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2011年11月

2011年11月29日 (火)

東京を走るぜ!

つくばマラソンを完走した興奮冷めやらぬ中、またも嬉しい報せがあった!
なんと、来年の東京マラソンに追加当選してしまったのだ!






うぉ~!嬉しいぞぉ~!





東京マラソンは倍率が何十倍とも言われる長難関。今のランニングブームの先鞭を切ったイベントと言われていて、絶対に走りたいと思っていたレースなのだ。

ただ、心配なことが一つ。実は、どうせダメだと思っていたので1月に別のマラソンに既にエントリーしてしまっているのだ。この大会が1月29日。東京マラソンが2月26日。間は1ヶ月しかない。よくよく考えたら、この前走ったつくばを含めて、11月から2月までの4ヶ月で3本もフルマラソンを走る計算になるじゃないか
















だ、大丈夫なのか,

俺…。






でも、既に職場の連中には“出る!”って言い回っちゃったからなあ。
ええい、なるようになれ!年明けは怒涛のマラソン漬けになりそうだ(苦笑)。

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2011年11月28日 (月)

エアロスミス・ジャパンツアー / 2011年11月28日(月)東京ドーム

前日に人生初のフルマラソンを完走した興奮も冷めないまま、筋肉痛に悲鳴を上がる身体を引きずって東京ドームへ。今日は7年ぶりに来日したエアロスミスのライブを観に行くのだ。
今年の春、まだ3.11東北大震災の余韻も生々しい中、彼らがいち早く来日公演を行うことを発表してくれた時は、驚いたと同時に本当に嬉しく思ったものだ。あの頃は、先の見えない原子力事故の影響もあり、外タレが軒並み来日を避けていた時期。僕は、もう日本は大物俳優が映画のキャンペーンに来たり、ミュージシャンがワールドツアーの一つとして来てくれる国ではなくなってしまったんだなあ…、なんて思ってしまい、とても哀しい気持ちなっていたところだったのだ。その後、レディ・ガガとかシルヴィ・ギエムが敢然と日本に来てくれたけど、ロック界の大物ミュージシャンでいち早く来日の意思を示してくれたのは、エアロスミスが一番早かった。

考えてみると、今回に限らず、僕は人生の節々でずいぶんと彼らのロックに力をもらっている。ストイックなロックファンの間では、80年代以降復活してからのエアロは商業的になってあんまり好きじゃないなんていう人もいるようだけど、僕は昔のエアロも今のエアロもどっちも大好き。なにしろ、あの70年代の落ちぶれぶりから考えたら、パーマネント・バケーションの完成度は奇跡みたいなもんだ。人生、どん底まで落ちたってなんとかなるもんだ。エアロを見てるとそう思えた。
音楽に関していうと、エアロスミスのロックってのは、僕にとってはローリング・ストーンズとレッド・ツェッペリンを足して二で割り、もう少し食べ易いように全体に砂糖をまぶしたようなもの。理屈抜きにハードでロックしてて、下品で猥褻で、大衆的で下世話。もう60過ぎてるっていうのに、外見も含めて全くシブい方向に向かわないのが堪らなくカッコいい。
そういえば、走り始めたばかりの頃も、トレーニングしながら一番多く聴いていたのはエアロスミスだった。僕は特に彼らのライブ盤が大好きで、ブートも含めて何枚もライブを持っている。それを爆音で耳に流し込みながらアドレナリンを沸騰させた夜がいったい何度あったことか。彼らのロックは、僕にとってはエナジー・サプリメントみたいなものなのだ。

久しぶりに見たスティーブン・タイラーとジョー・ペリー。アリーナ席最前列でありながら最右端というとんでもない席だった僕からは、二人は遥か彼方にしか見えなかったんだけど、それでも本当に本当にカッコよかった。さすがに顔の皺からは年輪も感じるけど、ステージアクションにしても、パワフルなシャウトにしても、プレイぶりからはまったく衰えを感じない。
日本のファンを勇気付けるように、何度も何度も花道まで走ってきてシャウトするスティーブンと、相変わらずクールな表情で低く下げたギターをかき鳴らすジョーの姿は、神々しくさえあった。本当にこんな時によく来てくれた!と胸がいっぱいになってしまった。

