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2012年3月

2012年3月27日 (火)

「スティーヴン・タイラー自伝」 / スティーヴン・タイラー(著)

Photo「スティーヴン・タイラー自伝」、ようやく読み終わりました。
いやあ~疲れた…。読み始めたときもちょっと書きましたけど、ものすごく読み辛いです、これ(苦笑)。はっきり言って、エアロスミスの熱心なファン以外には、あまりオススメできません。

スティーヴン・タイラーって、普段のインタビューでも何を言ってるのかわからないような人なんだけど、この本でもそんなスティーヴン・ワールドが全開だ。話はあちこち飛ぶわ、造語は飛び出すわ…。出てくる人名や喩え話も日本人にはよくわからん。これはもう、訳した人に拍手ですな。よくぞここまで日本語にできたもんだ(笑)。
子供時代の事なんかはかなり詳しく書かれてるんで、このまま時間を追って半生が語られるのかと思いきや、それはバンドがデビューするまでだった。その後はツアーの混乱ぶりや、バンド内での軋轢、グルーピーと奥さんとのゴタゴタなんかが時系列も無視して赤裸々に語られる。

そして、ページの大半を覆うドラッグの話…。なんか、読んでてオレは薬剤師のような気分になってしまいました(苦笑)。まあ、100%クリーンだとは思ってなかったけど、スティーヴンもさすがにもう若くないんだし、これでは心配になってくる。もしかしたらデビュー後の記述があちこち飛ぶのは、スティーヴン自身がぶっ飛んじゃってて、良く憶えてないってのもあるんじゃないだろうか?

それにしても、バンドの運営ってのはつくづく難しいんだなあ…。僕なんかは、エアロスミスっていろんな噂があったけど、90年代の大復活以降はとりあえず基本的には順風満帆な状態なんだと思っていた。ところが、内情はかなり綱渡りなのだ。メンバーは全然一枚岩ではないし、ここ最近のアルバムなんかかなりギリギリの状態で作っている。記憶に新しいスティーヴンの解雇騒動だって、どうせマスコミのでっちあげかと思ってたんだけど、どうもほんとの話だったみたいだ。うーん…。
噂では、現在ジョー・ペリーも自伝を執筆中なんだとか。同じ事件でも、それぞれにスティーヴン側の見方、ジョー側の見方ってのがあるわけで、その辺を蒸し返しちゃうとまた揉めないか心配なんだけど…。

長年のステージでの酷使で、脚がかなり悪いとスティーヴン自らが認めていることもショック。身体はボロボロだし、メンバーとはいつも揉めるし、取り巻きにも狸みたいな連中がたくさんいるし…。はっきり言って、これを読むとスティーヴンがあまり幸せそうに思えなくなってくるのが辛い。
それでも彼は、そんな自分を笑い飛ばし、リハビリに入ってつかの間のクリーン状態を取り戻し、悪友たちとスタジオに入ってツアーに出ることを繰り返してるんだよね。

「人生は短い。規則は守るな。許しは速やかに。キスはゆっくりと。愛はマジメに。笑いは我慢するな。最後に微笑むことができればそれでいい」

深い。深いよ、この言葉は…。ロックスターであり続けるってことは、命を削りながら生きていくこととイコールなのかもしれない。

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2012年3月25日 (日)

【HOBO CONNECTION 2012 at下北沢】 / 3月25日(日)下北沢ラ.カーニャ

【HOBO CONNECTION 2012 at下北沢】
3月25日(日)下北沢ラ.カーニャ
出演:リクオ/福島康之(バンバンバザール)/六角精児/広沢タダシ/三代目魚武濱田成夫
開場18:30 開演19:00

HOBO CONNECTION 2012は、2010年に行われたイベント「Hobo Connection」の第2弾だ。Hobo Connectionはリクオのデビュー20周年を記念し、大阪、東京、福岡、名古屋で37人のミュージシャンとコラボ演奏を行うものだったのだが、これが今年CD+DVDでリリースされることになった。それに併せてHOBO CONNECTIONの2012年版が行われることになったのだ。
この日はその2日目。7時ちょっとすぎに始まったライブは、終わったのが10時半近く。間の休憩時間を抜いてもたっぷり3時間。でも、まったく飽きなかったなあ…。居心地のいいラ.カーニャの空気に包まれ、いい音楽をお腹いっぱい味わった満足感で身も心もいっぱいになった。

