああ、HEATWAVE…。なんてすごいバンドなんだろう…。
やっぱり僕は信じたい。信じよう!これほどの大きな感動を受け取ったら、もう信じないわけには行かない。音楽の持つ強い力を…。

ありがとう、山口洋。
ありがとう、HEATWAVE。

僕も何かを始めることにする。
昨日、渋谷の町にも、僕の心の中にも、新しい風が吹いた。

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山口洋(HEATWAVE)」カテゴリの記事

コメント

やはり行かれてたんですね。自分も行きました。仰られるように、自分も簡単に言葉であらわすことができない、けど観客、スタッフの想いと共に、彼等は最高のライヴをやってくれましたね!長年HWは見続けていますけど、昨日は神がかっていたとしか言えない奇跡のような時間を作り出していたと思います。アンコール前のMCで山口さんが涙と感情をこらえて、語った言葉、しかと受け止めました。HAGAさん、互いにそれぞれの場所で新しい風を吹かせましょうね!

いつも拝読しております。

昨夜は、池畑さんの最初のドラムで、もうダメでした。
いい年をして(今年47になります)、何度も「ワーっ」とか、「オーっ」とか。それこそ言葉にならない。

まだHEATWAVEを聴き始めて5年程度の新参者ですが、
最初にライブを聞いたときから、このバンドを信頼し続けよう、山口洋という男の言葉を信じよう、と思わせてくれました。
10代のころから、ずっとロックンロールを聴いて来たけど、まさか40過ぎて、そんなバンドと出会えるなんて思ってなかった。しかも日本のバンドと。

そして夕べ、その思いをさらに強固なものにしてくれました。

僕自身、メディアの片隅で生きてます。
もっともっと、このバンドを多くの人に知ってもらいたい。
心のそこから、そう思った夜でした。

HAGAさん、いらしてたんですね!ボクも行きました。
ヒロシのソロは何度か行ってましたがHWのライブは7年ぶり。
前回行った日は丁度新潟大震災が起きた日。
再びこのタイミングでHWのライブを見る。不思議な縁を感じます。

バンドの演奏。まさに「熱い波」でした。
大好きな「フールとクール」「STILL BURNING」をバンドで
聴けたのは嬉しかったです。
そしてお客さんのノリ。これだけ野郎の声が響き渡るライブは
珍しいのでは?ヒロシと会話してる人いるし。
一瞬泉谷しげるのライブに来たのか?と勘違いしました笑。

ヒロシの語りもホントに良かった。
「ピンポイントでサポートしたい」には共感しました。

実はボクずっと被災地へのサポートについて悩んでました。
物資支援や寄付はしてたけどそれだけでイイのか?って。
ボランティアに行っても役に立ちそうもない。
下手したら「被災地見たさ・思い出つくり」に現地に行きかねない。
何度も考えては結論も出ず何をやっても無力感に襲われてました。

でも今回のライブでヒロシのメッセージを聞いて
もう1度自分に何が出来るか?考えてみようと思います。
全部はムリでもピンポイントでも。
ボクはどの場所を支援したいのか?どうしたいのか?
寄付なのか?ヒロシの様な信頼するミュージシャンを通じて
サポートしたいのか?真剣に考えたいと思います。

何かきっかけをもらったような。。ホント行って良かったです。

はじめまして。
自分の学校のことを探っていたら
何だかたどり着いたらしいです。
…はい。
渡利中学校に通っている者です。
放射能やらで
大好きな地元が汚されて。
最悪です。
僕も、ライブやらにいって
気晴らししたいです。

 お久しぶりでした♪
 能天気な私は、ステージのカッコよさにくらくらでした。
 とりたてて何か特別なことはできないけれど、MY LIFE IS MY MESSAGEを大切に、生きてゆきたいなという気持ちです。
 まだまだこのシリーズ?は続くようなので、参加していきたいです。また、お会いしましょう♪

◆きあさん
ヒロシの話は、単なるMCと言い切ってしまっては勿体無いぐらいに強い力が湧いてくるメッセージでしたね。うわべだけではない、しっかりと地に足のついた言葉でした。あの夜のライブとヒロシの言葉に触発された人たちが、それぞれの場所でそれぞれの新しい風を吹かせていったら、点と点が繋がって大きなうねりを起こせるんじゃないでしょうか。

◆Rakuさん
>昨夜は、池畑さんの最初のドラムで、もうダメでした。

そうそう!僕もそんな感じ。あの夜の4人の音は、最初からもの凄い気迫が伝わってきました。熱くて、粗野で、それでいて温かい…。ロックンロールってこんなにも人間臭い音楽だったんだなあ、ってこの歳にして改めて教えられました。僕はあの場にいることができて本当に幸せに思います。正直言って、何度も泣きそうになりました。

