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2012年7月

2012年7月30日 (月)

【本】さよならクリストファー・ロビン/高橋 源一郎(著)

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この本は、高橋源一郎が3.11震災前後に書いた数種の短編から構成された連作集だ。
書かれた作品は、どれもまるで子供向けの寓話のよう。とても読み易い。が、ぼけっと読んでると何を言いたいのかよくわからずに終わってしまうことになるだろう。いつもの高橋の小説同様、この連作集においてもストレートにメッセージを発信したような作品はどこにも見当たらないのだ。「くまのプーさん」や「鉄腕アトム」まで引っ張り出し、相変わらずサブカル臭い文体で世界が展開されていく。平易な文章。あるようなないようなストーリー。すらすら読めるのに不条理なことこの上ない世界が展開されるのは、高橋源一郎のいつものやり口だ。

しかし、読み進むにつれて見えてくるものがある。この連作集は、どの物語においても「失われていくもの」が主題になっているのだ。そして、自分を囲む多くのモノや時間が虚無へと姿を変えつつある中、登場人物たちは自分の存在理由を必死に探している。これは、3.11後の世界のメタファーだと僕は受け止めた。あの日以来、僕らは気付いてしまったのだ。目の前にあって当然だと思っていたモノや人たちが、2分30秒後にはあっさり失われていくのかもしれないというリアリティに…。もしかしたら、現実世界は3.11前に書かれた牧歌的な小説なんかよりもはるかに不条理で、僕らは運命の紡ぐ巨大な物語に翻弄されたただのコマなのかもしれない。「さよならクリストファー・ロビン」を読んでいると、そんな錯覚に囚われてしまう。

しかし、それでも僕らは生きていかなければならない。すべてが崩れ落ちていくかもしれない世界の中でも、平気な顔で朝食を食べ、きちんと仕事人としての役目をまっとうし、家に帰ったら良き家庭人として家族に笑いかけなければならない。どんなに絶望しても夢を見続け、もし僕らが巨大な物語のコマであるとしても、それならそれで、今度は自分で自分の物語を創っていかなければならないのだ。高橋が6つの小説をとおして読者に語りたかったのは、そんな覚悟なんじゃないだろうか…。

3.11東北大震災とそれに伴う原発事故は、多くの表現者に影響を与えた。
3.11の難しいところは、これが単に大いなる悲劇として語るだけでは済まされない複雑な複合災害であり、それを語る時、僕らはこれまであえて目を逸らしてきた闇の存在を認めなければならないという点にあると思うのだ。これは表現者だって同じ。いや、その影響力を考えた時、語り難い闇にあえて光を当てるということは一般人以上に体力がいることだと思う。いまや闇の存在に日本人の多くが気付いているというのに、現時点で時代の併走者であるべき表現者からそれに関する表現があまり生まれてこないのは、そういったことが原因なのだと僕は思っている。

そんな中、高橋源一郎は機会あるごとに3.11に言及してきた。その飄々とした容貌に反し、高橋は一貫して小説家としての立ち位置を見失わず、3.11以降の日本社会を覆う不穏な空気と向き合ってきた。

「世界は言葉でできていて、私たちはみな他者の物語の登場人物である」

これはある意味、圧倒的な現実を前にした表現者・高橋源一郎の絶望でもあると思う。だが、たとえそれが絶望的な戦いであろうとも、高橋は小説家として「虚無に抗う物語」を書かなければならず、その行為自体が自身の存在意義であると確信しているに違いない。

大切なもの、偉大なもの、愛しいものは、みんな消えてしまった。壊れやすいものも、小さなものも、みんな。けれど、わたしには、まだ、するべきことが残っているわ。・・・さあ、わたしの仕事をしよう。何が起ころうと、いままでもそうして来たように。いつか、あのドアを、大きな帽子をかぶった男や、スーツを着たウサギや、トランプの女王さまがノックする時が来るまでは。

そうなのだ。
オレにもやるべきことが残っている。何が起ころうと、今までしてきたことを止めるわけにはいかないのだ。

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2012年7月27日 (金)

