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2011年7月15日 (金)

ふくしまの青い空

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先週、福島に帰って来た。仕事がらみの3泊4日という短い滞在ではあったが、いわき・郡山・福島と回って、空いた時間に友人と会って話をしたり、久しぶりに馴染みの場所を訪ねたりすることができた。

3日間、僕は福島市に宿をとった。福島は高校を卒業するまで暮らした懐かしい町。かけがえのない僕のふるさとだ。今、福島は原発から60キロも離れているのに、連日高い放射線量が記録されている。2週間前には、市の民間団体が調査した子どもたちの尿から、放射性物質であるセシウムが検出された。
しかし、市内で見かける子どもたちのいでたちは、驚いたことに3.11以前のままだったのだ。長袖の服を着たり、マスクを着用したりしているような子は、ほとんど見かけない。それどころか、滞在中は何度か夕立による豪雨があったにもかかわらず、彼らのうちの何人かは、傘も持たずにずぶ濡れになっていたのだ。
かなりショックだった…。もしかしたら、ここより線量の低い首都圏の方が、放射能への意識はずっと高いかもしれない。それほどまでに、福島の町は普段どおりだった。

正直言って、僕はこの現実にうろたえてしまった。この意識の低さはいったいなんなのだろう…。福島行に際しては、僕だってマスクをして行こうと考えたぐらいだ(けっきょくしなかったけど…)。なのに、福島の現場はマスコミの報道とは大きく異なり、子どもたちは普段と変わりない夏を過ごし、露地の畑にはいつもの年と変わりなく、トマトや茄子などの夏野菜が栽培されている。福島の放射線量が高いのは、噂でも風評でもない。現実に文部科学省が公開しているデータで明白な事実なのに…。

しかし、いろんな人たちの話を聞いて、だんだん真実が見えてきた。
旧友の一人は、苦渋の表情を浮かべながらこう言った。“逃げた方がいいことはわかってる。でも、就職難で次の仕事なんか見つからないだろう。今だって生活が楽ではないのに、それを捨ててまで避難することはできない”。彼は、奥さんと子どもだけを奥さんの実家に帰したという。それから、高校時代のクラスメートで、今は一児の母親となっている女性は、“一刻も早く子どもを逃がしたいんだけど、旦那と意見が合わず、最近は毎晩喧嘩ばかりしている”と泣いていた。
原発事故は、平和でのどかな田舎町に暮らす人々を、放射能の危険を“感じている人”と、“考えないようにしている人”とに分断してしまったのだ。

変な話、もし放射能が強烈に匂ったり、毒々しい色がついていたりしたら、誰だってすぐに逃げるだろう。だけど、それは無色透明でまったく気配を感じることができない。誰かが言うように“ただちに”健康に影響を及ぼすこともない。だからこそやっかいなのだと思った。
福島では、原発や放射線のことを正面切って話するのがタブー視されるような空気すら感じた。なにしろ、友だちの中には“原発の話をするだけで、親から怒られる”なんて言う奴までいるのだ。でも、そいつの親に会っても、僕は反論できないだろう。考えてもみて欲しい。このまま何も起きなければスルーできてしまう話なのに、生活も土地も仕事も家も学校も全部投げ捨て、知らない土地に移り住むことが、どんなに勇気のいることか…。
誰にとっても、すぐには影響のない物事に対して、最悪なことを想像しながら行動を起こすのは、すごく難しいことだと思う。
多分、みんなは僕が久しぶりに会う利害関係のない知人で、今は東京に住んでいる“部外者”だからこそ、話しやすい部分もあったんじゃないだろうか…。だからこそ、彼らの告白を聞くのはとても苦しかった。僕なんかが“早く逃げた方がいい”なんていうのは、外から見た無責任な意見なんだろうか…。悩んでしまった…。

でも、やっぱり無責任を承知で言わせてもらう。百歩譲って大人はいいとしても、子どもたちはどうなのだろう。僕らから上の世代は、喧々諤々の議論の末、原発容認に舵をとった。たとえその議論に参加していなくても、僕らは多かれ少なかれニュースや新聞でその経緯を知っている。僕らは等しく罪の十字架を背負っているのだ。
けれど、子どもたちにとって、原発は生れた時からそこにあったもの。そこに選択の余地はなかったのだ。そんな子どもたちが、大人の数十倍もの被曝による後発障害発生のリスクを背負ってしまうのは、本当にやるせない。
僕は5年後、10年後の福島の子たちが、心配で心配でたまらない。できれば逃げて欲しい。一刻も早く福島を出てほしい。いろいろ事情があるのはわかる。けれど、健康だけは金で買うことができないのだから…。

