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2011年9月 5日 (月)

さらば夏の日 2011 AUG.

映画「ジョン・レノン,ニューヨーク」を見てからというもの、最近は改めてジョン・レノンという人物のデカさを感じている。前のエントリーでも書いたけれど、この人のスゴイところは、自分がこれだ!と思ったことは、後先考えずに言ってしまい、やってしまったことだと思うのだ。
世界中を敵に回してでも得体の知れない東洋人の女との愛を貫き、世界一のロックバンドをぶっ潰してしまう。過激な反戦家との付き合いはミュージシャンの範疇を超え、世界中のレコード屋の棚に並ぶアルバムのカバーに、ニクソンと毛沢東がレスリングをやってるコラージュを刷り込んだ。そして、“nigger”という4文字言葉を絶叫して聴衆の度肝を抜く。
今でも過激に思えることなんだから、70年代当時はもっともっと大騒ぎだったに違いない。

この前、斉藤和義を追いかけたドキュメンタリーを見た。原発事故に触発された例の歌を唄う彼を追う企画で、まあ、はっきり言うとたいした内容ではなかったんだけど、一つだけ心に残った言葉があった。せっちゃんは、例のぼそぼそっとした語り口でこう言ったのだ。

こういうことは、オレだけじゃなくて、当然みんな歌うと思ってた…。

そうなのだ。ジョン・レノンやパンクロックや、後期のビートルズやストーンズやディランがそうであったように、彼らの歌を聴いて音楽を志したものなら、こういうことは歌って当たり前のことなのだ。歌詞の内容?そんなもの、どうだっていい。なんだったら、原発賛成ソングだっていい。考え方なんて人それぞれ。それよりも、今誰もが毎日嫌でも考えてしまうこの問題を、何を恐れてか見て見ぬ振りして何も言わないことのほうがよっぽどおかしい。何がロックだ、笑わせるな!
“今オレはこう思ってる。だからそれを今歌った”。この精神が肝心なのだ。その事実こそ、歌った行為こそが大事なのだ。少なくとも、僕はせっちゃんがあの歌を歌ったことに、この夏とても励まされた。

ロックはいつの頃からかロックじゃなくなってしまった。この国では、メジャーであればあるほどタブー視されることが多いらしい。それにあえて抗えとまでは言わない。言わないけれど、願わくば引っかき傷ぐらいは残してほしい。そして、それが許される国であって欲しいと強く思う。

国のトップの顔が変わった。
どうなっちゃうんだろう、これから。あまり期待できないかもしれないけど、とにかく頑張ってもらうしかない。もはや僕らの国は断末魔の悲鳴を上げている状態だ。なんでもいいから、誰でもいいから、とにかく明日へと繋がる少しでも明るい光を照らして欲しい。

夏が終わってゆく。
日本の8月はいなくなった人を偲ぶ季節だ。今年の夏は特にその色が濃く、特別な夏だった。そんな8月ももう終わり。まだまだ残暑は厳しいけれど、確実に秋の気配が忍び寄ってきている。なんだかひどく疲れた…。
僕は子供の頃からこの時期が苦手だ。楽しかった夏休みはもうおしまい。元気いっぱいだったカブトムシやクワガタたちは次々に動かなくなってゆき、僕らは退屈な学校生活に戻らなければならない。やがて短い秋が来ると、あっという間に長く厳しい冬が訪れる…。そんな夏の終わりを何度となく潜り抜けてきたせいか、東京で暮らし始め、あくせく仕事に明け暮れる日々を送る今になっても、毎年この時期は気持ちが不安定になってしまうのだ。

今年はそれに加えて震災の残した心の傷が疼く。3.11から半年。もう半年という気がするし、まだ半年という思いもある。
3.11を過ぎて、僕らが住む世界は何かが決定的に変わってしまった。不謹慎なことを承知で言わせてもらうと、今、いなくなってしまった人たちを思う時、3.11以前にいなくなった人たちは、ある意味幸せだったんじゃないかと思ったりもする。
そりゃあ、いつの時代だってクソッタレなことはいっぱいあっただろう。だけど、これほど大きな災害や無力感を感じさせる事故はかつてなかったのではないか。特に、原発事故に対しては、これがある意味人災であり、僕らが戦後歩んできた道のりが虚飾にまみれていたことを曝け出してしまった。それは、ある意味、生きる気力が霞むのを感じずにはいられない。こんな気持ちを抱かずに済んだ人たちは、幸せだったんじゃないか…。

いやいや、そんなことを思っちゃいけないな。
だって、ジョン・レノンはもっともっと生きたかったに違いないのだから。
僕らは、ある意味生き残った人間なのだ。であるならば、3.11以前にいなくなってしまった人たちの悲しみも抱いて前に進むしかない。
2011年夏。こんな未来が来ることを、子供の頃の僕は夢にも思っていなかった。あのころの無邪気な自分を思い起こすと、心の底から悲しみが溢れてくる。これは本当に僕が生きている世界なんだろうか?
今、僕は過去の夢想家と未来を担う子供たちの存在で、かろうじて自分自身をこの夏に引き止めているのだ。

