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2012年1月

2012年1月29日 (日)

地獄の苦しみ - 2度目のフルマラソン

今年初、そして自分にとっては2度目となるフルマラソンを走ってきた。
今回エントリーしたレースは、千葉県の房総半島で行われる「館山若潮マラソン」だ。東京からはちょっと遠い地で行われる大会だが、過去の写真を見たところでは、菜の花なんかも咲いていてなんだか暖かそうな雰囲気。潮風を受けながら海沿いの道を走るのはきっと気持ちいいだろうなあ~。そう思って軽い気持ちで申し込んだのだが、いやあ~甘かった!真冬の寒さとアップダウンの激しいタフなコースに翻弄され、とんでもなく過酷なレースになってしまった。
なんとか完走はしたものの、タイムは昨年11月のつくばマラソンより11分も遅い4時間17分。身体には相当のダメージが残り、ゴール後は足を引き摺りながら帰路に着く有り様だった。

この日は朝からどんよりとした雲が空を覆う真冬の天気。房総半島の突端にある館山は、まるで地の果てに来たような感じだった。寒い。ものすごく寒い!走る前から、冷たい風が容赦なく体温を奪っていく。スタートは10:00だったんだけど、それを待っている時間がものすごく長く感じられた。だけど、こんな辺鄙な場所での大会にも、全国から1万人以上のランナーが集まってくるんだから驚く。うーん、世のランニングブームってのは凄いや…。まあ、オレもその一翼を担ってるわけだけど…(苦笑)。

マラソンは、寒い日でもTシャツで走るのが基本だ。走ってれば暑くなるし、上着を着てると走ってて邪魔になる。しかし、この日はあまりの寒さにジャージや薄いジャケットを羽織って走る人が多かった。もちろん僕もウィンドブレーカーを着て走ることに。
ここでひとつ失敗したのは、荷物の中から手袋を出すのを忘れてしまい、素手で走らなければならなくなったことだ。マラソン大会は大抵の場合、荷物預かりが準備されているんだけど、参加者が多い大会だと1回荷物を預けちゃうと再度探してもらうのはなかなか大変。係員の手を煩わせるのは気が引けるし、結局、ピックアップはあきらめ、かじかむ手に息を吹きかけながら走った。だけど、これも寒さで体力が奪われる大きな要因になってしまったと思う。箱根駅伝でランニングシャツに手袋を着けたランナーの姿でわかるように、手先は身体が温まっても最後まで冷えたままなのだ。

そんなこんなで、最初からテンション下がりっぱなしだったんだけど、意外にも走り始めはけっこう好調で脚が軽く感じられた。これはレース前の2週間、けっこう意識して休足日を作っていたせいだと思う。だが、ここで自分の力を過信してしまったのが後々響くことになった。
そもそも、最初僕はこのレースを来月の東京マラソンを見据えて、ロング走的な意味合いで考えていたのだ。自己ベストの更新なんかは考えず、無理のない範囲で余力を残して走り切るつもりだった。だが調子の良さについ色気が出てしまい、知らず知らずにペースがアガってしまっていた。気が付いたら、15キロあたりは1キロあたり5分30秒台で走っていた。
ところが、このコースは予想以上にアップダウンが激しかったのだ。急な坂はないもの、次々に傾斜が現れ、平坦な場所の方が少ないぐらい。そのせいか、20キロあたりから右脚に違和感を感じるようになってきた。膝の内側が鈍く傷みだしたのだ。実はここは前々から自分のウィークポイント。長い距離を走ると痛みを覚えることがたびたびあったのだが、まさか20キロでくるとは…。まだゴールまで半分も残ってるじゃないか!
たぶん、激しい上下動のおかげでふだんより早く脚が消耗してしまったんだろう。上り坂より、下りがキツイ。とにかく膝が痛くて、とても5分台のペースじゃ走れない…。