それから強く思ったこと。
事故初期に政府やマスコミが流した“ただちに健康に影響はない”という会見や、御用学者による安全を強調した報道は、福島の人たちの放射線の危険に対する意識を低くしてしまったことや、おおっぴらに放射能の危険を語れない空気を作り上げてしまったことにとても大きな影響を及ぼしていると思う。この責任はとても大きい。せめて国が、3月15日からの数日間だけでも、正しい放射線量を公表し、一時的にでも福島県民に避難を促していれば、状況はだいぶ変わったのに…。

もう一つ。東電や政府は、原発現場の事故収束を急ぐのはもちろんだが、汚染された地域の除染を一刻も早くやるべきだ。意外と知られていないことなのだが、今、各地で記録されている放射線は、現在福島原発から流れてきているものではない。これは3月15日までの度重なる爆発で各地に撒き散らされた物質から放たれているものだと考えられている。そうであるならば、今汚染されている土地や建物を除染するだけでも、かなり環境は改善されるのではないだろうか。
このところ、首都圏でも地域住民が中心となって、ホットスポットと言われている場所を洗浄しようという動きが広がっている。それに対して自治体がお金を出す動きもあると聞く。でも、本来これは東電がやるべき仕事だと思うのだ。だって、自分のところが事故を起こして放射性物質をがぶちまけちゃったんだから、事故を起こした当事者がそれを回収して歩くのは当然の話だろう?それが無理だというのなら、せめて正しい除染のやり方をレクチャーしたり、作業用器具を買う金銭の保障をするべきだ。

実は僕も、滞在中に福島市内でお店をやっている友人の除染作業を手伝ってきた。だけど、そのやり方なんか全くの自己流だ。僕と友達は“ドブさらいみたいだなあ~”なんて言いながら汗だくで作業した。終わった後にガイガーカウンターで測ったら、一応放射線量は下がったのだが、もしかすると作業の過程で、こっちもかなり被曝しちゃったかもしれない(苦笑)。いったい、何が悲しくて一般市民が被曝の危険を犯してまで、こんなことをしなきゃならないんだろう。どういう国なんだ、ここは…。なんだか、無性に情けなくなってしまった。

写真は、帰りの電車から撮った福島の空だ。青く澄んだ、ふるさとの空…。
この美しい空を見ていても、“いったいこの空にどれだけの放射能が飛んでいるんだろう…”なんて考えてしまう自分が哀しい。

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コメント

確かに、
マスクや長袖を着て
放射線を意識している人は
少ない。
僕の周りでも
あまりいませんよ。
しかし、一人はいるもので。
夏休み中に引っ越すって
友達がいました。
でも、こちらからすれば
地元を捨てる行為に
等しいとしか考えられません。
実際その子の親が勝手に決めたことなんですが。
福島出身じゃあない人は
避難をすぐに考えるものなんでしょうか。

僕はマスク嫌いだからやってません。
長袖は今の時期暑いし、
気持ち悪くなります。

多分、福島県民は
放射線<熱中症
と考えているでしょうね。
美しい空。
福島に何の罪も
無いのになぁ。
福島の子らにも、
食べ物や飲み物、
建物やら地、
森、空、川。
何が悪かったのだろう…

長くなりました。
すいません

なんか、もうバラバラですね!?これが今まで、豊かで平和すぎたこの国のツケなのでしょうか?。ひとりひとりの価値観が多様化し、複雑になってしまった世の中が、いざひとつになろう!と想っても、なかなかひとつになれない。復興活動に関しても、徐々にエンターテイメント化してきているような気がしてならない。(あくまでも僕の推測ですが…?)

