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2011年7月

2011年7月23日 (土)

CHABOの恩返し③ Leyona with 仲井戸“CHABO”麗市 / 2011年7月23日(土)南青山MANDALA

今年のCHABOは、春から“CHABOの恩返し”というシリーズライブを行っている。これは、寺岡呼人の呼びかけで実現したリスペクトアルバム「OK!!! C'MON CHABO!!!」に参加したミュージシャンを、恩返しの意味をこめて自分のソロライブに呼んで共演するというもので、既にさだまさよし、寺岡呼人とのライブが行われている。Leyonaは3人目の“恩返し”になるわけだけど、僕は最初の2回は行けなかったんで、これが恩返しシリーズ初見だった。
だから、恩返しライブがどういった構成で行われるかということも含めて楽しみだったのだが、意外だったのは、僕はてっきり最初から最後までCHABOとゲストが共演するものだとばかり思っていたのだが、ライブは1部がLeyona、2部がCHABOとそれぞれのソロの時間がきっちり分かれていたこと。欲を言えば共演をもう少したくさん見たかったなあ…。ただ、これは見方を変えればそれぞれのパフォーマンスの違いがより際立つ部分もあった。まあ、これはこれで良いのかもしれない。

開演時間を10分ほど回り、場内にビーチボーイズの「サーファーガール」が流れる中、ステージにCHABOが登場してくる。CHABOは小声で歌を口ずさむなど、とてもゴキゲンな様子だった。そして、恩返しライブの趣旨を紹介してからLeyonaをステージに呼び込む。

この日のLeyonaはギター片手に完全な弾き語りスタイル。
1曲目は1stアルバムからの「Thinkin'」だった。土の香り漂うギターとボーカルが非常にカッコ良し!Leyonaは、間奏でギターを叩いてパーカッシブな響きを出したり、ベース音を強調したり、ひとりメンバー紹介をやったり(笑)変化自在なステージングを展開。初めてLeyonaを観るCHABOファンをばっちり惹き付けた。MCはグダグダだと自嘲気味に語る彼女だけど、その朴訥振りがいいのよ、おぢさんは(笑)。
それにしても、彼女のギターの腕前はここ最近格段に進歩したと感じる。ひと言で言ってLeyonaのギターはとても男前(笑)。キレのいいカッティングがとてもパーカッシブで気持ちいいのだ。リズム感のいいLeyonaのことだから、一人で演る時もこういうビートを自然と欲するんだろうなあ…。
そして、ボーカルもギターに引っ張られるようにますます力強くなったと思う。MCで彼女はこんなことを言っていた。“これまでステージで緊張する経験がなかったんだけど、ギターを弾くようになってからは、緊張の更に上の状態になってしまう”。その状態、彼女曰く“ACDC”だそうです(“汗だくだく”ってことね(苦笑))。でも、この緊張感がますますボーカルを磨いたんじゃないかなあ?

続いては「ハーモニー」と「風をあつめて」。ハスキーだけどよく通るしなやかなボイスが会場いっぱいに響き渡る。更に「パッチワーク」。これ、狙ってたかどうかわからないけど、偶然にも松本隆作詞の楽曲メドレーになってた。こうして聴くと、改めて松本さんの歌詞は映像的な表現が多いことに気が付く。そんな歌詞がLeyonaの温かい声にのって届くと、“ああ、やっぱり日本語っていいなあ~”ってしみじみ思っちやうんだよなあ…。

ハイライトは「L-O-V-E」から「LOVE」へのメドレーあたりかな。MCは相変わらずとっちらかってたけど(苦笑)、「LOVE」ではコーラスをお客さんにも歌わせ、会場が温かい空気でいっぱいになった。この辺の持っていき方はさすが!
ラストは美空ひばりの「愛燦燦」。これ、この前の彼女のライブでもアンコールで歌われてぐっときちゃったんだけど、オレ、この日もかなりヤバかった。素晴らしいわ、これ。なんつったらいいんだろう、彼女の歌う「愛燦燦」には、僕が久しく忘れていた母性を感じてしまうのだ。
10以上も歳の離れているおっさんの胸をこんなにも焦がしてしまうLeyonaってのは、本当に不思議なシンガーだと思う。21世紀の歌姫であることは間違いないのだが、ムード歌謡の歌手のような昭和の匂いも感じるし、時としてとても年下のシンガーだとは思えなくなる。
そういえば、後にステージに出てきたCHABOも似たようなことを言ってたっけ。このライブのリハは、同じスタジオを時間で区切ってそれぞれが交代で使うというシチュエーションだったらしいのだが、先にリハを終えたLeyonaはスタジオを出る際、CHABOに“それではお先においとまさせていただきます”と書き置きしたそうだ。CHABOは“今時の女の子が「おいとま」って使わねえだろう?普通”って言ってた。確かに(笑)。でも、なんだかLeyonaならそんなエピソードもうなずけちゃうような気がする。