Running Out of Luck

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走り始めてから、夏の暑さにはいっそう敏感になったような気がする。
ここ最近で一番暑かったのは一昨年の夏だ。あの年は本当に酷かったなあ…。朝早い時間に走っても全身から滝のような汗がしたたり落ち、シューズの中までぐっしょりになる有様だった。
それと比べれば、今年はいくらかマシなほう。7月は既に総計250キロ以上を走っている。この分だと今月の走行距離は300キロを超えるだろう。

僕は、今年のメインレースを11月25日(日)の「富士山マラソン」にした。
これは過去36回開催されてきた河口湖マラソンが名称を変えたものだ。今年は記念すべき第一回大会となる。参加賞もTシャツ+グラサンという豪華版(笑)。コースも少し変わるらしく、これまでは河口湖の周りを周回すものだったのだが、今年は西湖も含めた行程になるらしい。紅葉はもう終わっているだろうけど、晩秋の富士の麓を走るのは気持ちいいだろうなあ…。今からすごく楽しみにしているのだ。

今の僕のトレーニング・メニューは週5回走ることを前提としたもの。一応、こんな感じだ。

日  LSD180分 (1kmあたり7分~7分30秒ペース)
月  休み
火  つなぎJOG 10km (1kmあたり6分~6分30秒ペース)
水  ミドル走  10km (1kmあたり5分~5分15秒ペース)
木  つなぎJOG 10km (1kmあたり6分~6分30秒ペース)
金  休み
土  ロング走  20km (1kmあたり6分~6分30秒ペース)

これを夏いっぱい続け、9月中旬になったらレースペース走を入れたりして、全体に30秒ぐらい底上げしていきたいと考えている。
何としても今年はフルマラソンで4時間を切り、サブ4を果たしたい。僕は今年47歳。タイムを縮めるのに残された時間は、もうあまりないだろうから…。

そういえば、ローリング・ストーンズがアルバム「Steel Wheels」を発表し、初めて日本の地を踏んだ時のミック・ジャガーの年齢がちょうど47歳だった。ミックはこの歳になって険悪な仲に陥っていたとされるキース・リチャーズとの関係を修復し、解散寸前だったストーンズを再び動かすことを決意したのだ。8年ぶりに世界ツアーに出ることになったミックは、身体を鍛え直し、一からダンスやボイストレーニングをやったという。そんなのは、これまでの彼からは考えられないことだった。

僕は、今になってこの時のミックの気持ちがわかるような気がする。
80年代後半、ミックはストーンズを離れ、独りでアルバムを作りツアーに出た。オレはストーンズだけに収まる器じゃない、もっと外が見たいという思いで一杯だったのだろう。だが、結果的にそれは成功したとは言い難く、紆余曲折の末、結局はバンドに戻ってきた。その時、ミックは残りの人生もローリング・ストーンズのフロントマンをやり続ける覚悟を決め、もう一度自分を鍛え直そうと思ったのだろう。もしかしたら、それは盟友キースへの彼なりの誠意でもあったのかもしれない。

ミック・ジャガーは、40代前半に発表した1stソロアルバムで、Running Out of Luckという曲を書いている。これ、和訳すると「運も尽き果てて」みたいなニュアンスなのかな…。当時はそれだけ切羽詰った思いがあったのだろう。だが、ミックは自らの手で尽きかけた運をまた手繰り寄せ、21世紀になっても世界最高のR&Rバンドの王者として君臨し続けている。

あの時のミックと同い年になったオレ。さて、運はまだあるんだろうか…。

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2012年7月23日 (月)

【本】わたしを離さないで/カズオ・イシグロ(著)

 

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この時期にこの本と出合ったことに、僕はある種の運命を感じざるを得ない。
カズオ・イシグロ。その名前はいろんなところで目にしていたのだが、作品を読んだのは初めて。昨年、この小説が映画化されたのを知って興味を惹かれ、本は買ってあったのだが、直後に震災が起きてしまって読む機会を逸し、ずっと書棚に仕舞い込まれたままになっていたのである。先週、福島に帰る旅の合間にようやく表紙を開いたのだが、この小説で描かれている世界は、今僕の立つ現実世界のメタファーそのものであることに気付いてしまい、呆然としてしまった。