今のままだと、やはり“自己責任”というコトバに置き換えられて、
時が過ぎ去ってしまう。(そうならないようにと願いたいが…。)
そんな気がしてなりません。

この記事はリアルでした。

帰省されて心境は複雑だったでしょうね。

Y.HAGAさんのこの時期の夏休みの田舎暮らしの話題、個人的にとても好きだったのです。
一つの原子力事故が広大な地域を本質的に人の住める状態でないようにしてしまう。余りに理不尽なことだと思います。

ともかく政府には正確なデータを包み隠さず出せ!と言いたいです。東電には義侠心のかけらを少しは見せろ!とも言いたいです。

しかし行動派だなぁ、何時もながら。Y.HAGAさんは。

HAGAさんの行動、ホント素晴らしいです。
部外者がお話を聞くことも大切な支援だと思います。

福島で住んでいる方がマスクや長袖服を身につけてない。
ここを読んでショックでした。
おっしゃるとおり政府の初期行動に原因があると思います。
あと、除染・・東電は責任取って対処すべきと思います。

最近野菜や牛肉の放射能汚染問題の報道がされています。
これも政府の初期行動の遅れが原因だと思います。
ボク個人としては農家の皆さんを責める気にはなりません。
ただ・・被災してない街の住民が福島の農家に対して
非難したり支援を止めたりしないか?心配です。
それこそ「自己責任」とか言い出したりして・・。
「自分らの身に降りかかる」となると同情や共感が攻撃に
変るなんて、よくありますから。

だからこそ政府にはさっさと具体的な対応をして福島、
被災してない街に安心を与えて欲しいですね。

◆霧矢氷骸さん
確かになあ。この暑い中、マスクはキツイですよねえ…。でも、間違いなく放射線は飛んでるわけじゃん?それがどの程度人体に影響するかは諸説あるにしてもね…。外部から見た無責任な発言かもしれないけど、やっぱり心配です。
>美しい空。福島に何の罪も無いのになぁ。

ほんとですよねえ…。3.11以降と表面上は何も変わらないだけに切ないよね…。

◆樹木さん
今回の震災って、地震・津波・放射線と、被害を受けた人の形態がバラバラですよね。だから、ひとつになって支援しようと思っても、どうしていいのかわからないという面もあるのではないでしょうか?
ある意味、首都圏にいる僕らだって原発事故の影響を受けているわけですけど、その影響すら専門家の言う事がバラバラ。誰もが今、不安の海に漂っている状態なんだと思います。なんか、この震災に対する復興のムードって、阪神淡路の時と比べても、うまく突き抜けられないって言うのか、どうしても暗い感じが漂っちゃうような気がします。

◆僧さん
>Y.HAGAさんのこの時期の夏休みの田舎暮らしの話題、個人的にとても好きだったのです。

ありがとうございます。僕自身、毎年この時期に子ども達を連れて福島に帰省するのを楽しみにしていました。でも、今年は実家から“帰ってくるな”と連絡が入りました。僕も、内心は子どもは福島につれて帰れないなあ、と思ってはいましたが、なかなかそうは言い出せずにいたんですよね。そんな気持ちを察し、先に言ってくれたんだと思います。
本当は、孫に会うのを楽しみにしていたに違いないんです。そんな年老いた両親の気持ちを思うと、胸が張り裂けそうになります。東電、ほんとうになんてことをしてくれたんだ!と叫びたくなります。

◆ながわさん
>部外者がお話を聞くことも大切な支援だと思います。

いやあ~僕は自分のしたことが“支援”だとは全く思っていません。旧友や知り合い、何よりも僕の大事なふるさとが心配だったから、行かずにはいられなかったってのが正直なところです。

牛肉の放射能汚染問題は、ながわさんのおっしゃるような風潮が既に出つつあるような感じがして、とても心配です。
何度も言うようですが、放射能って匂いも色もないから、実際どうなってるかが全然わからないんですよね。だから、まさかあれほど高濃度の放射性物質がわらに付いているとは思わなかった、っていう農家の話は、現場に行った僕も、実感としてよくわかります。

それと、僕は個人的には、放射能汚染された牛が白河市の農家から購入したわらで被曝したってのがショックで…。
白河には僕の両親が住んでいるんです。白河は福島県内でも比較的放射線濃度は低い地域だったんですが、そこでこんなことが起きるなんて、いったいどう考えたらいいんでしょうか…。

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