「矢野顕子、忌野清志郎を歌うツアー2013」/2013.5.22(水) 渋谷公会堂
「矢野顕子、忌野清志郎を歌うツアー2013」のファイナル、渋谷公会堂公演に行ってきました。
実は僕、イベントでは何度か観てますけど、矢野顕子の単独ライブを観るのは初めて。今回足を運ぼうと思ったのは…言わずもがなの理由です(笑)。
実は僕、イベントでは何度か観てますけど、矢野顕子の単独ライブを観るのは初めて。今回足を運ぼうと思ったのは…言わずもがなの理由です(笑)。
いやもう、予想をはるかに超えた素晴らしいコンサートでした。オレ、CHABO以外の人が歌う清志郎の歌で、これほどぐっときたのは初めてかもしれません。この人がどんな曲を歌っても自分流に表現してしまうってことは、もちろん知ってましたが、これほどまでとは…。しかも、ぶっ飛んでても原曲の片鱗はちゃんと残ってるんですよね。何より、これだけ崩しまくってても、曲が全然難しくなってない。すごく楽しくてのびのび。矢野顕子の歌う清志郎SONGSには、とても自由な風が吹いてました。
唄ってるアッコちゃん自身も、曲の中に入り込んで思い切り遊んでるのが客席にもビンビン伝わってきました。今更ですが、矢野顕子スゴいわ!音楽家としての圧倒的な力量を感じましたね。
唄ってるアッコちゃん自身も、曲の中に入り込んで思い切り遊んでるのが客席にもビンビン伝わってきました。今更ですが、矢野顕子スゴいわ!音楽家としての圧倒的な力量を感じましたね。
この日はモノマネの清水ミチコがゲストで登場。これも予想に反して(と言ったら失礼ですが)すごく良かったんです。「丘を越えて」や「帰れないふたり」なんかを演ったんだけど、もちろん清水さんはアッコちゃん本人や井上陽水のモノマネで…(笑)。こんなの、ちょっと間違えたらキワモノ企画になりかねないじゃないですか。ところがところが、全然違和感なかったんですよ。清水ミチコ、お世辞抜きにピアノも歌もめちゃめちゃ巧い。何より、矢野顕子のことが心から大好きなことが伝わってきて観てて胸がほっこりしました。
矢野顕子が清志郎のどの曲を歌うのかも興味あったけど、けっこう最近のものが多かったなあ…。それに“清志郎の書いた曲で私が一番優しさを感じる曲”と言って「セラピー」が歌われたのも意外だった。コアなRCファンでも、これが大好きだって人にはあったことないもん…。やっぱ、こういうのは音楽家ならではの感性なんでしょう。
そう、このコンサートがかくも素晴らしいものになったのは、矢野顕子が彼女流に清志郎の曲を解釈することで、単なるトリビュートとか、偲ぶ会的なものを超えた、純粋に音楽的な感動を呼び起こしたからだと僕は思うんだよね。
ノスタルジックとかメランコリックってのは、人間の感情の中でも最も共有しやすい部分だと思うんだけど、あんまりそういう気持ちに振り切っちゃった表現ってのは、僕はあんまり好きになれないんです。それはやり方としてちょっと甘いというか、ずるいと思う。そういう安っぽい表現は音楽に対して失礼だし、音楽のコアの部分からからはどんどん離れていっちゃうと思うんです。
ノスタルジックとかメランコリックってのは、人間の感情の中でも最も共有しやすい部分だと思うんだけど、あんまりそういう気持ちに振り切っちゃった表現ってのは、僕はあんまり好きになれないんです。それはやり方としてちょっと甘いというか、ずるいと思う。そういう安っぽい表現は音楽に対して失礼だし、音楽のコアの部分からからはどんどん離れていっちゃうと思うんです。
もちろん、矢野顕子個人は清志郎に対する感傷的な想いだってあるはず。でも、この夜の彼女は、そういう気持ちを抑えながら一人の音楽家として清志郎の楽曲に誠実に向き合ったんだと僕は思うんです。矢野顕子という稀代の音楽家が、忌野清志郎というこれまた稀代の音楽家に対峙し、音楽の持つ力だけで清志郎への想いを昇華しようとしたのが、このツアーだったんじゃないかと僕は思います。そして、そんな彼女の想いは、満員の観客にもちゃんと伝わっていたと思いますよ。
音楽ってのはスゴイよなあ…。こうやって、ここにはいない人とも繋がれるんだもんなあ。昨夜の渋谷は月が綺麗でした。アレはきっと清志郎が笑いながら僕らを見てたに違いありません。
音楽ってのはスゴイよなあ…。こうやって、ここにはいない人とも繋がれるんだもんなあ。昨夜の渋谷は月が綺麗でした。アレはきっと清志郎が笑いながら僕らを見てたに違いありません。
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