25キロ過ぎからは、地獄の苦しみだった。痛みを騙し騙し走り続けたが、ペースはずるずると落ちていき、1キロ6分30秒台まで急降下。これはふだんのジョギングペースよりも遅いぐらいだ。ふと周りを見ると、苦しいのは僕だけじゃないみたいで、みんな軒並みペースが落ち、とぼとぼと歩いていたり、道端でストレッチをしたりするランナーが続出していた。自分も、とにかく歩かないことだけを考えてゴールをめざす。
そんな苦しい中で力づけられたのは、地元の人たちの暖かい声援だ。おじいちゃん、おばあちゃんが「がんばれー!」と声をかけてくれる。大会役員ではなく、私設エイドとして庭先で食べ物や水を用意してくれている人たちがいる。赤いほっぺの少年たちが、無邪気な笑顔でハイタッチを求めてくる。オレはこういうのに弱い。ものすごく弱い。名も知らぬ僕なんかの為に、どうしてこの人たちはこんなにも優しくできるのだろう…。後半はもうほとんど泣きそうになりながら走った。

35キロからの7キロは、本当に本当に本当に長かった。ふと海に目をやると、房総の海はとても綺麗だった。暖かい春の日に来れば“ひねもすのたり”で、きっとのどかなんだろうなあ…。でも、今は乾いた冷たい風を容赦なくランナー達に叩きつけてくる、鬼のような様相だ。

スタートしてから4時間17分。這うようにしてなんとかゴールに辿りついた。もう、体力、気力ともに限界。ものを言う力すら残ってなかった。とにかく終わった…。帰りの高速バスの中、僕は死んだように眠りこけてしまった。

今回のレースはいろんなことを教えてくれたと思う。
ひと言で言うと、たかだか1回ぐらいフルマラソンを走ったぐらいで調子に乗るな!ってことだな(苦笑)。同じ42.195キロでも、館山はつくばマラソンの走り易さとは雲泥の差。今回のタフさに比べれば、つくばなんてトラックで走ってるようなもんだ(笑)。マラソンはコースによって難易度に大きな差がある。やっぱり、事前にコースの状態をきちんと頭に入れておくべきだった。あらかじめコースのタフネスぶりがわかっていれば、もう少しうまく対応できたかもしれない。
それから、自分の決めたペースを守ることはやっぱり大事。たとえ調子が良くても中盤でぶっ飛ばしたりせず、キロ5分50秒をひたすらキープしていれば、これほど辛いレースにはならなかったかもしれない。レースにむかう自分のモチベーションも中途半端だった。最初からサブ4を狙っていくのか、東京マラソンへの繋ぎなのか、そこをもっとはっきりさせておけばレース中に迷うことはなかったと思うのだ。

でも、死ぬほど辛い思いをしても、やっぱりマラソンは面白い。だって、これほどの苦しみ、痛みを手軽に(?)感じることって他にそうそうないだろ?ボクシングやレスリング、そしてマラソンのように、チームスポーツより孤独と向き合う競技に快感を覚える人種がいる。僕がまさにそうで、マラソンをやるようになってますます自身のM体質を自覚するようになった(笑)。マラソンは走り続けるのも、脚を止めるのもすべて自分次第なのだ。その緊張感と、やり遂げた後の達成感がたまらない。
これはライブなんかに行って感じる快感とは180℃違う。ライブの観客として感じる快感ってのは、あくまでも受け身だと思うのだ。観客はプレイするミュージシャンの波動を受け止める側。それに対し、マラソンの快感ってのは、プレイするミュージシャン側の方に近いのではないかと思う。自分で波動を起こし、より能動的で生々しい。どっちがいいとか悪いとかという話ではなく、僕の中ではそういうことなのだ。自分で波動を起こして弛んだ自分に渇を入れる。今の僕にはそれがとても大事なことなのだ。

