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2012年12月

2012年12月18日 (火)

嵐のあとで

うーーん…。

民主党が政権党の座を滑り落ちることは薄々予測していたけれど、まさかこれほどまでに差が付くとは…。
自公併せて320以上の議席を確保したってことは、理論上は参院で否決された法案でも、衆院で再審議すれば可決できてしまうということになる。原発の再稼働も、TPPも、消費税増税も、だ…。

怖いのは、今の自民党は、僕らが子供の頃に高度経済成長の日本を支えていた「偉いおじさん」のいる党ではないということ。日本経済再生のためなら、弱者を切り捨てる政策だって何のためらいもなく断行してしまいかねない。そして、何よりも怖いのは党首自らが平和憲法改正を公言していることだ。

おかしいと思うのは、選挙前の世論調査では、自民党の支持は2割程度だったということ。それなのに、いざ選挙になったら、トモダチの公明党と併せると2/3の議席をとれてしまうのだ。これは一体どういうことなのだろう?
多くの人が言うように、低い投票率の中で反自民が乱立し、漁夫の利で小選挙区での自民が圧勝したのであれば、これはもはや選挙制度そのものに問題があると言わざるを得ない。これは果たして、国民の意思を反映したものと言えるのだろうか?
若者に至っては、投票率は4割を下回っているという話もある。投票率が低いと、組織票が期待できる大型政党に有利になると言われ、選挙前にはネットを中心に若者の投票を呼び掛ける声も目立った。それがこの有様だ…。

ネットには若者意識の低さを嘆く声もあるが、本当にそうなのだろうか?今回の選挙に関しては、大人であるはずの僕でさえ、どこに投票したらいいものかすごく迷ったのだ。普段、政治に関心のない若者が投票所に足を運ばないのは、当たり前と言えば当たり前のような気がする。 そんな若者の目を向かせるような報道を、マスコミはしていただろうか?

自民党による新内閣が組閣されるまで、もう何日もない。
僕は、何よりも自分の故郷の将来を左右するであろう、原発事故担当大臣が誰になるのかが気がかりだ。

今までは、選挙の結果を見ても溜息だけだった。 でも、今回は違う。何か、怒りに近い感情が腹の中に渦巻いている。

本当に、本当にこの国はいったい何処に向かっているのだろう?

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2012年12月 3日 (月)

【本】社会を変えるには (講談社現代新書)/小熊英二

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予想どおりと言えば予想どおりなんだけど、暮れも押し迫ったこの時期、日本は選挙モードに突入した。だけどオレ、今回はほとほと困っちゃってんだよね。なんとかしてこの状況を変えてほしい、変えたいと思ってるんだけど、投票したい党、当選して欲しい人がほんとにいない。
毎回選挙のたびに困った、困ったって言ってる気がするけど、今回は本当に切実。これほどの焦燥感は、自分が選挙権を得て以来、はじめてだ。だって、この国はこれほど景気が落ち込んでいる時期に、あれほどの災害と大事故を受けているのですよ。ここで選択を誤ったら、日本はほんとにもう立ち直れなくなっちゃうんじゃないだろうか…。この本を読もうと思ったのも、そんな藁をもつかむ思いからだ。夏ぐらいから話題になってる本だってことは知ってたんで、なんとなく来たる選挙に対するヒントが見つかるかな、と思って…。

結論から言うと、そんなものは見つからなかった。当たり前だ。そもそも、これは“答え”を出そうと書かれた本ではないんだから。ただ、そもそも“社会が変わる”とは、どういう状態を言うのかすら、オレにはわかってなかったんだなあ、ということはよく解った。それだけでも僕にはとても大きな収穫だったと思う。

この本は、今の日本の現状を確認したうえで、戦後の社会運動を振り返り、民主主義や自由主義の歴史まで遡って、どうすれば”社会を変える“ことができるのかを探っていく。
正直言うと、第4章から第6章までの部分は、大学の科目にあった歴史学や哲学、政治思想史なんかを連想させ、読むのにかなり体力を要した。まあ、”社会を変える“という壮大なテーマを一冊の新書にまとめようとするならば、こういう方法をとるしかなかったのだろう。苦労して読み込んだ分、読後にすとん!と落ちる説得力は確かにあったし。

この本を読むと、著者は3.11に起きた原発事故とそれに対する社会の動きに並々ならぬ関心を持っていることがわかる。脱原発デモに関する記述も多く、これが新しい社会の流れを生み出すのではないかと感じてもいるようだ。ちょっとデモの力を過信しているような気もしないではないが、歴史的な流れから脱原発デモを見る視点は“なるほど!”と思わせるものがあった。
原発事故はそれ自体も勿論深刻だけど、同時に戦後の硬直したシステムを白日の下に晒け出したことが、社会に大きなインパクトを与えた。脱原発デモはそのインパクトに対する市民の自然な反応なのだ。経済が20年も停滞し、もともと不満と政治不信が高まっていたからこそ起きたものだと著者はいう。かつての全共闘運動は担い手の学生が就職したら即終焉してしまったが、脱原発デモは、もともと自分の生活に不満を持っていたさまざまな身分の人たちが参加していて、いまや一億総中流意識もとっくに崩壊しているんだから、そう簡単には収まらないだろうと著者はいうのだ。