「わたしを離さないで 」では、クローン技術や臓器移植が重要なモチーフとして描かれている。そのため、出版当初はこれを一種のSFやミステリー小説であると感じる人がいたり、ネタバラシと言われることを恐れる書評家が、どこまでストーリーラインを書けばいいのか悩んだりもしたそうだ。確かにこのモチーフは衝撃的だし、主人公たちを待ち受ける運命が明らかになる際は背筋が凍る。
だが、僕はカズオ・イシグロが本当に描きたかったことは、近未来に起こるかもしれないクローン技術や、そこで生じる倫理観なんかではないと思うのだ。イシグロは、自分の想定したこの奇怪な世界をとおして、僕たちの住む現実世界を反転させ、自分の人生が変えようもない運命に捉えられていると悟った時、人はその閉ざされた世界の中でどう生きていくことができるかということを浮かび上がらせようとしたのではないかと思う。

最近、時々僕は考える。結局のところ、僕らの人生というものは、「死」の局面を迎えた時に、それまで生きてきた「生」と相殺できるか否かということに収束されていくのではないだろうかと…。これは、ここ数年相次いだ好きだった人物の死や、昨年の大震災を経て芽生えてきた考えでもあるが、「わたしを離さないで 」を読むことによって、この思いはまずますくっきりと輪郭を帯びてきた。

誰でもそうだと思うが、若い頃僕は「死」が怖かった。日々の暮らしの中ではなるべく「死」を意識しないでいたかったし、「死」をできる限り自分から遠ざけたいと思っていた。だけど、明日の自分にどんな未来があるかなんて誰にもわからない。もしかしたら、今日の午後、僕の喉に癌が見つかるかもしれないし、明日の午後には大津波で流されてしまうかもしれない。ここ数年の出来事から、僕は「死」というものが、あんがい普段の生活の近くに居座っているということを知ってしまった。それはもう、事実としてどうしようもないことなのだ。
でも、どんな状況であれ、人は「生」の輝きで「死」と対峙し、「死」の恐怖を克服できると僕は信じたい。考えてみれば、古今東西、太古の昔から人間はそうやって「死」と向かい合ってきたではないか。宗教に多く見られる死後の世界を信じる考え方もそうだし、芸術家が絵や文章で自分の道程を残してみたりするのも「死」との対峙のひとつだと思う。いや、何もそんな大袈裟な例を挙げなくたって、人はそれぞれの美しい記憶や思い出、それに人生における目標を達成しようと汗を流すことで、「生」と「死」を相殺しようとしてきたのではないだろうか。

「わたしを離さないで 」に出てくるヘールシャムの子供たちは、あらかじめ終わりが決められた奇怪で哀しい運命の中、精一杯それぞれの青春を生きている。その描写は、時に胸が痛くなるほど純粋で美しい。そして、僕が何よりも心を打たれたのは、この小説の中で、待ち受けるものが希望のない未来であったとしても、人は真実の愛を見つけることができ、その愛は「死」をも相殺できる大きな力を持っているということが確信できたことだ。
実をいうと、最初僕はこの小説に出てくる登場人物たちは、自分の運命や役割に対して、あまりにも無抵抗で消極的すぎると思った。だけど、読み進めていくうちに考えが変わっていったのだ。結局、人という生き物は自分たちに与えられた運命を引き受けて生きざるを得ないのだと思う。ただ、運命を引き受けることは、運命に屈するという意味ではない。数奇な運命を嘆く前に、今ある世界の中で「生」の証を探し続ける…。そんな生き方の美しさを、カズオ・イシグロは、この小説をとおして静かに語りかけているのだ。

それからもうひとつ。これは子供の目から大人の世界を俯瞰した小説だとも言えるのではないか。
ヘールシャムにいる子供たちは、誰も外界を十分に理解していない。そして外から流れ込む情報は大人たちから慎重にコントロールされている。つまり、彼らは何不自由なくすくすくと成長できる環境にありながら、本当の真実、彼らを待ち受ける悲しい未来はまったく知らされていないのだ。やがて、子供たちは成長するにつれて残酷な運命に気付き始め、周りに起こる小さな出来事を拾い集めて意味を考え、子供同士でいろいろ話し合うようになる。小説ではエキセントリックな設定になってはいるが、これは考えてみれば誰もが大人になるプロセスの中で、ある程度通過してきていることなのではないだろうか。
子供は子供であるが故に大人の世界が理解できない。そして、成長するにつれて何かを知り何かを諦めていく。それが大人になるということなのだ。予供は誰でも大人になり、歳を取ることを受け入れる。そして死は不可避であることを悟る。そして、時と引き換えに身体も精神も劣化していき、やがて静かな死を受け入れる。ヘールシャムの子供たちは、その過程で「提供」というおぞましいことを行わなければならないため、僕たちの辿る人生よりも幾分早く収束することになってしまうのだが、その道程は、実は僕らが子供から大人に向かう上で経験するプロセスとそんなに変わらないのではないか。本を読み終えた今、僕はそんなことも思う。

