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2012年7月30日 (月)

【本】さよならクリストファー・ロビン/高橋 源一郎(著)

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この本は、高橋源一郎が3.11震災前後に書いた数種の短編から構成された連作集だ。
書かれた作品は、どれもまるで子供向けの寓話のよう。とても読み易い。が、ぼけっと読んでると何を言いたいのかよくわからずに終わってしまうことになるだろう。いつもの高橋の小説同様、この連作集においてもストレートにメッセージを発信したような作品はどこにも見当たらないのだ。「くまのプーさん」や「鉄腕アトム」まで引っ張り出し、相変わらずサブカル臭い文体で世界が展開されていく。平易な文章。あるようなないようなストーリー。すらすら読めるのに不条理なことこの上ない世界が展開されるのは、高橋源一郎のいつものやり口だ。

しかし、読み進むにつれて見えてくるものがある。この連作集は、どの物語においても「失われていくもの」が主題になっているのだ。そして、自分を囲む多くのモノや時間が虚無へと姿を変えつつある中、登場人物たちは自分の存在理由を必死に探している。これは、3.11後の世界のメタファーだと僕は受け止めた。あの日以来、僕らは気付いてしまったのだ。目の前にあって当然だと思っていたモノや人たちが、2分30秒後にはあっさり失われていくのかもしれないというリアリティに…。もしかしたら、現実世界は3.11前に書かれた牧歌的な小説なんかよりもはるかに不条理で、僕らは運命の紡ぐ巨大な物語に翻弄されたただのコマなのかもしれない。「さよならクリストファー・ロビン」を読んでいると、そんな錯覚に囚われてしまう。

しかし、それでも僕らは生きていかなければならない。すべてが崩れ落ちていくかもしれない世界の中でも、平気な顔で朝食を食べ、きちんと仕事人としての役目をまっとうし、家に帰ったら良き家庭人として家族に笑いかけなければならない。どんなに絶望しても夢を見続け、もし僕らが巨大な物語のコマであるとしても、それならそれで、今度は自分で自分の物語を創っていかなければならないのだ。高橋が6つの小説をとおして読者に語りたかったのは、そんな覚悟なんじゃないだろうか…。

3.11東北大震災とそれに伴う原発事故は、多くの表現者に影響を与えた。
3.11の難しいところは、これが単に大いなる悲劇として語るだけでは済まされない複雑な複合災害であり、それを語る時、僕らはこれまであえて目を逸らしてきた闇の存在を認めなければならないという点にあると思うのだ。これは表現者だって同じ。いや、その影響力を考えた時、語り難い闇にあえて光を当てるということは一般人以上に体力がいることだと思う。いまや闇の存在に日本人の多くが気付いているというのに、現時点で時代の併走者であるべき表現者からそれに関する表現があまり生まれてこないのは、そういったことが原因なのだと僕は思っている。

そんな中、高橋源一郎は機会あるごとに3.11に言及してきた。その飄々とした容貌に反し、高橋は一貫して小説家としての立ち位置を見失わず、3.11以降の日本社会を覆う不穏な空気と向き合ってきた。

「世界は言葉でできていて、私たちはみな他者の物語の登場人物である」

これはある意味、圧倒的な現実を前にした表現者・高橋源一郎の絶望でもあると思う。だが、たとえそれが絶望的な戦いであろうとも、高橋は小説家として「虚無に抗う物語」を書かなければならず、その行為自体が自身の存在意義であると確信しているに違いない。

大切なもの、偉大なもの、愛しいものは、みんな消えてしまった。壊れやすいものも、小さなものも、みんな。けれど、わたしには、まだ、するべきことが残っているわ。・・・さあ、わたしの仕事をしよう。何が起ころうと、いままでもそうして来たように。いつか、あのドアを、大きな帽子をかぶった男や、スーツを着たウサギや、トランプの女王さまがノックする時が来るまでは。

そうなのだ。
オレにもやるべきことが残っている。何が起ころうと、今までしてきたことを止めるわけにはいかないのだ。

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