« 今までとは違う世界 | トップページ | 第6回 東京うたの日コンサート【出演】リクオ/三宅伸治 / 2011年6月13日(月)渋谷BYG »

2011年6月10日 (金)

イデオロギーで原発を語るな。

原発事故を経験してきて、僕はこれまでの考え方が根底から覆ってしまった。
今、強く思う。もう、これからは政治をイデオロギーで語るのはやめようではないか。思えば、戦後から日本はこの二極対立論のために、肝心なことを何も議論せずにきてしまったのではないだろうか。

具体的に言う。僕は福島県人だったから、自分の住む町からそう遠くない場所に原発がある危険性を頭では理解していた。RCの「サマータイム・ブルース」を聞いたときだって、まるで地元のことを歌われてるみたいで居心地の悪さを感じずにはいられなかった。当時も人から問われればこう答えただろう。“どっちかと言えば、原発には反対だ”。
でも、それは決して声高な主張ではなかったことを白状しなければならない。だって、少し前までは「原発反対」なんてことを口にすれば「あいつはアカだ」と言われかねなかったでしょう?原発反対運動は、長い間、核兵器廃絶の運動に関わっているような人たちの行動と同一視されてきた。それは社会主義系の市民活動と同じようなイメージがあり、あんまり入れ込むと周りからは思想的に偏っていると見られかねなかった。そんなリスクを背負うのは、組織に属するサラリーマンにとっては、かなり重たいことだったのだ。

そもそも、なんで原発に反対することが「アカ」になってしまっていたのだろう?3.11以降、激しい自戒と共に疑問を持ったのがそれだった。僕は、別に安保条約に反対しているわけでも、憲法9条を改正しなければならないと思っているわけでもない。自分の両親や友人の多くが住む自分の故郷に、あんな危ない物を置きたくないと思っているだけだ。でも、「原発反対」なんてことを声を大きくして言おうものなら、いつの間にか話がデカくなってアカ呼ばわりされ、議論は思考停止に陥ってしまっていた。

イデオロギーでものを語る人との議論はとても消耗する。彼らは対立的に物事を考えるクセが付いているから、自分と意見が違うというだけで、すぐに全面批判を仕掛けてくる。本人は無自覚なんだろうけど、決して自分の説を曲げようとせず、寛容な結論を良しとしない。さまざまな学習はしているのだろうが、それは自分を正当化するための一方向のものでしかなかったりする。
ヒダリかミギか、そんな風に色分けできるほどこの社会は単純ではない。だからこそ僕らは「議論」するのだ。議論とは違う意見をぶつけ合い、より良い打開策を共に見出すこと。日本は多くの人たちが最高学府まで進む国だから、リアルな現場で、たとえば大学のゼミなんかで「議論」の場に着いた経験のある人がたくさんいるはず。なのに、議論の場がいつの間にかイデオロギーの対立にすり替わり、最後は相手の人格批判で終わってしまう例を、僕らはこれまで何度見てきたことか…。かくして有益な議論や意見は、議論以前に封殺されてしまっていたのだ。
原発に関しても、これまで冷静な議論ができず、対立する2つの概念、つまり「安全」か「危険」かの二極論でしか語れなくなっていたのではないだろうか。その結果が今の惨憺たる状況を生み出しているのではないかと僕は思う。

いいかげん、僕らは学ばなければならない。戦後最大の国難を迎えた今、イデオロギーに囚われた時代遅れの二極対立論は何の役にも立たないということを…。ヒダリかミギか、人にレッテルを貼ってから議論をはじめるのは止めようではないか。この待ったなしの状況の中、そんなことばかりやっていると、肝心の目の前にある火急の問題がいつまでたっても片付かない。人は単純な善悪では語れないのだ。それが現実社会なのではないだろうか。

もう一つ、僕は極端に一方に振り切れる意見にも警戒心を持っていたい。
今、原発推進派の人は旗色が悪い。識者が少しでも原発に肯定的なことを言うと、すぐに御用学者呼ばわりされてしまったり、過去に東電のCMに出たタレントや文化人を吊し上げる風潮があるのは、とても危険なことだと思う。感情を伴った極論に走るのは簡単だし、気持ち的にとても楽だ。でも、それは正常な「議論」を成り立たせなくしてしまう恐れがあるのではないか。

あえて言う。こう言う時こそ原発を推進してきた学者や行政は、議論の場に出るべきだ。「安全」「危険」の二極論ではなく、これまでの原発を是としてきたデータを公開し、その根拠をきちんと説明する責任があると思う。
今、はからずも原発反対派の代表的な存在となってしまった小出裕章さんは、3月15日の昼間の実効線量というリアルな研究成果を持っている。17.1マイクロシーベルト毎時は、明らかに放射線管理区域となる数値なのだ。
今、誰もがこの先起きるかもしれない晩発性障害におびえているが、こんな時こそ、原発推進を進めてきた学者と行政は、これまでの疫学上の所見やデータを提示し、小出さんと議論してほしい。誰だって“御用学者”なんていう屈辱的な言い方はされたくないだろ?これは学問に身を焦がすものの名誉に関わる問題だ。そして、そんな建設的な議論は、今、未来が見えずに苦しんでいる日本に、きっと大きな国益をもたらすと思う。

