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2011年7月 2日 (土)

浜田省吾 ON THE ROAD 2011"THE LAST WEEK END" / 7月2日(土)国立代々木競技場第一体育館

“今回のツアーは絶対見といた方がいい!”熱心な浜省ファンの友達に勧められて足を運んだこのライブ、今、本当に行って良かった!と、しみじみ思う。
まだツアー途中だから詳しく内容を書くことは控えるが、セットリストは熱心なファンではない僕でも、一度は耳にしたことがある楽曲ばかり。きっと、音楽好きなら誰もが楽しめてしまえる鉄壁の選曲だったのではないか。かといって、それはただのヒットパレードでは全くなく、3時間40分の長いステージには、一貫した明確なメッセージがあったのがスゴイと僕は思った。完璧なセットリストは、なぜその曲がセレクトされたのか、ミュージシャンの想いが聞き手にはっきりと伝わってくるものでもあったのだ。
観客にとってこの3時間40分は、重苦しい日々を一時忘れ心から音楽を楽しんだ時間であったと同時に、この時代に生きる意味を自分に問いかけた夜でもあったと思う。余韻たっぷり。まさに浜田省吾のようなポジションにいる人しかできない仕事だったのではないだろうか。

次々に歌われる名曲たちを前に僕は思った。この人は昔からまったくぶれることなく歩いてきたんだなあ…、と。
これほどメジャーなミュージシャンだから、僕もずいぶん昔から町に流れるこの人の曲を聴いてきた。白状すると、80年代ぐらいにはそのあまりに直接的な歌詞をダサいと感じていたこともあった。でも、今こうして聴く浜省の歌に、そんな気持ちは微塵も起きないのだ。むしろ、若かりし頃に聴いた浜省の曲は、今の時代の方がずっとリアルに、ずっと切実に胸を打ってくる。
たぶん、この人はその時々の時代でどんな風が吹いているかなんてことは考えず、ただひたすら自分が歌いたいこと、歌わなければならないことを問い続けながらキャリアを積んできたんだろう。思い起こせば、バブル華やかなりし頃、“MONEY”や“J.BOY”みたいなヘヴィな歌を歌ってた人ってのは、そんなに多くはなかったのだ。僕だって、僕自身が“MONEY”で描かれるようなちっぽけな町で生まれてきた地方出身者だというのに、東京に出てきてからはそんな現実に目をそむけ、時代の軽い風にのろうと必死だった。

僕はこの日、ステージで歌われる浜田省吾の歌詞を噛み締めるようにして聴いた。熱心なファンではなかった僕には、歌われた曲が、いつの時代にどんな背景で作られたものなのかはわからない。だけど、繰り返しになるけど、どの曲も46の僕にとっては本当に切実だったのだ。それは、この日の観客の大部分を占めていた40代や50代の誰もが感じたことなのではないだろうか。
背伸びをして東京で生きてきた田舎者の自分は、あれから歳を重ね、いろんなことに挫折して、いらんなものを背負い込み、今やっと浜田省吾の歌の世界に追いつけたのかもしれない。

この日、浜田省吾が4時間近いステージで僕らに語りかけたのは、僕らがどんな時代を歩んできたのかを今こそ振り返らなかればならないことと、そこから次の世代に何が残せるかを一人ひとりが見つけていかなかればならないということだったように思う。
悲しいけれど、恋や友情、自分自身の夢を語るだけで幸せだった青春の日々は、もうとっくに終わってしまったのだ。そして、僕らは3.11の大震災に直面し、これからの国の行く末と、僕らの子ども達に直接迫る危険を感じざるを得なくなっている。あの頃、誰もがこんな未来が来るとは思っていなかった。考えれば考えるほど、崩れ落ちてしまうような無力感に囚われる。
でも、このライブを観ていて、そう思っていたのは僕だけではなかったんだと思った。ステージの浜田省吾自身が、この悪夢のような時代に苦しみ、悩んでいる…。それがステージからはっきりと伝わってきたのである。