勘のいい人はもうお分かりいただけたと思うのだけど、僕はこの小説に出てくる登場人物たちの生き方を、震災以降の日本人の生き方、もっと言えば放射能の低線量被曝という世界で誰も経験のない事故を経験する運命にあった、わが故郷に生きる人たちと対比しないわけにはいかないのだ。
今、福島の人々は、リスクの存在を認識しつつ、運命に負けないで自分たちの暮らしを取り戻そうと必死に生きている。そして、そこに暮らす子供たちも…。
僕は思う。子供たちの目には、大人たちが話す低線量被曝のリスクや原子力発電の是非、そして何より彼らが生まれ育ち、今暮らしている福島の未来が、どのように映っているのだろうかと…。僕は、「わたしを離さないで 」を読むまで、3.11以降の世界を子供の世界から俯瞰するということにまったく気付かなかった。今まで僕はずっと大人の目線で3.11以後の世界を見てきてしまった。だが、未来を担うのはもはや僕らの世代ではないのだ。であるならば、未来を担う子供たちが「生」の証を探せるようにしてあげることこそが、僕らが今本当にやるべき自分の「死」との対峙なのではないか。そんなことを強く思ったのである。

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2012年7月17日 (火)

福島へ帰る

先週の木曜から日曜にかけ、福島へ帰った。
週末には気になるライブやイベントもあったんだけど、それらは全てキャンセル。ライブや映画も大切だが、僕にとって今は、故郷の街に寄り添う時間を何よりも大事にしたいと思ったのだ。

両親の住む白河をベースに、いわき市、郡山市、福島市を廻り、3.11後の傷付いた故郷の今を見た。
改めて思ったこと。それは3.11後の世界の解り難さだ。今何が起きているのか、これから何が起きようとしているのか、もしかすると何も起きないのか、それが誰にもわからない。今、福島は“わからないこと”による大きなグレーの霧の中にある。その解り難さは、原発のある町よりも、むしろそこからある程度離れた地域、それこそ両親の住む白河市あたりで一層際立っているように感じられた。

ただ、この解り難さは、日本全体に漂っている空気と同質なのではないかとも思うのだ。

いわき市のある人は、原発から半径20キロ以内なんて二度と人が戻れないだろうと言っていた。
福島市に住む友人は、そんないわきを含む福島の浜通りなんてもはや人が住む所ではないと言う。
会津に住む人たちは、福島も郡山も白河も既に放射能を被っているんだから、もうみんな町を出るべきだと思っているらしい。
東京では福島県全体がもはや人が住む所じゃないと思っている人も多い。
関西の人たちから見れば、もはや東日本全体が多かれ少なかれ放射能に汚染されているように思われている。
そして、外国からは原発事故の影響は日本全体に及んでいると思われているのだ。

結局そういうこと。自分の住んでいる町から一歩も出ずに双眼鏡で世界を眺めているだけなら、それぞれの立ち位置から見方が違ってくるのは当たり前。
もはや、僕らは個人個人の判断基準をもって、このグレーな世界を生きていくしかないのだ。数字と確率と自分の暮らしとを勘案し、ある者は今までどおりの暮らしを続け、ある者は新しい町で暮らすことを選ぶ。100人の人がいれば100通りの生き方があるのだから、その判断にも100通りの基準があるのは当然だ。それに関して外の人間が安易な意見を挟むべきではないと僕は思う。3.11後、僕らはそうやって生きてくしかなくなってしまった。

