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2011年11月18日 (金)

「日比谷ライブ&マルシェ 2011」に関して、今思うこと

「日比谷ライブ&マルシェ 2011」は、僕にとって音楽と現実社会との関わりを考え直さずにはいられないような大きな出来事だった。
いったいあのライブは何だったのか。多くの人は、あれを数あるライブの一つ、終わってしまった出来事として過去の記憶に置き換えているのかもしれないが、僕は未だにあの不思議な一日のことを考え続けている。
あの日は、日本のロックがその歴史の中で現実社会の問題に最も深くコミットした瞬間だったと僕は思うのだ。ここで噴出した様々な問題は、もしかしたら日本のロックが、今後本当に大人の音楽と呼ぶに値するものになっていけるのかどうか、その真価を問うものですらあったと思う。

断っておくが、僕はチャリティーという行為自体を否定しているわけではない。困った人がいたら助けたいと思うのは人として当然だ。その時、ミュージシャンなら知名度を生かしてイベントを起ち上げ、集まったお金を被災者に送るという手もアリだろう。そこに何%かの売名行為が介在していたって、バックに体制側の御用資本があったとしたって、結果としてそれで多くの人を笑顔にできるなら、やらないよりもやったほうがいい。絶対いい。シンプルにそう思う。

僕が疑問を持ったのは、そういうことではない。このチャリティーイベントには“東日本の野菜を買って食べることで復興を応援しよう”という明確なメッセージがあったのだが、僕はそれに大いなる異議がある。僕が東日本の野菜を食べることの危険性をどう考えているかは、前のエントリーにも書いたのでそちらをご覧いただきたい。

11月3日、宮沢和志との恩返しライブがあった時、CHABOはMCでこのイベントに触れ、良かったら見に来て欲しいと観客に呼びかけた。軽いタッチでいつものライブ告知と同じように…。
これは僕にとってかなりショックだった。このイベントはこんなに軽々しく参加を呼びかけられる性質のものなんだろうか?CHABOはどこまで放射能の危険性を認識しているんだろう…。明らかに内部被曝の危険性なんかには気が付いてないんだろうな、と感じざるを得なかった。そもそも、CHABOはこれまでこういった社会性の高いメッセージを含むイベントに出ることはあまりなかったのだ。今回は旧友の泉谷に頼まれたことで参加する気持ちになったのだろう。そう思って自分を納得させたのだが、心の奥に芽生えたある種の違和感、怒りとも悲しみともつかない複雑な気持ちは、ライブが終わっても僕の中から出て行かなかった。
このイベントに関しては、これからいろんなことを言う人が出てくるだろう…。そんな予感がしたのはこの時からだ。

案の定、ネット上ではイベントを巡って喧々諤々の論争が飛び交った。反対派の中には開催のボイコットを呼びかけるものまであった。僕は自分自身の意志として早々と行かないことを決めはしたが、ボイコットを叫んで他人の行動・考え方に踏み込むようなことはフェアじゃないと思った。だが、とにかく自分の意思だけは表明しておかないと落ち着かない。“自分の積極的な意思として、このライブには参加しない”とブログに書き込むと、なんだかほっとした気持ちになった。

結局ライブは開催され、参加したミュージシャン各々は素晴らしいパフォーマンスを見せたと聞く。東京の片隅で東北の未来を憂いている僕の気持ちなんかには関係なく、多くの人々が日曜日の日比谷で秋の一日を楽しんだのだ。
ライブの責任者だった泉谷しげるは、開催直前までブログやツイッターで揺れ動く心境を綴っていた。そこには、様々な問題提起に接し、放射能に関する認識を新たにしたことが見て取れ、当日販売する農作物の放射線量をもう一度測り直すなど、ギリギリまで誠実に行動したことが記してあった。僕は彼の直前の葛藤ぶりには真摯さを感じている。結果として、泉谷はこのイベントから多くのことを学んだのではないか。ならば、僕は彼の次の一手を期待するし、そのためのきっかけとなるのなら、このイベントも無駄ではなかったと思いたい。