この日、リクオと共演したホーボー・ミュージシャンは、アナウンスされていた4人に加え、バンバンバザールのベース・黒川修、チェロの橋本修が飛び入り。ステージには上がらなかったけど、客席にはウルフルケイスケの姿もあった。出演者には、これまで僕がライブ体験した人もそうでない人もいたけれど、ライブを楽しむのにそんなことは関係なかった。日本における“ホーボー・ミュージック”の数々を、まるで組曲みたいに楽しめた夜だった。

三代目魚武濱田成夫を観るのは何度目だろう?MCで“朗読する時は朗読だけ。歌う時は唄うだけ”って言ってたけど、今日の彼は完全に歌モード。リクオの持ち歌「グレイハウンドバス」にはじまり、まるでトム・ウエイツみたいなダミ声を聞かせてくれた。オレ、この人に対しては、見方が以前とはだいぶ変わったなあ…。はっきり言って、前は彼のやってることがまったくわかんなかった(苦笑)。でも、今ならわかるぞ。彼の吐くコトバの裏にあるぶっきらぼうな優しさが…。この夜は、リクオのピアノにのって叫ぶように唄う彼の真っ直ぐさに、なんだかじーんとしてしまった。

広沢タダシはたぶん初見。すごく素敵なシンガーソングライターだ。ギターの弾き語りスタイルだとフォーク系かと思いきや、ちょっとブラジリアンなテイストでとてもリズミック。色彩感のあるギタリストだなあ…。

六角精児は驚き。この人、「相棒」の鑑識係をやってる例の俳優さんだ。なんでも、高校時代からラ.カーニャに通いつめていた音楽少年だったそうな。緊張気味だったというけれど、歌声を聴いてびっくり。高田渡の声・唄い方にそっくりだ!六角さん、そうとう渡さんを聴き込んだんだろうなあ…。

バンバンバザールの2人はさすが。自分たちの曲をやる時も、共演者のバックに入る時も、ほんとうにこれ以上ないぐらい歌に寄り添った演奏を聞かせてくれる。この夜の「君とコーヒー」は素敵だった。間奏で「梅田からナンバまで」をはじめとする先輩たちの名曲を散りばめ、さりげなく自分たちの立っている場所を教えてくれる。巧い!
それから、思いがけなくCHABOのカバー「ティーンエイジャー」がはじまった時はぐっときてしまった。まさか今夜これが聞けるとは…。しかも今日はリクオのピアノ付きだ。こういうのに46の男は弱いのだ…(苦笑)。

橋本歩ちゃんも相変わらず。バンバンと一緒の演奏では、まるでラグタイム・バンドでのフィドル奏者のようだった。実は彼女、ライブ前からリクオたちと客席にいたんだけど、大きな黒ぶちメガネをかけてたんで(コンタクトレンズを忘れたって言ってた(笑))、最初は全然彼女だとは気がつかなかったんだ。

この日のイベントにはたくさんの出演者がいたけれど、最初に書いたとおり、演奏された曲を誰が歌ったとか、自分がその人のファンかどうかなんてまったく関係なく楽しめるものだった。
早くから会場を待っていた人の話では、だいぶ長くリハーサルをやっていたというが、たぶんリクオと各出演者との間では、そんなに綿密な打ち合わせはなかったんじゃないのかなあ?百戦錬磨のつわものばかりのステージでは、細かい決まりごとや事前の段取りがないほうが、かえってのびのびふるまえるものなのかもしれない。加えて数々のミュージシャンが出演したラ.カーニャのなんともいえない居心地のよさ。そういったものがすべてに良い方向に向いていたと思う。ミュージシャン・観客が一体となり、最高に居心地のいいライブ空間が作り出されていた。
こんな場に身を置いているとつくづく思う。音楽はジャンルじゃないと…。結局は人なんだよな。その人らしさ、その人の持つ人間臭さがにじみ出た音楽に僕らは惹かれるんだと思う。