セットリストはハードロッキンな曲を中心にしたもので、僕的には大満足だ。まさかのオープニングDRAW THE LINEから、バンドはアクセル全開。エアロのライブに来たのは9年ぶりなんだけど、あの時より今回の方がずっと良かった。アルバムでいうとパーマネント・ヴァケイションやパンプからの曲が多かったのも、個人的には嬉しい。
マラソンを走った翌日だから、さすがに身体中の筋肉が悲鳴を上げていたんだけど、こんな極上のロックンロールを前にしたら、そんなの屁でもない。最初から最後まで立ちっ放しでガンガンに盛り上がってしまった(苦笑)。普段はどうしても小さな小屋でのライブが多くなってしまうから、こういう大会場でのスペクタクルなロックショーを見ると、やっぱり燃えるなあ~!ロックってイイ。やっぱしロックしかねえや!しみじみ思ってしまった。

印象に残った曲をいくつか書いておきたい。まずはLIVIN' ON THE EDGE。これまではあんまり好きというわけではなかった曲なのだが、まるで今の僕らのことを歌ってるみたいではないか、これ。この曲がこんなに胸に迫ってくる日がくるなんて夢にも思わなかった。
BABY PLEASE DON'T GOをはじめとする中盤のブルースも強い印象があった。最近は映画の挿入曲になるようなバラードに人気があるけど、オレたちはずっとブルースを忘れてないぜ!と言わんばかりのプレイぶり。これがあるからエアロは信用できる。
それからI DON'T WANT TO MISS A THINGに続けて演奏されたCRYIN'には、なんだかものすごく心を揺さぶられた。もともと大好きなバラードなんだけど、この日この曲をシャウトするスティーブンを見てたら、なんだか泣けて泣けて仕方なかった。

最後の最後、WALK THIS WAYの演奏時には、日の丸がスクリーンに大写しになる。そして、日本を励ますメッセージをスティーブンが叫んで2時間30分のショーは終わった。
もう一度言うが、本当に素晴らしいライブだった。ものすごく元気をもらった。なにより、来日を敬遠する外タレが多い中、こんなにも気合の入ったストロングなロックンロール・ショーを演ってくれたその心意気が嬉しいじゃないか!エアロスミスのライブでうるっとくるっていうのも我ながら変な話だと思うんだけれど、何度も何度も花道に降りてきてシャウトするスティーブン・タイラーの姿を見ていたら、胸が熱くなって感謝の気持ちでいっぱいになってしまった。
ロックってやっぱしスゲエよ…。言葉も文化も違う60過ぎのおっさんのやってることなのに、こんなにも力をくれるんだからさ…。なんだか、忘れかけていたロックのエネルギーをまた信じたい気持ちになった夜だった。

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2011年11月27日 (日)

初フルマラソン、4時間6分46秒で完走

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去年の春から走り始めて1年半。ついにこの日がやってきた。
42.195キロ。正真正銘のフルマラソンを走るのだ。市民ランナー向けの大会では、5キロや10キロのレースでも“マラソン”と言ったりするけれど、本当の意味でのマラソンとは42.195キロの距離を走ること。もしかしたら、過去3回走ったことのあるハーフマラソンだって“マラソン”と言ってはおこがましいのかもしれない。やっぱり、フルマラソンを走り切ってこそ、人は自他共にランナーと呼ばれるようになるのだと思う。

しかし、ひと言で42.195キロと言っても、それはとてつもない長さだ。高尾山の頂上に登って、はるか彼方の新宿の高層ビル群を眺めたことがあるだろうか?42.195キロとはだいたいそのぐらいの距離。そんなとんでもなく長い道のりを、マラソンランナーは自分の身体一つで駆け抜けなければならないのだ。
はっきり言って、1年前まではそんなことは想像もできなかった。だが、去年ハーフマラソンを完走したあたりから、“なんとしても42.195キロを走り切りたい”という欲望が、むくむくと頭をもたげてきたのである。本当は今年の春にあるレースにエントリーしていたのだが、3.11東北大震災の影響で大会自体が中止になってしまい、予定がこの秋までずれこんでしまった。