気が付くと、Leyonaのステージは1時間を超えていた。もう、ほとんどソロライブ一本分。Leyonaファンの僕としては大満足だった。

短いインターミッションの後、いよいよCHABOの登場。
ベンチャーズの「PIPELINE」のフレーズを爪弾きながら登場してきたCHABOは徐々にテンポアップ。それを客席でしっかりとリズムキープしていたお客さんがいたみたいで、CHABOは“同世代とお見受けしました”と最初からゴキゲンだった。2曲目は珍しく「うぐいす」。これ、シュールな歌詞といい、シンプルなギターリフといい、大好きな曲だ。久しぶりに聴けて嬉しかったなあ…。

びっくりしたのは、古井戸のナンバー「Wisky Romance」が歌われたこと。これ、オープニングに波の音を被せたりしてて、今の季節を強く意識したアレンジになっていた。それと、これはサーファーガールLeyonaと一緒にやるライブっていうイメージもあったんだろう。こういうセレクトで一期一会感を出すのも、CHABOの生真面目さが表れてるような気がする。コーラスの“ウキウキ…”は、早川岳晴とのデュオで演った時、早川さんが照れてできなかったというエピソードも語られて、なんだか笑ってしまった。

シリーズライブになると、必ず何か自分に課題を課すCHABOだが、恩返しシリーズでは共演者の曲を必1曲はカバーすることにしたらしい。さて、CHABOがLeyonaの曲から何を選んだかと言えば、これがなんと「travellin' man」!うーん、また難しい曲を(苦笑)。キーが合うのか?と心配したら意外に大丈夫だった。サビはさすがにキーを下げてたし、メロディーもだいぶ崩してはいたが、スライドばりばりでかなりブルージーなアレンジを施し、原曲とは違った面白さがあった。

カバーはもう一曲。今度来るブライアン・セッツアーに併せてか、ストレイキャッツの「Lonely Summer Nights」。これは出だしでCHABOのオリジナル“ティーンエイジャー”を歌いだしてしまうという珍しいハプニングがあった。でも、これは僕らとしたらとても得した気分。CHABOも照れ隠しもあってか、その後軽くワンフレーズ弾き語りをサービスしてくれ、客席は大喜びだった。
それにしても、CHABOは昔からストレイキャッツ、大好きだよね。僕はこのバンドってそんなに入れ込んだことがなく、その良さに気が付いたのもずいぶん後。だけど、CHABOは80年代からこのバンドを押してたんだよね。

僕的には、この日のCHABOのソロパートでのハイライトは「SUMMER SUMBA」だった。リズムボックスをバックに軽快なサンバのビートが弾き出され、CHABOもすごく気持ちよさそうだった。僕自身、これを聴くのはすごく久しぶりな感じだ。もしかしたら、ソロで聴くのは初めてかも…。今の季節にぴったりな選曲で立ち上がりたくなっちゃうぐらいだった。
で、この後に「IN MY LIFE」~「忙しすぎたから」をメドレーでやったのが、なんだかすごく良かった。CHABOの描く夏ってのは、ただ明るく燦燦と太陽が降り注ぐだけじゃない。ちょっとダークな感じやら、眩しく暑いがゆえの虚しさやら、来るべき秋に向けて内省的になっていくタッチやら、微妙な陰影のある夏だったりするのだが、それがこのメドレーで見事に表現されていたと思う。それに、なんつったって「忙しすぎたから」だからね…。どうしたってGLAD ALL OVERでの清志郎とのアコースティックセットのことを思い出さないわけにはいかない。
「IN MY LIFE」は、最近、ジョン・レノンに関する映画の試写会に行ってきたと言う話しの後で演奏された。これはたぶん、8月に公開予定の“ジョン・レノン,ニューヨーク”のことじゃないかと思う。これ、なぜかあまり情報がリリースされないのだが、僕も気になってる映画なのだ。これに続いて“楽しい夕べに~♪”だからなあ…。かなり効きましたぜ。なんか、ちょっと泣きそうになった…。

ラスト2曲は“最近の出来事”に対しての、歌を通してのメッセージだったと僕は受け取ってる。
まずは「悲しみをぶっとばせ!」。そして、古井戸の「きまぐれラプソディー」。この曲を歌う前、CHABOは“この歌の主語を「今の日本」にしてみたら…”みたいな事を言っていた。CHABOは決して声高に世論を憂いたり、政治的なことを具体的に歌う人ではないし、僕もそれでいいと思っているのだけれど、このMCには今のCHABOの胸のうちが垣間見れたような気がする。