そして、リクオというミュージシャンには、そういう人たちを惹きつける魅力が確かにある。最近のリクオを見ていてつくづく思うのは、いい意味での円熟ぶりだ。もしかしたら、ミュージシャンにとっては、“円熟”という言葉を使われるのはあまり嬉しくないのかもしれないけど、今のリクオには、やっぱり円熟というコトバを使いたくなってしまうのだ。
HOBO CONNECTIONにあたって、リクオはキャリアを積み重ねる中で自分に求められるものが少しずつ変化してきているのを感じていると言っていた。そして、イベントの中での自分は「橋渡し」あるいは「媒体」としての役割を意識しているとも…。これは最近のリクオのライブを見ていて、僕自身もなんとなく感じていたことだった。もともとリクオは他者との共演が多いミュージシャンではあるのだが、以前のそれとは明らかに違うスタンスがHobo Connectionや最近の「海さくら」なんかからは感じられる。
ひと言で言っちゃうと、今のリクオがやっているコラボは“単なる共演”ではないのだ。その場にいない人たちの歌まで聞こえてきて、僕たちのはるかな旅路が浮き上がってくるライブ。この夜、僕たちは西岡恭蔵、高田渡、友部正人、有山じゅんじ、下田逸郎たちの姿を見た。リクオ自身がホーボー・ミュージシャンと呼ぶ人たちの系譜だ。僕らの生まれるずっと前から歌われてきたホーボー・ミュージックの道程に自分もいるということを、彼は誰よりも深く強く自覚しているんだと思う。

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2012年3月24日 (土)

記録証、届く

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東京マラソンの記録証が届きました。
公式タイムは4時間17分56秒。ネットタイム(実際に自分がスタートしてからゴールまで)は4時間16分01秒。速報で知らされたタイムと全く同じ。もしかして時計が壊れてて実際はもっと早いタイムだったりして…な~んて甘い期待は見事にかなわず(苦笑)。計測チップの正確さに感心させられる結果と相成りました。

普段はブログに自分の写真なんか載せないけど、今回は記念に何枚か。
それにしても、あれほど苦しかったのに、カメラを向けられるとほんとに嬉しそうにしてんなあ、オレ…(苦笑)。

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2012年3月21日 (水)

ブラック・アンド・ホワイト・アメリカ / レニー・クラヴィッツ

Bw これは去年の秋に出たアルバムなんだけど、いまだに良く聴いている。レニー・クラヴィッツはデビューした時から大好きなんだけど、これは全キャリアの中でも3本の指に入る傑作なんじゃないだろうか?

レニー・クラヴィッツは1964年生まれだから、歳は僕と1つしか違わない。だからというわけでもないんだけど、この人の音楽嗜好にはとても共感できるものを感じるのだ。ひと言で言っちゃうと、この人は“黒人のロックおたく”(笑)。1stアルバムをはじめて聴いた時は、メロディーといいサウンドといい、まるで「ジョンの魂」みたいだと思ったことを憶えている。デジタル全盛だった90年代において、そのオールドなサウンドは驚きだった。その後、いろんなバンドがわざとローファイな音で録ったアルバムを出すようになったけど、そのきっかけとしてレニーの1stアルバムの影響はとても大きいように思う。あれで、“あ、デジタルな時代でもこんなことやっちゃっていいんだ!”と誰もが気付いたんじゃないのかなあ?
余談だけど、斉藤和義がアルバムで一人多重録音をやりはじめた時も、初期のレニーのアルバムは良いお手本になったに違いない。