◆ながわさん
「ピンポイントでサポートしたい」。僕もあの言葉は強く強く心に残りました。
僕は身内は大丈夫だったんですけど、出身地が被災してしまいましたので、親元に帰ったついでに片づけを手伝ったりしています。でも、それがボランティアだなんていう意識は全然ありませんでした。田舎がある人だと、帰省した時にちょっと畑仕事を手伝ったりすることがあるでしょう?それとおんなじような感覚なんです。考えてみれば、自分が知っている地域を何とかしたいという衝動からやってるわけですから、結果的にこれが究極のピンポイントになってたんですね…。
募金や寄付も大事なことだし、それはきっと有効に使われていると信じたいんだけど、実際は寄付がわたった人の顔が見えないから、なんとなくもやもやしちゃうんだと思います。そう感じたら、思い切って被災地に行ってみてもいいんじゃないでしょうか?
ボランティアってそんなに難しいことじゃないと思うんです。実際、僕が帰ってる時も、市役所でボランティアを受け付けていたんですが、何のあてもなく東京から一人でやってきて、週末だけ作業して帰ってく若者なんかもいるそうです。カッコいいですよね、そういうの。今の若者、なかなか捨てたものじゃないですよ。おぢさんも頑張ろう!って思います(笑)。

◆霧矢氷骸さん
はじめまして。よくいらしていただききました。
僕は市内の第四中学校出身なんですけど、信夫山周辺にもホットスポットがあるというし、きっと後輩達は放射能に苦しんでいるんだと思います。あなた方のことを思うと、なんと言葉をかけていいかわかりません。
故郷を飛び出して東京に出て、地元を痛めつける原発からの電気を使って生活をしていた僕は大馬鹿者の親不孝でした。ごめんなさい。どうか許してください。

7月に僕は福島に帰ります。仕事がらみなのですが、空いた時間にはできる限り知り合いに会って話をしたいと思っています。そして、できれば週末も残って除染作業をお手伝いしようと考えています。それが僕のできるせめてもの罪滅ぼしかな…。
美しい故郷が“フクシマ”とカタカナ表記されるのは、本当に耐えられません。また、福島に行くとなると、みんな露骨にびっくりするのが堪らなく悲しいです。今、首都圏に住んでる福島県人はみんな同じ思いでいると思いますよ。
僕は僕なりにできることをします。霧矢氷骸さんもどうか元気に日々を過ごしてください。想いはきっと通じます!

◆manaさん
お久しぶりです。お元気そうで何よりです!
僕はもともと影響されやすいタチなので、ヒロシの言った「ピンポイントのサポート」が頭に残って離れなくなっちゃいました(笑)。これからは、自分にとっての「ピンポイント」を探していこうと思います。また近いうちにお会いできそうですね。今度はじっくりお話しましょう!再会を楽しみにしています。

Y.HAGAさん
ありがとうございます
貴方のような方もいらっしゃるんですね。
過ぎたことです。
仕方ないんです…。
今の状況を直していくしかないことは
僕もわかっていたこと。
それに…、
地元から離れていても、
地元でつくられている電気が照らしてくれてるって思うと
嬉しいですよね。

僕はとある事情で
遠出できません。
でも、もうやることが癖になっている募金は
見る度見る度やっています。
早く、元の温かい福島に、
美しい福島に戻ってもらいたいから。

長々とすみません

ユザネ忘れてました
すみません

◆霧矢氷骸さん
霧矢氷骸さん、僕は君が他人だとは思えないんですよ。
福島の子ども達の姿がテレビに映るたび、こう思うんです。“もしかしたら、あの子たちは自分だったかもしれない”…。
大学進学のために上京し、地元に押し付けた原発の電気で豊かな生活をしてきた僕の中には、「フクシマの子」であった自分と「東京の大人」とが分裂したまま存在しています。自分は矛盾に満ちた存在だった…。今回の原発事故は、僕にそんな残酷な現実を突きつけました。
でもね、こんな風にも思ったんです。この矛盾こそが原発というものに関して考えていく出発地点なんじゃないかと…。だから、僕はこの矛盾に一生かけて付き合っていくつもりです。

霧矢氷骸さん、君はまだ若い。どんな状況にあったって、君にはその若さという武器があるんです。どうか、それを忘れないでくださいね。今度の震災や原発事故は、僕の生きているうちには完全な解決を見ることはないかもしれません。でも、霧矢氷骸さんが大人になる頃には、きっと今の状況よりはすべてが良くなっていると思うんです。いや、良くしなければなりませんよね。そんな世界を作るお手伝いを、僕は残された自分の人生の中で少しずつでもやっていければな、と思っています。

拙いブログだけど、また遊びに来てね。いつでも歓迎します!

Y.HAGAさん
ありがとうございます!
昔のことを責めてもしかたないです。
…はい。

では、時々遊びに来させていただきます!

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