アンコールはお持ちかねのCHABO+Leyonaの共演(CHABOは“Lei-Leyo”って言ってたな(笑))。
まずは土曜日にライブをやる時のお約束、「Take You The Movies Tonight」をやってから、Leyonaのデビュー曲「オレンジ」をプレイ。たぶん、これはこの日足を運んだファンなら絶対聞きたかった曲だろう。素晴らしかった!この曲のCDシングルには、このライブと同じ形態でのCHABOとのデュオバージョンがカップリングされているが、この日の演奏はそれよりも更に良かったと僕は思う。これはきっと、Leyona自身の成長の証でもあるんだろう。RCサクセションに憧れて広島の三原から出てきた歌の巧い少女は、10年のキャリアを経て、こうして憧れの人と堂々と共演できるまでになったのだ。

そんな気持ちで聴いたからか、「魔法を信じるかい?-Do You Believe In Magic?-」は、格別の感慨があった。なんでも、この前日に行われたライブではLeyonaが感極まって歌につまるシーンもあったという。この日はそれはなかったけど、高鳴る胸の鼓動を抑えながらとても丁寧に歌いこんでいるように見えた。サビの部分、スタジオバージョンだと清志郎が歌ってるパートは客席もコーラスを歌い、会場全体がとても優しい空気に満ち溢れた。
“夢を大切に…”というメッセージを歌うミュージシャンはとても多いが、Leyonaは存在自体がそれを具現化しているという幸せなミュージシャンなんじゃないかなあ?もちろん、そこに至るまでにはいろんな苦労もあったのだと思うが、広島の田舎町から夢を抱いて東京に出てきて、大好きなCHABOや清志郎に可愛がってもらえ、こうして憧れの人と同じステージに立てるなんて、やっぱり魔法みたいなこんだよなあ…。彼女は、いろんな意味で音楽の神様に愛されている人なんだと思う。

その後は、CHABOのリクエストということで「パパママリバティー」。これは2ndアルバムに収められた曲だけど、もしかしたらライブで聴くのは初めてかもしれない。いい歌詞だと思う。っていうか、Leyona、なんていい子なんだろうと思ってしまう(笑)。子どもにこんなことを歌われたら、親としては泣いてしまうよ、もう(苦笑)。

そしてそして、RCクラシックの「いい事ばかりはありゃしない」。これは昨年の“WE LOVE 吉祥寺”でもプレイされたけど、CHABOとLeyonaが共演する時の定番になりつつあるのではないか。CHABOのギターは言わずもがなだが、エンディング近くでのLeyonaのブルースハープも素晴らしかった。

最後の曲はスティービー・ワンダーのカバーで「A PLACE IN THE SUN」。これは数年前の浜田省吾のライブでもオープニングで歌われてたっけ。Leyonaもアコースティックギターを手にし、Leyonaが英語、CHABOが日本語でという構成で歌われたのだが、2人の祈りがこめられているようでかなりぐっときた。確か、オリジナルの詞は“誰にとっても「陽のあたる場所」が必ずある”みたいなニュアンスだったかな。

ライブはトータルで3時間超え。温かく優しいライブだったと思う。

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2011年7月21日 (木)

【映画】レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー

オレ、この映画、これまでいったい何回観てるんだろう…。
「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」は、ローリング・ストーンズが81年に行った全米ツアーのライブを収録した映画だ。日本では83年に全国の映画館で公開され、当時はストーンズのライブを日本で見るのは夢のまた夢と言われていたこともあって、連日多くのロックファンが劇場に駆けつけた。

僕がこの映画の映像をはじめて観たのは、小林克也がVJをやっていた音楽番組だった。そこである週にストーンズが特集され、現地取材の様子とともに、映画のダイジェスト映像が流れたのである。ボロボロのTシャツを身にまとったキース・リチャーズが、咥え煙草で「ダイスをころがせ」のイントロを弾くシーンは、僕のその後の人生を変えた(笑)。わずか5秒ぐらいのカットなんだけど、そこにはロックンロール・バンドのカッコよさの全てが凝縮されていた。
高校生だった僕は、ビデオに録ったこの映像を何度も何度も見返した。そして、このわずかな映像から、実際のストーンズのライブがどんななのかを想像したもんだった。
地元の映画館で、実際に映画本編を見たのは、そのだいぶ後。躍動するストーンズは、僕の想像を遥かに上回るカッコよさだった。感激したなあ…。
東京に出てきてからは、映画が深夜放送で放映されたのをVHSテープに録画し、ノイズだらけになるまで見倒した。今では媒体がDVDになったけど、相変わらず年に何度かは必ず観たくなる。

そんな映画が、28年ぶりに劇場公開されることになった。久々にデカイ画面とデカイ音で、大好きな映像が見られるのだ。これは行くしかないだろう!

