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2012年8月

2012年8月31日 (金)

満月ライブvol.48『Leyona ~Birthday Special Live!!!~ 』 / 2012年8月31日(金)吉祥寺・アムリタ食堂

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CHABOの曲に「BLUE MOON」ってのがある。ひと月のうちに満月が2回ある場合、その2回目をブルームーンと呼び、それを見ると幸せになれるという言い伝えがあるのだそうだ。これ、そんなにしょっちゅうある現象ではなく、月の軌道上2,3年に一度しかブチ当たらない。最も最近あったブルームーン月は2009年の12月。そして、今年・2012年の8月が3年ぶりのブルームーン月なのである。8月は2日が満月だったが、2回目は…なんと今日。今日31日なのです!
Leyonaのライブが行われたのは、この特別な満月の夕べ。しかも8月31日はLeyonaの誕生日でもある。おまけに開催場所は姫のホームタウン吉祥寺。これは特別な夜になりそうな予感があった。

予感的中。ホームタウンでのライブとあって、観客もLeyonaも終始リラックス。会場一体となった素晴らしい夜を満喫できた。
これはleyona自身がのっていただけではなく、場の雰囲気の良さも大きかったように思う。会場となったのは音楽専用の小屋ではなく「アムリタ食堂」というタイ料理屋さんだったんだけど、ここ、すごく良いお店!タイの屋台そのものみたいな内装といい、料理の美味さといい、店員さんの元気さといい、最高にゴキゲンだった。僕はこの日は、一人で出掛けたんだけど、店員さんの気さくな応対ぶりに全く孤独を感じませんでした(笑)。ビールと一緒にオーダーしたタイカレーが、すご~く美味しかった。しかも、タイ料理にしてはかなりリーズナブル(タイ料理ってディナーだとけっこう高いんだよねえ…)。厨房を除いたら本場タイ人の料理人が3人も入ってたなあ…。子供連れでも全然OKみたいだし、本格的なタイ料理をこれだけ手軽に食べられるのはすごくイイ!今度はライブ抜きでも仲間とわいわい来てみたいなあ~と思わせる素敵なお店だった。

さて、ライブ。この日のLeyonaは若いイケメンのギタリストをサポートに、自身でもギターを手にしての弾き語りスタイルだった。男前なカッティングでじゃきじゃきとビートを刻み、初期の名曲「うた」を皮切りに持ち歌を次々と披露。曲間のACDCなMCも含め、最初から最後まで完全にお客さんを惹きつけてました。
セットリストはいつもどおりっちゃあその通りなんだけど、姫のギターの腕前が上がったためか(笑)、弾き語りでもできる曲がぐんと増えたように思う。たとえば「Travelin' Man」とか、はっぴいえんどの「風を集めて」とかをソロで聴いたのは初めてだったなあ、オレは。本職のギタリストを傍らに、ギターソロもどき(?)にも果敢にトライ。指がもつれそうになる場面もあったけど、それすら笑いに変えてしまう勢いが彼女にはある。
 
思ったんだけど、こういうアットホームなハコでのライブに関しては、もうLeyonaは最強じゃないだろうか?グダグダのMCや冷や冷やするギターソロ(苦笑)も含め、彼女のナチュラルなキャラクターですべて納得させてしまうのだから大したもの。キメのところは飛び切りソウルフルなボーカルで観客を一人残らずノックアウトしてしまう。でも、少し会場が大きくなると、なかなかその魅力が浸透しなかったりするんだよなあ~。その辺が僕としてはちょっと残念。ライブの空気をどういうハコでも安定させられるようになると、いっそう多くの人に姫の素晴らしさが伝わるのに、なんてデビュー当時から見てる古参ファン(笑)は思ってしまう。

まあ、そんなおっさんファンの戯言はこの際どうでもいい(笑)。お店のスタッフからのバースディケーキやファンからも大きな花束を持ちきれないほど贈られ、満面の笑みを浮かべるLeyonaの顔を見ていると、こっちの方までハッピーな気分になっちゃうんだから…。これからもどんどん変わってゆくであろう稀代の歌姫Leyona。これからもずっと見ていこうと心に誓うのでござった。

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2012年8月29日 (水)

