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2018年11月

2018年11月18日 (日)

【CHABO SOLO ACTION The Moon Struck One 2018年11月17日(土)東京・南青山MANDALA】

難しい時期のライブ。正直、なんでこんな時に…と、CHABOもファンも複雑な思いでこの日を迎えたはず。ただ、2009年の5月もそうだったけど、このデリケートな夜が気心しれた南青山MANDALAでのライブだったのは、不幸中の幸いだったかもしれない。

僕も少し沈んだ気持ちで開演を待っていたのだけれど、出てきたCHABOは思ったよりリラックスして見えた。2009年5月は開演前に賛美歌が流れ、最初はサングラス姿だったことと比べれば、いつも通りといっても良いぐらい。まずはほっとした。
CHABOは、この秋すでに水戸と長野で“The Moon Struck One”と称したライブを演っており、東京でのこれを含めて一本の短いツアーのような気持ちでいたようだ。
なかなか行けない地方のライブでは、待っていたファンの為にRCナンバーも「君ぼく」や「雨上がり」、「いいことばかり」や「上を向いて歩こう」などのど真ん中の曲を演ったらしいけど、この夜選ばれたのは「よそ者」と「たとえばこんなラヴ・ソング」の2曲。聞くところによると、カバー曲もかなり入れ替えていたらしく、こういうところにもCHABOの演者としての誠実さが感じられる。
この夜、一番印象に残ったカバーは、初めて聴いたヴィレッジ・ストンパーズの「 ワシントン広場の夜はふけて」。子供の頃にダーク・ダックスが歌ってたのを何処かで聞いたことがあるけど、こんな曲をカバーしても様になってしまうロックギタリストなんて、日本ではCHABOだけだろう。
個人的には、「糧」や「スケッチN.Y. '98」、「Holiday」などが選ばれたことで、90年台後半頃のソロライブみたいなフィーリングを感じた。
それと、最近のCHABOのライブでは、アップテンポのナンバーはオリジナルよりもむしろカバーで弾みをつける傾向があると感じていたんだけど、この日もそうでマンフレッド・マンの「Sha La La」やストーンズの「Last Time」では手拍子や観客とのコーラスもあった。ライブ中で一番アップテンポのナンバーは、もしかしたらチャック・ベリーのカバー「Memphis, Tennessee」だったかも。
特筆すべきエピソードとして、この日はステージ最前の席にお父さんに連れられた中学生がいて熱心にステージを見ていたようで、CHABOがライブ中何度も話し掛けていたのが微笑ましかった。男の子が大好きなCHABOさん。彼がいたおかげで「R&R  tonight」はまた違った意味を持って歌うことができたのではないだろうか?何度も“サンキュー・ボーイ”と言っていたけど、この少年のおかげでライブ全体の雰囲気もだいぶ和やかになったように思われ、僕も少年とお父さんに感謝したい気持ちだ。
ビートルズ・カバーは、地方では「ハードデイズ・ナイト」だったらしいけど、この日は「ロング・アンド・ワインディング・ロード」。もしかしたら、この曲が一番辛い出来事への気持ちを投影していたかもしれない。日本語詞は清志郎に当てたものだろうけど、この夜はそれが片山さんの事を歌っていたに聞こえて…。
やや渋目の選曲ではあったけど、このところあまり歌っていなかったオリジナルとルーツが垣間見れるカバーを組み合わせ、とても見応えのある練り上げられたライブだった。
片山さんの話が直に語られることはなかったけど、解る人には解っていたはず。冒頭にポエトリー・リーディングを挟んだのは片山さんに向けての鎮魂だろうし、アンコール最後に「プレゼント」を演ったのは、戦友たちがいなくなっても、僕らは淡々と明日を生きていこうというCHABOの僕らに対するメッセージだったと思っている。
それでも、鎮魂を込めつつあくまでポジティブなフィーリングを失わない2時間半だった。久しぶりに聴いた「唄」は沁みたなあ…。どんなことがあっても言葉を紡ぐこと、歌うことを止めないCHABOさんの決意表明にも思え、失礼を承知で言うけど、CHABO さんつくづくプロだなぁ〜って思った夜でもありました。 #CHABO #仲井戸麗市 #仲井戸CHABO麗市 #南青山MANDALA

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2018年11月17日 (土)

エイサーとじゃんがら念仏踊り

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「沖縄の伝統芸能エイサーの起源は、福島県いわきに伝わるじゃんがら念仏踊りであるー」。この話を初めて聞いたのは、数年前にSNSでお付き合いさせていただいているいわきのライブハウスSONICの社長、関さんにお会いした時だった。なんでも、いわき出身の浄土宗のお坊さん袋中上人が、仏教を勉強しに中国(当時の明)に渡ろうとしたが、何故か琉球に流れ着き、そのままそこに滞在して布教した際に念仏踊りを伝えたのが始まりなんだとか。