僕が記念すべき初フルのレースとして選んだのは、茨城県で行なわれる「つくばマラソン」。今年で31回目を迎える伝統ある大会で、首都圏から近いこともあり、とても参加者が多い大きな大会だ。何よりも、コースが平坦で走り易いと聞いていたので、初めてのフルマラソンには最適だと考えた。

ちょっと大袈裟かもしれないが、僕はこの日を自分の人生の中でもとても重要なイベントだと考え、万全を尽くすために前日から現地に宿泊することにした(これは後から考えると必要なかったような気もするけど…(苦笑))。
前日は脚を温存するために、極力動かず、部屋でぼけっとテレビを見たり、音楽を聴いたりしてひたすらだらだらと過ごした。夜は緊張して眠れなくなるかと思いきや、ベッドに入ったら5分で爆睡。当日は5時半に目覚ましをかけておいたのに、30分寝過ごすという僕にしては珍しいくらいにリラックスした朝を迎えた。
おこがましいことを言うようだけど、これは自分に自信があったからだと思う。去年から僕なりに淡々とロードを走り続けてきた。平日に走る時は、朝4時半に起きて5時にはシューズに足を通した。月刊走行距離は平均200キロ。うだるような暑い夏も、底冷えのする寒い冬も、ただ黙々と走った。週末のポイント練習では3時間LSDや20キロ走もやった。レースペースでの30キロ走だって何度かやってきた。
自分は46歳の凡庸な男だ。だけど、今の自分にできることをでき得る限りやったではないか。もしマラソンの神様がいるとしたら、流した汗はきっと報われる…。そんな確信があった。

スタート地点はつくば大学構内。遠くに見える筑波の山並みは実に美しく、空は“さあ走ってください”といわんばかりに青く澄み切っていた。

9:30の時点で1万3000人を超えるランナーが一斉にスタートした。僕は、この日のレースを1キロあたり5分50秒で走るペースをひたすら最後までキープしようと考えていた。これだったら、後半の落ち込みを考えても4時間30分以内には余裕でゴールできる。2ヶ月前に皇居で1キロあたり5分40秒キープで30キロ走を行なった経験があったから、これは決して不可能なことではないと思っていた。
ところが、スタート直後はランナーが多過ぎて大混雑。僕はバカ正直に4時間30分以内でゴールを目指すエリアに並んでいたので、周りのペースが想定より明らかに遅い。最初の1キロに6分以上かかってしまった。だが、僕は焦らなかった。ここでジグザグに追い抜きをかけたりしたら疲れるだけだ。

案の定、5キロ過ぎくらいからランナーがバラけはじめ、無理なく自分のペースで足が運べるようになってきた。
つくばマラソンはでかい大会だけあって、一般の車道をランナーのために道路規制している。これは初めての体験だったが、実に気持ち良い!なにしろ、普段は車がばんばん通る道路を、僕らのためだけにわざわざ止めてくれ、その中を颯爽と駆け抜けていくんだから…。

周りの景色も目新しく、まったく疲れを感じない。あっという間に15キロ地点まで来てしまう。ここで走りながらジェル状のBCAAサプリメントを摂取。僕はこの日、サプリメントをいくつも持参していて、15キロ以降はこれを5キロごとに摂取しようと思っていたのである。
20キロを越えたあたりから、さすがにハムストリングの疲労を感じてきたけど、まだまだ全然いける。今から思えば、ハーフポイント超えの20キロから25キロあたりが少し苦しかったような気もするが、肩周りの筋肉を緩めたりしながらリラックスすることを意識していくと、また元気が戻ってきた。