欧州サッカー開幕

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まだまだ残暑は厳しいけど、8月下旬になっていよいよヨーロッパではサッカーシーズンが始まった。
これから来年の春にかけて、僕は遠いヨーロッパに思いを馳せながらテレビで試合を追いかける日々を送ることになる。これまでだと、僕の観戦スケジュールは9月末から始まるチャンピオンズリーグを中心に組まれ、毎週の各国リーグの気になるカードを加えていくパターンだった。そんなここ数年のパターンが、去年ぐらいから変化し始めている。言うまでもない。欧州の強豪クラブに、日本人選手が所属するようになったからだ。

去年はイタリアの超名門インテルで長友佑都が初めてフルシーズンを迎えた年だった。去年の長友はチーム全体が不調だったことも影響してか、現地マスコミの批判にさらされることも多く、波の激しいシーズンになってしまった。でも考えてみたら、結果的にはビッククラブで一シーズンぶっ続けでレギュラーを務めたことになるわけで、これはあの中田英寿ですら経験できなかったことだ。これだけでもとんでもなく素晴らしいことだと僕は思う。

そして僕の方は、気がついたら去年はインテルの公式戦をほとんど全部観てしまっていた(苦笑)。もう、バルサもガナーズも後回し。完全に観戦はインテル中心になってしまった。インテルのリーグ順位に一喜一憂し、試合が終わった瞬間から、もう次節の対戦カードを気にかけてしまう日々。そして、何よりもビッククラブで奮闘する日本人・長友の活躍ぶりが気になって気になってしょうがない…。そんなシーズンだった。

こんなことは、去年が初めての体験だったのだ。これまでも、一サッカーファンとしてプレイスタイルの好きなアーセナルやバルセロナあたりのスペクタクルなサッカーを充分に楽しんではいた。でも、正直言ってそれは今思えばちょっと他人事的な関わり方でもあったように思う。そりゃあ、バルサがレアルに負ければ悔しい。でも、悔しいけどレアルがバルサ以上に素晴らしいサッカーを展開してくれていれば、それはそれで良いサッカーを見れたことに満足感を覚える自分がいた。
だけど、チームに日本人選手がいるとなれば応援の本気度が全然違ってくるのだ。インテルは、長友が入ったその日から、僕にとって特別のクラブになってしまった。正直言うと、インテルのサッカーはあんまり僕の好きなスタイルではないのだけれど、もうスタイルがどうこうなんて言ってられない。気が付いたら、僕は俄かインテリスタになってしまっていた(笑)。結果的に、試合のほとんどを追っかけ、他にもお気に入りの選手ができ、監督の采配にまで思いを馳せてしまっていたんだから…。
今年はこの観戦ローテーションに香川真司の加入したマンチェスター・ユナイテッドが加わることになった。マンUはチャンピオンズリーグにも出場するから、ますます睡眠時間が短くなる(笑)。でも、これは嬉しい。うーん、楽しみだ!

幸いにして、長友も香川も開幕から堂々のスタメン入りを果たした。香川に至っては2節目でゴールまで決めてるんだから大したもの。長友にしても、新加入したカッサーノとのコンビネーションは良好のようで、一節目はフル出場。かなりいい動きをしていたと感じる。

不安材料がないわけではない。まず、香川は今のところ日本はもとより現地でも気持ち悪いぐらいに高い評価を得ているが、僕から見ればまだ全然だ。香川の持ち味は、相手ペナルティエリアに侵入した時の卓越したボールコントロールにあると思うのだが、それがほとんど見られていないではないか。だいたい、マンUというチームは外からの崩しばかり多用するんで、トップ下の香川にあまりいいボールが入ってこない。これは香川が味方の信頼をまだ完全には得られていないからなんじゃないだろうか?プレミア特有の荒っぽいフィジカルコンタクトに、華奢な日本人体系の香川が耐えられるのかも心配だ。
長友に関しては、一節目のような動きをシーズン中ずっと続けられれば、まず大丈夫だと思うんだけど、去年みたいに攻め上がりすぎて背後を突かれるようなことが目立つと、同じポジションの若い選手が移籍してきてるんで、あっという間にレギュラーの座を奪われるだろう。そう思うと、またハラハラしながらインテルの試合を見続けることになるんだろうなあ~(苦笑)。