正直言うと、デモに関しては現場でいくら主張しても、それが実際の政治の現場に反映されなければ何も意味がないのではないかという気持ちも僕にはあった。
それに対して著者はこう主張する。デモや運動は“やること”自体に意味があるのだ。デモに参加するのが、かつてのような”特殊な行為”でなくなれば、それは誰でも自由に声をあげられる社会ができるということとイコールであり、より民主主義の理想に近づいたことになる。そして、運動に参加した人は、声を上げられる社会の到来を実感でき、自分自身が変化していくと…。

結局、著者の言いたいことは、“社会を変える”ためには“自分がまず変わらなければならない”ということなのだ。この本を読んで得た僕なりの答えは、社会を変えるには投票だけじゃない何かが必要なのだということ。うーん、投票に関するヒントが欲しいと思ってたのに、この本はその先を照らしていたんだなあ…(苦笑)。

本を読んでも、何かをしなければという焦燥感は募るばかり。
だが、それでもいいのではないかとも思う。八十年代以降、僕も含め、日本で政治への無関心層がどんどん増えていったのは、経済も雇用も安定していたからだと思う。無関心でいてもなんとか暮らしていけたのだ、少し前までは。そんな状況がどんどん陰りを見せ、徐々に高まっていた政治不信が原発事故で閾値を越えてしまった。僕の今感じている焦燥感は、閾値を超えてしまった不信感で身も心もやられてしまった結果なんだと思う。

選挙が終わった後、日本の景色がどうなっているか。その中で自分は何を考え、どう動いていくか。まだわからないけど、そのヒントはこの本の中に確かにあったような気がする。

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【映画】 黄金を抱いて翔べ / 監督・井筒和幸 原作・高村薫

Ougon

ん~~~。とても残念。これは高村薫の小説が原作なんだけど、その奥深さを半分も表現できていないと思った。
原作はとても長い小説でストーリに絡む人間関係も複雑。まあ、確かにそれを2時間半に落とし込むのは難しかったんだろうとは思うけど、だったら削るところは思い切って削るとかしないと…。おこがましいけど、それをどうやるかってのが監督の手腕なんじゃないだろうか?これはすべてを中途半端にぶち込んじゃったおかげで、終始バタバタした展開になっちゃったように思う。これじゃあ小説を読んでない人には、そもそもなぜ幸田たちがささやかな日常を投げ打ってまで銀行に眠る金塊を強奪しようと思ったのか、さっぱりわかんないだろう。

実は、僕は高村薫の小説が大好きなのだ。
彼女の作品を初めて読んだのは、もう15年ぐらい前だけど「神の火」というやつだった。これはかつて原発技術者でありながらスパイに仕立てたられてしまった男が、足を洗ってささやかな生活を送っていた時に原発襲撃プランを知ってしまい、、幼馴染みと共に諜報戦に巻き込まれてしまうというもの。とにかく、その緻密な構成と人間描写の生々しさに圧倒されてしまい、読み終わった後も三日ぐらい頭から残像が消えなかった。サスペンス小説の体裁をとってはいるけれど、これは純文学の大作にもひけを取らないとマジに思ったぐらいだ。
その後、他の作品にものめりこんだのだが、女史の作品には駄作が一つもない。すべてが代表作と言ってもいいぐらい、どれを読んでも完璧すぎる世界が構築されているのだ。

ただ、緻密で人間関係も細かく設定してあるからこそ、2時間半の制約があるシネマにはなかなか納まりきれない。女史の作品はこれまでにもいくつか映画化されてきたけど、はっきりいってどれも原作の良さを半分も出し切れていない。むしろ、テレビの連続ドラマの方が時間が長い分、丁寧に描かれていたと思う。
ただ、「黄金…」に関しては、あの井筒さんがメガホンをとるっていうんで、だいぶ前から期待してたんだけどなあ…。まあ、女史の小説のスケールのデカさは、鬼才をもってしても抑えきれなかったということなんだろう。

残念ではあったけど、俳優陣は健闘していた。特に、桐谷健太の演じた野田は僕の思う小説のイメージにぴったりだった。彼はこの2,3年ですごく成長していると思う。妻夫木聡もこういうダークな役が無理なくできるようになってきたし。うん、役者人の奮闘ぶりがこの映画の唯一の救いかな…。

きっと、高村女史の作品はこれからも何度となく映画化されていくだろう。いつかは彼女の壮大な世界を完璧に制御できちゃう監督が現れるかな…。そんな日が来るのを僕はじっくりと待ちたい。

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