ただ、このライブに参加した人たちの感想が、事後にネット上にあまりあがってこないのは、僕にとってはとても意外だ。レポがなくはないのだが、そのほとんどは普段のライブ同様、ミュージシャンのパフォーマンスに関する感想ばかり。僕が本当に知りたいのはそんなことではない。書き手がイベントの趣旨をどう捉え、どういう思いで参加し、ライブを通じて何を感じたかということなのだが…。
そもそも、このイベントに参加した人たちは、何のためにわざわざ日比谷まで行ったんだろう?もしかしたら、ただ豪華なメンツのロックオーケストラが見たかっただけで、東北を助けたいだの、野菜を食べなきゃだのはどうでもいいことだったのかもしれない。そう思うと、なんだかとても白けた気持ちになってしまったことを白状しなければならない。

ファンは盲目というが、自分の好きなミュージシャンがこう言ってるからって、みんなが一斉にそっちに向かうというのは非常に危険な流れだと思う。聴き手は聴き手の人生を生きているのであって、ミュージシャンの人生をなぞっているわけではないのだ。ミュージシャンとリスナーがそれぞれ自立し合う関係を築けなければ、今回のように社会的なメッセージを伴う表現活動は成り立たないと僕は思う。さもないと、ライブがミュージシャンのプロパガンダに摩り替わってしまうことになりかねない。
日々の暮らしの中でも、たとえば愛する人と一緒にいる時でも、僕は相手が間違っていると思う時には、はっきりとそう言える関係を保ちたいと思う。ロックを聴きながら歳を重ね、僕はずっとそういう生き方をしようとしてきた。これからもそういった姿勢を守り続けたいし、ロックとはそういう関係でいたいと強く思っている。

もしかしたら、僕はチャリティーライブというものに幻想を抱いていたのかもしれないとも思う。80年代にスプリングスティーンやジャクソン・ブラウンが参加したNO NUKSコンサートのようなものは、そもそも市民活動が浸透していない日本ではあり得ない話なのかもしれない。
音楽と社会的な事象はあえて切り離すというスタンスのミュージシャンがいる。今回の件を通して、僕はそれもアリだと思うようになった。圧倒的な災いを前にした時、ミュージシャンはそれに対して直接メッセージするのではなく、メロディーであったり“歌のことば”であったり、いわば音楽そのもので人々に癒しを与えることしかできないものなのかもしれない。
思い返せば、僕自身、3.11以降打ちのめされた心を温かくしてくれたのは、反原発を高らかに謳ったメッセージソングではなく、それまでに何度も聞いていて手垢のついたようなありふれたラブソングだった。今はそこからさらに遠くまで来てしまい、歌詞がダイレクトに頭に入ってこない洋楽が心地良い。これまで全然聴いてかなったレッド・ホット・チリ・ペッパーズやU2なんかが一番ぐっと来るという有様(苦笑)。なんなんだろう、このシラケきった気分は…。

はっきり言って、今の自分は全然ロックじゃねーなあ~と思う。むしろ、音楽を聴いてるときより、何も考えずに汗を吹き出しながらロードを走っている時のほうがよっぽどロックを感じる。同じように、あのイベントとそれに付随した諸々の出来事にも、僕は全くロックを感じることができなかった。
唯一、僕がガツン!ときたのは、Leyonaのとった行動だ。敬愛するCHABOや泉谷との共演を蹴ってまで出演を取り止めたLeyona。それは苦渋の選択だったに違いない。ギリギリまで悩んだ末、自分の信念を貫き通した彼女の行動に僕は感動を覚えたし、それはあの日出演した他の誰よりも、男前でロックなアクションだったと僕は思う。

こういう時、故人を勝手に味方に付け、清志郎が泣いているだのなんだの言うのは反則だそうだ。でも、このぐらいは書くのを許して欲しい。
僕が日比谷に行かないことを決めた晩、夢の中に清志郎が出てきた。久しぶりに会った清志郎は、ただ僕を見てニコニコと笑っていた。あ!と思って手を伸ばした瞬間、目が覚めた。しんとした部屋の中で、ただ枕がびしょびしょになっていた。清志郎の夢を見ながら、僕はびっくりするぐらい多くの涙を流していたのである。
Leyonaが重い決断をした時にも、きっと彼女は清志郎のことを思ったに違いない。そういうことを言うのは反則なのかもしれないが、僕は固くそう信じている。