でも、ほんとにこれって少し前までは考えられなかった夢のような状況なのだ。だって、ヨーロッパ最高レベルのリーグのこれまた超ビッククラブに、日本人が2人も所属してるんだよ。宮市や李だって実績挙げてビッククラブに移籍するかもしれない。もう欧州サッカーは海の向こうでやってるのを「鑑賞」するのではなく、「当事者」として感じるものとなったのだ。これが僕にはたまらなく嬉しい。
今の日本のサッカーファンってのは、ヨーロッパでいえばベルギーとかスェーデンのサッカーファンみたいなポジションなのでは?つまり、身近な国内リーグを観ながら、国外のレベルの高いリーグ、セリエやプレミアで活躍する自国の選手を熱く応援しているみたいな感じ。
やっと、やっとここまで来たのだ。夢なら覚めないで欲しい。サッカーを見ていると、本当に浮世の戯言なんて一時だけでも忘れていられる。今はあんまりいい時代ではないのかもしれないが、サッカーに関しては、確実に日本は進歩していると言い切れるのが、僕にはたまらなく嬉しいのだ。

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2012年8月27日 (月)

【映画】「山下達郎 シアター・ライヴ PERFORMANCE 1984-2012」

2112年現在、僕が未だライブを観たことがなくて、最も見たい人と言えば山下達郎をおいて他にない。この人のコンサート・チケットは、昔からとても競争率が高いことで有名だ。僕も何度かトライしているのだが、全く当たったためしがない(泣)。最近はライブの本数を増やしている達郎氏、周りではけっこう観に行った話を聞くのになあ…。達郎氏に関しては、オレ、よっぽどクジ運が無いらしい。とほほ…(泣)。
この人のライブの素晴らしさは多くの人が語っているところだが、公式発表された映像は一つもなし。その魅力を知るには、実際にコンサート会場に足を運ぶしかないのだ。
アルバムをとおして山下達郎の素晴らしさは解ってるつもりなのだけれど、未だライブ未経験の僕としては、実は山下達郎というミュージシャンの凄さのほんの一部分しか知らないのではないかという後ろめたさがずーっと付きまとっている。そんなわけだから、ライブ映像が劇場公開されるってのは、僕にとってはとてもうれしい驚きだった。絶対観なくちゃ!と思って、鼻息荒く映画館に駆け付けた(笑)。

まだ観ていない人もいるだろうから、内容をあまり詳しく書くのは控える。だけど、一言だけ言わせて。これはとてつもなく素晴らしい映像作品だぞ!
何よりも素晴らしいと思ったのは、この映画には作りこんだ映像なんか一切挿入されておらず、1時間半全てライブ映像のみで構成されていること。小細工なしに、ただ山下達郎のボーカルと演奏の魅力だけで観客をぐいぐい引っ張っていき、一瞬たりとも飽きさせないのだ。いやあ~山下達郎、恐るべし!ボーカルの素晴らしさは筆舌に尽くしがたいし、ギタリストとしても凄い腕前だということがよ~くわかりました。何よりも、彼のミュージシャンシップ、音楽を信じ切ってそれに身も心も委ねている様が映像からもはっきり伝わってくるのが感動的だった。
うーん山下達郎、やっぱり並みの人ではありませんなあ…。彼を支えるバンドにもリスペクトだ。

お客さんも良く入っていた。僕が観に行ったのは新宿バルト9。決して小さな映画館ではない。しかし、平日の午後という時間帯にもかかわらず、空いてる席はほとんどなかった。コンサート会場ではないから、声援が飛び交うようなことはなく、お客さんは本当に熱心に見入っていた。そして、エンディングには客席から大きな拍手が…。僕も自然と拍手していた。これ、ちょっと感動したなあ…。映画館で拍手が起きた体験なんてあんまりないもんねえ。これは、観客一人ひとりが本当に感動したからこそ起きた現象だったと僕は思う。

改めて言うが、僕にとって初めて観た山下達郎のライブは予想をはるかに超える素晴らしさだった。告白すると、僕はある曲を聴いていて思わず涙をこぼしてしまったぐらいなのだ。まさか山下達郎のライブ映像で泣くとは思ってもいなかったので、自分に自分で驚いちゃったよ(苦笑)。こういう時、映画館は暗くて良いですね(笑)。

あまりにも濃くて、あまりにも短い1時間半。こりゃあ~達郎氏のコンサート、絶対行かなきゃなあ~。首都圏でのチケット入手が厳しかったら、地方遠征してでも観たい。

この映画、東京では先週末から上映が開始されたんだけど、公開期間がすごく短い。東京だと9/2(日)まで。ってことは…。今週いっぱいしかないじゃないか!これだけお客さんが入ってるのに、なんでこんなに短いのか理解に苦しむけど、少しでも興味のある人は絶対に観ておいた方がいい。後悔しないことは、この僕が保証する。

