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2011年12月11日 (日)

リクオ&ピアノ~完全弾き語りソロ・ライブ~ / 2011年12月11日(日) 渋谷BYG

リクオのソロライブは、東京では久々だ。今年は海さくらウルフルケイスケとのツアーなど、共演者がいるステージでリクオを観る機会が多かったが、そこでは比較的アッパーなナンバーが多く唄われていた感がある。リクオ自身、3.11以降、気持ちが沈む日が続く中でウルフルケイスケとツアーに出てあえて陽気なナンバーを演奏したことは、精神衛生上とても良かったと語っていた。
それは僕にも良くわかる。わかるのだが、リスナーの立場として言わせてもらえるなら、これらのライブでは彼の持つ内省的な部分をあえて出さないようなタッチになっていたことに少し物足りなさを覚えもした。久々のソロである今夜は、きっとそんな歌も聴くことができるだろう。深い夜に自分の心の奥にゆっくりと降りていくような歌を聴きたい…。僕はそんな気持ちでライブに臨んでいた。

リクオは僕の気持ちに十分すぎるぐらい十分に応えてくれた。もちろん、いつものようにアッパーなナンバーも演奏されはしたのだが、僕が強く印象に残ったのはやはり内省的な歌。BYGのこじんまりとした空間で、リクオのピアノと歌声にじっと耳を澄ますのは、心が洗われていくような音楽体験だった。本当にとても濃密なライブだった。3.11以降、世の中の雰囲気が一変してしまった中でも、淡々と旅を続けて歌を唄い続けてきたリクオの、この一年の想いが集約されたような夜だったと思う。

この日のライブで特筆すべきこととして、新曲が数多く演奏されたことが挙げられる。それらは震災や原発事故のことを直接唄いこんだものではないが、僕にはやはり3.11以降のリクオの心境が色濃く反映されているように思えてならない。
リクオの歌の数々を聴いてるうちに気が付いたことがある。彼は突然襲ってきた震災や原発事故を憂いているのはもちろんだが、同時に3.11以降の社会に漂うある種の空気にも違和感も抱いているのだと…。
なんて言ったらいいのか、うまく言葉が見つからないのだが、たとえば、今誰かと原発についてシリアスな話をするとしたら、その前提として相手が原発推進なのか反原発なのかを最初から決め付けるような傾向があると思う。そして、互いが互いを拒絶し、大きな声を挙げがちになる。あんな事故が起きたらそうなって当然なのかもしれない。でも、こんな風にはっきりと何かに線引きをしたがる社会は、僕らがかつて暮らしていた“あの頃”の空気と、少しずつ何かが違ってきているのではないか。リクオはそんなことを感じているんだと思う。

最近、僕も時々思うのだ。あなたは原発に賛成ですか?反対ですか?と聞かれたら、僕ははっきり“反対です”と応える。それは間違いない。だが同時に、反原発を声高に主張し、推進派とされる人物や企業をまるで悪魔のように罵る風潮にはある種の怖さも感じてしまうのだ。共感できる部分ももちろんある。だが、心の底に微かに、でも確実にある種の違和感が芽生えもする。そんな微妙な2011年の風に吹かれる僕らの気持ちを、リクオはきちんと歌にして差し出してきたのだった。
「全部ウソだった」を唄った斉藤和義は誠実な表現者だと思う。それとは違う表現ではあるが、リクオの新曲にも、僕は表現者としての真摯さを強く感じる。

ウルフルケイスケと全国を回ったツアーの千秋楽は、ベースの寺岡信芳とドラムの小宮山純平が加わりバンドスタイルで行なわれたそうだ。ギンギンのエレキギターが入った、いわゆるロックバンドスタイルでプレイするのは、リクオのとっても久しぶりだったらしい。初心に戻ったような気持ちになったと彼は語っていた。
それを象徴するものとして、この日演奏された新曲で、まるでハイロウズのようなタッチのロックンロールがあった。明らかにウルフルケイスケとのツアーがなければ生まれ得なかった曲。リクオはピアノを叩くように弾き、まるでヒロトのようにシャウト。僕は、この日演奏された数多くの曲の中で、この曲が一番印象に残った。
実は、僕はウルフルケイスケとのツアーは一度しか見ていない。このツアーのセットリストはケイスケの明るいキャラクターを活かしたものが多く、楽しい事は楽しいのだが、僕にとっては冒頭に書いたような物足りなさもあり、1回見とけばそれでいいかな、ぐらいの気持ちでいたのだ。だが、この曲を聴いて千秋楽を観なかった事を、今ちょっと後悔している。
この日演奏された新曲の中には、これ以外にもバンドの音が聴こえてくるようなものがいくつもあった。やっぱり、あのツアーはリクオにとって重要だったのだ。彼は、あのツアーでこれまでにはなかった新しいモードを手に入れたのだと思う。

この夜、アンコールは長かった。
これは僕の予想だけど、最初の予定では、リクオはケイスケと共作したという新曲で締めるつもりだったのではないだろうか?だが、リクオはなかなかピアノから立ち上がろうとしなかった。僕らもまた会場を去り難い想いにとらわれていた。そういう雰囲気になったのだ、自然と。そこから唄われた数曲は、ほんとうにこの夜だけのものだったと思う。下田逸郎のカバー「セクシー」が歌われた。反戦の思いを込めて書かれたことばをヒントにして作ったという(そんなことは、僕は夢にも思わなかった)「美しい暮らし」が歌われた。一つひとつが珠玉の輝きを放つ、本当の意味でのアンコール。東京のホームと公言して止まないBYGでの、今年最後のソロステージという空間が生み出した奇跡だったんじゃないかな、あれは。

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コメント

遅ればせながら…。あけましておめでとうございます♪ リクオさんのBYG 行きたかったですが、相馬行きを選んでしまいました…。
 リクオさんの新曲、本当にヒロトみたいでしたよね。バンドをやりたいというリクオさんの気持ちが伝わってきます。1月8日の福岡は、そんな凄いバンドでした。ヘルツのようなおしゃれな感じでなく、直球のロックンロール!堪らないです。きっと、2,3'sの頃は、こんな感じだったんだろうなあと思いながら参加してました。圭一さんや梶浦さん、西さんとの競演は、これは凄いです!こういう感じだったら、ガンガン、バンドとしてやってほしい♪と、思った年始でした…。
 本年も、どこかのライヴ会場でお会いしましょう!
 よろしくお願いいたします。

◆manaさん
あけましておめでとうございます。どうぞ今年も宜しくお願いいたします。
福岡でのスペシャルバンド、凄かったようですね。少し前なら梶浦さんとの共演なんて考えられませんでした。リクオの引き出しに元々R&Rあったんでしょうけど、僕が観る様になってからこれほどロックモードにシフトしたことはありませんでした。ウルフルケイスケがそういう部分を引っ張り出してくれたんでしょう。そう考えると去年のツアーはリクオに大きなものをもたらしたってことなんでしょうね。

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