それと、僕がこの人を見てて面白いと思うのは、ブラック・ミュージックとの距離のとり方だ。まあ、彼自身が黒人だから、どんな音楽をやろうとブラック・ミュージックっちゃあブラック・ミュージックなんだけど、そのスタンスは、一昔前の黒人ミュージシャンとは明らかに違うと感じる。
たとえば、レニーを21世紀のジミ・ヘンドリックスと言う人がいるけれど、ジミヘンと比べればレニーの音はかなり白っぽいと僕は思う。特にブルース的なタッチはほとんど感じられない。それは彼が青春時代を送った80年代は、ジミヘンが活躍した時代と比べれば、黒人の社会的地位がかなり向上したからなんじゃないだろうか?黒人社会と白人社会が完全に分断されていた時代は、ラジオでかかる音楽も黒人専用局と白人専用曲では違っていたというが、レニーの頃はそんな偏見はなくなっていたはず。たぶんレニーの世代の黒人の若者は、ジェームス・ブラウンみたいな自分のルーツ・ミュージックと、レッド・ツェッペリンやエアロスミスみたいな白人の奏でるロックを同時並行で聴いて育ったんだと思う。
そういう音楽の聴き方は、環境の違いこそあれ、極東で洋楽に目覚めていた僕らの聴き方と、偶然にもなんとなく似ているように思う。レニー・クラヴィッツの3枚目のアルバムあたりまでの異常な聴き易さは、このあたりに理由があるんじゃないかなあ、と僕は思っている。

ただ、3枚目までがあまりにも凄すぎて、正直言って最近のレニーはちょっとイマイチだと感じていたことも確かだ。よくよく聞くといい曲もあるんだけど、アルバム一枚通すとやたら暗かったり散漫だったり…。器用な人だから、そこそこのモノは作り続けているんだけど、デビュー時を知っている者としては、な~んか地味になっちゃったなあってのが最近の印象だった。

ところが、これはどうだ!アルバムタイトルからして、自分の立ち位置をもう一度確認するような覚悟を感じるし、収められた曲もそこそこどころか、がっぷり四つに組んでエイヤ!と力ワザでこしらえたようなモノばかりだ。最近のPVを見ると髪まで短くしちゃってて、レニー、まるでアスリートみたいになっちゃってるぞ(笑)。なんか、気合の入り方がここ2,3作とは全然違う。このアルバムからレコード会社を移籍したらしいけど、環境を変えたのが良かったのかなあ?

とにかく、このアルバムは曲がいい。今までもいい曲はいっぱいあったけど、よくよく考えてみると、この人の曲はレッド・ツェッペリンを髣髴させるようなリフが印象的なハードロックか、フィラデルフィアソウルを今風にブレンドしたR&Bかに分断されてるようなタッチがあった。それが、このアルバムでは一曲の中に両方の要素が巧く溶け合い、レニーにしかできない独特のものになっていると思う。
サウンドヘのこだわりも相変わらず。ヴィンテージなサウンドをデジタルに響かせるワザの使い手として、この人の右に出る者はいないだろう。ギターソロなんかロックファンなら絶対聞き流せない、こだわりの仕上がりになっていて、さすがロックおたくのやることは違うぜ!(笑)
とにかく、これは捨て曲無しの最強アルバム。全部通して聴くと、また最初から聴き直したくなるアルバムなんて、21世紀に入ってからはなかなかないと思う。

なんとレニーさん、4月には14年ぶりに来日公演までやってしまうのだ!Youtubeで検索したら最近のレニーのライブが出てきた。ライブの音は、アルバムとはまた違ったハイパーなサウンド。特に、今回のツアーから加わった女性ベーシストはタダ者ではない!
会場は東京ドームシティホール。あんな小さな会場でこんなド迫力サウンドが聴けるなんて、もう楽しみで楽しみでしょうがない!早く来い来い、レニーちゃん!(笑)

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2012年3月18日 (日)

瀕死の双六問屋 完全版 / 忌野清志郎

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この本に書かれているエッセイは、もともとは90年代後半に雑誌TV Bros.に連載されていたもの。2000年にCD付きで単行本化されたのだが、それは数年で絶版になってしまう。その後、清志郎の病気療養後の復活に併せて2007年に文庫化されたんだけど、そこにはCDが付いておらず、今年の2月になってやっとCD付きで単行本が再版されることになった。表紙も漫画家の浦澤直樹が書き直し、これまで未収録だった原稿が10篇以上も挿入されたから、前のバージョンを持っている人でも購入する価値は十分あるんじゃないかな。これが文字通りの完全版。僕はほんとは一番最初の単行本の表紙が一番好きなんだけどね…。