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2012年8月19日 (日)

仲井戸“CHABO”麗市×石橋凌「SOUL TO SOUL」 / :2012年8月19日(日)南青山MANDALA

仲井戸“CHABO”麗市×石橋凌「SOUL TO SOUL」
公演日:2012年8月19日(日)開場17:00 / 開演18:00
出演アーティスト:仲井戸"CHABO"麗市 × 石橋凌 with 藤井一彦(G)
会場:南青山MANDALA

80年代にあれほど日本のロックに夢中になっていたにもかかわらず、実はワタクシ、ARBはほとんど聴いたことがございません(苦笑)。あの頃あったいくつかのロックイベントのTV放送で、マイクスタンドに片手をかけて歌う石橋凌の姿はぼんやり憶えている。もしかしたら、忘れてるだけで実際にどっかのイベントで見たこともあるのかもしれない。ただ、ARBは社会的なメッセージを歌う硬派なイメージが強くて、RCやスライダーズみたいなルーズなノリが好きだった僕としては、なんとなく敬遠したくなるタッチがあったことは確かだ。今でこそRC、ARB双方のファンだと公言する人は多いけど、当時はそんなことはなかなか言えなかった。あの頃は若さ故のヘンなこだわりやファン同士の妙な派閥があり、少なくとも僕の周りでは、あのバンドもいい、このバンドも好きなどとは軽々しく口にできないような環境があったのだ。その点、今の若者たちは僕らのころよりよっぽど自然体で音楽に接していると感じる。フェスでいろんなバンドの演奏をシェアして楽しむ若者を観ていると、いい意味で時代が変わったことを感じてしまうのだ。
閑話休題。そんなわけで、僕はこの日久々に観るCHABOのソロライブとともに、40過ぎてやっと先入観なしに観る機会を得た石橋凌の歌をとても楽しみにしていた。

ライブは1部が石橋凌のソロ、2部がCHABOのソロ、アンコールがCHABOと石橋の共演という3部構成。これはCHABOが昨年行っていた「恩返しシリーズ」と同じだ。
1部、CHABOに呼びこまれ石橋凌がステージに現れる。その姿は、僕が想像していたよりもずっと穏やかに映った。最近は映画俳優としてもちょくちょくこの人を見かけていたが、その役柄も眉間に皺を寄せるようなものが多かったから、ARB時代と同じように、相変わらずの硬派な男のイメージをこの人には持っていた。ところが、目の前にいる石橋は穏やかな笑みを浮かべた好紳士。昔と比べるとだいぶ恰幅が良くなっていたが、それもこの人が積み重ねてきた年季を感じさせ、かえっていい味が出ていた。“ああ、いい歳のとり方してるなあ~”ってまずは思ったな。

石橋はステージ中央のスツールに腰かけると、サポートで入ったギターの藤井一彦を傍らに、じっくりと歌いだす。正直言って、僕は彼の歌をほとんど知らないが、一声聴いて圧倒されてしまった。スゲエじゃん!ロックボーカリストというより、ソウルシンガーみたいに熱い歌い方だ。そうかと思うと、MCでは意外なほど茶目っ気たっぷりな部分も披露し、観客の笑いをとってしまう。なんて魅力的な人なんだろう…。たぶん、この日の会場には僕以外にも石橋凌をあまり聞いたことのない人がたくさんいたと思うのだが、彼の全然気取りのないチャーミングと言ってもいいその姿に誰もが惹きこまれてしまっていたはずだ。

セットリストはARB時代の曲と、去年リリースしたソロアルバムからのものが中心になっていた。
ソロアルバムの曲は、石橋凌曰く“プロデューサーに目の前に映像が浮かぶようなアレンジにして欲しいとお願いした”とのことだが、歌を耳にしてその言葉どおりだと僕も思った。これは、楽曲もそうなんだけど、石橋凌のボーカリストしての表現力の成せる業なんだと思う。歌われているテーマは重いのに、曲調がとてもポジティブなのも良い。昔からARBを観ている人が今の彼をどう思っているかはわからないけど、僕はこの日のライブを見ていて、なんとなく彼が役者という道に進んだのがわかるような気がした。これは役者をやっているからこその表現の豊かさなんではないだろうか?なんだあ~こんなに素敵なボーカリストだったのなら、先入観なんか持たずにもっと早くから聴いていれば良かった(苦笑)。

