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2011年6月30日 (木)

会話のつづき ロックンローラーへの弔辞 / 川崎徹(著)

2170342_2これは、あれから2年経って、80年代にRCと仕事をしたCMディレクターが、静かに淡々と“あの人”のことと、自らにまつわるいくつかの「死」を語った哀悼集である。

2年前のあの日、誰もが感じたことは、「死」というものへのこれまでにないほどのリアルな実感だったのではないだろうか。僕自身のことを言えば、それまでに肉親の死や友人の死などを経験してはいたが、これほど「死」が自分の近くに迫る感覚を味わったことはなかった。世代の拠り所を喪失することが、肉親や親しかった人との別れの悲しみとはまた違う、これほど大きな痛みを伴うことを、僕はあの日はじめて知ったのだ。

あの日以来、自分の中で何かが変わった。それは、ひと言で言ってしまうと、誰であろうと「死」からは決して逃げられないという達観だ。どんなに健康だろうと、いつか突然僕は癌になるかもしれない。もしかしたら今日の帰り、暴走したトラックにひかれてぺちゃんこになってしまうかもしれない。それは確立の話ではなく、いつ起きてもおかしくないこと。「死」は「生」のコインの裏側のように、淡々とそこにある。僕自身の「生」なんてほんとにちっぽけなものだと思うようになった。
僕がマラソンを始めたり、今度の震災で被災した古里に身を投げ出したいという衝動に駆られるのも、「死」への切迫感を感じたことと無関係ではないと思う。言い方を換えれば、こちら側にいることになった僕は、それだけのことをしないと、もはや「生」の圧倒的なリアリズムを感じることができなくなっているのだ。

この本は、川崎徹がいなくなった“あの人”と、そこから引き出された自分の記憶に残る「死」を通し、こちら側に残された者としての想いを綴った哀悼の書である。
川崎徹といえば、80年代に青春を過ごした世代だったら聞いたことのある名前だと思う。あの頃は、コピーライターだのCM監督だのがやたら持て囃され、大学生の人気就職先といえば広告代理店が上位に来ていた時代。川崎徹はCMディレクターとして飛ぶ鳥を落とす勢いだった。「ハエハエカカカ キンチョール」や、富士フイルムの「それなりに」だのを作ったのもこの人。もっというと、パルコのCMでRCサクセションをミイラにしたのもこの人だし、清志郎の著書「忌野旅日記」で彼が買ったポルシェのローンの保証人になったのもこの人。当時の川崎さんはRCサクセションと“それなりに”(苦笑)関わった仕事をしていた人なのだ。

その川崎さんが、あの日から2年経って突然こんな本を出した。しかも、80年代の派手な活躍が嘘のような地味で目立たぬ文章で。オビで菊地成孔が語っているとおり、これは非常に目立たない、静けさすら感じられるエッセイである。なにしろ、本には“清志郎”という言葉すら1回も出てこないのだから…。

たとえば、あの暑かった長い一日の描写。

「腹減った、のど渇いた、死にそうだぁ」
「バン!」
男が口で言った銃声に、女はのけぞって言った。
「こんな日に死ねて嬉しいぜ、感謝します!!」
列にいた若い男女の会話である。故人に似せた言い回しと、原色で着飾ったふたりの悲しみとは程遠いやりとりの方が、ロックンローラーを送る言葉としてはふさわしく思え、嗚咽混じりの弔辞から目を外し、忘れないうちにと走り書きした。

あの日、青山に行った人ならわかると思う。この短い文章にはワイドショーや雑誌の記事などとは違う、あの一日のリアルな空気が含まれている。

そして、川崎さんの想いは更なる死への記憶となって続いてゆく。毎日、散歩していた近所の公園のホームレスの死。母の死。父の死。そして、老い行く自分自身への想い…。この哀悼の書は、80年代にあれほど軽薄短小なコマーシャルを作り続けていた人の書いたものとは思えないような、ある種の諦観に満ちている。それは、これまでの自分の歩いてきた道を振り返るような年齢となった川崎さんが、自分の作ってきたものに対して後悔の念さえ抱いているように感じられ、時として痛々しい。
バブル期に“クリエイティブ”と呼ばれるような仕事をしてきた人が、21世紀になってから当時のことを苦渋に満ちた表現で記すのをしばしば見る。これはいったい何故なんだろう?彼らとて、当時は“それなりに”(しつこいな…(苦笑))信念を持って広告を作ってきたはずだ。それほど自分を卑下しなくてもいいんじゃないかと、僕なんかは思ってしまうのだけれど…。

ただ、自分の老いを隠さず、その影にふとため息をつき、企業の広告ではなく、自分の表現として小説に辿りついた川崎さんの気持ちが、僕には何となくわかるような気がする。
この地味さこそ、表現者としての川崎さんの誠実さなのだ。そして、静寂に満ちたこの不思議な文章には、2年前のあの日から何かが変わってしまった僕自身の気持ちとも近いものを感じてしまうのである。

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