僕は新宿武蔵野館で映画を観た。結論から言うと、画面がデカくなったからといって、特別新しい発見があったわけではなかったし、映画館で聴く音も、思ったほど良かったわけではなかった。やっぱり当時の機材では、これが限界なんだろう。
それより、僕は映画の細部をいちいち憶えている自分自身に笑ってしまった(苦笑)。ミック・ジャガーが「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」を歌ってる時、一瞬白目をむきそうになるところとか(笑)、「リトルT&A」を唄う時、キースがギターを弾く腕を後ろに跳ね上げる時の肘の角度とか、どうでもいいような細かいところまで、ほんとによく憶えていたのだ。きっと、少年時代からあまりに何回も観ているので、脳内再生できるぐらいに映像が焼き付いちゃっているのだと思う。
だけど、それでも飽きないんだ、この映画…。展開がわかっていても、オープニングのとてつもないカッコよさにはドキドキしてしまうし、ジミヘンの「星条旗よ永遠なれ」が鳴り響く中、派手に花火が打ちあがるエンディングでは、本当にストーンズのライブを観た後のような満足感が押し寄せてくる。

改めて思う。誰がなんと言おうと、「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」は最高によくできた音楽映画なのだ。ローリング・ストーンズ自身も最高に油の乗っていた時代。つまり、この映画は最高の素材が最高の状態の時に、最高の機材とスタッフを使って撮った映画なのだ。悪いわけないじゃないか(笑)!

映画の公開から約10年後、ローリング・ストーンズは遂に日本の地を踏んだ。東京ドームで10日間行われたライブには、僕も3回足を運んだ。
ただ、夢にまで見たストーンズのライブに大興奮したのは確かなんだけど、「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」での若いストーンズが身体に沁み込んでいた僕にとっては、90年代のストーンズは風貌もサウンドも変に小奇麗になっちゃって、洗練されすぎたようにも感じたんだよなあ…。

その後、ストーンズは徐々に往年のルーズさを取り戻し、今もカッコ良さをキープしている。だけど、やっぱりバンドとしてのピークは、この映画に収められた81年頃までだったのではないだろうか?21世紀のストーンズも良いのだけれど、バンドとしては90年以降別モノになってしまったような感覚が僕にはある。
「レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー」は、世界最高のロックンロール・バンド、ローリング・ストーンズが最も輝いていた瞬間を記録した、奇跡のような1時間半なのである。21世紀の子どもたちが、これを見てその後の人生が変わったとしたって、僕は全然不思議だとは思わない。

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2011年7月18日 (月)

ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザン『街道筋の着地しないブルース』発売記念地方巡業 / 2011年7月18日(月・祝)渋谷CHELSEA HOTEL

中川敬 アコースティック・ソロ・アルバム 『街道筋の着地しないブルース』発売記念地方巡業 ~アコースティック編~
ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザン(中川敬・リクオ・高木克)
◆2011年7月18日(月・祝)渋谷CHELSEA HOTEL
 開場18:00 開演19:00

この日のライブは、渋谷にあるチェルシー・ホテルというライブハウスで行われた。僕にとっては初めての会場だったんだけど、入ろうと思ったとたん、ぎょっとしてしまった。それは入り口のカウンターの上に、鹿の頭の剥製が飾ってあって、入ってくる客をぬぼーっと見下ろしていたからだ。個人的な話なんだけど、僕は動物の剥製、それもこういうケモノを首チョンパしたようなやつが大の苦手。だって、こういうのって絶対そいつが生きてる時の“気”が入ってると思うぞ。目なんか会わせようものなら、何かを訴えかけられているようで、もう気になって気になって…。断言するけど、こんなものを自分の手で作った人間は、絶対ちゃんと成仏できないと思う(苦笑)。
おまけにこのチェルシー・ホテル、内装も仰々しくて、まあ寂れたホテルみたいというか、中世のお城みたいというか、お化け屋敷そのものというか…(苦笑)。おい、中川!なんでこんな場所でライブやるんだよ。悪趣味だぞっ!正直言って、ライブ前からテンション下がりまくりだった(苦笑)。

ところが、いざライブが始まったらそんな気持ちはきれいに吹き飛んでしまったんだなあ…。特に、この日の中盤、彼らが被災地で演奏してきたという民謡や昭和歌謡が始まったあたりでは、バンドのサウンドに会場の場末なムード(笑)がぴたりとハマり、まるでひなびた猟師町のキャバレーで、地元のハコバンのライブを観ているような感じだった。むーん、中川、もしかしてこれがネライだったのか…(笑)。