サポートに入っていた藤井一彦のプレイもGOOD。花柄のシャツでキメた一彦は、この日は終始アコギでのバッキング。曲によってはブルースハープでソロも取る大活躍。僕はグルーヴァーズも大好きなので、欲を言えば1曲ぐらいエレキを弾いてくれるともっと良かったけど、贅沢は言わない。ソウルフルなボーカルを盛り立てる、素晴らしいフレーズを存分に聞かせてくれた。
1部はだいたい1時間ぐらい。石橋凌の魅力を充分に味わった。

ここでいったん休憩が入ったが、この日は長尺ライブになることを想定してか、普段よりだいぶ短い時間で場内が暗転する。トイレの列に並んでいたお客さんが、慌てて席に戻っていった。
オープニングは「BLUES 2011」。アコギを手にしたCHABOが気ままにギターを爪弾きながらつぶやくようにボーカルをとる。続く「つぶやき」もそうだったが、のっけからディープなCHABO流ブルースの世界が展開されていく。「つぶやき」は“ジェームス・ディーンはどこに消えたんだ? ウィルソン・ピケットは… ロバート・ジョンソンは…”と畳み掛けていく、最近のCHABOの歌詞によく見受けられる、今の時代への違和感が歌いこまれたナンバーだった。

いつものようにカバーも多い。フジロックで披露したという「ルイジアナ・ママ」は、オリジナルというより飯田久彦の日本語バージョンでの演奏。続けてライジングサンのthe dayで演奏したという「The Harder They Come」。こんなミディアムな曲を中村達也と演奏したってのはちょっと意外な感じだが、ジミー・クリフをCHABOがやるってのはなんとなく解るような気がする。
そして、ARBのカバーで「ウィスキー&ウォッカ」。これはオリジナルは知らないのだが、アメリカとロシアのドンパチを酒場でのいざこざに喩えていて、完全にCHABOの世界に仕立て上げられたアレンジになっていた。最近のCHABOは誰かと共演するとき、その人の持ち歌をカバーするのが恒例になっているが、この日のこれはハマり具合でいえばかなり上出来だったんじゃないのかなあ?

僕的にこの日最大のヤマ場はこの次からの3曲だった。
CHABOが“じゃあ、ここでキヨシローくんの夏を…”と、おもむろに口を開くと、場内の照明がゆっくりと落とされ、CHABO独特の夏の慕情が展開されていった。まず歌われたのは「忙しすぎたから」。外の猛暑をしり目に、太陽ギラギラだけでない陰りを帯びた夏の心象風景が描き出される。思えば、こういう世界観があるのが清志郎の、そしてRCサクセションというバンドの魅力だった。日本の8月は死者や過ぎ去った日々に想いを寄せる季節でもある。CHABOの歌声を噛みしめるように、歌の世界に入り込んだ。
そのあと、CHABOはインストで“エデンの東”を演奏。これが物凄くぐっと来たんだよなあ、オレ…。なぜ、今日このライブで、清志郎の歌の次にこの曲を続けてやったのかはわからない。もしかしたら、これにもCHABOと清志郎だけが知っている秘密があるのかもしれないし、子供の頃はR&Rと共に映画音楽を良く聴いていたという、石橋凌に捧げる気持ちもあったのかもしれない。
そして、街の雑踏をSEに歌われた「My Home Townの夜」。これはぐっときた。この曲を初めて聴いたのは、ビルボード東京で行われた3Gでのライブだったと思うが、ずばり名曲。故郷の街でのある日の夜に、変わってゆく時代と、自信の孤独を滲ませた苦い歌詞が胸の奥にすーっと落ちてゆく。
ラストに久々に歌われた「R&R Tonight」も含め、この日のCHABOには、なんだか夏をキーワードに、自身の記憶を遡りながら現在の立ち位置を今一度確かめているようなタッチを感じた。

アンコールは一転して楽しいCHABO×石橋凌のセッションタイム。
サプライズは、明日の出演が予定されていた伊東ミキオが登場したこと。確かにステージ奥にはグランドピアノが用意されていたけれど、てっきりそれは2日め、3日め用の準備だと思っていたので、これは嬉しかった。赤いコンポラスーツで登場したミッキー、久々に見る気がするけどやっぱり若いころの清志郎に似てるなあ~(笑)。