30キロ手前では、4時間30分のペースランナーを抜き去った。ペースランナーってのは、この人たちに着いていけば必ず4時間30分が切れるっていう目安なんだけど、その周辺にはランナーが密集しているので、近くにいると走り難いことこの上ない。思い切ってペーサーを抜いちゃったら一気に視界が開け、気分的にずいぶん楽になった。

さあ、ここからは自分との闘いだ。なにしろ、僕にとって30キロ以上の距離は未体験ゾーン。しかも、経験者の話では30キロ過ぎから、がくっとペースが落ちるというではないか。案の定、立ち止まってストレッチを始めたりするランナーがあちこちで見受けられるようになってきた。
だが、意外にも僕自身は疲れはほとんど感じなかった。それどころか、なんだかすごく楽しいのだ。一刻も早くゴールしたいんだけど、このまま永遠にこの楽しい時間が終わって欲しくないような不思議な気持ちになった。沿道の見知らぬ人からの声援に笑顔で応える余裕まであった。特に、子どもたちの声援には力が湧いた。地元のやんちゃそうな男の子とハイタッチすると、自然と“ありがとう!”という言葉が口から出てくる。うーん、こういう温かい素朴な感動が味わえるのも、マラソン大会の魅力だなあ…。

40キロ以降は、もう楽しくて楽しくてしょうがなかった。つくば大学構内に帰ってくると、周りから大歓声を受ける。感激屋の僕はこれだけでもぐっときてしまった。
最後はグラウンドを一周してゴールに。手元の時計は走り始めて4時間ちょっと。これだったら、この後の残りを歩いたって目標を楽々クリアできるタイムだ。なんだか笑顔が止まらない。僕は興奮していた。両手を空に掲げて、何度も“やった!やった!”と叫びながらゴールに飛び込む。ネットタイムで4時間6分46秒。初めてのフルマラソンにしては出来過ぎなぐらいだ。

今回の勝因は、トレーニングやピーキングが上手くいったのもあると思うけど、レース直前とレース中に栄養補助食を摂取し続けたことが大きいような気がする。僕は15キロ以降、エネルギーチャージ系のジェルを5本ぐらい摂った。加えて、ある本で読んだ方法なんだけど、市販のパックされた切り餅を宿で温めてもらい、朝飯後からスタートの30分前まで食べ続けた。結局5つ食べたんだけど、これが効いたんじゃないかなあ…。
マラソンはものすごく大量のエネルギーを消費するスポーツなのだ。一説によると、4時間でフルマラソンを走った時の消費カロリーは約2400Kcalといい、これは40歳代男子の一日あたりのエネルギー所要量に匹敵するそうだ。なので、4時間以上かかるランナーは、レース中でも食料を摂るのが不可欠なのだ。
実を言うと、レース後にも思ったほどには疲れを感じなかったので、ちょっと栄養を摂りすぎたぐらいかなあと思ったりもしていた。だが、帰宅してから、マラソンの体力消費量に驚かされることになる。この日の夜、風呂に入った後でも全然身体が温まらない。背筋がぞくぞくして寒くて寒くて仕方がなかった。たぶん、マラソンで身体中の糖を使い果たしてしまい、燃やすものが何も残っていなかったんだろう。

これで目下最大の目標だったフルマラソン完走は果たした。だが、燃え尽きたような気持ちは全然ない。走る前までは、フルマラソンを走り切ったら、その反動でもう当分は走りたくなくなるのではないかと思っていたのだが、むしろ今は全然逆の気持ちだ。
46歳にして初フルを完走し、4時間ちょっとっていう記録は、自分でもなかなかだと思うのだが、もうちょっと頑張ればサブ4(4時間を切ってゴールすること)だって達成可能だったのではないかと思うと、ちょっと残念な気持ちさえ生まれてきている。
さすがに今は身体中あちこち痛いし、しばらくはリカバリーに務めたいと思うけど、これからはサブ4を目標に走り続けようと思う。
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2011年11月18日 (金)

