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2011年8月18日 (木)

放射線の中で暮らすということ

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福島から帰ってきた。親も元気に暮らしていて、とりあえずはほっとする。
僕の実家のある福島県白河市は、震災の爪跡は表面上はもうほとんど残っていない。だが、空間放射線量は、相変わらず毎時0.4~0.6マイクロシーベルトと高い。しかも、実家の近くの公園では毎時1.2マイクロシーベルトもの高い値が計測されている。

しかし、震災直後に帰った時も感じたことだが、現地にはそんな切迫した空気は全く漂っていない。それもこれも放射能には色も匂いもないからなのだと思う。もし、それに毒々しい色が付いていたり、強烈な異臭を放つようだったら誰だって逃げる。だが、やっかいなことに普段と変わりない生活をしていても、現時点では全く影響がないのだ。
そういった意味では、悔しいことに枝野さんの言う“ただちには人体に影響がない”という注釈付の言い方は全く間違っていない。現時点では、この低レベルでの長期間被曝がどの程度人体に影響のあるものなのか、誰にもわからないのだ。

両親も、普段と変わりない暮らしをしている。
そして、驚いたことに実家の敷地内に設けられている家庭菜園には、いつもの夏と同じようにミニトマトやナスなどの夏野菜が植えられ、両親はそれを普段と同じように食べていた。正直言って、僕もこれには最初ぎょっとしたのだが、結局は僕も滞在中、毎食それを食べたのである。だって、親の心づくしを冷たく拒否できるか?70を過ぎた親に、唯一の楽しみである家庭菜園を取り上げ、獲れたものを“何があるかわからないから食べるな”と言えるか?

こういうことを、一体どう考えたらいいんだろうか…。
もちろん、その野菜に放射性物質が含まれているかなんて、調べていないから全くわからない。白河市内で収穫された野菜には、今のところ国の決めた基準値以下の放射性物質しか検出されていない。だから、公にいわれていることを信用するなら、人体に影響はないと判断することもできなくはないのだ。だけど、レベルの大小はあれ、これほど線量の高い地域で作られた野菜に、放射性物質が含まれていないはずがない。やっぱり、僕はあれを食べるべきではなかったんだろうか…。東京に帰ってきてからも、僕はずっとそのことを考えている。

そして、こういうことこそが今回の原発事故の最大の怖さであり、難しいところなんだと痛感した。
繰り返しになるけれど、これから先、10年後・20年後に福島で何が起きるかは、今の科学では誰にもわからないのだ。でも、少しでも危険に対するリスクがあるのなら、それは大事をとってできる限り内部被曝しない暮らしをしていくべきだろう。だが、たった今、念には念を入れた行動をとることは、場合によってはそれまでの人間関係を壊し、生活習慣を根底から変えることになりかねないのだ。それがどれほど困難なことなのか…。たった数日間居ただけの僕がそう感じたんだから、地元で暮らす人たちの気苦労はどれほどのものなのか想像を絶する。

ただ、子供だけは守らなければならない。これだけは絶対に譲れない。
僕は今年、自分の子供を連れて福島入りしなかったし、仮に連れて行ったとしても、さすがに地元産の野菜を食することはさせなかったと断言する。それだけは確信を持って言う。
白河では、久しぶりに会った従妹が初めての子供を出産していた。生後3ヶ月。丸々と太った女の子だ。だが、この子にも自治体から小型の放射性測定機器が貸与され、今後長期間にわたってその累積量を記録されるというではないか。それがどれほど異常なことなのか、本当にみんなわかってるんだろうか?

僕の故郷は3.11以降、違う世界になってしまったのかもしれない。
いろいろ考えさせられた帰省だった。今年はいろんな意味で特別な夏だ。

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日記」カテゴリの記事

コメント

Y.HAGAさん

私もやっと福島のボランティアに参加する事が出来ました。
私が行ったのは福島県いわき市久乃浜地区30キロ内の津波被害のあったところです。常磐道で見る光景は、想像を絶しました。が人間の生活一つ一つがとても大切で、その為のコミュニティーがあるという実感も感じました。
除染の難しさも痛感しましたね。

向こうのボランティアの方と原発行動隊の有志での作業。
私たち50人でバスチャーター。一人の料金3500円

手弁当でも勉強になること多かったですよ。

◆僧さん
ボランティア、お疲れ様でした。
いわきには僕も7月初めに行ったんですが、JRいわき駅前はほとんど普段どおりでした。大きな町ですから、津波の被害がほとんどなかった地域もあったんですが、ライフラインの復旧にかなり時間がかかったと聴きました。あまり知られてないことですが、福島の浜通りは3.11から一ヵ月後に起きた震度5強の地震の影響が大きかったようです。

>手弁当でも勉強になること多かったですよ。

そうなんですよね。実際に見ると聞くでは大違いのことも多いし…。
どうしても実家や生まれ育った町に思い入れが強くて、そっちばっかり足を運んでますが、今後は津波の被害を受けた地域へのボランティアにも参加したいと思ってます。

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