セッションは「ROUTE 66」や「GOT MY MOJO WALKIN'」など、二人の共通のルーツと思しきスタンダードが次々に飛び出す楽しさ満点のステージとなった。
でも、やっぱり僕がグッときたのは、「横浜ホンキートンク・ブルース」だなあ…。これが今日聴けるとは夢にも思わなかったし、これをCHABOが演奏するとも夢にも思わなかった。この曲は、僕にとってはやっぱり松田優作のイメージが強い。生前の優作と親交のあった石橋凌にとって、これは大切な曲なんだろう。CHABOと藤井一彦がそれぞれソロを取り合うのも聴きものだった。
この後、「いいことばかりはありゃしない」に続いて、「STAND BY ME」という、もうこれ以上ないぐらいに贅沢なセッション。最後の最後は、CHABO自身がどうしても聴きたいということで石橋凌による「SOUL TO SOUL」。うーん、素晴らしい…。

全ての曲が終わると、いつものCHABOのライブ同様、恒例の「What A Wonderful World」が流れ、全員がステージ中央に並んで深々とお辞儀をする。この時、観客は彼らが頭を下げたタイミングで立ち上がるのがお約束なのだが、この日はステージでCHABOたちが並ぶともう観客がスタンディング・オベーションしてしまっていた。これは、それだけこの日のライブが素晴らしく、観客が感動した証ではないかと思う。

80年代からシーンを走り続けてきたCHABOと石橋凌の2人にとって、そして、二人を見続けてきたファンにとって、この夜はまるで旧友と再会する時のような嬉しさに溢れていたはず。
そして僕は、まるで昨日のことのように思っていた80年代がこんなにも遠くになってしまったことと、CHABOと石橋凌がいつの間にかこんなにも大きな存在になってしまったことに気付き、ちょっとため息が漏れてしまったのであった。

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2012年8月15日 (水)

【本】東京プリズン / 赤坂真理(著)

Tokyopri_2すでに池澤夏樹や高橋源一郎が書評で言っているように、これは近年稀に見る大作だ。少なくとも、これが今後赤坂真理の代表作として長く語られていくであろうことは間違いないだろう。本の帯には「すべての同胞のために、私は書いた―」とあるが、この言葉にはいささかの曇りもない。誰もがためらってしまうテーマを正面から取り上げた作者の覚悟がみてとれる。そのテーマとは…。「天皇の戦争責任」だ―。

このこれまで誰もがタブーにしてきた壮大なテーマを扱うため、赤坂は一人の少女を主人公に設定した。1980年、15歳のマリ。彼女はこの歳でアメリカの北の端メイン州の高校に留学することになる。彼女をアメリカに送ったのは「母」。だが、そもそも彼女は、なぜ母が自分をアメリカに送ったのかもわからず、異文化の中で孤独と困惑に耐える日々を送ることになった。異国の北の果てで、彼女は自身が日本人として存在している意味を考えざるを得ない様々な出来事に出会うのだが、後日、作者のインタビューを読んで、この出来事の大部分は作者が実際に体験したことだと知り、驚いた。この作家の小説はどれも多分に私小説的なのだが、今回はその集大成、自伝的な匂いさえ感じてしまう。
その実体験に、赤坂真理は小説家ならではの回路を接続した。1980年ごろのマリ、2009年から11年、今現在のマリ、それぞれの視点を設定して、主人公がその間を行き来できるようにしたのだ。また、時にはそれが「母」の視点となり、主人公と入れ替わりもする。様々な時代の「私」が時空を超えて交信しあうのは、ある種SF的な手法であり、この小説の世界に入り込めるか否かはこのちょっと強引な手法が受け入れられるか否かにかかっているかもしれない。
因みに僕はすぐに受け入れた。というか、こういったダイナミックな手法を駆使できるのは、小説という表現形態ならではだ。ドキュメンタリーでもノンフィクションでも実現できなかったタブーへの踏み込みがこれで可能になったのだ。小説が本来あるべきパワーを感じ、興奮しながらページをめくることとなった。