「日比谷ライブ&マルシェ 2011」に関して、今思うこと

「日比谷ライブ&マルシェ 2011」は、僕にとって音楽と現実社会との関わりを考え直さずにはいられないような大きな出来事だった。
いったいあのライブは何だったのか。多くの人は、あれを数あるライブの一つ、終わってしまった出来事として過去の記憶に置き換えているのかもしれないが、僕は未だにあの不思議な一日のことを考え続けている。
あの日は、日本のロックがその歴史の中で現実社会の問題に最も深くコミットした瞬間だったと僕は思うのだ。ここで噴出した様々な問題は、もしかしたら日本のロックが、今後本当に大人の音楽と呼ぶに値するものになっていけるのかどうか、その真価を問うものですらあったと思う。

断っておくが、僕はチャリティーという行為自体を否定しているわけではない。困った人がいたら助けたいと思うのは人として当然だ。その時、ミュージシャンなら知名度を生かしてイベントを起ち上げ、集まったお金を被災者に送るという手もアリだろう。そこに何%かの売名行為が介在していたって、バックに体制側の御用資本があったとしたって、結果としてそれで多くの人を笑顔にできるなら、やらないよりもやったほうがいい。絶対いい。シンプルにそう思う。

僕が疑問を持ったのは、そういうことではない。このチャリティーイベントには“東日本の野菜を買って食べることで復興を応援しよう”という明確なメッセージがあったのだが、僕はそれに大いなる異議がある。僕が東日本の野菜を食べることの危険性をどう考えているかは、前のエントリーにも書いたのでそちらをご覧いただきたい。

11月3日、宮沢和志との恩返しライブがあった時、CHABOはMCでこのイベントに触れ、良かったら見に来て欲しいと観客に呼びかけた。軽いタッチでいつものライブ告知と同じように…。
これは僕にとってかなりショックだった。このイベントはこんなに軽々しく参加を呼びかけられる性質のものなんだろうか?CHABOはどこまで放射能の危険性を認識しているんだろう…。明らかに内部被曝の危険性なんかには気が付いてないんだろうな、と感じざるを得なかった。そもそも、CHABOはこれまでこういった社会性の高いメッセージを含むイベントに出ることはあまりなかったのだ。今回は旧友の泉谷に頼まれたことで参加する気持ちになったのだろう。そう思って自分を納得させたのだが、心の奥に芽生えたある種の違和感、怒りとも悲しみともつかない複雑な気持ちは、ライブが終わっても僕の中から出て行かなかった。
このイベントに関しては、これからいろんなことを言う人が出てくるだろう…。そんな予感がしたのはこの時からだ。

案の定、ネット上ではイベントを巡って喧々諤々の論争が飛び交った。反対派の中には開催のボイコットを呼びかけるものまであった。僕は自分自身の意志として早々と行かないことを決めはしたが、ボイコットを叫んで他人の行動・考え方に踏み込むようなことはフェアじゃないと思った。だが、とにかく自分の意思だけは表明しておかないと落ち着かない。“自分の積極的な意思として、このライブには参加しない”とブログに書き込むと、なんだかほっとした気持ちになった。

結局ライブは開催され、参加したミュージシャン各々は素晴らしいパフォーマンスを見せたと聞く。東京の片隅で東北の未来を憂いている僕の気持ちなんかには関係なく、多くの人々が日曜日の日比谷で秋の一日を楽しんだのだ。
ライブの責任者だった泉谷しげるは、開催直前までブログやツイッターで揺れ動く心境を綴っていた。そこには、様々な問題提起に接し、放射能に関する認識を新たにしたことが見て取れ、当日販売する農作物の放射線量をもう一度測り直すなど、ギリギリまで誠実に行動したことが記してあった。僕は彼の直前の葛藤ぶりには真摯さを感じている。結果として、泉谷はこのイベントから多くのことを学んだのではないか。ならば、僕は彼の次の一手を期待するし、そのためのきっかけとなるのなら、このイベントも無駄ではなかったと思いたい。