そして、先月いわきを訪れた際、地元ご出身のFBフレンド村田さんのご案内で、袋中上人の菩提寺である能満寺を訪れることができ、この話がますますリアリティを持って感じられるようになってきた。

実は、今年の春に沖縄の桜坂劇場のプロデューサー野田さんにお会いした時にも、エイサーとじゃんがらの話を何気なくしてみたところ、この話をよくご存知でびっくりしたことがある。いや、びっくりしたというより福島県出身の僕にとっては、ある種の衝撃だったのだ。だってこんんな話は福島ではほとんど知られていない。もともと僕の故郷福島市といわき市は中通りと浜通りで地域が異なり、文化もかなり違うのだが、おそらくいわきでもエイサーとじゃんがらが繋がってるなんてことを知ってる人はあまりいないだろう。

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福島県人として、この謎のお坊さんをもっと知っておかなければ…。そんな気がして買い求めたのがこの本。

いやあ、読んでみてまたまたびっくり。袋中上人は僕が思っていた以上の高僧だった。

この人、修行のために3回も明に渡ろうとしている。いずれも失敗しているのだが、それも当たり前。折しも彼が渡明しようとしていた1600年頃は、豊臣秀吉が朝鮮出兵を繰り返して諸国との関係が悪化していた安土桃山時代。そんな時に明に行こうとするなんて、よっぽど強い意志がなければできないだろう。

琉球に流れついた袋中さんは、琉球政府の高官である馬幸明にいたく気に入られ、琉球の歴史を記した本の編纂を懇願されて『琉球神道記』という大著を残している。晩年は京都に住んで布教に勤しみ、彼が復興したお寺の数々は今も残っている…。

当然だけど、安土桃山の頃の琉球は外国だ。琉球王国は中間貿易で大変な活況を呈していたというが、そこにみちのく人が一人で降り立ち、多くの民衆が帰依する信仰を起ち上げたっていうのは痛快だ。少なくとも、内弁慶と言われがちな現代の東北人とは全く違うキャラ。

だけど、このバイタリティー、新しいものに飛び込んでいく柔軟さは、今のいわきの地にも流れているような気がする。最近思うのだけれど、福島は会津・中通り・浜通りの3地方でかなり住んでる人の気質が違う。理由はわからないが、浜通りの人は三地方の中で一番新しいものに対する抵抗が薄いような気がするのだ。たとえば、常磐ハワイアンセンターのような施設は、僕の育った福島市では考えられなかったと思う。

沖縄では袋中上人の名前は有名で、2003年には渡琉400年でいろいろな催しが開かれたらしい。3.11後に浜通りから多くの人が離れた時も、移住先に沖縄を選んだ人がかなり多いと聞いた。音楽の現場では、沖縄と福島はASYLUM in Fukushimaというイベントで繋がっている。そういう見方をすれば、袋中上人の結んだ沖縄と福島の縁は今でも続いてると言えるのかもしれない。

福島、わが故郷。でも、知らないことがいっぱいあるなあ…。ちょっと福島の郷土史に興味が出てきている。

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2018年11月 4日 (日)

「線量計と奥の細道」ドリアン助川 著

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ドリアン助川 著「線量計と奥の細道」を読み終えた。2012年の8月から11月まで松尾芭蕉の旅した#奥の細道 を自転車で走破した記録。

全編にわたってドリアンさんの戸惑い、逡巡、葛藤が伺われるのが心に残った。震災直後、僕も自転車で故郷の町を巡ったことがあるが、その時も線量計を使うのがだんだん苦痛になってきたのを思い出した。真実を知りたいという気持ちで線量計を持ってきたのに、目の前の美しい故郷の風景と裏腹に出てくる数字という現実を受け入れるのは、思っていた以上に痛みを伴う行為だった。どんな数値が出ようと、そこで暮らしている人が現実にいる。そこでよそ者の僕が簡単に危険と言い切ってしまっていいのか。最後の方はもう計器を握り潰したくなった。

この本が出たのは今年の7月。今の時点で当時を振り返ったあとがきが読ませる。震災直後はあれほどSNSを賑わせていた原発事故関連の記事は、今は数えるほどしか見なくなった。僕も含めてみんな忘れようとしている。でも、かの地では痛みを感じながらも、これを後世に伝えていこうとしている人たちがたくさんいるのだ。

ドリアンさん、もし震災前に奥の細道を旅していたら、どんな紀行文を書いたんだろう。きっと、もっと芭蕉の心情に寄り添った、これとは全く異なるものを書いていたに違いない。

故郷の町を流れる阿武隈川には、震災後も変わらず白鳥が飛来する。その美しい姿を見ながら、でも彼らの身体にはどのぐらいの放射性物質が沈殿しているのだろうかなどと考えてしまう自分が哀しい。僕らはもう2011311日以前とは違った世界を生きていて、もう二度と芭蕉の暮らした世界には戻れないのだ。

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