来月は東京マラソンを走る。まあ、館山を経験してるんだから、これより苦しいことはないんじゃないかと思うんだけど甘いかなあ?石原さんは雨男だからなあ。当日は大雪だったりして…(苦笑)。でも、どんな状況になろうと、いつでも42.195キロを走れる男になっていたいと強く思う。たとえ地震で帰宅困難になったって、淡々と走って家族を守れるぐらいになりたいもんです。人間、極限状態になったら頼れるのは体力だもんね。
な~んて言いつつ、今日はちょっとスポーツマッサージに行って身体をほぐしてきますわ。ちょっと使い物にならないぐらい酷い筋肉痛なんで…(苦笑)。

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2012年1月28日 (土)

【映画】ヒミズ ( 園子温監督作品)

Himizu2

きっと時間が解決してくれると思っていた。去年の秋ごろはけっこういい感じで復活してきていた。でもこのところまた震災不感症が発病し始めている。3.11以降、僕の中では、音楽や映画、小説などの表現がどうにも素直に受け止められなくなっているのだ。あの日を境に、僕の中の何かが変わってしまった。冷めている。どうしようもなく醒めているのだ。
今はなんだかライブに行くのも気が重い状態。ライブが始まるのを待っている時の弛緩した空気がたまらなく嫌だし、ライブ会場に流れる約束事がものすごくもどかしい。なんだか、ヘラヘラしてるやつらの顔を見てるとぶん殴りたくなってくる(しませんけど…)。たぶん、今後僕はライブに足を運ぶ回数は激減するだろう。
でも、そう思ってるのは僕だけではないんだと思う。ある雑誌で高橋源一郎と斎藤美奈子が2011年のブック・オブ・ザ・イヤーを決める対談をやっていたんだけど、そこで2人は、総ての表現が3.11以前と以降に分断されてしまい、ベストを決めるのにすごく苦労したという趣旨の発言をしていた。

語弊があることを承知で書く。東日本大震災と原発事故は、同じ災害でも阪神・淡路大震災とはまったく違うニュアンスを感じる。それがなんなのか、今はうまく言葉に表せないが、こと原発事故に関しては、これまで日本が見ないふりをしてきた邪悪な構造が白日のもとに曝け出されてしまった。そのあまりにも重い事実の前に、僕はただただ立ち竦むことしかできないでいるのだ。
これまで、「戦後の終わり」という言葉を何度か聞いた。でも、この事故は本当の意味で戦後を終わらせたのではないか。そして、高度経済成長というこの国の発展の歴史が、実はハリボテのようなものであったということも見せ付けたのではないか。

でも、僕は諦めない。表現者の力をまだ信じている。圧倒的な事実の前で、それと対抗できるだけの表現が必ず生まれる。そう思っているし、そう思わないとこの先音楽も映画も観ていられなくなってしまうではないか。

で、園子温監督の「ヒミズ」だ。暴力描写たっぷりの重く暗い映画。普通に生きたいと願う中学生が汚い大人の象徴のような、クズに等しい両親に翻弄され、その未来を閉ざされていく。そこに園子温は震災によって未来を奪われた人たちの心象風景をリンクさせてきた。
現実の被災地という、圧倒的にリアルな現場でのロケーション。悲劇の現場での演技は、ともすれば不謹慎、話題づくりとのそしりを受けかねなかったはず。事実、この映画に関してそういう評価を下す人も多いと聞くし、原作を知っている人からは“原作のあるものを、わざわざを震災と絡めて失敗している”と批判されてもいるそうだ。