クライマックスは後半だ。指導教官のスペンサー先生がマリに課題を与える。「昭和天皇には第二次世界大戦の戦争責任がある。」というテーマでクラスメイトとディベートをせよ…。もちろん、ディベートだから戦争責任があるかないかを断定はしない。あくまでもルール上での討議。だが、これは言ってみればアメリカの土俵に上がって、あっち側のルールで行う模擬裁判に他ならない。
読んでいて、僕はなんとなく後ろめたくなった。このテーマは、実は誰もがうすうす気がついているのに考えないようにしていることに他ならない。そして、考えなかったのは僕だけではないのだ。僕も、僕の親も、学校の先生も、戦後日本はずっとこれを考えることを避けてきた。その、戦後を正しく通ってこなかったツケが今になって一気に吹き出ているのではないか。憲法、バブル経済、そして3.11…。ディベートは昭和天皇の戦争責任というテーマではあるが、それぐらい広範なことまで示唆してしまっていた。

これまで、僕は赤坂真理の小説はとても“痛く”、“寂しい”と感じてきた。彼女は、時代の痛みや喪失感など、物語になり難いものを、自分の身体を通すことによって言語化してきた作家だと思う。だから彼女の作品は全てにおいて私小説っぽく、肉感的な手触りを持っている。そのすべてのルーツが「東京プリズン」にあるのではないかと思った。あまりに大きく、あまりに痛いテーマであるが、そこにあえて踏み込んだ彼女の勇気を僕は買うし、紛れも無い純文学の小説家としての覚悟と心意気を見た。
うーん、終戦の日に(僕は「終戦」ではなく「敗戦」だと思うが)ふさわしい本を読んだなあ…。だけど、あまりに大きく消化しきれないや(苦笑)。これは時間を置いてもう一度読んでみたい。

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2012年8月 2日 (木)

【映画】へルタースケルター

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「ヘルタースケルター」は、写真家・蜷川実花が映画監督を務めて2本目の作品となる。これは公開されたら絶対映画館で観ようと思っていた。1作目の「さくらん」でもそうだったように、映画全体で写真と同じようなドギツイ色合いが溢れるであろうことは間違いない。それはDVDになってから、うちのチンケなディスプレイで見たってダメだと思ったのだ。プラス沢尻エリカが“脱ぐ”ので、それを大画面で観たかった気持ちもちょっとあった(笑)。

僕が観たのは新宿ピカデリー。なんとなく、この映画は新宿とか渋谷とか池袋とか、そういう猥雑な町の綺麗めなハコで観るのが相応しいような気がして…。
まず驚いたのは、行ったのが公開からけっこう日が経った平日の夜だったにもかかわらず、けっこうな数のお客さんが入っていたこと。しかも圧倒的に20代前半ぐらいの若い女の子が多かったのだ。なんとなく僕は、90年代の岡崎京子を読んでいたような層が観に行ってんのかな、と思っていたんで、ティーンの女の子たちが大挙して映画館に押し寄せているという事実は驚きだった。彼女らが原作を読んでいるとはとても思えず、これは間違いなく、この映画で芸能界への復活を賭けている沢尻エリカ見たさなんだろう。なんだかんだ言われながらも、これだけの観客を動員してしまうエリカ様って、やっぱ凄いんですねえ…。今頃そんなこと言ってるワタシも馬鹿みたいですが(苦笑)。

賛否両論あるみたいだけど、僕としてはこの映画、とても面白かった。蜷川実花の人口着色料的なトーンにも、役者陣の演技にも、エリカ様のヌードにも十分に満足。「見たいものを見せてあげる」、まさに映画コピーそのまんまの作りだ。
ただ、これは岡崎京子の原作漫画とは別モノと考えたいなあ、オレは。だいぶ前に読んだから細かいところは忘れてしまったけど、原作の記憶と照らし合わせると、映画は若干オリジナルと違っていると感じたところも少なくなかった。