僕の両親は、3.11後も福島県白河市で生活している。福島を出ることは全く考えていない。本当は僕だって不安だ。しかし、両親のこれまでの生き方と歳を考えると、無理に東京に出ることを勧めることはどうしてもできない。
福島に滞在中は、僕も庭の家庭菜園で採れた野菜を口にし、夜は父と地元の酒を酌み交わした。
翌朝はランニングシャツを身につけ、朝靄に包まれた街中を20キロ黙々と走った。
僕の故郷への接し方は、3.11以前と何も変わっていない。

いや、やっぱり変わったかな…。僕は無理やり“以前と何も変わってない”と思い込もうとしている。
心の奥では、放射線量、土壌、食べ物、川の水、それらがどうしてもグレーに見えてしまうことは否めない。
見た目は昔と何も変わっていない町を走りながら、何故かわからないが、僕の胸には激しい怒りがこみ上げていた。

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2012年7月 3日 (火)

【映画】 アメイジング・スパイダーマン / マーク・ウェブ監督作品

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これ、公開初日に子供にせがまれて観に行きました。最初はあんまり気乗りせずに横目で見てたんですが、途中からかぶり付き(笑)。いやあ~面白いんでないの、これ!

マニアの方ならご存知でしょうけど、スパイダーマンってのはもともとアメリカンコミックのヒーロー。映画の実写版は2002年から3作作られていて、その後のシリーズ化も予定されていたんだけど、いつの間にかそれはナシになって(一説では主役のトビー・マグワイアが歳くって太っちゃったためとか…)、監督も主役の俳優も変えてあらたにリブート化したのが、この“アメイジング”スパイダーマンってわけ。
うちの子供なんかの世代は、この映画で初めてスパイダーマンものに接するわけだから、当然そんな流れは知らないし、知ったからってどうというものでもない。でも、僕ら世代はマグワイア版スパイダーマンも知ってるし、もっと前のアニメ版も見ているから、やっぱりどこまでがオリジナルに沿ってて、何を新たに加えてるのかってのが気にしなるよね。そういう目から見ても、“アメイジング”はなかなかよくできていると思ったのだ。

僕がツボったのは、“アメイジング”がこれまで以上にハイスクールム―ビー的な色が濃かったからだと思う。実は、僕はベタなアメリカの青春映画ってのがけっこう好きなのだ。アメリカのハイスクールを舞台にした映画やドラマは、キラキラした夢がある。80年代にはそういう映画、いっぱいあったなあ…。これが日本だと途端に田舎臭くなっちゃうのはどうしてなんでしょうね(苦笑)。
スパイダーマンってのは、もともと数あるアメコミヒーローの中でも、家族との関係や恋愛に悩んだりする人間臭いヒーローなのだが、それが“アメイジング”では、主人公の高校生活をとおしてより丁寧に描かれていた。要するに、単なる特撮ヒーローものじゃなく、青春映画としてもきちんと成り立っていたわけなんですな。
いつの間にか感情移入しちゃって胸が熱くなる場面もしばしば。特に、カート博士が変身した巨大リザードが、“天涯孤独のピーター・パーカー!”って言ってスパイダーマンに襲いかかってきた時、恋人グウェンの父親の警部が、それまでは二人の仲を快く思っていなかったのに“君は孤独ではない。我々が付いている!”と叫んで助けにきたシーンは涙ちょちょぎれた。いやあ~スパイダーマンで泣くとは思わなかったよ、オレ(苦笑)。

主役を務めたアンドリュー・ガーフィールド君の魅力も大きい。童顔のガーフィールド君は、ナイーブな高校生役にぴったりだ。シリーズ最初だから、ピーターがスパイダーマンになる過程も描かなければならないわけで、序盤は派手なアクションシーンがなかなか出てこないから、小3の次男は退屈してるかなあ~と思いきや、夢中になってスクリーンを見てた。これは、幼くして親と別れて暮らすことになったピーターの寂しさとか、孤独を抱えながらも明るく高校生活を送っているピーターを、アンドリュー・ガーフィールドが巧く演じてて、子供でも十分に感情移入できたからだろうと思う。