清志郎関連の書籍はたくさんある。だけど、僕にとって「双六問屋」は、「ロックで独立する方法」と共に、他とは一線を画すものだ。それは、ここでの清志郎はかなり本音に近い思いを吐露しているように感じられるから。いつものようにユーモアと比喩でオブラートに包んではいるが、社会の不条理と業界の理不尽さに対してかなりストレートに毒を吐いているように感じる。
こうなったのは、清志郎自身があとがきで暴露しているとおりだ。ぶっちゃけた話、他の本はゴーストライターやインタビューおこしで書かれたものがほとんどなのだが、「双六問屋」に関しては、すべて清志郎が自分で書いたと発言している。要するに、ここに書かれた文章は当時の清志郎の頭の中そのものなのだ。

完全版が出たのに際し、数年ぶりにまた読み返してみたのだが、読んだ当初のインパクトは全く色褪せてなかった。君が代、憲法、自殺問題、アルバム発禁、音楽業界の馬鹿さ加減…。一見とっちらかって見えるテーマの文章は、読み進むうちに不思議な整合性を持って頭の中を駆け回る。かつて清志郎は、この本を“サイケデリック・ノベル”とかなんとか言ってたけど、ほんとにそんな感じだ。
取り上げられる音楽も、R&Bのマスターピースから、当時売り出し中の若手まで幅広く、それをエッセイの中にネタとして仕込んであるってのもなかなか凄い。

解説の町田康も指摘してるんだけど、もう10年以上前に書かれたものなのに、今に至るこの国のぶざまな有り様を予言しているような部分もあちこちに見受けられる。
あれから僕らは立場に関係なく崖っぷちに追い込まれてしまった。四十一話にあるような、不寛容な態度、ユーモアの欠如は、いまや国全体を覆っている空気そのものではないか。
オレは夜中にこれを読んじゃって後悔したよ…。読んでると、なんだか清志郎に首根っこを掴まれてるような錯覚に陥るのだ。何やってんだろう、オレたちは…。頭の芯が冴え渡っちゃって眠れやしない(苦笑)。

まだ未読の人は是非どうぞ。
いまや「双六問屋」は「瀕死」だ。

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2012年3月11日 (日)

3時間44分56秒。

すげーっ!安田美沙子、ほんとにやっちまった!
名古屋女子マラソン、彼女は3時間44分56秒で帰ってきた。出走前に言っていた、3時間45分切りを見事果たしたわけだ。このタイムは、市民ランナーの間では“サブ3.5”(3時間50分を切ったこと)と呼ばれるもので、どこに出しても恥ずかしくない立派な記録。
いやあ~ほんとにすごい、この子は!あんなはんなりした女の子の何処にこれだけの根性が宿ってるんだろう…。

このレースは、トップランナーの走りも見応えがあった。
野口みずき、渋井陽子、尾崎好美、赤羽有子、加納由理、中里麗美…。ロンドンオリンピックへの切符をかけての激走は最終的に尾崎が制したが、僕は野口の走りに胸を打たれたなあ…。アテネオリンピックの金メダリストも、ここ最近は故障の連続だった。4年4か月ぶりの出走となったこのレース、彼女の胸にはいろんな想いが溢れてはちきれそうだったんだろう。時にペースメーカーの前に出てしまうほどの攻めの走り。中盤で失速するも、驚異的な追い上げでまた先頭集団に追い付くド根性を見せてくれた。あまりの暴走ぶりにハラハラしながら見ていたが、ついに35Km手前で力尽き、優勝争いから脱落した。

でも、今回のレースを動かしたのは間違いなく野口だ。東京マラソンでのゲブレシアシエもそうだったけど、先頭集団の後ろから様子を伺うような展開は、金メダリストとしてのプライドが許さなかったんだろう。チャンピオンとして序盤から堂々とトップを走り、仕掛け、壮絶に散った。感動したなあ…。野口、まだまだやれると思う。

尾崎に関しては、こういってはなんだけど、ちょっと無難にまとめすぎたような気がしないでもないなあ…。意地悪な見方をすると、彼女はこのレース、代表の切符を確実に手に入れるために、リスクを犯して総合優勝を狙うよりも、無理をせずに日本人一位でいいと思って走っていたような気がする。今回はそれでいいのかもしれない。でも、ロンドンではもっともっと攻めて欲しい。彼女の潜在能力はこんなものではないはずなんだから…。