楽しいライブではあったが、根底に流れていた想いは、重くシリアスだったと思う。しかし、浜田省吾は決してヘヴィになることはなかった。時には極上のバンドとのロックンロールで、時には10人以上ものストリングス隊を迎え、僕らの通ってきた折々の時代の輝きを織り交ぜながら、彼は誠実に力強いパフォーマンスを見せてくれた。それは、日本の生んだ第一級のロックミュージシャンとしてのプライドでもあったのかもしれないと僕は思う。だって、彼が今この時期に、こんなにゴージャスなライブをやってくれたというそれだけのことでも励まされる人が、きっとたくさんいるでしょう?

奇しくも、僕は明日から福島に行くことになった。いわき、郡山、そして僕の生まれ育った町、愛しい福島…。今、僕の故郷は放射能という見えない敵に痛めつけられている。数日前には、福島市の複数の子どもたちの尿から放射性物質が検出されたというニュースを聞いた。僕はそんな報せを聞くたび、胸が締め付けられるような苦しさを感じてしまう。あの子たちは“かつての僕”なのだ。そんな町に仕事で帰る“大人になった僕”…。この悪夢のようなパラノイアはいったいなんなのだ…。
今、僕は何をなすべきなのか。これからの僕は残された時間をどう生きるべきなのか…。浜田省吾の歌を聴きながら、その輪郭がうっすらと見えてきたような気がしている。

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コメント

人づてに…(笑)
HAGAさんが来ているのを聞いてレポがアップされるのを待ってました(^ ^)
お会いしたかったですが…会えませんでしたね~(笑)

明日から福島へ行かれるのですか。
うちの旦那ちゃんのルーツである場所は…
今や緊急時避難準備区域とか言うワケのわからんものになってしまいました。
津波の被害にあった親戚もあります。
数年前に行った海岸は…地形が変わってしまった様です。

今回のLIVEは、いつもとは違う思いがあります。
では…次こそ
さいたまスーパーアリーナでお会いしましょう(笑)

ライブ、
楽しまれたようで^^

また、来たのですか…。
無理だけは止めて下さいね。
本当に。

高校生のころ、初めて組んだバンドでコピーしたのが「終わりなき疾走」でした。
長いこと聴いてませんでしたが、拝読して、久しぶりにレコードを引っ張りだそうかと思いました。

すいません、名前をミスタッチしてました。Rakiではなく、Rakuです。

今回の省吾は今のベストの選曲だったと思います。
私も曲、聴きながら、省吾の強い想いが伝わってきて、
胸が苦しくなりました。
HAGAさんがこんなに感動してくださっていて、省吾ファンとして、嬉しいです。

私も私の出来るところからって思ってます。
今は上関原発の反対を応援しています。

省吾の生きざまを…見せつけられた、ライブでした。
迷いもなく、ただひたすら自分を貫いてきたわけでは、ないと思います。いつも葛藤しつつ…嘘もつき、弱音も吐き…でも結局、自分に不自然な生き方は選べなかった…だけだと…。
HAGAさんの“どの曲も46の僕にとっては本当に切実だったのだ”…このコトバ…省吾が聞いたら、喜ぶと思います。

ひとつだけ、省吾に代わって…
「“それはただのヒットパレードでは全くなく…”って…、ヒットパレードなんか出来ないよ!ヒット曲は、1曲しかないんだからね!」

◆ぴーたーさん
僕も人づてにぴーたーさんがいらしてるのを聞いてはいました。いやあ~ぴーたーさんともしばらくお会いしてませんね。
ご主人は僕と同郷でしたか…。今回の原発事故は僕も様々な思いを抱いています。もう、何をしていてもそのことが頭を離れないっていうか。さいたまスーパーアリーナの浜省ライブは行くかどうかまだわかりませんが、是非近いうちにお会いしたいものですね。