この日のアコパルのライブは、中川敬のソロアルバム発売に合わせたツアーの最終日ではあったが、それ以上に被災地でのライブを何度か行って、その空気をそのまま東京に持って帰ってきた凱旋公演という色合いが濃かったと僕は感じた。彼らが被災地で演奏したという民謡や昭和の歌謡曲は、僕にとってはSFUやリクオのオリジナルよりも強く印象に残ったぐらいだ。
東北人なら誰でも知ってる(僕なんか音楽の時間にうたった記憶がある)「斎太郎節」や「おいらの舟は300トン」は、如何にもこのユニットの演奏らしくて楽しかった。これらは被災地でも大ウケだったというが、そりゃそうだろうよ。ロン毛のロックロックした兄ちゃんが、三味線片手に“松島の~♪”と唸られた日にゃ、じいちゃんばあちゃん、大喜びに違いない。
中川のボーカルが、また民謡によく合うんだよなあ…。いやあ~たいした歌手です、この人。決して上手くはないかもしれないけれど、尾藤イサオの系譜を引き継ぐ正統派昭和無頼歌謡(そんなジャンルあるのか?)のNo.1ボーカリストじゃないだろうか?
中川と比べると、リクオはちょっと洗練された感じなんだけど、やっぱり昭和歌謡の匂いはたっぷりだ。「夜霧よ今夜もありがとう」は、ウィスキーの水割りの匂いが漂ってくるようだった。やっぱり、昭和40年代生まれというバックボーンは大きい。このあたりは僕もそういう背景を持ってるからよくわかる。なんのかんの言っても、昭和歌謡のカッコつけたやさぐれ感は、今でも憧れ。隠そうにも隠しようがないのだ、こういうのは(笑)。

そして、極めつけはなんと言っても「アンパンマンのマーチ」!これは、避難所で暮らす子どもに向け、中川がセレクトした曲だったらしいが、素晴らしかった。もう、これは是非シングルカットして欲しい!(笑)実際、避難所で演奏する前に、中川の子ども4歳と近所の子どもを集めて公開リハ(笑)をやったらしいが、その時点から大ウケだったそうな。僕も男の子の父親だから、もちろんこの歌は知っていたんだけれど、歌詞を真剣に聴いたのはこれが初めて。じっくり聴くとほんとに良い歌詞なんだ、これ!なんつったって“愛と勇気だけが友だち”なんだからなあ、アンパンマンは!子どものいない若いファンはどう思ったか知らないが、僕はなんだか涙が出そうになってしまった。

そういえば、うちの下の子は、原発事故がどうしようもない状況になりつつあるのをニュースで見たとき、“なんでこういう時にウルトラマンが来ないの?!”って言ったんだよなあ…。上の子は、放射能で汚染された牛肉が出回ったと聞いた時、“バイオなんとか(の技術)で、大丈夫な肉、じゃんじゃん作っちゃえばいいじゃん!”って言ったんだよなあ…。
子どもの無邪気なひと言って、大人がはっとさせられることがいっぱいある。オレ、思ったもん。原発は怪獣みたいなもんだったんだなって…。僕らは、科学だなんだって言いながら、そんな怪獣をやっつけることのできる技術なんて、最初から持ち合わせていなかったのだ。
でも、きっと僕らはやり直せるだろう。被災地でこの歌を聴いて“痙攣したように跳ね回っていた(中川談)”子どもたちは、きっと大きくなったらアンパンマンのように愛と勇気を持って、ふるさとの復興に力を尽くすに違いない。もしかしたら、その中からは最終処理が決まらない放射性廃棄物を駆除できる技術を発明しちゃう未来の科学者だって生れるかもしれないじゃないか!
被災地で「アンパンマンのマーチ」を聴いて笑顔を見せる子ども達の姿には、きっと大人たちも励まされたことだろうこういうことが明日への活力へと繋がるのだと思う。こういうことが歌の力なんだと思う。

もちろん、彼らのオリジナルだって素晴らしかった。「海へゆく」や「寝顔を見せて」、それに「荒れ地にて」なんかは、歌詞が復興へむけて立ち上がる人々の姿に重なって感動してしまった。
高木克っちゃんも存在感ばっちり。今回は、特にスライドギターに格段の冴えを見せ、中川の野太い歌声やリクオの力強いピアノに一層鮮やかな彩を加えていた。インストの「叩いて 擦って よろめいて」のペダルスチールも素晴らしかったなあ…。