ただ、このライブに参加した人たちの感想が、事後にネット上にあまりあがってこないのは、僕にとってはとても意外だ。レポがなくはないのだが、そのほとんどは普段のライブ同様、ミュージシャンのパフォーマンスに関する感想ばかり。僕が本当に知りたいのはそんなことではない。書き手がイベントの趣旨をどう捉え、どういう思いで参加し、ライブを通じて何を感じたかということなのだが…。
そもそも、このイベントに参加した人たちは、何のためにわざわざ日比谷まで行ったんだろう?もしかしたら、ただ豪華なメンツのロックオーケストラが見たかっただけで、東北を助けたいだの、野菜を食べなきゃだのはどうでもいいことだったのかもしれない。そう思うと、なんだかとても白けた気持ちになってしまったことを白状しなければならない。

ファンは盲目というが、自分の好きなミュージシャンがこう言ってるからって、みんなが一斉にそっちに向かうというのは非常に危険な流れだと思う。聴き手は聴き手の人生を生きているのであって、ミュージシャンの人生をなぞっているわけではないのだ。ミュージシャンとリスナーがそれぞれ自立し合う関係を築けなければ、今回のように社会的なメッセージを伴う表現活動は成り立たないと僕は思う。さもないと、ライブがミュージシャンのプロパガンダに摩り替わってしまうことになりかねない。
日々の暮らしの中でも、たとえば愛する人と一緒にいる時でも、僕は相手が間違っていると思う時には、はっきりとそう言える関係を保ちたいと思う。ロックを聴きながら歳を重ね、僕はずっとそういう生き方をしようとしてきた。これからもそういった姿勢を守り続けたいし、ロックとはそういう関係でいたいと強く思っている。

もしかしたら、僕はチャリティーライブというものに幻想を抱いていたのかもしれないとも思う。80年代にスプリングスティーンやジャクソン・ブラウンが参加したNO NUKSコンサートのようなものは、そもそも市民活動が浸透していない日本ではあり得ない話なのかもしれない。
音楽と社会的な事象はあえて切り離すというスタンスのミュージシャンがいる。今回の件を通して、僕はそれもアリだと思うようになった。圧倒的な災いを前にした時、ミュージシャンはそれに対して直接メッセージするのではなく、メロディーであったり“歌のことば”であったり、いわば音楽そのもので人々に癒しを与えることしかできないものなのかもしれない。
思い返せば、僕自身、3.11以降打ちのめされた心を温かくしてくれたのは、反原発を高らかに謳ったメッセージソングではなく、それまでに何度も聞いていて手垢のついたようなありふれたラブソングだった。今はそこからさらに遠くまで来てしまい、歌詞がダイレクトに頭に入ってこない洋楽が心地良い。これまで全然聴いてかなったレッド・ホット・チリ・ペッパーズやU2なんかが一番ぐっと来るという有様(苦笑)。なんなんだろう、このシラケきった気分は…。

はっきり言って、今の自分は全然ロックじゃねーなあ~と思う。むしろ、音楽を聴いてるときより、何も考えずに汗を吹き出しながらロードを走っている時のほうがよっぽどロックを感じる。同じように、あのイベントとそれに付随した諸々の出来事にも、僕は全くロックを感じることができなかった。
唯一、僕がガツン!ときたのは、Leyonaのとった行動だ。敬愛するCHABOや泉谷との共演を蹴ってまで出演を取り止めたLeyona。それは苦渋の選択だったに違いない。ギリギリまで悩んだ末、自分の信念を貫き通した彼女の行動に僕は感動を覚えたし、それはあの日出演した他の誰よりも、男前でロックなアクションだったと僕は思う。

こういう時、故人を勝手に味方に付け、清志郎が泣いているだのなんだの言うのは反則だそうだ。でも、このぐらいは書くのを許して欲しい。
僕が日比谷に行かないことを決めた晩、夢の中に清志郎が出てきた。久しぶりに会った清志郎は、ただ僕を見てニコニコと笑っていた。あ!と思って手を伸ばした瞬間、目が覚めた。しんとした部屋の中で、ただ枕がびしょびしょになっていた。清志郎の夢を見ながら、僕はびっくりするぐらい多くの涙を流していたのである。
Leyonaが重い決断をした時にも、きっと彼女は清志郎のことを思ったに違いない。そういうことを言うのは反則なのかもしれないが、僕は固くそう信じている。