後半は待ってましたの特撮シーンの連続だ。ニューヨークの摩天楼を、クモの糸を使ってびゅんびゅん飛び跳ねていく映像は、アニメでは得られない映画ならではの爽快感!3Dはあんまり派手派手ではなく、ここぞという時に繰り出すような演出。これも良かった。作り手のセンスを感じます。
カート博士が変身した巨大リザードがいきなり大暴れするのは、ちょっと無理があったような気がするけど、アクションシーンは大迫力。子供もワタシも大喜びだ。男の子ってのは、ほんといくつになってもこういうのが好き。あ、オレもか…(笑)。

それにしてもガーフィールド君のスパイダーマンは、ほんとハマり役だ。決してハンサムじゃないけど、そこがイイ。ナイーブでジョーク好きで、頼りなさそうだけど最後は悪者を倒す。スパイダーマンはそんな等身大のヒーローなのですよ。
このシリーズ、まだまだこれからも続きそうで楽しみだ。ガーフィールド君は身体に貼りつくスパイダーマン・スーツを完璧に着こなしていたけど、これからもぜひその痩身を維持してシリーズを続けて欲しい。
たぶん、次作が公開される頃、オレは50を過ぎてるだろうなあ…。長男は大学生。次男は中学生ぐらいか。それでも男3匹、カミさんに呆れられながらも誘い合って映画館に足を運ぶんだろう。男はいくつになってもこういうヒーロー映画が大好きなのだ(笑)。

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2012年7月 2日 (月)

あるミュージシャンの逡巡

このところ更新のなかったリクオのブログ、KIMAGURE DIARYが3か月ぶりに更新された。その内容は、主にできたばかりの新曲に関するものだったのだが、とても重く考えさせられる内容だった。

この曲はまだライブでしか公開されておらず、僕自身まだ未聴。タイトルは「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」という…。
リクオがこういう曲を歌うのは、ある意味衝撃的なことなのだ。こういった直接的な物言いは、彼がこれまで作ってきた歌の流れからは明らかに異質。もともとリクオは社会的なメッセージを歌うミュージシャンではない。むしろ賛成・反対というような、物事を二択で割り切る考え方が歌に入り込むのを極力避けてきた。それが、ここにきて「脱原発」を明確にした新曲を作ったのだ。ブログを読むと、彼は首相官邸前での大飯原発再稼働に抗議するデモにも参加したらしい。これもある意味“らしくない”行動であり、ちょっとした驚きを感じずにはいられない。3.11から1年数か月あまり。彼の中で何かが変わったのだ。

ちょっと僕の話をする。僕は原発事故で自分の故郷を汚された。両親や古い友だちは、いまだにあの町で不安を抱えながら暮らしている。そんなバックボーンがあるから、僕は東京に住む周りの人たちよりも、少しばかり原発に関する嫌悪感が強いことを自覚している。もし、あんなものが故郷になかったら、僕は今年の夏も子供たちを連れて父や母のもとに帰省することができただろう。友人たちは将来の不安に怯えながら子育てをしなくてもよかったはず。そう思うと何ともやり切れない気持ちになるし、野田さんの原発再稼働を表明する記者会見には怒りを覚えずにはいられない。

だが、いわゆる脱原発派と呼ばれる人たちの行動にも、どこか違和感を感じる自分がいる。たとえば、脱原発を唱えるデモに、僕は一度も参加したことがない。主張自体に異議はないが、デモという方法にはどうしても馴染めないものを感じてしまう。僕の知るデモは、何万人もの人間が同じスローガンをコールするイメージだ。デモに限らず、そういう集団行動が僕にはどうも苦手だ。
思い返せば、学生時代に母校の野球の応援に行った時にも、同級生がスタンドで肩を組んで校歌を大合唱しているのを見て思わず引いてしまった。倫理美化運動なんてのも大嫌いだったなあ。本当に町を綺麗にしたいと思うなら、一人ひとりが日ごろからゴミを拾って歩けばいいだけの話なのに、なぜわざわざ日にちを決めてイベントみたいことをしなければならないのか…。そういうワクを作らないと行動できないってのは、どっか違うような気がする。今だって、ライブで観客が一斉にコブシを振り上げたりするのは大嫌いだ。自然とそうなるならいいが、それぞれがそれぞれの楽しみ方をするのがライブなのに、何がわざわざ決まり事を作って皆で同じことをしなければならないんだろう?