リクオは特に新曲が素晴らしかった。“テレビもない、お金もない、ユニクロもない…。自由はある。何して遊ぼう…。”とうたわれる歌(ごめん、タイトル忘れちゃった…)は、大きな悲しみを経験した僕らの心の深いところに、すとんと降りてくる。それから、この日僕がはじめて聴いた曲、震災直後に彼がブログで告白していた“震災直後に歌を忘れていた”状況から、やっぱり音楽しかないと歌い出すまでの心の動きを綴った歌があったのだが、これがかなりぐっときた。ずばり、名曲!。これはこれまでのリクオのレパートリーの中でも、とても大きなものになりそうな予感がする。

きっと、3人は言葉にできないようなヘビーな状況も目の当たりにして来たに違いないだろう。でも、そんな話はいっさいせず、どこまでも前向きになれるような音楽を奏でていたのが素晴らしかったと僕は思う。「満月の夕」ですら、その響きはどこまでも力強かったし、アンコールでリクオの唄った「イマジン」は、忌野清志郎の日本語詞をベースにしながら、更にリクオ流の解釈が加えられて、3.11以降の世界に向けた明確なメッセージを投げかけていたと僕は思った。

2時間40分。目の前の日々はヘビーでも、決してあきらめず、笑いと歌を忘れずに少しずつ前に進もう…。そう思わされた温かいライブだった。
みんながひとつになったり、日本中が頑張っちゃったりするのは、テレビが言うほど簡単なことではないと思う。それでもきっと大丈夫。だって、夢を見ているのは、きっと僕一人じゃないんだから…。

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2011年7月15日 (金)

ふくしまの青い空

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先週、福島に帰って来た。仕事がらみの3泊4日という短い滞在ではあったが、いわき・郡山・福島と回って、空いた時間に友人と会って話をしたり、久しぶりに馴染みの場所を訪ねたりすることができた。

3日間、僕は福島市に宿をとった。福島は高校を卒業するまで暮らした懐かしい町。かけがえのない僕のふるさとだ。今、福島は原発から60キロも離れているのに、連日高い放射線量が記録されている。2週間前には、市の民間団体が調査した子どもたちの尿から、放射性物質であるセシウムが検出された。
しかし、市内で見かける子どもたちのいでたちは、驚いたことに3.11以前のままだったのだ。長袖の服を着たり、マスクを着用したりしているような子は、ほとんど見かけない。それどころか、滞在中は何度か夕立による豪雨があったにもかかわらず、彼らのうちの何人かは、傘も持たずにずぶ濡れになっていたのだ。
かなりショックだった…。もしかしたら、ここより線量の低い首都圏の方が、放射能への意識はずっと高いかもしれない。それほどまでに、福島の町は普段どおりだった。

正直言って、僕はこの現実にうろたえてしまった。この意識の低さはいったいなんなのだろう…。福島行に際しては、僕だってマスクをして行こうと考えたぐらいだ(けっきょくしなかったけど…)。なのに、福島の現場はマスコミの報道とは大きく異なり、子どもたちは普段と変わりない夏を過ごし、露地の畑にはいつもの年と変わりなく、トマトや茄子などの夏野菜が栽培されている。福島の放射線量が高いのは、噂でも風評でもない。現実に文部科学省が公開しているデータで明白な事実なのに…。

しかし、いろんな人たちの話を聞いて、だんだん真実が見えてきた。
旧友の一人は、苦渋の表情を浮かべながらこう言った。“逃げた方がいいことはわかってる。でも、就職難で次の仕事なんか見つからないだろう。今だって生活が楽ではないのに、それを捨ててまで避難することはできない”。彼は、奥さんと子どもだけを奥さんの実家に帰したという。それから、高校時代のクラスメートで、今は一児の母親となっている女性は、“一刻も早く子どもを逃がしたいんだけど、旦那と意見が合わず、最近は毎晩喧嘩ばかりしている”と泣いていた。
原発事故は、平和でのどかな田舎町に暮らす人々を、放射能の危険を“感じている人”と、“考えないようにしている人”とに分断してしまったのだ。