いやあ~見応えあった。名古屋女子マラソン。この日、トップランナーと同じコースを走れた市民ランナーは幸せだと思う。オレが女子だったら絶対出てみたい、このレース(笑)。
聞くところによれば、道端ジェシカも走って、4時間30分台で完走したとか。初マラソンでこのタイムは立派。っていうか、まごまごしてると僕も抜かされちゃうぞ(苦笑)。
うーん、走る女は美しい…。

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2012年3月 9日 (金)

目標は安田美沙子!(笑)

どうも「東京マラソンを完走した」というインパクトは、僕が思ってた以上に大きいみたい。
職場でわざわざ他部署から話を聞きに来る人がいたり、うちの子供が学校でペラペラしゃべったもんだから(苦笑)、近所でも「東京マラソン、走ったんですって?」なんて声をかけられたりしている。

まあ悪い気分ではないし、話のネタになるから別にいいんだけど、正直言って僕のゴールタイム、4時間16分なんてのは全然大したことないのだ。ちょっと気合を入れて練習すれば、恐らくほとんどの人が達成できちゃうレベルだと思う。なので、大げさに“スゴイねえ!”なんて言われると、なんだかくすぐったい気持ちになってしまう。
それより、自分にとっては今シーズンがフルマラソンへの初チャレンジだったにもかかわらず、4ヶ月で3回フルを完走できる脚が作れたという事実の方がデカイ。次シーズンには、是が非でもサブ4(ゴールタイム4時間切り)を達成したいと思っているんだけど、その下地はできたと思ってるんだけどなあ…。

実は、サブ4を目指すようになって目標にしているタイムがある。
それは、タレントの安田美沙子が去年の湘南国際マラソンで出した3時間49分10秒という記録だ。正直言って、最近まで、安田美沙子なんて好きでもなんでもなかった。むしろ“あんな小娘に負けてられるか!”ぐらいの気持ちでいたぐらい(苦笑)。
でも、実際に自分で42.195キロを走ってみて、彼女がどれだけ努力したのか身を持って知ることになった。朝も夜もない多忙なタレント活動の合間を縫って、彼女は地道な練習を重ねてこのタイムを手にしたに違いない。そのド根性は素直にスゴイと思う。マジで尊敬しちゃいます。元々グラビア出身で、マラソンみたいな過酷な競技に飛び込む必要は全然ないっていうのに…。

安田美沙子は、今度の日曜日名古屋女子マラソンに出場する。目標は3時間45分だとか。頑張り屋の彼女なら、そのぐらいのタイムを出したって全然おかしくないと思う。ロンドン五輪の代表選考に関わるトップランナーの攻防も気がかりだけど、僕はこのレースで安田美沙子がどのぐらいのタイムで帰ってくるのか、とても楽しみなのだ。

っていうより、最近は彼女がテレビに出てるとなんだか気になって、気になって…(苦笑)。イイ子だよねえ、安田美沙子。可愛いよねえ、安田美沙子(笑)。いつか同じレースで走れたらなあ、なんておぢさんは妄想してしまうのであった(笑)。やべえ、本格的にファンになっちゃったかも…(苦笑)。

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2012年3月 8日 (木)

スティーヴン・タイラーの自伝を読んでるんですが…。

Photo 今、先月日本版が出たばかりのスティーヴン・タイラーの自伝を読んでるんですが…。

う~~~~ん…。
はっきり言って、めちゃめちゃ読みづらいっ!(苦笑)

話があちこち飛ぶわ、日本人にはわかりづらい比喩がバンバン出てくるわ、理解不能なアメリカン・ジョークが出てくるわ、読んでいて非常に疲れるのです(笑)。

ただ、このぶっ飛びぶりは如何にもスティーブンらしいと思う。ほんのさわりだけ読んでも、この本がゴーストライターの書き下ろしではなく、スティーヴン・タイラー自身がペンを執っているということがわかる。たぶん、比喩やジョークがストレートに頭に入ってくるアメリカ人にとっては、スティーヴンが目の前でざっくばらんに語ってるような気持ちになって楽しく読めるんだろうなあ…。