要するに、僕は自分が何かの派閥や集団に属したり、ああいう奴だとレッテルを貼られるのがたまらなく嫌なのだ。失礼なことを言うようだけど、そういうのが好きな人は、集団に属すること自体で満足感を味わえる人種なんだと思っていた。青臭いことを言うようだけど、ロックな精神ってのは「自立」とか「個」とイコール。そこに集団行動はどうにもそぐわない。単なるひねくれ者の意見かもしれないが、僕はそう思っていたのだ。

だが、3.11以降、そんなひねくれ者の居場所はだんだん無くなってきた。世論は人を原発推進か脱原発かの二色に分けたがり、脱原発を唱える人の中にも、沈黙は罪だ、今は何らかの形で行動しなければ意味がないというようなことを言う人が出始めた。そこには、福島にたくさんの知人がいるというのに、彼らに対して“福島を出ろ”とはどうしても言えないでいる僕を責めた知人の声と同質の圧力を感じる。彼らは正義なのだ。正論を述べているのだ。だけど、それを強要するのは、ある種の傲慢さと紙一重だと僕は思う。彼らに悪気がないことはわかるが、悪気がないだけに、よけい隔たりの大きさを感じてしまう。3.11以降、そんな場面に接するたびに僕は疎外感を感じていた。

正直に言う。僕にとっては大飯原発再稼働よりも、傷付いた故郷の今の方がずっと切実な問題なのだ。2つの問題が根っこで繋がってるのはわかるけど、大飯原発再稼働反対を唱えるデモに参加する時間があるぐらいなら福島に帰って年老いた両親や旧友の傍に寄り添いたい。それが僕の偽らざる気持ちだ。僕はそんな自分の感情に正直に行動したい。
ただ、今は好きとか嫌いとか、そんなことを言っている段階ではないのかもしれないとも思い始めている。福島出身者である前に、日本に生きる一市民として、原発に依存しない社会を創るため、好む好まざるにかかわらず、何らかの行動をとらなければならない時期に来たのかもしれない…。そんな思いもあるのだ。

そんなときに目にしたのがリクオのブログだった。
3.11から1年数か月あまりの時間をかけ、リクオは「アリガトウ サヨウナラ 原子力発電所」に辿り着いた。それは、同じ反原発をテーマにした歌であっても、忌野清志郎や斉藤和義のそれとは明らかに違った逡巡を経て生み出されたものだ。ブログを読めばわかるように、彼は3.11以降、悩み、苦しみ、傷付きながら歌を歌い続けてきた。その道程は、もちろん僕とは違うものだけれど、3.11以降、新しい生き方を探し、もがき続けてきた部分にある種のシンパシーを感じずにはいられなかった。

リクオは言う。悶々としながら問いかけを続けてゆく作業を止めてはいけないと。そして、デモや集会は2項対立を深める要素を持っており、時として何かを損なう可能性を内包していることを知りつつも、時間が許せばまた参加したいと。ここに至るまで、リクオは相当の逡巡を経たに違いない。そして、最終的に彼は、日記にもあるとおり「変わらない」ことよりも「変わる」ことを選択したのだ。

ならば、と僕も思った。リクオの言うように、変容しつつあるデモの形が、時代を変えようとするエネルギーの渦であるならば、その場に身を置いてみるのも悪くはないかな、と。ただ、フットワークは軽く、あくまでも自分の気持ちに正直であることを前提としてだ。無理はしない。時間があっても気分が乗らなかったら、参加は止めるし、居心地が悪かったらさっさと帰る。そのぐらいの気持ちでい続けたいと僕は思う。

3.11以降、僕は巨大な迷路の中に入り込んでしまった。そして、いまだに出口は見えずに彷徨い続けている。何が正しくて、何が間違っているのかなんて誰にもわからない。でも、安易に大きな集団に属してしまっても、自分を救うことはできないのだ。漂い、時には自分の正義を疑いながら生き続ける。不安の雲が消えることはないし、たぶんそれは一生消えないかもしれないが、3.11以降の新しい生き方は、そうやって見つけていくしかないのではないか。新曲の誕生に至るまでのリクオの道程は、そんなことを語っているように僕は思った。

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