変な話、もし放射能が強烈に匂ったり、毒々しい色がついていたりしたら、誰だってすぐに逃げるだろう。だけど、それは無色透明でまったく気配を感じることができない。誰かが言うように“ただちに”健康に影響を及ぼすこともない。だからこそやっかいなのだと思った。
福島では、原発や放射線のことを正面切って話するのがタブー視されるような空気すら感じた。なにしろ、友だちの中には“原発の話をするだけで、親から怒られる”なんて言う奴までいるのだ。でも、そいつの親に会っても、僕は反論できないだろう。考えてもみて欲しい。このまま何も起きなければスルーできてしまう話なのに、生活も土地も仕事も家も学校も全部投げ捨て、知らない土地に移り住むことが、どんなに勇気のいることか…。
誰にとっても、すぐには影響のない物事に対して、最悪なことを想像しながら行動を起こすのは、すごく難しいことだと思う。
多分、みんなは僕が久しぶりに会う利害関係のない知人で、今は東京に住んでいる“部外者”だからこそ、話しやすい部分もあったんじゃないだろうか…。だからこそ、彼らの告白を聞くのはとても苦しかった。僕なんかが“早く逃げた方がいい”なんていうのは、外から見た無責任な意見なんだろうか…。悩んでしまった…。

でも、やっぱり無責任を承知で言わせてもらう。百歩譲って大人はいいとしても、子どもたちはどうなのだろう。僕らから上の世代は、喧々諤々の議論の末、原発容認に舵をとった。たとえその議論に参加していなくても、僕らは多かれ少なかれニュースや新聞でその経緯を知っている。僕らは等しく罪の十字架を背負っているのだ。
けれど、子どもたちにとって、原発は生れた時からそこにあったもの。そこに選択の余地はなかったのだ。そんな子どもたちが、大人の数十倍もの被曝による後発障害発生のリスクを背負ってしまうのは、本当にやるせない。
僕は5年後、10年後の福島の子たちが、心配で心配でたまらない。できれば逃げて欲しい。一刻も早く福島を出てほしい。いろいろ事情があるのはわかる。けれど、健康だけは金で買うことができないのだから…。

それから強く思ったこと。
事故初期に政府やマスコミが流した“ただちに健康に影響はない”という会見や、御用学者による安全を強調した報道は、福島の人たちの放射線の危険に対する意識を低くしてしまったことや、おおっぴらに放射能の危険を語れない空気を作り上げてしまったことにとても大きな影響を及ぼしていると思う。この責任はとても大きい。せめて国が、3月15日からの数日間だけでも、正しい放射線量を公表し、一時的にでも福島県民に避難を促していれば、状況はだいぶ変わったのに…。

もう一つ。東電や政府は、原発現場の事故収束を急ぐのはもちろんだが、汚染された地域の除染を一刻も早くやるべきだ。意外と知られていないことなのだが、今、各地で記録されている放射線は、現在福島原発から流れてきているものではない。これは3月15日までの度重なる爆発で各地に撒き散らされた物質から放たれているものだと考えられている。そうであるならば、今汚染されている土地や建物を除染するだけでも、かなり環境は改善されるのではないだろうか。
このところ、首都圏でも地域住民が中心となって、ホットスポットと言われている場所を洗浄しようという動きが広がっている。それに対して自治体がお金を出す動きもあると聞く。でも、本来これは東電がやるべき仕事だと思うのだ。だって、自分のところが事故を起こして放射性物質をがぶちまけちゃったんだから、事故を起こした当事者がそれを回収して歩くのは当然の話だろう?それが無理だというのなら、せめて正しい除染のやり方をレクチャーしたり、作業用器具を買う金銭の保障をするべきだ。

実は僕も、滞在中に福島市内でお店をやっている友人の除染作業を手伝ってきた。だけど、そのやり方なんか全くの自己流だ。僕と友達は“ドブさらいみたいだなあ~”なんて言いながら汗だくで作業した。終わった後にガイガーカウンターで測ったら、一応放射線量は下がったのだが、もしかすると作業の過程で、こっちもかなり被曝しちゃったかもしれない(苦笑)。いったい、何が悲しくて一般市民が被曝の危険を犯してまで、こんなことをしなきゃならないんだろう。どういう国なんだ、ここは…。なんだか、無性に情けなくなってしまった。

写真は、帰りの電車から撮った福島の空だ。青く澄んだ、ふるさとの空…。
この美しい空を見ていても、“いったいこの空にどれだけの放射能が飛んでいるんだろう…”なんて考えてしまう自分が哀しい。

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2011年7月 2日 (土)

浜田省吾 ON THE ROAD 2011"THE LAST WEEK END" / 7月2日(土)国立代々木競技場第一体育館

“今回のツアーは絶対見といた方がいい!”熱心な浜省ファンの友達に勧められて足を運んだこのライブ、今、本当に行って良かった!と、しみじみ思う。
まだツアー途中だから詳しく内容を書くことは控えるが、セットリストは熱心なファンではない僕でも、一度は耳にしたことがある楽曲ばかり。きっと、音楽好きなら誰もが楽しめてしまえる鉄壁の選曲だったのではないか。かといって、それはただのヒットパレードでは全くなく、3時間40分の長いステージには、一貫した明確なメッセージがあったのがスゴイと僕は思った。完璧なセットリストは、なぜその曲がセレクトされたのか、ミュージシャンの想いが聞き手にはっきりと伝わってくるものでもあったのだ。
観客にとってこの3時間40分は、重苦しい日々を一時忘れ心から音楽を楽しんだ時間であったと同時に、この時代に生きる意味を自分に問いかけた夜でもあったと思う。余韻たっぷり。まさに浜田省吾のようなポジションにいる人しかできない仕事だったのではないだろうか。

