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2012年9月24日 (月)

【本】 その日東京駅五時二十五分発/西川美和(著)

332581この本の著者、西川美和さんは、今公開中の映画「夢売るふたり」や「ゆれる」「ディア・ドクター」を手掛けた映画監督だ。何度もブログで紹介しているように、僕はこの人の作品が大好き。人と人との間の複雑な心理描写を描かせたら、今の日本でこの人の右に出る映画監督はいないと思う。
そんな西川監督、実は小説も何本か書いていて、中には直木賞候補となった作品まである。西川さんは映画の脚本もすべて自分で書いているが、これだけ文才のある人だったらそれも頷ける。言い方を変えれば、こうやってトータルで作品に関われる才能があるからこそ、あれだけメリハリの利いた心理描写を映画に投影できるのだと思う。

さて、「その日東京駅五時二十五分発」だが、これは7月に出版されたばかりで、今のところ“小説家”西川美和の最新作。この小説には元になる実話がある。西川さんの伯父さんは、1945年春に召集されてから終戦を迎えるまでの3ヶ月間、陸軍の特種情報部の傘下で通信兵としての訓練を受けていたのだ。伯父さんはその体験を手記にして親戚の人に配ったという。2012年に家族からそれを渡された西川さんは、何とか小説の形に整えて多くの人に読んでもらいたいと考えたそうだ。

あらすじはこんな感じ。
広島に暮らしていた飛行機好きの「ぼく」は、19歳で軍に召集され大阪の陸軍通信隊に配属される。そして数日後には通信隊本部へ転属となり、東京に出て通信兵としての訓練を受ける日々を送ることになった。
ある日、無線の送受信の練習中、「ぼく」たちはアメリカの放送を受信して不思議な会話を聞いてしまう。それはポツダム宣言の内容だった。日本語訳がラジオで流れる前日のことであり、ほとんどの日本国民はこれを知らない。
やがて、上司から隊の撤収が告げられる。戦争は終わったのだ。「ぼく」たちは機密書類や通信機材の一切合財を焼却し、2カ月前に降りたばかりの東京駅へと向かう。もう隊が存在しないのだから故郷の家に帰るしかないのだ。乗り込むのは、8月15日5時25分発の東海道線。行き先は9日前に「新型爆弾」で丸ごと吹っ飛ばされたとラジオで流れた広島だ…。

いわゆる戦争体験記にあたる小説だし、舞台として広島が出てくるから、悲惨な体験が延々綴られると思いきや全くそんなことはなく、拍子抜けするぐらいに淡々とした話が続く。「ぼく」は一発の銃弾も放たず、辛い軍隊生活もそれほど長くは経験せずに済んだ。東京の部隊に召集されていたため、原爆の直接の被害を受けることもなかったし、下っ端兵なのに任務の特殊性ゆえ誰よりも早く日本の敗戦を知ってしまう。そして、世間の風とは逆に誰よりも早く帰路に着いてしまった。
つまり、伯父さんは「全てに乗りそびれてしまった少年」だったのだ。

実は、僕がこの小説で深く心を動かされたのは、この小説本体ではなく西川さんの書いた「あとがき」である。
広島育ちで子供の頃から凄惨な話ばかり聞かされて育ってきた西川さんは、叔父の“ゆるい”体験談に逆に驚くとともに、戦時中にもこんな淡々とした時間が流れていた場所があったのだと幾分ほっとするような気持ちを抱いたという。なんだかその気持ちが僕にもわかるような気がするのだ。

もう一つ、「あとがき」を読むと、この小説には3.11から大きな影響を受けていることがわかる。西川さんは、2011年の春から広島の実家でこの小説を執筆していて、3月11日を迎えたのだ。
被災地から遠く離れた広島でテレビやインターネットから飛び込んでくる惨状を見るにつけ、信じられないような思いと胸を締め付けられるような不安にかられたという。しかし、いったんスイッチを切ってしまえば静かな日常が戻ってきて、自分は被災地から遠く離れた地で小説を書くという、意味があるのかないのかわからないような作業を行っている。
そのパラドックスの中で西川さんは気が付いたそうだ。国が滅ぶほどの悲劇というものは先人の戦争体験が最後で、よもや自分たちの代でそんなことが起こるはずがないと、自分は心のどこかで舐めていたと…。これまで自分は、なぜ先人は戦争なんて愚かな道に突き進んでいったのかと思っていたのだが、実は何も疑問を持たずに生きていた自分たちこそが大きな過ちを犯していたのではないかと…。

これは、2011年以降、多くの人が抱いた気持ちではないだろうか?
西川さんは、あの震災がなければ、恐らくこの小説は全く違ったものになっていただろうと語っている。それは読者も同じで、僕もあの震災がなければ、この小説を読んで今とは全く違った感想を持ったと思うのだ。この小説は「ぼく」が広島に帰ったところで終わってしまうが、本当は「ぼく」にとっての戦争は、この時から始まったような気がする。それは、なんだか昨年の春、原発事故後に故郷に帰った僕とそっくりに思えた。広島の惨状や悲惨な戦場から一歩引いたところにいたがゆえに、今ひとつ戦争のリアリティを感じずに広島に帰った「ぼく」と、2012年の日本を生きる僕。なんだろう、このパラドックスは…。

この小説には、「あとがき」以外、震災に関する記述は出てこないが、これは紛れもなく3.11後に生まれた優れた表現の一つだと僕は思っている。

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