ただ、コテコテの日本人であるワタクシにはちと辛いぞっ!去年出たキースの自伝本は、有名なライターが間に入ってて異常に読み易かっただけに、この落差は激しい。

まあ、これがスティーヴンの頭の中なんだと思って頑張って読んでますが、早くも挫折しそうです(苦笑)。

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2012年3月 7日 (水)

【映画】ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

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ものすごくうるさくて、ありえないほど近い EXTREMELY LOUD AND INCREDIBLY CLOSE 2012/アメリカ
監督:スティーヴン・ダルドリー
原作:ジョナサン・サフラン・フォア

沁みたなあ…。この映画は、9.11後のある家族の姿を描いたものではあるんだけど、僕は巨大な悲劇に出会ってしまった人たちの喪失と再生の物語だと受け止めた。
主人公は一人の少年。9.11同時多発テロで大好きだった父親を亡くした少年オスカーは、悲劇の日から1年経って父の部屋から、“鍵”を見つける。そして彼は、鍵とそれが入っていた封筒に記されていた「BLACK」の文字に、いなくなってしまった父からのメッセージが託されていると考え、ニューヨークの街中を彷徨って“BLACK”という名前を持った人たちを一人ひとり訪ねる気の遠くなるような作業を続けていくのだ。

最初オスカーは、頭は切れるんだけど人との接触を拒む、ちょっとひねくれた少年として描かれていた。僕も最初は“可愛くねえガキだなあ…”なんて、あんまり感情移入できずにいたんだけど(苦笑)、映画が進むにつれ、父親と繋がる糸を手繰ろうと必死な姿にだんだん胸を打たれていった。
周りの人々の彼に対するさりげない愛情も素晴らしい。亡くなった父親はトム・ハンクスが演じていたんだけど、彼が生前オスカーにいろいろな謎解きを仕掛けていたのも、オスカーの人と付き合いたがらない性格を治そうとしていたからだということがだんだんわかってくる。
そして、言葉を話せない間借人のおじいちゃんが鍵を巡る冒険に付き合ってくれるようになった辺りから、オスカーは少しずつ変わり始めていくのだ。台詞を一切しゃべらない役を演じたマックス・フォン・シドーの演技のなんと素晴らしかったことか。訥々として、ちょっと悲しくて…。なんか、亡くなった自分の祖父を思い出したなあ。

映画は最後の最後にどんでん返しが待っていた。鍵の真相も、オスカーや観客の多くが望んでいたものとは違うものだったかも。人によっては、この結末をどうにもやりきれないと思うだろう。でも、僕はこれはハッピーエンドだと思いたいのだ。鍵の謎がどうであれ、オスカーはこの冒険を通して、かつて父親が願っていたような男の子への一歩を踏み出したに違いないのだから…。

この映画を通し、僕は9.11という悲劇がニューヨーカーに如何に深い悲しみをもたらしたのかを改めて知ったような気がした。鍵の謎を解くためにオスカーが会った人たちは、それぞれがそれぞれの場所で傷付いていた。そして、彼らはオスカーの訪問で、明らかに癒されていたのではないだろうか。
思い返せば、9.11が起きた時、遠く離れた日本ではテロリストへのアメリカ人の怒りが誇張された形で伝わったり、極端にパトリオットな方向に突っ走る人々の姿が報道されたりした。でも、大方の市井の人たちの胸のうちは、そんな荒ぶった感じではなかったと思うのだ。母親を演じるサンドラ・ブロックが、何故父親が理不尽な死を迎えなければならなかったのかと泣き喚く息子に向かって、“どうしようもなかったことなのよ…”と諭す場面があったが、人が圧倒的な悲しみに出会ってそれを乗り越えようとする時、当事者にとっては、怒りよりもまずなんとか心の平静を取り戻そうとするものなのかもしれないと思う。