次々に歌われる名曲たちを前に僕は思った。この人は昔からまったくぶれることなく歩いてきたんだなあ…、と。
これほどメジャーなミュージシャンだから、僕もずいぶん昔から町に流れるこの人の曲を聴いてきた。白状すると、80年代ぐらいにはそのあまりに直接的な歌詞をダサいと感じていたこともあった。でも、今こうして聴く浜省の歌に、そんな気持ちは微塵も起きないのだ。むしろ、若かりし頃に聴いた浜省の曲は、今の時代の方がずっとリアルに、ずっと切実に胸を打ってくる。
たぶん、この人はその時々の時代でどんな風が吹いているかなんてことは考えず、ただひたすら自分が歌いたいこと、歌わなければならないことを問い続けながらキャリアを積んできたんだろう。思い起こせば、バブル華やかなりし頃、“MONEY”や“J.BOY”みたいなヘヴィな歌を歌ってた人ってのは、そんなに多くはなかったのだ。僕だって、僕自身が“MONEY”で描かれるようなちっぽけな町で生まれてきた地方出身者だというのに、東京に出てきてからはそんな現実に目をそむけ、時代の軽い風にのろうと必死だった。

僕はこの日、ステージで歌われる浜田省吾の歌詞を噛み締めるようにして聴いた。熱心なファンではなかった僕には、歌われた曲が、いつの時代にどんな背景で作られたものなのかはわからない。だけど、繰り返しになるけど、どの曲も46の僕にとっては本当に切実だったのだ。それは、この日の観客の大部分を占めていた40代や50代の誰もが感じたことなのではないだろうか。
背伸びをして東京で生きてきた田舎者の自分は、あれから歳を重ね、いろんなことに挫折して、いらんなものを背負い込み、今やっと浜田省吾の歌の世界に追いつけたのかもしれない。

この日、浜田省吾が4時間近いステージで僕らに語りかけたのは、僕らがどんな時代を歩んできたのかを今こそ振り返らなかればならないことと、そこから次の世代に何が残せるかを一人ひとりが見つけていかなかればならないということだったように思う。
悲しいけれど、恋や友情、自分自身の夢を語るだけで幸せだった青春の日々は、もうとっくに終わってしまったのだ。そして、僕らは3.11の大震災に直面し、これからの国の行く末と、僕らの子ども達に直接迫る危険を感じざるを得なくなっている。あの頃、誰もがこんな未来が来るとは思っていなかった。考えれば考えるほど、崩れ落ちてしまうような無力感に囚われる。
でも、このライブを観ていて、そう思っていたのは僕だけではなかったんだと思った。ステージの浜田省吾自身が、この悪夢のような時代に苦しみ、悩んでいる…。それがステージからはっきりと伝わってきたのである。

楽しいライブではあったが、根底に流れていた想いは、重くシリアスだったと思う。しかし、浜田省吾は決してヘヴィになることはなかった。時には極上のバンドとのロックンロールで、時には10人以上ものストリングス隊を迎え、僕らの通ってきた折々の時代の輝きを織り交ぜながら、彼は誠実に力強いパフォーマンスを見せてくれた。それは、日本の生んだ第一級のロックミュージシャンとしてのプライドでもあったのかもしれないと僕は思う。だって、彼が今この時期に、こんなにゴージャスなライブをやってくれたというそれだけのことでも励まされる人が、きっとたくさんいるでしょう?

奇しくも、僕は明日から福島に行くことになった。いわき、郡山、そして僕の生まれ育った町、愛しい福島…。今、僕の故郷は放射能という見えない敵に痛めつけられている。数日前には、福島市の複数の子どもたちの尿から放射性物質が検出されたというニュースを聞いた。僕はそんな報せを聞くたび、胸が締め付けられるような苦しさを感じてしまう。あの子たちは“かつての僕”なのだ。そんな町に仕事で帰る“大人になった僕”…。この悪夢のようなパラノイアはいったいなんなのだ…。
今、僕は何をなすべきなのか。これからの僕は残された時間をどう生きるべきなのか…。浜田省吾の歌を聴きながら、その輪郭がうっすらと見えてきたような気がしている。

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