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2011年11月10日 (木)

オレは日比谷に行かない

今週末に行われる「日比谷ライブ&マルシェ 2011」に、各方面から疑問が噴出している。
これは“東日本の野菜を買おう。ライブで復興を応援しよう。”という趣旨のもとに行われるイベントで、13日(日)に行われるライブには、泉谷しげるが主体となり、CHABOやLeyona、エレファントカシマシなど、僕も大好きな多くのミュージシャンが参加することになった。

だが、この東日本の野菜を買おう・食おうという呼びかけを、僕はどうしても素直に受け取ることができないのだ。泉谷は、このイベントで販売される野菜は、厳密に検査を行って0ベクレルのものにすると言っている。そんなの当然の話じゃないか。今の科学ではここまでだったら安全という放射線の明確な基準を出せない以上、人に食べることを奨励するのなら、0のものを出すのは当たり前の話。わざわざ言うまでもない最低条件じゃないか。

問題なのは、このイベントで食べることを奨励している東北の農産物、今、町のスーパーに流通しているこれらの野菜は、必ずしも0ベクレルではないことなのだ。これは国が暫定基準値として500ベクレル未満までの農作物の流通を許してしまっているからである。言っておくが、500という値は国が原発事故後に大きく引き上げた暫定基準値。あくまでも“暫定”であり、子どもや若者が長期間食べることには相当のリスクがあると言われている。今、巷には子ども達を内部被曝から守ろうと必死で毎日を生きている人たちが大勢いるのに、能天気に“東日本の野菜を買おう”と呼びかけられる神経をまず僕は疑う。

斉藤和義のエントリーにも書いたとおり、人には人の考え方があるから、こんなことがあったって別にミュージシャンとしての彼らを嫌いになったりはしない。だけど、みんなあまりにも問題意識が低すぎないか?もうちょっと考えて行動して欲しいと思うよ、オレは。
CHABOなんか、この前のライブで能天気に“ぜひみんな来てよ!”なんて客に呼びかけてんだもん(苦笑)。そんな軽々しく言えることかよ!はっきり言ってものすごくがっかりした。オレ、ライブ途中に席を立って帰ろうかと思ったぐらいだ。なんだかライブレポを書く気まで失せてしまっている。
CHABOさん、ほんとに今の東北の現状、わかってますか?自分の発した言葉の意味、わかってますか?オレ、はっきり言って呆れてますよ、ほんと。

前にも書いたとおり、僕は夏に地元福島に帰った時、両親が原発事故後に作った野菜を食べてしまった。だが、それは年老いた両親と傷ついた故郷を前に、確信犯的に行なわざるを得なかった行為だ。わかるか?あの時のオレの気持ちが。思い出すと今でも胸が苦しくなる。そんなリスクを多くの人が背負う必要はない。それは“復興”の捉え方が間違ってると僕は思う。

今本当に訴えるべきことは、安全性が保障できない野菜を食べることではない。そんなことより、勝手に引き上げられた放射線基準値を一刻も早く原発事故以前に戻し、不幸にもそれを上回る汚染された作物しか作れなくなった農家には責任をもって保障金を出すよう、徹底的に東電と国を突き上げるべきではないのか。泉谷にはそういうイベントをやって欲しかった。そういう趣旨なら諸手を挙げて賛成したんだけど…。
ただ“東日本の野菜を食おう”では、国が勝手に引き上げた胡散臭い“暫定”基準値を容認してしまうことになってしまう。それは僕個人は絶対に納得することができない。たとえ泉谷やCHABOやLeyonaが賛同していてもだ。

泉谷とCHABOの共演はとても見たい。だけど、こんな気持ちではとてもライブを楽しむことはできない。
オレは積極的な自分の意思として日比谷には行かない。

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