にもかかわらず、僕はこの映画に心を震わせた。それは、園子温という男が3.11を通過し、表現者として様々に思い惑った残り香が強烈に漂っているのを感じたからだ。原作があろうとなかろうと関係ない。これは明らかに3.11後の世界に思いを寄せ、その現場を見た表現者が沸きあがる衝動を抑えきれずに作った表現なのだ。
東北ロケに関しては、3.11以前に立てられた企画の段階で既に予定されていたという。当然、その頃は震災のことなんて誰も予想していない。だから3.11が起こった時、当然のことながら中止を主張する声が多かったと聞く。しかし、園子温は瓦礫だらけの現場に行ってみて、圧倒的な悲劇を前に何かを思い、湧き上がる感情を抑え切れなくなったのだ。そのリアルな衝動に僕は共鳴する。
確かに、気持ちが走りすぎて、物語が破綻している部分があることは否めない。僕は原作を読んでいないが、原作とはまったく違う映画になっていると言う人の意見もたぶん当たっているのだろう。

だが、それでもいい。わかる人にはわかる。それでいいではないか。日本政府の原発事故収束宣言の捉え方が人によってまちまちなように、3.11後の表現も100%の共感を持って迎えられるようなことは、もはやないのではないか。
この映画では、登場する誰もが、大人も子どもも、男も女も、理不尽と思えるほど酷い有り様で暴力を受ける。顔を殴られ、蹴飛ばされ、血反吐を吐いてへたり込む。でも、僕にはこの描写が快感だった。不謹慎と思われてしまうが、この痛さがどうしようもなくリアルだった。できることなら俺も誰かを殴りたい。そして、口もきけないほど殴られたい。そんな衝動に駆られた。

そういえば、登場してくる女子中学生は、こんなことを言ってたっけ。

人生にケチのついた人間は嫌でも価値観を変えざるを得ない。これはもうほとんど義務だよ。

この台詞、実は今の日本そのものに向けられているのではないのか。

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2012年1月 7日 (土)

賭け

おかしい。文部科学省が発表しているデータによると、昨日ぐらいから福島と北関東のセシウム降下量が急上昇しているのだ。これは事故直後、4月ごろと同じぐらいのレベル。明らかに異常だ。

なぜ、こういうことを大手マスコミは報道しないのだろう?
今年の年末年始はいつにも増して違和感が湧き上がる日々だった。テレビをつける。予定調和の紅白歌合戦。相変わらずのお笑いや物真似。ただ長いだけの特番やドラマ…。あれだけの事故が起こったのに、まして第一原発は全然収束なんかしていないのに、このお気楽ぶりは一体なんなんだろう…。せめて一局ぐらいは現在のフクイチの様子を報せてくれてもいいんじゃないのか?
テレビが嫌になってネットを見てみる。飛び込んでくるのは、いつもの年の瀬と変わらない書き込みの数々だ。行ったライブの本数。買ったCDの私的ランキング…。悪いけど全く頭に入らない。残ったのはむかつくような違和感だけ。
新年早々こんなことを書きたくはなかったのだけれど、この国は一刻も早く福島を過去のものにしたいみたいだ。

年末年始、子供を連れて福島に里帰りできなかった僕は、正月に両親を東京に呼んだ。年老いた両親の目に、東京の日常がどう見えたかはわからない。ただ、もしかしたら自分たちが生きているうちに、もう孫を福島に迎えることはできないと思っていたのではないかと思う。辛くてそんなことを話す気にはなれなかったけど…。

なぜ福島県民は福島から逃げないのか、と言う人がいる。僕自身、なぜ両親を東京に呼ばないのかと聞かれることもある。
じゃあ言いたい。あなた方は今のような北関東の異常な数値が続けば東京から出るのかと…。

それにしても、異常な数値の原因はいったい何なんだろう?前々から言われているように、一番危ないといわれていた4号機で何かが起こったのだろうか?年末年始に福島を震源にした地震が複数回起きたことが、今ひどく気になっている。
この異常なセシウム降下物について、文科省は昨日の夜遅く、「土日は公表せず」と発表した。その理由は「値が変わっていないから」だそうだ。これまでは値が変わってなくても記述があったのに…。
こういう国に僕らは住んでいるのだ。今、東日本に住んでいることは一つの“賭け”なのかもしれない。

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