一番違うと思ったのは、主人公りりこの壊れ方だ。原作だとこのくだりはもっと怖く、もっと哀しく、もっと凄まじかった。だけど、沢尻エリカ演じるりりこには、それがあまり感じられなかった。誰もがそう思って観ただろうと思うけど、僕も最初は映画の主人公・りりこと現実の沢尻エリカとを同一視して観ていた。美しくあることが大衆の耳目を集める唯一の手段だと信じ、ひたすら整形手術を重ねていくりりこと、誰もが美人だと認めているのに、私生活の破綻ぶりやら記者会見でのキレっぷりやら、スキャンダラスな側面ばかりメディアから書き立てられるエリカ様とには、多くの共通項がある。だからこそ、監督は沢尻エリカを主役に抜擢したんだろうし、本人もそれを良くわかって撮影に入ったはずだ。
ところが、僕は最終的には現実のエリカ様がりりこに勝っちゃったような気がするのだ。沢尻エリカは僕が思っていたよりずっと巧い女優だった。でも、巧すぎるが故にどんなに堕ちようともなんとなく余裕みたいなものが漂ってしまう。濡れ場を演じててもな~んか全然エロくない…。うーん、なんで?おっぱいもお尻も全開なのに…(苦笑)。沢尻エリカってなんかビッチっぽいイメージがあるけど、実際はそんなにセックスなんか好きじゃないんじゃないか…。そんなことまで考えてしまった。エリカ様は美しく、間違いなくスクリーン映えする女優。その現実の存在感の強さが、りりこの危うさに勝っちゃってるのだ。

沢尻エリカってのは、ほんとに不思議な存在だと改めて思った。伝え聞く噂からは、なんて傲慢な女なんだろうと思ってしまうけど、大きなスクリーンに出るとものすごく美しくて打ちのめされてしまう。でも、あんまり美しいから、どんなに壊れていっても全然崩れた感じにならない。僕なんか、途中から自分のS的部分に目覚めさせられ、心の中で“もっと壊れろ、もっと崩れろ!”と念じていたぐらい(苦笑)。でも、泣くと本当に可愛くて可哀想になっちゃって、気が付くといつの間にかりりこの味方になってしまっている。で、後でまんまと気が付くのだ。原作と違ってようとなんだろうと、エリカ様の演技はすごかったと。結局、りりこ役はエリカ様以外には考えられなかったなあと…。あれ?オレ、ひょっとして蜷川さんの術中にまんまとハマってる?(苦笑)

エリカ様と他のキャストとの主要な絡みがあるのは、マネージャー役の寺島しのぶと社長役の桃井かおり、それと、検事役の大森南朋の3人か。
寺島しのぶと桃井かおりはもう流石としか言いようがない。寺島はいつもよりずっと地味な役回りで、大女優が何もこんな役引き受けなくたっていいんじゃないの?と思って観てたんだけど、最後の最後に大逆転。水原希子演じる次世代モデルに対して見せるラスト近くの表情、あれは彼女にしかできないなあ。恐れ入りやした。
桃井かおりはいつもの桃井かおりなんだけど、そのハマり方が半端じゃなかった。思い出したんだけど、この人、若い頃にCMで「世の中バカが多くて疲れません?」って言ってバッシングされてなかったっけ?(あれはコピーライターが書いたセリフで、桃井かおりがそう思ってたわけじゃないだろうに…)あの一件って、考えてみたらエリカ様の「別に…」事件と似てなくもない。この時期に桃井かおりと出会ったことは、沢尻エリカにとってもすごく良かったんじゃないかと僕は思うなあ。

大森南朋に関しては大いに違和感を持った。なんだ、この薄っぺらさ(苦笑)。こんなポエムみたいことを言う検事がいるかっつうの!タイガー・リリーなんて台詞が飛び出した時点で吹き出しそうになっちゃったよ、悪いけど(笑)。まあ、これは別に役者のせいではないんだけどね。漫画だとああいう台詞があっても違和感ないけど、それを映画に移植しちゃうと途端に陳腐になる典型だな、これは。
実は、検事の描き方そのものも原作との相違を感じた点の一つなのだ。漫画だと、なぜ彼が整形外科を執拗に追いかけているのかがわかるような描き方をしてあったと記憶してるんだけど、映画ではそれは全くなかった。もうちょっと何とかして欲しかったなあ、この役柄だけは。

まあ、いろいろ言ったけど、これが映画として面白いのは間違いない。原作と合ってようとなかろうと、そもそもそれ自体90年代半ばに描かれたもので、2013年の今に実写化するなら、ある程度変えなきゃいけなかった点もあったんだろう。
というより、やっぱりこれはエリカ様だけ観てればいい映画なのでは?(笑)恐らく、蜷川実花もそう思って撮ったんだろうし、彼女はそれに十分応えられるだけの逸材だ。僕は沢尻エリカがこれから女優としてどんなキャリアを積んでいって、やがて「ヘルタースケルター」が、彼女の中でどんな位置づけになっていくのか、とても興味がある。少なくとも、こういうキャラの女優は日本には彼女以外存在しない。それだけは確かだ。

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