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2011年12月 4日 (日)

【本】恋する原発 / 高橋源一郎(著)

2173372「不謹慎」であるがゆえに「正当性」が可視できる―。高橋源一郎の書いた「恋する原発」を一言でいうならそんな小説だと思う。
義援金を寄付するために震災支援チャリティーAV(アダルトビデオ)の制作を命じられたAV監督の「おれ」と、その周辺に生息する人々を描写したこの話は、文字通りシモネタ満載、猥褻描写てんこ盛り。話は震災や原発事故だけに止まらず、太平洋戦争、靖国問題、天皇制にまで飛び火しながらどこまでも下世話に突き進んでゆく。文字通り「不謹慎」極まりない作品であり、その「不謹慎」さ故に、氏が某大学で行うはずだった出版記念講演会は、何処からか圧力がかかって中止になった。

まず、僕は氏が震災・原発をテーマにした表現を、すぐに作品化したその態度に深く共感する。これは斉藤和義が例の歌を歌ったのと同様の爽快感だ。ポップカルチャーを生きる表現者らしい行動だと理解するし、こういう氏のブレない態度に、僕はいつも励まされてきた。
ただ、個人的には小説として“それだけでしかない”ようなところもあり、読後やや要求不満が残ってしまった。中盤に突如挿入されている「震災文学論」が、非常に重く現実を直視し、3.11以降の表現者のあり方を鋭く見渡しているだけに、肝心の氏の小説世界がそこに追いついていないのはもどかしい。ただ、この破天荒な設定とシリアスな文学論を強引にパッケージして、ぎりぎり破綻せずにいるのは、やはり氏が時代を斬る優れた表現者である証だとも思う。

あるインタビューで、高橋は「この小説は、あえて『不謹慎』にしたのでは?」という記者の問いかけを肯定し、「今、閉塞感があって重苦しい。自由にしゃべれない感じがする」と答えていた。確かにそうだ。そもそも“恋する原発”なんていうタイトルだって、今のご時勢、聞いただけで目くじらを立てるような人が大勢いるだろう。そういう意味では、震災支援チャリティーAVの制作にかかわる物語なんて、単なる「おふざけ」としてしか読めないかもしれない。対して「震災文学論」のパートは何処に出しても「不謹慎」ではない優れた文学論だ。
では、この「不謹慎」な「おふざけ」小説が、「震災文学論」の文脈に基づいて書かれたものであるならば、その意味合いはどういうものになってくるのだろう?

高橋源一郎はこんなことも言っている。

 「いま「正しさ」への同調性が、かつてないほど大きくなっています」
 「「正しい」という理由で、なにかをするべきではありません」

今、巷にはタブー視される言葉がある。たとえば、今「震災も原発も私には関係ない」とはとても言えないだろう。なんでもかんでもチャリティーだの、一部を義捐金にだのと言ってしまうのは、そんな後ろめたさの表れなのではないか。僕なんかだってそう感じるんだから、表現者はなおさらだろう。

だが、氏は敢然とこう語るのだ。

「身を守るためには黙るしかない。でも、作家はそれをやっちゃお終いなんだ」

「頑張ろう日本」というスローガンにすべてが飲み込まれ、ある種の言葉が使い難くなっている今のような雰囲気は、正直言ってものすごく気持ちが悪い。翻って、80年代のあの平和な時代に、あれほど反原発だのなんだのと歌ったりしていた人が、事が起こった今になって黙っているってのは、何なんだろうとも思ってしまう。ヒョウゲンシャとして末永く飯を食っていくためには、震災にも原発にもかかわらないでいるほうが好ましいってことなんだろう。わかりますよ。あなた方だって家族がいるんでしょうから…。
そんな中、あえてこんな「不謹慎」な内容で読者を引きつり笑いさせる高橋源一郎の態度は、まるで戦争時のようなこの国の空気に対して、「本当に正しいこととは何か?」を突きつけているのではないだろうか、と僕は思った。

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コメント

この小説は未読ですが「正しいことしか言えない」息苦しさ、
ボクも感じます。あるネット上の場所で
「東電は当然補償をチャンとすべきだけど潰せは言過ぎでは?」
と書いたら非難轟々でした。(苦笑)
(貴方は間違ってる!福島の人の苦しみを考えたのか?等々)
ボクはそう思った、それを書いた。それだけで会ったことも無い
知らない人からこんな非難を受けなくちゃイケナイのか?と
戸惑いました。以来「原発関係」を書くのは控えてます(笑

例えば今「原発推進」なんて言ったら相当な非難を受けます。
でも、原発推進者ももっと思う所を語るべきと思います。
そしてボク等は彼等の言い分を冷静に聞き考えるべきです。
その上で反原発者と原発推進者が「冷静に」意見交換し
合意を図って協力して良くする。
それが原発問題の解決の一番の早道の様な気がするんですが。
まぁ非難が怖くて「黙っている」んでしょうけど・・・。
反原発者は非難し政府や電力会社は聞かぬフリして黙り込む。
それじゃ何も変わらないし良くならない。
オープンな場で話し合って口論して決めようぜ。そう思います。

ロックミュージシャンも別に反原発ソングを歌う必要は無い。
「テーマが重過ぎて歌えない」「別に歌いたいことがある」
「非難するより励ましたい」色々な理由があるんでしょう。
みんな好きに歌えばイイ。
斉藤和義は素晴らしいけど皆が同じになる、必要はない。
例えば佐野元春は過去1回だけ反原発ソングを歌ってるけど
今、ボクはあれを歌って欲しいとは思わない。

正しいことは素晴らしい。でも皆が一緒に一斉に
「正しいこと」を言い出すのは気味が悪い、怖い。
だからHAGAさんのこういう冷静な意見を読むとホッとします。

投稿: ながわ | 2011年12月 4日 (日) 22時44分

◆ながわさん
原発問題に限らず、僕は一方向に極端に振り切れた意見を大声で言いまくることは危険だと思っています。その結果として“大部分は賛成できないけど、一部にとても重要な示唆が含まれている意見”が見過ごされてしまう危険だってあるでしょうし、それは双方にとっていい結果にならないんじゃないでしょうか?

>ロックミュージシャンも別に反原発ソングを歌う必要は無い。

そのとおりだと思います。
っていうか、テーマが重過ぎて歌えないと思ったら、テーマが重過ぎて歌えないってことをテーマに歌えばいいと思うんですよ、僕は
(笑)。
歌にタブーなんかないんです。それでどう思われようといいじゃないですか。正しいことなんか言う必要はない。みんな言いたいことを言えばいい。黙り込んじゃうのが一番良くないと僕は思います。

投稿: Y.HAGA | 2011年12月 5日 (月) 10時25分

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