僕は、個人が日本人や国家という意識をもつことを否定しない。しかし、その立つ位置を、一時の好き嫌いや周りでたまたま起きた事象で安易に翻すことのないようにしなければならないと思う。
僕らはリアルな世界で生きている。それは、原子力発電所が爆発し、炉心がメルトダウンし、挙句の果ては格し納容器までメルトスルーするという、悪夢のような世界だ。叫びだしたくなるほど悲しくて絶望的な世界だが、これが今の僕らのリアルだと悟らなければならない。
この激動の中、自分という存在は、時代と国、他者と個との関係性の中で常に流動化している。そんな自分を客観的に見つめる目が、3.11以降の世界では必要になってくるのではないかと強く思う。

僕らは今、真の意味での“戦後”を迎えたのだ。

« 今までとは違う世界 | トップページ | 第6回 東京うたの日コンサート【出演】リクオ/三宅伸治 / 2011年6月13日(月)渋谷BYG »

日記」カテゴリの記事

コメント

私には
難しいことはよく分からないけど…

原発について、私は、生理的にイヤです。
私にとっては…
“原発”と“原子力爆弾”はほぼ同じものです。
人が意図的に作って欲しくはないものです。

今日の日経の全面広告には…本当にびっくりしました。
“宇宙の力を悪魔に変えた”
被爆と無関係ではない私にとっては…いつも頭の片隅にあるコトバです。

本当、今回のことほど「国の在り方」を考えさせられたことはありません。

レッテルを貼って、本当の議論が出来なくなるのは自分も含め情けなくなります。
相手が真剣にその主張をする以上、その背景にあるものを冷静に見極め、目的がいったい何なのかを忘れずにしたいです。

当たり前であったものが当たり前でなくなる時という瞬間、自分のキャパシティーが問われるような気もしますね。
議論の際の冷静さというのは、そういうキャパシティーによって成り立つわけだとも思うし、更にその冷静さからもたらされる言論のエネルギーは力が有ります。

逆に言えば、そのエネルギーがカリスマティックに為るのも気をつけたいです。(何時もながら訳解らなくてすいません)

◆REICOさん
>“原発”と“原子力爆弾”はほぼ同じものです。

そう、この感覚さえ少し前までは理解してもらえなかったんですよね。清志郎の「カバーズ」に関しても、“「反核」と「反原発」を混同してる”という批判を、音楽評論家さえしてたぐらいですから。僕、当時のことを今でも憶えてますが、この人は今はそ知らぬ顔して「サマータイム・ブルース」を褒めてるんですから呆れます。

全面広告、朝日新聞にも出てました。単なるツアーの告知ではなく、あれを載せること自体が強いメッセージになっていましたね。さすがだと思いましたし、重く受け止めました。

◆通りすがりさん
「国」とか「政府」とかって、いったい誰のためにあるのかって思ったりします。自治体の長とかの方がよっぽどたくましいと感じることも多かったですし…。やっぱり、利権だの大きな考え方の傘下にいるだのすると、人間ってダメになるんだなあ、って思っちゃいます。

◆僧さん
いやいや、おっしってる事、よくわかりますよ!
って言うか、僕が書いた今回の記事も僧さんからかなり影響を受けていることに今気が付きました(笑)。僧さんのブログは、小出さんの発言を中心に今回の原発事故にまつわるさまざまな発言をタイムリーにリンクされているので、いつも拝見しております。
僕は、こういう事態になると国もそうですが、大手マスコミも全然ダメなんだなあ~ってことを思い知りました。国の測る放射線量が疑問って報道するなら、言ってるだけじゃなくて自分たちでガイガーカウンター購入して毎日測定値を一面で報道すりゃあいいんです。それこそ国民が知りたい真実じゃないですか?東電がおかしい、菅がおかしいって言ってるだけじゃ何も変わらないと思います。

ソウルフラワーの中川さんが「ある意味、自分の中で、仲間内の中で「反原発」が当たり前になってしまっていて、果たして然るべき声を上げてきたのかという悔恨がある」とWebで語っていましたけど、自分の中にもその気持ちと近いものがあるなぁと、そんなことを考えました。
今回の記事、自分のツイッターにて呟かさせていただきました。
事前のお断りもなく、申し訳ありません。

◆きあさん
中川さんの話も深いですよね。僕も、「反原発」というと、なんだか緩いデモ隊がシュプレヒコールを挙げてるだけみたいなイメージで冷めた見方をしていたと自戒しています。
ツイッターでの呟き、全然OKですよ!そんなに大層なこと言ってるわけじゃないので、恥ずかしいのですが…。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: イデオロギーで原発を語るな。:

« 今までとは違う世界 | トップページ | 第6回 東京うたの日コンサート【出演】リクオ/三宅伸治 / 2011年6月13日(月)渋谷BYG »

フォト
2023年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        
無料ブログはココログ