◆霧矢氷骸さん
今回はいわき、郡山、福島を仕事で回り、空いてる時間には多くの知り合いに会うことができました。たぶん、霧矢氷骸さんのお住まいのすぐ近くにも行ったんじゃないかな、と思います。福島にはお店をやってる友人がいますので、彼の除染作業をちょっと手伝ったりもしたんですが、東電がお金を出してもっと町ぐるみでやればいいのに、って思いましたよ。今検出されてる放射線量って、3月15日前後に大量に降った物質から出てるわけじゃないですか。それを除去するだけで、かなり状況は改善されると思うんですけど。

◆Rakuさん
>長いこと聴いてませんでしたが、拝読して、久しぶりにレコードを引っ張りだそうかと思いました。

うん、時としてこういう意気持ちにさせてくれるところが、息の長いミュージシャンの素晴らしいところだと思います。このツアーで昔と変わらずライブを続けている浜田省吾の姿を観て、それだけで励まされてる人が、きっとたくさんいると思うんですよね。

◆セローさん
僕、実は今回の選曲で一番ぐっと来たのは、社会的なことを直接歌ったものよりも、心に残るMCの後に歌われた「悲しみは雪のように」だったんです。正直言って、これまではそれほど好きな曲ではなかったし、とりたてて意味のある歌だとは思ってなかったですけど、この夜は歌われた言葉の一つひとつが素直に心の奥に降りてきて、涙が出そうなぐらいに感動しました。

◆REICOさん
いいライブに誘っていただいて、本当にありがとうございました。
僕にとっては、代々木の体育館で見るライブってのも久々で感慨深い気持ちになりました。東京に出てきたばっかりの頃、ここでスティービー・ワンダーや尾崎豊を見たのを思い出します。

そっか、浜田省吾のヒット曲って1曲しかないのか(笑)。でも、ファンじゃない僕だって半分以上知ってるぐらいだから、ヒットしてなくても音楽好きの間では広く聞かれてる曲がたくさんあるんでしょうね。チャートの順位なんかに関係なく、いい曲ってたくさんあるんだなあって改めて思ったライブでもありました。

HAGAさん>
お疲れ様です^^
僕はいまだに募金しかしていません((汗
県にお金負担させても仕方ないのに…。
町ぐるみの方が早いですよね!
でもきっとやることになったとして、
僕はできないと思います;
体調がおかしくなってきたんで(- -;
放射能…
ここ盆地だから
個人じゃなぁ…
町でやろう!
とか言わないかな。
きっと子供が言っても駄目だろうな((汗

◆霧矢氷骸さん
>体調がおかしくなってきたんで(- -;

え!大丈夫ですか?夏休みに入ったら、福島から遠いところに気分転換に行ってみてもいいかもしれませんね。福島の子ども達を対象にしたサマースクールみたいなのもあるみたいですよ。

>ここ盆地だから

僕が行った日も、風がなくてじりじりと暑い、いかにも福島らしい天気でした。でも、その空はどこまでも青く澄み渡っていました。やっぱり故郷はいいもんだとしみじみ思いましたよ。こんな空が汚されてるなんて…。怒りと悲しみで泣けてきてしまいます。

除染に関しては、その真似事みたいなことをしてきましたけど、やってみて思ったのは“これはやっぱり専門家に正しいやり方を教示してもらい、ちゃんとした機材も揃えて欲しい”っていうことです。僕と友達は“ドブさらいみたいだなあ~”なんて言いながら(苦笑)、見よう見真似で作業しました。一応、作業後に測ったら放射線量はかなり下がったんですが、もしかすると作業の過程でこっちもかなり被曝しちゃったかも。
僕、これは本来東電がやるべきだと思うんです。だって、自分のところが事故を起こして放射性物質をがぶちまけちゃったんだから、当人がそれを回収して歩くのは当然の話でしょう?それが無理なら、せめて正しいやり方のレクチャーと、作業を行う上での器具や金額の保障をして欲しい。何が悲しくて、一般市民が被曝の危険を犯してまで、ドブさらいしなきゃいけないんだろうって思います。

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