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コメント

......うん、うん、うん…。と頷くばかりです。
ロックが大好きだからこそ言える記事だと強く感じてます。
そしてふるさとを愛するからこそ記せる話題だと思います。

思うのですが、CHABOさん、最近多すぎはしませんか?
自分のライヴ以外に出演するライヴの本数が…。

歌い続けることだよな!…という清志郎へのメッセージが
ありましたが…、あのメッセージがこういうことなのかと思うと、
首を傾げざるを得ません。

ちょっと無駄が多いような…。偉そうなことは決して言えませんが。

◆樹木さん
僕はロックを愛しています。音楽だけじゃなく、ロック的な生き方をしている人が大好きです。だから、こんな時こそロックで何ができるかを考えていきたいとも思うのです。

>思うのですが、CHABOさん、最近多すぎはしませんか?
 自分のライヴ以外に出演するライヴの本数が…。

実は僕、“恩返し”に関しては100%満足して帰ったライブは一つもありません。もっと濃厚なCHABOが見たいんですよね、ほんとは。
たとえば、小説家があまり軽いエッセイばっかり書いてると筆が荒れるっていうじゃないですか。今のCHABOにもそんな危惧を感じます。もっとじっくり腰を据えた長編小説を読んでみたいです。

「マルシェ」がどのように運営されたかがほとんど流れなかったのは、難しい問題だからだと思います。「東日本」なんですよね。青森県から新潟県 千葉県 神奈川県あたりの農産物やら切り花 鉢植え 工芸品なんかも販売されていたのです。自分も疑心暗鬼ながらも、逆に変な政策的な臭いはあまり感じなかったので、少しほっとしました。イベントコピーは、刺激的なものでしたが。前日までに物議をかもしたことで内容も変わったかもですけど。自分で判断してできるだけの支援をしていこうと思っています。当日は、花と工芸品と青森県と秋田県の農産物をクーポンで購入しました。

CHABOの活動に関しては、わかりません。事務所を支えるためなのか、清志郎を守るためなのか もうかなり新譜がでていないのは確かです。昨年は、あれだけの単独ツアーをこなした訳ですから ただ超ベテランですし長期スパンで見届ける必要があるのではないかと。他のミュージシャンでは、あれだけ引き出しの広い事 できないんじゃないかなぁと思いますが           

◆サッカー野郎KOBさん
放射性物質は東北だけじゃなく、関東近郊の露地モノ野菜からも検出されていますので、実際は東北でも東日本でも関係ないんですけどね。関東に住んでると、被災地は東北で関東はなんでもなかったと思われがちですけど、ホットスポットがあちこちで見つかっているように、東日本全体が事故の影響を受けていると僕は思っています。場所によっては、僕の両親が住んでいる白河市より高い放射線量が記録されている地区だってあるんですから…。

>ただ超ベテランですし長期スパンで見届ける必要があるのではないかと。

もちろん。僕も今の時点だけでCHABOの今後を断ずる気はないです。

>他のミュージシャンでは、あれだけ引き出しの広い事 できないんじゃないかなぁと思いますが

そうですね。でも、CHABOがこれだけ若いミュージシャンと一緒にライブをやるようになるとは、正直言って僕は夢にも思いませんでした。15年前だったら、若い人はおろか他のミュージシャンとジョイントしたり、フェスに出たりすること自体考えられない感じでしたよね。やっぱり、清志郎の件を通して、できることは今やっておかなきゃ…という気持ちが強くなったんだと思います。反面、だからこそアクティブになった今のCHABOの濃厚な単独ライブが見てみたいなんて気持ちも強くなるんですよ。ファンって勝手ですよね(笑)。

放射能に関しては、千葉県でもいわゆる東葛飾地区がホットスポットと言われていますが、マルシェでは、旭市や大網白里と外れの地域産の出店でした。これ以上で出荷先偽装とかになればどうにもならないですけど、ここは信じるしかないと思っています。ちなみに自分は、千葉県の東葛飾地区の我孫子市の出身です。雨の日には柏に募金と買い物もしに外出もしましたから、多少の被曝もしたかもです。更に実家の兄貴夫婦の子供の事考えると心も痛みますが 青森や秋田まで元気無くなるのは不本意ですね。

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