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日記」カテゴリの記事

コメント

斉藤クンの番組ボクも見ました。
この番組を見て感じたのは
「メディアはいつまでキヨシローを反原発のシンボルに祭り
上げるんだろう」という空しい感情でした。
キヨシローは反原発とか反核は確か2、3曲しか歌ってない筈。
ホンの数曲で「反原発ロッカー、メッセージソング」みたいな
大雑把な取上げ方は違うんじゃないかと思います。

だからこそ斉藤クンの「ずっとウソだった」は意義があると
思います。今日本にいないキヨシローに頼らずに現在のシンガー
が自分の言葉で反原発を堂々と歌ったんですから。

そして斉藤クン以外にも原発をチャンと取上げてるシンガー
は居ます。例えばコレクターズは新作「地球の歩き方」で
震災や原発というテーマに真摯に取組んでます。
七尾旅人は「圏内の歌」で福島に住む人の立場で原発を
歌ってます。メジャーは分からないけど、インディーズの
フィールドには震災・原発から逃げない気骨のあるアーティスト
が確かに居ます。日本のロックも捨てたもんじゃないですよ。

でも流石にキヨシローみたいに「原発の中で眠りたい」と
歌ったシンガーはいませんが(笑

◆ながわさん
>「メディアはいつまでキヨシローを反原発のシンボルに祭り
上げるんだろう」という空しい感情でした。

清志郎、ジョン、ディラン…。優れた表現者に共通するのは、思ったことをすぐに歌にしたってことだと思います。清志郎にしてみれば、反原発を歌うのも、愛しい人を歌うのも、同じようなスタンスだったんじゃないかと思うんですよね。生前、清志郎は“たかが歌じゃないか。何を大騒ぎしてるんだ?”なんて言ってましたが、僕もほんとそう思います。しょせん歌は歌。それをどう受け止めるかは聞き手それぞれに委ねられてるわけで、歌詞の言葉尻だけとらえてどうこう言っても全く意味がないと思うんですよね。そういった意味では、あの番組、非常に浅かったですね…(苦笑)。

僕が斉藤和義を買ってるのは、彼はメジャーに片足突っ込んでるミュージシャンじゃないですか。にもかかわらず、表現にタブーがないんですよね。女々しい気持ちも、黒い怒りも、エッチな気持ちも(笑)全部同じスタンスで歌にしてる。「ずっとウソだった」も、父親になったばかりの彼にとって、歌わずに入られなかったテーマなんだと思いますよ。それはね、表現者としてとても誠実な態度だと思います。

コレクターズや七尾旅人のことは初めて知りました。びっくりしたし、とても嬉しく思います。是非、聴いてみますね!

そうそう、そうなんですよね。
俺たちがジョン、清志郎、せっちゃんを好きなのは反原発を唄ったメッセージメーカーだからじゃなく、その時、自分が思ったことを躊躇せずに唄うからですよね。

今回のせっちゃんのは、安易に“反原発”で浮かれ喜ぶ人たちにげんなりしたんだけど、そういう反応も判ってて、でも唄いたかった、唄わずにはいられなかったんだろうな、と。
HAGAさんがおっしゃるように、せっちゃんの立ち位置考えたら、かなり危険な行為ですよね。でも常に自分の思ったことを唄うとなったら、今、コレは避けて通れないですもんね。

カッコ悪いジョン、俺も大好きです!
ジョンは聖人じゃない。
無様なトコも怖れることなく曝け出す、人間臭い愛すべき素敵なロックンローラー。
俺も映画観たくなりました!

◆LA MOSCAさん
今回のせっちゃんの時もそうだったけど、ミュージシャンがこういう歌を唄うと、歌詞を国語の勉強でもしてるみたいに分析して得意になる人がいますよね。“ただ文句言ってるだけで、原発に変わる発電方法が何か言及してないのは浅い”とかさ(苦笑)。
こういう受け取り方をする人って、すごく頭が悪いと言うか、もともと“音楽脳”がない人なんだと思います。論文とはまったく違う表現形態である音楽に、こんなことまで求めること自体がおかしい。

音楽、特にロックは反射神経重視の表現形態だと思うんですよね。理論的に破綻してたってまったく構わないんです。大事なのは、思ったら、感じたらすぐに出すこと。理屈なんか後付でいいんです。まったく、利口なふりしてるバカを見ると反吐が出ます!

…うーん、今日はちょっと過激だったかな?(苦笑)
このところ腹が立つことばかりなんで、つい愚痴ってしまいました。夏の終わりは不安定。今日は爆音でクラッシュでも聴こうっと(笑)。

あ、スミマセン。七尾クンの「圏内の歌」はCD化されてません。
ライブで歌われているのみです。紛らわしい書き方してスミマセン。

以下のサイトで七尾クンが福島で行ったライブの映像が見れます。
「圏内の歌」は1時間57分過ぎた辺りで歌われます(笑
http://www.ustream.tv/recorded/15303753/highlight/178456

七尾クンは8月21日佐竹商店街の夏祭りでライブを行いました。
そのライブでもこの歌は行われて凄く感銘を受けました。
時間があるときでも是非、聴いて見て下さい。

◆ながわさん
七尾さんは今年のJapan JamでZazen Boysとのステージを見てます。正直その時はあまり印象に残りませんでしたが、福島に直接足を運ぶなど、その活動スタンスがとても気になる人ですね。「圏内の歌」、是非聴いてみようと思います。

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