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2012年6月20日 (水)

【本】絶望の国の幸福な若者たち / 古市憲寿(著)

Photo_2去年の秋に出版されて以来、この本はいろんなところで話題になってきた。それは、これまで若者論を扱ってきた本のほとんどが、とうに若者を卒業してしまった人によって書かれた、“おっさん目線”であったのに対し、著者の古市憲寿が1985年生まれの若者であることが大きいのではないかと思う。
そう、この本は若者世代ド真ん中である大学院生が、社会学の手法を用いて自らの属する世代に対して冷静に分析を試みたものなのだ。文化人が若者論を書いたものはあっても、こういう若い研究者による本は、これまでありそうでなかったように思う。

僕も、この本の広告文“格差社会のもと、その不幸が報じられる若者たち。だが統計によれば、20代の75%が現在の生活に満足している”というフレーズにピンときて読んでみようと思ったクチだ。
実は僕自身、普段から20代の若者と接する機会の多い仕事をしているのだけれど、自分が彼らに対して日ごろ感じていた印象も、この広告文とよく似ている。彼らはバブル期に青春を過ごした僕なんかの時代と比べると、様々な面で格段にシビアな状況の中で生きている。にもかかわらず、あまり不満を持っているようには見えないのだ。よくマスコミで、今の若者を「内向き」とか「草食系」と言っているのを見るけど、わからなくはないが、今の若者にはそういう一言では括りきれないタッチがあるのを感じる。

この本、すごく読みやすい。文体もおよそ東大大学院生が書いたものという感じではなく、まるでエッセイを読んでいるような感じ。だが、穏やかに見えつつ、著者の視点はなかなかにシニカルだ。そして、さまざまなデータを解析して浮かび上がってくる若者たちの実像は、世間で言われるそれとはだいぶ異なっている。そういった意味では、この本は著者も言うとおり「若者資料集・2011年度版」と言ってもいいと思う。

強引にまとめてしまえば、現代の若者は、おおむね今の生活に満足しているが、同時に将来に大きな不安を抱えながら生きている。そして今の若者の生活に対する満足度が高いのは、「今日よりも明日がよくならない」ことを確信しているからなのだ。
彼らは十分にわかっている。インフラや生活環境といった面で、現在の豊かさは過去最強であることを。ネット、ゲーム、携帯電話、コンビニ、ファーストフード、ファストファッション…。そういった便利で豊かなインフラを享受すれば、とりあえずの幸福感を得ることはできる。いまさらインターネットや携帯電話の存在しない世界には戻れない。そして、精神的には身近なところでの仲間や小さなコミュニティを大事にしていれば、とりあえずは安心していられるのだ。もし、現実場面でのコミュニケーションの構築が難しければ、SNSやフェイスブックなどのインフラを使って補てんすることもできてしまう。

著者はさらに言葉を重ねる。今の日本は、国中の人々が年齢に関係なく「若者化」しようとしており、今はその過渡期なのではないかと。うーん、そうかもしれない。特に、今の40代・50代の独身者の生活パターン、幸福感を感じるアイテムやコミュニティは、若者とそう大差がなくなっているように思う。
ただ、どんな若者もいつかは中高年になる(そして、僕たち世代はもうそこに足を踏み入れている)。そのときに今の小さな幸せが続いているのか、誰しも不安を抱えているのが実態なのではないか。個人的にも健康状態の維持とか、身近な人の逝去によるコミュニティの喪失とか、いろいろな不安があるのだろうが、最大の不安は、先にも書いた通り、この国は社会的にも経済的にも今より良くなるわけはないというある種の諦観を持たざるを得ない状況になってしまっているということなのではないかと思う。
そして、3.11大震災による原発事故は、前の世代の築いたインフラすら揺らぎ始めていることを白日の下に曝してしまった。そういった普段考えないようにして生きている現状が、この本を読むことによって、くっきりと姿を現してしまう。だが、僕は不思議と絶望的な気持ちにはならなかった。まあ、なる人もいるのだろうけど、そもそも現状を認識しなければ先には進めないのだから、こんなことで驚いてる場合じゃないと僕は思う。

ところで、最後の方で著者はちょっと過激な毒を吐いている(恐らく確信犯として挑発しているのだと思うが)。
この国に存在する最大のインフラ、国家が消滅する可能性について言及しているのだ。曰く、『「日本」がなくなっても、かつて「日本」だった国に生きる人々が幸せなのだとしたら、何が問題なのだろう。国家の存続よりも、国家の歴史よりも、国家の名誉よりも、大切なのは一人一人がいかに生きられるか、ということのはずである』と言い切っているのだ。うーん、石原慎太郎が読んだら顔を真っ赤にして怒り出しそうな一文…(苦笑)。
少し前なら、僕もこんな主張に同意したかもしれない。これはかつての「地球市民」みたいな言葉を思い出すし、どんな社会になったって身の回りにささやかな幸せを見つけられるから、国がなくたって大丈夫なんだという考え方は、今の若者風に言えば「セカイ系」の考え方に近い。

だが、あえて挑発にのって言わせてもらえれば、これはあまりにもお気楽な考え方ではないか。だって、若者たちがムラムラしながらも、“とりあえず”幸せ感を感じていられるのは、日本が「絶望の国」でありつつ、今は世界的に見ればとても豊かで居心地が良いからであり、その価値観が国民の間でも共有されているからなんじゃないかと思う。言い方を変えると、「とりあえず幸せなんだけど、なんとなく不安」という状態こそが「平和」といえるものなんじゃないかとも思う。だとしたら、それはものすごく大事なもので、もしかしたらその“なんとなく感”こそ、僕らが必死になって守らなければならないものなんじゃないかと思うのだ。
もし、日本という国がなくなったら、若者には難民になるか移民になるかしか選択が無くなってしまうかもしれない。それこそ、「内向き」な人間は野垂れ死にするしかなくなってしまう。貧しいものはますます貧しくなり、警察機構が崩壊したら、幸せをもたらすコミュニティすら築けなくなってしまう。それはリアル北斗な世界だ。

そうならないために、僕らは今、政治家に富の再配分を要求し、古くなったインフラの再構築を突き付けているのではないか。
若き社会学者にも、言いっ放しじゃなくてそういう現状認識を記して欲しかった。古市くん、放置プレイはあんまり幸福感を得られないと思うよ…(笑)。

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