もうひとつ、ここで描かれた親の子に対する愛の形にも深く心を動かされた。
うん、子を持つ人ならこの結末には感動せずにはいられないと思う。母親を演じるサンドラ・ブロックの演技は沁みたなあ…。いやあ~彼女、いつの間にこんな慈愛に満ちた演技のできる女優さんになったんだろう。本当に素晴らしかった。そして、ここではじめてこの映画の変わった邦題の意味にも気付かされることになるのである。
そして、トム・ハンクスの演じたオスカーの父親。2人の男の子の父親である僕に言わせれば、悲劇の死を迎えはしたけれど、死んだ後もこれだけ息子に愛されるなんて、彼はある意味幸せだと思う。まあ、それは生前ほんとうに息子を気にかけ、息子との貴重な時間をたくさん持っていたからなんだけどね。僕もこんな風に大きな器で子どもに接したいとは思っているんだけど、なかなかなあ…(苦笑)。

この映画、日本人にとっては、どうしたって3.11後の自分たちの姿を重ねないわけにはいかないだろう。冒頭にも書いたけど、僕もこの映画を9.11とは限定せず、巨大な悲劇に出会ってしまった人たちの喪失と再生の物語として受け止めた。
オスカーが願っていたものとは違う鍵の真実に出会っても成長の礎を見つけられたように、彼の冒険を通して母親も悲しみを乗り越えて息子との新しい一歩が踏み出せたように、オスカーの小さな冒険が多くの人たちの気持ちを癒したように、人はどんなに傷付いてももう一度やり直すことができるのだ。僕らは何度でも何度でも生まれ変われる。そんなことをこの映画は教えてくれてるんだと思う。

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2012年3月 6日 (火)

プチ故障?

東京マラソンが終わって1週間経ちましたが、ワタクシ、あれから一度も走ってません(苦笑)。次のレースが決まってるならそろそろ始動しなきゃなんですが、今のところそれは秋になりそうだし、とりあえず少し休もうと…。ダラダラしてます。夜更かししてます。泥酔してます。あー極楽!(笑)。

で、この機会に東京マラソンでも途中から痛みだした右膝の痛みをちゃんとケアしようと思う。
今は、普通に歩く分にはほとんど違和感はない。短い距離を走る分には問題ないと思う。だけど、階段を昇るときの一歩目とかで、ちょっと違和感があるんだよねえ…。一歩目じゃ歯車が噛み合ってない感じ。2歩目で一回膝がポキッとなるとようやく自然に動く感じ。なんか気持ち悪い(苦笑)。膝を内側にぐいーっとねじるようなストレッチをすると、奥の方に鈍痛を感じる。やっぱりムキズではないんだと思う。

定期的に通ってるスポーツマッサージのトレーナーさんの話や、自分でネットで調べてみて思うに、どうも軽い鷲足炎になりかかってるんではないだろうか…。脚の内側には股関節から伸びてる腱やら、腰の下から回り込んで骨に付いてる長い靭帯やらがあるらしいんですが、膝の屈伸運動が繰り返されると、これらがお互いに擦れ合って炎症を起こすのだとか。
そういえば、レース2日後にマッサージしてもらった時も、腰の下や股関節周りの筋肉が奥のほうでかなり張ってると指摘されたっけ。長い距離を走ると、この辺りの筋肉が硬くなってくるのが膝の痛みの原因ではないかと思う。

これを克服するのは、フォームを改善するのと、ストレッチで筋肉を柔らかくすることしかないらしい。
フォームでいえば、膝頭がちゃんと前を向くように走るのが脚には一番いいといわれる。でも、これがなかなか難しいんだよなあ…。人間って、普通立ってるとき軽く足が開いてる人が多いでしょ?だけど、それは脚が捩れてる状態だから、走るときそういう足のつき方をしてはダメらしいのだ。
僕の場合、走ってるときに上から見ると、足先が逆ハの字型になっている。これを意識して爪先をまっすぐにしないといけないんだけど、なかなか…。でも、これをやらないとまた膝の激痛に泣くことになるからなあ…。

今は普段歩くときも、一本の線の上を足を揃えて歩くようイメージしたり、電車の中で立つときも足の開きに気を付けたりしてます。変な人だと思われるかもしれませんが、走らなくてもいろいろできることがあるんで、小さなことからこつこつと続けていこうと思う。

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